近代経済社会の構造と経済法則
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(2) . 北海道教育大学紀要 (第一部B). 第 21 巻 第 2 号. 昭和46年2月. 近代経済社会の構造と経済法則 沢. 石. 撤. 北海道教育大学旭川分校史学研究室. Toru lsH1zAWA :. The・Economic and So iaI c. Structures o fthe japanese Early Modern Ages. and thei r Economic Law. 目. 次. 1 本論文の経済分析の対象とする時期 口 国民政府の成立と, その経営方針. イ 専制的中央集権的国民政府の成立 ロ 啓蒙主義的有司専制の中央集権的国民 政府の性格. ・ 新時代の指導者たちの経済理念 ノ. ニ 資本主義精神の形成 ホ 国民政府の諸施策. 1 対外政策 2 国内的諸施策 へ 政商資本の形成. 皿 全国的商品経済の形成 イ 全国的商品経済の性格 ロ. 1 全国的純商品経済成立の条件 2 農林経済の商品経済への参加 3 産業革命の導入と発展 a 軽工業部門の近代化 b 石炭採掘部門の近代化 c 軽工業中心の産業革命の経済史的 意義 N 全国的商品市場の成立と, その機能 イ 国民政府による全国的経営と, 交通・ 通信の発達 ロ 全国的商品市場の成立を可能にした商. 業活動 ・ 労働力の商品化 ノ 二 市場経済における需要と供給の関係. 産業資本の確立. V 近代経済社会構造の見取図. ・ 社会分業の貫徹 ノ. 1. 本論女の経済分析の対象とする時期. ここで分析の対象とする時期は, ほぼ明治30年代前後の軽工業を中心とした, 所謂 「資本主義 体制の確立期」 の経済界の経済原理を明らかにせんとするものである. この時期を, どのように 名称するかは, 多少の異論はあるとしても, 「国民経済の時代」 であり, 「全国的商品経 済の時 代」 「軽工業中 心の産業革命のほぼ達成した時期」 といえよう。 近世封建体制下の, 領国経営の 経済を打破して, 国民経済の新しい社会と経済体制をつくりだすことが課題であった, それ故に, この時代の経済学は 「国民経済下の前期産業革命期の経済学」 と名 づけられる, 口 イ. 国民政府の成立と, その経 営方針. 専制的中央集権的国民政府の成立. 国民政府が成立した歴史的条件は, 近世における儒学 (とくに水戸学) や国学の発達によって,. 一 23 一.
(3) . vo l .21 N0 ,2. ーof H。 l d ido Uni i i i めurna t {a on (Sect ver s on I B) y of Educat. Febリ ー971. 国体思想が発達し, 日本国民は天皇に帰一せねばならないという自覚がたかまり, 外国の圧力に よって, 国民的対外意識は強化され, 国防については, 各藩の能力をこえているとの自覚か ら, 国家一丸となっ ての国防の充実が必要であるとの自覚, 即ち, 富国強兵の必要性の自覚となり, 富国強兵策の実施のために, また, 近世の商品経済活動の全国的活動の現状からも, 藩中心の領 国経 済をこえた国民的経済の必要性か ら, 全国的国民経済体制が要請された, このような矛盾の, 具体的なあらわ れ が, 幕藩体制下の, 経営方針の行詰りとなってあらわれ てきた. 幕 藩体制を破滅させる最大の原因となっ たものは, 幕府と雄藩との経 営方針の分裂であ る. 水戸藩などは, 藩自身が尊穣派と産業立国派とに分裂して争ったが, その影響で, 各藩とも に, 藩内でも, 尊穣派と産業立国派とが対立, 抗争していたが, とくに, 幕府と薩長などの 雄藩 との経営方針の対立, 分裂があり, しかも, 幕府は征長の役を起しても, これを抑えることがで きなかっ た. この矛盾を克服して, 新時代を担う新政府 (国民政府) が誕生した, 口 啓蒙主義的, 有司専制の, 中央集権的国民政府の性格. 維新政府は, 西南の役という一つの重大な危機に直面した が, これを克服して, 有司専制の中 央集権的な国民政府をつくりだ した. 反対党からは, 有司専制の政府と非難されたが, 近代国家 としての性格をも つ, 官僚と軍隊を, 天皇の官僚, 天皇の軍隊として, 中央政府の指揮下に従属 させた中央集権的な統一政府による全国的経営が始められた. 領国経営時代には, 鎖国政策をとっていたので, 対外関係といえを , 幕府や他藩との関係とい うことが, 経営上の重大事であ ったが, 今や, 国民政府にとっ ては, 全国的経営の責任者として, 開国による対外国関係が経営上の重大事となってきた, 幕末の動乱の中で, 幕府はフランスに, 薩長はイギリスの援助にというように, 日本国内で, 仏英戦争の舞台と化する危険のあっ たこと は, 国民政府に大きな警告となった. 外交上では, 独立国としての力と面目を, いかにして維持 してゆくか, 外国貿易では, 治外法権の撤廃と関税自主権の恢復が重大事であった, 欧米列強の 植民地化する危険から脱却して, 独立国家としての強兵と富力をもつことにあった, 富国強兵策の実施をせまられた国民政府の対内政策は, 近代的な国家社会制度を創造し, 近代 的な経済社会をつくりださねばならない. そこには欧米先進国の範があり, それを模倣すればよ いが, 何らの摩擦なしでは実行できなかった, 維新政府は, 国政全般について, ことに, 経済に ついては, 指導と保護・監督によって, 新しい経済社会の創造に努力した. ) ・ 新時代の指導者達の経済理念1 ノ 彼らの理念を, 最近の史学界では, 啓蒙主義思想というが, 維新当時の用 語によれば, 文明開 化の思想であり, 経済思想としては, 自由主義経済思想である, 維新政府及び指導者たちの中心 的旗印は, 商工立国による富国強兵策の実施にあった. 国の独立をはかり, 国力を発展させるに は, 何よりも, 近代的な軍備の充実が必要であり, 近代的軍備の充実のためには, 近代産業を発 展させる必要があると考えた, 富国強兵の目的達成のための方策として, 商工立国, 殖産興業が 唱導された, 殖産興業の目的達成のためには, 近代的科学や文化を発展させる 「文明開化」 が唱 えられた. 明治維新を, ブル ジョア革命などと規定 したがる歴史家たちの考えとは異っ て, 徳川時代以来 の富豪たちは, 必ずしも, 新時 代の指導者とはなれなかっ た. 徳川時代の町人階級は 「金 銀は町 人の氏系図」 といって, 金 銀を貴んで蓄積したが, 彼らは近代的な企業精神をもたなかったので, 維新後, いわゆる資本主義といわ れる社会があらわれても, 指導者とはなれず, その中心をなす ものは, 渋沢・福 沢・岩崎のような下級武士出身者であり, 三井は小栗上野介と関係のある三野 - 24 一.
