「裁判」にっいて
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(2) るo. 早法六一巻三・四号︵一九八六︶. ︵2︶. 三八六. そこで︑本稿では右の命題についての論証を︑主に裁判の中︑ 民事裁判︵更にこれを本案判決に絞っている︶を念頭に. 置ぎながら︑考察してみようと試みるものである︒. ︵1︶渡辺綱吉﹁増補ー法・訴訟・裁判﹂三六四頁以下︑同﹁民事訴訟法﹂一二頁︒ する︒. 二 裁判の定義. ︵2︶ 本稿で採り上げる問題は︑刑事裁判にも当てはまるものではないかと筆者は考えているが︑その解明は今後の課題として留めて置くことに. ︵1︶. ﹁裁判﹂とは何か︑というその意義について︑ここで改めてわが国における刑事ならびに民事の学説をみてみるこ とにする︒. 1小野清一郎教授は︑﹁裁判とは︑その本来の意味では︑被告事件の実体について裁判所が法律的解決を与える. 公権的な意思表示である︒普通に裁判︑裁判所︑裁判権などというときは︑この本来の意味における裁判の観念でい. っているのである︒しかし︑訴訟法上の術語としては︑裁判という語は︑それよりも広い意味に用いられる︒すなわ. ち︑凡そ裁判所のする訴訟行為のうち法律行為的性質を有するもの︑裁判所の公権的意思表示を指して一般に裁判と いうのである﹂︑と説かれている︵同氏著.新刑事訴訟法概説.一〇六頁︶︒. 2 団藤重光教授は︑﹁裁判とは︑もともと︑被告事件について法律の適用により公権的な解決をあたえる意思表.
(3) 示︵実体的終局裁判︶をいうが︑訴訟法における術語としては︑より一般的に︑裁判所または裁判官の意思表示的訴訟. 平野竜一教授は︑﹁裁判とは︑裁判所または︑裁判官の意思表示的な訴訟行為をいう﹂︑と説かれる︵同氏著・. 行為をひろく裁判︵国三ω3Φ箆巨αQ︶と称する﹂︑と説かれる︵同氏著.新刑事訴訟法綱要.七訂版二九三頁︶︒. 3. 岸盛一氏は︑﹁裁判所が被告事件について審理し︑公権的解決を与える権限を裁判権というが︑これは︑前述. 新刑事訴訟法・二 六 九 頁 ︶ ︒. 4. の抽象的公訴権︵㈱鴇︶と同じく一般国法上のものである︒また︑訴訟手続全体を裁判ということもある︵憲三二. 条・三七条一項︶︒訴訟法上の意義においては︑裁判機関︵裁判所.裁判官︶が具体的な訴訟において事実を認定し法律. を適用した結果の終局的な判断︵有罪・無罪の判決がその典型的なものである︶及びそれに到達するために具体的に手続. を進めるうえに解決を要求される間題についてなされる中間的手続上の判断︵決定.命令︶を総称する︒この意味に. おける裁判は︑裁判機関の意思表示を内容とするものである﹂︑と説かれている︵同氏著.刑事訴訟法要義・一〇二頁︶︒. 5 青柳文雄氏は︑﹁裁判というと広狭二様に用いられる︒広義では裁判所または裁判官の意思表示的法律行為を. すべて指称し︑狭義ではある事実を定立し︑それに法規を適用した判断を意味する︒ところで裁判として特に裁判所. の訴訟行為の中で一定のものを区分し研究するのは︑誰でもでぎるような訴訟行為をたまたま裁判所がしたというこ. とにあるのではなくて︑事実の認定︑法の適用を経た判断であるからこそ濫りに変更することは法的安定性を害し︑. 三八七. 柏木千秋教授は︑﹁裁判とは裁判所または裁判官の公権的判断をいう︒その性質においては法律行為的訴訟行. 関係者の利害に影響するという点にある﹂︑と説かれる︵同氏著.刑事訴訟法通論.五訂下巻四一七頁︶︒. 6. ﹁裁判﹂について.
(4) 早法六一巻 三 ︐ ・ 四 号 ︵ 一 九 八 六 ︶ 為である﹂︑と説いておられる︵同氏著.刑事訴訟法.ニハ八頁︶︒. 三ハハ. 7 高田卓爾教授は︑﹁裁判︵図日ω3①こ琶鱒冒畠①ヨ9ご号︒邑8︶という語は︑一般的な用例としては︑訴訟事. 件を解決するための裁判所の公権的判断の表示を指すが︑訴訟法上の用語としては︑裁判機関︵裁判所︒裁判官︶のす. る意思表示的訴訟行為のすべてを裁判と称する︵そのほか︑広義では訴訟手続全体をさす場合もある︒憲一一三.三七1.八二. 加藤正治教授は︑﹁裁判︵浮富魯虫&粛︶とは裁判機関即ち裁判所︑裁判長︑受命判事若は受託判事が民事の. 1などの﹁裁判﹂は︑このような意味で用いられている︶﹂︑と説かれている︵同氏著・刑事訴訟法.二訂版二八五頁︶︒. 8. 訴訟事件又は之に付随する事項に付判断又は意思を表示する行為である﹂︑と説かれている︵同氏著.民事訴訟法要論・ 二五三頁︶︒. 9 河本喜与之氏は︑﹁裁判とは訴その他の申立に対する国家の解答である︒これを本質的にみれば︑裁判は法を. 実現することにより当事者の権利主張の当否を判断してその間の紛争を解決する裁判権の作用である︒広く裁判とい. えば訴又は上訴に対する終局判決のみならず訴訟の派生的紛争に対する判断や訴訟指揮の処分などをも含む﹂︑と説. 野間繁教授は︑﹁裁判は訴訟の審理により確定された事実に法規を適用して得た結果に関する裁判所の意思表. かれる︵同氏著.新訂民事訴訟法提要.三一八頁︶︒. 10. 示で︑法律を大前提として確定した事実を小前提として得た結論を裁判所が宣言するものである﹂︑と説かれる︵同. 兼子一教授は︑﹁裁判とは︑通俗の用例では︑訴訟事件を解決するための裁判所の公権的法律判断の表示を指. 氏著・補訂民事訴訟法要論・二八四頁以下︶︒. 11.
