香 川 大 学 経 済 論 叢 第73巻 第 4号 2001年3月 33-106
結合と教祖の人材論
原 田
保
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.教祖と結合からの人材論への接近
さて,いよいよ 21世紀を迎え時代の価値観が根本的に転換することとなり, これに伴い我々の個人生活の仕方や仕事の仕方については従来とは異なる方法 が模索されている。しかし,未だに多くの人聞は21世紀型のライフスタイルや ワークスタイルを確立する段階には至っていない。また,企業や,家庭や,そ して多くのコミュニティにおいても,まさに一人ひとりの人聞に対してどのよ うな組織的対応を行うべきかを考えあぐねている。そこで,このような混迷の 時代を切り開くべく,本稿においては21世紀の企業社会に対して期待されるべ き人材像についての提言を試みる。 言い換えれば,この試みについては実は21世紀という時代が人材の質の向ょ や育成方法が大きく関われる時代であるという問題認識から行われている。実 際に,現在既に提示されている多くの既存の人材論や教育論についてはほとん ど旧態依然たる旧い時代の価値観に依拠した考え方が残存しており,未だに本 格的には新世紀に相応しい人材の質の向上や育成方法についての道筋はほとん ど提供されていない。このようなことで,我々は一体社会の中でどのように生 き,そしてどのように仕事を行っていくべきかを見通すことができるのだろう か。 そこで,このような聞いに答えるべく,本稿においては新世紀に相応しい人 材についてある種の組織結合や人材結合の達人であるという仮説を設定し,こ れに基づき新たな人材モデルを構築することへの挑戦を試みる。さて,このい わゆる結合の達人の持つエクスパテイ}ズとは,主に人材を結合するパワーや34- 香川大学経済論叢 876 能力を編集するパワーのことである。彼らの保持している最大の武器とは,そ れぞれにその結合力によって他者に対する多大な求心力を備えていることであ り,言い換えれば多くの独立した存在である人材をある種の方法によって磁石 のように吸い付けることである。その意味においては,彼らは組織結合や人材 結合のプロフェッショナノレであり,多くの他者から信頼を勝ち取ることに秀で た人間操縦のエキスパートである。そこで,このようなパワーを典型的な形で 保持しているものとして,ここでは宗教組織にみられる教祖,預言者,グルを イメージしながら,新世紀に期待されるべき結合の達人についての考察を行っ てみる。 さて,今や我々に必要なことは自らが自信を取り戻すことであり,そのため に多くの人聞において実は信頼のおける教祖的な人聞に帰依したいという願望 が高まっている。このことは,我々一人ひとりの人聞が,それぞ、れこのような 段階にまで苦境に追い込まれていることを意味している。そこで,このような 状況から我々を脱出させることを期待できる教祖,預言者,グ1レとは一体どん な資質を持っており,また彼らはどのような手助けを行ってくれるのかについ て述べてみる。また,彼らの大衆からの信頼獲得の方法はどのように行われる のか,大衆を帰依させるパワーとは一体どのようなものであるのか,について も併せて言及する。 なお,ここにおいては,このような問題意識に立脚しながら,いわゆる迷え る子羊である弱き大衆サイドにスポットをあてるのではなしむしろ彼らに希 望を与えパワーを行使する教祖(預言者やグルを含む)サイドにスポットをあ てることとした。その意味においては本稿の狙いは,まさに現代の教祖とは一 体何なのかを探求することであり,また真の教祖とは一体どのような特徴を 持っているのか,を明確にすることである。それは,教祖の信者に対する影響 力がきわめて多大であり,そして多くの教祖に帰依した信者は盲目的に追従し てしまう危険性があるからである。 さて,翻って我々の日常生活を見てみると,実際に教祖的なパワーを発揮し て多大な成果を上げている人聞が多数存在している。例えば,多くのネットベ
877 結合と教祖の人材論 -35 ンチャーの経営者もそうであるし,また既に確立した職業としての芸能界や芸 術界におけるプロデューサーなども,そのような人材の代表的な事例である。 そして,このようなパワーを持った人材が増大することが予見される状況下に おいては,一方では,これのエクスパティーズをいかに獲得するか,そして他 方では,これらの人間とどのように関係を持っていくのか,が多くの企業人に とってきわめて重要な戦略的な課題となる。 もちろん,多くの企業人において自らが教祖的な人聞になるケースはそんな に多くは生じない。しかし,たとえ自らがそのような教祖的なパワーを保持し たプロデューサーを志向しなくても,例えばある種のエキスパートとして生き ていくためには一体どんなプロデューサーといかなる関係を持つべきか,とい うことはきわめて重要な問題である。それは,才能に恵まれた有能なプロデュー サーが多くの人材の持つエクスパティーズを束ねることで組織的な付加価値を いかに増大させうるかが,今後のビジネス界における競争原理の中核を占める からである。 そこで,このような狙いを持って,本稿においては前述したように結合と教 祖からの人材論への接近を試みている。そして,そのため多くの宗教組織やカ ノレト集団にも言及しながら,教祖に代表される組織のオノレガナイザーの持つ組 織や人材の結合力について考察を深めてみる。ここにおいては,特に教祖サイ ドに見られる超常的ノfワーを掘り下げながら,その上で新世紀の企業経営にお いて教祖に期待されるパワーと,これらのパワーを保持している教祖に見出す ことのできる組織や人材の結合方法について言及を試みる。これは具体的には, まず教祖に体化された超常的パワーを分析し,そして, ζの結果を踏まえてカ リスマプロデ、ユーサーに見る異次元パワーの本質を抽出し,最後に人材デザイ ンの未来展望を行っている(図-1)。
-36- 香川大学経済論叢 図ー1 人材デザインの現代思想的展開 教祖に カリスマ 体化された 超常的パワー プロデューサー の異次元能力
議ゑ
人材デザイン の 未来展望 2 . 教 祖 に 体 化 さ れ た 超 常 的 パ ワ ー2
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超常的パワーに見る本質 878 ここでは,まず教祖,予言者,グlレなどの保持するパワーの本質について考 えることとする。なお,一般的には,教祖や予言者は伝統的な宗教組織に散見 される概念,そしてグルはカルト集団に散見される概念として捉えられるが, 著者は人材論としての本質においては両者にはそれほど多大な差異はないもの と考えている。それでは一体,教祖,予言者,グノレがなぜ、他者から信頼を寄せ られ,そして生命を賭けるほどの帰依を獲得できるのかについて考えてみる。 それは,彼らが常軌を逸したパワーすなわち超常的パワーを保持しているか らであるが,しかし,それでは一体どうして特定のごく少数の人聞にだけこの ようなパワーが与えられるのだろうか。もしも,このことが究明できれば意図 的に教祖,予言者,グルを誕生せしめることができるし,それらの持つパワー を日常の多様な組織運営に活用することも可能となる。そして,今後の企業経 営においては,このような超常的パワーを備えた新たなタイプの教祖的な人材,879 結合と教祖の人材論 37 すなわち著者の提唱するビジネスプロデューサーに対して多大な期待が寄せら れる。 