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和辻哲郎の思想

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Academic year: 2021

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(1)Title. 和辻哲郎の思想. Author(s). 山本, 嘉太郎. Citation. 北海道教育大学紀要. 第一部. A, 人文科学編, 19(2): 85-90. Issue Date. 1968-12. URL. http://s-ir.sap.hokkyodai.ac.jp/dspace/handle/123456789/3944. Rights. Hokkaido University of Education.

(2) . 第 19 巻 第 2 号. 北海道教育大学紀要 (第一部A). 昭和43年12月. 和辻 哲 郎 の思 想 山. 本. 嘉. 太. 郎. 北海道教育大学旭川分校哲学研究室. Kataro YAMAMOTO; Thought o f T, wat i i su. 和 辻 哲 郎 の 思 想 所属の学科は倫理学科ではなか ったが, 私は大学在学中進んで和 辻教授の講 義を聞いた, 教授 の 「倫理学概論」 とか 「倫理学演習」 とか 「日本倫理思想史」 とかの講 義を聴講した. 当時わざ と らしい難解な原語や訳語を濫用 しての西洋哲学の諸講義, したが って講義者にも聴講者にも理 解しかねるような, しかも非論理的な内容の講義が多かった, そん な風潮の中にあ って特に和辻 教授の講義は必要な場合には原語も訳語も使用 されたが, 全体としては概 して平易な言葉で表現 されていた, 平易な言語表現の中にもろもろの複雑な思想が明快に理解されるように表現された, なかんずく所説は無駄な言葉が全くなく, 全体が残らず論理でつ らぬかれていた, このような講 義の仕方は教授のもろもろの著書論文にもゆきわた っている, 私が進んで和辻教授の講 義を聴講 したり, 教授の著書論文を熟読したのは主として上のような理由に依る, この和辻教授 が逝かれ てもう何年かになる. 私は今和辻教授の見事な講義を回想し, 多くの著書論文を読み返してその 主要点をとらえ, その特徴を指し示 し, そうしてそ の価値について考えて見ようと思う,. (1) 和辻博士がまず研究されたのは日本文化なかんずく日本精神に関するものであった. すなわち 大正七年には 「偶像再興」 大正八年には 「古寺巡礼」, 大正九年には 「日本古代文化」が著わされ, それから大正十五年には 「日本精神史研究」, 昭和十年には 「続日本精神史研究」 が現わされた, これらのうち 「日本精神史研究」 は飛鳥寧薬時代の政治的理想や 推古時代に於ける仏教の受容の 仕方についてや 仏像についての一考察や推古天平美術の様 式や万葉集の歌と古今集の歌との相違 についてや御伽としての竹取物語や枕草紙についてや 源氏物語についてや物のあわれについてや 沙門道元についてな どの諸章が論じてある, また 「続日本精神史研究」 は日本精神や日本に於け る仏教思想の移植や日本の文章と仏教思想や 東洋美術の様式や現代日本と町人根性や日本語と哲 学 の問題な どの諸章について論 じている. 和辻博士は 「日本精神史研究」 の中の源氏物語につい てに於いて文学作品としての源氏物語には先行する或る種の原本を想定してお られる. この新説 に対 しては源氏物語を専門の研究 としている 国文学者からは激しい反対が起こったことはいうま でもない, また 「続日本精神史研究」 の中の日 本精神に於いては 当時さまざまな意味に解されて いた日本精神を規定してそれは主体としての日 本文化であるとされた. 和辻博士の上のような日 本文化や日本精神の考察は多くの卓見を含んでいた, そうしてこれらの日 本女化や日本精神につ - 85 -.

