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社会科・公民科における経済教育での価値・倫理の扱い

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経済教育35号  15 要旨  社会科・公民科における経済教育は,経済学教育ではなく,日本国憲法を基本になされるという点で 日本国憲法が有する価値・倫理を前提としている。また,社会科・公民科における経済教育は,生徒の経 済的社会化を促すことを目的にしているので,その点でも,ある種の価値・倫理を前提としている。では, どのような価値や倫理をどのように扱うべきか,本稿ではこのことについて論じる。また,経済における 倫理的正当性の根本が,「市場の倫理」にあることを述べる。最後に,社会科・公民科の教科書の記述に は隠された経済の価値・倫理があり,そこには「市場の倫理」に反する記述があることを述べる。 キーワード:社会科・公民科,日本国憲法に含まれる価値・倫理,経済的社会化,市場の倫理,倫理的正 当性

Ⅰ.経済学教育ではない社会科・公民科に

おける経済教育

 社会科・公民科の(教育)目標は,学習指導要領に よれば,「国際社会に生きる平和で民主的な国家・社 会の形成者」=「公民」(シチズンシップ・市民)を 養うことである。社会科・公民科における経済教育は, 経済学そのものを教えることを目標としていないし, ましてや,経済学者の卵を養うことも目標としていな い。この点で,大学の経済学部等における,学問・科 学としての経済学の教育とは,教育目標が異なる。科 学としての経済学は,たとえ価値自由(value free) であるとしても,あるいは,そうあることを理想とし ているとしても,社会科・公民科における経済教育が 価値自由である必要はない。そもそも,「国際社会に 生きる」,「平和」,「民主的」という,社会科・公民科 の目標に含まれる用語には,既に価値や倫理が含まれ ている。これらの価値や倫理は,政治教育だけではな く経済教育のあり方にも影響する。  日本における社会科・公民科の教育は,日本国憲法 に基づいてなされるが,学校における経済教育も日本 国憲法に基づいてなされることになる。日本国憲法の 中には,戦争の放棄(第九条),自由・権利の保持の 責任とその濫用の禁止(第十二条),個人の尊重,生 命・自由・幸福追求の権利の尊重(第十三条),法の 下の平等(第十四条),奴隷的拘束・苦役からの自由 (第十八条),居住・移転・職業選択の自由(第二十二 条),婚姻,家族生活における個人の尊厳と両性の本 質的平等(第二十四条),生存権,国の生存権保障義 務(第二十五条),教育を受ける権利,教育を受けさ せる義務,義務教育の無償(第二十六条),勤労の権 利・義務,勤労条件の基準,児童酷使の禁止(第二十 七条),勤労者の団結権・団体交渉権その他の団体行 動権(第二十八条),財産権の保障(第二十九条),納 税の義務(第三十条)等の国民の経済生活・経済活動 及び国の経済政策に関わる条文がある。これらの条文 の中には,経済に関する価値や倫理が含まれている。 特に,生存権,国の生存権保障義務(第二十五条)の 規定は,国による社会福祉政策の実施を求めており, 純粋な自由市場経済体制・「安価な政府」を想定して いない。その意味からしても,日本の社会科・公民科 における経済教育では,日本国憲法に基づき,積極的 に経済に関わる価値・倫理を扱うべきであろう。

社会科・公民科における経済

教育での価値・倫理の扱い

The Journal of Economic Education No.35, September, 2016

On the Value and Ethics in Economic Education at School Yamane, Eiji

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16 シンポジウム 論 考 投稿原稿 会務報告 大会報告

