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第 4 章 石材の入手 第 1 節 考察の対象

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Academic year: 2022

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(1)第 4 章 石材の入手 第 1 節 考察の対象 主屋の外壁では、 表面の最終仕上げがなされる前に作業が中断していたことを記したが、 同様の状況はポルティコでも見られ、未完成を示す柱材やアーキトレーヴ材、屋根材が、 整形された部材と混在して出土した。 このような整形前の石材には、様々な痕跡が残され、その中には風食を受けた仕上げ面 や研磨された面が多数見られた。新規に石切場から搬入されたならば、このような仕上げ 面は持ち得ないはずであり、またそこに風化が起きていたことから、すでに別の場所で使 われていた石材が搬入されたと判断された。 この他にも、外壁の基礎としてレリーフの刻まれた石材が使われ、またポルティコの前 面から出土したアーキトレーヴ材では、彩色されたレリーフ面の上にプラスターを塗り、 レリーフ面を完全に覆う措置が施されるなど、別の建物のレリーフブロックが当遺構に搬 入されたことを明瞭に示していた。 石材の再利用は古代エジプトで広く行われたが1、カエムワセトが古建築に関心をもち、 「修復」を行ったと伝えられている点を想起すると、興味深い問題である。現在、当調査 隊考古班を中心に、こうした旧建造物のレリーフ装飾について搬入元の解明が進められて おり、一部注目される成果も挙がりつつある2。詳しい内容は現在、発掘報告書を準備中3で あり、そちらを参照願いたい。 一方、再利用石材の中には、風食した整形面のように、文字や図像資料はないものの、 旧建造物の痕跡を残すものがあり、量的にはこれらの石材が大部分であった。搬入元を直 接示す文字資料等をもたないため、その解明は極めて困難であるが、カエムワセトの建築. 1. 例えば、当遺構と時代の近いメルエンプタハの葬祭殿(ルクソール西岸)では、アメンヘテプ 3 世 の葬祭殿から石材が搬入されている。Jaritz H ., What Petrie Missed, Egyptian Archaeology, No.5, 1994, 14‑16. また中王国時代の再利用石材については、Goedicke H., Re‑used Blocks from the Pyramid of Amenemhet I at Lisht, New York, 1971.に詳しい。Arnold Di., Re‑use of blocks, The Encyclopedia of Ancient Egyptian Architecture, Translated by Gardiner S. H. and Strudwick H., New York, 2003, p.200. 2 高宮いづみ近畿大学助教授からは、搬入先の一つとしてアブ・シールのプタハシェプセスのマスタ バ墓が指摘されている。先に述べた通り、このマスタバ墓にはロータス柱が築かれ、ポルティコは これを意識した可能性が高い。様式を参照する一方で、石材を再利用していた事実は興味深く、カ エムワセトの建築観を探る点で注目される指摘である。 3 第 3 次調査までの成果をまとめた「アブ・シール南(1) 」の続刊として、第 4 次から第 6 次調査 までをまとめた第 2 巻が 2006 年 3 月に出版される予定である。. 150.

(2) 観や修復活動の解明につながる事柄であり、発掘調査に関わった者が取り組むべき課題の 一つと考える。そこで本稿では、旧建造物の痕跡を残す石材として三種類を取り上げ、検 討を試みる。 一つは風食を受けた整形面を持つ石材である。当遺跡ではこの面を削って必要な形を得 ており、旧建造物において加工された整形面と判断された。二点目は凹凸型に整形された 石灰岩ブロックである。表面は入念に研磨され、表装に用いられた石材と考えられたが、 該当する大きさの凹凸は当遺跡には見あたらず、石材の質も異なっていた。そのため、旧 建造物における形状を残す石材と判断された。三点目はピラミッドの表装石である。これ までのところ当丘陵にピラミッドが築かれていた痕跡はなく、また表装面が風食を受けて いたことから、再利用によって搬入された石材と判断した。 以下においてそれぞれの特徴を述べ、搬入元の考察を行う。. 第 2 節 風食した整形面をもつ石材 出土した石材の中には、 表面が風食によって粒状を呈した石灰岩ブロックが多数含まれ、 風食面の形状によって大きく三種類に分類された(図 3‑4‑1)。. 図 3‑4‑1:風食面を持つ石材三種. 一つは風食面が傾斜面をなす石材で、傾斜角度は 82 度前後であった(図 3‑4‑1‑a)。 この石材はポルティコの柱において明瞭に観察され、小型の石材 2 点を連結し、これを 積み重ねて築く際の、2 つの石材の接着面に風化した傾斜面(以下、風化傾斜面とする) が使われていた。内部に隠れる接着面が風食を受けていたことに加え、この面に接着用の モルタルが塗布されていたことから、再利用石材と了解される。また、ポルティコの側壁 や主屋の外壁でも風化傾斜面を持つ石材が使われ、未完成の石材から風化傾斜面を表装側 に向け、この面を一部削って新たな平坦面を作り出す工程が観察された。風化傾斜面の角. 151.

