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大学英語教育の変革と展望 (小椋康宏教授 退任記念号) 利用統計を見る

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全文

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念号)

著者

中鉢 惠一

雑誌名

経営論集

85

ページ

79-88

発行年

2015-03

URL

http://id.nii.ac.jp/1060/00007109/

Creative Commons : 表示 - 非営利 - 改変禁止 http://creativecommons.org/licenses/by-nc-nd/3.0/deed.ja

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大学英語教育の変革と展望

Changing English Education:

Issues and Perspectives for Japanese Universities

中 鉢 惠 一 はじめに 1. 大学英語教育の変遷 1.1 大学設置基準制定 1.2 大学設置基準大綱化 1.3. グローバル人材育成の高まり 2. 英語教育の問題と特殊性 3. 大学英語教育のゆくえ 3.1 英語教育の責任の所在 3.2 教育内容の精査および教育効果 3.3 国際化との関連 3.4 これからの大学英語教育 おわりに はじめに 日本の大学は2000 年代になってから大きな変革の時代に入っている。大学進学率 が50%を超えた現在、大学教育の質が問われるようになり、とりわけ、英語教育は結 果を求められる状況となっている。本論文では、大学英語教育がどのように変化し、 現在の問題点を明らかにした上で、国際化の中においてどのように進んでいくべきか について論ずる。 1. 大学英語教育の変遷 日本の英語教育は、中・高等学校であれば学習指導要領に準拠して行われているが、 大学においてはそのようなカリキュラム・デザインは規定されていない。しかし、学 校教育法に基づいた「大学設置基準」というものがあり、それに沿って大学の英語教 育も行われている。第二次世界大戦後の大学英語教育を俯瞰すると、大学設置基準が 制定された1956 年、設置基準が大綱化された 1991 年、「グローバル人材育成戦略」 が発表された2012 年を境に大きな変化が見て取れる。 1.1 大学設置基準制定(1931 年以降) 1956 年(昭和 31 年)に発令された大学設置基準によると、大学の外国語教育(英 語を含む)は次のように規定されている。

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(卒業の要件) 第三十二条 卒業の要件は、大学に四年以上在学し、次の各号に定める単位を含め、 百二十四単位を修得することとする。 一 一般教育科目については、人文、社会及び自然の三分野にわたり三十六単位 二 外国語科目については、一の外国語科目八単位 三 保健体育科目については、講義及び実技四単位 四 専門教育科目については、七十六単位 2 前項の規定にかかわらず、大学は、学部、学科又は課程の種類により教育上 必要があるときは、一般教育科目について同項第一号の規定により修得すべき単 位のうち十二単位までを、外国語科目、基礎教育科目又は専門教育科目について の単位で代えることができる。 3 二以上の外国語の科目の修得を卒業の要件とする大学の場合に当たっては、 一の外国語の単位は、第一項第二号の外国語科目についての単位とし、他の外国 語の科目の単位(前項の規定によるものを除く。)は、第一項第四号の専門教育科 目についての単位と見なす。 大学設置基準は学習指導要領とは異なり、カリキュラムではないため、教える内容は 各大学に任せられている。一般教育としての英語科目で何が教えられていたのかにつ いては、大学間によって多少の差はあるが、おおよそ次のようなものであると言って 差し支えないだろう。 1. 講読用の教科書を使用し、英語を日本語に訳す活動を中心とする。 2. 教員中心の授業であり、学生は教員の模範訳等をノートに取る。 3. 学生は事前に予習をして単語や日本語訳の準備をしてくる。 4. グループ活動学習は行われず、個人活動を主とする。 5. 学期末にテストが行われ、それを元に評価される。 どのような内容のものを読むかは、教員任せであり、環境問題のようなものから文学 までさまざまな題材が扱われていた。当時は通年制が一般的であり、一学期12 週を 標準としているのが多く、年間90 分 24 回の授業で大学用講読テキスト(100 ページ 程度)を読むというのが一般的であったと言える。 このような大学英語教育に関して当時批判があったのかどうかは定かではないが、 コミュニケーションを中心とする英語教育という発想はあまりなかったというのは確 かである。また、当時の大学入試の問題を振り返るとバートランド・ラッセルやアー ノルド・トインビーの文章が使われているなどかなり高度な英文が扱われていたとい う事実があることから、大学の講読テキストは、今の基準からするとかなり難しいも のであったと考えられる。 1.2 大学設置基準大綱化(1991 年以降) 1991 年に始まった設置基準の大綱化は、下記の文部省令第 24 号(1991 年)が示