Ⅱ.児童・生徒の経済的社会化を促す社会

科・公民科での経済教育

 社会科・公民科における経済教育の目的に関しては, 社会科・公民科に関する教育学会においても幾つかの 考え方がある。中には,前節においては否定した,科 学としての経済学を教えるべきであると主張する研究 者もいる。しかし,前節で述べたように,学習指導要 領は,そのような立場を取っていない。筆者は,学習 指導要領に基づき,社会科・公民科における経済教育 の目的を,生徒の将来も見据えた経済的社会化におい ている。経済的社会化とは,個人(生徒)が,我が国 及び世界の基本的な経済体制を理解し,その経済体制 に適応して自己の経済的役割を適切に遂行できるよう になると共に,その経済体制において自主的・合理的 に経済に関する意思決定ができるようになることをい う。我が国の基本的な経済体制とは,市場経済体制を 基本とした混合経済体制であり,世界の基本的な経済 体制とは,主権国家間での相互依存的な自由経済体 制・グローバル経済体制である。個人の経済的役割は, 基本的には,消費者,生産者,市民である。  学習指導要領では,社会科・公民科の目標として 「公民」が用いられているが,経済的な観点からは, 「公民」は,消費者,生産者,市民の 3 つに分けるこ とができる。教育目標としての消費者,生産者,市民 にも理想像があり,決して,価値や倫理と無縁ではな い。例えば,学習指導要領では,以下のような価値や 倫理が内包されている。 消費者・・・(資源やお金の)無駄遣いをしない。豊か な消費生活をする。他人に迷惑をかけない。環境 に配慮した生活をする。 生産者・・・生産活動において工夫・努力をする。人 に役立つ仕事・生産をする。環境に配慮した生産 活動をする。 市民・・・・税金を正しく納税する。政府の望ましい 経済的役割・経済政策を判断する。国民全体の福 祉が高まることを求める。  これらの価値や倫理は,教育的に否定すべきもので はなく,むしろ肯定されるべきであろう。

Ⅲ.社会科・公民科における経済教育での

価値や倫理の扱い

 社会科・公民科における経済教育では価値や倫理を 積極的に扱うとしたとき,では,どのような価値や倫 理をどのように扱うべきであろうか。  経済教育で価値や倫理を扱う場合に,第一に留意し なければならないことは,ある価値や倫理を単独に取 り上げて,その価値や倫理を絶対化して教える(生徒 に注入する)べきではないということであろう。経済 に関わる価値や倫理は複数あり,しかもそれらが互い にトレード・オフの関係にあるものが多い。それゆえ にこそ,経済は論争的なのである。例えば,効率と平 等(格差縮小)は,効率と安定・安全は,互いにト レード・オフの関係にある経済的な価値,倫理であろ う。例えば,効率という価値を絶対化し,トレード・ オフの関係にある他の価値は無視してもよいと教える ことは,経済教育として適切ではない。トレード・オ フの関係にある複数の価値を取り上げ,それらの複数 の価値がどのような関係になっているかを考察・認識 した上で,どちらの価値をどの程度重視するかを生徒 に判断・意思決定させるような教育をすべきであろう。  しかし,学校における経済教育では,経済に関する 価値や倫理を純粋・抽象的に取り上げて,それらの関 係を生徒に考察させることは望ましいことではないで あろう。現実の具体的な経済問題を取り上げ,その問 題に対する解決や意思決定を生徒にさせる中で,その 問題に関わる価値や倫理を取り上げて考察させるべき であろう。例えば,現在の日本の経済問題である雇用 の自由化問題(規制緩和の問題),TPP 締結問題,社 会福祉制度の問題,国の累積赤字の問題などは,いず れも価値や倫理が対立している問題であり,それらの 問題の解決や意思決定を生徒にさせることは,経済教 育で価値や倫理を取り扱う望ましい方法であろう。  では,具体的な経済問題を扱う中で,どのように価 値や倫理を考察させればよいのであろうか。筆者は, その考察の中心は,ある経済の状態あるいは経済に関 する行動・政策の倫理的妥当性あるいは倫理的正当性 になるのではないかと考える。  例えば,TPP 締結問題に関して言えば,消費者主 権という考え方に立てば,また,自由貿易は関係する 全ての国の経済的厚生を高めるという考え方に立てば, 関係国が互いに関税をゼロにすることが倫理的に妥当 なことである。しかし,日本政府は,ある生産品(例 えばある農産品)については,TPP 交渉でも輸入品 に高率な関税をかけ続けようとしている。それには, 倫理的妥当性があるのかどうか,あるいは,どのよう な倫理的正当性があるのかを生徒が考察・意思決定す る(話し合う)ということになろう。  また,例えば,現在日本では,国・政府の累積債務 が 1,000 兆円を超えるまでになっており,さらにその 額を政府はさらに増やそうとしているが,そのことに