(3) 度や様相は、柱、壁とも類似しており、同一遺構の同一部位からまとまった量が搬入され たと考えられる。 外壁を含む主屋の建造に続いてポルティコが増築されたことは先に述べたが、両者の時 間差はわかっていない。しかし、外壁が少なくとも一部は未完成の状態であったらしいこ とを考えると、外壁の建造中にポルティコの造営が始められた可能性が考えられる。その 場合、外壁の一部とポルティコの石材が、同一遺跡から搬入されたとしても不自然ではな く、それが両者の類似性を示す理由かもしれない。両者の造営時期を考える上で参考とな ろう。 なお主屋の中央 2 室では、 床石に風化した傾斜面を持つ石材が一部使われていたが、 風食面の状態がやや異なっていた。そのため、ポルティコや外壁とは異なる場所から石材 が採取された可能性が考えられる。 風食した面は、整形された曲面にも認められた(図 3‑4‑1‑c) 。これまでに 3 点の石材が 出土し、このうち 2 点(No.AK05‑B437、AK05‑B438)はポルティコの東側から、もう 1 点 (AK12‑B‑075)は西側の斜面から出土した(図 3‑4‑2)。. 図 3‑4‑2:風食した曲面を持つ石材. 東側から出土した 2 点は、厚さ 30〜34cm、横幅約 130cm の半円筒形をした石灰岩で、両 者は連結されて、ポルティコの柱礎石に利用されていたと考えられる。この柱礎石は整形 される前に作業が放棄されており、そのため上面は粗く削った状態になっている。ところ が、側面には入念に整形された曲面が認められ、かつ風食がこの曲面だけに生じていた。 また曲面の両端は、必要な形を作り出すために当遺跡で削り取られていた。そのため、風 食を受けた曲面は、旧建造物において表装面をなしていた面であり、再利用を目的に、当 遺跡へ搬入された石材と考えられる。. 152.

(4) 西側斜面から出土した別の 1 点(AK12‑B075)も、曲面部分の風食や全体の形状が先の 2 点と類似しており、同一遺構から搬入された可能性が高い。平坦面には柱身の位置を示す 刻線が円形に付けられており、柱礎石に再利用されたと考えられる。また、柱礎石として 用いた場合、接合面となる面では、中央部分が幅約 60cm に渡って浅く削られていた。柱礎 石としては不要な加工であり、旧建造物の痕跡と考えられる。おそらくこの浅く削られた 凹部分に接して、凸状の面を持つ石材が位置していたと推察される。こうした接合は通常 石材の上下で行われる4ことから、風食した曲面は、旧建造物において上側に位置していた と考えられよう。 風食した面を持つ三種類目の石材は、約 82 度の風食した傾斜面が途中から 60 度ほどに 屈折したもので、ポルティコ付近や西側の斜面から多数出土した(図 3‑4‑1‑b) 。また約 60 度の風化傾斜面を詳細に観察すると、わずかに曲面をなしている石材が複数認められた。 ポルティコからは、この三種類の風食面がいずれも出土しており、同じ遺跡から搬送さ れた可能性が挙げられる。また風食面の様相は互いに類似しており、そのためこれらの風 食面が、同一遺構の、同一部位で生じた可能性も考えられよう。そうであると仮定するな らば、約 82 度の傾斜をもった壁面の上部に半円形の断面をした笠石が載り、両者を繋ぐ位 置に屈折した石材が挿入されていた姿を想定することができる(図 3‑4‑3)。. 図 3‑4‑3:風食した面を持つ石材の推定復元図 4. 例えば、ピラミッドの表装石の隅部でこうしたおさまりが観察される。. 153.