さて,このビジネスプロデューサーに期待される超常的パワーとは,ある種 の奇蹟を実現するパワーのことを意味している。例えば,ミラクルを連発する 巨人の長島監督などもまさしくミラクルパワー,すなわち超常的パワーを持つ ある種の教祖的な袴在としての可能性を持っている人間である。そして,この 奇跡を可能とするパワーこそが,まさにミラクルパワーとも超常的ノTワーとも いわれるパワーなのである。 さて,奇蹟とは一般的には常識では理解できない出来事を意味している。し かし,キリスト教においては,これは人々を信仰に導くために神によってなさ れたものと信じられている不思議な現象である。これには具体的には,例えば 聖霊による受胎とか,復活とか,病人の治癒などをあげることができる。なお, このキリスト教においては,信頼を超えて信仰の段階において人間との鮮を強 めるには,まさに主体としての神と行為としての超常現象が不可欠であると考 えられている。 そこで,以下において神と神がもたらす超常現象について考察を加え,超常 的パワーの本質について理解を深めることとする。なお,ここにおいて神は必 ずしも宗教の世界にのみ顕現するものではなしもっと等身大で日常生活のあ らゆる局面においても顕現する存在として多様な形態をとると考えられてい る。実際に,それほど現在では超常的ノfワーが期待されているし,超常的パワー を保持した者が教祖,予言者,グ
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レとしておおいにパワーを発揮していること も真実である。 さて,一般的には,教祖,予言者,グルは神の代理人のような存在であると 考えてよい。そこで,ここで神とは一体どんなものなのかについて考えてみる。 この神とは当然ながら人聞を超えた存在であり,人聞に禍福や賞罰を与え,そ して信仰や崇拝の対象となる存在である。そして,このことは,たとえ神がい ずこであっても,必ずや宗教や習俗においては,神が信仰,崇拝,儀礼,神話, 教義などの中心になる位格や存在であることを意味している。特に,キリスト38- 香川大学経済論叢 880 教,ユダヤ教,イスラム教においては,神は超越的な絶対者として位置づけら れている。 また,これに対して,教祖については以下のように考えることができる。す なわち,この教祖とはまさに宗教を切り開いた人であるが,一般的には神に代 わって人聞を導き教える神の代理人のような役割を担う存在である。これは, すなわち,教祖は背景に神がいることで絶対的なパワーを認められた存在であ ると考えられる。したがって,普通では自らが絶対者として存在するのではな しまさに神と不可分であることが彼らのパワーの源泉となっている。そこで, 著者の唱える後述されるカリスマプロデ、ユーサーについては,このような神を ノてックにした教祖,予言者,グJレのビジネス版であると考えてさしっかえない。 2..2 宗教の持つ超常的パワー 今までの論述から,現在では超常的パワーが強く求められていることが理解 できたはずである。そこで続いて,超常的パワーが宗教においてどのように現 出しているかを考えてみる。超常的ノfワーはまさに宗教によって多様な姿を見 せているが,それでもそれは基本的には共通した特徴としてまとめあげられる。 伝統的宗教においては,キリスト教においてもイスラム教においても,とも に歴史の重みが重要な意味を持っている。それは教会やモスクという場を確立 したし,そこでは聖書やコーランという経典が絶対的な意味を持っている。両 者が異なる点は,キリスト教が教会組織と聖職者の権威が尊重されているのに 対し,イスラム教では形式的な組織化よりもむしろ巡礼や礼拝などを通じた儀 礼が重視されることである。 ニューエイジについては,伝統的宗教に比較して神秘的要素が色濃く強調さ れている。また,そのこともあって,教団の指導者の信者への支配力はきわめ て多大なものとなっている。そして,そこでは指導者の神秘性に依拠した支配 によって信者は覚醒されという考え方が貫徹される。その意味で,ニューエイ ジでは教祖,予言者,グルの信者に対する影響力が伝統的宗教に比べて圧倒的 に
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皇くなっている。881 結合と教祖の人材論 39-さて,伝統的宗教とニューエイジに共通してみられる点として,人間に関わ る問題,言葉に関わる問題,組織に関わる問題がある。それは,すなわち神が 背後に存在していること,経典が確立されていること,場の形成と広告塔が存 在していること,の3点である。こうして,組織化を推進するための仕掛けが 多様に構築されているのが宗教における特徴である。 (1 ) キリスト教の超常的パワー さて,初期のキリスト教の指導者における特徴については,イエスをはじめ 多くの弟子たちについてもほとんどが孤独な苦行者であることに見出される。 そのことは,特に礁の刑に服したイエスの死に象徴的に表されている。イエス は神の子であったが,実は彼の信仰の中心には愛が位置づけられていた。その 意味では,キリスト教の本質については愛の宗教であるといえる。 キリスト教において注目すべき点は,千年王国の建設を説く黙示録が存在し たこと,すなわちある種のビジョン形成が行われてきたことである。しかし, このビジョンは正式に認知されるまでには実に多くの歳月を必要としてきた。 なお,この千年王国は未来の報いを改宗者に約束して改宗者の熱意を掻き立て るものであった。また,千年王国については,後日宗教改革の初めにトーマス・ ミュンツアーによる再洗礼派教徒たちの間で再燃もしたし,現在でもモノレモン (1) 教徒の間ではその意義は大きく取り上げられている。 次の特徴は,異端から正統を守り抜く教父たちが存在したこと,すなわちあ る種の正統的な理論家が存在していたことである。この教会の父という概念は アウグスティヌスの中に典型的に現れ,その後にウィンケンティウス・レリン スによって定義された。当然ながら,これらの中で最も著名な教父はアウグス ティヌスであるが,彼の哲学の持つ特徴は孤独な精神の探求ではなく神との対 話による精神の探求にあった。すなわち,アウグスティヌスは膜想家であり神 (2) 秘主義者であると考えてよい。 また,宗教改革の存在についてもキリスト教の大きな特徴であると考えられ る。特に,
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世紀の宗教改革については,北ヨーロッパにおける新たな精神世-40- 香川大学経済論叢 882 界の樹立に対して多大な貢献を果たした。最終的には,マルティン・1レターに よって完成された宗教改革は次第に各国に流布し,各国各様の宗教改革、が展開 されていった。こうして,宗教改革の過程からプロテスタンテイズムが登場し (3) キリスト教は多様な形で発展していった。 そして,何よりも重要なものとして,教会による組織化戦略が徹底して追及 されことがあげられる。もちろん,この組織化戦略については,カトリックと プロテスタントでは少々異なっている。 そこで,ここでは例えばカトリック教会のヒエラノレキーについて言及してみ る。このカトリック教会においては3つのレベルのヒエラルキーが存在してい る。司教は司教区の責任を担い,司祭はここの司教管区の精神的指導者である。 また,教皇は司教を叙階して司教は司祭を叙階する。また,諸教会を治める教 皇を補佐するのは枢機卿団と教皇庁である。なお,教会の主要な仕事は裁くこ (4) とではなく教えることであり,教えを介して勧告することである。 また,いつの時代でもそうであったが,今においても教えが広く世界の人々 の生活に多大な影響を与えていた。特に,信仰の時代といわれる中世ヨーロツ パにおいてはきわめて絶大な影響力を保持していた。また,アメリカにおいて は,教会のない町はないし,大都市には多くの荘厳な大カテドラノレが建造され ている。そして,クリスマスの季節になると,街路や,家,公共の建物などは 明かりが点滅して華やかな飾りが施される。また,社会の法や倫理的判断につ いてもキリスト教に由来しているものが多い。 (2) イスラム教の超常的パワー イスラム教の他の宗教と異なる点は,これがたんに宗教であるのみならず社 会秩序であり同時に文明でもあることである。すなわち,このイスラムとは教 えとしての宗教を超えた超宗教的なパワーを備えた存在なのである。なお,イ スラムにおいては,原則としてイスラム教とはムハンマドにより人々に伝えら れた神の言葉そのものである。 このイスラムは世界に広く流布しているが,これが厳格な一神教信仰により
