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國策として見たる我が滿洲農業移民(一)-香川大学学術情報リポジトリ

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(1)

観発てして見上る我が清洲農業移民︵一︶

松 崎 賓 次

説 第山 岸 革こ 鴻洲農業移良の必要性 劇 団防上の必要 二 内地人口問題、農村問題解凍上の必要 二仙 経済的利金の永久確保上の必要 粗 目本文化普及上の必要 五 蒲洲閲の塵染開敬上の必要 六 浦洲囲の治安維持上の必要 璽二 満洲農染移民の可能性 A 洒洲農染移民成功の見込なしとする説亜に之に劃する卑見 一蒲洲事攣以前忙於ける移民の結果を見て其の後忙於ける藩洲私民も失敗に蹄すべしとする誠 二 先住民との関係より見て失政すべしとなす説 一三 日蒲農準の相違より見て成功の見込なしとする説 国衆とLて見たる我が浦洲農染移民 ︵≡劇︶ ≡一

(2)

満洲に於ける我が莞移淫後に越ペる械に可成亨から行はれて居り、小村詩太郎侯、望慧郎伯、後藤

翠伯等の先君炭に其の必撃を認めて2か督行男警るのみ冒す、計警樹立し妄の貰に努せら

れたので㊦るが、常時未完が問に於→は人口・琴轡酢呑・閥防共の他に於て此鱒方へ多畳の移民を迭富ねばな

らぬ事情に迫られて居蒜では禁つた。従って政府でも移民に到し蒜誉欠き、根本的旦調香研究写ること

貴く又穏健的に之が計警樹てることも苧・其の助成にも進んでカを致すに至ら慕ったのである。他空

般国民の砂岩も冷かであり、識者も少く輿論もたいして興って驚かった。特窟洲に射する智詠む少なく我

が実質地としで浦洲が有望であるといふことさへ知られてゐ、慕ったのであ1る。それ故に朝鮮や内地から多

少の移民は出たけれ富、粟として移皆大賢瀾洲に移すといふ械きとは亨、青ばゞ自然の必要に迫ら

第−序

発十三巻 第 叫 班 丑 清洲鹿染移民可能論の論墟 岬 鵜洲固の免償風土 二 段共通地の魔笛 ≡ 地味の北欧 四 我が政府の保護 五 生滑裡度向上の可能 詮 ︵未完︶ ○ニ二︶ ≡二

(3)

れて三々五々自力更生の意埠で移住したに過ぎす、その成蹟も概しで思はしくなかつたのである。然るに浦洲事 婁は我が瀦洲移民問題に封する新しく且つ恕力なる刺俄を朝野に輿へたが、丁度其の時分には既に日本の団円的 並に固際的事情が往年とは着るしく欒化し、次に述ぶるが如き種々なる理由に依り大瀧盤黄移民を必要とする状 態にあつたから、政府も闘策的見地から積極的に之が計露を櫨寵し、着々其の饗現に努むる様になり、山般民衆 も亦滞洲事情にも追々通する橡になり、進んで浦洲に移住して自己の薦め、子孫の焉め婿叉我が帝固の焉めに諸 問題の解決を園り、出でゝ大いに働き庇いとの希望を有するものが激増して架たので、移民熱が頓に高まつて釆 た鐸である。 然らば現時何故満洲に大鹿盈柴移民を造る必要があるか。次に其の埋申の重なるも′のに就いて考察する。 第 こ 満洲農薬移民の必要性 一 近代固家の成立以来各閣はそれ∴ぐlの立場に於て政治・薦琴粧轡財政ふ想・文化等の竣展向上と、囲家の猫立 の薦めに政府はむとより仙般民衆も大いに力軒注いで米た。之等の内容が充賛し向上磯展する夙に図民の稿址が 求められるからでみる。然るに共後閑際関係が巣密複雑となり、〓削に於ては之が薦めに各掛の受ける利益も加 はつて釆たが、又他面に於ては利寄の衝突も起り易くなり、篤めに鳳倒甘圃際問題や園内問題が起る様になつたの 囲健として見たる我が捕洲農染移民 ︵三ざ︶ 軍費

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発サニ呑、発︼班

︵三四︶ 三四 であつて、駅洲に於ても東洋に於ても現に此糀の闊際的難問が起ってゐる事は読者諾璧の知らる∼通りでみる。 而して此の麓の難問題が常事組の聞に園満なる解決が見られざる慧nには、途に武力に訴へても自国を有利に導 かんとするに至る事情は少くない、か∼る場合に因防が発寒して属なければ、忽ちにして相手固に征服され支配下