(5) この想定を、古代エジプト古王国、中王国時代の建造物に照らし合わせた場合、二つの 可能性が考えられる。一つは約 82 度の傾斜面が外壁面をなし、笠石はパラペット(手摺) として付く形式で、マスタバや神殿などの屋根の縁にパラペットが載せられる(図 3‑4‑3− ①) 。もう一つの可能性は、傾斜した石材を内外面に積み、一つの独立した壁を形成してい た場合である(図 3‑4‑3−②) 。ピラミッド複合体を取り囲む周壁に該当する例がみられる。 前者の構造を想定した場合、出土した笠石の曲面部分が、少なく見積もっても幅約 170cm と復元されることから、かなり厚いパラペットであったことになる。壁の高さもそれに見 合う規模であったと推測される。例えば、アブ・グラーブに築かれたニウセルラー王の太 陽神殿では、幅 1m ほどのパラペット石材が出土し、高さ 6.3m ほどの復元図が描かれてい る5。 またアブ・シール地区で最大規模を誇るプタハシェプセスのマスタバでも、 高さ 6090mm に対し、笠石として幅 1040mm が載る推定復元図が示されている6。 出土した笠石の推定復元幅約 170cm は、パラペットとしては、大型の部類に入ると考え られ、これに見合う壁高さとして 6m を越える必要があろう。しかし、アブ・シール地域に おいて最大平面規模を誇るプタハシェプセスのマスタバでも、 およそ 6m の高さと推定され る点を考えると、図 3‑4‑3−①で示したような、外面の壁体とそのパラペットの組み合わせ を想定することは難しく、こうした部位からの搬入の可能性は低いと考える。 次に後者の外周壁の可能性を検討したい。 ピラミッド複合体を取り囲む外周壁は、第 3 王朝時代や中王国時代の一部で用いられた 凹凸を繰り返す形状を除くと、内面、外面ともに 80 度〜86 度の角度7をもち、上面には丸 く加工された笠石が据えられている。王のピラミッドだけでなく、周囲に築かれた王妃の ピラミッドにも備えられる場合があるが、後者の壁は薄く、検出された大型の笠石が据え られた可能性は低い。そこで搬入元の可能性をもつ遺構として、当該丘陵の近郊に位置す る、アブ・シールから南サッカーラまでの、王のピラミッド(シェプセスカーフ王のみ形. 5. Borchardt L., Das Re‑Heiligtum des Königs Ne‑Woser‑Re (Rathures), Band I: Der Bau.,Berlin, 1905, pp.30‑32. 6 Balik M., “The scientific restitution of Ptahshepses’s mastaba at Abusir‑ an ideal reconstruction”, Barta M.and Krejci J. (eds.), Abusir and Saqqara in the year 2000, Praha, 2000, pp.317‑330. 7 古代エジプトでは、勾配は、セケドと呼ばれる、1 ロイヤルキュービット(=7 パーム)の鉛直距 離に対する、水平距離として規定される。82 度は水平距離を 1 パームとしたセケド 1 に近似し、86 度は、水平距離を 1 パームの二分の一、すなわち 2 デジットとした時の勾配に近似する。. 154.

(6) 状はマスタバ)および太陽神殿を取り上げ、表 1 として外周壁のデータをまとめた。 なお、いずれの遺跡も外周壁は上部まで残っていない。そのため、最下部の幅および壁 面の傾斜角度は、 調査報告書に掲載された実測値であるが、 高さについては想定値である。 また同一複合体の中でも、外周壁の幅が複数見られる遺構もあったが、出土石材から壁体 が高さ 6m を越える可能性が強いことから、これに該当する壁体を選択した。. 表 1:古王国時代のピラミッド複合体外周壁(1 ロイヤルキュービット(RC)≒52.5cm) 王朝. 王名. 幅(厚さ). 4. シェプセスカーフ. 日乾煉瓦造. 5. ウセルカフ8. 8RC(≒4.2m). ウセルカフ(太陽神殿)9. 5RC ( ≒ 2.6m) 〜. 想定高さ. 16RC (≒8.4m). 傾斜角度. 81°80’ 約 86°. 6RC サフラー10. 6RC(≒ 3.15m). 12 RC ( ≒ 6.3m) 82° 〜16RC. ネフェルイルカーラー. 日乾煉瓦造. シェプセスカラー. 未完成の可能性が高い. ネフェルフラー. 日乾煉瓦造. ニウセルラー11. 5RC (≒ 2.625m). 14RC (≒ 7.35m) 82°. ニウセルラー(太陽神殿)12. 外面 86° 88°. メンカウホル. 未完成の可能性が高い. ジェドカラー13. 8RC(≒4.2m). ウニス14. 5RC (≒ 2.62m). 8. 16RC (≒8.4m). 不明 約 86°. Lauer J. Ph., Le temple haut de la pyramide du roi Ouserkaf à Saqqarah, Annales du Service des Antiquités de l'Égypte 53 (1955), pp.122‑123, fig.3. 9 Ricke H., Das Sonnenheiligtum des Königs Userkaf, Band I: Der Bau, Beiträge zur Ägyptischen Bauforschung und Altertumskunde Heft 7, Wiesbaden, 1965, Abb.23. 10 Borchardt L., Königs S'a3hu‑Re', Abb.91. 11 Maragioglio V. and Rinaldi C.A., L'architettura delle piramidi menfite, Parte VIII, Tav.2 ‑ fig.5. 12 Borchardt L., Das Re‑Heiligtum, pp.30‑32. 13 Maragioglio V. and Rinaldi C.A., L'architettura delle piramidi menfite, Parte VIII, Tav.12. 14 Labrousse A., Lauer J. Ph. and Leclant J., Mission archéologique de Saqqarah II: Le temple. 155. 内面.