883 結合と教祖の人材論 41ー 統合されており,また典礼の共通語としてのコーランを唱えることが義務付け られている。そして,神たるアッラーとその預言者たるムハンマドにすべての パワーが集中された体制が確立しており,結果として誰も聖職者がいないとい う珍しい宗教組織の形態を形成するに至っている。それでは,以下において, このイスラム教の隆盛を可能とした要因について若干の言及を行ってみる。 第lに,キリスト教と比較して歴史上に聖職者として登場する人数はきわめ て少ない。このことは,イスラム教においては預言者ムハンマド以外に聖職者 が存在しないことが前提だからである。その分だけ人々の尊敬はムハンマドに 集中しているし,彼に強い求心力を持たせている。なお,彼の説教については アラブ化を強めながら流布されていったのだが,そのため現在でも世界にムス (6) リムネットワークの形成が追求されている。 第2に,イスラム教にパワーを与えているものとしてコーランをあげること ができる。これは,地上生活においてはすでにある種の形式的な位置に後退し てしまっているキリスト教や仏教の経典と比較すると,今でもイスラム教徒の 生活のあらゆる面を支配している絶対的なパワーとなっている。実際に,この 忙しい時代に
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回のお祈りに時間を割かせることは,まったく想像を絶 するようなパワーである。 このことは,言い換えれば宗教的儀礼の重視であるともいえる。そこで,第3
の特徴として儀礼に則った宗教生活の営みがあげられる。ムハンマドは礼拝 に行くことを呼びかけているため,礼拝の場であるモスクがムスリムたちの宗 教的結合の拠点として重視されている。そして,このモスクにおける礼拝によっ て,主に男たちは自分たちが同じ共同体の一員であり,同一の神への信仰を共 有していることを確認している。 また,どの宗教にとっても聖地はきわめて大切なものだが,イスラム教にみ られる聖地への巡礼はきわめて大きな意味を持っている。そして,すべてのイ スラム教徒は一生の聞に必ず一度は聖地メッカを訪れることが奨励されてい る。これこそが,かのイスラム教徒のいう著名なハッジュなのである。このハツ ジュは5
日間の儀式であるが,ここにおける主要な儀式は集団儀礼である。こ42- 香川大学経済論叢 884 れらを通じて,背景や言語や習慣も異なる世界のイスラム教徒が共通の強烈な 経験を分かち合うことができ,その意味においては巡礼が世界を結んでいると 考えることができる。 このように,後発の宗教であったこと,あるいはヨーロッパとアジアの境界 にイスラムが存在していることもあってか,イスラム教においてはきわめて特 異な組織化戦略がとられたし,きわめて強烈な個性を持ったムハンマドのよう な預言者,すなわちカリスマを持った人間の登場を見るに至った。このように, イスラム教は従来の宗教の枠を超えたところで世界的な人的なネットワークを 形成しており,それをまさに確実なものとする仕組みがモスクと巡礼なのであ る。
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ニューヱイジの超常的パワー 以上で述べてきた伝統的な宗教のみならず,超常的パワーは現在の神秘的な 集団や新興宗教においても脈々と受け継がれている。ある意味では,どこにお いても組織化を人間の精神の結合によって実現させるためには,そのような超 常的なパワーが不可欠であった。その意味では,ほとんどのニューエイジ運動 は,いわゆるグルの神秘性による支配と覚醒による組織化が追求されている。 一般的には1
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世紀末から今日までの神秘的な思想を背景に持った集団的な 運動がニューエイジであると考えられているが,その1
つの契機として考えら れるものとしてマダム・ブラヴァツキーの神智学運動を上げることができる。 そこで,ここにおいては,ブラヴァツキーの唱えた神秘による支配という面に かかわり一世を風廃した字宙的友愛の精神について紹介する。 この神智学の第1
の特徴としては,いわゆる知識を超えた叡智を追求するこ とがあげられる。だからこそ,神智学協会という組織名が採択されたわけであ る。神智学においては,たんなる知識や機械的な心理の動きを重視せずに,そ の代わりに変革や叡智を重視する。その理由は,前者の知識は硬直した実りの ない時には人を多様な愚かしい状態に陥れるが,後者の叡智は人を変革するパ ワーを持っているからである。885 結合と教祖の人材論 -43ー 第
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の特徴としては,進化論を組み込むことで永遠の発展を運動の目標に設 定することに成功したことがあげられる。すなわち,神智学においては進化論 を変革の考え方と輪廻転生の考え方によって霊的な文脈の中に位置づけたので ある。これは言い換えれば,神智学では人聞は霊的な進化を通じて限りなく発 展するという立場がとられていることである。したがって,神智学においては, 生命意識の衝動が目的論的にその内的な要求にしたがって獲得するという形態。
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の発展を考えている。 第3の特徴は,ここでもシークレツトドクトリンという教義の集大成,すな わちある種の経典が存在していることである。ここにおいては,根幹人類とい う概念が持ち出されている。なお,この根幹人類については7つに区分されて おり,これが特定の意識のレベルを表しているという考え方が提示されている。 そして,個々人は神の火花である真我の一片を自分のものとし,いつかは完全ω
な至福を享受する時を迎えるという考え方である。 また,第4
の特徴としてはニューエイジの全体的な特徴でもあるが,この神 智学協会においてはブラヴァツキーの魅力もあってか,実に多くの著名人が運 動に参加していることである。例えば,かつてインドのネーノレ首相やマハトラ・ ガンジーが人智学協会に参加していた。さらには,詩人のW.Bイェーツ,作 曲家のアレキサンドル・スクリャーピン,画家のワシリー・カンディンスキー, ペエト・モンドリアンなどもメンバーであった。 この神智学をはじめ多くのニューエイジにおいては,いわゆる超人への道を 模索するものであった。これについては,言い換えれば神の力添えによって人 間以上のパワーを獲得することを志向した考え方に基づいた運動であった。そ のために,結社においては意志の統一が前提条件とされ,高次の生活理想、と教ω