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すように、各大学のカリキュラム編成に多大な影響を与えた。最大の変更点は、一般 教育科目、外国語科目、保健体育科目が必修でなくなったことである。外国語科目に 関して言えば、極端な場合、外国語科目をとらなくても124 単位を満たせば卒業でき るというようなカリキュラムが可能になったわけである。 (教育課程の編成方針) 第十九条 大学は、当該大学、学部及び学科又は課程等の教育上の目的を達成す るために必要な授業科目を開設し、体系的に教育課程を編成するものとする。 2 教育課程の編成に当たっては、大学は、学部等の専攻に係る専門の学芸を教 授するとともに、幅広く深い教養及び総合的な判断力を培い、豊かな人間性を涵 養するよう適切に配慮しなければならない。 (教育課程の編成方法) 第二十条 教育課程は、各授業科目を必修科目、選択科目及び自由科目に分け、 これを各年次に配当して編成するものとする。 (卒業の要件) 第三十二条 卒業の要件は、大学に四年以上在学し、百二十四単位以上を修得す ることとする。 (平三文令二四・全改) 英語教育に焦点を当てると、大綱化によって変化が起きたとすれば、それは教養的 な英語からスキルを中心とした実用的な英語にシフトしたことであろう。本学を例に 取ると、教養課程の英語科目としては英語Ⅰ~Ⅷに分け、4 技能を基本としたコース デザインのもとに、ディスカッションやディベートのクラスまで存在していた。それ らがうまく機能していたかは、個々の教員の技量によることも大きいが、このような 細分化は大綱化ならではの変化と言っていいだろう。また、90 年代から契約制英語ネ イティブ教員が配置されるようになり、コミュニケーションを意識したカリキュラム 編成を特徴づけている。ただし、このような変化が真に大学英語教育にプラスであっ たのかについては、十分な検証が行われていない。英語に限らず、大学の教室は聖域 であり、他の者が教室に踏み入る隙間はなかったため、教室でどのような授業が行わ れていたのかは余り把握されていない。大綱化が行われていても、教員の配置換えが あったわけでもなく、現実は教える内容が多少変化したものの、教育方法については たいして変化はなかったのではないかと推測される。 1.3 グローバル人材育成の高まり(2000 年以降) 設置基準の大綱化以降、大学英語教育はスキルの向上を図ったものが多く見受けら れるようになったが、2000 年代になると「グローバル化」というキーワードとともに さらに教養としての英語から離れていく傾向が見受けられる。大学審議会答申(2000) を始めとし、日本経営者団体連盟(2000)、文部科学省(2002、2011)、自由民主党 (2013)などが日本の英語教育のあり方についてさまざまな提言をしている。それら の提言で特に強調されている点を大学にフォーカスして言えば、次のとおりである。