(7) 6. テティ15. 8RC(≒4.2m). 約 86°. ペピ1世16. 8RC(≒4.2m). 約 86°. メルエンラー. 日乾煉瓦造. ペピ 2 世17. 4RC(≒2.1m). 不明. 表 1 の傾斜角度に注目すると、出土した風化傾斜面と同じ約 82 度に近似する遺構は、ウ セルカフ王、サフラー王およびニウセルラーの王のピラミッド複合体にほぼ限られること がわかる。このうち、ニウセルラー王のピラミッド複合体は、外周壁の厚さが最下部で約 2.6m と薄く、推定されている高さ 7m では、頂部に幅 1.7m ほどの笠石は載せられない。実 際にこの遺跡から出土している笠石も幅 60cm、高さ 20cm と小さい18。そのため、ニウセル ラー王の外周壁の可能性は低く、除外できると考える。 残る二つの外周壁のうち、ウセルカフ王の外周壁からは笠石とその下段に据えられてい た石材が出土している19。笠石の幅は約 1.3m、高さは 52cm と報告され、当丘陵から出土し た笠石に比べ、幅、高さともやや小振りである。笠石の下面には中央部分に幅 35cm 程にわ たって凸状の浅い突起がつけられ、下段上面の凹状の窪みと対応していた。また、笠石の 下段には、幅 1.7m に及ぶ大型の石材が用いられ、一つの石材で一段を構成していた。すな わち、両端に整形された傾斜面を持つが、このような石材は当丘陵からはこれまでのとこ ろ出土していない。このように、石材の規模や構成の点で、図 3‑4‑3 で復元されたような 壁体とはやや異なるように思われる。 一方、サフラー王のピラミッド複合体を調査した報告書20には、笠石の下面が凸状の石 材と凹状の二種類が掲載されている。凹状に削られた部分の幅は約 60cm で、当丘陵で出土 した笠石との類似性が注目される。またサフラー王の笠石は、図面から横幅約 1.7m、高さ 62cm 程と見積もられ、出土した笠石と寸法的に近い点も興味深い。報告書には、笠石の下. haut du complexe funéraire du roi Ounas, Cairo, 1977, fig.36. 15 Labrousse A., Mission archéologique de Saqqarah III: L’architecture des Pyramides à texres I‑Saqqara Nord , Cairo, 1996, Tab.VII. 16 Labrousse A., L’architecture des Pyramides à texres I, Tab.VII. 17 Jéquier G., Le monument funéraire de Pepi II, tome II: Le temple, 1938, pp.7‑8. 18 Maragioglio V. and Rinaldi C.A., L'architettura delle piramidi menfite, Parte VIII, Tav.12 – fig.5. 19 Lauer J. Ph., Le temple haut de la pyramide du roi Ouserkaf à Saqqarah, Annales du Service des Antiquités de l'Égypte 53 (1955), pp.122‑123. 20 Borchardt L., Königs S'a3hu‑Re', pp.67‑68.. 156.

(8) に据えられたブロックとして、傾斜面が屈折した写真が載せられており、この点も当遺構 で出土した石材と類似した様相を呈している。 このように可能性を絞り込んだ、ウセルカフ王、サフラー王の二つの外周壁を更に比較 した場合、 サフラー王の外周壁の方が、 当遺跡で出土した石材により近いように思われる。 筆者が両遺跡を実際に訪れ、残存する笠石の形状や表面の風食等を観察した限りでも、サ フラー王のそれの方が近い印象をもった。ただし外周壁は複合体全体を取り囲む長大なも のであり、場所によって石材の大きさや使い方に違いがあっても不自然ではない。そのた め報告書の数値だけで判断をすることには注意が必要であるが、搬入元の可能性のより高 い遺構として、サフラー王のピラミッド複合体を挙げておきたい。. 第 3 節 凹凸の整形面を持つ石材 発掘調査では、凹凸状に加工された石灰岩ブロックが 2 点出土した。いずれも良質の石 灰岩ブロックで、この形状を作り出すための鑿痕を除き、二次的な加工痕は認められなか った。一点(AK05‑B014)は幅 68cm、高さ 35cm、奥行き 30cm の石灰岩で、幅 63cm、奥行 き 12.6cm の凸状の平面となるように加工が施されていた。 もう一点 (AK05‑B024) は幅 83cm、 高さ 23cm、 奥行き 37cm の規模をもち、 一方の端から幅 61cm に渡って入念な整形が施され、 入り隅を形成していた(図 3‑4‑4)。. 図 3‑4‑4:凹凸の整形面を持つ石材. 前者の石材(AK05‑B014)で認められた凸形平面のうち、約 63cm の幅は、本石造建造物 の外壁でも見られたが、 奥行きは 25cm ほどあり、 明らかに異なっていた。 石材の質や鑿痕、 表面仕上げなども、石造建造物で広く見られる形跡とは違っており、別の遺構から搬入さ れた再利用石材と判断された。 もう一点の石材(AK05‑B024)も、石材の質や表面仕上げの様相が上の石材と酷似してお. 157.