(4) . 第 21 巻 第 2 号. 北海道教育大学紀要 (第一部B). 昭和46年2月. 村利左衛門によ り, 住友は広瀬宰平により, 近代的資本家に転化しえた, 明治初期の滋賀県知事 は, 近江商人に, 近代的会社を つくるよう協力させようとしたが成功しなかった. 近世の富豪が 近代産業界の指導者とはなれなかった, 近世の町人階級が, 新時代の創造に, 全く無力であっ た というのは, 言い過ぎで, 明治政府の御用金や紙幣の発行などに, 経済的助力をした. それにも かかわ らず, 新時代の指導者ではなかっ た. 幕末・維新の新時代の経 済思想の, 若干の指導者たちの考えを紹介して, その全体的趨勢をみ る こ とに す る,. 神田孝平は, 近代経済学の最初の輸入者であるが, 女久元年に 「農商弁」 を著し, 「方今, 国 家ノ安全ヲ求メ ソニ ハ, 何卒, 旧制ヲ一変 シ, 農税ヲ次第二省キ, 工商ヲ次第二盛ソニシ, 貿易 ヲ四方二行フコ トラ主トスベシ」 と商工立国を主張し, 明治元年 「日本国当今急務五ヶ条ノ事」 で は, 1, 我 日 本 ハ, 永 久 独 立 国 タ ル ベ シ. 決 シ テ他国 ノ 付 属 ト ナ ル 可 カ ラ ズ, 2, 我日本ヲ便 テ独 立 セ シメ ソ ト欲 セ バ, 宜 ク, 是 二 相 応 セ ル 国 力 ヲ 起 サ ザ ル ベ カ ラ ズ, 3, 右, 国 力 ヲ 起 サ ン ト欲 セ バ, 日 本 国 中, 一 致 セ ザ ル 可 カ ラ ズ. 人ヲ 使 テ 悉 ク 政 府 ノ 政 二 従 ハ シム ベ シ.. 4, 日 本 国 中 ヲ 使 テ 一 致 セ シメ ソ ト欲 セ バ, 宜 ク 国 5, 国 人 ヲ 使 テ 政 府 ノ 政 ュ 従 ハ シメ ソ ト 欲 セ バ, 政 府 二. 於テ日本国中ノ衆説ヲ採ルベ シ. 決シテ一方ノ説二泥ムベカラ ズ, 」 要するに, 独立国としての面 日の確保, 国力の振興, 封建体制を打破して, 国民国家と政府の樹立, 全国民をその下に従わせ る, 国民の総意の結集をあげている. 福沢諭吉は, 先覚者としては, 神田孝平以上に, 大きな役割を果した, 開国主義者, 文明開化 主義者, また自由主義経済思想の輸入者である. 彼の自由主義経済思想は徹底したものではなく, 保護主義的な思想もあるので, 近代経済思想の紹介者というのが正しい, 明治8年 「文明論之概 略」 を著し, 国の独立が何よりの目的であるが, それには, 人民の智力を進める必要がある. 旧 習を一掃して, 西洋文明の精神をとり入れ, 文明開化の門に学ばしめることが必要であるという, 彼は, 経済, 政治, 文化のあらゆる面での近代化を実現し, 日本の独立確保, 国力の発展, 富国 強兵を達成せんとした, 若山儀一は, 神田・福沢につぐ近代経済学の輸入者であるが, 自由主義経済思想の支配的な時 代に, 体系的な保護貿易論をといた. 戊辰の兵 革の余, 民力全く復せず, 工業・商業の振わざる ものがある. 今日は, 保護貿易によって, 教化を興し, 工を起し, 殖産興業を主とす べきである, と. (保護税論, 同付録) 大久保利通は, 維新の政治家の中で, 富国策, 殖産興業の最高の指導者である, 彼のやっ た主 な事業は, 地租改正, 士族授産, 農牧, 工業, 交通, 貿易及び勧業博覧会などの広きにわたるが, 経済界の近代化には, 模範官営主義をもっ て指導した, 欧米視察から帰っ て, 富国強兵のために は, 殖産興業から, まず手を つけねばならぬとし, 明治7年 「勧業建白書」 で, 「大凡国ノ強弱 ハ, 人民ノ 貧富二由り, 人民ノ貧富ハ物産ノ多寡二係ル. 而シテ, 物産ノ多寡ハ, 人民ノ工業ヲ 勉励スルト否ザルトニ雁 胎ス ト難モ, 其源頭ヲ尋 ルニ, 未 ダ嘗ヲ政府政官ノ誘導奨励ノ カニ依ラ ザルナシ」 と論じた, 大久保は, 国力の基礎は, 工業立国によるもので, 経済, 産業が国力のも とであり, 当時の情勢としては, 政府の誘導奨励が必要であると考えた, 伊藤博文は, 大久保なきあとの国家の柱石たる大政治家であるが, 経済方面では, 明治3年10 月, 財政, 金融の制度を速やかに確立する必要のあることを説いた, 「国家ノ興廃ハ, 万民ノ貧 富二 在り, ………理財会計ノ 修整ヲ以テ庶政ノ根軸 トス」 経済が国力の根本であり, 財政が国務 の中心である, と, 同年10月, 米国視察先から三事の建議をしたが, 9年の新貨条例や, 5年の 一 25 -.