(3) . 山. 本. 嘉. 太. 郎. いての研究は「風土」と共に後年形成された和辻博士の倫理学の体系の基礎とな ったものである. なお 大正十五年に 「原始基督教の文化史的意義」 が著わされた, この研究はキリス ト者でない和 辻博士が宗教的独断に とらわれない公平な立場から原始 キリス ト教の文化史的意義を考察 したも のである, したが って門外漢であるわれわれにと っては興味深い研究である, しかしキリス ト者 にと っては信仰に関することだか ら批判が激しか った. たとえを 和辻博士はバイ ブルに見えるキ リス トは実在の人物 ではなくて実在 したかも知れぬ予言者たちの結晶であると見られた, こうい う見解はキリス ト者にと ってはいわば信仰 への反逆である, それでかれ らは猛烈に反 対 を 試 み た.. (2) 次ぎに和辻 博士の第二の業績は仏教思想に見える実 践哲学 または倫理思想に関する 研 究 で あ る, すなわちそれは昭和二年に著わされた 「原始仏教の実践哲学」 である. この書の中には序論 根本資料の取扱い 方について 第一章 根本的立場 第二章縁起説第三章道締ここでは当時の日本では まだ十分に弘通していなか った古典の研究法である本文批判の方法が適用され, それか ら四諦や 八正道 や輪廻の諸思想が解明され, そうして縁起説が解明されている, 一般に宗教 の経典には必 ず多くの倫理思想が 含まれるもの であるが, ここでもこの点に着目して研究が進められている , 仏教はイ ンドに発生した. しか しそれはイ ンドには十分に定着 せず, 却って中国や日本に渡来し て発展してきた, なかんず く日本では広 ぐ伝播し長い時代にわた って信仰されてきた, このよう な事実に着目して和辻博士は仏教に含まれた倫理思想を解明されている. そうしてこの仏教に 見 える倫理思想の解明は次 ぎの業績 「風土」 の研究と共に後年の大著 「倫理学」 の重要な基礎とな っ て い る,. (3) 次ぎに和辻博士の第三の業績は風土に関する研究であ る. すなわち昭和十年には 「風土」 が 著 わされた, この書は第一章 風土の基礎理論, 第二章 三つの類型, 第三章 モ ンスー ン的風土 の特殊形態, 第四章 芸術の風土的性格, 第五章 風土学 の歴史的考察 の諸章が論述されている. ここではア ジアの地域はモンスー ン的風土の地域 であり, アラ ビヤの地域は砂漠の地域 であり, そ う して ヨ ー ロ ッ パ の 地 域 は 牧 場 の 地 域 で あ る こ と,. そ れ か らア ジ ア の 地 域 の 人 々 は モ ンス ー ン. 的風土の影響を受けて激情的性格をもつこと, アラ ビヤの地域に生活する人々は砂漠的風土の影 響を受けて忍耐強い性格をもつこと, ヨーロッ パの地域に生活する人々は牧場的風土の影響を受 けて冷酷な性格を もつことなどが考察されている. こういう考察に対 して論者の中には風土がど のような仕方が生物科学的や物理科学的に人間に作用を及ぼしたか その分析が十分でないと評す る者もある. しか し異な った風土が生物の進化にさまざまな影響を与えるということは ダー ヴイ ンの進化論に於いてすでに承認された事実である. 和辻博士がア ジアやアラ ビヤやヨーロ ッ パの 地域に生活する人々が各地独特の風土の影響を受けて それぞれ特殊の性格をもつに至 っていると 考えられたことは正当な ことである. こういう風土学の思想はこのすぐあとで形成されてゆく和 辻博士の倫諭学の体系にと って基礎となっている. つまりそれは和辻博士が一般に倫理学という ものは異な った, 風土をも った各地域に生活する諸民族や諸国民はそれぞれ特有の倫理を有する と考える思想に基礎を与えていると思われる. - 86 -.