団指導者との両方に対する忠誠心が強く求められることとなった。 (4) 超常的パワーの解釈 それでは以下において,以上述べてきたキリスト教,イスラム教,そして ニューエイジ運動に散見される超常的パワーから読み取れる共通の特徴の抽出-44- 香川大学経済論叢 886 を行ってみる。もちろん,それぞれの宗教がまさに驚博するような固有のパワー を保持しているからこそ,それが超常的パワーといえるのであるが,しかし, そこには言い方は異なるといえども共通の意義を見出すことができる。 そこで著者は,ここにおいては,それらの特徴を以下のような3点に要約を 行った。それらは,具体的には,第1は人聞に関わる問題,第2は言葉に関わ る問題,第3は組織に関わる問題,という 3点である。これらのことは,いず れの宗教団体やニューエイジの組織に共通に見出される特徴として,まずもっ て研究する必要性が多大な課題であることを意味している(図-
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。 図-2 超常的パワーへのアプローチ軸 パワーに見られる 人間に関わる問題 さて,第1
の人間の問題については,自らが神を標梼するのではなしむし ろ神の代理人である教祖,預言者,グノレというような立場の人間のパワーによっ て宗教教団やニューエイジ組織が維持発展されている場合が多いようである。 すなわち,よい教祖,預言者,グルが登場すれば組織が発展するわけで,これ は他の一般的な組織にも当てはまる課題として捉えることが可能である。なお, 具体的にはイエスキリストやムハンマドやブラヴァツキーがそうである。 第 2の言葉の問題であるが,これは神の言葉としてまとめられたものや,後 日預言者や著名な師徒や教父によってまとめられたものがある。これの代表的 な事例として,キリスト教では聖書が,イスラム教ではコーランが,神智学で887 結合と教祖の人材論 -45ー はシークレツトドクトリンが存在している。これは,組織において構成員を縛 るものであり,これが厳しければ厳しいほど組織とし‘て求心力が強くなるのが 一般的である。この言葉の重要性については,実はキリスト教において言葉は 神であるといわれていることからもよく理解できる。 第3の組織の問題であるが,これは閉鎖的な場の形成が行われることが普通 で,同時に,この場の外部に向けて顕現される価値を示すための象徴的な著名 人材が囲われていることが前提になる。したがって,一般的には特に時の権力 者やそれに近い人々が多く参加していることが不可欠であり,場合によっては, 広告塔の役割を期待される文化人などの存在も大切な条件となる。このことか ら,宗教と政治の結合や宗教と文化の結合がもたらされていることが理解でき る。 なお,このような人間と言葉と組織こそが特に精神界においてパワーを獲得 するための重要な要素であり,またこれらの三位一体となった戦略の構築が組 織デザインにおいておおいに期待されている。そして,これらの中核に位置づ けられるのがまさに人間であり,この人間としての預言者やグルの到来に組織 の未来が委ねられていると考えることができる。だからこそ,現在においても, 預言者やグルの登場が期待されているわけで,実際に多くのすぐれた組織は, 企業においても国家においても,また当然ながら宗教団体においても,彼らの 質がまさに組織の盛衰を握っている。 これらの3要素が組織化において重要な理由は,これらを駆使することで多 くの人聞を組織的に支配できるし,また,そのことを通じて組織への参加者に 対して覚醒を促すことができるからである。このことは,組織からみれば支配 であっても,参加者
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人ひとりからみれば主体的な参加であり,したがって, 自己を覚醒させてくれるポジティブな空間として組織が映ることが特徴であ る。 2..3 超常的パワー関係の本質 宗教組織にみられる超常的パワーについて理解が深まったと思われるので,46- 香川大学経済論叢 888 ここでは超常的パワーの持つパワー関係の本質を探ることに挑戦する。した がって,まずパワー理論の一般理論のレヴューから始め,パワー論から教祖, 予言者,グノレと信者の関係を読み解いていくこととする。なお,これによって 宗教組織に採用する組織論やこれを演出する支配者サイドの能力の優秀性に認 識することができる。 さて,支配と従属の関係を正統に成立させることは結構困難な課題である。 それは,支配者サイドと従属者サイドの聞にはいわゆる了解がなされていなけ ればならないからである。したがって,この了解の円環ともいうべき了解シス テムの意義はきわめて多大なものと考えることができる。そして,この了解の 円環に基づいて支配者サイドと従属者サイドの聞にパワーの平衡状態が確立さ れていく。 さて,この了解の円環を導き出すパワーは,支配者サイドと従属者サイドが それぞれの背景に保持している妥当域の有効性である。これが多大であればあ るほど,両者の聞の権力関係は多大になることが理解できる。そして,この妥 当域の大きさがバランスした所にパワーの平衡が,すなわち安定した権力関係 が樹立されることとなる。 また,ここで強調しておくべきことは権力と自由が相互に補完的な概念であ ることである。すなわち,このことは自由が発見されればされるほど権力が見 出されることからも理解できる。したがって,権力の行使にはある一定程度の 自由の存在が前提条件になっているといえる。そして,たとえ無意識的であれ, 権力については自由を抑圧することでその行使の意味が見出されている。 (1) パワー関係の一般理論 以上において宗教組織が持つミラクルパワーについて理解できたと思われる ので,以下において宗教組織にとって重要であると考えられるパワー関係につ いての本質を議論してみる。具体的には,まずパワー関係の一般理論の理解を 深め,その後に宗教組織が持つパワー論の本質について教祖,預言者,グノレな どパワーの行使者の立場とパワー行使の対象者としての信者の立場からパワー
889 結合と教祖の人材論 -47ー 関係の本質を聞い,最後に両者のパワー関係についての総括を試みることとす る。 パワー関係は,例えば個人や個人間関係,組織や札織間関係,国家や国際関 係などにおける社会システムの代表的なコンテクストである。そして,このパ ワー関係については昨今では新たな理論的な発展も行われている。しかし,パ ワー関係が社会理論として確立したのは実はマックス・ウェーパーの功績が大 きく,これを大きくブレークスルーさせたのがタルコット・パーソンズであり, これを超えたのがニコラス・ノレーマンであった。そこで以下において,この3 者のパワー理論について小松陽ーの論考を参照しながら簡単な要約を行ってお く。 ウェーパーの定義によれば,パワーとは,ある社会関係内にある行為者が他 方の抵抗に関わらず,またそれが依拠する基盤が何であれ,自分の意思を貫く 立場にある対蓋然性であると規定される。そして,彼の理論においては,この ようなパワー概念の延長戦上に支配概念が構築されている。なお,それは,第 lが合法的支配,第2が伝統的支配,第3がカリスマ的支配,という 3類型で あった。しかし,それらのパワー関係については,主に支配者サイドの条件よ