(5) . vo l .21 NO .2. i ion IB) l。f H。kkaido Univer i Journa ty of Bducat t s on (sec. Feb . ,1971. 国立銀行条例の基礎となっ た, また, 条約改正の意見を提出し, 関税自主権の恢復と, 保護関税 をとき, 自主的産業保護政策を といた. 渋沢栄一は, 維新後の実業界の代表的人物である. 慶応3年, 渡欧して欧州の近代文明に接し て, 近代産業及び経済制度の輸入による富国強兵の必要をといた. 明治2年10月より6年5月ま での大蔵省仕官時代には, 大久保, 井上らの下にあっ て, 租税制度, 会計制度, 度量衡, 駅逓, 貨幣, 銀行制度の改正に尽力 し, また, 諸産業の近代化, 会社制度の輸入につとめた, 明治6年 5月, 第一銀行の総監役となり, 実業界に入っ た. 「国家の基礎は商工業にあり」 と考え, 実業 道徳 の向上と実業家の社会的地 位の向上をといて, 低劣なる利己主義を戒め, 国家社会への奉仕 を教えた. 徳川時代以来の豪商の多くある中で, 渋沢らをも って, 維新後の実業界の代表者とするのは, 徳川時代以来の資本を有するものが, 新時代の企業家とはなりえず, 下級武士の中から, 即ち, 新知識と学問をしたも のの中からでた. 渋沢はその一人であり, また, 福沢の教育をうけたもの の中 から多く 輩出した ・ 二. ) (近代的産業主義精神の形成) 資本主義精神 の形成2. ゾムバ ルトは, 資本主義精神を分析して, 専 らに営利のために営利する営利欲であるという. 営利欲とは, ゾムバ ルトの分析によれば, 貨幣欲が企業欲及び市民道徳と結合するところに発生 する, それが資本主義精神であると. 日本の町人の間における貨幣獲得欲 の発達は, 室町時代頃から著しくなる. 金銀財宝 を蓄積し て, 長者たらんとし, 弁財天をまつり, 七福神を信仰する風がたかまっ た. 貨幣の流通, 交換経 済の進むとともに, いよいよ貨幣獲得欲はたかまり, 商業資本・高利貸資本を蓄積させた, その ような才能を, 徳川時代には, 才覚といっ た, 貨幣獲得のためには, どのように勤勉, かつ, 倹 ) 高田屋善兵衛は天秤棒一本で, 全国を行商した 3 約を主としたかは, 近江商人の例にみられる. が, ある日, 帰国の途, 鈴鹿峠にさしかか り, 残り荷の重いのに苦しんだ. その際, 彼は自ら反 省して, 一方の龍に, す べ ての荷を入れ, 他方に, それと同じ重さの石を入れて, 心を励まして 峠を越えたといわれる, また, 近江商人は, 魚をたべたつもりで, 塩ですませて, それと同額の 銭を貯蓄したといわれる. 彼 らは全国に支店をもうけて, 商売に従事したが, それは戦場に出陣 すると同じ覚悟で, 店主以下, 店子が, 皆, 妻子を郷里 (八幡と日野) に残して販売につとめ, 盆と正月のほかは, 帰らない習わしであった, かかる努力で, 近江商人は, 近世に巨万の富をつ く ったものが多い. 西川 ・外村・中山・小泉・′ 伊藤・阿部の諸氏がそれであり, また大阪本町に 店舗をもつ主な呉服問屋のごときは, 皆, 近江商人の出であり, 現 在の高島屋, 白 木 屋, 三 越 (もとは近江出という) らは, 近江出身であった, 「金銀は町人の氏系図」 といわれる巨大な資本の蓄積のためには, 単なる貨幣獲得欲のみでは できない, 町人の間に, 町人道徳の発達, とくに富豪家の家訓の発達が, 資本の蓄積と維持のた めには必要であった. 三井家の家訓の如きは最も有名であるが, 富の獲得欲と町人道徳が結合し て倫理観が確立されていた, 家政を重んじ, 収入経済の基礎をつくり, 節 倹・勤勉で, 他人との 契約を重んじ, 正直を旨とし, 計算に明るいことが求められた. 近江商人の諸家の家訓は, 町 人道徳が如何なるものであっ たかをよく示しているが, 一例をあ げると,.京呉服商, 市田惣八 (近江国犬上郡彦根油屋町出身, 天保14年2月12日生) の家訓には, 1, 王法を守る べき事, 1, 家業を大切にす べき事, 1, 祖先の祭記怠るまじき事, 1, 信義 を旨とす べき事, 1, 堪忍専要たるべき事, 1, 分限を守るべき事, 1, 時俗の流行に走るまじ 一 26 一.
(6) . 第 21 巻 第 2 号. 北海道教育大学紀要 (第一部B). 昭和46年2月. き事, 1, 投機の所業すべからざる事, 1, 隈に人の受判すべからざる事, 右の十ヶ条, 油断な く注意可致候事 以上, 貨幣獲得欲と町人道徳の結 合のみでは, 資本主義精神 (近江的産業主義精神) とはならない. 近江商人が巨万の富を有しながら, 近代化に失敗し, 近代産業の指導者となることができなかっ た根本的原因には, 近江商人には近代的企業精神が欠如していた からである, 福沢諭吉は 「文明 〕 に, 当時の精神構造をのべている. 封建社会の階級を, 経済上 からいうと, 生財 4 論之概略五」 者と不生財者との二種に分つことができる. 農工商以下の被治者の種族は, 国財を生ずるもの, 士族以上の治者の種族は, これを生ぜざるもので, 前者は蓄積の種族, 後者は費散の 種 族 で あ る, 経済の第一則は, 蓄積と費散とは正しく同一様 のことであるから, 同一様の心をも って処置 すべきものであるのに, わが国の経済界の現状では, 他の文明国と異り, 国財の蓄積と費散とを 同一様の心で処置せ ず, 生財者は蓄積するを知って, 費散の道を知らず, 治者階級は費散するを 知って, 蓄積の道を知らず, 一字の文字を書くのに, 偏と作とを二人の手で書くようなことをし ていると批判する, 経済の第二則には, 財を蓄積し, かつ, これを費散するには, その財に相応 すべき智力と, そのことを処するの習慣が必要である, 理財の要は,活溌・敢為の働きと, 節倹・ 勉強の力 とにあり, この二者が宜しきをえて, 互いに相制し, 互いに平均して, 始めて, 蓄積・ 費散の盛 大を致すべきものである. 節倹を専らとせば, 貧欲客畜に陥り, 敢為の働き を 遇 う せ ば, 浪費乱用となる, 甲の種族は, 節倹勉強の元素を有するも, 敢為の働きを失して, 容簡 の弊 に陥り, 乙の種族は, 活溌敢為の元素を有するも, 節倹の旨を失して, 浪費の弊に陥る, ともに 一に偏して, 理財の点からいうと拙である, と. 近江商人ら, 近世豪商は, 蓄積するを知るも, それを企業に投資 して, 生産を大にするを知らない, 近代の企業精神は, 諸藩の領国経済の下に, 富国強兵策として, 下級武士らが, 藩の資本を利 用して経験し学んだ. 大隈重信は肥前藩において, 渋沢栄一は一橋家の財政再建のために企業心 を学んだ, 三井 は下級武士出身の三野村利 左衛門を用いて, 近代資本への転換に成功し, 三菱は 下級武士出身の岩崎弥太郎の企業精神によって成功し, 住友は広瀬宰平の企業精神によ って成功 した. 大きくは, 藩閥の下級武士団の作る明治政府は, 京阪富豪との結合によって, 近代産業主 義の発達を達成することができた, もっ と適切な例では, 明治初年に, 慶応義塾や東京高商で, 5 ) 企業精神の 高等実業教育をうけ, 資本家的企業に従事したものには, 士族の子弟が多かった, ある下級武士と近世的富豪の資本との結合によって, 始めて, 近代的産業主義が発達した. しかし, なお, 近代的産業主義社会を生みだすためには, 根本的な問題として, 封建的道徳か ら脱却する必要がある. 貨幣を獲得することは排斥さるべきことではなく, 富をえて独立人とな ることは道徳的に正しいこと, いな, なさねばならぬことであるとの道徳 革命が行なわれなけれ ば, 有能な才腕ある人材がこれに従事せず, それでは近代産業は発達しない, 真面目な, 学識あ る, 知能・才腕のある武士や武士の子弟らは, 金銭を膜しみ, これが貯蓄や利用の ごときは, 武 士の精神に反するものと考えていた. 封建的・商業践視の道徳観を, 根本的に変革し, 有能な人 材や新知識を実業界に活躍せしめる産業主義社会の道徳の確立に貢献したものには, 西周・中村 正直・渋沢栄一らがあるが, 特に大きな感化を与えたものは福沢諭吉であった, 福沢の仕事は, 商工立国の道徳精神を養成したのみでなく, 企業精神としての重要な要素たる欧米の近代産業の 新知識についても, 「西洋事情」 などによ って教えた. 近代的企業精神とは, 資本と労働と近代的 生産方法とを結合して, 生産過程に導き, 利潤をうる方法である. それには, 近代的機械による 産業についての新知識が必要である. このような近代的機械による産業の実際的知識と実験を, 一 27 一.