(5) すが︑訴訟上の専門語としては︑この意味の裁判は終局判決といわれるもので︑裁判の語はもっとひろく︑その内容. に即した訴訟法上の効力を生ずる︑広義の法律的行為たる性質をもつ裁判所の訴訟行為を意味する﹂︑と説かれる ︵同氏著・民事訴訟法体系・三一〇頁︶︒. 12 菊井維大教授は︑﹁裁判とは︑裁判機関が︑法律を大前提とし事実を小前提とし︑推理判断をしてえた結論で. ある判断︑言葉を換えていえば︑その確定した事実に︑法令を適用して得た結論を︑一定の形式にて表現する行為又. はその書面をいう︒裁判機関とは︑裁判所︵裁判をする単位としての︶︑裁判長︑受命裁判官︑受託裁判官をいう﹂︑と. 三ケ月章教授は︑﹁裁判とは裁判所のなす公権的な判断︵または意欲︶の表現であり︑裁判所の訴訟行為のうち. 説かれている︵同氏著.民事訴訟法.補正版.上一二五頁︶︒. 13. 新堂幸司教授は︑﹁訴訟法上の用語としては︑ひろく︑裁判機関がその判断または意思を法定の形式で表示す. 最も重要なものである﹂︑と説かれる︵同氏著.民事訴訟法.弘文堂.三三六頁︶︒. 4 1. る手続上の行為をいう﹂︑と説かれている︵同氏著.民事訴訟法.三八二頁︶︒. 15 齋藤秀夫教授は︑﹁裁判は︑裁判機関の判断または意思の表示であり︑判決・決定・命令の三種類がある︒裁. 判は本質上観念的な作用である︒同じく裁判機関のする行為であっても︑観念的な作用でない事実上の行為も存在す. る︒たとえば︑弁論の聴取︑証拠の取調や裁判の言渡などである﹂︑と説かれている︵同氏著.民事訴訟法概論.新版・ 三四九頁︶Q. 三八九. 16 小山昇教授は︑﹁裁判は裁判機関としての裁判所︵または裁判官︶の行為である︒その性質は判断または意思の ﹁裁判︸について.
(6) 早法六一巻三・四号︵一九八六︶. 三九〇. 表示である︒それは訴訟法上︵ときに実体法上︶の効果の要件事実を成す﹂︑と説かれる︵同氏著.民事訴訟法.三一三 頁︶︒. 17 小野木常教授は︑﹁ひろく裁判という場合は︑法の内容を現実化すること︑いいかえれば︑個別的な事件につ. いて︑具体的な生活現象に法を適用して︑法を宣言する手続︑ないし︑その手続の結果である判断を意味するととも. に︑訴訟の審判に付随し︑または︑これから派生する事項の判断︑訴訟指揮に関する︑裁判長または一人の裁判官の. 中田淳一教授は︑﹁一般に︑裁判といえば︑裁判所のなす判断乃至意思の表示で︑これに基づき一定の法律効. 処分をも意味する﹂︑と説かれている︵同氏著.民事訴訟法.三〇六頁︶︒. 18. 果を生ずる訴訟行為をいうが︑訴又は上訴に対する終局判決だけでなく︑訴訟の審理より派生し︑又はこれに付随す. る事項の判断︑訴訟指揮上の処分︑裁判所の執行行為等も︑裁判の形式によってなされる﹂︑と説かれる︵同氏著. 民事訴訟法講義・上巻一五八頁︶︒. 19 山木戸克己教授は︑﹁ひろく裁判とは︑裁判所の為すところの公権的なしたがって関係人を拘束する判断ない. し意思の表現をいう︒形式的にいえば︑訴訟法に定められた一定の形式︵判決.決定・命令︶をもってなされる裁判所. 染野義信教授は︑﹁裁判とは裁判機関の判断や意思の表示を内容とし︑それに応じた訴訟法上の効果を生ずる. の訴訟行為である﹂︑と説かれている︵同氏著.民事訴訟法講義.一八二頁︶︒. 20. 訴訟行為である︒このうち︑普通に裁判という場合には裁判所が訴訟事件を終局的に解決するため︑その訴訟で明ら. かとなった事実に法律を適用して判断する国家権力の作用とされているが︑これは裁判のうちでもっとも重要な終局.
(7) 杉浦智紹教授は︑﹁裁判機関のなす公権的な判断または意思の表現であり︑一定の訴訟法上の効力を有するも. 判決のことである﹂︑と説かれる︵同氏著・民事訴訟法・二〇七頁︶︒. 1 2. のを広く裁判という︒その典型的なものは︑原告が提起した訴に対して︑裁判所が︑その適否または請求の当否につ. いて︑法規を適用して得た判断を宣告することである︵終局判決︶﹂︑と説かれる︵同氏著・民事訴訟法概論・八三頁︶︒. 22 飯倉一郎教授は︑﹁裁判とは︑裁判機関である裁判所または裁判官の判断または意思の表示である﹂︑と説かれ る︵同氏著・民事訴訟法二一七頁︶︒. 23右田発雄教授は︑﹁裁判とは︑裁判機関すなわち裁判所ないし裁判官の判断やあるいは意見の表示として︑訴. 訟法上の効力を生じる法律行為をいう︒一般世間では︑裁判とは︑訴訟事件について決着をつける判決のことを意味. するが︑訴訟法上の裁判というとぎは︑これとは異なる広い意味であることに注意しなければならない﹂︑と説かれ. 岩松三郎特別顧問は︑﹁通俗では︑漢然と︑司法機関たる裁判所が事件を解決する目的でなす法律判断又は処. る︵同氏著・民事訴訟法・三三九頁︶︒. 4 2. 分を裁判というようである︒それが訴訟事件についてなされると︑非訟事件についてなされるとを問わず︑また時に. は家庭裁判所の審判をも︑甚しぎは調停をも裁判というものすらある︒しかし︑法律上でもこの概念は必ずしも一定. しているわけではなく︑訴訟法上は︑裁判所又は裁判官が訴訟において法律の定める一定の事項についてなす法律判. 断の表示若しくは意思の表示を内容とする訴訟行為を裁判というのであるが︑非訟事件において裁判所のなす判断も. 三九一. 亦裁判といわれる︵非訟一六以下︶︒更に憲法五五条︑六四条︑七六条二項では︑司法裁判所以外の国家機関がその所 ﹁裁判﹂ に つ い て.