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経済教育35号  17 はどのような倫理的妥当性あるいは倫理的正当性があ るのか,無いとしたら,政府はどうしてそのようにし ようとしているのか,あるいは,国民はなぜそれを許 しているのかを生徒に考察させるということになろう (家庭では,住宅ローンや教育ローンなどの投資的な 借金はともかく,消費的な借金は望ましくないとされ ているのに,今の国の借金の多くは,投資よりも消費 に回されている)。  その妥当性・正当性を考えるためのより具体的価値 としては,効率,利便,公平(平等),安全・安定, 健康・健全,自由,進歩・発達・発展,弱者救済,環 境保全,文化保存などがあるであろう。当然,それら の価値の間のトレード・オフの関係やバランス・均衡 も考察されるべきであろう。

Ⅳ.経済における倫理的正当性の根本

 現実の具体的な経済問題の解決やそれに対する生徒 の意思決定を考えさせる中で,経済に関する複数の価 値や倫理の正当性・妥当性を踏まえさせることは,経 済教育において重要なことであるが,それとともに, 経済における倫理的正当性・妥当性の根本はどこにあ るのか,何であるのかを,経済教育において考察して いくことも,重要なことであると筆者は考える。  筆者は,「平和的・非暴力的で,情報の非対称性の ない,完全自由競争市場における,経済的利益を実現 しようとする個人の努力と個人の間の対等な経済取 引」に,経済の倫理的正当性の基盤をおきたいと思う。 これを,「市場の倫理」と呼びたい。市場の倫理が, 市場経済体制を基本とした混合経済体制における経済 倫理の根本であると考える。例えば,ある市場が暴力 的であれば(例えば,ブラック企業,蛸部屋),その 市場は倫理的正当性を批判されるべきである。そして, その解決法が考えられるべきである。消費者と生産者 の間の情報の非対称性が大きすぎる市場であれば,そ の市場における自由取引の正当性は疑われるべきであ り,何らかの改善(例えば消費者保護や規制)が必要 であることが倫理的に要請されるであろう。ある市場 が独占的であるとすれば,その市場における取引は, 倫理的妥当性を疑われるべきであり,何らかの改善 (競争状態を作り出すこと)が必要であることが倫理 的に要請されるべきであろう。また,個人が,自己の 所得や効用を求めて努力すべきことも,倫理的正当性 の根本に据えられてよいであろう。(シンポジウムに おいて,登壇者のお一人である松尾匡氏が,発表資料 として「ジェイコブズの 2 つの倫理」を配布され,そ の中に「市場の倫理」が含まれていたことは,筆者に とって幸いなことであった。)

Ⅴ.日本の社会科・公民科における経済教

育での価値・倫理の取り扱いの問題点

 このことに関して,筆者は,近年の社会科・公民科 の教科書における経済に関する記述の中の,「市場の 倫理」とかけ離れた記述を問題としたい。  第一は,「フェアトレード」についての記述である。 例えば,高校・現代社会のある教科書では,「フェア トレードとは,発展途上国の原料や製品を適正な価格 で購入することを通じ,立場が弱い発展途上国の生産 者や労働者の生活改善と自立をめざす運動である」と 記述されている。「フェアトレード」は,日本語にす れば「公正な取引」であるから,同じ種類の商品で フェアトレード以外のルートで販売されている商品は, 不正な取引によって販売されている商品のように生徒 には思われるであろう。しかし,フェアトレード以外 の商品は不正な取引でなされており,その価格は適正 な価格ではないのであろうか。ひょっとしたら,フェ アトレードの商品は,不当に高い値段で売られている が,買う人の善意・慈善で高い値段で買われているの ではないであろうか。このように考えると,そもそも, 商品の公正・適正な価格とは何であろうかと考えざる を得なくなるであろう。筆者は,市場経済体制におけ る適正な価格とは,自由競争市場の下での市場価格・ 均衡価格以外には考えられない。いずれにしても, フェアトレードを情緒的に支持する前に,経済教育に おいては,フェアトレードにおける商品の価格は本当 に公平・適切な価格であるかどうか,公平・適切な価 格とはそもそもどんな価格であるかを考察すべきであ ろう。  第二は,「地産地消」が評価され過ぎていることで ある。小学校社会科第 5 学年の教科書は日本の農業に ついて扱っているが,その中で,農産物の地産地消が 非常に素晴らしいことであるかのように記述されてい る。地産地消とは,ある地域で生産したものをその地 域で消費することであるが,少し考えてみれば分かる ように,地産地消を徹底したら,都会に住む人々は食 料を得られなくなってしまい,その一方で,農業の盛 んな地域では食料供給が余ってしまうことになる。そ のどこが素晴らしいことなのであろうか。地産地消に よって,新鮮な農産物を安く買うことのできる地域の 消費者や,大きな市場には出せない農産物を地域の小