(7) . vo l .2 ,21 NO. lof Ho i i l d i d。 Univer i Journa t く s on (Sect on IB) a y of Educat. Feb , ,1971. 国民に明示したという点では, 官営の模範工場は, 大きな貢献となった. 要するに, 新しい商業道徳と新しい企業精神をもっ た新人が新時代の指導者であった. 綿糸 紡 績業の山辺大夫は, 西周, 中村正直・福沢諭吉らの塾に学び, 武藤山治は福沢に, 製紙業の大川 平三郎は, 渋沢栄一の書生, 製紙王の藤原銀次郎は慶応に学び, 芝浦製作の藤山雷太は福沢の実 業論に感化されたといわれる, 福沢は貨殖家の欲情は, 富国の道であり, 人は 金銭をえて, 自力 自活することが, 道徳の根本であると教え, また, 理財の道は蓄積より大いなる生産と利潤をう るために, 費散ずる道を知る企業精神にあ り, それには欧米の産業界の新知識が必要であること を教えた. ホ 国民政府の諸施策. --封建的諸制度の廃止と近代的諸経済政策の実施-- 1 . 対外政策 日本は徳川時代に鎖国政策をとり, 先進諸国とはおくれた体制にあったが, 先進諸国にせまら れて開国し, 屈辱的不平等条約を結んだ. 維新政府は開国主義, 貿易主義をとり, 治外法権の撤 6 ) 廃や関税自主権の恢復などの条約の改正に努力するが長い年月を要した, 1 854年 (安政元年) ペリーの来航により, アメ リカと和親条約を結び, 下田と函館を開港, 英・ 858年6月 (安政5年) ハリスによっ て, 日米修好通商条約を締 露・蘭とも同様の条約を締結, 1 結. 蘭・英・露・仏とも同じ通商条約を締結, 神奈川・長崎・函館・新潟・兵庫を開港. 江戸・ 大阪での開市をみとめた, 外人居留地を定め, 関税自主権のない関税協定を結び, 治外法権制の 外国人の領事裁判権を定めた. 輸入税では, 日本には関税自主権がなく, 相手国と協定により定 ) これが半世紀 7 めることにな っていた. 最初は原則2割の輸入税が, 原則5%に引下げられた. 近くもつ づいた. かかる制約にもかかわらず, わが産業は発展し, 最大の輸出品は生糸と茶など の農村工業品であっ た. これらのものは, 日本に先立って開港した中国の諸港の重要な輸出品で あったが, 日本産のものが比較的良質, 低廉なので, 外国商人に人気があった. その外の輸出品 8 ) では, 水油, 銅, 木蝋, 海産物があり, 65年以降は, 蚕卵種の輸出があっ た, 主要な輸入品では, 綿織物・毛織物・錫・亜鉛・鉛・鉄などの金属類, 綿糸, 砂糖, 船艦など である. 一時的ではあるが, 外商は貨幣取引で, 巨大な利益をあげた. 国際的には金 銀 比 価 は 1;16 で あ る が, 日 本 国 内 で は, 1:5 で あ っ た. 通 商 条 約 で, メ キ シコ ・ ドル (洋 銀) と 日 本 の. ー分銀の等量交換を定めていたので, 外商は洋銀を一分銀に換え, それをさらに, 5:1の割合で 金貨 (小判) に換え, それを上海に運んで, 1:16の割合で洋銀を入手した, このようにして大 量の洋銀だけを日本にも ってくる外商があった. 60年には国内比価の政定で, 国際比価と同じく した,. 概括的にいえば, 開港期には, 輸出では農産物および農家家内工業の製品が大きな割合を占め, 輸入品では, 機械制工場生産の製品が中心であっ た, ) 9 2 . 国内的諸施策 --封建的諸制限の改廃と, 近代的産業の保護育成--‐ 近世封建体制下では, 封建制維持のための, 産業の諸制限政策がとられていた, 近代産業を発 達させるためには, 経済における自由の原則が樹立されねばな らないとして, 維新政府は, 封建 的社会経済制度を廃除 して, 近代的産業展開のための前提をつくりあげた. 古い身分制度を廃し て, 華・士族・平民の三族籍とし, 移転及び職業の自由に対する諸制限を撤廃し, 株仲間を廃し, 田畑作付, 売買の自由を保証し, 商業交通の制限を廃し, 輸出入品の制限を解除した. また, 地 租改正, 秩禄処分を実施 した. - 28 -.
(8) . 第 21 巻 第 2 号. 北海道教育大学紀要 (第一部B). 昭和46年2月. 他方では, 欧米先進国に発達した経済制度, 信用制度を採用 し, 官営諸産業 (官営模範工場な ど) を興し, 後に, これを民間に払下げた. 鉄道・海運業・通信業・綿糸紡績業・製糸業・織物 業・製紙業などの近代産業の保護育成に努力した, 政府は, 工部省を設けて, 殖産興業にあた ら l o ) 工部・内務両省の官営諸事業を主軸とする 「上 から」 の せ, 内務省でも殖産興業に努力した. 殖産興業政策には, 反政府派のはげしい批判が行なわれた, 自由民権左派の機関誌や, 自由党機 関誌の編輯者, 田口卯吉らが批判した, 有司 (官僚) の保護・干渉は, 民間事業を阻害するのみ でなく損失のみであるから, 政府の勧業・保護の幅を狭くせよ, と. 官営の紡績工場は, 多くは欠損した. 二千錘の紡績機を輸入して, 無利息で民間に払下げた. 政府設立の官営事業は, 近代産業の導入には, 大いに役立ったが, 勧業と営利とのヂレソマに陥 り, 利益があがらず, 民間に払下げとなった, 富岡製糸所の速水堅曹所長は, 人民の着日するの は損益のみだから, どんなに精品を製造しても, 損失では勧奨にはならないではない かとい った のに対して, 内務卿, 伊藤博文は, 勧奨のためだから, 多少の損失のあるのもやむをえないとい ったという, これまでの史学界では, 官営事業中心の殖産興業政策には, 批判的な評価が多かっ たが, 最近では, 欧米の技術の導入と技術者の養成では, 大いに効果があっ たとみている. 鉄 道 建 設 に つ い て は, 英 人ネ ル ソ ン ・ レイ と の 紛 争 を へ て,. オ リ エ ン タ ル ・ バ ン ク を 通 じて,. 00万ポン ドの9分利付外国公債によった, 高率の利子と短期間償還 の外債であ 募集された英貨1 った. それに, 多数の外国人技師を雇用していたので, 「半植民地型」 の管轄方式といわれるの である, 政府は, 一応, 鉄道建設の主導権を確保し, イギリス資本の侵入の意図を阻止しえたが, 維新期の国際的圧力の中では, 上述のような形式でしか鉄道建設事業を推進せざるをえなかった. 