(8) 早法六一巻三・四号︵蝋九八六︶. 三九二. 管事項を処理するためになす判断をも裁判といっている︒そして最も厳格な意味では︑裁判所が司法裁判権の行使と. しての法の効力を確保するため︑具体的な法律上の争訟を解決する目的でなす法律判断のみを裁判ということもあ. 中村宗雄教授は︑﹁裁判︵国ロ§訂一含お︶とは︑. 裁判所が﹃訴訟﹄において︑当該事件につき︑またそれが. る﹂︑と説かれている︵民事訴訟法講座第三巻﹁裁判論﹂六四一頁︶︒. 25. 訴訟手続の進行につき表示する決断のことである︒決断とは︑単なる事物の認識ではなくして︑一定の判断にもとづ. き︑かつ結果の認識を伴う意思表現とみるべきであるから︑﹃裁判とは︑法律上の一定の効果の発生を目的として訴. 訟手続においてなされる訴訟機関の意思表現をいう﹄と定義することができる﹂︑と説かれている︵同氏著.民事訴訟 要論・ザ頁︶︒. 以上︑裁判の意義について︑刑事および民事のわが国における諸学説を紹介した︒そして︑それら諸学説のいわば. 最大公約数を求めるとするならば︑﹁裁判とは︑裁判機関の法律判断をともなう訴訟行為である﹂︑という定義を見出 すことがでぎるものと考えている︒. しかし︑本稿では︑﹁裁判とは︑法律上の一定の効果の発生を目的として訴訟手続においてなされる訴訟機関−裁. 判所・裁判長・裁判官1の意思表現をいう﹂︑と定義する中村宗雄教授の見解に従って︑理論の展開を試みることに する︒. ここで改めて裁判の意義についての諸学説を概観するという意味は︑すでにこのことを拙論で紹介してぎたのであるが︑その際に一部の学. 説の紹介を割愛していたし︑またその後に発表された学説をも加えて︑ここで総括的に記述し︑紹介させていただこうということなのである. ︵1︶.
(9) 裁判の本質. ︵拙著・前掲八五頁以下参照︶︒. 三. 裁判が︑一定の法効果の発生を目的としてなされる裁判機関の意思表現であるとして︑その裁判の本質は何であろ. うか︒ここで︑裁判の本質という意味は︑裁判が裁判として成立するためには必ずその根底に裁判をして然かあらし. めるものを認めることができるわけであり︑そのような裁判の根底にあるもの︑それを﹁裁判の本質﹂というのであ るQ. 法律学特に民事訴訟法学の分野において︑﹁裁判の本質﹂を考察されておられる中村宗雄教授の所説をみてみよ うo. 教授は︑﹁学問を事実学︵↓象器3窪且ω器蕊︒訂︷一︶と本質学︵≦霧窪馨誘器房︒ぎεとに分つ場合︑法哲学は別. として︑解釈法学︑制度法学の系統に属する法学は事実学に属する︒しかして事実学としての法学は︑その基礎理論. の立て方について︑法哲学︑一般法学に遡り︑その助けを借りるが︑形而上学的な本質学とは直接の繋りをもたない︒. 一般法学も︑また︑それ自体︑本質学ではなく︑それと理論的連かんをもつことにより︑法哲学とともに︑事実学へ. の橋渡しの役割を果たす︒このようなわけだから︑法学殊に民事訴訟法学において︑﹁裁判の本質﹂というても︑例. えばハイデヅガーの基礎的本体論︵︷§号臼9邑○良○δ四Φ︶におけるが如く︑事物の本体︵8¢B魯9︶に立入. 三九三. り︑その形而上学的な実在の探求にまで遡るものではなく︑また遡りうるものでもない︒もっばら裁判の現象面を捉 ﹁裁判﹂について.
(10) 早法六一巻三・四号︵一九八六︶ ︵1︶ え︑若しくは現象面に立脚して立論するに止まる﹂︑と説かれている︒. 三九四. 右の中村宗雄教授の﹁裁判の本質﹂論は︑﹁裁判﹂というものが︑国家の法律制度として今日に至るまで発展して. きたという歴史的過程とその制度的背景に立脚し︑これを考察するならば︑裁判の本質論について︑教授の説かれる. 立論を踏まえることになるであろう︒何故なら︑裁判の本体に立ち入り︑その形而上学的な実在の探求にまで遡るこ とは︑制度の学問としての民事訴訟法学の遠く及ばないところと解されるからである︒. しかしながら︑国家の法律制度としての﹁裁判制度﹂というものが設置されて︑それが今日に至るまで維持され︑. 発展してぎているという歴史的事実の中には︑﹁裁判﹂の根底に︑﹁裁判をして然かあらしめるもの﹂︑すなわち﹁裁. 判の本質﹂を認めることができるのではないかと︑筆者は考えている︒そして︑その求めて得られたもの︑それが本 稿で採り上げようとするところの︑﹁裁判の本質﹂なのである︒. ヤ. ヤ. ヤ. ヤ. ヤ. ヤ. ヤ. それでは︑﹁裁判の本質﹂とは︑一体何なのだろうか︒裁判をして裁判たらしめるものは︑一体何なのだろうか︑. ということが問われるのである︒ここで︑結論から先に述べさせていただくと︑﹁裁判の本質は︑法治国家の意思で ある﹂︑と考えている︒. すなわち︑法治国家が各種の法律︵実体法︶を制定して︑それらをめぐる法的紛争を︑訴訟法に定める手続に従っ. ってそれを解決してゆこうという訴訟制度設置の意思−裁判制度の意思ーが︑裁判の本質ではないかということであ る︒. 先に︑﹁裁判の定義﹂に関する諸学説の最大公約数的なものとして︑﹁裁判とは︑裁判機関の法律判断をともなう訴.
(11) ヤ. ヤ. ヤ. ヤ. ヤ. ヤ. ヤ. ヤ. 訟行為である﹂︑という命題を求めて置いたのであるが︑この命題の核心は︑﹁裁判﹂が︑裁判機関の意思表示または. 意思表現である︑ということを意味するものと考える︒そうすると︑﹁裁判﹂は︑国家の司法権を行使する裁判機関. の意思であるといえる︒そして︑このことから︑裁判が国家の司法権−更に遡れば︑国家の統治権1を行使する裁判 ︵2︶. 機関ー国家機関1の意思であるという点において︑それは︑国家意思との繋がりを見出すことがでぎるのである︒そ. れ故に︑﹁裁判とは︑国家意思の宣言である﹂︑といわれるようになったものと解することができる︒しかし︑この国. 家意思が︑いかなるものであり︑また︑いかなる形相において顕現されるかについては︑それが私法学︑訴訟法学の ︵3︶ 領域を超える間題であるために︑現在まであまり掘り下げた研究が行なわれていないのである︑といわれている︒. そこで本稿では︑裁判の本質が︑法治国家の意思であるとして︑そのような国家意思がどのようなものであるの. か︑ということを考察してみることにする︒この場合に︑考察の視点およびその間題の対象を限定して置くことは︑. 爾後の誤解・曲解を避けるために必要なことと考えるので︑先ずこの点から触れてゆくことにする︒すなわち︑筆者. が︑裁判の本質が法治国家の意思であるといっても︑それは︑一般国家学で対象とされるような国家の意思を意味し. ないということである︒本稿で採り上げる国家の意思は飽くまでも︑法律を制定し︑訴訟制度を設置し︑法にょる裁. 判という国家の法律制度に働くところの国家意思を考察の対象に置くものである︒このような国家意思は︑一般国家. 学における国家意思の一部分︑一作用︑一側面であるといえないこともない︒したがって︑裁判の本質としての国家. 三九五. の意思は︑更に広いあるいは深い領域に属するともいえるし︑またそれよりも高次元にあるともいえるところの︑国 家学の対象となる国家意思に究極的には帰着するものと考えられるのである︒ ﹁裁判﹂について.
