パスカル『パンセ』における想像力1)ーイメージに
よる説得をめぐって_2)
著者
鈴木 真太朗
雑誌名
フランス文学研究
巻
39
ページ
1-10
発行年
2019-03-15
URL
http://hdl.handle.net/10097/00126491
パスカル『パンセ』における想像力
1)イメージによる説得をめぐって
_ 2 )鈴 木 真 太 朗
はUめに 17世紀フランス思想を代表するプレーズパスカル (1623-1662)の『パンセj(1670) は。未来の著作の予備的考察が記されたメモを基に。彼の近親者が編纂・出版した泣稿 集である 『パンセjで示される著作の瞥定的構想では「キリスト教の其突を不信仰者 に対していかに説得的に示すか"jという問題が論証の中心に世かれている.そこに内 在する論理。その展開を支える文章形式。文体,言語表現といった全ての記述行為はパ スカルがこの目的をどのように達成しようとしたかという観点から考祭されるべきで あろう 『パンセ』に含まれるある断草と,同告に先行する科学論文について以下に掲げる2 つの興味深い指摘がある ジャン・メナールは「想像力」と題された断章と「大気の重 さについてj(1654年完成, 1663年出版)という科学論文の構成(仮説・分析・実験[具 体例]・証明)の類似性を指摘しているがへ別の視点から両者を対比する時,言語表現(と りわけ比除の用法)でも類似性が認められる 同科学論文では例えば「水中の魚が重さ を感じないように人聞は空気の重さを感じない」など,イメージを介して読者の想像力 に直接訴える表現が使われており,それは「想像力」の断章でも同様である 他方,小 柳公代は,同科学論文の「実験」描写における動詞のl時制に違和感を覚え,追実験した 結果,そこで示される実験が架空であることを明らかにした幻 この発見まで,物理学 者でさえこの科学論文で示される実験が実 il~ に基づくに違いないと信じて疑わずにき たのは。この論文の読1~揮を介して読者が抱く(実験に対する)イメージが,読者の価値 判断すらも左右したからではないか 直線的論証に基づく同科学論文と断片的文章の集 成である『パンセ』では,イメージの造形をめぐる修静的技巧とその説得上の効換につ いていかなる相違が認められるだろうか 本稿はこれらの問題に答えることを主眼とす る 完成済みの科学論文(紙闘の関係上分析対象を第一章のみとする)と「怨像力」の 断章とを比般対照しながら。以下の手順で考察を展開する.先ずメナールの指摘する両 者の構成の類似点を整理し,次に両者における修辞的技巧の使用例を比較,最後に断片 的文章を通じて生じるイメージ(心象)とその説得上の効果を比較・考察する 1 .両者の構成 テクストで用いられる修辞的技巧とその論理展開との関係を考察するには,r
怨像力」の断章と前述の科学論文の構成がどのように類似しているかを敷街する必要があるだ ろう 概観的指摘に留まるメナールの説を補完すベ<.本稿では実際のテクストを例示 しながら。両者における仮説・分析・実験(具体例)・証明という各手続きの具体的な 整理から考察を始めよう. 1 . 1 仮説 以下は「想像力」の断章 (S.78-L.44et45)冒頭であり.
