『神護寺如法執行問答』について
前 川 健 一
1.はじめに
『神護寺如法執行問答(以下,問答)』1)は,神護寺財物の管理に関して,同寺の 性禅(深証房)から寄せられた質問三箇条に,明恵(高弁)が与えた回答を,貞応 3(1224)年3月7日に清書したものである2).本 成立の背景と意義について, 以下,論じたい. 2.本書の内容
性禅の問いは以下のようにまとめられる. (問一) 金堂の礼堂の畳を取り替えた際に廃棄された古い畳を仕立て直して諸房 の中の持仏堂に安置してよいか. (問二) 両部大曼荼羅の櫃が不要なまま放置されているので,これを小さな櫃に仕 立てて,他の仏像を安置してもよいか. (問三) 平岡の堂の跡に,近年,田を作っているので,これを制止したところ,耕 作者が「堂の旧跡はそのままにしておいて,基壇の跡のかたわらに田を作 ろうと思う」と申し出てきたが,どうすればよいか. これに対して,明恵は法蔵『梵網経菩 戒本疏(以下,菩 戒本疏)』を援用し て,以下の回答を行っている. (答一) 仏前にあるとは言っても,礼堂の畳は僧物であり,僧物については合議 により転用が許容される.まして,ふたたび持仏堂に安置されるので,破 戒にはならない. (答二) 櫃は仏受用物(仏像の付属品)に相当し,それを他の仏に転用しても問題な い.また,「局仏物(特定の仏に属するもの)」と考えても,両界曼荼羅は諸 尊を包括しているので,別尊に用いても問題ない.「櫃はもともと両部曼 荼羅のためのものであるから,他の別尊に転用すれば,互用罪(後述)を得るのではないか」という問いについては,両部曼荼羅だけ供養して,別 尊は供養しないといったことはないし,両部曼荼羅の櫃として有用なあ いだは,他の仏像を入れないという心はあるにしても,すでに両部曼荼羅 には不要な櫃なので,別尊に転用しても問題はない. (答三) 堂の跡の地は仏に供養されたものであり,転用できない.周囲の土地は 属仏物(収益が仏に供養される地)であり,人が用いる理由がない. 以上,まとめるなら,性禅の質問は,すべて寺院財産の転用(互用)にかかわ るものであり,明恵の判断は,問一・問二については転用を容認し,問三につい ては容認しないということになっている. 3.
問答の背景
この問答がなされた背景として,一般的な問題と,この時期の神護寺固有の問 題の両面がある. 一般的な問題とは,先の概要でも触れた「互用」に対する罪意識である.寺院 財産は,その内容に応じて仏・法・僧のそれぞれに所属するものであり,転用 (互用)は禁じられている.現実的には,仏物(仏に属するもの)・法物(聖教に属す るもの)を僧侶集団や僧侶個人,さらには俗人が使用することが大きな問題であ り,宗教的に堕地獄の罪とされるだけでなく,世俗法においても大きな意味を 持っていた(笠松1993参照). 性禅の問いもこの三宝物互用の罪を免れるためになされたと考えてよいであろ う.特に質問の対象になっている事例は,いずれも三宝物としての帰属が曖昧な ものであり,この点が明恵への質問をうながした理由と思われる. 三つの事例に共通するのは,すでに本来の用途を果たしていないもの(古い畳, 無用の櫃,堂の跡地)であり,これらを転用してよいかが問題となる. さらに個別にみていくと,問一の場合,仏像を安置している金堂は仏物である が,その前面に建てられた礼堂(礼拝者用の堂)も仏物と言えるのか,さらにそこ に置かれていた畳はどうなのか,という問題がある.また,転用先の諸房(僧侶 の居住する房)の持仏堂がどうかという問題もある.この場合の持仏堂は,寺院 全体の本尊とは別に,僧侶が自分の礼拝用に仏像を安置した堂であるから,そこ に安置する畳は仏物なのか僧物なのかが問題となり得る.