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(1)

第3回「有機化合物の基礎」

有機化合物の種類は、まだ合成されたことがないものも含めれば無限にある。これを 系統的に理解するためには、原子のつながり方の特徴に基づいて分類し、一般的に成り 立つ原則を理解することが必要である。今回は、前半に有機化合物の表記法・命名法・ 分類について学ぶ。また、後半では有機化合物における「分子間相互作用」について学 ぶ。

1. 炭化水素

最も基本的な有機化合物は、炭素と水素のみからなる物質である。これを炭化水素 hydrocarbon と呼ぶ。メタン CH4以外の炭化水素は、炭素­炭素結合を持つ。炭素­炭 素結合には単結合・二重結合・三重結合がある。すべての結合が単結合である炭化水素 を飽和炭化水素 saturated hydrocarbon、二重結合・三重結合を持つ炭化水素を不飽和 炭化水素 unsaturated hydrocarbon と呼ぶ。二重結合は1つのσ(シグマ)結合と1つ のπ(パイ)結合から成る(π結合については後で学ぶ)。また、三重結合は1つのσ 結合と2つのπ結合から成る。このため、不飽和炭化水素はπ結合に特有の化学反応性 を示す。一方、飽和炭化水素はσ結合のみから成っている。σ結合は安定であるため、 飽和炭化水素の化学反応性は極めて低い。 まず、飽和炭化水素を見ていこう。飽和炭化水素は、アルカン alkane とも呼ばれる。 炭素原子の数が1∼3個のアルカンは、それぞれ1種類のみ存在する。 実は炭素数3のアルカンには、3つの炭素が環状につながったものも存在するのだが、 しばらくは環状構造を持たないものに限定して考えることにする。 炭素数4のアルカンは、2種類存在する。

H C

H

H

H

H C

H

C

H

H

H

H

H C

H

C

H

H

C

H

H

H

H

methane ethane propane

H C

H

C

H

H

C

H

H

C

H

H

H

H

butane

H C

H

C

H

H

C

C

H

H

H

H

H

H

isobutane

(2)

ブタンは4つの炭素原子が一列に並んでいる。このようなアルカンを直鎖アルカン straight-chain alkane と呼ぶ。一方、イソブタンの炭素原子の並びは途中で枝分かれし ている。このようなアルカンを分岐アルカン branched alkane と呼ぶ。ブタンとイソブ タンは異なる物質であり、物理的性質も化学反応性も異なっている。このように、構成 原子の種類と数は同じだが、原子のつながり方が異なる物質のことを構造異性体 structural isomer と呼ぶ。 炭素数5のアルカンには、3つの構造異性体がある。直鎖のペンタンと、分岐したイ ソペンタン・ネオペンタンである。 炭素数6だと6種類、炭素数7だと9種類の構造異性体が存在する。だんだん書くの が大変になってくる。もう少し簡便に書く方法が2つあるので、紹介しておこう。 一つは、簡略構造である。これは、組成式と同じように複数の同一原子を下付き数字 で示し、同時になるべく炭素のつながり方を明示するように書く方法である。 分岐アルカンの場合は、分岐している部分を炭素から線を下に伸ばして書くか、また は炭素の右側にかっこに入れて書く。 同じ置換基が2つついているときは、炭素から線を上下に伸ばして書くか、またはか っこに入れて下付きの数字をつける。 CH2が繰り返されている時は、かっこに入れて下付きの数字で表してもよい。 もう一つの簡便な記法は、骨格構造である。これは、炭素­炭素結合を線で示し、炭

H C

H

C

H

H

C

H

H

C

H

H

H

C

H

H

H

H C

H

C

H

H

C

C

H

C

H

H

H

H

H

H

H

H C

H

C

H

C

C

C

H

H

H

H

H

H

H

H

H

pentane isopentane neopentane

CH

4

CH

3

CH

3

CH

3

CH

2

CH

3

CH

3

CHCH

3

CH

3

CH

3

CH(CH

3

)CH

3

CH

3

CCH

3

CH

3

CH

3

CH

3

C(CH

3

)

2

CH

3

CH

3

(CH

2

)

2

CH

3

CH

3

(CH

2

)

3

CH

3

CH

3

(CH

2

)