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1 英語によるコミュニケーション能力の向上、とりわけ聞く・話す力を伸ばす 2 英語力の到達目標を数値化する 3 留学の促進 4 大学入試改革の促進 5 TOEFL、TOEIC 等の外部試験の利用 6 英語で専門科目・一般教育科目を教える 現在多くの大学でグローバル化を進めているところであるが、グローバル化で必ず重 視されるのは英語教育であり、上記の6 点は必須とされている。このような傾向につ いては、さまざまな批判があるが(大津・江利川・斎藤・鳥飼、2013)、それでも大学 の英語教育はこの路線で突き進んでいると言えよう。 2. 英語教育の問題と特殊性 英語という科目は、他の教科に比べて特殊である。それは、他教科には見られない 世間の批判に常にさらされているということである。「中高大と10 年も勉強して、道 案内すらできない」、「TOEFL の平均点は、アジアの中でも最低レベルだ」、「学校英 語は文法を中心に教えるだけで、実際の場面では全く役に立たない」など枚挙に暇が ない。こうした批判は、政財界からばかりではなく、一般の人々からも繰り返され、 その度に現場の英語教員は、そのような批判が的外れであると感じながらも、反論す る機会も与えられず忸怩たる思いをしている。大学生が二次方程式や簡単な因数分解 ができなくても、世間から批判されることはない。この点で英語の特殊性が際立って いると言える。 何ゆえに英語教育だけが批判にさらされるのだろうか。一つには、海外旅行が一般 的になり、海外からビジネスや観光で日本を訪れる外国人が増えてきたことにより、 英語は使えたほうがいいという国民的な高まりがある。そのような中で、十分に英語 が使えない劣等感を、学校教育のせいにすることでうっぷんをはらしているようにも 見える。また、英語という教科に客観的なスキルを測る外部検定試験が複数存在する ことも、英語教育批判の一因になっていると考えられる。特にTOEFL や IELTS な どの海外の大学留学に必要な試験の普及により、日本人の英語力が他の非英語文化圏 の人々と比較されるようになっていることの影響は大きい。たとえば、ETS

(Educational Testing Service)によると「TOEFLiBT における日本の平均点(2012)

は70 点で北朝鮮の 80 点より低いと批判される。しかし、このような比較は、試験を 受けている人数や社会的立場を考えると、統計的にたいした意味をもたない。それで も、点数が低いということだけで日本の英語教育はだめだと烙印を押されてしまうの である。 政財界を始めとして、世間の人々はいったいどういう英語力を身につけさせること を学校英語教育に期待しているのであろうか。仮にアメリカの大学が要求している TOEFLiBTの最低基準61点だとすると、その点数に達するレベルの教育をするには、 90 分週 1 回の授業ではとても足りない。一人一人の学生が毎日教室外で 2 時間程度 の学習を最低半年から1 年することによって初めて達成できるレベルである。そのよ

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うなレベルを大学英語教育に求めるのは、そもそも根本的に間違っている。テニスで 何とかネットを越してラリーができるようなレベルのプレーヤーに、レッスンプロの ようなレベルを身につけさせることが求められているというのが、日本の英語教育が 抱えているジレンマである。 上記で述べたように英語科目は他の教科と異なった扱われ方をされているが、大学 英語教育に問題がないわけでは決してない。マクロ的、ミクロ的な改革が必要となっ ている。 3. 大学英語教育のゆくえ 2010 年代になり国際化の波は大学にも押し寄せている。文部科学省は、2012 年に 「グローバル人材育成推進事業」、2014 年に「スーパーグローバル大学創成支援」を 通して次々と国際化を重点的に進める大学を選出し、大学の国際化を全国的に広めよ うとしている。そのような事業の中で英語教育は重要な位置を占め、さらなる改革を 求められているが、トップダウンだけでは、教員も学生もついていかない。国際化の 中での大学英語教育の今後について考えていく。 3.1 英語教育の責任の所在 大学における英語教育は、学部・学科を中心とする組織、大学全体を統括する全学 カリキュラム委員会組織のいずれかで行われている場合が多い。学部・学科単位の組 織では、英語教員が中心となり学部の特徴に応じた英語教育を細かく施すことができ る。たとえば、経営学部では、4 技能を習得させるスキル科目を置くと同時に、ビジ ネスコミュニケーション、ビジネスプレゼンテーションといったビジネスに特化した 科目を提供することが可能になる。全学カリキュラム委員会組織では、各学部・学科 に応じた科目提供はできないが、基礎的なスキル科目から上級者向け科目まで多数配 置することが可能である。もちろん、カリキュラムの責任は英語教員が担うことにな る。 このような2 つの責任体制が大学英語教育を伝統的に担ってきた方法であるが、こ こ数年英語教育を外部委託する大学が出始めている。特定の会話学校やフィリピン、 マレーシア等の業者と契約して英語教育を丸投げしているところすらある。外部委託 でも、大学専任英語教員がカリキュラムを作成、統括できていればいいが、そうでな い場合は、大学教育とは何かという根幹に関わる問題となる。英語教育において、読 み書きのスキルが重要であるのは間違いないが、それだけを教えるということであれ ば、外部委託に任せてしまうという方法もあるかもしれない。しかし、それは余りに も安易としかいいようがない。英語に限った話ではないが、大学の教育科目の一つ一 つが、しっかりとした学問的意味合いを持ったものとして教えられなければならない。 英語教育の責任の所在は、あくまでも英語教員にあるべきであり、英語専門家ではな い集団が意思決定すべきではない。外部委託をすべて否定するわけではないが、学内 専門家を無視して意思決定をしても、英語教育の効果は十分浸透しないであろう。