r
想像力は誤りと偽りの女 主人である」という命題の仮説部分に相当する 想像力。これこそ,人聞のうちまるあの支配的な部分,あの誤りとf
寄りの女主人 いつも嘘をつくとは限らないだけに,いっそう嘘つきの女主人だ [ー ]理性が 叫んだところでどうにもならない 理性はものごとの価値判断ができないからだ [ …]理性を信じさせ。疑わせ。否定させるのは想像力だ 感覚を停止したり働か せたりするのも想像力だ励 上記引用に拠れば,人間の認識に対する理性の説得力は想像力より耳目いため。想像力 は厄介な存在であるという 続いて科学論文「大気の重さについて」の仮説を確認しよう 大気は重さを有する Lたがって大気は,自らの包むあらゆるものを自らの重みに よって圧す. [.・ ]膨らんだ風船玉の方が窄んだのよりも重いということは誰でも 知っている.このことはI 空気に重さがあると結論するのに十分だ[
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風船玉 に空気を詰め込めば詰め込むほど,その全体は一層重さを増すのだから。そこから して,各々の部分はそれ自身として重さを有するということになる したがって空 気には重さがあるη 両仮説の論理展開を比較してみると。どちらも三段論法的に論理展開していること がわかる旬つまり「想像力」の断章の仮説では.r
想像力は人間の価値判断を支配する」 という大前提と「理性による判断力は人聞の価値判断の一部分である」という小前提か ら「想像力は理性的判断力を支配する」という帰結が必然的に導かれ,r
大気の重さに ついて」の仮説では「空気には重さがあるJ
という大前提と「膨らんでいる周船玉は空 気を含む」という小前提から「空気を含む風船主は空気を含まない風船玉より重い」と いう結論が?由緒的に導かれている。 1 . 2 分析 次に上記の仮説が成り立つ条件の「分析」の場を「想像力」の断章から確認しよう その想像力の配下には思い込みによる愚者と賢者がいる そして何より摘にさわる のは想像力が自分を迎え入れてくれる者たち〔人聞の認識〕を,理性とは比べものがないくらいに十分にまた完全に満足させることだ […ー]理性は鼠者を恥じ入ら せるが,想像力は栄光で包む" 上記引用に拠れば想像力は人聞の分別を司る湿性の判断力を狂わせる しかし,そ れは事実を変える力はもたず,理性を踊1..-.幸福や栄光の偽りのイメージを生み出すこ としかできない この性質を踏まえれば,山上浩嗣が指摘するように想像力は確かに理 性の働きを妨げる性質を有するl的科学論文の「分析
J
では大気における空気。海の水, 水が入っている手相,水中にある物体,水中の動物,空気における羊毛という様に大き な前提から小さな前提へ。段階的且つi
直線的に論理が展開されている川大前提が先ず 提示され,そこから小前提が自ずと導き出されるという点で両者の論理展開には一定の 類似性が認められるように思われる ただし,読者の理性的認識を助けることが科学論 文におけるイメージ使用の目的であるのに対1..-.r
想像力」の断章では「何より械にさ わるrienne nous depite davantageJi
想像力は主人を満足させるelle[=imagination]問 叩lit S白 hotesd'une回tisfactionJなど,理性的認識を助けるだけでなく,読者の感情を刺激す るような表現が用いられているという点で相違が認められる 読者の感情を刺激する書 き方という点については後述する。 1 . 3.実験 次に分析の正しさを立証する「実験」という手続きを確認しよう。「想像力」の断章 には三つの思考実験が含まれているが,ここではその中でも特に有名な実験を例示する 世界最高の哲学者 (Leplus grand philos叩hedu monde)が十分広い板の上に乗って いる もし眼下に絶壁があれば,理性では安宇を確信していても,彼の想像力に負 けてしまうだろう (s'i!y a au-dessous un p吋cipice,quoique 5a raison le convainque de sa surete, 50n imagination pぽvaud悶).多くの人は,そのことを考えただけで,青ざめ, 冷や汗を流すだろう (Plusieursn'en sauraient 50Ut叩irla pensee sans palir et suer)12) ここでパスカルは読者の想像力に訴える思考案験を行い。理性的認識よりも。 imaginationによる認識のほうが価値判断に与える影響力が強いことを示そうとする 科 学論文の「実験」という論証手続きではピュイ・ド・ドーム山での風船実験をめぐる描 写を通じて,それまでの仮説と分析の正しさが証明される 1 . 4 結論(在明) 哲学者や裁判官という理性の代表を例とする「実験」手続きを終え.r