4

CH

3

(3)

素原子および炭素と結合している水素原子をすべて省略する表記法である。 注1:エタンをこの記法で書くことは滅多にない。ただの線分と紛らわしいためである。しかし、 エチレンを二重線で書くことはよくある。 骨格構造には、間違えやすいポイントが2つあるので、注意すること。1つは、「結 合線の両端には必ず炭素原子があり、その先にはさらに水素原子がある」こと。線の末 端が水素原子であると誤読する人が非常に多いので、要注意である。たとえば、下の2 つは異なる物質である。 もう1つは、「炭素原子だけを書いて水素原子を省略する」記法は許されない、とい うことである。たとえば、下のような書き方は誤りである。必ず、「炭素も水素も両方 書く」か「炭素も水素も両方省略する」かどちらかにすること。

2. アルカンの命名法

炭素数が増えると異性体の数はどんどん増える。1つずつ異性体に別の名前を与えて いては、有機化学の教科書はアルカンの名前だけで埋め尽くされてしまうだろう。そこ で、分子構造から一意的に名前をつける方法が考案された。この方法は、IUPAC(国 際純正・応用化学連合 International Union of Pure and Applied Chemistry)によっ て決められているため、IUPAC 命名法(IUPAC nomenclature)と呼ばれる。また、体 系的命名法、系統的命名法と呼ばれることもある。 IUPAC 命名法は膨大な規則の集まりであるため、すべてを一度に学ぶことはできな いが、基本的な規則は知っておこう。アルカン(環状構造を持たないもの)については、 次の手順で命名する。 1. 直鎖アルカンの場合は、炭素数によって決められた名前で呼ぶ。C1∼C10 までの 直鎖アルカンの名称を次の表に示す。これらの名称は英語名とともに覚えておくこと。

H

C

C

C

C

C

C

C

C

C C C

C

C

(4)

炭素数 組成式 名称 1 CH4 メタン methane 2 C2H6 エタン ethane 3 C3H8 プロパン propane 4 C4H10 ブタン butane 5 C5H12 ペンタン pentane 6 C6H14 ヘキサン hexane 7 C7H16 ヘプタン heptane 8 C8H18 オクタン octane 9 C9H20 ノナン nonane 10 C10H22 デカン decane 注2:メタン、エタンは “th” であるのに対して、ブタン、ペンタン、ヘプタン、オクタンは “t” であることに注意。メタンを “metane”、ブタンを “buthane” と書くのはよくある間違いである。 2. 分岐アルカンの場合は、まず結合している炭素原子の最も長い並びを見つける。こ れを主鎖 parent chain または親おや炭化水素 parent hydrocarbon と呼ぶ。主鎖は、書かれ た構造式上で直線状につながっているとは限らないので、注意深く調べること。 そして、主鎖に結合している置換基(次に説明する)の名称を、置換基の結合してい る炭素の位置番号をつけて、主鎖の名称の前につなぐ。 位置番号と置換基の間にはハイフンを置く。また、英語で書く時は、置換基と主鎖の 名前はまとめて一語にする。 2つ以上の同じ置換基があるときには、倍数を表す語(2: ジ (di), 3: トリ (tri), 4: テ トラ (tetra), 5: ペンタ (penta), 6: ヘキサ (hexa))を置換基の前につける。位置番号は コンマで区切って並べる。

CH

3

CH

2

CHCH

2

CH

3

CH

3

CH

3

CH

2

CHCH

2

CH

3

CH

2

CH

2

CH

3

CH

3

CH

2

CCH

2

CH

3

CH

2

CH

2

CH

3

CH

2

CH

2

CH

3 CH3CH2CHCH2CH3 CH3 1 2 3 4 5 CH3CH2CHCH2CH3 CH2CH2CH3 1 2 3 4 5 6 (3-methylpentane) (3-ethylhexane)

(5)

2つ以上の異なる置換基があるときには、置換基をアルファベット順に並べて記述す る。2番目以降の置換基名と次の位置番号の間にもハイフンを入れる。 なお、主鎖の番号のつけ方には2通り考えられる。例えば上の例だと、右から順に 1,2,3,…と番号を振ると、「4-エチル-6-メチルオクタン」という名前になる。このような 場合、「なるべく数字が小さくなるように番号をつける」ことになっているので、「3」 が現れる上図の番号付けが正しい。 この他にも、主鎖の選び方が複数通りある場合など、複雑な規則が多数定められてい る。詳細を記憶する必要はないが、興味があればIUPAC の命名法規則を参照のこと。