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3.2 教育内容の精査および教育効果

英語教育は先に述べたような特殊性があるゆえに、結果を求められることが多い。 そのため、教育内容を精査する必要がある。まず、スキルとしての英語教育を見直す ことが重要である。それは、英語外部テストで高いスコアを取るための目標を設定す るよりは、CEFR(Common European Framework of Reference for Languages:ヨ

ーロッパ言語共通参照枠)に見られるCan do list のようなものが必要になってくる

であろう。たとえば、大学生のReading に関する Can do list を以下のように設定し

てみることができる。 1 大学英語教育用テキストを1分間に150語程度のスピードで読むことができる。 2 ジャパンタイムズなどの国内英字新聞記事を辞書無しで概略をつかむことがで きる。 3 500 語程度のテキストを 50 語程度の英語でまとめることができる。 4 教科書や英字新聞の記事を読み、内容に関する質問を作ることができる。 5 教科書や英字新聞の記事を読み、すばやく必要な情報を得ることができる。 担当教員は、このようなリストを元に具体的な授業案を作成することができ、また個々 の学生の達成度を評価対象にすることもできる。TOEIC の問題集をひたすら解く授 業は、点数を伸ばす以外の目標設定は立てづらく、点数のみで評価されやすい。それ は、点数を伸ばせなかった教員の評価にもつながり、生産的な授業になっているとは 言いがたい。学生がどのようなニーズを求めているのかを探りながら、教育内容を決 定していくことが重要であろう。 英語教員は、経営者のみならず広く世間からも注視されており、学生の英語力がつ かないと批判されてしまうという宿命にさらされている。一例をあげれば、単に TOEIC の平均点が低いからという理由で、大学の英語教育がうまくいっていないと 断言する大学経営者や英語担当以外の教員が存在する。そのような人は、受験エリー トである場合が多いが、どれだけの時間を受験勉強に費やしたかについて思い出して いただきたいものである。どんなにすばらしいTOEIC の授業をしたところで、一朝 一夕に点数が伸びるものではない。大学にできることは、英語力を伸ばしたいと考え ている学生にできるだけ多様な科目を提供し、自学自習力をつけるような方向性をも たせることである。最近、学習支援センターといった施設を学内に置き、自学自習の 促進を図っている大学も見受けられるが、それは授業で十分力を発揮できない学生に とっては大きな支援となっている。教育の内容を精査し、大学全体で足りないものを 補っていくという姿勢が問われているといってよいだろう。 3.3 国際化との関連 大学の国際化は日本の大学に避けて通れない重要な課題となっているが、その中に おいて英語教育は中心的な位置を占める。国際化に向けての大学英語教育の課題は、 英語力の到達目標の明示、実践的な英語教育の強化、海外留学の促進、抜本的な入試 改革の4 点に絞られる。