(4) . 和. 辻. 哲 郎 の. 思 想. (4) 和辻博士の第四のかつも っ とも重要な業績はいうまでもなく倫理学の研究である. この仕事の 序論としての 「人間の学としての倫理学」 は昭和九年に刊行された. この書は第一章 人間の学 としての倫理学の意識, 第二章 人間の学としての倫理学の方法に分けて論述している, ここで は倫理学という言語の歴史的意味 つまり漢字の意味の分析を手がかりとして考察が進められる. そうして倫理学は結局人間存在の理法の学として規定されている, そうしてアリス ト テ. レ ス の. Pol it ik や カ ン トの Anthi e や コ ヘ ソに 於 け る 人 間 の 概 念 の 学 や ヘ ー ゲル の 人 倫 の 学 や フ opologi. オイエルバッバ の人間主義やマルクスの人間存在についての 諸思想が人間の学としての倫理学の 諸形態として考察されている. そうして人間の学としての倫理学は解釈学的方法に依 らなければ ならないことを論述している, こののち昭和十二年に 「倫理学上巻」 が 著わされた, この書では まず序論として人間の学と しての倫理学の意義とその方法について前の 「人間の学としての倫理 学」 に於いて論述されたこととほぼ同一の思想が論述されている. それから本諭へ進み, 第一章 人間存在の根本構造や第二章 人間存在の時間的構造などについて論述している. ここではまず 出 発点としての日常的事実や人間存在に於ける個人的契機や 人間存在に於ける全体的契機や人間 存在の否定的構造や人間存在の根本理法な どが考察きれ, 続いて私的存在と公共的存在の問題が 論ぜられたのちハイ デッ ケルの人間存在の思想は その時間性についてだけ考えているがそれでは 片手落ちでその空 間性も考えねばならないことについて述べている. ここではさらに引き続いて 人間の行為や信頼と信実や人間の善 悪や責罪と良心な どについて考察されている. 「倫理学上巻」 が刊行されてから五年を経て昭和十七年に 「倫理学中巻」 が刊行された, この 書は人倫的組織という章の下に公共性の欠如態としての私的存在や 家族や親族や地縁共同体 (人 倫共同体より共同体へ) や経済的組織や文化共同体 (友人共同体より民族へ) や国家などの諸問 題が論述されている. すなわちここでは人間共同体は家族から親族へそれから地縁共同体へまた 経済的組織へ発展する, さらにここか ら言語共同体としての民族が発展する .民族は 「血と土と に依 って限界ずけられた文化共同体であり, それはまた共通の言語や芸術や宗教などの根祇の上 に成立する. 文化は作る働きつまり文化活動と作られたものつまり文化財とを同時に意味するが 文化共同体 は同 じ言語や芸術や宗教それに学問などの文化の共有に因って成立す る 共 同 体 で あ る, 国家はかかる民族つまり文化共同体を中核として成立するものであ ると考えられる. この 「 倫理学中巻」 が形成されたのは日本が日支事変から次第に戦争を拡大して ついに太平洋戦争へ突 入し, 連合軍を敵にまわして死にもの狂いの戦争にはい った時代のことであ った, したが ってこ の 「倫理学中巻」 は多かれ少なかれ当時の日本がおかれた上 のような社会状勢の影響があ ったこ とは否定できない, たとえばこの書の中に家族や民族や国家などが特に力を入れて考え られてい るのは上 のような社会状勢の影響と見 られる. 「倫理学中巻」 が刊行されてから約七年を経て昭和二十四年に 「倫理学下巻」 が刊行された, この間に日本は太平洋戦争に敗北し, 新しい民主主義の時代を迎えた, この 「倫理学下巻」 は第 人間存在の歴史的風土的構造という章を立てて, その中 で人間存在の歴史性や人間存在 の. 四章. 風土性や歴史性風土性の相即--国民的存在や 世界に於ける諸民族の業績や国民的当為の間など の諸問題につい て論述している. すなわちここで人間存在はそれぞれの特有の歴史と 風土に因っ て独特の型態を有するに至ること, か つその歴史性と風土性とはばらばらなも のではなく相互に 相即 し作用 し合うものであることを考察している, そうしてそれぞれの民族ないし国民は特有の -8 7-.