(12) 早法六一巻三・四号︵一九八六︶. 三九六. しかし︑本稿では︑先に述べたように︑裁判の本質としての国家の意思を︑国家が訴訟制度を設置して︑それを運. 営してゆこうとする特定された線上における︑その国家意思を把握し︑それを解明してゆこうと試みるものなのであ. る︒このように︑裁判の本質としての国家の意思を限定して考察すると︑次のように説くことができる︒. もともと︑私人間に発生した法的紛争を︑その紛争当事者の自治的解決に任せて置くことは︑国家不干渉主義︑私. 的自治の原則といわれてきた近代法治国家の原則から︑素直に認められるところである︒しかし︑当事者の自治的解. 決のつかない法的紛争について︑当事者による自力救済をそのまま容認することができるかといえば︑そうではな. い︒何故なら︑自力救済は︑しばしば正義を乱し︑暴力を誘発し︑力による支配によって社会の法的平和−法的秩序. 1を害することになるからである︒したがって︑私的自治の原則を認めることと︑自力救済を容認することとは︑等. しいことにはならないのである︒そこで︑近代法治国家は︑自力救済を禁止し︑権利の強制的実現または救済は︑権. 利者に代わって国家がこれを行なうものとするのである︒その際︑先ず権利の存否について国家によるその確定手続. を設けなければならない︒この手続が判決︵裁判︶手続といわれるもので︑訴訟制度の第一段階としての地位をもつ. ものである︒この過程を経て︑裁判︵判決︶により確定された権利の実現は︑訴訟制度の第二段階としての国家によ. る強制執行手続へと移行してゆくわけである︒本稿の対象とする裁判は︑訴訟制度の第一段階におけるものである︒. このように考察してくると︑﹁裁判の本質たる国家の意思﹂は︑訴訟制度を設置する﹁法治国家の意思﹂に含まれ. るものといえよう︒このことは︑法治国家が︑訴訟制度を設置する﹁意思﹂と︑訴訟手続法を制定する﹁立法意思﹂. と︑その制度を運営する﹁意思﹂とが︑﹁裁判の本質たる国家意思﹂に相通じるものである︑ということができる︒.
(13) ヤ. ヤ. ヤ. 裁判が︑﹁国家意思の宣言﹂であるといわれるのも︑右のような関係を表わすものと考える︒. ところで︑訴訟制度の運営の意思は︑現実的には国家思想の流れの中で︑その影響を受けて流動的に変化するもの. である︒たとえば︑個人主義の国家思想の社会と︑全体主義の国家思想の社会とでは︑訴訟制度の運営の意思に大き. な隔りを生じるものと考える︒しかし︑訴訟制度運営の意思が︑たとえどのような国家思想および社会思想の影響を. 受けて︑流動的に変化したとしても︑近代法治国家による訴訟設置の意思︵その立法意思も含む︶との問には︑それら. 両者の根底に横たわるいわば共通項︵共通性の要素︶がなければならないのである︒何故なら︑この共通項を否定する. ことは︑法治国家の統一性︑継続性︑連続性を否定することになるからである︒したがって︑それらの意思の共通項. を探求することが︑当面の課題となるのではあるが︑ここでは︑一般に意思は目的を求めるものであり︑その目的に. よって意思が規制されてゆくということを考慮しながら︑裁判における国家意思︑すなわち裁判の目的を考察するこ. 中村宗雄﹁裁判の理論構造﹂法と裁判・三頁︒. とにする︒. 21. ︵3︶. いわれるようになった﹂︵中村・前掲四頁︶︒ 中村・前掲四頁︒. ﹁裁判﹂について. 三九七. ﹁訴訟法学が私法学から独立した学問体系をもつに至ってからであるが︑裁判は︑事件の粉争解決を意図する﹁国家意思の宣言﹂であると. (( )).
(14) 裁判の目的. 早法六一巻三・四号︵一九八六︶. 四. 三九八. 法治国家の訴訟制度において︑その核心ともいえるものは︑﹁裁判﹂である︒裁判所に係属した現実の訴訟事件 ︵1︶ が︑﹁裁判﹂︵判決︶を経ずに終了する場合が多くみられるにしても︑訴訟制度の建て前も訴訟法の規定するところ. も︑﹁裁判﹂を終局の目標としている点においては変わりはない︒そうすると︑﹁訴訟制度の目的﹂と︑その訴訟制度. の核心となる﹁裁判の目的﹂とは︑ともに切り離すことのできない不即不離の関係にあるといえるのである︒そこ. で︑裁判の目的を求める前提として︑ここでは民事訴訟制度の目的を概観することにする︒. わが国における民事訴訟制度の目的論は︑母法であるドイッ国に比較して︑学説が対立している︒学説の紹介とそ ︵2︶ の問題点については︑拙稿﹁民事訴訟制度の目的﹂において論述しているので︑本稿では極く簡単に民事訴訟制度の 目的論に触れることにする︒. 私法秩序維持説. この説は︑﹁国家が自力救済を禁止し︑代償として︑文化的使命をはたすため紛争解決の. ω 権利保護説または権利救済説 この学説は︑民事訴訟が自力救済に代わる法律上の紛議解決の制度として発 ︵3︶ 生し︑かつそれが権利救済制度であることを﹁存在理由﹂として︑国家施設にまで発達したのである︑と主張する︒ ③. 機関として裁判所を設け︑裁判所は民事紛争について公権的に解決し︑その判断に当事者双方が拘束されるものとし. ているのである︒この際︑裁判所が判断の基準とするものが私法である︒すなわち︑法適用による紛争の解決を通じ ︵4︶ て私法法規の実効性維持という文化的任務をはたすことが民事訴訟制度の目的である﹂︑と説いている︒.