に皆かれてしまふ。斯くては如何に政治・産琴経轡財政・思琴文化が賛展してゐても、国威豊島レ稗ざるは

勿論、囲家の意志、図屈の活動にさへ剃肘を加へられ、時としては切角磯達した放吟産琴経申財政・思想・文

化さへ破壊せらる∼恐れがある。か∼る常茸は歴史を細けば比例彼夙に尊兄ゼらる∼のである。被征服者として

の凶民の苦痛不幸は言ふを待たぎる朗である。それ故に如何なる観でも猫立的地位を確保せんが馬めには、前記

政治・盛挙経轡財政・思想壷化の猫立を観ると共に平時より国防を強化し如何なる外敵の攻撃に逢っても、断

乎として之を耕饗する資力を蕃って逝かねばならぬのである。斯く鵜じ来れは浦洲園は我が問防・経済ふ想・各

方耐に雪ての生命線である丈に、此の地を永久に安泰に置き我が勢力の下に居いて之を指導する事は軍に我が

固にとつて必野な計りでなく滴洲関白閻の馬めにも必要誉事であつて、其の鷺が讐て始めて胃癌芯︵霊ハ柴が

可能と誉のであるから、我が国としては此の鮎に重鮎を鹿いた闘策を樹立しなければならぬと考へ名。特に近

年に於けるが如く鉾囲などから我が開襟と根本的に相容れざる共産主義恩想を移さんとする運動が盛に行はれつ

、あるのみならや、何時千曳を交へなければならぬかと思はれ、る梯な難問題が開園間に横はつてゐる際であるか

ら、仙暦日浦の薗防については注意を排ひ其の完備を期せねばじらぬのである。

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顧みるに満洲図は成立後8蘭ほ濁しと雌も、我が国の協力校助によつて急足なる恐展を途げつゝある。然しなが ら満洲観は裁常分の問は自国のカ丈では督底薗防を完備するととは不可能である。我が帝国が浦洲閲の成東を援 助したのは劇つは満洲幽の薦めであると同時に、二つには我が帝関白身の蔑めでもあるのであるかふ、口端雨固 の国防も亦我が国が飴程迄負槍ねば掠らぬのである。この鮎に閲しでは昭和七年九月十五日に調印された日滴議 定沓にも﹁日本聞及び滴洲闘は締約囲の一方の領土及治安に封する一切の脅威は同時に締約問の他方の安寧及び 存立に封する脅威たるを確認し爾観共同して閑寂の防衛に常るべきことを約す。之が蔑め所要の日本軍は満洲閣 内に駐屯するものとす。﹂と記されてゐるのであつて、我が国防の負措は決しで仙時的のものとは考へられない。 恐らく将釆相常長い年月に亙ってその囲防を引受けねばならぬであらうから之が馬めに焦する人的、物的の犠牲 も可成大なるものがぁることを覚悟して居らねばならぬ。寄欒後今日に至る迄溝洲固聾備の薦めに右議定書の主 旨に従って内地から軍隊を減退し、通常なる時期に之を内地の他の部隊と交替せし空し居るのであるが、かゝる 交替制度には幾多の不便不利が件ふが故に、之を除去せんがためには常駐制度を採用するに如くものはない。而 して常時は於てはかゝる不利を忍ぶとするも、軍容に際しては浦洲囲内の治安維持の馬めのみならす、外敵に封 しては浦洲園自照のためにも、相常多数の軍隊を浦洲国内産仕の日本人から求め得られる様に準備して暫くこと が必要である。それには同観に数百薦乃至千数百嵩の邦人を移住せしめて起きその中から必要なる兵士を何時で も徴召し縛る状態に塾僻して遣くことが肝夢である。特に島民を大魚に同園に法っておくことが必要である。何 園篤として見たる我が繍洲鹿共移民 ︵㍉畢︶ ニ青 邁

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弟十二仙巻 第一蚊 ︵ニニハ︶−三ハ となれば農民が自らの土地や家屋を所有して土着し、農糾に綻するに於て其の土地を愛護し第二の故癒着廃守せ ′んとするの念が最も払いからである。かゝる愛土心にもゆる多数農民が定位することば、軍にそれ等の中から多 数の張兵を供給し得る計りでなく、兵士以外の農民の固防上に於ける甥解や援助も亦充分に期待し得らるると侵 する。斯かる意味に於て犬蕊の農薬移民を減刑に造るといふことは常に経済的敢命的牌叉文化的意義以外に菰野 性を持つのであつて、この大食虔柴移民の昏現に依わて浦洲閣の図防が強化されると同時に我が帝固の囲防も亦 遺憾なきを期せられるのである。かくて初めて政清・産琴鮭嘩財政・思想・文化の向上敬展が期待せられ且つ維 持せられるのであつて、鼓に清洲感紺の理想を嘗現し瓦族協和の寛を容げ日清二間不可分共存其奥の精華恕版む ることが出来るのである。 二 内地の人口問題・農村問題解決の必要 国防の強化を阿り、産琴経済の漁連を明し、文化の向上普及を望む上に人口が多く且つ其の増加率が大である といふことは苫ぷペきことではあるけれとも、しかしながら人口と食塩とが不調和を来たし、把臍的贋迫を受け 今様な状態となることがあれば、それは由々しき垂ふべきことである。即ちあらゆる生満都衝に鹿て人間生洒が 充賢し敬展し得る程度に於て人口の増加は結構であるが、それ以上の人口即ち人口過剰となるに及心ば之が打開 策を梯じなければならぬ。我が固は面積に此して人口多く且つ増加率犬なるを以て有名な閲であるり即ち日本の 組耐碩は六七五、三八東・二七平方粁であつて内地のをれは三八二、先週五・四二平方粁であるが其の詳細を示せば

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次の如くである。 我 が 国 の 両 横 ︵阻億平井粁︶ 観寵として見たる我が滅洲農米移民 内 本 四 九 北 琉 佐 淡 小 変 封 島 岐 原 岐 路 洩 球 道 州 六七五、lニ八五・二七 ニス二、五四五・四七 こ三〇、五ニニ二。三こ 一入、七七二〇八〓 四二、〇七八・九九 八八、七七五。〇四 二三脚八六。二四 八五七〇二四 五九二〇九〓 ∵川∵八●○ニー 血○こ・九四 二二八。九六 七〇二・九四 千 分 比 例 一、00〇・〇〇 五六六●四〇 こ四一●三三 こ七〇入〇 六二。三〇 t iニ;四四 ニ首鼠三 ;二七 〇●八八 〇。五〓 ○ェ五 〇〇ニー ︼●〇四 ︵三七︶ ニ仙七

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備考 本表は内閣統計局編纂 弟五十四囲日本帝聞流計年鑑に伐る。 然るに人口は昭和十年十月盲に於ける固勢調査の結兼に依れば、級数九七、六九川・六二八にして内地人口は 六九、二五﹂・二六五の多数に上って屏る。 共の詳細は次表の如くである。 日 本 の 人 口 及 其 密 度 策 第 耽 済 南 閻 樺 滋 養 朝 蛾 港 阿 東 湖 千 地 洋 洲 太 島 地 鮮 島 ︼○、こ〓ニ。七七 こ二C、七七大〇〇〇 ≡五、八四六●六九 二二ハ・八六 =〓ハ、〇九〇。ニ血〇 一ニ.由六二・四五 二、血四九・〇〇 二八四・ニー ︵≡八︶ニ仙八 ︼五・〓仙 ニ〓二ハ・八九 五二号〇八 〇。山九 五二言四囲

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備考泰表は第五十四回日本帝圃統計年鑑忙伐る。

右表に俵ケで知らる∼が如くに全図平均人口密度は=甲禿であつて、之を内地のみに放て見れば琴に;二の 多きに達してゐるのである。か∼る大なる鮮度を有する固は≠界に於て英音利ふ蘭・白耳寧日牙利等少散開に

過ぎ氾のである。かくの如く我が国の人口は紙料数に於→も、其や密度七於ても多い計りでなく、年々の人口増

加革も亦高いのであつ▲T、荻年は毎年九十馬力至腎虚宛増加してゐるのであるが昭和時代に入つでからの増加の

昏状を示せば次の如くである。

毎年人口増加変数及其の率

国篤として見たる鹿が洒洲農乗移民 南洋重任統嘉霞城 閲、東洲及満城附属地 圃 帝 .  ̄ ̄ ̄‘■■、 樺 室 朝 内 太、轡 鮮 地 六九、二五﹁二六五 叫二﹁入九八、六九重 五、二劇こ、七劃九 三三一、九四九 〟、六五六、七六三 岬〇二、二≡八 千人.に付将加率 一六・五入 ︵≡九︶ 三九 脚八− −〇四 則四五 九 四囲二 四八

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備考 本表は同上年鑑に伐る。

右の卯う人口組数並に増加率から推測すれば我が閣の人口がこ隠に接するのは多年を要せぬであらう。かゝる

多数の人口を我が国土内丈で充分に拳ひ得るか。否単に国民が苧ブじて生活して行け、るといふ丈では樹家の賛展

は椚何が出来ぬ。どうしても国民各自がそれぐの地位にあつて充分に活動し生清の内容を寵管し向上し畿展し

て行かなければならない。最近数年問に我が閲の工柴や圃際商業は飛躇的に伸びて釆た。而して商工発の敬展は

農薬のそれに比しで確に多鼓の人口を賽ひ得るものである。

我が閲の人口が右述べたるが如く年々多数の増加を持しにに不拘、而も幾多の郷関越が械たはつてゎたに不拘

今R∵まで躍進に躍進を重ね固威・貨礎揚し得たのほ商工柴畿展に負ふ朗が極禦L大であると言はねば誓っぬ。しか 弟r ■ 発 眈 九 八 七 六 五 四 ≡.= 年 年 年年 年 年 年 年 九二二、五七五 九人五、〇二二五 九〇二、六六二酬 二〇〇〇、七入四 九四五、ニ克四 て○〓八、l二八 ﹁○〓ハ、〇五四 九〇〇、六二五 ︵四〇︶ 四〇 叫四〇七七 劇五。≡九 二二・八七 山五・山九 一四・〓ニ 則茄・こハ 山四・七五 仰四・≡二