もっとも,明恵は特に 理由を説明せず,礼堂の古畳について僧物であると断定しているので,この点に は問題はなく,一般参詣者も使用する礼堂の畳を,僧侶が私的に使用する持仏堂の畳に転用することに問題の核心があったと思われる. 問二の場合,両界曼荼羅の櫃が仏物であることは明白であり,それを改造した 小さな櫃も仏像を収める以上,仏物であることに問題はない.この場合,仏物の 範囲内で,本来の所属先から,別の所属先へと転用することが問題となる. 問三の場合,堂そのものは仏物であるが,すでに堂がない場合,その基壇や周 辺の跡地がどのような扱いを受けるのかという問題がある. これらについて三宝物としての所属を明確にするため質問がなされたと考えら れる. 一方,この時期における神護寺固有の問題としては,寺内の分裂という事態が 挙げられる.神護寺は文覚の尽力によって源頼朝・後白河院の後援を得て復興さ れたが,文覚の失脚後,後鳥羽院の勢力下に入り,さらに承久の乱(承久3年, 1221)の後に,北白河院(後高倉院妃)の甥である仁和寺の宗全が別当となり,文 覚の高弟である上覚(行慈.明恵の師)が政所の責任者となるという体制になった とされる(山田2014,122–123).上覚は宗全の寺院運営を厳しく批判しており,両 者の間の対立関係により,寺内も二派に分かれていたと考えられる.神護寺文書 には宗全・上覚両者からの深勝房(深証房=性禅)宛の書簡が多数残されてお り3),両者の意をうけて神護寺で実際の寺務を行っていたのが性禅であったと思 われる.このような状況を背景に置いてみると,先の質問で挙げられた事例は, いずれも神護寺財物の管理にかかわるものであり,場合によっては両者の紛争の 火種になりかねない性質をはらんでいた可能性がある.そこで,この問題を穏便 に処理するため,明恵への質問がなされたのであろう.これには,性禅と明恵の 親交,明恵の学問に対する評価ということと同時に,明恵が宗全・上覚両者と等 距離の関係にあったことも影響していよう.明恵にとって上覚は師匠であり,叔 父(母の兄弟)でもあるが,一方で,明恵は後高倉院とも親交を結んでおり,宗 全としても無下にはできない存在であったと思われる.このような立場にある明 恵が出す回答であれば,どちらに対しても一応の申し開きが可能であると性禅は 考えたのではなかろうか. 4.
明恵と法蔵『菩 戒本疏』
明恵は回答を行うにあたり,「教量に任せて,之を陳ず」として,信頼できる 説にしたがって判断を下すことを述べている.ここで「教量」として実際に引用 しているのが法蔵『菩 戒本疏』であることは,すでに述べたとおりである.明恵は建暦2(1212)年の『摧邪輪』の中で既に法蔵『菩 戒本疏』を引用して おり4),伝記である『高山寺明恵上人行状』には,承久2(1220)年に『菩 戒本 疏』を講義したことが記されている(明資一53)ので,この問答がなされた時点 で明恵は『菩 戒本疏』の内容を知悉していたものと思われる. 華厳宗を学んだ明恵が法蔵の著作を用いるのは当然と言えば当然かも知れない が,ここで注目すべきは『菩 戒本疏』そのものの内容である.法蔵は菩 戒を 現実に実践すべきものと考え,『菩 戒本疏』における解釈も現実主義的であっ たことが指摘されている(石井1996,332–348参照).その一例が,『梵網経』の十重 戒の中の盗戒についての注釈である.十重戒への注釈の中で盗戒への注釈は分量 的に突出して多く,その中では三宝物について詳しく規定している.これは, 「法蔵が一寺のリーダーとして,教団を主宰してゆく上での必要性を反映してい るのであろう」(吉津1991,604)と解されている.