(15) ③. 紛争解決説. この学説は︑民事裁判が私法の未発達の時代にもあウたこと︑そして︑国家は一方︑私人が勝. 手に実力で自己の主張を貫徹する自力救済を原則として禁止すると共に︑自ら紛争又は利害の衝突の解決調整に乗出. この説は︑われわれが民事訴訟制度の目的論から汲みとるべぎものは︑これまで分析されてぎ. ︵5︶ すのである︑と主張する︒. @ 三者併存説. た︑権利保護︑私法秩序維持︑紛争の解決という諸価値のいずれもが︑民事訴訟制度の運営を方向づける基本的価値. であること︑しかもこれらの価値が︑場合によっては︑相互に対立緊張関係に立つという素直な理解を得ることであ. この説は︑国家の法律制度として﹁訴訟制度﹂が設置されて︑﹁裁判﹂という一つの形式が成立し. り︑そのような理解から︑個別問題ごとに︑そのうちのどれをどの程度重視してゆくべきかという選択をしていくこ ︵6︶ とが訴訟法の解釈・立法における重要な作業になると考えられる︑と主張する︒. ⑥ 公理説. たときから︑今日に至るまで︑いかなる時代︑どのような社会をも超越して︑正しいものまたは正しくあるべぎもの. と︑その時代の人々により承認されるところの﹁訴訟︵裁判︶は︑公正かつ迅速に遂行されねばならない﹂︑という. 命題を公理︵>箆oβO霊昆器貫︶として仮定して︑これを訴訟法学体系化の根本命題とするとともに︑民事訴訟制 ︵7︶ 度の目的として考えてゆくのである︒. 右の民事訴訟制度の目的論に関する諸学説の中︑筆者は︑第五説の公理説に立脚するものである︒この公理説は︑. 四九九. 民事訴訟制度の目的として︑理性人が肯定するであろうと思惟するところの﹁公正かつ迅速な裁判﹂という命題を公 ︵8︶ 理と仮定しているのである︒ ﹁裁判﹂について.
(16) 早法六一巻三・四号︵一九八六︶. 四〇〇. すなわち︑裁判における公正および迅速性の内容は︑時代︑社会︑国家により︑更には具体的紛争事件の種類・内. 容等により︑それぞれ異なるものであったし︑今後もまたそれぞれの国家により︑変化し︑異なってゆくものと考え. るのである︒だがしかし︑いやしくも近代法治国家が︑自らの手で︑訴訟制度を設置する以上は︑裁判の公正・迅速. 化ということは︑訴訟制度の至上命令ともいえるものであると考える︒そこで︑筆者は︑その命題を︑訴訟法学体系. 化の根本命題であると捉えて︑これを公理としたのである︒この命題は︑資本主義社会︑社会主義社会という社会制. 度を異にする国家であろうと︑そしてまた時の流れに左右されることもなく︑常に理性人によりまた︑正義・平和に. 立つ法治国家において認められる普遍的命題である︑と考えている︒いかなる時代︑どのような社会・国家にも当て. はまる命題︑すなわち時間・空間の異なりを超えて︑理性人により肯認されるこの命題こそ︑﹁訴訟法学﹂の根本命. 題に相応しいものといえるのであり︑それ故に筆者は︑これを﹁公理﹂として︑民事訴訟制度の目的たる地位を与え て︑民事訴訟法学の体系化を意図してきたのである︒. ところで︑民事訴訟制度の目的が︑右に説いた﹁公正・迅速な裁判﹂にあるとして︑それなら﹁裁判の目的﹂は何. なのだろうか︒﹁訴訟﹂の中心が裁判にあって︑訴訟制度の利用者たる当事者はもとより︑国家の司法権を行使する. 裁判所も︑その終局の目標が﹁裁判﹂にあるといえるのであるから︑民事訴訟制度の目的と裁判の目的とは︑相通じ. るものであるといえよう︒問題となるのは︑この両者の関係をどのように捉えるかということである︒筆者は︑次の. ように理解する︒すなわち︑民事訴訟制度の目的である﹁公正・迅速な裁判﹂という命題は︑民事訴訟制度の根本命. 題︵公理︶であるから︑それは総括的︑一般的︑抽象的︑形式的︑理念的なものである︒これに対して︑﹁裁判﹂の.
(17) 目的となるものは︑その命題の個別化︑具体化︑実践化されたものである︑とみることがでぎるひそうすると︑﹁裁. 判の目的﹂とは︑裁判所に係属した具体的法的紛争−訴訟事件1に対して︑裁判機関が現実︵実践的︶に﹁公正かつ. 迅速﹂にこれを解決する1裁判するーことにある︑ということができる︒両者の関係は︑普遍と特殊であり︑普遍的. に認められる真理︵公理︶を︑特殊的な具体的訴訟事件の解決の中で︑個別的︑具体的に生かしてゆくことの中に︑ それ︵裁判の目的︶があるといえるのである︒. それなら︑裁判の目的が︑具体的法的紛争ー訴訟事件1を裁判機関により公正かつ迅速に解決することにある︑と. 仮定した場合に︑その紛争事件の解決の裁判に対して︑公正・迅速性はどのように規定︵保障︶されるのであろう. か︒裁判の迅速性については︑既済事件の所要期間が一応の基準︵この基準が︑同一種類の事件の複雑性・難易度によって. 影響を受けることは当然である︶となりうるものといえるのに対して︑裁判の公正については︑当該事件の解決として. なされた裁判所の判断︵決断を含む︶の中に︑先ずこれを認めなければならないであろう︒何故なら︑普遍的な命題 ︵8︶. ︵公理︶の個別化︑具体化︑実践化を使命とする裁判所の意思表示の中にこそ︑事件解決の公正な判断が顕現してい. るものとみるべぎであるからである︒裁判所の審級制度は︑この裁判の公正を保障するものである︒しかし︑裁判所. のすべての判断が︑公正な裁判を具現するものといえないこともまた事実であろう︒何故なら︑具体的紛争事件とい. うものは︑その内容からして千差万別であり︑更にそれが︑流動的社会︵政治・経済等の諸関係︶の変化の中で発生す. るものであるから︑ある流れの中の点を捉えて︑裁判所によりなされた判断がすべて公正な判断であるときめつけて. 四〇一. しまうのは︑余りにも早急に結論を導びぎ出すものといわなければならない︵上級審の下級審判決の破棄判決や︑最高裁 ﹁裁判﹂について.