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しながら我が圃特殊の事情から見て、図民がすべて商工業に従志してしまふ諸にはゆかないゥ閥民の相雷大なる

部分は農業に従事しなければならぬ。然るに最近に於ける内地の農家は戸数にして約言六十萬であるが余所作

面積が狭い、のに反して農家が多い関係上各戸の誹作面積が血般に狭く〇・許○ヘクタール未満を新作するものが

約育九十萬戸、C。九九ヘクタール未満を耕作する者も約首九十萬戸であつて、それ以上を耕作するものは全部

で約官七八十馬戸に過ぎぬ有様である◇昭和四年以釆八年迄の数字空祁せば次の如くである。

農家芦敬及耕作面積調 ハ内地︶

備考 本襲は同上年鑑忙伐る。

更に叉耕作地所有地を調べT見ると〇・五〇ヘクタール末端のものが二百五十罵声飴の多数に上り○。九九ヘク

タール未滴のものは其の年数以下である。而してそれ以上を有するものは更に漸減してゐるのである。其の詳細

.∵

. 、 国衆として見たる我が清洲騰幾移民 五、完ル、宅口 彗六≡、ハ8 一、聖人、t霊 ﹁○莞、四〇四 ﹁九讐、宍ハ 。九九ヘク〓 −ル未満す ﹁先九、会ニ 一、九ニハ、三宅 ﹁窒l雪董一 ﹁窒彗二完 ﹁九二鳥、六一ハ○ ∵・﹂∵”= 九 l、ニ云、ニき コ三ヤ讐七 三三六﹂天○ ﹁ニ竺、八窒 コ還七、聖堂 ≡ル﹂孟一 八へク函〇九六へ ル東浦す 三完、皇七 ≡カ、要義 ール未 ニ元、○巽 三〇、○犬 二元、空≡ ︵閉⊥︶ 四一 二元、竺ル ∴∴ナ=ニ﹁ 充、ニ貿 七︺、九〇一 空、空孟 宗、t空 宍、仝五

(12)

備考 本表は同上年鑑に依る。 右表に依りても知られる如くに、大部分の良民の所有耐積も狭く且つ鷺際耕作しっ∼ある面積も亦狭少である の一に反しで我が国の人口は激増の傾向を示しでゐるのであるから、最早や増加人口を農村に収容することが困難 になつて釆た。近年に於ける農村窮迫の叫大原因は農村人口過剰といふ事にある。勿論竃くから積み蚤ねられた多 額の負債も亦現在並に将来の賛展の障害となつでゐるし、良薬金融の不備、農業控螢の不合印、農産物問質組織の 不完全等郡・ペなる原因が鼻下合って農民を貧閃に隋入れてゐるのであるから、農村牽祭典に導かんが薦めには之 専の諸因を血掃せねばならぬけれとも、、農村人口の調和を聞るといふことが故も大切な事柄であると侶やるので 第十二仙巻 第 ︼ 餅 は次表に放て見ちれたい。 耕 地 所 有 者 戸 数 ︵内地︶ ︵四〓︶ 四二

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ある.之が薦めに沸洲に農柴移民を大螢に送致する必嬰が感ぜられるのである。尤も我が国粂鰐の人口問題を解 決するに滴洲移民丈を以てすることは不可能であるに違いないけれども、しかしながら浦洲移民が或る純度迄は 此の間風解決に貢献し得ることは何人も否定し得ないであらう。従って之によりで愚村疲弊を救済し得ることむ 亦受け容れらるべきであると考へる。特に従釆は農薬移民の敬展地として北米・︵ウイ・ブラジル・南汚等が蓼げ られてゐたけども、北米・ハワイは夙に其の門戸を鎖し、ブラジルぁ亦昭和九年コート寛が可決せられ移民制限 ∴甲嘗施せらるるに至つに。叉其他の地方も漸次他園民の移入を制限せんとする傾向聖不してボてゐるのであるか ら↓之等の方面には解凍特殊の事情の起らざる限り、我が大瀧農柴移民を移殖し得孟見込は薄いj言はなければな らぬ。只日文事欒が我が葡凶の方針通りに結末がつけば、北支には州営多数の農民を造ることは爪木る様になる であらうと期待されるけれども、今の所は番欒が進展革申であるから此の鮎に関しても確信することは担∼釆ぬ。 かく観じ来れば満洲園こそは現に我に開放された朗の劃大移民場所であると富はねばならぬ。特に我が沸洲頻発 梯民に封しては他地方のそれに比しで非常なる保護を受け利便が輿へられるのであるから、鹿めて有利であると 雷はねばならぬ。駁ふに溝洲囲は其の耐緒二、三〇三二嬰二平方粁もあつて我が帝薗全土の六七五、三八五平方 粁に餃ぶれば約二倍の供さがあり内地の両横三八二、先四東平方粁に封比すれば約三倍牛を有するに殉はうす、 其の人口は満濃人のみに放て見れば傑に≡千四市萬足らすであつて之に轟満外人を加へても三千青首閻飴に過ぎ ぬ状態であり、従って人口密度の如きは〓干方粁につき二十茶人の少き有様であるから、今後劇千筒や千五首萬 閉篤とtて見た阜我が浦洲偽薬移民 ︵四三︶ 四三

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位は充分邦人を容れ得るのである。而も後にも述べる如く満洲には未開畿の資源も多く農薬適地も多いのであつ て、満洲観は我が農英移民を迎へてゐる状態であるからこんなよい移民地は他にない位である。 以上述べ来った如く我が農業移民を相笛多数適洲閻に送り出すといふことが人口過剰に悩む農村人口間鰯の解 決の鵬助となヶ、ひいては困窮にあえぐ戯〃を救済する一導因となり、且っ藩洲閻の資源を開頚し、産尭を教学 せしめる結炎満洲囲の薦めに皇見献することが川東るのである。加之満洲園の産業・耗臍なとが恐達進歩すれば 之に附帯して商工発着其の他の満洲閥への進出も出郷、日鞠桐閥の政治・鮭困闘僻も益々緊密になるのは明かで ある。之等の諮斯から考察しても我が遊民を多敬同閣に迭致することが絶封に必要であると確信するのである。 三 経渾的利益の永久確保上の必要 一部の論者は﹁満洲蛸へ我が移民を迭るのは之に依って同園の資濾を囲敬し、慶薬を教展せしめることに依っ て我が経臍上0利益を得んとするのが主要眼目である。然るに大故の移民を移解する馬めには多額の困費を必婁 とする。恨令此の域牡哲忍ぶとしても、我が移民が兆して故地で成功するや否やが甚だ炭はしい。否寧ろ従来の経 験に徹すれば失敗の腹史を繰り返して居るのでぁるから、そんな不確蜜なことに多額の費用を浪費すべきではな い。そんな金があるなればまだ/\馬すべき葦はいくらでもある。そんな不碓鷺な啓発を問策として行ふことには 反射せざるを得ない。それよりも要は満洲観の庶幾ぉ姿連せし竺L昏々は利盛さへ得ればよい、のであるから、他 の方法を以て其の昌的を達成するがよい。而もこのことば決して不可能ではない。即ち従来満洲へは支那特に山 罪十三怨 弟 脚 鮪 ︵四四︶ 四四