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1) 英語力の到達目標の明示 文部科学省(2002)が発表した「『英語が使える日本人』の育成のための戦略構想」 では、戦後初めて英語の到達目標を数値化した。すなわち、中学卒業者は英検3 級、 高校卒業者は英検準2 級~2 級、英語教員は TOEFL 550 または TOEIC 730 とさ れている。大学生に関しては数値化されていないが、「仕事で英語が使えるレベル」と されているので、TOEIC で言えばおよそ 730~800 点レベルと言ってよいだろう。し かし、このレベルは大学生のTOEIC 平均点が 553 点(国際ビジネスコミュニケーシ ョン協会, 2012)ということから考えると、かなり高い点数ということになり、現実 的な数値目標の設定が必要であろう。高校卒業者の到達目標が英検2 級ということで あるならば、大学生の数値目標はTOEIC600 点程度が妥当なところかもしれない。 しかしながら、このレベルでは仕事で英語が使えるレベルではないのは言うまでもな い。 2) 実践的な英語教育の強化 実践的な英語教育の強化については、1990 年代より政財界からも繰り返し要求さ れており、文部科学省の「グローバル人材育成戦略」(2012)においても強調されてい る。コミュニケーションを意識した英語教育については、中・高等学校ではすでに1980 年代より取り組んでおり、大学においてもコミュニカティブな英語教育は浸透しつつ ある。育成戦略ではさらに異文化体験を推奨している。大学のカリキュラムでは、す でに異文化間コミュニケーション等の授業科目を展開し、夏季や春季の語学セミナー 等を通じて異文化体験も行えるようになっている。今後は、海外短期滞在の中で、現 地の社会的・文化的側面を体験できるようなプログラムを開発していく必要があるで あろう。 3) 海外留学の促進 日本人の長期海外留学の数はこの10 年で劇的に減っているといわれるが(中鉢、 2012)、大学生が 4 年間の中で留学できる制度を設定する必要がある。アメリカを中 心とする英語文化圏に正規留学するためにはTOEFLiBT で 61 点以上取る必要があ るが、TOEIC の平均が 553 点(国際ビジネスコミュニケーション、2012)である日 本人大学生にとってこのハードルは余りにも高い。仮にTOEIC400 点レベルで入学 してきた学生が、TOEFL の勉強を始め 2 年生の秋口に 61 点に到達したとしても、 留学するのは3 年生の夏からとなり、就職活動の開始時期と重なるため、学生の留学 モチベーションは下がりがちとなる。一つの解決策としては、半年間海外大学付属の 語学学校で英語のスキルを身に付け、残りの半期に大学の教科を履修する方法がある。 これはすでに多数の大学で制度として存在しているが、語学学校は授業料が高いため、 1 年間トータルの授業料がかなり高くついてしまうという問題がある。しかしながら、 海外に留学する学生を劇的に増やしたいのであれば、国が政策的に語学留学に対して も奨学金をつけるということが必要となってくるだろう。一方、短期留学はすでに多 くの大学で実施されているが、語学や異文化体験以外のテーマ設定を考えると面白い かもしれない。たとえば、経営学部の学生であれば、アメリカのモールを訪れて、郊