想像力」の断 章は「想像力は全てを意のままにするL'imaginationdispose de toutJと結論され.r
想像 力は認識を操る誤りと偽りの女主人である」という命題が,ここで}つの原理と成る 科学論文も同様に,それまでの手続きを基に「大気には返さが在る」という原理とその 原理から自ずと導かれる諸原理が証明される 31 . 5 まとめ 以上の考察から両者の論理展開の具体的鎖似性が雑誌された'"平│学論文では一つ の命題をいかに科学的に。つまり段階を踏みながら論理的に。示すかが問題である 他 方
I
パンセJ
では命題の証明と同時に,いかに読者の心を動かすかという問題が控えて いる 次節ではこの問題を修辞的技巧によるイメージ認識の操作。換言すれば心象によ る認識操作,によってパスカルがいかに克服しようとしたのかを考察する。 2 修辞的技巧によるイメ ジの造形とその影響 「誤謬はimaginationの中に在るのでなく,我々が想像力を通じて判断を下す過程で生 ずる」とはパスカル研究の泰斗ジエラール フェレロルの指摘であるが'"実際。い かなる言葉が読者の想像力に働きかけ,読者の判断を左右するのだろう この問題を考 察する上で.r
想像力」と題される断章78における修辞的技巧の用例を検証することは 有効だろう そこで以下,前節の各手続きにおける引用を基に『パンセJ
の論証を読解 する際,想像力が読者の認識にドかなる影響をもたらしているかを考察する 「想像力」の断章の「仮説」冒頭(<<Imagination. C'岡 田ttepartie dominante dans I'homme, cette maItresse d'erreur et de fau田ete[...])))では,ある観念ないし能力を指すに過ぎな いImagmatlOnという名詞は,r
あの誤りと偽りの女主人cettemaitresse d' erreur et de 晶usseteJという擬人法によって悪者に仕立てられ!論証の始まりから読者の心情へ「悪」 のイメージを造形するという手法が採られている同 「分析」という手続きも同様である 例 え ばαElle[=lmagin油田]a ses fous et ses sag田》という文では.imaginationという観念を指す名詞がやはり擬人的に使用され, 想像力が愚者や賢者という「人間Jを支配しているイメージが想起される 続く((Elle [=Imagination] remplit ses hotes [=hommes] d'une satisfaction>>という文では,女主人に喰 えられる想像力が主語に.remplitが動詞に, ses hotesが目的語として世かれている こ の一文に主人hotesであるはずの人聞が,自らの想像力によって満たされるという主従 関係の逆転を読むこともできなくはないだろう.r
仮説J
r
分析」での論者の主張の正否 を確かめる思考「実験」へと読み進める時,読者の脳裏には,理性=脆弱・虚しい,想 像力=強靭・悪という印象が厳として存在する 先ほどの哲学者を例にした「実験」では,詩のように端的な,適切に配置された言 葉によって,r
世界最高の哲学者LepJus grand philosophe du mondeJがr
(
想像力という) 誤りと偽りの女主人maItressed'erreur et fausseteJと戦い,完敗する場面が鮮明に拙かれ ている 「詩は絵のごとく Utpictura po即日」とはホラテイウスの言葉であるがl的,ここ で読者の心に造形される脇田b!事のあるイメージは,言葉によって読者に絵画的イメージ を想起させるという意味でピトレスクである また,このイメージは荷自主的でもある. 「世界最高の」という言葉で修飾される哲学者は合理的な人間の象徴的存在である そ んな哲学者が物理的には安全であるにも拘わらず,自らの内にある怨像力に敗北L,r
落ちたらどうしよう」と「想像
J
1.-,冷や汗を流さずにはいられないという絵画的イメー ジは何とも皮肉的であり,その時その哲学者の理性は非理性的である 外見(人間的理 性の象徴的存在である哲学者)と実態(自らの想像力にすら負ける脆弱な哲学者の理性) の差が大きければ大きいほど,皮肉の効呆は増す 更にI 言梨によって風刺画の次元ま で高められたこのイメージによる説f
早からは,論証と平行しながら楽しさを伴う読解体 験を提供することで,r
仮説J.