(5) . 山. 本. 嘉. 太. 郎. 文化と倫理の実践を通して人類に貢献し, かかる諸民族ないし諸国民の独特の文化や倫理の交響 楽の中に人類の繁栄を可能に してゆくことが 国民的当為であると考えられるのである. 上の 「倫理学上巻」 から 「倫理学中巻」 そうして 「倫理学下巻」 が刊行され終るまでに実に十 二年の時間が流れた. 和辻博士の倫理学 の思想体系が着想されそうして完成されるまでにはもっ と長い時間が流れ去 ったわけである. この間に日本は日支事変の拡大と太平洋戦争への突入, ア メ リカとの死闘そうして敗戦というようなか って経験 したことのなか った 歴史を体験してきた, 和辻博士の倫理学はこういう激動する歴史的体験を通して形成された のである. したが ってすぐ に気がつくことはその思想の中に上の歴史的体験が大きく影響しているだろうと い う こ と で あ る. 実際にこの倫理学書 三巻を通観すると最初 の 「倫理学上 巻」 は比較的に人類全体を考える温 和 で普遍的な思想でみたされている. これは 「倫理学上巻」 が書き上 げられるまでの時代の世界 状勢が比較的に平和 であ ったことを反映 している, しかし 「倫理学中巻」 になるとこの書は日本 が太平 洋戦争に突入した時代に書かれただけに 強く民族主義的または国家主義的な思想が流れて いる, 例えばこのことは民族を力説し, その文化を力説するポーズの中 には っきり見えている. ところが 「倫理学下巻」 が書き上げられる前に太平 洋戦争は日本の敗戦という現実をもたらして 終戦とな った. 正義 の戦争であり必勝の戦争と考えて戦 ってきた人たちにと ってはこの戦争の終 結の仕方は意外でありひどく途方に暮れさせた, 事実和辻博士は 「倫理学下巻」 の前書きの中で 自分は 「倫理学下巻」 を書き上 げるのをやめようかと思 ったと述べてい る, これはこの戦争に協 力 してきた人々の自然の感情であ ったであろう, ただし和辻博士はこ のような窮状から脱して, ついに 「倫理学下巻」 の完成に成功した. 和辻博士は民族や国民を重視す る思想を捨てずに, 却 ってこの思想を発展させな が ら民族や国民の当為は それそれの独特 の文化や倫理の実現を通して 可能となる. 人類はかかる民族ないし国 民の独特の文化や倫理の交響楽の中に繁栄することが で きるという思想に到達することが できたのである, なおこの倫理学書が書かれていった時代にほかの幾冊か の書物が刊行さ・ れた, すなわち昭和十 二年に 「面とペルソナ」 が刊行された, この書は美術や哲学に関する小さな論文集である. この 書の中 で特に注目に価する頃日は文化的創造にたずさわる者の立場である. この書が刊行された 時代は日本が次第に激化してゆく日支事変の進行中にあ って, 国民はこういう非常時に 何をなす べ きかについてさま ざまに論議し, また実際に国民は迷 っていた. しかし和辻博士はこ の小論に 於いて文化的創造の仕事にたず さわる者はこういう非常時にこそ し っかり腰を落ちつけて自分に 与え られた文化の創造という仕事に適進す べきだと主張された. これは誠に正しい見解であ った. それか ら昭和十三年に 「人格と人類性」 が刊行された, この書は哲学と倫理学 に関す る 論 文 集 で, カ ントに於ける人格と人類性や人間存在の考察の出発点についてやや実質的価値倫理学の構 想や弁証法的神学と国家の倫理や仏教哲学に於ける法の概念と空の弁証法な どの諸項が 論述され ている. またそれか ら昭和十七年には 「ニエチェ研究」 が刊行された. この書は以前に刊行され たものの重刊であるが, その内容は新価値樹立の原理や権力意志や認識としての権力意志や自然 としての権力意志や人格としての権力意志芸術としての権力意志宗教の批評や 道徳の批評や哲学 の批評や芸術 の批評やヨーロ ッ パ文明の預廃や新しき価値標準な どの諸章 について 論 述 し て い る. つまりこの書はニエチェ哲学の研究である. それか ら昭和十一年には 「カ ント実 践 理 性 批 判」 , 昭和 十二年には 「孔子」 が著わされた. 特にこの 「孔子」 は専門の漢学者たちの考え及ばな い卓見が述 べ られている. また昭和十八年には 「尊皇思想とその伝統」 が刊行された, この書は 後の 「日本倫理思想史」 の中にふたたび書き入れ られている, - 88 r.