(9) り、同一遺構から搬入された再利用石材と考えられる。 両石材とも当遺跡において新たに加工された痕跡が見られなかったことから、仕上げら れた面や石材の規模、凸型の形状などは、旧建造物の状態を保っている可能性が高い。そ こでこの点を手がかりに搬入元を検討する。 横幅 63cm、奥行き 12cm ほどの凸平面をもつ近郊の遺構としては、サッカーラに築かれ たネチェリケト(ジェセル)王の階段ピラミッド複合体外周壁、およびセケムケト王のピ ラミッド複合体外周壁21が思い起こされる。 両遺構の外周壁とも、横幅 8 ロイヤルキュービット(約 420cm)、奥行き 4.5 ロイヤルキ ュービット(約 240cm)の凸部が、6 ロイヤルキュービット(約 315cm)ごとに繰り返す構成を 基本とし、その途中に扉を模ったやや幅広の凸が挿入されている。凸部やその間の凹部に は、更に細かな凹凸が、凸‑凹‑凸‑凹‑凸の順にそれぞれ五等分されて刻まれている。その ため、横幅 8 ロイヤルキュービット(約 420cm)の凸面には、一つの幅が約 84cm の凹凸が、 4.5 ロイヤルキュービット(約 240cm)の奥行き部分には、同じく約 47cm の凹凸が、そして 6 ロイヤルキュービット(約 315cm)の凹面には約 63cm の凹凸が付けられている。なお、三 種類の細かな凹凸の奥行きはいずれも 12cm 程であった。 これに照らし合わせると、出土した凸平面を持つ石材は、6 ロイヤルキュービット(約 315cm)の凹面を五等分した、横幅 63cm、奥行き 12cm の凸部に合致点を探すことができる。 また、もう一方の石材は入り隅の一方が残るだけであり、整形された面の横幅が 61cm であ ったことから、横幅 8 ロイヤルキュービット(約 420cm)を五等分した凹凸(約 84cm)の凹 部か、横幅 6 ロイヤルキュービット(約 315cm)の凹部に刻まれた凹凸(約 63cm)の凹部の 可能性を挙げることができる。 石材の質や表面仕上げについてみれば、両遺構とも造営された年代が近いこともあって 酷似し、当丘陵から出土した 2 点の石材もまた、これら両遺跡と類似していた。 このように、当遺跡で出土した 2 つの石材には、凸部の寸法や、石材の質、表面仕上げ の点で、両遺構の石材と共通点が認められ、どちらかの遺構から搬送されてきた可能性が 高いと考えられる。 一方、両者の外周壁の違いを挙げれば、ネチェリケト(ジェセル)王の場合、高さ 27cm ほどの石材が広く使われているのに対し、 セケムケト王では高さ 52cm ほどの石材が使われ. 21. Lauer J. Ph., La pyramide à degrés, I, fig.60., Goneim Z., Horus Sekhem‑khet, pp.1‑2.. 158.

(10) ている。当遺跡から出土した 2 点の石材は、高さ 35cm と 23cm で前者により近い。 また、ネチェリケト(ジェセル)王の階段ピラミッド複合体は、細部に至るまで完成度 が高く、外周壁も大量の石材によって、計画されていた高さまで立ち上がっていたものと 推測される。それに対してセケムケト王のピラミッド複合体は、 「埋もれたピラミッド」と も称されるように、ごく初期で作業が中断し、少なくともピラミッド本体は未完に終わっ たとされる。外周壁もまた未完であった可能性が高く、そこからカエムワセトの時代まで に 1300 年以上もの時間が経過していることを考えると、 外周壁のかなりの部分は砂に埋も れていたのではないかと想像される。石材の採取を考えると、ネチェリケト(ジェセル) 王の外周壁の方が、より容易だったのではないかと推察される。 こうした点を考え合わせると、ネチェリケト(ジェセル)王の外周壁から石材が搬入さ れた可能性が高いと思われる。. 第 4 節 ピラミッド表装石 発掘調査では、ピラミッドの表装石と考えられる石灰岩ブロックが多数出土した。整形 された傾斜面は風食を受けて肌色の粒状を呈し、その様相は先の風化傾斜面と類似してい た。また石材の上下面や側面に残された鑿痕は、本遺構で用いられた鑿痕とは異なってお り、ピラミッド石材は再利用によって搬入されたものと判断された。ただし当遺構におい てこれらのピラミッド石材がどのように再利用されていたのかは、 加工痕が不明瞭であり、 また原位置を離れた状態で出土したため不明である。 傾斜角度を計測すると、 52 度付近を示す一群と、 60〜63 度ほどを示す一群に大別された。 後者はポルティコ周辺から多く出土し、また 60〜63 度の傾斜角度は、風化傾斜面を持つ石 材で挙げた屈折石材とも共通しており、ピラミッドの表装石ではなく、笠石下の石材であ った可能性も考えられる。そこで、以下では前者の、52 度付近の傾斜角度をもつ石材につ いて、考察を進めたい。. 159.