(15)

東省や河北省から多数の移民が流込んで、居たのであつて、溝洲輯に於て彼等を迎へ保護するなれば五首萬や山千

萬の移民は左程年を重ねやして得られかであらう。さすれば我が端銭も満洲図の鋳造線局も多額の運賃収入が得

られるといふ利益がある。そして同園の治安がよく維持せらる∼に至れば多数の支那移民の努力と相伴って同図

の産業は着るしく畿展することは明である。斯くて人口も増し、産業も磯達すれば女から次へと新産柴も興って

くるから、自然購貿カが激増する。吾々日本人はか∼る機愈を捕へて或は投資をするとか或は日本品の市場とし て同園を利用すれば、前述の如き犠牲を梯はすして利益が縛らるゝではないかー﹂と説くのてあるが、か\る見解

は仙應尤もの様に思はれるけれども、決して吾人ぉ節得せしむる詮ではない。蚊柱論者の言ふが如くに満洲寄婁

前に於ける我が満洲移民は遺憾ながら成功しにとは富へぬ。しかしその失敗を見たのは後にも述べる様な種々の

原因か存するのであるから∴之等を除去し通常の方法を終るなれは決して成功せぬといふ筈はない。現に既に事

欒後に放ける数次の移民に依って之が賛辞されてゐるのであるから、以前の移民が失敗したから今後の移民も成

功が望めないなとの断定は下し縛るものではぢい。問題は兵るけれども竃寒から色々な敬明や改良をなした人々

が度々の失敗に屈せす、失敗が却つで新しき参考工夫を産出だし苦心惨脆恕に目的を達成し世人を驚かし、配合

め文化向上に貢献する朗のあつたことは、吾人の見聞する朗である。我が封鴻移民政策も過去の失敗がどれ程参

密になつ誉かわからないのである。﹁難緋汝を玉にす﹂とか﹁失敗は成功の母である﹂とかいふ格言は今日も倫

光彩を放ってゐると瓜ふのである。又多朗の団費を要するといふ鮎については決して之を否定することは出猟昔

国境として見たる我が輔洲農染移民 ︵四五︶ 四五

(16)

彙十三啓 発劇 柴

︵讐ハ︶ 四六

い。けれども之は決して浪費ではない。摺釆永久に亙って濃大なる経済上の利益を確保する焉めには、其の円安

を惜しんではならぬ。況んや経済上の利益の外に既に述べた如き国防上、人口問題・盈村問題解決上にも利益を

受ける計りでなく、後に並ぶるが如き拉々なる利益が縛らるゝに於てをやである。特に囲防上必要である以上は

仮令籠沸上不利であつても多額の観費を費さねばならぬことは言ふ迄もない箇である。更に又投資や苗場接待に

依って利益が得られるといふてとも全面的に否定する澤にはいかぬけれども、しかし之を以て滞米永久に利益が

得られると考へるのは換りである。只油人や支部人或は他打撃二乱入に依って餞達せしめられた産菜は何時之等

の阻民に伐つで衰超せしめられるかもわからない。或は政治上軍事上鼻の他の都合によりて日本人の投資が不利

になり市場が閉鎖或は制限されるかも知れぬ。かゝる経験はヨーロッパ恥辱複印度に於てアフヮカ・濠洲其他に

於て吾人の昧った朗である。綴りに平時はよいとしてもー朝事あるに際しては此の椰の危険性は極めて大である

ことを知らねばならぬ。嘗てフランスはロシアに封して膏数十倍フランの投資をなして一時は烹利を収めで居た

けれとも.、山九一七年突如として起った革命の結英之を失つビ計りでなく、投下資本其のものさへ失ってしまつ

たではないか。我が。シアへの貸金も同じ原因に依って何一の結果を得たのであつて、かゝる不利は恐らく他の

囲でも痩けたであらうし、叉かゝる質例は世界経済史を播く者が所々に求め得らるゝ桝であらう。

右の如くであるが故に吾人が清洲に於て経済的利益牢水久に確保せんと欲サ㌃なれば筒難を排し、幾多の犠牲

を煉っても、多数の移民を彼の他に送ることが絶封に必恕である。我が移民が数百萬乃至千教嵩も清洲に移つで

(17)

靡い土地を有し、玄を根城として農業に従事し、土着し以て山大勢力を持つでゐるといふことが最も肝要であ る。かくてこそ初めて我が投資は陪賓に保護せられ、我が甫坂は確固不動の地倍を操ち得るのであるれ見よアメ リカに於てあれ程の排針運動が盛であつても、布畦に於ける我が国属の槽益を慶すことが椚衆ないではないか。 それは日本帝囲の団威が登城されたのと、、布畦に於ては絶封多数の日本人か土地を持ちて定位し絶大なる勢力を 持ってゐるからである。 以上述べるが如き硯由に依り吾人は成るべく速に我が大量の農薬移民を清洲閥に送り、頗大なる土地を所有せ しめ、劇大勢力を扶植し以て永久に我が別種を確保せんことを望む次第である。

凶 日本文化普及上の必螢

今日の日本は文化上から観察すれば、せ界の王座を占めてゐると言っても決して過言ではない。我が文化史が教 ふる様に、我が文化は退き着から今日に至る迄せ界に比類なき我が院昭特の観慣に基き、絡始一貫叫定の方向を 辿って敬展し釆つにのである。勿論英の畿展過辞の所々に或は東洋史化を容れ或は西欧文化を迎へたが之等は結 局我が特有文化を向上磯展せしむる肥料に過ぎなかったのである。時に肥料の憩質なものを探つた蔑めに我が文 化を混乱せしゆた事はあつたけれども、然し之が薦めに我が特有文化が枯れ失はれでしまつたことはない。而して 我が国民は海外文化の消化と我が文化との融合とに努めた結果、今日では我が文化はせ界のそれに耕然たる粥角 を硯はし、指導的地位を占むるに至ったのである。躍進日本に一大児輝を添へるものは日本特有の文化である。 隋鰭として見たる我が哺洲農薬移烏 ︵四七︶ 四七

(18)