日本 が植民地化の危機を, よく脱却しえたのは, 国民の一致した近代国家創造への努力の賜物と い う ほ か は な い.. 政商資本の形成H) --有司専制政府によって生みだされた経済界の歪み-- 維新政府 は, 中失集権の専制政府であるが, それが藩閥政府であったので, 薩長閥が有利な立 へ. 場を占め, 薩摩の海軍, 長州の陸軍といわれるのみでなく, あらゆる面で, 薩長は有利な地位を 占めた, しかし, これ以上に, 有司専制政府によっ て 生じた歪みとして, 政商資本の形成がある, 近代産業 が, 中央政府の保護育成によって形成されたので, この権力にうまく取入っ たもの, そ の保護をうけ, 特権をあたえられたものが, 政商資本を形成した, 三野村利左衛門が三井家のた めに, つねに 大蔵官僚たる井上 馨・渋沢栄一と接触を保ち, 造幣権頭益田孝が三井家と密接な関 係を保っていたことが, 三井が小野・島田両家を排して, 単独で新貨幣為襖座の仕事をひきうけ るのに成功した 理由であり, 三井の政商資本としての発展を約束した. 政商とか特権商人というのは, 幕藩体制以来の慣習であって, 幕府方にも, 藩方に も あ っ た が, このような傾向が強まるのは, 経済の近代化にはよくないと識者は考えたので, 福沢や田口 卯吉らは, みな自由競争の原理を貫くように主張した. 自由党の板垣なども, 政府の干渉を排し て, 自由競争の経済を鼓吹した, しかし, 維新政府の強力な指導と保護・監督から, 特権商人や 御用商人が生じ, それがやがて財閥へと発展してい った, 加藤 幸三郎氏の 「政商資本の形成」 な る論文では, 前期的商業資本から産業資本および近代的商業資本への転化と, 政商が転化して, 財閥を形成してゆく過程を考察している. それ以上に大きな問題は, 国民性の形成上に与えた歪みの問題である. 明治10年をすぎると, 自由競争の理念も強まってくるが, まもなく, 急速に独占資本 (寡占資本) が形成されるため に, 自由主義経済の時代は短く, わが国民の間には, 自由・民主主義的な精神の形成が薄弱で, - 29 一.
(9) . VOI .21 No ,2. ion (Sec i i lof Hokka i do Uni t Journa ty of Educat s on IB) ver. Feb . ,1971. 何事によらず, 政府の権力にたよらんとし, 他方では, 独占企業の成長を抑止せんとする民主的 な運動も起らなかった. m イ. 全国的商品経済の形成. 全国的商品経済の性格. 全国的経済とは, 全国的商品市場の成立した経済のことである, 第一には封建的諸制限を撤廃 し, 農民の職業, 作付, 転住の自由を保証 し, 交通・通信の発達を促し, 全国的商品市場が成立し た. 第二には, 産業資本の造出によっ て, 近代的産業の発達が促進された. 政府の勧業資本を産 業資本に貸付け, 政商資本も産業資本に転化された. 第三には, 領国経済時代の準商 品 経 済 か ら, 純商品経済に移行した. 準商品経済時代には, 全人口の80%を占める農民が, 自給自足の経 済にあったが, 今や商品経済 の中に参加して, 経済交流の一分担を担うようになって, 純商品経 済が成立した. 開港後, 最初に農民の副業たる生糸と茶が輸出されて, 現金収入があり, 農民の 間に, 農産品外の商品の購買力がた かまっ た. 同時に, 農民の間の余剰労働力が, 工場労働者と して, 労働力の商品化がすすんだ. かく して, 農村を, 自給自足体制から, 商品経済の中へと参 1 ) しかし, 真に農村を商品経済の中に参加せしめるには, 軽工業の産業革命が必要 2 加せしめた. で あ っ た.. ロ. 3 ) 産業資本の確立1. 産業資本形成の系譜については, 従来, マ ルク ス経済史学による, 商人・高利貸資本が発展し て, 産業資本になったとするものと, 大塚史学の英国の例のように, 商業的農業の展開から, 農 民層が分解して, それが農村工業を発展させて, やがて産業資本が形成されたとするものとある, 奈良本辰也氏や藤田五郎氏は, 大塚久雄氏の考えを, 日本にあてはめて, 農村工業の発達, マニ ュ ファクチ ュ ア時代の発展を強調する. 農民層の分解からして, 中産的生産者層の両極分解して 産業資本が生まれたとする. 近代産業の勃興のためには, 投資資本の造出が必要であったが, 資本の種類からいうと, 徳川 時代以来の商業資本, 高利貸資本があり, 新しい産業資本として重要な役割を果すが, 次に封建 領主が農民から収納し蓄積した富が, 政府から金 禄公債と して下付されたので, 鉄道事業や銀行 業などに投資された. 高橋亀吉氏などは, 華士族の金 禄公債の投資資本を大きく評価している, その外に, 政府が殖産興業の助成のために発行した巨額の紙幣や公債, 租税収入などが, また, 資本造出となった. 地主も, 地租改正によ っ て, 資本 の供給者となった . これらのものが, 直接, 企業に投資されるというよりも, 銀行などに投資されて, そこから産 業資本とされた. 明治政府は, 第一の経済政策としては, 殖産興業のために, 金融 疎通の政策を とった. 金融制度 の創設の歴史としては, 為替会社 の設 立, 銀行業の成立 (国立銀行 条 例 の 制 定, その改正, 国立銀行の設立, 私立銀行の設立, 横浜正金銀行の設立) などについで, 日本銀 ー 4 ) 行の設立と銀見換銀行券発行の政策に よっ て金融制度が成立した, 868年設立された商法司, 1869年設立の通商司は, 商業・金融組織の近代化を図 ったもので, 1 通商司の下におかれた為替会社は 「資本ヲ融通運転シテ, 通商会社二助力ラアタエ, 併テ民間ノ 通融ヲ便利ニスルラ以 、テ目的」 としたものであるが, 銀行の性質を有し, 紙幣発行権をもった金 融機関であった. その後, 国立銀行 条例が制定されてから, 国立銀行が第1, 2, 4, 5と設立 876年8月, 国立銀行条例改正で, 銀行紙幣の金貨兇換をやめてから, 銀行紙幣は不換 された. 1 紙幣のごとくなった. - 30 一.