(18) 早法六一巻三・四号︵一九八六︶. 四〇二. 判所の判例の変更等を考えればよい︶︒だがこれは蓋然性の間題であって︑筆者は︑その多くの事件解決になされた裁判. 所の裁判は︑少なくともその事件解決の裁判として︑裁判官により公正になされたものである︑という信頼を置くも. のである︒この信頼性は︑欠くことの許されないものであり︑もしこの信頼性が欠如するときは︑裁判の否定︑法律. の否定︑暴力へと移行し︑その結果︑法治国家の秩序は崩壊することに繋るものと考えるからである︒. それでは︑裁判の目的が︑具体的紛争事件を公正かつ迅速に解決することにあるとして︑そのなされた裁判は︑ど. たとえば︑昭和五八年司法統計年報1民事・行政編によると︑第一審通常訴訟既済事件数の全国地方裁判所をみてみると︑総数九九五九三. のような機能をもつものであろうか︒これが次に問題とされるところである︒. ︵1︶. 中村宗雄﹁民事訴訟要論﹂一八頁︒. 拙著・前掲三五四頁以下︒. お︑別表参照︒. 件の中︑判決による終了総数は四五二九七件であり︑他の五四二九六件は︑和解︵三一五三三件︶その他の事由によって終了している︒な. ︵3︶. 兼子一﹁民事訴訟法体系﹂二六頁︒. 斉藤秀夫﹁民事訴訟法概論﹂五頁︒. ︵2︶. ︵4︶. 新堂幸司﹁民事訴訟法﹂六頁︒. ︵5︶ ︵6︶. 拙著・前掲四四頁︒. 裁判の公正の内容を把握することは︑実務処理の運営において︑欠くことのできない︑一大事の因縁である︒したがって︑法律学者. ︵7︶. あると考える︒そのためには︑法律学︑国家学︑経済学︑政治学︑社会学︑歴史学︑宗教学︑心理学︑哲学︑論理学︑その他自然科学等の幅. の任務の一つは︑裁判所によって明示された公正の内容を検討し︑足らざるを補い︑それを修正し︑時には自ら公正の内容を明示することに. ︵8︶ 具体的.
(19) 裁判の機能. 広い学間的知識と︑現実の社会生活の実態を踏まえて︑公正な裁判の内容決定がなされなければならないものと思惟する︒. 五. 民事訴訟制度の設置の段階で︑﹁裁判﹂による紛争解決を求めてゆこうということは︑その﹁裁判﹂に法律制度上. の意義と機能をあらかじめ認めるものであろう︒何故なら︑民事訴訟制度は︑終局的には﹁裁判﹂に合一あるいは収. 敏されるものと理解することがでぎるのであるから︑この﹁裁判﹂の機能こそ︑民事訴訟制度におけるいわば要とい. えるものであり︑したがって︑訴訟制度の設置に先立って︑裁判にどのような機能を認めるのか︑あるいは認めねば ならないか︑ということが当然に定められていなければならないと考えるからである︒. それでは︑民事訴訟制度において﹁裁判の機能﹂は︑どのように捉えることがでぎるのだろうか︒筆者は︑次の二. つの機能として理解するのである︒先ず第一の裁判の機能は︑紛争当事者間で争いの対象ー訴訟の目的・訴訟物ーと. なっている権利もしくは法律関係の存否を確定することであり︑その確定された権利もしくは法律関係の実現を国家. が保障する機能である︒これを﹁裁判の権利保護の機能﹂ということができる︵原告敗訴のとぎは被告の応訴権の保護と. なる︶︒第二の機能は近代法治国家における裁判が︑﹁法による裁判﹂をその基底としているのであるから︑それは法. の実現を意図することに繋りをもつものであって︑このことは︑裁判が法秩序の維持・社会の法的平和の実現に機能 しているものといえる︒これを﹁裁判の法秩序維持機能﹂ということができる︒. 四〇三. このように︑国家意思の宣言である﹁裁判﹂には︑当事者の権利保護機能と︑国家の法秩序維持機能との一ぢの機 ﹁裁判﹂について.
(20) 早法六一巻三・四号︵一九八六︶. 四〇四. 能を認めることができるのである︒前者が個人の利益を保護する機能であるのに対し︑後者が国家社会︵全体︶の利 益を保障する機能である︒. 右のように︑裁判の機能を考察してくると︑従来︑ドイツならびにわが国の学説において説かれてぎた民事訴訟制. 度の目的論における権利保護説と︑法秩序維持説という学説は︑民事訴訟制度の﹁裁判﹂に内在する機能面を捉え. て︑そのどちらか一方を民事訴訟制度の目的として考えていたのではないだろうか︑ということになる︒すなわち︑. 民事訴訟制度の目的と︑裁判の機能とを混然一体として考察し︑その理論を構築していたのではないのだろうか︒本. 来区別せねばならない︑制度の目的と裁判の機能とを同一視していたのではないだろうか︒私見によれば︑民事訴訟. 制度の目的は理念的なものであり︑あるべき姿を求めるものであるのに対して︑裁判の機能は︑現実的︑実践的なも. のであると理解している︒そしてこのような視点から裁判の機能を捉えて︑裁判には二つの機能を認めている︒すな. わち︑一つは当事者の権利保護機能であり︑他は法秩序維持機能であると主張するのである︒このような私見の主張. も︑﹁法の機能﹂を考察するならば︑それほど異とするには及ばないものと考えている︒たとえば︑尾高教授が︑法. の機能として︑多様な個人の生活を保護すると同時に︑多数の個人の組織的な協力にむかって義務づけたり︑統一し ︵1︶ たりしている︑といわれているところに︑私の説く裁判の機能との関連性を︑見出すことがでぎるからである︒裁判. は︑個人の社会的利益の保護と︑他面において︑社会を構成する多数の人々の利益をも間接的に保障しているからな. ︵2︶ のである︒﹁裁判﹂は︑﹁法の真如の姿であり﹂︑﹁法︵実体法︶の具体化︑個別化であり﹂︑﹁国家による法の宣言であ. る﹂︑といわれていることからしても︑裁判の機能と法の機能とは相通じるものであると︑筆者は考えている︒.