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5 ) りむしろ,服従者サイドの条件から注目した論理の展開が行われた。 続いて,このウェーパーの伝統的パワー論を乗り越えた理論としてパーソン ズのそれが登場してきた。彼は,我々が今経営学において主張している Win-Win関係を現出するパワーを,すなわち非ゼ、ロサム概念で説明しうるパワー関 係の源泉となるパワー概念を提供してくれた。このパーソンズによる非ゼ、ロサ ム概念の確立は,従来の相互に排他的な目標を持っているパワー関係であるゼ、 ロサム概念からの脱却させたパワー論のブレークスルーであった。 彼によれば,社会システムの有効性の視点、に立脚すれば,非ゼロサム関係, すなわちWin-Win関係はきわめて効果的なパワー概念となる。その理由民ノT ワーの非ゼロサム概念においては当事者のいずれの側にも利得が獲得できる根 拠を提供できるからである。これによって,まさに競争から協創へという組織 間関係のパラダイムスイッチが可能となるし,また戦略的なアライアンスへの-48ー 香川大学経済論叢 890 多様な挑戦に取り組めるようになる。 続いて,このパワー関係をオートポエーシスの観点から進化させたのがかの ルーマンであった。すなわち, }レーマンはパーソンズが提唱したシステム理論 の一般化を志向することで新たな地平を確立していった。彼は,世界はありう るべき出来事や状態の数,それらの状態や出来事の聞に生じる関係の数の増大 に連れて複雑性あるいは複合性を高め,それが人間の複雑性受容能力を超えて しまう,という観点に到達した。したがって,彼においては複雑性の縮減が追 求されることとなり,これを超えてコミュニケーションメデ、ィアとしてのパ ワー論へと発展していった。 この段階になると,社会システムは相互に予測と反応で規定しあう幾重もの 選択過程を常に前提にしているという根本仮定から出発している。したがって, コミュニケーションメディアの進化は,一方では社会におけるコンフリクトの 可能性を高めてしまうが,他方では使用可能で社会的効果のある,いわば伝達 可能な選択肢の中から選択淘汰を行う進化メカニズムが高度化することで,ま 自 由 さにコンセンサスの高度化についての可能性を高められる。 (2) 支配の論理と権力関係 以上のようにパワー論は多彩な進化を遂げたが,神の代理人でパワーの保持 者である教祖,預言者,グルによる信者に対する支配的な関係と信者による教 祖,預言者,グルに対する関係については,それぞれ伝統的なパワー論である ウェーパーの論理に依拠することで説明できる。そこで,まず前者の教祖,預 言者,グlレのパワーである,いわゆるウェーパーの第3の支配形態であるカリ スマ的パワーについて言及してみる。 さて,この第
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の支配形態には権力ゲームにおける権力の妥当域についての 代官と農民の聞のパワー関係と同様な支配的な関係が成立している。そこで, ここでは橋爪大三郎の論考に依拠しながら,かの著名な代官と農民の聞の権力 関係について説明を行ってみる。 橋爪によれば,王の代官A
が農民B
から税を取り立てるところが想定されて891 結合と教祖の人材論 -49ー いる。すなわち,ここでは代官
A
は農民B
から税を取り立てる関係が成立して いる。 Aが税を要求し,そして。
。
Bが税を払うならば,このような関係は権力関 係として成立しているといえる。 一方の代官A
が税を取り立てるのは,その背後に彼を代官とした派遣した別 の存在としての王がいるからである。王は,A
が取り立てたのは自分の税だと 考えているため,代官にそれを引き渡すことを要求する。他方の農民Bの背後 には,一緒に畑仕事をした家族や兄弟たちが存在している。そして,農民Bは 自分が税を払うからという理由で,その分を彼らの取り分から集めて回ること (2)1 となる。 このように,双方が背景にしている権力の妥当域は,その全体の構造におい て権力の妥当条件を作り出すと考えられる。このように,権力関係が権力者一服 従者という非対象な関係になるのは,双方が背景にしている妥当域の構造の差 ω) 違に対応しているからである。 以上のような関係を宗教における教団と信者という関係で捉えてみると,以 下のような構図にまとめられる。これはすなわち,代官と農民との関係を教祖, 預言者,グルと信者との関係に置き換えることである。また,ここでは,一方 の教祖,預言者,グノレの妥当域が神ということとなり,信者の妥当域がその家 族や親類ということとなる。なお,ここでの権力関係は,代官と農民のそれが 税に依拠しているのに対し,例えば寄進に依拠していると考えられる(図-3)。 ここにおける権力構造の特徴は,代官の妥当域が実際に目に見える存在であ る王であるのに対し,教祖の妥当域が実際には存在していない抽象的な存在で ある神であることである。したがって,神とその代理人たる教祖,預言者,グ ノレの関係が後者の恋意性によっていかようにもなるため,これは擬似的な妥当 域の創造による権力のレパレッジ装置であると考えられる。多くの権力が欲し ければ,目に見えない神の存在を大きくしていけばよい。また,権力関係が依 拠しているのは寄進であり,これらは法によって規定されるものではなく,信 者の信仰によってまたは形式的には教義によって規定される。-50ー 一妥当域一 神の力を 背景として 権力を奮う 香川大学経済論叢 図- 3 教団と信者における権力の妥当域 〈権力関係〉
(
3
)
従属の論理と権力関係 一妥当域一 信者を 家族や友人が 尊敬する 892 さて,ここでは視点を変え信者を基軸とした預言者やグルに対する権力関係 について考えてみる。前項で述べた権力関係が支配の論理に依拠したもので あったのに対し,ここで述べる権力関係は従属の論理に依拠したものである。 したがって,前者がウェーパーのパワー論を支配者サイドから捉えた見方で あったが,ここにおいてはそれを従属者サイドから捉えた見方であると考えて よい。すなわち,橋爪によれば権力を服従者の視点から捉えるならば以下のよ ω) うな4
点に要約できる。 第1は,服従者には少なくとも 2つの行為の選択肢が与えられていることで ある。それは,もしも1
つしか行為の可能性がなければ,そこには権力の働く 余地がないからである。 第2
は,服従者は自由意思を備えていて,自発的に権力に服従することであ る。すなわち,権力への服従は自由意思による選択の結果である。 第3は,服従者は自分の選考を持っていて,ある選択肢に比べて別の選択肢 を好ましいと思うことである。それは,どんな選択肢も無差別であれば,そこ には権力が働いていたといえないからである。 第4は,現実はこうだけれどもああでもありえたはずだと,もう lつの現実 と比較する反実仮想が存在することである。それは,服従者が想像力を働かせ893 結合と教祖の人材論 -51ー なければ権力が成立しないからである。 ここで大切な観点は,実は権力と自由とは相互に相補的な概念であるという ことである。このことは,自由が発見されればされるほど権力が見出されるこ とを意味している。それは,権力が自由を妨げて抑圧することで自らの存在を 。 暗 示していくからである。 そこで,権力の行使者と権力への服従者の聞で必要となる概念が了解という こととなる。ここでも,橋爪に依拠しながら彼のいう了解の円環について考察 を加えてみる。この了解とは,他者についてのありありした像を構成するが, しかし他者の行為選択や了解のあり方についての像を含んでいる。したがって, 了解は以下のような二律背反を内包することとなっている。すなわち,一方で は了解は十分に正確で他者の了解を含む外界のあり方を写しとっている。また, 他方では了解は十分に独自で、他者の了解が届かないほど自己の内部に深く向 俗) かっている。 これは例えば,私は,自分は