(10) . 第 21 巻 第 2 号. 北海道教育大学紀要 (第一部B). 昭和46年2月. 不換紙幣としての, 政府紙幣, 銀行紙幣の膨張は, イ ンフレを伴った. そこで, 1 880年に松方 5 ) 不換紙幣の整理をやっ て, インフ レの克服を開始し 兇換券発行 の権利 正義は大蔵卿となり,1 , をもつ日本銀行を創設した. 急速な紙幣の整理, また, 財政緊縮, 官業の払下げは, 統一的な貨 幣, 金融制度を生みだしたが, デフ レを惹起した. インフ レにつぐデフ レの進展中に, 多くの銀 行が創設きれて, 産業資本が形成されていった. 官営工場の払下げにより, それをうけた多くの 特権的商人の利益は多かったが, 三井・三菱・古河・久原・浅野・川崎らは, 後の独占資本に発 展してゆくが, 今日の研究では, 払下げをうけたもの, 必ずしも皆, 有利であっ たとはかぎらな 6 ) い と さ れ て い る.1. 日清戦争後は, 銀行業は著しい発展をとげた. 普通銀行のみでも, 行数1889年末で2 18行が, 1901年に18 69行と, 8 ・6倍. 払込資本金額1 747万円から2億51 70万円と14倍以上になり, 貸出の 40%は商業者であっ た. 日清戦争後, 金 本位制とせんとする考えが, 大蔵官僚の間から起こり, 貿易の世界的発展と, 日清後の賠償金が金と交換しうる英貨でうけとったことから, 金本 位制を 1 7 ) とり, 日本経済は世界市場に直結するようになった, ・ 社会分業の貫徹 ノ 1 . 全国的純商品経済の成立するためには, 完全な社会分業が貫徹される必要がある. 近世 封建制下 では, 各地の地方的分 業が, ある程度, 特産品とか 国産品の形で行なわ れていたが , , 最も重要な人口の80%の農民が自給自足 の経済を強要されていたので 完全な社会分業が行なわ , れるためには, 農村経済が貨幣経済, 商品経済の中に導入される必要があっ た , 2 . 農村経済の商品経 済への参加 社会分業の貫徹を阻止していた農民の諸制限と拘束が撤廃された 地租改正で 土地の売買が , 自由になった, (これは小作人を多く発生せしめることに なったが ) 農村の商品経済への参加を , 助けた大きな要因の一つには, 開港後 農村の副業の一つたる生糸と茶が輸出されたことである , . 原始的な胴繰 り器や手挽き器の製糸用具に代り, 高度の座繰り器が広く用いられた , 茶も釜いり 製法に代り, 青製, また, 宇治製という進歩した製法が普及した 生糸。茶の輸出は 農村に現 , , 金収入をまし, 商品経済へ参加せしめる大き な助けとなったが 未だ充分ではなか た っ , それに , は産業革命の導入が必要であっ た , 8 ) 3 . 産業革命の導入と発展1 日本産業の発達過程は, 欧米先進国の発達形式によく 似ている まず軽工業が勃興し ついで , , 重化学工業が発展している. 産業革命は 維新政府によっ て 上から導入したも のではあるが , , , 徳川時代300年間の教育の普及や, 労働技術の進歩, 資本の蓄積が助けとなったことはいうま で もない. 受入れるだけの素質ができていた. 9 ) a. 軽 工 業 部 門 の 近 代 化,1. 政府は製糸業・鉱業・製茶・製陶業など, 従来の産業の近代化をはかったが, 特に注目すべき ものは綿紡績業の近代化である. 日本の綿紡績業は, 1880年代末には 早くも産業資本としての 実質をそなえたが, 日清戦争をへて, イ ン ドを原料供給 地に, 中国を製品販売市場とする独自の 国際的流通関係を確立するにいたるが, その間, 日本綿工業は, イギリスなどとちがって, 世界 市場 が なく, 著しい小規模性をもち, 日清の役で, やっ と世界の一隅に安定 的な輸出市場を確保 す る こ と が で き た,. 2 000錘の紡績所が, 愛知, 広島に官設されたが, そのほかに, 十基を, 無利息 十か年賦で払 , 下げなどして, 政府は奨励したが, ほとんど成績 不良で欠損であった. -3 1一.
(11) . ▽01 ,2. No .2. ion (Sect ion IB) i id。 Univer lof 日o l d t t s ; くa ourna y of Bduca. Feb . ,1971. ただ, 民営の紡績所としての1万5 00錘の大阪紡績所のみが利益をあげることができた. 成功し して た理由としては, 山辺大夫を , イギリスでの最新の紡績機械の研究をさせ, また, 資本とし ては, 当時の綿業家の資本を総動 員した京阪ブル ジョア ジーの大きな賭であった, これよりして, 一万錘の紡績工場 が 普及してゆく. この紡績機械は, リング機を採用した技術水準が高いもので 000錘の段 あったことはいうまでもない が, 何よりも, 動力として蒸気機関が採用さ れている. 2 階では, 水車を使用するので, 立地条件も山村谷間の田舎的制度であるが, 蒸気機関 の使用は, 石炭の搬入の便利な都会的制度となった, もう一つの成功の原因には, 深夜業を開始して, 機械を昼夜に運転したことで, 一台に ついて イギリスの二倍の生産をあげることができた. そしてu 婦人, 少年労働の低賃 金の使用によって 5~1897年の13年間に, 32倍の生産量をあげた, そ 利益をあげることができた. 綿糸紡績業は188 れにつぐものは, 織物業の発達であるが省略する. b. 石炭採掘部門の近代化 0年代の石炭採掘部門の民間企業の 発展の背景には, 著しい需 要の増大があっ た. 船舶用 明治2 次に製塩用, その後に, 工場用・鉄道用の需要がましていった. 官営時代に, 外国技術を導入し て, 大規模な開発 がすすめられた が, 炭磯の民間払下げにより, 従来の高島・幌内・三池の外に, 三菱, 北海道炭鉱, 三井な どが加わった. 石炭は, これより棉紡績工業や鉄道用の動力源となっ て い っ た.. c. 軽工業中心の産業革命の経済史的意 義 綿紡績業の発達には, 立地条件として, 地理的条件が適していたことが考え られる, i 中国, 朝鮮のア ジア諸国 が鎖国主義で, 近代化がおくれたるに対して, 日本の工業化が一歩先んじ, 有 i i 紡績業に必要 i 日本の冷温な 気候が紡績業に適 したこと, i 利な地理 的地位を 占めえたこと, i v 原料綿のすべてを輸入にまたねば な清例な用水が豊富で, かつ, 使用上, 便利であったこと,i ならぬ不便があるが, 四面, 海にかこまれ, アメ リカ綿, 印度綿の 輸入に海運の便のあったこと, i v 軽工業の動力源と しての石炭 が, 比較的に 立地条件として, 便利な近くでえられたこと, v 国 内に豊富にして低 廉な労働力かえられたこと. しかし反面には, 産業革命の 達成のた めには, 機械と技術の輸入が必要であった. 機械の購入 費及び 外国人技師の 雇用費は 莫大であったが, しばしば無能な外国人技師もあっ て不利なことも あった, また, 産業革命の導入によって, 日本は原料輸出国から軽工業品 輸出国に転じたが, 軽 工業中心の産業革命の ごときは, 印度 (カルカッタ) や支部 (上海) でも容易に 競争相 手となる ことができたので, やがて日本綿紡績業は, 過剰生産に 悩まされるように なり, 明治30年代には, 早くも操短の必要に せまられた, そのほか, 綿紡績業,織物業の発達は, 呉服問 屋の活動を大に した. また, 世界的傾向である が, 軽工業中 心の産業 革命の発達は, 農村の労 働力を吸収するために, 人口の急激な増加をもた ら した.. W. 全国的商品市場の成 立とその機能. 国民政府による全国的経営と交 通・通信の発達 全国的商品市 場の成 立のためには, 先にもの べたように, 領国経済制度を廃して, 国民政府に よる全国 的経済が行なわれる必要があった. 先にのべ たので省略する. 全国的商品市 場の成 立のためには, 全国的な商品流通を助ける交 通・通信の発達が必要であっ イ. ー3 2一.