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分析」という硬直した議論で冷えた読者の心の緊張を 解1.-.自らの論証に少しでも好感を持たせようというパスカルの思惑が透けて見えない だろうか 「大気の重さについて」の「実験」の手続きでも修辞的技巧によって読者の判断を操 作しようとした残響が聴き取れる あまりくだくだしいことはやめよう ただ一言,その試みが為されたということ, そうしてそれは次のような首尾を収めたということを述べておこう (ilfaut dire en un mot que l'ep悶uveen a ete剖te,et qu'elle a r如ssien cette50巾)• 互いに約500トワーズ同の高さの異なった場所で試みられた実験 (Experiencefaite en deux lieux,
elevez l'un au-dessus de l'autre d'environ 500 toises) 風船玉に半ば空気を満たし,まだぷよぷよで柔らかいものの,糸の端をもって約 500トワーズの高さの山に登るなら,登るに辿れて徐々にこれが膨らみ始め。やがて 頂上まで来ると,まるで中へ新しい空気を吹き込んだかのように,風船玉はいっぱ いになり,ピンと張るだろう (ilarrive巾 qu'amesure qu'on montera,
ils'enjiera de luimeme
,
et quand il seraen haut,
i(seratout plcio et gOn日ecomme si00 y avait souffle de l'airde nouveau).[...ー]この実験は大気について私の述べたところの全てを!全く説得 的な力を以て証明してくれる'"' 「仮説」・「分析」の正否を確かめる「実験」の記述で,動詞が未来l時制で記されてい ることに違和感を覚えたことが契機となり,小柳は追実験を行い,パスカルの記述する 実験は物理的に成し得ないことを証明した問.動詞の時制以外の印象操作として次の 例がある 引用冒頭の(<l' epreuve en a ete faite))という文は「その試験は為された」ことを意味 し,続く((elle a reu田Len cet依田市))という文はその「試験が成功した」ことが示して いる そして,結論部ではαCelteexperience prouve tout ce quej'ai dit de la masse de l'air, avec unc force toutc convaincante)}と記され。架空の試験が,現実世界で為された“実験" であるかのように脅かれている しかし実際にパスカルが「実験をした」という記述 はない 記述の恨底には明らかに読者を煽す泣図がありながら,編された読者の解釈が 悪いとでも言わんばかりである この仮説が事実なら,パスカルは相当に意地悪い人物 であり.モラルにも反する.しかし,パスカルにとって問題なのはモラルではない明 説得の目標(証明)を達成するため。いかに自らの論証を「もっともらしい
J
r
真実ら しい」と判断させるかそれが問旭である 記述によって説明という目標を述成できる 5限りにおいて,実際の実験は必要ない 目標達成のためならパスカルは手段を択ばない のである'" 修辞技巧による印象操作に関する以上の考察を踏まえ.再度「想像力」の断章の結 論を示す一文に眼を向けてみようすると「想像力は全てを意のままにするL'imagination dispose de toutJという結論を表す一文では。主語はlmagmatl叩という認でしかないのに。 これまでの論証で心に造形されたimaginationという諸に対する「悪」のイメージと文 の簡潔さによって。もはや読者はimaginationという語を中立的に解釈することはでき ず. imaginationという諸に「誤りと偽りの女主人」を観てしまう パスカルの説得に はしたがって.このように実験や結論(証明)で修辞的技巧によって的確に読者の心象 を利用することでl 読者の判断を動かす力があると言えるだろう
3
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断章形式によるイメージの喚起と説得 「大気の重さについて」の論理は第一章と同様,第二軍以降も一つの命題の証明に向 かつて直線的に,演線推論的に展開される22) しかしこれは同時に,論証を読む順序 が著者によって予め規定されτ
いることを意味する つまり,科学論文を読む順序に読 者の自由は反映できない 同様に,科学論文を読んでいる時,読者の脳裏に造形される イメージはあくまで読者の理性的認識を助けるために機能するのであり,それ以外の理 由,たとえば造形されるイメージを介して楽しい読解体験をさせようといった心情への 配慮はない 『パンセjの場合はどうだろうか.r
パンセjにおいてイメージはどのよう に造形され,論証の中で果たす役割は科学論文とどう異なるのだろうか 最後にこの問 題を考察する 論理の展開順と方向性を示す目次却は,論証がファイル11