弟十三啓 発 劇 琴 ハ四八︶ 四八 嘗ては印度も端洲観を食んだ支那も絢爛たる文化を産んで、其の思想は東洋各囲を風靡したこともあつて、常時我 が国も可成教へらるゝ研が多かった。然るに年うつり世が建って、今日では印度も支郵も切角磯展した文化は重く 亡ひてしまつたのである。之に引きかへて我が文化は年と共に愈々進み他の追従を許さぬ程に進展するを得、今 日では前言せる如ぐ東洋に於では勿論、嘗て発進餌と呼んだ欧洲諸国をさへ指導し得る程になつたのである。かく て吾人は此の進んだ我が文化を先づ盟邦浦洲陶に普及せんとする念願を強くする着である。否軍に油洲固丈に之 を普及せんとするを政経の目的とするもので、はない。更に進んで支部に蒙古に印度に■ペルシャに、かくて欧洲に 濠洲に南北アメリカに、而して途に公聴界に及ぼさんことを望んで止まぬのである。然しながら物の成長畿厳に は自ら順序があり、階段があること営知らなければならぬ。それ故に党づ我が図と故も閲係撞き、而も我が指導 ㌢隠笠沙迎してゐる浦洲幽に及ばさんどするのであるけ之が蔑めには単著を彼の他に送るのもよい。叉官吏・単 年商工発着を造るのもよい。或は濯洲人を我が国に迎へて教育するのもよいが∵之等にも増して必要なのは農 薬本位の同園に多数の農民を迭す彼等を共夙に定位せしめることによつて、彼地位民を指導教化することが必要 し でもあり効児的でもある。斯くして我が文化を海外に普及せしめることは、同時に日本の政治的、檻済的、配合 的勢力を扶植囲威営海外に蟹扮する㌃とにもなるのであるが、之は革に我が圃にとりで還嬰な計りでなく、溝 洲囲自身の璃めにも、海外緒囲の焉めにも、従って世界人類の文化向上の馬めにも必要である。 五 滅洲囲の床柴開磯上の必要

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既に前にも述べた様に浦洲閲は人口が席捲であつで購漠たる未開墾軸が各所に横たはつでゐるのであるから、

之等の土地に邦人が入棺し資本を投下し、優秀なる智識、扱術を働かせ、合珊的経営をなすことに依つで之を開

賛し農薬を振興せしめることは決しで同国人の職彙を麿ふものではないのみならす、藩洲農民は我が農民の俊秀

なる技術や合理的経営法等を見習ひ、之を取入れることになるであらうから、自然彼等の農事改良、農薬経常を

促進せしむるに違ひない、斯様にしで農柴が教達すればそれに償って、之に直磯、間接に関係する諸事柴が新し

く興り或は畿展するから、却って彼等に仕事を輿へ活勤舞家督僻めることになるのである。而しで紹椰耗柴が繁

発すれば同樹の経済的地位も高められ、財政的基礎も強化され図表磯展を助長する結果を膠すのである。何れの

囲何れの席代に於ても観衆輿隆は資触の開設、産業の敬厳に待つ桝の多いのは自明のことである。特に顔時の満

洲歯の捌く盛業が幼稚であり資本の乏しい固に於ては此の感を一澄雄くせざるを得弔い。

六 浦洲樹の治安維持上の必要

満洲園は昭湘六年九月十八日に起った柳傭溝事欒を契機として支那から離脱し、猫立閑寂を形成せんとする運

動が各地に起つに。而して番欒が起るや我が閲は在満邦人の権益を擁護する必野上皇軍を浦洲に進め、兜づ張塾

長軍閥を討ち亡ばし、更に引続いで金満各地に根桜を有する分派勢力に山大繊槌を下して之を稀薄し、叔て溝洲

園の誕生々援助しにので、途や幾多の困髄が相儲したに拘はらや、之を排除し昭和七年二月十八日には糸満猫立

藍曇ロし、次いで二十五日には新開衆糾織大綱並に新開家建設に関する通電を中外に賛するに至った。而し.て早 園発として見たる我が満洲鹿索移民 ︵四九︶四九

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︵五〇︶ 五〇 滞十三巻 第 ︼ 渋 ぺも二月一日には行政委員倉委員長張最速氏は奉天・に於て新固豪﹁溝洲囲﹂の建璧豊冒浦洲観政府の名に於て患 者し、玄に初めて同闘が孤々の饗を馨げたのである。而しで九月十五日には我が団は武藤信義犬膳をしで満洲園 代表郷孝常民との閥に日満議定聾に調印せしめ正E式に満洲囲を承認するに至ったのである。筆者は小池に満洲囲の 超園史を詳述せんとするのが本意ではない・から、極めで轡単に同園建設について記すに止めるが、兎も角油洲圃 は至極短日月の聞に支那中央政解から離脱して弼立観表せなつてしまつたのであるから、攣且直後に於ては勿論 今日と雄も内外治安上に幾多の不安が存するのである。特に溝洲には竃くから幾十萬の匪賊が横行しで治安を乱 してゐたのであつで猥立と共に彼等を討伐することが放灘であった。それ故に同囲は酢戚討伐に皇軍の援助と協 力とを要望した。依って我が薗に於ては欣燃之を受諾し、日瀾舶軍協力し数百回に宵る討伐により多数の人命を 犠牲として大部分を始末してしまつたが、由今日と雉旦ニ・四萬の匪賊が残存してゐる。されば引躊きその討伐 が行はれる筈である。兎も角硯今では匪賊の減少を見たので非常に同園の治安がよく維持せらるゝに至つ告。然 しながら過去及び現存は勿論勝木に於てもげシアや支那から溝洲噛治安撹乱の辛が蓋し延ばされると息はれるか ら、此の鮎については充分な瞥戒をしなければならぬ○ 以上述べたるが如ぺ、同園の治安は日満両軍や共他の警備困等に依って維持せられて釆たし叉維椿せらるゝで ㊦らうけれども、倫ほ其上に我が堅賛なる瀞拭が多数同国に土着すれば消凄維持上にも抄なからぬ便益を輿へ得 ると思はれるのである。

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以上適べ来たつ上が如く筆者は 腰不可分となつて共存此ハ柴の饗を拳げる鮎から考へでも我が選集移民を相常多数満洲図に迭致定着せしめること が絶封に必要であると強調せざるを得ないのである。 第 三 油洲農薬移民の可能性 A 満洲肋戊華移民成功の見込なしとする説並に之に封する卑見 溝洲腰菜移民切必箪を認めてゐる者の中にも、果しで我が満洲移民が成功し得るや否やに就て疑問を懐く者も あり、又成功する見込はないと考ふる晋も炒くない楳である。斯かる懐疑なり或は可能性を香定する者の論櫨は 必ずしも同﹂で濾ない。左に其の大要を掲げ併せて筆者の愚見をも遊べ亮ことにする。而しで筆者は以下論述す る緒鮎を綜合観察して結局に於て瀾酬農肇移民が成功する可能性あうと確信する着である。 一滴洲事攣以前に於ける移民の結果を見て、其の後に於ける 満洲移民も失敗に録すべしとする詮 我が溝洲移民の渦中に就いては別の轍禽に摘を勉して詳細述べるつもりであるが、兎も角事欒前に於ける鴻洲 移民も棚鮮や基礎への移民も決して成功しにとは富へない。しかしながら之等の移民の結英が悪かったといふ専 管から録糾して、賂氷に於ける満洲移民も成功の見込がないと断言することは誤ケである。何となれば過去に於 図集として見ゃる我が鴻洲爆発移民 ︵五二︶ 五W