3. アルキル基

アルカンから水素原子を一つ除いたものをアルキル基 alkyl group と呼ぶ。アルキル 基は、多くの有機化合物の部分構造となっている。アルキル基の名前は、元のアルカン の名前の末尾の “ane”(アン)を “yl”(イル)に置き換えたものである。 分岐したアルキル基の命名法は少し面倒である。詳しい命名規則は省略し、よく使う ものの慣用名(系統的名称ではないが使用が認められている名前)を次に示す。これら の名称も覚えておくこと。特に、イソブチルとsec-ブチルは混同しやすい。

sec-は secondary(セカンダリー)、tert- または t- は tertiary(ターシャリー)と読

CH

3

CH

2

CCH

2

CH

3

CH

2

CH

2

CH

3

CH

2

CH

2

CH

3 1 2 3 4 5 6 7

(4,4-diethylheptane)

CH

3

CH

2

CHCH

2

CHCH

2

CH

2

CH

3

CH

3

CH

2

CH

3 1 2 3 4 5 6 7 8

(5-ethyl-3-methyloctane)

CH

3

methyl

CH

3

CH

2

ethyl

CH

3

CH

2

CH

2

propyl

CH

3

CH

2

CH

2

CH

2

butyl

CH3CH– CH3 isopropyl CH3CHCH2– CH3 isobutyl CH3CH2CH– CH3 sec-butyl or s-butyl CH3C– CH3 CH3 tert-butyl or t-butyl

(6)

む。それぞれ「第二級の」「第三級の」という意味である。

「第○級」という概念について、もう少し説明する。炭素原子は4本の結合を作るこ とができるので、他の炭素原子と結合できる数は最大4である。1個の炭素と結合して いる炭素原子を第一級炭素 primary carbon と呼ぶ。同じように、2個・3個・4個の 炭 素 と 結 合 し て い る 炭 素 原 子 を そ れ ぞ れ 第 二 級 炭 素 ・ 第 三 級 炭 素 ・ 第 四 級 炭 素 secondary carbon, tertiary carbon, quaternary carbon と呼ぶ(「第」をつけずに「一級 炭素」「二級炭素」などと呼ぶこともある)。 アルキル基の場合は、水素が取り除かれた炭素原子の種類によって、第一級アルキル 基・第二級アルキル基・第三級アルキル基と分類する。水素が取り除かれた炭素原子は 3本の結合しか持たないため、「第四級アルキル基」は存在しない。また、メチル基は いわば「第0級」に相当するが、そのような呼び方はせず、単にメチル基と呼ぶ。 注3:日本語では上記のように「第○級」と数字を使って表記するが、英語ではそれぞれ別の表 現が与えられており、数字で表すことはない。したがって、「級の数」に対応する概念は存在し ない。「級数」「級の数」という表現を使わないよう習慣付けること。

4. 官能基

官能基 functional group とは、有機化合物の性質を特徴づける原子または原子の集ま りである。実際上は、飽和炭化水素以外の構造があれば、その部分を官能基と考えるこ とができる。この講義で学ぶ主な官能基は、次のようなものである。 官能基 化合物の種類 接頭語 接尾語 炭 素 ・ 水 素 以 外 の 原 子 を 含 む も の カルボン酸 カルボキシ carboxy ∼酸 -oic acid アルデヒド ホルミル formyl ∼アール -al ニトリル シアノ cyano ∼ニトリル -nitrile

CH

3

CH

2

CH

3

CH

3

CHCH

3

CH

3

CH

3

CCH

3

CH

3

CH

3

CH

3

CH

2

CH

3

CH–

CH

3

CH

3

C–

CH

3

CH

3 C O OH C O H C N

(7)