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18 シンポジウム 論 考 投稿原稿 会務報告 大会報告 さな市場には出荷できる農家がいることは確かであろ うが,そのことは日本全体から考えて,それほど素晴 らしいことなのであろうか。特に,都会に住んでいる 人・生徒が地産地消を素晴らしいことだと評価すると いうことはどのようなことなのであろうか。筆者には 理解できないことである。  第三に,地産地消とも関係するが,「フードマイ レージ」についての評価についても,筆者は疑問を感 じる。「フードマイレージ」は,中学校社会科公民的 分野の教科書や高等学校公民科現代社会の教科書に記 述されている。例えば,ある中学校社会科公民的分野 の教科書では,「フードマイレージとは,食料が生産 された地から消費されるまでの輸送距離をはかる指標 で,『重量×輸送距離』で計算されます。日本は,総 量,国民 1 人当たりの量とも世界一となっています。 フードマイレージが高いということは,それだけ輸送 にエネルギーを消費していることになるため,環境に 負担をかけていることにもなります。」と書かれてい る。明らかに,外国から食料を輸入することについて, 望ましくないという評価が読み取れる。しかし,フー ドマイレージの概念には,どのような輸送方法で運ぶ かは考慮されていない。例えば,アメリカの西海岸の 港から小麦を大型貨物船で大量に日本の港に運べば, フードマイレージは大きくなろうが,1 トンあたりの 小麦を運ぶのに必要な石油は,それほど多くないと思 われる。それに対して,同じ県内の近郊の農村地帯か ら都市に軽トラックで米を運ぶとしたら,フードマイ レージは低いかもしれないが,1 トンあたりの米を運 ぶのに必要な石油は,結構多いのではなかろうか。 フードマイレージの概念には,このような難点がある にもかかわらず,そのことは教科書では触れられてい ない。外国からものを運ぶのにはエネルギーが必要で あることは,食料に限らない。石炭や石油を運ぶ(輸 入する)にも,自動車を運ぶ(輸出する)にもエネル ギーは必要である。しかし,それに関するフードマイ レージのような概念はない。このことを考えると, フードマイレージを取り上げる教科書には,食料の輸 入について特に問題視しているという価値観が隠され ているように思う。このような価値観は,経済教育に おいては,倫理的に検討されるべきであろう。  このように,日本の社会科・公民科の教科書におけ る経済についての記述には,地域主義を賞賛し,経済 のグローバル化を問題視する記述が多いように思われ る。これは,教科書の著者・編集者だけではなく,教 科書の検定を行っている文部科学省,そして,その教 科書を用いて授業をしている教師の持つ価値観・倫理 観を反映しているのかもしれない。すなわち,社会 科・公民科の教科書の記述は,価値自由どころか,あ る種の価値観・倫理観が,明確に述べられることなく, 隠されている。一般的に,日本の社会科・公民科の教 科書における経済についての記述では,市場の倫理を 否定する記述が多いように思われる。経済教育の授業 では,教科書の記述に隠された価値観・倫理観を明ら かにし,それらを広い観点から,特に,市場の倫理や 日本国憲法の観点から考察・評価し,望ましい経済の 状態・政策とは何かを論ずるべきであろう。

参照

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