順序Ordr,りから始まり, ファイル271結論Conclus旧nJで完結する予定だったことを示している それ故「目次」 が示す論理展開の順序からは,科学論文同様,直線的な論理展開が予期される 論証の 出発占であるファイル11順序OrdreJでは,例えば断章40:1第一部神なき人間の悲惨, 第二部神と共にある人間の至福24lJのように,論証の具体的な展開順が説かれた断章 が確かに含まれている.では,ファイル271
結論ConclusionJでは何が証明されるの だろう.パスカルは次のように言っている:1
神を知ることから愛することまで,なん と速いのだろう同」 この一文は意味深長である というのもこの文では「キリスト教 の真実は論証できても,読者の心にキリスト教への愛を抱かせることはできない」とい う.論証の限界が叫ばれているからである.論証を通じて愛を抱かせることはできない しかしながら,非連続的な断片的文章を自らの関心に従って論証を読むことで造形 される心象は,キリスト教が真実であることを説く論証に好感を抱かせる上で一定の効 果があるように恩われる 断章というとわれわれは一般に,未完成で,断片的な文章を 想起する 『パンセ』に示される断章にそのような断章がないわけではない. しかし,r
パ ンセJ
には簡潔さの極致を極めた断章が多く含まれているのも事実である 一つの語が 極限まで洗練されているという条件と自らの好奇心に従い自由な順序で論証を読 1~停できるという条件とが重なる時。極限まで洗練された語と語が相互に呼応し合い,予想外 のイメージ(心象)を作り上げるということが『パンセjでは起こりうるように思われる 具体的な断章に基づき,この事象を例証しよう 科学論文のような直線的論理と異な る飯点から断章形式に起因する心象の生起という事象を考える時,たとえば次のような 解釈は可能ではないだろうか 断章222には「序文P同faceJという言識がある おそら く「護教諭」に入ったのだろう 続く断章223~6) では「好奇心 cunoslほ (curiositae)J.["倣 悦orgueil(superbiα)Jが扱われ。イエス・キリストを通して神の理解が説かれている この断章をたとえば,やはり「好奇心curiositeJと「倣慢町田町
u
が扱われている断章 [[2'ηと並行的に読む時,断章112で拙かれる「人聞のあくまでも堕落した姿」と断章 223にある「悲惨misereJという言葉が共鳴を起こL-.キリストの姿がわたしたちによ り身近な人間のイメージになるように思われる このように,読者の自由な関心による 読解が。思いがけないイメージを作り上げることがある.こうした言葉の共鳴によるイ メージの生起を“詩的喚起"と考えるとすれば。詩的喚起によって造形される心皐は。 その生成プロセスと説得上の効果という2点で科学論文と異なるように思われるイメー ジの生成プロセスが科学論文と異なるというのは,科学論文の読解では論者パスカルに よって予め規定されたプロセスを経てイメージが生まれるのに対し。『パンセjでは読 解プロセスは必ずしも規定されておらず,読者の関心に基づく自由な読解プロセスを経 て複合的なイメージが生まれる場合があるからである 造形されるイメージの説得上の 効果が梨なるというのは.科学論文におけるイメージは読者の理性的認識へ働きかける のに対L-.断草形式に起因するイメージは,上記の思いがけないイメージの生起や複合 の例のように。読者の心に直接的に働きかけうるからである.科学論文におけるイメー ジは。論証の読解と並行して受動的に造形されるが,一つの語が極限まで洗練されてい るという条件と自らの関心に従い自由な順序で論誌を読解できるという条件が重なった 時。偶発的に読者の心に喚起される([パンセ』における)イメージは,その造形プロ セスに読者自身が能動的に関わるという意味で科学論文におけるイメージの様相と異な る 確かに『パンセ』におけるこのようなイメージの生成や効呆は,読者の愛を神へ向 けさせる上で普通的な説得力を持っとまでは言えない しかし,パスカルの想定してい た読者(不信仰者.自由思想家,懐疑論者)が共通して“真実らしさ"に側値を置いて いたという時代的背景を踏まえれば。少なくとも. [パンセ』におけるイメージの生成 プロセスは,科学論文の直線的論証より“自然"であり,それゆえ生起されたイメージ は論証を。より“真実らL-'、"と判断させる効果があったと言えるのではないか おわりに 完成消みの科学論文と内的論理の構成が類似する「想像力jの断章を比較考察した 結果,読者の認識に造形されるイメージが論証の真偽を判断する上で,論理的説得より も強い説得効果を持つ場合があることが明らかになった ただし合理的な説得効果を 高めるために(科学論文の)論理に組み込まれる比除によるイメージと『パンセJ
にお 7けるイメージとでは,その生成プロセスと論証上の効果をめぐる相違が認められた。前 節で言及した思いがけないイメージの生起や,そのイメージによる心情の説得という手 法が『パンセ』の他の箇所でも確認できる場合,パスカルが情念の喚起とカタルシスに よって相手の心を助かすという演劇的魅力を借用しながらキリスト教弁証を構想した 可能性も否めない この主題はしかし.今後の研究課題としたい (東北大学大学院文学研究科博士後期課程) 官 主 プレーズ・パスカル作品からの引用は以下の通り auvr<田 completes
,