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外型の大規模モールがアメリカの地方都市にどのような役割を果たしているのかにつ いて調査研究させるということが可能である。このような短期留学も今後は増やして いくことが重要である。 4) 抜本的な入試改革 入試の改革はすでに多くの大学で行われており、いわゆる重箱の隅をつつくような 語法の問題は少なくなってきている。さらなる抜本的な改革があるとするならば、自 由民主党(2014)が「成長戦略に資するグローバル人材育成部会提言」の中で提案し ているTOEFL などの外部試験の採用であろう。しかし、TOEFL を大学入試に採用 するには大きな問題がある。日本の高校を卒業した学生にとっては、TOEFL は余り にもレベルが高すぎ、テストとしての妥当性が疑われるからである。たとえば、語彙 レベル一つをとっても、日本の普通の高校生はせいぜい3500~4000 語を知っている 程度であり、海外高級紙を読めるレベルの語彙力を必要とするTOEFL には太刀打ち できない。さらには、講義を聴いて、英語でまとめるというような能力は、現在の高 校の現場では育成するのが極めて困難である。現在のセンター試験を改良し、年に数 回受験できるようなものにするのであれば、大きな改革と言っていいであろう。十分 な訓練を積んでいない学生に、高度なレベルを要求するのは余りにも現実とかけ離れ ている。大学の要求レベルを上げたところで、学習指導要領と指導内容が乖離してい れば、何のための改革かということになりかねない。 3.4 これからの大学英語教育 これからの大学英語教育は、「コミュニケーション」と「国際化」という2 つのキー ワードで進んでいくものと考えられる。コミュニケーションを中心とする英語教育と いうと、すぐ英会話に結び付けられる傾向があるが、大学で道案内やレストランで食 事をする方法について教育するのはいかがなものか思われる。いやしくも学問をする 場所であることに鑑みれば、街の会話学校で学ぶような日常会話とは異なったコミュ ニケーションでなければならない。基本的には、大学生にふさわしい思考を要求する テーマに沿って英語でコミュニケーションをするといった授業内容にしたい。「内容

を重視した英語教育」(Content-Based Language Teaching)が一つの解決方法であ

る。これは、大学であればアカデミックな学問領域と第二言語学習を統合した教育方 法(Briton, Snow and Wesche,1989)ということになる。たとえば、「環境とビジネス」

というテーマで15 回の授業を行うのであれば、担当教員はそのテーマに即した教材

を選び、4 技能を意識したエクササイズやタスクを作成することにより、英語のスキ

ルの向上と内容の知識を得させることができる。この「内容を重視した英語教」をさ らに発展させたものにCLIL (Content and Language Integrated Learning)というも