(11) 図 3‑4‑5:出土ピラミッド石材. 52 度付近の傾斜角度をもつ石材は、いずれも高さが約 27cm 前後で、傾斜面の風食具合 も互いに類似していた。そのため、数多くのピラミッドから集められたというよりは、比 較的限られたピラミッドから、まとまって運び込まれた可能性が高いと思われる。 また王のピラミッドで用いられた表装石に比べて、石材の高さが小さいことから、王の ピラミッドの周囲に建てられた、小型のピラミッドであったと考えられる。そこで、小型 ピラミッドについて、傾斜角度が判明している遺構をまとめたのが次の表 2 である。. 表 2:小ピラミッドの傾斜角度22 王朝. ピラミッド. 場所. 傾斜角度. 4. クフ衛星. ギザ. 51°50’. GI‑a. ギザ. 51°50’. GI‑b. ギザ. 51°50’. GI‑c. ギザ. 51°40’. カフラー衛星. ギザ. 53°8’. GIII‑a. ギザ. 52°15’. ウセルカフ衛星. サッカーラ. 53°. 5. 22. 各ピラミッドの傾斜角度については、イプトを除き、Jánosi P., Die Pyramidenanlagen der Königinnen: Untersuchungen zu einem Grabtyp des Alten und Mittleren Reiches, Wien, 1996, pp.182‑184. を参照した。. 160.

(12) 6. ネフェルヘテプ. サッカーラ. 52°. サフラー衛星. アブ・シール. 56°. ニウセルラー衛星. アブ・シール. 56‑57°. ケントカウス 2 世. アブ・シール. 52°. L‑No.24. アブ・シール. 57‑62°. ジェドカラー衛星. サッカーラ南部. 65°. ウナス衛星. サッカーラ. 63°. テティ衛星. サッカーラ. 63°30’. イプト23. サッカーラ. 63°. クイト. サッカーラ. 63°. ペピ1世衛星. サッカーラ南部. 63°30’. ヌブウェネト. サッカーラ南部. 63°. イネネク/インティ. サッカーラ南部. 63°. 第 3 のピラミッド. サッカーラ南部. 63°. メルエンラー衛星. サッカーラ南部. 63°30’?. ペピ 2 世衛星. 南サッカーラ. 63°30’. ネイト. 南サッカーラ. 61°. イプト 2 世. 南サッカーラ. 55°. ウェジェブテン. 南サッカーラ. 65°. この表から、小型ピラミッドの傾斜角度は時代が下るにつれて、勾配が急になる傾向が 窺われる。特に第 5 王朝末から第 6 王朝以後になると、角度は 60 度を超えるようになり、 当遺跡から出土したピラミッド石材の傾斜角度が 52 度付近であったことを想起すると、 こ れらのピラミッドは対象から除外してよいだろう。 一方、第 4 王朝の小ピラミッド群も、傾斜角度は矛盾しないが、これらが築かれたギザ 地区は当丘陵から 10km 以上も離れており、わざわざ搬送されたとは考えにくい。これらも 搬入元の候補から外してよいだろう。. 23. Hawass Z., Recent discoveries in the pyramid complex of Teti at Saqqara, Barta M.and Krejci J. (eds.), Abusir and Saqqara 2000, fig.2.. 161.

(13) 残る小ピラミッドは、サッカーラのウセルカフ王の付属ピラミッドや、アブ・シールに 築かれた小ピラミッド群が挙げられる。 傾斜角度の傾向から見る限り、 大きな矛盾はない。 また、これらの地区は、風化傾斜面の分析でも搬入元の候補地として挙がっており、注目 される。残念ながら、現在この地域で発見された小ピラミッドは、表装石の大部分が失わ れており、搬入元の小ピラミッドを具体的に特定することは困難である。しかし、これら の地域に築かれた小ピラミッドが搬入元の一つであったことは確からしく、丘陵近くの古 建造物を利用していたことが推測される。. 第 5 節 カエムワセトによる「修復碑文」の建築的検討 王子カエムワセトが「世界最古のエジプト学者」の異名を採るのは、主として二つの痕 跡からである。一つはクフ王の息子カワブ王子の彫像に刻まれた、カエムワセトがこれを 砂の中から「発掘」し、安置したという銘文で、もう一つはピラミッドや太陽神殿の表装 石に刻んだ「ミュージアム・ラベル」あるいは「修復碑文」と呼ばれる銘文24である。 後者は、これまでのところ、ネチェリケト(ジェセル)王、シェプセスカーフ王、ウセ ルカフ王、サフラー王、ウニス王、ペピ 1 世王25、センウセレト 3 世王26の各ピラミッド複 合体と、ニウセルラー王の太陽神殿の、計 8 基の建造物で知られている。キッチン(K. Kitchen)は、ヘロドトスが支給品のリストと理解し、現在は失われてしまった、クフ王の ピラミッドに刻まれた銘文も、カエムワセトの「修復碑文」の一つであった可能性が高い としている27。 このうち、最も良好に残るウニス王の場合、ピラミッド本体の南面に、三段落から構成 される銘文が刻まれている。キッチンによれば、まず、ラメセス 2 世王がカエムワセトに、 記念物のうえに王の名を復活させるようにとの布告を発し、次にこれを受けたカエムワセ トが記念物(複数)と王達の名を記した。そしてカエムワセトは、古代のそれぞれの王達 への信仰を再興するよう布告し、それに使える官使を任命や公有地や他の場所からの供与 24. カワブ王子の彫像、および近年発見されたペピ 1 世王、およびセンウセレト 3 世王を除く他の「修 復碑文」については以下を参照。Gomaà F., Chaemwese, Kat. 4, 5,7,8, 9, 12,51., Fisher, The sons of Ramesses II, Vol.II, pp.107‑108, 125., Kitchen K.A., Ramesside Inscriptions: Notes and Comments, Vol. II, pp.583‑584. 25 Leclant J. and Clerc G., Fouilles et travaux en Egypte et au Soudan, 1992‑1993, Orientalia 63, (1994), 385, figs. p.22, p.23. 26 Oppenheim A. and Allen J.P., The inscription of Prince Khaemwaset, in Arnold Di., The Pyramid Complex of Senwosret III at Dahshur: Architectural Studies, New York, 2002, pp.29‑30. 27 Kitchen K.A., Ramesside Inscriptions: Notes and Comments, Vol. II, pp.583‑584.. 162.