ケトン オキソ oxo ∼オン -one –OH アルコール ヒドロキシ hydroxy ∼オール -ol –NH2 アミン アミノ amino ∼アミン -amine –O– エーテル R–オキシ R-oxy (なし) –X ハロゲン化 アルキル フルオロ fluoro クロロ chloro ブロモ bromo ヨード iodo (なし) 炭 素 ・ 水 素 原 子 の み を 含 む も の アルケン ­ ∼エン -ene アルキン ­ ∼イン -yne 共役ジエン ­ ∼ジエン -diene 芳香環 ­ ­ 官能基を持つ化合物の系統的命名法は、アルカンよりも一層複雑である。ここでは基 本的な方針だけを紹介しておき、それぞれの化合物が登場した際にもう少し詳しく解説 する。 1. 主要な官能基を決める。複数の官能基がある時は、上記の表で上にあるものが主要 な官能基となる。この官能基は「接尾語」、その他の官能基は「接頭語」を使って表す。 2. 主要な官能基を含む、炭素原子の最も長い並びを見つける。これが主鎖となる。 3. 主要な官能基の番号がなるべく小さくなるように、主鎖に番号をつける。 4. 主鎖を表すアルカンの名称を元にして、最後の e を主要官能基を表す「接尾語」 で置き換える。必要なら、主要官能基の位置を番号で表す。 5. 主要官能基以外の官能基の名称は、「接頭語」として主鎖名の前に置く(分岐アル カンの置換基と同じ)。 C O C C C C C C C C

CH

3

CH

2

CH

2

CH

2

OH

–OH

(butane)

(

1-

butan

ol

)

1 2 3 4

(8)

6. 主鎖が二重結合・三重結合を含む場合は、主鎖のアルカンの名称の “ane” を “ene” (二重結合)または “yne”(三重結合)に置き換えた上で、上記の規則で官能基名を付 け加える。 なお、ハロゲン化アルキルとエーテルは、「接尾語」としての名称が存在しないため、 上の方法で命名することはできない。「主要な官能基」がこれらの官能基である場合は、 ハロゲンまたは「アルキル基+O」の部分を置換基として命名するか、または「官能種 類命名法」という方法で命名する。詳しくはあとで学ぶ。

5. 有機化合物における分子間相互作用

5-1. 物理的性質と分子間相互作用 前節で「官能基は有機化合物の性質を特徴づける」と述べた。どのような性質が特徴 づけられるのだろうか。化学的反応性については今後詳しく学ぶので、ここでは主に物 理的性質、特に融点・沸点と溶解度について見てみよう。これらの性質を支配している のは、分子間相互作用の大きさである。 沸点はどういう要因で決まるのだろうか。沸点とは、液体状態の物質が(1気圧の外 圧のもとで)気体になる温度である。液体は分子同士が引力で引きつけ合って凝集して いる状態であり、一方気体は分子が熱エネルギーによって引力を振りほどいて、自由に 運動している状態である。分子間の引力が強いほど、それを振りほどくために多くの熱 エネルギーを必要とする。つまり、沸点が高くなる。融点についても同じことが言える。 つまり、分子間の引力が強いほど、融点は高くなる。

CH

3

CHCH

2

CH

2

OH

1 2 3 4

Cl

(3-chloro-1-butanol)

CH

3

CHCH=CHCH

2

OH

Cl

1 2 3 4 5

(4-chloro-2-penten-1-ol)

熱エネルギー 液体 気体

(9)