A
さんのことなら何でも知っていると信じてい る一方で,A
さんには自分の本当の姿などわかるはずがないと信じることであ る。このように,元来二律背反している了解は矛盾しているものだが,これを 両立させるのが実は了解なのである。このような特質を持った人々の了解はま さに相互を繰り込みつつ安定した状態を保っている。これはすなわち,実際に は人々の了解している内容が異なるのに,それは問題にならず修正する必要の (26) ない予定調和の関係にあることである(図-4)。 このことが了解の円環なのであるが,これには以下のような特徴を見出すこ とができる。 第1
に,円環はあらゆる人々の了解によって構成されているため,誰かの了 解が突然変動したからといって,それに驚かされないという意味で安定的なの である。 第2
に,了解の円環は人々が社会について知りうることの極大の内容を含ん でいる。すなわち,了解の円環は社会を有意義なものとして成立させる背景に なっている。52 香川大学経済論叢 894 隠- 4 了解の円環構造 第3に,私の了解と他者の了解はどちらの了解の円環に内臓していると想定 ( 却 できるため,内容が異なっても同じ現実に対応するものとして接続されている。
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4
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支配の正当性の概念構成 このような伝統的ノTワー論で説明できる預言者やグルと信者の権力関係であ るが,その両者の結合の本質は寄進による浄化の関係であると考えられる。そ れは,教祖,預言者,グルは浄化を与えることで,その対価として信者から寄 進を受け取っている関係なのである。しかし,このような関係を支えているも のは,前述したように相互の了解に基づく相補的な存在としての認識である。 このような浄化と寄進の相互了解円環システムを確固たるものにするのは, このパワーシステムの持っている正統性すなわち支配の正統性なのである。そ こで,以下において中野敏男に依拠して権力と支配の概念構成について考察を 加えてみる。この段階において,パワー論はウェーパーやパーソンズを超えて 次第にノレーマンの世界へと突入していく。 この支配の正当性がいかなる根拠から可能となるのかについては,ハーパー マスとルーマンの論争がたいへん著名なものであることは周知のとおりであ る。これは,正当性の根拠が合意なのか手続きなのかという対立として人々に 受け取られてきた。しかし,支配とは普通権威を持った命令権力と定義される895 結合と教祖の人材論 似) ため 2つの思考上の外枠が無効化される可能性が出てきている。 -53 第1は,その作動を人格聞の命令一服従関係と考えてしまう枠であり,第2 は,そのコントロールを超越的な理念などに根拠づけなければならないという 枠であった。そうなると,権力を安定的に作動させるためには,まず保証とい う問題が関われてくる。この保証を確保する可能性も,権力が様相構成という ( 29) 時間軸に関わる作動をなすことから時間軸上には2つの方向に聞かれている。 第1は,行為選択連闘を整序する命令権力の実績あるいは実力が示されるこ とで,関与者たちに指示内容に関わらず権力の制御にしたがうという一般的な 動機が形成される方向である。すなわち,命令権力の物理的,経済的,文化的, 知的な実力が実績を持って顕示され,関与者たちは各自の個別的な自己利害に 反する場合でも,権力が好ましくないと指定する選択肢が全体的に見れば自ら にとっても好ましくないものとして認め,これを回避する方向へと不断に動機 づけられる。 第2は,ネガティブなサンクションの発動の用意が実際になされて,権力が 好ましくないと指定する行為選択連関の可能性が,サンクションの受け手に とっては確かに好ましくないと指定する選択肢を選択する方向である。そして, たとえそれ自体としては自己利害にかなっていても,サンクションの発動によ
。
。
り受け手にとってももっと好ましくない結果を招くと予期される。 したがって,第1の保証がそれまでの実績の認知に基づくのに対して,第2 の保証はサンクションの発動への予期に基づいていて,この2つは時間軸上に 沿って作動する権力の特性に深く結びついている。このような仕組みにおいて, それ自体としては権力を持たない預言者やグルが,あたかも権力者の実力を根 拠に,あるいは権力者が準備するサンクションを根拠に,作動するかのように (泣) みえる。 さて,権力の妥当域が,関与者たちの自己利害より優越するという主張をな し,この主張が関与者たちに承認されることで権力の作動が保証されるように なる時,ここには権力の権威という問題が登場し支配の圏域が聞かれる。この 時,権力の権威が関与者の利害に優先するという認識に支えられて,彼らの行-54ー 香川大学経済論叢 (認) 為選択に対して有意味な影響を与えている。 896 だからこそ,この権威の存立には承認が必要となり,その承認を調達しうる ような正統化が求められている。すなわち,権威を持った命令権力としての支 配の正統性とは,まずはそれの権威が関与者各人の自己利益に優越するという ことへの承認を求める主張として立ち現れる。このような論理において,教団 に代表される寄進と浄化のパワー関係として説明できる組織における支配の正 当性を理解することができる。 2..4 超常的パワーのビジネスモデル ここまでで,超常的ノfワーが宗教組織の組織運営において大切な要素である ことを理解できたはずである。しかし,このような超常的パワーは宗教組織の みならず,多くの経済的組織においてもきわめて重要な役割を担っている。そ こで,ここにおいて,宗教組織から経済的組織までトータルに腕んだ、超常的パ ワー行使の実体と効用についてレヴューを行ってみる。 具体的には,成功事例としては稲盛和夫の率いる「京セラJ,組織的対応によっ て発展する「ヤマギシ会J,細々であるが時代の流れに適応しながら生き伸びて いる「生駒の講」を,また失敗事例といわざるをえない武者小路の提唱した「新 しき村」を取り上げ,超常的ノTワーとは一体何なのだろうかについて言及する。 ここでは,まずいわゆる教祖,予言者,グノレに代表される組織的指導者であ り,組織自体のシンボルになっている存在の資質やパワーについて考察を深め ている。そして,これとの関連において,組織的指導者の組織運営の方法論に ついて前述した了解の円環を踏まえながら多面的な言及を行っている。 なお,京セラにおいては創業者自身が未だ存命であるため,実質彼自身が及 ぼす役割は神と同等のパワーを持った代理人であると理解できる。しかし,あ との3事例については神にあたる創業者は既に存在していないため,まさに神 の代理人がその妥当領域として神の威光をいかに活用するかという課題が生じ ている。
897 結合と教祖の人材論 -55-(1) 稲盛和夫と「京セラ」の経営 さて,第
1