(21) ︵1︶. 尾高朝雄﹁法﹂四六頁︒峯村光郎﹁法の効力﹂︵法哲学講座第一巻︶では︑法の機能として︑評価的機能︑統制的機能︑組織的機能を認め. 裁判の形成. 拙著・前掲一一頁︒. られている ︵ 一 二 七 頁 ︶ ︒ ︵2︶. 六 ︵1︶. 民事訴訟は︑他の紛争解決の方法と異なり︑裁判所の法廷という﹁場﹂においてなされる訴訟主体の行動過程であ. る︒その主要な行為は︑口頭弁論といわれるものであり︑それは︑当事者の訴訟行為︑裁判長の訴訟行為︑合議体の. 訴訟行為︑裁判所書記官の訴訟行為等に分析して説明されている︒本稿では︑紛争事件の解決としてなされる裁判所. の裁判ーそれも本案判決を対象とするーを捉えて︑その形成過程を考察してみようと試みるものである︒. 先ず︑裁判所による﹁裁判﹂が成立するまでには︑裁判所も︑当事者も︑民事訴訟法第一条から始まる条文の規定. を遵守して︑その訴訟行為が遂行されねばならないのである︒何故なら︑民事訴訟法に違背した訴訟行為は成立しな. いからである︵不成立又は無効︶︒そうすると︑物的存在としての訴訟法規に従って行動するということは︑そこに行. 為者︵訴訟の主体︶による訴訟法規の認識とその解釈とが当然に前提とされているわけであり︑行為者が訴訟法規を︑. ﹁訴訟の場﹂において現実の行為の中で︑具体化・個別化してゆくものと︑解することがでぎる︒すなわち︑訴訟行. 為というものは︑訴訟主体により訴訟法規を解釈し︑それに則った行為︵行動︶なのである︒したがって︑当事者が. 訴訟法規の解釈を誤って具体的訴訟行為をするならば︑裁判所はその当事者の行為を排斥するか︑法的効力を認めな. 四〇五. いか︑あるいはその行為を無視することになる︒また︑裁判所ー裁判官iが訴訟法規に違背する行為をするならば︑ ﹁裁判﹂について.
(22) 早法六一巻三・四号︵一九八六︶. 四〇六. ﹁成. 当事者はそれに対して異議を申し立てることができるのである︒かくして︑訴訟の主体は︑文字によって表わされて. いる訴訟法規をそれぞれ解釈し︑それに従って行動を開始し︑遂行してゆくものであり︑筆者は︑このことを︑. 文法としての訴訟法規は︑﹃裁判過程﹄︵冒島︒芭汐08邑の中で実体法規とともに︑裁判所の解釈・適用を通じて ︵2︶ 具体化・個別化されることにより︑その現実的姿を現わすものである﹂︑と説いている︒. 他方︑裁判所の審理の対象となる﹁訴訟の目的﹂は︑原告の主張する具体的な権利もしくは法律関係であって︑そ. れは︑訴状に記載されている﹁請求の趣旨及び原因﹂によって︑原告の主観による﹁社会的事実﹂と﹁法規範﹂︵実. 体法︶との結合にょり︑裁判所に提示されたものである︒裁判所は︑原告の主張する権利︵もしくは︑法律関係︶の存. 否を判断するために審理を行なうものであり︑その結果︑原告の請求の当否について決断を抱いたとぎには︑口頭弁. 論を終結して︑その決断の内容となる意思を裁判書︵判決書︶に文字によって表現することになる︒この判決書作成. の裁判官の行為は︑民事訴訟法の規定に従ってなされるものであり︑裁判官の恣意で勝手な判決書作成をすることは ︵3︶. 許されないし︑違法となる︒裁判官の判決書作成の論理およびその問題点については︑他の拙稿で筆者の見解を表明 して置いたので︑本稿ではこれを割愛する︒. ところで︑裁判官の判決書作成の行為が︑訴訟法の規定に合致し︑実体法を解釈・適用して出来上った場合には︑. 期日に︑その判決原本に基づいて︑裁判長が主文を朗読して判決の言渡しをすることになる︵民訴一八九条︶︒この裁. 判長の言渡しによって︑判決の効力が生じるのである︵民訴一八八条︶︒このような過程により裁判︵判決︶が形成さ れるのである︒.
(23) さて︑この裁判の形成をどのように捉えるかについて︑裁判と実体法との関係に重点をおいて︑中村宗雄教授は︑. ﹁パンデクテン・システムの下︑実体法は抽象的法律要件を定めるに過ぎないのであって︑個別の事件に妥当すべき ︵4︶ 具体的法規範は︑﹃訴訟﹄における﹃裁判﹄によって初めて創定される﹂︑と説明されている︒. 右の裁判の形成についての中村宗雄教授の理論を踏まえながら︑筆者は次のように理解する︒すなわち︑実体法と. 訴訟法とは︑法体系内において両者は同位であり︑相関・相補の関係にあるとみるのである︒そして︑法廷という﹁. 訴訟の場﹂においては︑両者とも集合の要素として︑それぞれ訴訟過程を通して︑抽象的法規範である両者が︑具体. 的事件の解決という現実の中で︑具体化・個別化されるものと捉えるのである︒その結果︑最終的な裁判書とその言. 渡しの段階においては︑判決原本そのものに実体法と訴訟法との融合︑収敏された新たな具体法の誕生という姿を見. 出すのである︒裁判所ー裁判官1も︑訴訟法の規定に則り︑当事者もまた︑訴訟法の規定を遵守してなされた訴訟行. 為の最終段階である裁判において︑一つのものに結実された﹁判決書﹂︵判決の原本︶は︑訴訟法の具体化・個別化に. よる収敏の結果であるとみることがでぎるし︑その判決書には︑実体法が適用されて出来上っているのであるから︑. 実体法と訴訟法とが融合されたものとみることもでぎる︒裁判により確定された権利の実現が︑国家により保障され. ﹁訴訟の場﹂における﹁訴訟の客体﹂をめぐる﹁訴訟主体﹂の行為の積み重ねの結. るのは︑書面としての﹁判決﹂に記載されたところに生じることを熟考するならば︑筆者の見解もそれほど異とする ものではないと考えるのである︒. 右のことから︑裁判の形成は︑. 四〇七. 果︑終局的には裁判所による実体法と訴訟法との融合︑収敷によって生まれるものである︑と主張するのである︒ ﹁裁判﹂について.
(24) 早法六一巻三・四号︵一九八六︶. 右同・一二頁︒. 拙著・前掲三八四頁︒. 右同・一八三頁︒. ︵1︶. 中村宗雄﹁民事訴訟要論﹂四頁︒. ︵2︶. ︵4︶. むすび. ︵3︶. 七. 四〇八. 戦前の民事訴訟制度の目的論争が︑戦後︵第二次世界大戦後を意味する︶になって︑自説を改めて紛争解決説を唱え. られた故兼子教授の学説を口火として︑新訴訟物論争へ発展して今日に至っている経緯については︑学会の衆知のと. ころである︵なお︑このような訴訟法学上の論争が︑実体法学に影響を及ぼしたと思われるのは︑主に請求権競合論であったの ではないかと考えている︶︒. ︵1︶. しかしながら︑兼子教授の説かれる紛争解決説は︑今日では︑民事訴訟制度以外に各種の紛争解決︵処理︶機関が. 設置されており︑それらもまた同じく法的紛争解決を目的とするわけであるから︑民事訴訟制度の目的が紛争解決に. あると主張することは︑﹁訴訟の場﹂における紛争解決の特殊性を現わすものではなく︑したがって︑兼子教授の所. 説には︑その合理性を見出すことがでぎなくなった︑というのが︑筆者の率直な見解である︒. それなら︑権利保護説︑法秩序維持説については︑どうなのかと間われれば︑これまた両者の一方に全面的に信頼. を置くわけにはいかなかったのである︒何故なら︑流転する国家思想︑社会思想の流れの中で︑両学説は︑あたかも ︵2︶ 風にそよぐ葺の如くに揺れ動く学説だからである︒.