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第十二春 希叫 戟 ︵五二︶+五二 ける失敗の原因を除去することも可能であるも、之が参考となり、刺戟ともなつて頗功に導くべき稀々の手段方 潜が試ぜられ椙ると考へるからである。然らば何故寄攣別の滴洲移民が失敗に経ったか。其の筋因として次の甜 戯が拳げられてゐる。 1、個別的分散的移民であつたこと。 2、移民地が閲東州内又は満鋳附曝地内の狭い地域に限られ且つ不良の土地に制限せられてゐたこと。 づ、移住者が初めから田稼範分が強く確固不動の定着性を有しなかつたこと。 4、移民が藩洲の特殊事情に通畔せや、従って之に通する農革紐螢及び生活をしなかったことα 5、一擢千金を夢みて眞面目に努力しなかつたこと。 6、土地の取得が困難であつたこと。 フ、移民計塞が不滴首であり且つ其の資施も不徹底であつたこと。 8、こ堅閉居並に政府の援助が少かったこと。 9、支部官憲特に鹿北政橙が移民に封して贋迫を加へたこと。 冤ど、が其の重なるものである。右の如き原因に附せられr、切角滴洲迄行きながら、間もなく辟閲したり特発 んたり、或は所謂浦洲ゴロに化したりしてしまつて、農相経営者としては落伍してしまつたのである。叉朝鮮や 碁濁移民につい見ても、右に列蓼せる若干の原因により、移嫡後間もなぺ農発から足を洗って繊道沿線や交通の

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便利な郁魯袖に出て、繭柴やエ柴に特発する者が多かつ王のである。

今之辱失敗の陳因に就て考へで見るに、1、過去の移民が個別的であり分散的であつたことは確によくない。

何となれば先任民族が多数住んで居る申に邦人が少数這入つでも決して勢力は得られるものではない。従つで子

弟の教育・娯欒慰安・保健待隼修琴宗教其他萬般の施設が我が意に叶ふ様には鷺施されないのみならす、盈菜経

営上の不便もあhソ・之等が妨げられることさへ決して抄くないのであうかくては経常の結果も憩いであらうし、

文豪族の日常生活も不愉快なものになつでしょふ。さうなれば家長は我慢をしで経営を摸けやうとしても、家族

は之に従はなくなつて、遂に村ぉ出で郡市に住み極光せざるを得なく唸るのであそか、る苦い経験をなめてゐる

から寄攣彼の浦洲移民計董は集困移民に改められてゐるのであつて、既に数回に貰って行はれた試験移民の成跨

から見れば好結果を収め得にのである盛圃移民なれば農業経螢上の諸施設は勿論、前記各種の苑設が牟部自分達

の都合のよい樺に計宣され嘗行されるのであるから、其の成績が盤がる計りでなく、部落の日本人問で結頗さへ

出来る様になるのであるから、移民は焚しく元気に思ふ存分清勤することが椚来るのである︵特に日本人は困結

心に富んでゐるからごの囲醍勢力を以で土着人と競争すれば嘘めで有利である。尤も既に各所に多数の集閻移

民部落が琴等らられ、各設備が完備するに至れば、其の附近に個別的分散的移民を迷ってよい。何故かと言へ

ば眈に袋幽移民の勢力が附近に及んでゐるし、叉其の設備の利用も交際も或る程度迄容易になし得るから、従って

農黄綬螢上は勿論日常生前に於ても意に叶ふからである。2、移民地が狭い範囲でしれも不慮の土地に制限せら 国篤として見たる我が浦洲鹿染移民 ︵五三︶ 五三

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霧十三巷 東 ∵靡 ︵五四︶ 五四 れ七ゐたことも確に穆民にとぅては不利であつたに相違ないが、今日では此の鮎は開拓になちない。即ち沸洲金 城に甘うて廉い土地が提供せ、らられ且つ聾者や専門家に掛りて農薬滴地としで肥沃の土地が選定せられ此所に移 住せしめられオのである。又3、4、5等につい七は移民膝碁者中から特に思想堅蜜にして滅洲に永住する決心 覚悟の酷い密計りを選定してゐ/る上に、移穂以前に一定の教育を施し叉現地に於ても指導員がついてゐて絶えず 農嘉療螢上に於て.も、日常生活上に於ても指導をなしてゐるのであるから、昔日の移民に比して其の素質が向上 し藤洲に骨を埋める るから、今日で′は之等の鮎に醜しては心配はないのてある。6、の土地の取得の困難は其の後益て解消されてし 主つ′てゐ忽、後にも琴ぺる如くに﹁戸二十町歩の梗準に依って容易に土地が得られ各のである。7、移民計露に 駄て㍍後述する考であるが今日がぬ政府が浦珊移民の箋箪性を認めて単著専門家の意見を参考とし、叉賛軌調森 の結果を基礎として適切な.る計婁を樹立し、且つ之が徹底的蜜碓に努力しでゐる。叉8∵の鮎に醸しても浦洲事 舜以後満洲移隠に封する認識が一般国民の間に深められ、移民資施を後援する困醗等も締出し、政府の授助も高 まつて来たの・であるから、今日の移民は甚だ車幅である。叉今日では9、の支那官怒の踵迫の如きは全然ないの は勿論淋汎親政府に放て賂意的に療々の便甘を舶へへてゐるのであるから、この鮎に関しても少しも憂ふるには及 ばぬめであるノ。 助上の如く古乳移民に於て柴歎を滑した諸原因は現今全く除去されてゐるのみならす、積廠的に外部から移民

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成功への援助↑努力が行ばれてゐるのであるから†之等の斯から見で膳衆の溝洲移民の可能伸ば充分あるものと 信限㌫のであるや 二、菟住民との関係より見て焚敗サベしとなす説 日露戦寧以後三十年問に日本人.が満洲に渡り、 いたものは相雷あつたけれども、其の大部分は糞敗してゐる。それは満・漢人は概しで鰭力も秀でゝ居卜且つ勤 勉であるのみならず、生活枠度も低いから、餞力が各って居り、盛所得魔の高い日本人は韓寧上不利な馬めであ る。だから切角日本人が様に就いても漸次駆逐㌢れでしまふのであるやこの経験より推して賂釆満洲に移民を造 っても同様の運命に退ひつめられるに違いないなと悲観癒着兎すのであ各。論者の富ふが如く彼は我に此して鰭 カが鰻つてゐるが故に肉慣的労働に於では傍位に立ってゐる。叉文化の程度が好いから欲望も低級であり騒経で あるが故に生活程度も低いことば事蜜である。レかしながら甘本人が彼等に比して優れてゐる郵を見逃がしては ならぬ。彼等は個人的活動にはすぐれてゐるけれども、固照的所動に於で邦人に比すべくもない。加之爵菜技術 に於で、叉農薬経営方法に於て日本人は群を披いて俊秀である。我が移民は決して資本が豊富であるとは雷へ ぬけれど㌻、而も冊土着の農民に比すれば豊か千ある。更に叉彼等の婦女子は農薬堺働を好まぎるに反して日本 の婦人は殆んと男子に等しい稗の労働にも徒事するの■である。其の側例を見んに満洲第二次移民囲が千坂卿に於 ける近況を酪督しでゐるが、その中に﹁囲員及び家族は癖釆に大なる希望を杓いて或は幾排に、或は牧畜に、或は 国策として見たる我.が満洲蔑染移民 ︵五五︶ 五五