有機化合物の分子間相互作用として重要なものが3つある。それらは、双極子相互作 用、水素結合、London の分散力である。 5-2. 双極子相互作用:極性分子同士の分子間相互作用 プロパン (CH3CH2CH3)とアセトアルデヒド (CH3CH=O)は、分子量はほとんど同じ であるが、沸点が大きく異なる(プロパンの沸点は –42.3℃、アセトアルデヒドの沸点 は 20.2℃)。このことから、アセトアルデヒドの分子間相互作用はプロパンよりもずっ と強いことがわかる。 プロパンとアセトアルデヒドの構造上の大きな違いは、アセトアルデヒドが酸素を含 んでいることである。酸素は電気陰性度が高いので、炭素­酸素結合は分極しており、 酸素が負に、炭素が正に帯電している。正の電荷と負の電荷は互いに引き合うので、2 つのアセトアルデヒド分子の間には引力が働く。このように、分極した共有結合が持つ 正負の電荷による相互作用を双極子相互作用 dipole interaction と呼ぶ。 注4:「双極子(電気双極子)」とは、同じ大きさの正負の電荷がわずかに離れて存在する状態の ことである。 分極した結合を持つ化合物を極性化合物 polar compound、分極した結合を持たない 化合物を非極性化合物 non-polar compound と呼ぶ。双極子相互作用は、極性化合物同 士の場合のみ働く。 5-3. 水素結合:強く正に分極した水素原子とローンペアの相互作用 今度は、アセトアルデヒドとエタノール (CH3CH2OH)を比べてみよう。エタノール の沸点 (78.4℃)は、アセトアルデヒドよりもさらに高い。同じ極性化合物でも、エタノ ールの場合にはアセトアルデヒドでは現れない特別な分子間相互作用があるのではな いか、と推測される。そこで、分子構造を比較してみる。エタノールに存在して、アセ トアルデヒドに存在しない官能基は、O–H 基である。 O–H 基の水素原子のように、強く正に分極した水素原子は、特別な性質を持ってい る。すなわち、ローンペアの原子軌道と水素の原子軌道の混ざり合いが起こり、部分的 CH3 C O H δ+ δ– C CH3 O H δ+ δ–

CH

3

CH

2

O H

CH

3

C

O

H

(10)

な共有結合を作ることができる。これを水素結合という。 水素結合を持つ物質は必ず分極した結合を持つので、双極子相互作用と紛らわしい。 H とローンペアを持つ原子(上の図では O)との間に「部分的な共有結合」がある、と いう点で、双極子相互作用と水素結合は明確に区別して考えた方がよい。 水素結合に関与する原子は、通常N, O, F のどれかである。つまり、下図のような組 み合わせで水素結合が起きる。水素結合に関わる水素原子を持つ化合物を水素結合供与 体(水素結合ドナー)と呼ぶ。また、水素結合に関わるローンペアを持つ化合物を水素 結合受容体(水素結合アクセプター)と呼ぶ。 N, O, F を含む化合物で水素結合が強い理由は主に二つある。一つは、これらの元素 の電気陰性度が高いため、水素との結合が強く分極していることである。このため、水 素原子供与体として働きやすい。もう一つは、ローンペア電子が 2p 軌道(または 2s と 2p の混成軌道)にあり、水素原子の 1s 軌道と大きさが似通っているため、軌道の 相互作用が大きいことである。このため、水素原子受容体として働きやすい。 5-4. London の分散力:非極性分子同士でも働く相互作用 非極性分子同士の相互作用についてはどうだろうか。全く分子間相互作用が働かない とするといくら温度を下げても気体のまま存在することになるが、これは事実に反する。 従って、非極性分子同士であっても、何らかの分子間相互作用は働いているはずである。 この相互作用の原理は、Fritz London(1900~1954、ドイツ・アメリカの物理学者)に よって、量子力学を使って解明された。これを London の分散力 London’s dispersion force と呼ぶ。London の分散力は、運動している電子と原子核の間の相互作用が平均 化されて現れる力である。 O H O O–H δ+ δ– O H N H F H O O O N N N F F

(11)

London の分散力は、双極子相互作用や水素結合よりもずっと弱い相互作用であるが、 非極性分子を含むあらゆる物質で働く力である(もともとLondon が解析したのは希ガ ス原子の間に働く力だった)。また、London の分散力は、2つの分子に属する電子が 極めて近い距離に来たときにのみ働くため、分子同士の接触面積が大きいほど強くなる。 同じような原子から成る2つの分子については、原子の数が多い(分子量が大きい)方 が分子同士の接触面積が大きくなるため、London の分散力が大きくなる。 注5:分散力の説明として「電子が運動することによって一時的な分極が発生し、その間に力が 働く」とされることがあるが、物理的に正確な説明とは言えないので、「たとえ話」程度に受け 取っておくのがよい。分散力を正確に記述するためには、量子力学と摂動論が必要なので、ここ では詳細には立ち入らない。 以上をまとめると、有機化合物における分子間相互作用は、次のように分類できる。