のビジネスモデソレとしては京セラがあげられるが,今日の京セラ における経営の成功については,ベンチャーに相応しいアメーパ型組織運営と 宗教的啓蒙を行う稲盛和夫の存在に,その最大の特徴が見出せる。そこで,こ の京セラの事業創造に卓越したエクスパティーズを持ったビジネスモデルにつ いて,特に超常的パワーの観点から構造的に分析を行うこととする。 そこで,まず、創業者である稲盛が推し進めてきたアメーパ型組織運営につい て考えてみる。これは,ある種の労務管理志向の組織運営であるが,宗教的な 匂いを強めることで管理を感じさせない,まさに従業員に主体的な行動として 企業経営にポジティフ、に,かつ一身を賭けてコミットさせる究極のパワー発揮 のメカニズムになっている。したがってこのような組織はどのように運営され, そして従業員はどのように利用されているのかについて考察を加えてみる(図-5
。) 図-5 京セラ(アメーバ型組織)ビジネスモデル事
通常時 の細胞 [約10名]意
区霊室調 利他思想とパyションの ビジネスモデル このアメーパ型組織運営は,表面的には組織を細胞のように細かく分けるこ とにより,社員一人ひとりが経営者的な感覚を持って仕事ができることを狙っ た仕組みである。具体的には,職場を生産する品種や工程によって10人前後の-56ー 香川大学経済論叢 898 小集団に細分化して,部門別採算制度を徹底する仕組みが運用されている。こ の各集団においては,いわゆる定まった形の組織は存在しておらず伸縮自在に なっている。すなわち,仕事の量が増えれば膨らみ,減れば縮んで,相互して 他の集団に手伝いに回るのである。 国友隆ーによれば,このアメーパ型組織運営はある種のパッション志向の利 益創出装置として考えられる。これは,すなわち従業員に決して目標達成を諦 めることを許さない仕組みとして作動している。それは,どんなことでも燃え るようなパッションを持って事にあたれば不可能を可能に変える,という教え に基づいた労務管理である。こうして,京セラにおいては,いわば凡人から非
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凡な力を引き出そうという仕組みが確立している。 この仕組みを支えている最も重要な要素は個人の熱意であれこれを稲盛の 提示した目標に向かつてすべてを賭けて捧げる仕組みであると考えられる。も ちろん,従業員が,これに対して自ら主体的に行えるよう洗脳されていること が,効果を現出する条件になっている。そのため,社員の稲盛への全面的な寄 進を行うためには両者の聞で了解の円環を確立することが多様に追求されてい 邸) る。 これがいわゆる稲盛の説く利他思想であり,これこそがまさに人間の後天的 な努力のみを評価し,そのためにも稲盛の与えた厳しい目標にコミットするこ とが自らの能力開発につながり,ひいては従業員やその家族の幸福を現出する というロジックなのである。これは,まず利他があって結果として自己に対し て利益が還元されるという考え方である。これは言い換えれば,精神的な価値 や道徳的な価値に経済的な価値を置き換えることでグルと従業員との聞に完全 な了解を実現するための仕組みである。 このように京セラの成功は,まさに稲盛あるいは稲盛が保有する京セラとい う企業に対する信仰心を植え付け,これをいわばエンジンとした個人の能力を 完全に,かつ搾取的に振り向けさせることに成功している。そして,これを可 能にしているのが,稲盛の存在と従業員の信仰心をグルへの寄進に転換させる 仕組みの確立である。すなわち,京セラという企業においては,前述した支配899 結合と教祖の人材論 -57-の正統性の論理が相互了解の円環システムとして効果的な形で確立している。
(
2
)
山岸巴代蔵と「ヤマギシ会」の経営 第2のビジネスモデルは,山岸巳代蔵が創設したヤマギシ会の組織的運営や 個人の組織への参加形態などをモデル化したものである。もちろん,ヤマギシ 会サイドは,自身のことを宗教団体でも企業体でもないと主張しているが,し かし,このヤマギ、シ会は宗教的ビジネスモデルという視点、から捉えると多くの 学ぶべき点が見出される。また,集団農場という一種の農業ユートピアである ヤマギシ会の背景には,この山岸の唱える農業哲学が色濃く影響を与えている。 さて,山岸が資本主義の根本原理である個人の所有という概念を全く否定し て,あたかも原始的共同体のようにみえる農業ユートピアを構築したのが当時 の「山岸会」の誕生であった。これは,まさに全人の幸福を謡っていることか らも理解できるように,ある種のコミューン運動の1
形態であると考えられる。 そして,山岸がこの運動のいわば教祖や予言者として今でも生きていると考え 自 由 ても差し支えない。 これは,すなわちヤマギシにおいては山岸の農業哲学がすべての組織的活動 や組織の成員の行動を規定する法として今も営々と引き継がれている。した がって,今もなおヤマギシ会においては山岸が理想としたニワトリ社会的集団 形成の論理が貫徹されている。したがって,著者はヤマギシ会をニワトリ社会 型ビジネスモデルであると呼び,これに対していわばエコロジ」社会に相応し (訂) いある種の組織像を見出している(図-6
)
。 さて,三重県の津市には世界ユートピアを目指す芭大集団ヤマギシ会の総本 山があり,これがかのヤマギシズム社会実顕地と呼ばれている指令塔であり, そして圏内最大の集団農場となっている。なお,この実顕地という名称には実 はヤマギシ会の理念を実際に営む実践の場という意味が込められている。ここ には,大人や子供を合わせて約1
,6
0
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名の人々が入村しており,周辺用地や山 林を含めて6
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ヘクタールにも及ぶ広大な敷地において循環農法が展開されて いる。そして,これらの循環農法で生産されるヤマギシ会全体の農作物や加工58ー 香川大学経済論叢ー 図-6 ヤマギシに見られるビジネスモデル 原始共同体 としての ヤマギン [ユートピア]
i
900 食品は,何と全国5万人の会員を通じて全国に販売されていることは周知のと おりである。 なお,このヤマギシ会の全体像については以下のような 4つの機関の集合体 であると考えられる。第lが総本山たるモデル社会建設のためのヤマギシズム 社会実顕地,第2
が社会科,人間科,産業経済科からなるヤマギシズム世界実 顕試験場,第3がヤマギシズムの教育啓蒙のためのヤマギシズム研鎖学校,第4
がヤマギシズム普及拡大のための幸福会ヤマギシ会,という4
つがあたかも 円のように結ばれ,そのためピラミッド型の階層は設けられていないことに特 徴がある。また,このヤマギシ会の4
組織に所属する人々はヤマギシズム生活 日 目 調整機関によって完全に生活が保証されている。 このヤマギシ会においては,参画を希望する者は有形無形を問わずその人の 持つあらゆる物の寄進が要求され,そのための契約書を締結することが前提条 件になっている。また,一旦参画したら一生村で生活するのが原則であり,万 が一脱会する場合でも始から寄進した財産の返却を求めない取り決めが行われ901 結合と教祖の人材論 -59-ている。実際に,自社を丸ごとを会に寄進してしまう経営者も多く見受けられ るし,また労働の報酬としての対価は農業組合法人に還流する仕組みも構築さ れている。このことはまことに驚くべきことだが,ここにおいては人件費がほ
ω