(14) を行った、という内容である28。 ピラミッドの「所有者」を明記していく行為を、博物館の展示品にラベルを付ける行為 と重ね合わせて「ミュージアム・ラベル(museum label) 」と呼ばれ、その内容からは「修 復碑文(restoration texts)」とも言われるが、 「修復(restoration) 」という解釈に対し てマレク(J. Malek)は、この用語を単に「飾る(embellish) 」と訳し、古物に精通した カエムワセトという人物像に慎重な姿勢をとっている29。 「修復碑文」の内容に関わる碑文学的考察は、筆者の力量を越えているため、ここでは、 カエムワセトの石造建造物の様式的特徴や筆者が試みた搬入元の検討結果を踏まえながら、 建築的な観点から、検討を試みたい。 カエムワセトが古建造物に関心を持っていたことは、彼自身の建造物に古い時代の建築 様式が強く反映されていたことから確からしいといえる。そのため、 「修復碑文」には、歴 史への注視という彼の特質の一端が反映されているのは事実であろう。 一方、本遺跡の分析から、カエムワセトが近郊の遺跡から石材を再利用していたことが 明らかになった。特に、搬入元としてサフラー王やネチェリケト(ジェセル)王のピラミ ッド、あるいはウセルカフ王が挙げられたが、これらが、カエムワセトによって「修復碑 文」が刻まれた遺跡群にいずれも含まれている点は注目される。少なくとも、カエムワセ トが行った「修復」が、古建築を文化財と認識し、修理、保存するという現代的な意味で の「修復」でないことは明らかであり、マレクが指摘するように、 「修復碑文」には別の側 面があり、 「修復」の意味について、再検討が必要であろう。 カエムワセトによる「修復碑文」の例がギザのクフ王を含めたとしても 9 例にとどまる ことから、全てのピラミッドや太陽神殿に対して、 「修復碑文」が刻まれたわけではない。 逆にいえば、何らかの選択が行われた可能性が考えられる。 その一つの可能性は、カエムワセトが「修復碑文」を刻んだピラミッド、あるいはその 王が特別な存在であったことである。過去に対して強い関心を持っていたに違いないカエ ムワセトだけに、先王の業績を熟知していた可能性はあろうが、 「修復碑文」に、それを積 極的に窺わせる記述はない。また、古代エジプトで作られた王名表でも、王の名が削除さ れる例はあるものの、その逆は見あたらない。確かに王の人気不人気はあったようで、後. 28. Kitchen K.A., Ramesside Inscriptions: Notes and Comments, Vol. II, p.584. Málek J., A Meeting of the Old and New, Lloyd A.B. (ed.), Studies in Pharaonic Religion and Society: in Honour of J. Gwyn Griffiths, London, 1992, pp.61‑66.. 29. 163.

(15) 代に作られたウェストカー・パピルスでは、クフ王の先王のスネフル王が名君として謳わ れている30が、この王は「修復碑文」を刻む対象として含まれていない。このように考え ると、カエムワセトが王の業績を根拠に、ピラミッドを選択した可能性を積極的に支持す る理由はないように思われる。 試みに、カエムワセトが「修復碑文」を残した建造物を、ギザのクフ王も含めて地図上 にプロットしたのが図 3‑4‑6 の分布図である。 下線が、 「修復碑文」 の刻まれた遺跡である。. 図 3‑4‑6:カエムワセトの「修復碑文」遺跡配置図. ギザからダハシュールまで広く分布し、さらに詳細にみると、サッカーラを除いて、ピ ラミッドが集中する地区ごとに 1 基の建造物が含まれていることがわかる。すなわち、ギ ザのピラミッド地区からはクフ王のピラミッドが、2 基の太陽神殿が築かれたアブ・グラ ーブ地区からは、ニウセルラーの太陽神殿が、そして 3 基のピラミッドが集中するサッカ 30. 屋形禎亮訳「ウェストカー・パピルスの物語」 、 『古代オリエント集』筑摩書房, 1978, pp.415‑424.. 164.