t.I-IV, texte etabli, presente et annote par Jean Mesnard, Paris, Desclee de Brouwer, 1964-1992.(なお本全集は略号MESと略記し。巻数はローマ数字 引用頁 を算用数字で示す また,訳は『パスカル科学論文集一物理街』松波信三郎!安井 源治共訳!白水社I 上巻。 1946年を参考にした) Pensees, presentation et notes par Gerard Feη'eyrolles, texte etabti par Philippe Sellier d'apres la copie de reference de Gi1berte Pascal, Librairie Generale Francaise, 2000.(本稿における 引用はこの校訂本にしたがう ただし慣例にしたがいラフユマ版 (1951年)の断 章番号も併記する(例 S.46.L.12) また!訳は『パンセ』塩川徹也訳。岩波文庫! 上・中・下巻.2015年-2016年を参考にした) "鈎括弧内の想像力という語はImaginationと題された断章78の断章を示し,鈎括弧 なしの想像力という語は想像する心的能力を示す "本稿は2018年8月4日に大阪大学で開催された第4回フランス近世のく知脈〉研 究会に於ける論者の発表「パスカルの『パンセ』における説得と想像力の問題」に 加筆したものである3)Pensees, texte etabli par恥1ichelLe Guern, Paris, Gal1imard, 2日日4[1977]. pp. 43.66
勾J.Mesnard, Les Pensees de Pascal, 3" edition, Paris, SEDES, 1993, p. 84 の小相公代
r
r
真空に関する新実験』の成立J
.
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フランス語フランス文学研究J
.
n" 67. 1995年。 3頁パスカルの真空に関する実験をめぐって論者は次の新書からも 示唆を得た小柳公代『パスカルの隠し絵一実験記述にひそむ謎i
中公新書。1999年“
S. 78.L. 44 et 45 7)Pascal,αTraite de la pe田nteurde la masse de l'air)>,MES 11, p. 1062 "この点については論理学の文脈での精織な分析が必要である,この主題はしかし, 稿を改めて検討したい 9)S.78-L.44 et 45. 川「パスカルにとって理性を妨げる要因は情念や邪欲だけではない その最大のもの として想像力LmagmatlOnがあるJ
(山上浩嗣「信仰と理性パスカル『キリスト教説教諭
J
におけるαsentiment))の意義J
,r
仏文研究j24号(京都大学フランス語 学フランス文学研究室), 1993年, 11頁) II)Pascal,
art. cite,
pp. 1062-1063 12)S. 78-L.44 et 45 u,ただし,このような論理展開は必ずしもパスカルの独自のものではなく テーカル トなど同時代の科学者の論証法との類縁性カ守JEめられる 14)(( L'erreur n'est pas dans l'imagination, elle est dans lejugement precipite qui decrぷ,ela conformite de tel1e imagination au r白1et nous fait regarder“
comme une verite constante" ce qui est‘
une simple pensee" )) (G. Ferreyrolles, Le,宮Reinesdll monde, Paris, Champion, 1995, p, 200) 同ただし。議論冒頭でこのような印象的な表現を用いることは。古代ローマの弁論 術における C匂rptaliobenevolentiaeという手法,或いはまたパスカルの枕頭書であっ たモンテーニュ『エセーj第 20章の「想像力について」の冒頭の表現に類似して おり,パスカル独自の表現手法とは言えない Cf. Montaigne, L田 Essais[1595], texteetabli et annote par Jean Balsamo, Michel Magnien et Catherine Magnien-Simonin, Paris,
Ga1limard, 2007, p. 98 16)Horace, Epilre aux Pisons
,
vv. 361-365 lηかつて仏語閏で用いられた長さの単位 lトワーズは凡そ 2メートル 18)Pasca!, a凡 cite,p. 1065 引用イタリツクは論者による '"小柳公代!前掲論文, 14-15頁 問上記の研究会の席上!大阪大学山上i
告嗣教授より「パスカルの説得の水準とモラ ルの水準は同じではない パスカルは説得の為ならモラルすら犠牲にする」という 極めて重要なご指摘をいただいた 。 '"これらの言葉の操作に加え。物理学者さえも「実験は存在したに違いない」と碓 信したのは「天才科学者パスカル」という!椛威的イメージによる間接的認識も関 係していると小柳は指摘している(小柳公代。前掲書, 20-21頁) 権威による認 織という主題については稿を改めて検討したい 2羽Pascal,