明恵が自らの回答に於いて依拠 しているのは,まさにこの盗戒の中の三宝物についての規定であり,この規定が 『菩 戒本疏』の中にあったからこそ明恵は本書の記述を「教量」とすることが できたのである.明恵が『菩 戒本疏』を重視したのは,単に華厳宗の祖師の著 だからというのではなく,その現実主義的な性格を見抜いたからとも言えるので はないかと思われる. 明恵が直接引用しているのは,『菩 戒本疏』の中で三宝物を規定している箇 所のうち,互用について述べる箇所に集中している.『菩 戒本疏』の中での互 用は,三宝互(三宝物の間での互用)と当分互(三宝物それぞれの内部での互用)に分 けられ,当分互のうち仏物については仏宝物・仏受用物・属仏物・供養仏物・献 仏物・局仏物に分けられる.明恵が引用しているのは,以上のうち,三宝互の部 分(答一),仏受用物の部分(答二・答三),局仏物の部分(答二),属仏物の部分 (答三)である(なお,『菩 戒本疏』の記述はおおむね道宣『四分律刪繁補闕行事鈔』巻中 一の説に依拠している). 明恵による『菩 戒本疏』の解釈と適用はおおむね妥当と思われるが,気にな る点もある. 答一では,『菩 戒本疏』の「又准宝梁経云.仏法二物不得互用.由無能与仏 法物作主.復無処可諮白.不同僧物常住招提互有所須.営事比丘和僧索欲行籌和 合者得用」(大正40巻615a16–19)という文を「仏法二物不得互用.由无能与仏法物 作主.復無処可諮白.不同僧物和合者得用」と省略して引用した上で,先に述べ たような回答を行っているのであるが,もともとの『宝梁経』(『大宝積経』「宝梁
聚会第四十四」)の文は以下のようなものである.「彼営事比丘応当分別.常住僧物 不応与招提僧.招提僧物不応与常住僧.常住僧物不応与招提僧物共雑.招提僧物 不与常住僧物共雑.常住僧物.招提僧物.不与仏物共雑.仏物不与常住僧物招提 僧物共雑.若常住僧物多.而招提僧有所須者.営事比丘応集僧行籌索欲.若僧和 合応以常住僧物分与招提僧」(大正11巻643c3–11).この文では,僧物の中でも常住 僧物(特定の寺院に住する僧団に属するもの)と招提僧物(僧団一般に属するもの)とを 区別することが説かれ,「若常住僧物多.而招提僧有所須」という場合にのみ僧 侶集団の総意によって転用が可能とされている.明恵の引用の仕方は,この常住 僧物・招提僧物にかかわる部分を省略しており,原義からかなり離れているよう に思われる.礼堂の畳を「招提僧物」,持仏堂の畳を「常住僧物」と考えること はできなくはないので,明恵の解釈が間違いとも言い切れないが,先に述べたよ うに,公的に使用されていたもの(礼堂の畳)を私的に使用するもの(持仏堂の畳) に転用することに質問の核心があったとすれば,明恵の回答では説明不足であ り,真に言うべきことが言われていないという印象を受ける. 答二では,「二仏受用物.謂仏堂帳座等及仏衣鉢等但曽経仏及像受用.皆不得 易.以一切天人敬如塔故.如前宝梁経説」(大正40巻615b12–14)という文を引用し て,最後の「如前宝梁経説」について「指前互用文也」と解しているのである が,これは間違ってはいないが不正確な表現である.というのは,ここで「如前 宝梁経説」と言われているのは,答一で引用された箇所の直後にある「若仏塔有 物乃至一銭.以施主重心故捨.諸天及人於此物中応生仏想塔想」(大正40巻 615a21–23)という文だからである.「互用を説明した箇所にある文」という意味 では間違いないが,そもそもその部分を引用していないので,読者には理解が困 難である. これらの例を見ると,明恵の回答は本来,もう少し詳細なものであったが,現行 の『問答』は何らかの理由で,それを省略して掲載している可能性も考えられる. 5.