(6) . 和. 辻. 哲 郎 の 思 想. (5) 次ぎに和辻博士の第五の業績は日本の倫理思想史に関する研究である, まず倫理学の三巻が完 成されてか ら二年を経て昭和二十六年にな って 「鎖国」 が刊行さ れた。 この書の前書きにはこの 書は日本が得意の境遇にある時には日本人 の短所を指示してその慢心をたしなめ また日本人が失 意のどん底にある時 にはその長所を指示してかれ らを勇気ずけるように心がけて 書いたと記して ある. これはいかにも倫理学 に従事する人 らしい態度である. この書の内容は前篇序説, 第一章 東方への視界拡大の運動 第二章西方 への視界拡大の運動, 後篇世界的視圏に於ける近世初頭の 日本, 第一章十五六世紀 の日本の状勢や第二章 シャ ピエルの渡来や第三章シャ ピエル渡来以降の 十年間や第四章 ビレラの畿内開拓や 第五章九州諸地方の開拓や第六章朝鮮に於けるフロイスの活 動や第七章九州沿岸諸地域に 於ける 布教の成功や第八章ルイスフロイ ス --和田惟政織田信長や 第九章信長 の伝統破壊や第十章京都の新会堂の昇天の聖母の建立や 第十一章キリスタ ソ運動の最 高潮や第十二章鎖国への過程などの諸章が論述されている. ここでは近 世に於いてと った日本の 鎖国という政策が日本として 今後絶対にと ってはな らない政策であることが歴史的事実の反省を 通 し て 明 らか に さ れ て い る,. それか ら昭和 二十七年一月には 「日本倫理思想史上巻」 が著わされた. この書には緒論神話伝 説に現われた倫理思想第一章宗教的権威に依る国民的統一や 第二章神話伝説に於ける神の意義や 第三章 祭妃的統 一に基 づく道徳, 第二篇律令国家時代に於ける倫理 思想第一章政治的国家の形成 や第二章聖徳太子 の憲法に於ける人民的理想や 第三章人倫的国家 の理想や第四章奈良時代に於け るあまっ神の思想や第五章奈良朝平安朝に於ける仁政の思想や 第六章平安朝に於ける皇室尊崇や. 第三篇初期武家時代に於ける倫理思想第一章武士的社会の形成や 第二章坂東武者の習や第三章公 平無私 の理想や第四章鎌倉時代の神学思想や第五章慈悲の道徳な どの諸篇章について 論述してい る, また昭和二十七年十二月には 「日本倫理思想史下巻」 が刊行された. この書は第四篇中 期武 家時代に於ける倫理思想, 第一章大名 の出現と民衆の勢力の胎動や第二章神皇正統記と太平記や 第三章 室町時代の文芸復興と教養の準則や 第四章謡曲に現われた倫理 思想や第五章室町時代の物 語に現われた倫 理思想, 第五篇後期武家時代に 於ける倫理思想, 第一章武士的社会の再建や第二 章戦乱 の間に就成された道義の観念や 第三章キリスタソの伝道と儒教の隆盛や第四章江戸時代の 民間の儒学や第五章 献身の道徳の伝統として の 武士道や第六章江戸時代中期の儒学史国学に於け る倫理思想や第七章町人道徳と町人哲学や第八章江戸時代末期の勤王論, 明治時代の倫理思想第 一章明治維新や第二章明治時代の倫理思想な どの諸章が論述されている. この 「日 本倫理思想史 上巻」 と 「日本倫理思想史下巻」 とは古来の日本の倫理思想の歴史的解明である. 