(12) . 第 21 巻 第 2 号. 北海道教育大学紀要 (第一部B). 昭和4 6年2月. た. 先進諸国では, 商品流通の発達が, 交通・通信の発達を促したが, 日本では 交通・通信 の , 発達が, 全国的商品の流通を促進したのが一つの特色であるといわれる . 商業交通の制限の廃除 18 68年 (明治元年) 5月, 関所を除去, 1871年11月, 伝馬制度を廃止 交通の自由化をはかる . , 1869年8月には, 津留と関して, 米その他の産物の藩外輸出を制限していた制度を廃止 . 外国貿易に ついても, 下田・函館の外に, 神戸・大阪・新潟の三港を開いて 米麦・銅や生糸 , などの輸出制限を解除した. 鉄道の開設については, 1869年イギリスで, 9分利付外債を募って 東京--横浜間の鉄道を , 敷設, 18 71年には, 京都--大阪間の鉄道敷設を開始した 民間の投資も 運輸部門 なかんず , , , く, 鉄道業に活溌に行なわれた, 日本鉄道会社の経営の好調が少なからず刺戟した この会社は , , 1881年に, 華族団体の事業として設立され, 政府からの鉄道用地の供与 払込資本金に対する利 , 子の補給があり, 払込株金 2 70万円に対して, 年利1割1分9厘の純益をあげた, これよりして, 私設鉄道事業開設が 活溌となった, これには, 商品流通の拡大, とくに 貨物輸送が急速に伸長 , したことが, 鉄道事業を発展させた. 鉄道開設によって拡大した, 市場を基盤として, 工場制工 業が展開した, 農村にお ける生糸や茶の輸出に よる収入が, 商品購買力をたかめた, 0 ) ロ 全国的商品市場の成立を可能にした商業活動2 徳川時代には, 都市の発達が あり, 商業活動が活溌で, 18世紀には, ほぼ数里間隔で, 大小の 都市が点綴され, 商業活動が盛んであっ た. 武士が城下町に集中し, 幕府諸候が城下町興隆策を もって, 領国内の商人に種々 の特権を与えて, これを城下町に集中せしめた 古島敏雄氏は2 1 )「諸 , 侯は, その家臣を城の周囲に集めると共に, 農業生産力発展の結果, 農村内部に発生した商人層 をも, 居城の周囲に集め, 結集した家臣団の生活必需品の調達機関た らしめ」 たが, 「それは人 民を商業から遠ざけることに よって, 貢租の基礎としての農業生産の維持, 分解阻止の目的をも っていた」 という, 徳川時代の商品経済が諸都市の発達で, 全国的に普及したが, しかし, 重要 なことは, 原則 的には農民 (人口の80%) が, この商業活動になるべく触れないように, 自給自 足を強制されていた. しかるに維新後, 農村への商業活動の及ぶことへの抑制もなくなり, 農民 は生糸・茶などの輸出で現金収入があるので, 各農村にも, 商業活動が入りこみ, 村内に商店も できるということになった. 農村が商業活動 の場として開放されたということが, 全国的商品経 済の成立上, 重要なポイ ントになるのだが, この方面の近代経済史家の研究 が乏しい 広大な農 . 村が商業活動の場として開放されると, 財貨が生産者から幾多の仲買商人の手をへて, 消費者の 手へ販売されるという複雑な商業組織が発達してくる. 市場としても, 徳川時代の少数の中央市 場のみでなくて, 各地の主要都市に, 中央市場が発生し, 中央市場か ら第二次卸売市場そして, 小売市場から消費者の手に販売される, 中央市場では, 倉庫業や, 銀行業, その他の 金 融 機 関 や, 取引所が活動する. 中間商人の存在は, 古代・中世にも存在したが, 特に, 中間商人の重要 性が増大したのは 産 , 業革命の結果であるといわれる, 社会分業が貫徹して, 生産と消費が完全に分離し, 交通機関も 発達すると, 生産品を消費者に連絡す る中間商人の活動がいよいよ活動の場を拡げ また 重要 , , となっ てきた, 商品取引所・株式取 引所が各都市にでき, 倉庫業も発 達した 産業革 命 に よ っ . て, 同時に, 流通革命がもたらされたことは, 注目せねば ならぬ. 北海道の例をみると 屯田兵 , 村が開かれると, 必ず, その番外地には, 商店がならんだ. 多くは万屋で, 日用品は何でも売 っ ていた, 最初は商品 を船で陸上げする開係から, 小樽には, 卸・問屋があり, 北海道の商品の卸 - 33 -.
(13) . VO 1 ,21 No.2. i i i ido Unvi t lof Hokka t Journa on I B) on (Sec er s y of Educat. Feb . ,1971. 値を左右していた. ここには銀行業や倉庫業, 卸・問屋街 が発達し, 今でも石造の倉庫が建並ん でいるの がみ られる, その後, 鉄道貨物の発達などにより, 主な都市に, 卸・問屋街が発達し, 中央市場などが発達していった. ノ・. 2 ) 労 働 力 の 商 品 化2. 全国的商品経済の成立するためには, 何よりも, 第一に, 農民の労働力が, 市場経 済の中で, 他の商品と同じく商品化されること, 即ち, 貨 幣価値に換算した数量化されることが 必 要 で あ る. 商品化とは数量的貨幣価値で量られるようになることである. 商品化は労働市場において, 労働時間と需給関係によってきめられる, 封建体制下では, 農民は職業選択の自由はなく, 移転 の自由はなく, 作付の自由もなく, 多くの封建的隷従関係の下に拘束されていた, 農村労働力の 商品化のためには, 封建的隷従関係から解放されることによって可能となった. 3 ) (賃労働の発生と市場の形成の問題) をみると, 大阪の棉作 労働力の商品化への歴史的過程2 地帯では, 江戸時代末期には, 質労働化されていた, また, 一般に賃労働の発生は, それが当時 の 生 産 力 の 主 力 で あ っ た と は い え な い と し て も, 工 場 制 手 工 業 (マ ニ ュ フ ァ ク チ ァ) の 発 生 に よ. って, かなり広く発達をみつつあった. 明治に入ると, 繊維工場の発達で, 賃労働者が次第に多 くなってきた. だが, 何よりも, 維新政府の実施した封建的諸拘束の廃止が, 大きな作用となっ た, 職業選択の自由や, 有利な換金作物を つくる自由, さらに農地そのものが, 地租改正によっ て, 商品化, 貨幣価値化され, 貢租も金 納化されたことである. 明治初期の労働事情は, 軽工業を中心とした産業革命が導入されて, 機械工業が発達してきた が, その労働力は, 主として, 農村の貧農の子女で, 紡績・その他の工場で働いた. 