London の分散力と双極子相互作用をまとめて van der Waals(ファン・デル・ワー ルス)相互作用と呼ぶ。化合物の種類によって働く相互作用が異なることに注意しよう。 また、分子間の相互作用の大きさには序列があり、一般的には「水素結合>双極子相互 作用>London の分散力」となる。

注6:London 分散力のことを van der Waals 相互作用と書く本もある(ブルースもそうなって いる)。IUPAC の勧告では「van der Waals 相互作用は双極子−双極子相互作用、双極子−誘 起双極子相互作用(Debye 力、本講義では取り扱わない)、London 分散力を含む」とされてい るので、本講義ではこの定義に従う。 5-5. 溶解度と分子間相互作用 2つの原子 (ある瞬間) (別の瞬間) 引力 引力 分極は残らないが 引力は残る 時間平均 Londonの分散力 双極子相互作用 水素結合 非極性分子 極性分子ローンペアと 正に分極した水素原子

van der Waals 相互作用

(12)

化学反応は溶液状態で行われるため、「溶けない」物質は反応できないからである。「似 たもの同士は溶け合いやすい」あるいは「極性物質は極性溶媒に溶けやすい」とよく言 われるが、この説明だけでは分子レベルで何が起きているのか理解できない。上で学ん だ分子間相互作用の考え方を使って、溶解度の違いについて考察してみよう。 ある物質(A とする)が溶媒(S とする)に「溶ける」時に起きる分子間相互作用の 変化を考えてみる。A の周りには最初は A しかいなかったのだが、S に溶けた状態では A は S で囲まれている。一方、S の周りにも最初は S しかいなかったが、A を溶かし た状態では周りのS の一部が A で置き換わることになる。 つまり、A と S が分離している状態では、「A 同士の相互作用」と「S 同士の相互作 用」のみが存在する。一方、A が S に溶けている状態では、「A と S の相互作用」と「S 同士の相互作用」のみが存在する。ここで考えている相互作用はすべて「引力」である から、相互作用が大きい方が安定である。従って、A が S に「溶ける」かどうかは、こ れらの状態のうち、どちらの相互作用が大きいかによって決まる。 より具体的にいえば、A と S の混合後に相互作用が大きくなるか、または同程度な ら、A は S に溶ける。逆に相互作用が大幅に小さくなるようなら、溶け合わずに分離し ていた方が安定になるため、A は S に溶けない。極性物質(特に水素結合できるもの) と水の場合は前者のケースで、非極性物質と水の場合は後者のケースになる。

Aの周り: Aのみ Sの周り: Sのみ Aの周り: Sのみ Sの周り: AとS 分子間相互作用の変化 A S 混合前 混合後 S‒S, A‒A相互作用 > A‒S相互作用 A = 非極性物質, S = 水 A S 混合前 混合後 S‒S, A‒A相互作用 A‒S相互作用 A = 極性物質, S = 水

(13)

注7:「相互作用が同程度でも溶け合う方が安定になる」のはなぜだろうか。これは、系の「乱 雑さ」が全体のエネルギーに寄与するためである。A と S が分離している状態よりも、溶け合 った状態の方が「乱雑さが大きい」と見なせるため、全体のエネルギーが低下する。熱力学で「エ ントロピー」について学べば、この効果を定量的に考察することができる。

6. 今回のキーワード

・ 炭化水素、飽和炭化水素、不飽和炭化水素、アルカン ・ 直鎖アルカン、分岐アルカン ・ 簡略構造、骨格構造 ・ 直鎖アルカンの名称(C10 まで) ・ 分岐アルカンの命名法 ・ アルキル基 ・ 第一級炭素、第二級炭素、第三級炭素、第四級炭素 ・ 第一級アルキル基、第二級アルキル基、第三級アルキル基 ・ 官能基 ・ カルボン酸、アルデヒド、ニトリル、ケトン、アルコール、アミン、エーテル、ハ ロゲン化アルキル、アルケン、アルキン、共役ジエン ・ 官能基を持つ化合物の命名法 ・ 分子間相互作用、沸点 ・ 双極子相互作用 ・ 水素結合 ・ London の分散力 ・ van der Waals 力 ・ 溶質、溶媒、溶解度

・ 溶解度と分子間相互作用の関係 【教科書の問題(第3章)】

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