(25) 学問としての民事訴訟法学を考究し︑そこに一つの体系を求めてゆく場合には︑国家思想︑社会思想の流れに影響. を受けない︑学問としての独自性︵これは︑学間の普遍性︑客観性を意味する︶がなけねばならないと考えているのであ. る︒このような立場から︑筆者は︑民事訴訟制度の目的論について公理論を提唱し︑従来の権利保護︑法秩序維持と. 右同・三六七頁︒. ﹁裁判 ﹂ に つ い て. 四〇九. 一九八五年︵昭和六〇年︶一〇月二八日. いう概念を︑訴訟制度の目的論から外して︑裁判の機能として捉えてゆくことを試みたのである︒. 拙著・前掲三八九頁︒. 今後の私見の研磧を期している︒. 21. (( )).
(26) 第一審通常訴訟既済事件数 命. 決. 取. 認. 放. 3. 993. 1 8. 8 7 343 1. 43. 1,936 1,146. 32. 17. 2. 1,674. 962. 20. 55. 45. 7. 67. 52. 528 20,165 41 2,094. 44 128 3,137 50 152 1,729 16. 2. 86. 5 8. 5. 97 3,953. 7. 835. 18. 3 3,780. 1. 4. 1. 36. 8 1 4 6 1. 1. 17. 22. 1 8. 他. 828 10,705. 9,217. 1,398. 1,740. 48. 699. 1 39. 4 1 870. 5 659. 3 4 618. 43 17231 43. 9. 人 61. 1. 14. 43. 3. 3. 10. 6. 金 1,030. 122 1,197 17046. 100. 51. 39. 245 1,805 1,527. 175. 103. 183. 187 1ナ993 1,797. 293. 140. 56. 236. 18. 34. 18. 30 1,631 1,379. 158. 94. 85. 48. 5 9. 261. 2. 288. 37. 299. 246. 3. 348. 339. 151 1,849 1,638. 80. 131. 9. 18 建. 19. 415. 3. 255. 21. 3》102. 4. 123 1,369 1,218. 48. 103. 14. 18 4,665. 15. 130 2,626 2,181. 174. 271. 81. 2 9 4. 317. 260. 24. 33. 11. 98 1,418 1,251. 97. 70. 42. 525. 379. 33. 113. 16. 72. 59. 9. 85. 81. 4 4. 11. 314. 281. 27. 11. 857. 704. 152. 6 1. 31. 815. 758. 43. 4 53. 3 5 7 1. 383. 12. 10. 3. 2,205. 62. の. 総. 16,006. 2. 5. 1. 2. 5. 529. 10 2,093. 17570. 23. 15. 10. 111 153. 3 4 24. 1. 580 303. 807. 2 7. 早法六一巻三・四号︵一九八六︶. 1,080. るもの. 1. 48. 3. の. 16. も. 3. 97 1,162 19,187. る. 14 503 583 31,533. 数. 諾. そ 二四条の審判にょ 家事審判法二三・. 棄. よ. 解. 令. 調停成立に. 定. 他. よるもの. の. 休止満了に. 総. そ. げ. 下. 通常のもの. の異議の却下. 民訴法四五五条. 8. 和. 285. 件)あつた。. 上のものに変更された事件(3件)+再審事件(72件). 2 土. 6. 無. 12. 14. 8. 1 19. 四 一. 〇.
(27) 別表. 昭和58年. 司法統計年報. 1. 民事・行政編. 決. 判. 総. 民訴法言二条の. 1,6334−. 209. 11. 3. 20一一. 300. 212. 125. 4. 2. 81一一 QO. 22 8 3,784 63 11,73322. 319. 746. 197. 227. 232. 434. 258. 17947. 768. 294. 2,877 1.157. 481. 113. 82 253. 314 4. 3. 33. 1,356. 62. 6 0. 109. 14. QU. 364. 114. 3. 134. 10 53. 1. 385 372. 113. 一116116. 287. 757. 324. 6. 3,499 17366. 179. L206. ﹁⊥. 689. 1. 385. 2. 4⊥. 809. 7,050 3,344 1,433. 7. 5,974 2,868 1,319 30 01,744. t⊥. 12,889. n881. 権記し界ええええ. 登境すのの. 四二. 有渡響訴訴. 1,692. 2. 2. 13,562. 92 183. 902. 3,1662. 4⊥. 519. 9ラ149 4,525 1,449. 340. 88−. 5734 5573. 4. 1,251. 5,284 1,762. 70 188. 310. 2,497 1,037. 2. 423. 3,5392. 2. 1ン805 1,056. ¶ム. 199. ¶⊥. 3,742 1,207. 919. 97. 72016一293︻. 5,909 2,030. 2. 10,320. 1,8132. 2,9665. n乙. 443. l. 6,051 2,614. 252. 11,598. 1. 212. 2. 物明渡し. 21一一 3. 243. 6,887 3,348 1,310. 訴えの却下. 137. 127. 1,8434−. 1. 26. 843. 10. 166. 322. 11,112. 地を目的とする訴え. 却 下 棄 却. 48. 61.954 28,293 12.571. 記. 容. 87. 5,384 2y621. 6,119 155 19,3063613. 9,452 3,548 1,638 1,280. 登. 認. 457297 19,519. 6,421 3。278 1.252. 金金金償償金議え. 物. 下. る訴え. うち. 却. 金銭を目的とす. 席. 欠. 数. 99,593. ∴欝輪. 婚 姻 離 婚 認 知 親子関係. 却. 容. 数. 棄. 認. 事件の種類 .よ 切と 所明関議議の 金にの︑ 4・的 買 故他・司目 地 地 地 地 警韻他 替警形形糀 財求三の 事ち婚離認親銭ち売貸立交そ手手建ち建建土ち土土土土体 総人う う う 無請第そ. ﹁裁判﹂について. 席. 対. 総. 数 を目的とする訴え. 全国地方裁判所の. 注1 本表の総数のうち訴訟上の救助(民訴法118条、119条)が与えられたものは(867 2 25表総数=21表既済総数+行政第一審訴訟事件として受理したものの請求が民事.
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