art. cite, pp. 1062-1094 叫この目次の作成はパスカルの手によるものではないため,専門家の聞でその信滋 性については議論がある (Pensees,叩 cit.,p. 39, note 1) 24)S. 40-L. 6. お'
s
,409-L.377 26) ((C'est ce quc produit la connaissance de Dieu qui se tire sans Jesus-Christ,
qui est de communiquer sans mediateur avec le Dieu qu'on a connu sans mediateur. Au lieu que ceux qui ont connu Dieu par mediateur connaissent lcur misとre.)) (S. 223ーL.190) 27) ((0屯uei.1Curiosite n' est que vanite le plus souvent,
on ne veut回voirque pour en parler,
autrement011ne voyagerait pas sur la mer pour ne jamais en rien dire et pour le seul plaisir de voir,
sans esperance d'cnjamais communiquer.)) (S. 1 12-L.77) 9L'
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K1 LesPensees (1670) de Pascal 500t une∞
uvre inachevee,
constituee par ses proches apr白 samort,
qui consiste dans des notes et reflexions pOUf une Apologie de la religion chretienne. Dans 50n projet provisoire, la question centrale est celle-ci : comment montr町la verite de la田ligionchretienne pour ses incroyants ? Tout le pr句etde Pascal doit etre envisage dans cette pe目pectlve
Comme le remarque Jean Mesnard
,
un fragment des Pensees intituleαImagi-nation ) e)t l'article scientifique intituleαTraite de la pesanteur de la masse de J'air >) presentent des similarites. Les deux suivent le meme mouvement : hypoth白e,
analyse,
experience [exempleJ. etdém~nstration. Ce qui est demontre dans l'article scientifique semblait vraisemblable aux lecteurs de l'epoque. Mais Kimiyo Koyanagi a revele que les experi叩C田 d田 baIlonsn' ont jamais師 同alisees:elles n'ex山tentque dans l'imaginationde Pascal.Jusqu'a cette decouverte, meme les physiciens n'avaientjamais doute. pourquoi donc ? Quels sont les moyens rhetoriques qui parviennent a nous convaincre et comment parviennent-ils a creer des imagesワQuellesdifferences entre ces deux textes peut-on
observer dans la maniere de creer des images et de pe目uaderヲ
L'analyse des deux textes suggとreque la demonstration dans l'article scienti自quede Pascal est en mesure
,
par un travail sur les images,
de contr白Ierl'interpretation du Iecteur. Cet article partage ce pouvoir avec le fragment αlmagination>>,mais le statut des imagesn'est pas le meme dans ces deux textes. Dans l'article scientifique