とんど必要とされない農業経営が営まれていることを意味している。 このことは,実はヤマギシ会が人間の内面を支配することで完全なる帰依を 獲得している集団であることを示している。これこそが,多くの産業界の人々 が住目することであり,すでに前述した京セラを始め多くの企業が,このよう なヤマギシ会にみられるような宗教的な色彩の強い組織化や, これを支持する 多様な儀式を採用した経営に挑戦している。さて,このヤマギシ会のシステム はある意味では社会の内部に組織と個人の利害の一致関係を人工的に作り出す 方法である。そして,その最大の狙いは少数の優れた人間の能力を巧みに活か す方法でなく,むしろ多数の平均的な人聞にとって有利な体制を確立すること 臼n
である。 (3) 毘沙門天信仰と「生駒の講」の経営 第3のビジネスモデルとして述べるのは奉仕の仕組みとしての講についてで あり,特に生駒の事例を捉えながら企業経営への適用を考えてみる。これは, 村田充八によれば宗教の変化と宗教の私化ということから説明が可能である。 このことは,宗教行動の教団という存在拘束的なものから宗教者自身の私の宗 教として捉え直す時代の到来を意味している。このように時代において,生駒 の講が行っている対応方法について分析を行うことで,講の意味と方向性につ いての展望を紹介する。 宗教の私化が進展することは,確かに講のような組織化を行うことで自社と 信者を結ぶ関係が意味を持たないことを示している。そうなると,伝統的な講 集団としての講の役割は不必要になったとも考えられる。そして,このような 状況下において,講は講自体の存亡を賭けて時代の変化への対応を果敢に行っ ている。そして,例えば講の楽しみの場への転換などが,その代表的な傾向で あると考えられる。-60ー 香川大学経済論叢 902 しかし,著者が注目するのは,このような講の時代への対応ではなく,伝統 的な講が持っていた組織的特徴の中における奉仕活動の場としての講の役割で ある。なお,著者においては,この仕組みを解明しビジネスモデルに適用する ことはきわめて効果的であると考えている。このような観点から,村田が紹介 する真言宗瀧谷不動明王寺の講に見られる奉仕の仕組みゃ生駒山宝山寺の講に 見られる楽しみや癒しの講についての紹介を行ってみる(図一7)。 図-7 毘沙門天に見られるビジネスモデル ~一一一ー一ー一一一一-ー『一一、、、、、
一
〉
出
唾盃)
1 1 1 4 織 ロ H O 棉 刊 諮 問問自目悶悶品 w v 的 -t w , ィ t 現 F a t ' 宗教的な活動から 経済的活動への転換唖豆⑮
前者の瀧谷不動明王寺は生駒山系の南端に位置する真言宗の寺であり,歴史 的には特に眼病に苦しむ民衆がすがったことで著名な寺である。現在ではほと んど消滅しているが,ここに組織化されていた講は最盛期には7
5
にものぼって いたらしい。また,時代の流れとともに寺自体と講の結びつきも次第に脆弱な ものに変化してきた。このような状況下,今でも活発に活動が行われている講 として,例えば瀧峯大護摩講をあげることができる。 さて,この瀧峯大護摩講においては,実は伝統的な講参りを主な目的とした 一般の講社とは役割が異なっている。これは,平たくいえば宗教的な色彩の強 いボランティアを推進する組識であると考えられる。この講においては事務所 が寺内におかれているのだが,このことが実は宗教的色彩を打ち出したボラン ティア組織にとっては大切な条件になっている。なお,この講においては瀧谷903 結合と教祖の人材論 -61ー 不動明王寺山主を道場主と仰いでおり,また明王寺信徒内の修験者及び大峯修 験者を議員として構成されている。そして,この講においては瀧谷不動明王の 多様な行事法要に参加しながら,毎月行われるお瀧行場の大護摩供には,その 例 代表者が奉仕活動を行っている。 後者の生駒山宝山の講については,今でも前者のような奉仕の講をはじめ多 くの講が活発に機能している。その中において,特に住目すべきは福寿会とい う講である。ここにおいては,楽しみの講として宗教的なモチーフを超えた, いわば楽しみのモチーフから霊場回りを行うなどの企画を通じた癒しの講が成 立している。ここにおいても規模は小さいとはいえ,パワ}関係について宗教 組織に典型的に見出される形態において運用が行われていることが読み取れ る。すなわち,この生駒山宝山の講においては,実は一方で管長の松本実道山 王を戴きながら,他方で熱心な 2人の講元による求心力が働くような組織運営
ω
が的確に行われている。 このように,宗教的な活動を経済的な領域は社会的な領域に活動を広げるに あたっては,神や仏というシンボノレや寺や社という宗教的な場に求心力を持た せることがきわめて大切な条件である。すなわち,宗教を背景にすることで, 多くのボランティアな知が結集できるし,これを経済活動の仕組みに応用して いけば,きわめて強固なビジネスモデルが確立できる。これが,すなわちきわ めて低いコストと強いロイヤノレティで支えられた組織による,いわば信仰から 実現される経済的果実の刈り取りが可能となる仕組みなのである。 (4) 武者小路実篤と「新しき村」の経営 それでは続いて,今はなき我が国における農村コミューン運動の草分け的存 在であった武者小路が展開した新しき村について考察を深めてみる。なお,こ れについては前述したヤマギ、シ会の成功と比較すると運動自体や組織運営面に おいて限界があったことがよく理解できる。その失敗は,組織自体が未熟であっ たことや時代が未だ成熟していなかったことに,その最大の理由があったと思 われる。-62- 香川大学経済論叢 904 しかし,それでもこのような農村コミューンにおいては,いわば見ず知らず の多くの人聞があたかも 1つの家族のような生活を行うわけだから,それなり の求心力を働かせる機能が用意されてはいた。そこで,ここにおいては新しき 村が見せた可能性と限界についてパワー論から考察を行ってみる。しかし,こ こにおいては組織における権力関係の確立というパワーに対する認識の欠落が あることが理解できる。 さて,この新しき村の失敗は実はコミューン全体の課題でもある。そして, その失敗の最大の原因は,まさに新しき村が理想社会を追求するあまり,例え ば株式会社のような営利団体化することもできず,そのため堕落することなく 組織を維持するガパナンスを確立しえなかったことに見出すことができる。す なわち,これは新しき村がまさに組織として活動できる仕組みを確立しえな かったことを意味している。 さて,この新しき村が展開された大正期の知識青年については求道性が強い ことに,その特徴が見出せる。そして,その彼らが惹かれていったのが白樺派 の文人であり,特に彼らに対する武者小路実篤からの影響は多大なものであっ た。すなわち,武者小路は新しき村においてスポンサーであり,グ1レ的存在と して大きな役割を担っていた。実際に,この時代の多くの社会主義的ユートピ ア運動において,一応それなりの組織的形態を整えられたのは新しき村だけで であった(図
-8
。) この新しき村については,多くの知識青年にとって古い世界から離脱して, 新しい世界での復活を夢見ることが可能な聖なる地であった。言い換えれば, 新しき村は聖なる村であって,多くの若者から知的で文化的活動の実践の場と して期待されていた。だからこそ,まさに文人がグJレとして崇め立てられてい たわけである。しかし,このことが逆に組織自体の脆弱さを明白に物語ってい たと考えることもできる。 それは,新しき村においては,観念的ユートピアを実現するための場や仕組 みが,その観念としてのユートピアとまったくかけ離れた存在として立ち現れ たことに,その失敗の本質を見出せるからである。これは言い換えれば,食う905 結合と教祖の人材論 図-8 新しき村にみられるビジネスモデル ~~〆♂ ./ 知的若者