日本の倫理思 想史の明快な描写ではあるが, ただ余りにも文献の記録を尊重し過ぎた点が伺われる, たしかに 文献は思想の歴史 の有力な語り手ではあるが, しかしそれは著者の主観に依 ってしばしば事実を 誇張した り事実を歪曲したりした個所があるものであるか ら注意を要する. この和辻博士の仕事 はいわばそ の倫理学の全体系の基礎的研究の役割を果たしている. さて私が学生 であ ったところ 和辻博士の研究室へい って卒業論文を書く場合の心構えについて 聞いたことがある, すると和辻博士は誰が何時 どこで見てもそう見えるものを求めよ と い わ れ た, これはいわば学問する場合には普遍的に妥当する真理の確立をめざせという教えであったと 思う, 和辻博士自身の倫理学や哲学の研究も恐 らくこのような普遍的に妥当する真理を めざすも のであ ったと考え られる, そうしてそこにあのような壮大な倫理学の体形が完成した わ け で あ -8 9-.

(7) . 山. 本. 嘉. 太. 郎. る. しかし和辻博士もまた時 代の制約をまぬがれることはできなか った. すなわち和辻博士の倫 理学は普遍的に妥当する真理をめざして出発したはずである. しかし完成された倫理学は人類に 共通的に普遍的に妥当すべきものというよりむしろ日本の民族もしく は 国 民の当為ともいうべき も の と な っ た,. 和 辻 博 士 はア リ ス トテ レス や カ ン トと 同 じ仕 方 で 倫 理 学 を 組 み 立 て る の だ と い っ. てお られるが, 結果は人類に普遍的に妥当する倫理学の形成とはな らいで, 日本の民族ないし国 民の当為を重視するような倫理学の形成に終 った, 所詮和辻博士は大正時代か ら昭和の二十年代 までにかけての日本の君主主義的資本主義的帝国主 義のイ デオロ ゲソにほかな らなかった, ただ 当時の 狂信的な右翼の思想家たちと異なる点はこれ らの思想家たちがもっぱ ら 感情的迷信的であ ったのに対して理性的合理的であ ったということである, このことは前者 が教養の程度の比較的 に低い階層に人気が集 ったのに対し, 後者は比較的に高い教養のあ った階層に人気があ ったとい うことか らも知 られる. とはいえ和辻博士は単に大正時代か ら昭和の二十年代に至る時代の日本 帝国主義のイ デオロ ゲソにと どまる思想家として解してはな らない. 和辻博士が倫理学者哲学者 として残された業績はまず第一に学者として 踏む べ き道を身をも って実践きれたということであ る, 博士はその一生を忠実に倫理学者として生き抜かれた, その功績は二十数冊にも上る著書に 示されている. その第二の功績はつねにどこまでも冷静な理性の立場に立ち, 物事を飛躍せず論 理的に考え られたことである. 博士の徹底した論理的な思考の仕方はそのあ らゆる文章に明 らか に見えている. 和辻博士の第三の功績は難解な倫理学や哲学の知識を極めて平易な言語で 明快に 表現されたことである. 一般に倫理学や哲学の文章は 難解であり, しばしば言葉の遊戯に等しい ものす ら多い. しかし和辻博士の場合はその講 義を聞いても著書を読んでも分りやすく, しかも 論理整然としているのが見える, このほかにもいくつもの和辻博士の功績をあげることができる であろう, 和辻博士は二十世紀の日本が生んだ最大の倫理学者哲学者の一人であり また最高の人 格者の一人でもあると思われる.. - 90 -.

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