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寛十≡令 弟 劇 渋 ︵五六︶ 五六 雑事に日々孜々として密猟して居る。∴::;︰:圃員の努力は勿論であるが、妻女達の働きも驚に目覚ましいものが みる。彼女達の多くは子供を抱へ未明︵北浦の夏の未明は午前三時︶に起き出で炊事をなし、四時迄に食事を終り、 子供を背にして働き、夕刻になれば仙足兜きに蹄宅して夕食の仕度をなし、風呂の準備をするなと全く男子以上 の働きをなして居り、炎大に曝されて子供まで眞異に日焦けする有様である。此の働き振り、其の神々しい番に は自ら頸が下り唯々感激の念あるのみである。⋮⋮なほ生産物の山部は開展も蓼子も自ら槍ひ或は妨げて湖南螢 市術に資力に出てゐるが妻子連でも毎日二鳳内外宛の費ヒがある。﹂︵註満洲経済情報畿三森東五兢五貫−六貫︶ 此の事賢は決して千振郷に於ける移民の婦女子に限られたる尊ではない。我が満洲移民の女連の共通に賛行して かる活動を現はしたものであつセ、此の鮎は到底浦務婦女子の能く籍し得る所でないのであるっ右の如く個食個 々の髄力に於て劣り、生旅程鮭に於て不利な朗があるにしても、困鴇的活動、資本の豊富、投術の優秀、庶皆の 合理化、婦人の活勤等に於て断然有利であるかち長を以で額を補ひ得るのであつて、之等の紺鮎を綜合して浦洲 移民の可能性を認めざるを得ないのである。 三、日満農港の相異より見て成功の見込なしとする説 諭者は﹁日本の農法と浦洲のそれとの聞には顔著なる罪興があるから繍洲の農法に心得なき日本の農民が満洲 に移任しても到底満洲在米の農法の樽従せらるゝもめではないから失敗に経るのは常然である﹂と主張をする。 確かに日満開国民の農法には甚だしき叢典はあるが、浦洲に於て盛業経常に成功する馬めには必ず浦洲蟄法に俵

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らねばならぬ理由はない。若し浦漢人の農法が日本農民の農法に比して進歩七てゐるなれば之に挿従することは

意味があるけれども、若し我が良法が靡のそれに比較して進んでゐ名なれば、饗しそ我に倣ふ必要はあつても我か

ら彼に傲ふ必要はモ班禁筈である。寄嘗は日本農民の技術は満漢人よりは造かに進ん・でゐ、るのであつで、候合

そのまゝの扱術を満洲農薬に用ふることは出奔ないにしても、之を應用し得る丈の智能を日本人は持つでゐる。

絞れに長州があれば之密取入れることは決して不可能ではだ。入鵜苫切に於て事情に不安内の馬めに又経験が

少い矯めに色々電失敗もあらうけれども、多年経験を重ね研究を進めるなれば満洲愚弟に通したる農法を懇見し

之に適し王経讐璃し縛ることは難事では菩。讐我が試験移民に於ても指導肴は経営上各方面に亙つで調査

研究をなして囲員の指導に患ってゐるのであつて満洲に碧冒る農法、作物の種類、病虫の駆除、経常方法、産

物敗資の細緻化、副先の教兇等に努めて居るのであって、之を国見に賛際に行はしめて効果を奉げてゐることは

試験移民の報告に依って明である。それ故に前記悲観論者の考は最近数年に書経鹸に於てさへ全く杷憂に過ぎ

ないといふことが賓舘されてゐる次第であるから、日満点法の差異の如きは成敗を決する重安問題とするに足ら

ぬのである。侮ほ是の農薬は米作を秦とする集約的農柴であるけれ甘も、満洲の農業は雑穀を主とする粗放的畠

柴であるからー二整鱒稚からの収益は極誓少い。従って贋い南棟を耕作する経験の少い日本農民が移住して之に

従賭しても、収支は慣はないと説く者もあるけれども∼此の尭張も結論に於て貰ってゐ禁。今日蓬の試験移民の

欝蹟に観しても、綿﹂吹、筋二次移民の入鵜の年、その等位は匪賊に妨げられて或は播較の時期を失し、或は

︵五七︶ 五七

閣僚として見たる我が浦洲農染民移

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第十三令 弟仙既

︵五八︶ 五八

之を討伐する馬めに盤寄経常に専念することが出来なかつた等の理由に伐つ収支償ばざることはあつたけれども

治安が緋持される様になつた後に於→は、相嘗の利闊を潟げてゐるのである。更に年を推て経験と研究とを蔚ね

耕作法や経螢注が進歩し交通検閲が畿達すれば収益の増加を観り得ることは間違ないと断吉し得るのである。

血土足にも悲観論を唱へる者の諭梯は多々あるけれども、此所には之位に留ゆで膚く0兎も角右に依りて浦

洲移民不成功論者の要鮎だけを明かにするを待た。而して過去の移民の結果が思はしく慕ったのは相常の理由

が番ったのであるけれども、今日では之等の失敗叩由が存在しなくなつたのであるから、此の鮎を明かにして浦

洲移民成功の可能性あるを妻張したのであるが庸ほ此の外浦洲移民の可能誉所以を次の諸鮎から考察すること

にする。

召 満洲農薬移民可能諭の論橡

て満洲園の気候風土

満洲園の気候は析によ老甚苦く興るけれども警写れば冬期は寒気甚だしく、所によりては寄芸・六十

慶にも達することがあつて背い草木など見ることさへ出来ぬ有様であり、且つ塞期が長いから苦痛は多い。それ

故に濾洲は日本人には住み得ない朗であると詮くものがあるけれどもー之は患ってゐだ。碓釆預想外に邦人が寒

気の薦めに困ったのは、気候に封する智識裏芸さに堪へる生活様式荒ら慕った結果セあるC今日では屋

内の暖防諜傭も任・諾建築構造姦艮せられて発た牒叉衣服にしても食物にしても能く寒気に堪へ得るエ夫がこ

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らされてゐかから決しで寒くで仕めぬなどいふことはない。樺太や北海道には浦洲に劣らぬ程寒い地方があるに