のがある(Coyle, Hood, and Marsh, 2010)。これは、前者と基本的な考えは同じであ

るが、より具体的な技法が体系化されているという点で異なっている。すなわち、ヨ

ーロッパでは、数学から歴史まで教育科目の中でCLIL を取り入れ、教科内容と第二

言語の両方がスムーズに進展していくようになっている。これを大学でも展開できれ ば、面白いカリキュラムが出来上がっていく。経営学部であれば、経営学の基礎科目

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をCLIL 方式で行うことが可能である。そのためには、経営学の専門教員と英語教員 のコラボレーションが必要となる。専門教員は、経営学の基礎を英語で説明する準備 をし、それにまつわる英語のエクササイズやタスクは英語教員が作成する。このよう なティームティーチングが可能であれば、専門科目も英語で展開することが実現可能 となるであろう。 「国際化」のキーワードは多くの大学で採用されているが、英語関連で言えば専門 科目や一般教育科目を英語で教えることが中心課題といえる。専門科目や英語科目を 英語で学習するというのは、海外経験のない学生にとってはかなり高いハードルであ る。英語文化圏の大学に入学するには、TOEFLiBT で最低 61 点、実際には 90 点以 上を要求されるということを考えれば、日本の大学生が、英語で専門科目や一般教育 科目を学習することは簡単にできることではない。実際、TOEFLiBT61 点レベルで アメリカの大学に留学した学生が現地で取ってきた成績はC や D がつくことが多く、 A はめったに取れないという現実がある。英語を英語で理解し、英語でノートが取れ るようになるには、英語文化圏で少なくとも半年以上暮らさなければならない。した がって、教員が英語ネイティブで、英語文化圏で行われているのと同じように日本人 学生に英語で専門科目や一般教育科目を教えると、相当数の学生が内容を理解できな いままの中途半端で終わってしまうことは想像に難くない。ましてや、大学というと ころが学生に深い思考を経験させる場であることを考えるならば、英語の理解に精一 杯となり思考までたどりつけないのではないかと心配になる。このような状況を作り 出すのが国際化なのであるならば、それは誤った国際化と言わざるを得ない。 しかしながら、専門科目や一般教育科目を英語で教えることに全く反対するわけで もない。一部の専門科目や一般教育科目を英語で行うことの意義は十分にある。とり わけ、英語を第一言語・第二言語とする留学生が多数存在するような大学においては、 英語で展開する科目が複数あったほうがよいのは事実である。ただし、日本人学生が 多数であることを考えるのならば、先に述べたCLIL のような方式を取り入れる必要 がある。また、同じ科目を前期は日本語、後期は英語というように2 段階方式で行う という方法も効果的であろう。英語で科目を教えるということは意義あることではあ るが、それにはコストも教える側のエネルギーも必要であることを忘れてはならない。 英語にしたばかりに、十分な思考が伴わなくなるのでは、大学の存在意義にも関わっ てくることである。今後は、英語教員と専門科目教員が十分にコミュニケーションを とりながら、国際化を見据えたカリキュラム編成が必要になってくる。 おわりに 大学においても国際化は避けて通れない重要な課題であることは間違いない。しか し、大学の本質である「学問の追及」、「社会に貢献できる有意な人物の育成」といっ た課題がおろそかになるような国際化であっては、全く意味を成さない。まずは、母 語である日本語できちんとした思考ができ、自分の考えをしっかりと発信できる力を 身に付けることが肝要である。その上で、外国語能力を身につけ、異文化について学 び、体得することで、国際化に寄与できる人物となることができる。何が何でも英語 でということではなく、母語とのバランスをとりつつ大学が国際化していく中で英語

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教育も進化を遂げることを望む。 参考文献

大津由紀雄・江利川春雄・斎藤兆史・鳥飼玖美子(2013)『英語教育、迫り来る破綻』ひつじ書房 国際ビジネスコミュニケーション協会(2012)『TOEIC®プログラムDATA & ANALYSIS 2012』

(http://www.toeic.or.jp/library/toeic_data/toeic/pdf/data/DAA2012.pdf) 自 由 民 主 党 (2013 )「 成 長 戦 略 に 資 す る グ ロ ー バ ル 人 材 育 成 部 会 提 言 」 (http://www.kantei.go.jp/jp/singi/kyouikusaisei/dai6/siryou5.pdf) 中鉢 惠一(2012)「大学の国際化と英語教育」『経営論集』79 号 東洋大学 日本経営者団体連盟(経団連)2000 年 3 月「グローバル化時代の人材育成について」 (http://www.keidanren.or.jp/japanese/policy/2000/013/) 文 部 省 (1956 )「 大 学 設 置 基 準 ( 昭 和 31 年 10 月 22 日 文 部 省 令 第 28 号 )」 (http://www.lawdata.org/law/htmldata/S31/S31F03501000028.html) 文部省(1991 )「大学設置基準の一部を改正する省令( 平成三年文部省令第二四号) 」 (http://www.mext.go.jp/b_menu/hakusho/nc/t19910624001/t19910624001.html) 文 部 科 学 省(2002) 「「 英 語 が 使 え る 日 本 人 」 の 育 成 の た め の 戦 略 構 想 」 (http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chousa/shotou/020/sesaku/020702.htm) 文部科学省(2011)「国際共通語としての英語力向上のための 5 つの提言と具体的施策」について (http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chousa/shotou/082/houkoku/1308375.htm)

Briton, D., Snow, M.A., and Wesche, M.B. (1989) Content-Based Second Language Instruction. Newbury House

Coyle, D., Philip Hood, and David Marsh. (2010) Content and Language Integrated Learning. Cambridge University Press.

参照

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