現在のような市による定期的なごみ収集 が始まったのは、戦後間もない昭和 23年9 月のこと。地域は枚方小学校区︵当時︶の みと限られていましたが、やがて市内全域 へと拡大していきました。当初は﹁肩引き 車﹂と呼ばれる人力車のみでしたが、能率 を上げるために 3 輪トラックを導入し、さ らに 3 輪ダンプカーを使用するようになり ました。昭和 43年から収集業務をしている 60代の男性は﹁ハンドルを切ると運転席が ガクッと傾いて何度も頭をぶつけました﹂ と懐かしそうに振り返ります。当時は週 1 回、各家庭の玄関先を一軒ずつ回る戸別収 集で 、﹁ごみを集めるための大きなかごを 紐で引っ張りながら歩き、鐘をカランカラ ンと鳴らして収集に来たことを知らせてい ました﹂ 。分別という考え方はまだなく 、 あらゆるごみが一緒になっていたため、か ごの重さは相当なものでした。 ﹁ダンプカー に積めば積むほどかさ高くなるので、荷台 の一番上に積むのが重くて大変でね﹂ 。そ れでも、夏の暑いときにタオルを差し出し てくれたりお茶を用意してくれたりと、市 民の感謝の気持ちに癒されたそうです。 3 輪ダンプカーは、昭和 40年代に入ると 回転板でごみを圧縮して大量に収集する パッカー車へと徐々に入れ替えられ、戸別 収集も、人口増加に対応するため昭和 53年 から現在のごみステーション方式となりま した。ビンやガラス、空き缶、プラスチッ クなどの分別も進み、ごみ収集は市民の快 適な暮らしを支え続けています。 ︵平成 23年 6 月号︶
13面 ごみ収集(昭和27年) (ファイル名:54920.pdf サイズ:652.79KB)
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