不拘、之等の地方に邦人が多数住んで偽る鮎から見ても滞洲が気候が寒すぎて生活が出来ぬなどと断定するのは

誤りである。菱も可成暑いけれども期間が敵いのと、基窺が乾燥してゐるのと、朝夕が涼しい\ので暮し易いので

ある。河川の水は濁り、寄木の種類や山の形や其他劇般の地形ゑ単調であつて欒化に乏しいから殺風景ではある

けれども、叉一面には大陸的総大規模な風景が堅剛に開展されてゐるから慰められる閉もある。兎も角風景の良

し憩レの如きは大なる間越では接い。叉滴洲には風土病がみつて困ると心配する者もあるけれども、之とても土

地牽選べはにいしたことはなく、叉衛生思想や保健衛生設備、撃療施設などが進んで来れば風土病や流行病も追

々撲滅する︰とも可能である。要するに浦洲の束候風土の斯から見て日本移民が住めぬとの結論は田ない澤であ

る〇

二、愚∵業適地の農畜

今日の満洲閲に耕作を為し得る土地が幾何あるかは申確な統計が無いから判明せぬけれども、啓満洲政碓時代

に鳳山設治局・東興設清局・穂都設治局等の移民局で調査した囲を基礎として推定すれば熱河省を除く清洲観に

於て眈新地が千二育萬町歩、未開染地が千八百萬町歩ある。しかしながら資際に開墾して農業用地となし得る土

柚は之よりも遠かに多いと思はれる。何となれば右の数字は平地丈であるが、山の斜面で相常肥沃であり耕作地

としで用ひ得られる土地が随分靡いのであるけれども、之は全然右計算の中にいれられて居らぬからである。そ

閲境せして見たる我が溝洲農薬移民 ︵五九︶ 五九

OLIVE 香川大学学術情報リポジトリ

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第十≡聡=ふ弗丁舵 ︵六〇︶ 六〇

れ計りでなく平地にも曹達唖帯とか、勝分合菊地帯な吏が可成多いのであるが、之等も農柴不適地として調査さ

れてゐるのである。然るに専門家の意見に依れば之等の土地も松花江・遼河其他の河川の水を利用して常連なり

懸分なりを流ひ去つてし主人ば、立沢な耕地として用ふることが用来るのである。叉沼澤なども多いが之等も多

少の費用をかけさへすれば机畑としての用をなす繹であるからである。現在までの満洲では人口稀緒な焉めに平

地丈でさへ年分も耕すことの出来ぬ有様であるから、右の如き土地は農共用地として考へられてゐなかった繹で

ぁる。平地丈でも千八百萬町歩ある上に斯くの如き日のつけられて居なかつた土地も澤山あることであるから此

の鮎は我が移民にとつては誠に睾なことである。

ニ﹁地 味 の 肥 沃

清洲の地味は所によりて非常に興るけれども概して南滴地方は地味慈しく、北浦地方特に絡花江赦江の河孟地

方三馬方里の地域は肥沃であり叉吟醸賀北方の呼関川爾岸等も塵慶が高い。我が第一次及第二次移民の活躍して

ゐる三江省の永豊銭湖南皆地方の如きは肥土が二・ニ更にも及び亨高梁・粟等の所謂普通作物なれば無肥料で

も多くの収橙があ♭、しかも十年、二十年も施肥の必要がない所さへあると冨はれて居る。野菜等の特殊作物で

も人糞・牛馬糞・堆肥位で充分であり、地味が帰せてくれば少し休閑地として置けば管に復す′るといふ誠に凄ま

れた研が多いのであつて、か、る土地は日本内地では到底求められぬので凍る。それのみならす冬期になると地

面から三・週尺乃至亨六尺下迄完全に洩ってしまひ、之が五月頃解け始める薦めに土塊が自然に砕けで渉軟と

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官、嘉の透入雪くし従つ豊壌の風化分解作用が行はれるから数尺も深く排したと同様の状態に雫厳選

が祭物に及ばす利益は大であ篭内地では深耕法が必壷であ之の雷に幾多の努九と荒と嘉する.けれど

も、浦洲では之昌禦やってくれるから人力に依る深耕法は必要でないの言文でも莞の得る析は慧て大

で漕。叉寒霊だし乳薦めに盛権物に恵墨笈ぼす病慧の警慧毘ぐ利驚あるのみならや耕作地が

既い薦め旨塙嘗も充分に利用が出管し、横軸の使用姦易であるから内地の莞に比し経螢費用の宗が

墨るから、琴菜紅筆立てる利益は決して抄くない。右の如くで雪か畠去に於ける試験移民も漑しで良好の

成績を牧初でゐるのであるっ更に緋作法や慧の改良病慧騒除警どが進み、交通が磯謹して賞が慧し、

質組織が完備すれば、更に姦と牧誉高めることが出警と思はれるのであつて、この鮎から見ても満洲移

民の可能焼は充分あると確信するのである。

閃、我が政府の保護

既に前にも準べたるが如く、寄攣以前にありては我が政府が禎極的に閥策として移民志を碓苦ることな

く、従つで法制⊥に於ても財警に於ても治安上に於ても保警加へることが甚だ少禁つ去ら或は土地を得

ることに棲めて寛が伴つ音、移民資金が不足しにり、或は匪賊の横行に背篭れモ、篭北棟に贋迫せら

れたりし七、殆ん義が移民の敬展は不可能であつ謀れ富、満洲開成昔後た於ては我が確聞上る移民計祭

翌され誌上・財笠・治安轟常に保管加へる椋に莞諒‡亨、満洲鞠政府も亦我に協力して稜々

︵六∵︶⊥二

農として見たる我が浦測量移民

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第十≡容 弟 劇 眈 ︵六二︶ 六二 の援助保護富加へてくれる様になつたから、現今では往時の障害が除去されたのは勿論、更に進んで積極的に日 清術観政解から保蓮が加へられる様になつにので今後の移民¢成功は期待し縛らる\と考へる。

五、生活枠慶向上の可能

思ふに内地人が満洲困に移民をなさんと希望するのは∵内地に於けるよりも浦洲餌に定位する方が終演的にも 財政的にも其他あらゆる鋸を綜合して、より安定し左向虔の生活窒草受しにいとの希望に基くものである。少く とも移横笛初に於ては不満足の所があつても、脾莱に於て之を賓現し得ると信じてゐるからである。切角散開を 去って滴洲図に行っても永久により禿筆した、より嶺展した生活が出水五いとすれば、我が移民は永く彼朗に定 位することば不可能であり、従って我が移民の成功敬展は期待し得られぬ繹である。然らば現在の繊洲移民は如 何セあるかと富へば必ずしも内地の生活に比してよりよい生活を残してゐるとは考へられぬけれど、それは賂来 躍進への階段であり基戯を迫る鵠めの犠牲であつて、日洒両園政府の援助と保護とがあり、移民自身の努力に依 Å企々技術の同上や、経営方法の合理化を樹り困員二致協力して活動するなれば漸次利益の増加も可能であサ、 従ってより高き生活も享受し侍らるゝ寄と信ぜられるのである。特に既決たる未開地があって之等が安慣で容易 に取得し得られる上に、治安も日鵬日とよく維塵せらる∼於てはこ鱒円容の充資した塵かなる生清を賛現し得る 見込は充分あると言へ▲るであらう。 以上を要するに我が浦洲移民の成功には幾多の困難犠牲は伴ふけれども、しかしながら、外部から政府や民衆

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が充分に後援洩恋しでや是移富らが﹁功成らサんば死すとも警サ。骨品洲に埠むるは覚悟の前である﹂

の牢固点る決心を持ち、移民の眞意を解して悪日に姦翳しで働き、浦洲の特殊事情に通暁して、それに適

する磯に要覧昌常生活も螢わこと藍心れサー而して日本の優秀彗智識儲急迫憾守若し、経常の香

取北脅観ると共に一切の陣容を排除して研究を披け努力に努力を認嘉ていくなれば成功は誓いと確信するこ上

が拇釆のである。

︵昭和十二毒︼月廿七日稿︶ ︵未完︶ 薗策として見たる我が清洲農染移民 ︵六三︶ 六三

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