むすび
梵網戒の注釈は多数あるが,そこで述べられた解釈が現実にどのように適用さ れたのかはほとんど不明である.それに対して,『問答』は,『菩 戒本疏』にも とづき,(かなり特殊な事例とは言え)現実の紛争を解決しようとしたものであり, 梵網戒の受容の中で,稀有の事例に属すると思われる.法蔵の『菩 戒本疏』が 現実的性格を持っているにしても,それを正面から受け止め,現実に適用しようとする姿勢は他に見ることができない.自身にとっての三学を説明する際「律に は梵網疏」(聴集記108)と述べた明恵ならではと思われる. 1)本書の翻刻は前川2012,313–315に掲載.現代語訳は前川2017参照. 2)「e國寶」の『神護寺如法執行問答』の解説文(http://www.emuseum.jp/detail/100109/000/0 00?mode=simple&d_lang=ja&s_lang=ja&word=%E7%A5%9E%E8%AD%B7%E5%AF%BA%E 5%A6%82%E6%B3%95&class=&title=&c_e=®ion=&era=¢ury=&cptype=&owner=&pos =1&num=1.2017年8月30日閲覧)では「平岡の堂跡には,貞応2年(1223)に善妙寺が 建てられているので,この問答はそれ以前のものと思われる.おそらくは貞応3年 (1224)に至り,改めて清書して注進したものであろう」とある.しかし,善妙寺が「平 岡の堂跡」に建てられたか否かは確証がない.平岡には神護寺鎮守の八幡宮があった が,後に廃絶し,建久元年(1190)に文覚により再建され,貞応元年(1220)に上覚に よって移築されたとされる.『問答』で言う「堂の跡」というのは,この移築と関係あり そうに見えるが,神社の跡を「堂の跡」というのはおかしい.八幡宮に付属した神宮寺 の跡ではないかと思われる. 3)神護寺文書81番から144番までの書状に散見する.
4)旧仏教318a–b,334a–b,336a–bなど. 〈一次資料・略称〉 旧仏教 鎌田茂雄・田中久夫校注 1971『鎌倉旧仏教』日本思想大系15,岩波書店. 問答 奈良国立博物館所蔵『神護寺如法執行問答』(作品ID001307-000-000).同館ホーム ページで画像を公開(http://imagedb.narahaku.go.jp/archive_search/search/viewer.php?requestA rtCd=4050&requestPicNo=0&requestPicTotal=999.2017年8月30日閲覧). 神護寺文書 坂本亮太・末柄豊・村井祐樹編 2017『高雄山神護寺文書集成』思文閣出版. 聴集記 納富常天校注 1967『解脱門義聴集記』金沢文庫研究紀要4,神奈川県立金沢文 庫. 菩 戒本疏 法蔵『梵網経菩 戒本疏』(大正1813番). 明資 高山寺典籍文書綜合調査団編 1971–2000『明恵上人資料』(第一∼第五)東京大学出 版会. 〈二次資料〉 石井公成 1996『華厳思想の研究』春秋社. 奥田勲・平野多恵・前川健一編 2015『明恵上人夢記訳注』勉誠出版. 笠松宏至 1993「仏物・僧物・人物」『法と言葉の中世史』平凡社ライブラリー,平凡社, 86–119(初出,1980). 前川健一 2012『明恵の思想史的研究: 思想構造と諸実践の展開』法藏館. ― 2017「 神護寺如法執行問答 訳注研究」『創価大学人文論集』29: 41–51. 山田昭全 2014「神護寺聖人上覚房行慈伝考」『文覚・上覚・明恵』山田昭全著作集第5巻, おうふう,115–138(初出,1973). 吉津宜英 1991『華厳一乗思想の研究』大東出版社. 〈キーワード〉 明恵,神護寺,法蔵,梵網経菩 戒本疏 (創価大学大学院准教授,博士(文学))