当時は, 低 賃銀・長時間労働であり, 幼年労働も行なわれ, また, 深夜作業も, 大阪紡績などで行なわれ, 他の工場にも波及した, 低賃銀は, 労働者の生活を支えるだけの賃銀ではなかった, それには, 軽工業中心の産業革命は, 農村人口の急激な増加 (間引きをやめるので) をもたらし, 農村では 生活の困窮から, ロベ らしと称して, 娘や二, 三男を工場労働者におしだ した. 日清 戦 争 後 か ら, 日露戦争にいたる十年間の産業革命の時期には, わが国の工場および労働者数は, 飛躍的に 増大し, 衣料生産部門を中心に, 軽工業は発達し, 労働者の構成としては, 女子労働者が多かっ たが, 生活状態は, 極度に悪かった, 日本の産業は, 外国資本との競争上, 低賃金による低コス トを主要な武器として競争 した. 紡績・製糸女工の過半は, 家計補助のための出稼ぎで, 寄宿女 4 ) 工 が 多 か っ た.2. 二. 市場経済における需要と供給の関係. 自由な市場経済の成立の条件としては, 社会の安定と, 商品流通の媒介としての貨幣流通の自 由な活動と, 金融制度の発達と, 信用経済の進歩, 拘束のない自由市場の保証, および, 産業革 命による社会分業の完成によっ て成立する, 西南の役や自由民権運動の激 化などは, 社会の不安 をもたらし, 信用経済の発達に障害となるものがあったが, 維新政府はこれを 克服することがで きた. また, 貨幣の流通には, 農地を貨幣化し, 貢粗を 金納化したのみでなく, 不換紙幣が多く 出されて, 紙幣と金・ 銀貨幣との間に差額を生じ, 貨幣流通の悪化をきたした時に, 松方蔵相は, これを整 理して, 一応の流通の安全化を確立した. 社会の分業化は, すでにのべたように, 人口 の80%の農民が, 社会分業の中に加入 した, 株仲間を廃止し, 彼らによる価格の操作が やみ, 他 方に寡占資本の形成にはいまだいたらず, 比較的に, 自由な市場を形成していた. 自由市場の形成によって, 物価や労賃が需要と供給との均衡作用によって, 決定されるように な った. 綿紡績業の ごときは, 明治30年代に入ると, 早くも生産過剰になり, 自主的に操短をや -3 4-.
(14) . 第 21 巻 第 2 号. 北海道教育大学紀要 (第一部B). 昭和4 6年2月. ることになった. 自由市場が需給関係で, 自動的に生産を調節させる機能のあらわれである. ま た, 商 品 市 場 に お け る 企 業 家 の ス ペ ク レー シ ョ ン に よ っ て,. 新 た な 商 品 が 創 造 さ れ る.こ と も, 自. 由市場の機能の一つであるが, 同時に, 商品取引所や証券取引所が各地に設立され, 仲買人によ る投機的スペク レーションによっ て, 物価が左右され, 景気変動の波をはげしくしたことも否定 で き な い,. V. 近代経済社会構造の 見取図. 社会分業の発達した国民経済体の市場経済では, 商品に対する投下労働量の比率による使用 価 値の原理と, 市場での需要・供給の均衡調節作用の原理による交換価値の法則という二つの根本 的な経済原理によって物価はきまり, 生産と消費の傾向は, それによっ て調節されてゆくのであ るが, これだけで, 物価や労賃, 生産と消費の傾向がきまるのではない. もう一つ の重要な要因 は, この論文の最初にあげた政治的作用が加わる. 中央政府や経済界の支配的な経済理念という ものが, それに推進力となっ たり, 規制力となって働くのである. 維新政府の殖産興業の目的と 指導, それに つ づく, 自由経済の理念にもとづく官営事業の払下げというように, 中央政府のも つ経済理念による政策が, 大きく, それぞれの時代の経済を左右する, 一つの力となっている, 労働量による使用価値と, 市場原理の需給関係による交換価値との二つの集点をも つ楕円の底面 に対して, 中央政府の理念と政策は, 錐体的経済構造の頂点をなせるものである. 中央政府の 理 念と権力がいかに強力であ っても, 自由主義経済体制にあっては, 楕円の底面の作用を無視する ことはできない. しかし, また, 需要があるからといって, 社会的に害悪になる商品 や反社会的 なものは, 社会的世論の支持の下に, 政府は流通を禁止することができるし, また, 労働市場の 供給の関係で, 労働賃金が極度に低下したり, 労働条件の悪化することは, 人道上の理 念 需要・・ から防止することもゆるされる. たとえば, 明治30年になると, 経済界の反対をおしきっ て, 工 場法が 制定されるが, その一 つである. かく して, 近代経済社会の構造は, 労働量によっ てきまる使用 価値と, 需給関係できまる交 換 価値との二つの集点によって決定される楕円底面をもち, 中央政府の経済政策 が頂点となる楕円 底面の錐体であると規定することができる, 註 1) 土 屋 喬 雄:日本の経済学者 上:日本資本主義発達史上の指導者たち, 同 本庄栄治郎: 日本経済思想史 2) ゾムバルト:近世資本主義 (岡崎訳) 上:高度資本主義 (梶山訳) 同 3) 宮 本 叉 次:近江商人. 4 ) 福 沢 諭 吉:文明論之概略 横 井 時 冬:日本商業史 井 上 清: 条約改正 有 沢 広 己: 日本産業百年史上 服 部 一 馬: 開港と日本資本主義 椙 西 光 速:日本資本主義発達史 有 沢 広 己: 日本産業百年史 1 0) 石 塚 格 道:殖産興業政策の展開 1) 加藤幸三郎: 政商資本の形成 1 土 屋 喬 雄: 日本資本主義の経営史的研究 1 2) 西岡虎之助: 現代型農家としての茨城県松浦忠造家の場合 5) 6) 7) 8) 9). 高 橋 亀 吉:日本近代経済形成史 第三巻 一 35 -.
(15) . vo . ・21 N0 ,2. l。f H0k l id。 Un iver i i i Journa t t く on (sec a s on IB) y of Bducat. 13) 絹 西 S: 日本資本主義の発展 1 14) 杉 山 和 雄: 金融制度の創設 明治財政史 第12巻 1 5) 藤 村 通; 松方正義 16 ) 高 橋 誠: 日清戦後の財政・金融問題 17 ) 寺 島 一 夫: 日本貨幣制度論 18) 縄 西 S: 日本資本主義の発展1産業革命 有 沢 広 己: 日本産業百年史上. 9 1 ) 小 林 正 彬:近代産業の形成と営業払下げ 服 部 一 馬: 明治2 0年代の産業発展 20) 林 周 二: 流通革命. 松 本 信 二:配給経済学入門 21) 22) 23) 24 ). 古 島 敏 雄: 日本農業史 大久保利謙: 近代史史料 小 林 良 正: 日本資本主義の生成とその基盤 隅谷三喜男:労働運動の生成と推転. - 36 -. Feb , ,1971.
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