(16) ーラ南部では、ペピ 1 世王のピラミッドが、さらに南サッカーラ地区では、シェプセスカ ーフのマスタバファラウンに「修復碑文」が刻まれた。ダハシュール地区は広大であるが、 ここではセンウセレト 3 世のピラミッドから発見されている。 この分布を偶然と見なさないならば、各ピラミッド地区から意識的に 1 基が選択された 可能性が指摘できよう。つまり、 「修復碑文」は、それが刻まれたピラミッドだけを対象と したものではなく、そのピラミッドを含む、地域全体が意識され、逆にいえば、 「修復碑文」 をもつ記念物は、その地域の代表として選ばれた可能性が挙げられる。ピラミッド地区に は、王や王妃のピラミッドとともに、その王達に使えた高官の墓が密集しており、意識の 中ではこれらも含められていたと考えられる。サッカーラ地区だけが例外的に 3 基のピラ ミッドに「修復碑文」が刻まれているが、この地域には高官墓が高密度で築かれ、その地 域全体を意識したものであるならば、複数のピラミッドに「修復碑文」が残されているこ とに、本質的な矛盾はない、と考える。 カエムワセトの「修復碑文」が、ギザからダハシュールまでの古建造物全体を包含して いたならば、カエムワセトが自身のための建造物をアブ・シール南丘陵の頂部に築いた理 由の一つとして、彼の活動域の要に位置し、それらを一望のもとに収めることができる、 という地理的な要素が考慮された可能性が挙げられよう。 マレクは「修復碑文」の目的として、増大する建築活動に対応するための石材採取を指 摘している31。カエムワセトの活躍した第 19 王朝初期は、建築活動が活発に展開された時 代であり、特に、サッカーラ地域に築かれた高官墓の上部構造をみると、主要な建材が日 乾煉瓦から石材へと変化したことが分かる。石材の需要が増大していたであろうことは想 像に難くない。 カエムワセトの「修復碑文」には、先王達への信仰の再興という面とともに、ピラミッ ド地区全体を包括的に管理するという意識が含まれていたならば、管理すべき対象として 石材も含まれていたはずであり、 「職人達の統率者」の称号をもつカエムワセトが、いわば 「採石場としてのピラミッド地区」の管理を担っていた蓋然性は低くない。その意味で、 「修復碑文」と石材採取との関連性に着目したマレックの見解は注目されるものであり、 改めて検討されるべきであろう。 古建築からの石材の再利用は、石材の収奪として、無秩序に進められたような印象を抱 くが、カエムワセトの行為は、むしろ再利用石材を適切に管理し、過不足なく分配したと 31. Málek J., A Meeting of the Old and New, pp.61‑66.. 165.

(17) いえる。そうした彼の活動が、ラメセス 2 世時代の活発な建築活動を支える要因の一つと なっていた可能性が指摘でき、この時代の建築生産を研究する上で、興味深い資料となり えよう。. 第 6 節 小結 石造建造物の使用石材について分析を試みた。 この建造物には、古王国時代あるいは中王国時代の建築様式が各所に用いられており、 古建築に強い関心と知識を持つとされる、カエムワセトの特質が実際の建造物に反映され ていたことをすでに指摘した。 一方で、この建造物に使われた石材は、古建造物から再利用されたものであり、その搬 入元として、アブ・シールに築かれたサフラー王のピラミッド複合体外周壁、サッカーラ に位置するネチェリケト(ジェセル)王の外周壁、さらに第 5 王朝初期ごろの小ピラミッ ドの表装石の可能性が高いことを示した。 カエムワセトは、ピラミッドや太陽神殿の表装石に「修復碑文」を刻んだことで知られ ている。 「修復碑文」が刻まれた記念物の分布に着目すると、ギザからダハシュールまでの ピラミッド地区ごとに、原則 1 基の記念物が選択される傾向が窺われ、 「修復碑文」は、そ れが刻まれた記念物だけを指し示すものではなく、その地区全体を包含していた可能性を 指摘した。ピラミッド地区全体を視野に入れた理由には、先王達への信仰の再興に加え、 増大する石材需要に対応するための、 「採石場としてのピラミッド地区」を管理する意味も 含まれていたと推測され、こうしたカエムワセトの活動が、ラメセス 2 世時代の活発な建 築活動を下支した要因の一つであった可能性を述べた。 従来「修復碑文」は、テキストの解釈が中心であったが、カエムワセト自身の建造物の 研究を通して、建築的な観点から「修復碑文」の意味を論じた点に、本研究の特徴がある。 今後、碑文学や歴史学の立場から「修復碑文」の研究が深化し、包括的な検討がなされる ことが期待される。. 166.

(18)

参照

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