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倫理判断の指導可能性 : その社会学的検討

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Academic year: 2021

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(1)Title. 倫理判断の指導可能性 : その社会学的検討. Author(s). 大坪, 嘉昭. Citation. 北海道教育大学紀要. 第一部. C, 教育科学編, 41(2): 17-25. Issue Date. 1991-03. URL. http://s-ir.sap.hokkyodai.ac.jp/dspace/handle/123456789/5152. Rights. Hokkaido University of Education.

(2) . 北海道教育大学紀要 (第1部C) 第4 1巻 第2号 lof Hokkaido Univers i Jouma ion(Sect ty ofEducat i onI C)VO1 ‐41 -2 , No. 平成 3年3月 March ,1991. 倫理判断の指導可能性 --その社会学的検討--. 大. 坪. 嘉. 昭. 1. 規範と倫理判断 人間が他者と共に生きる存在であり, 他者を生かし 他者に生かさ れている存在であることから , 倫理, 道徳 は生ずる. 倫理判断は, 精神活動を含めた人間の行為が共に生きる仲間(倫)1 )との間で 調整されていく過 程のうちでなされる判断である あるい は そのよう な社会的過程 の結果を蓄積・ . , 継承・発展させる文化過程の一環と して行われる判 断が倫理判断なのである 共に生きる人間と人 ‐ 間との間での行為の調整・制御 の過程は様々 な規範を媒介としてなされていると同時に新たな規範 を生み出していく. ここでいう規範と は, 集団, 社会の成員がその行為を通じて追及すべき (または追及すべきでは ない) 価値の基準や 行為の様式を顕示的 暗示的に指示・禁止・奨励 する命題であり しかもそれ , , への同調可能性を多 少なりとも高めるような社会的な仕組をともなう 命題である . 規範に対して成員が同調する可能性は, 次のようなサンクショ ンの稼働可能性 あるいは規範 の , 肯定的内面化 を通 じて確保されている . 第一‐ 規範への同調行為あるいは規 範からの逸脱行為 に対して は それが認定さ れた場合に 何 , , らかの肯定的サンクショ ン (報酬) 否定的サンクシ ン ( 罰 ) が与えら れる可能性がある. サンク ョ , ショ ンは, 喜びや誇り, 不快, 恥, 罪等の意識をもたらす無定形 の集団圧力から 明示的な賞賛 , , 非難をへて, 公的表彰, 物理的強制 にいたるまで様々 な態様をとる 同調や逸脱 に対して肯定的・ . 否定的サンクショ ンが与えられる可能性 の高さに関しても様々 な規範がある 一方には刑法規範 の . よう に, 同調したからといっ て肯定的サンクショ ンがほとん ど与えられないけれ ども 逸脱に対し , ては厳罰が与 えられる強制的規範がある そのような強制的規範から 常人にと て は実現困難な っ . , ほどに高遠 な理想を説く規範 のように 同調に対して は高い評 価 賞賛がよせら れるけれ ども 逸 , , , 脱したからといっ て非難されることが少ない奨励的規範にいたるまで様々 な規範がある . 第二‐ 規範への同調 の確保可能性 は, さらに規範が社会化の過程を経て成員のパーソナリテ 体 ィ 系に肯定的に内面化されていくならば より一層 高まる この肯定的内面化を通じて規範が成員 の , . 価値判断傾向の中に組み込まれて いくにともない 同調行為は単 に他者に賞賛されたり罰せら れた , りすることだけから なされる外発的義務行為 ではなくなっ ていく 彼自身が望ましい と思うから行 . う内発的行 丁為へと転化していくのである. このようなサンクショ ンの態様と各サンクショ ンの稼働 可能性およびそ れを肯定的に内面化し て いる成員 の範囲や内面化 の程度にもとづき 規範を分類していく ことができるけれども ここでは , , 広く通用 している分類にもとづき 規範の種類 を概観する にと どめることにする2 ) , . 17.

(3) . 大 坪. 嘉 昭. ある価値基準 や行為様式 が多くの成員によっ て繰り返 し選択さ れるなら ば, 成員の間には他者が その価値 基準や行為様 式を選択することへの期待 が広がっ ていく. そしてその期待に反する行為 が なされた場 合に, 失望や意外感の表明とか職笑 といっ たサンクショ ンがともない がちになる。 慣習 とはそのよう な過程を経て成 立した規範である. 流行 は新奇性の勧迎という点を除け ば慣習と類似 した過程を経て規範化して いく. 慣習のうち でも集団, 社会にとっ て特に重大であるとされる価値 3 ) にか かわり, それを遵守する ことが強く要請されている規 範 はモーレス とよ ばれている ‐ 規範のう ち公的な機関によるサ ンクショ ンの稼働可能性 が確保されている ものは法とよ ばれている. 規範の 中には, 集団, 社会のす べての成員に同様に適用される規範 と, 地位・役割の分化に応じて適用さ れる規範 があり, 後者を特に役割規範という. このような規範 という社会学概 念を使用するな ら ば, 倫理判断を次のようにとらえることができ る‐. 倫理判断とは, 社会的事実 として現実に存在する規範や判 断主体が存在せしめようとする規範に } かかわっ てあることを是 認・否認する判断 である4 . 「 する規範」 を, 次のような意味で使用している. は 現実に存在 格規定において この倫理判断の性 規範 は物が 「存在する」 というのと同様 な意味で存在するの ではない. 規範の中には確かに明文化 され, 紙の上に印刷さ れた規範もある. しかしな がら, 印刷されて いても誰にも影響を及ぼすこと がなく忘れ去られた 「規範であっ た命題」 はも はや規範 として存在している とはいえない. 集団・ 社会のメ ナバーの行為に何 らかの影響可 能性を有するよう な命題として 規範 は存在する. そして, 「現実に存在する規範」とは判断主体のパーソナリティ 体系に外在 して, 判断主体の行為に対して外 からの何らかの拘束力 を有する命題 として存在する規範 を意味する だけではなく, さらに学習を通 じてそのパーソナリティ 体系に内面化され, その構成要素として内在する規範をも意味する. 多くの規範 は我々 が望んだから生じた というより は, 我々 が生まれる前から存在 し, 我々 が望む 望まないにもかかわらず我々 の外部に存在し, 我々 にかくあれと要請する. そのように規範 は外在 すると同時に, 我々 の パーソナリティ 体系に組み込まれ, 我々 の内なる 要求になっ てしまっ ている ) 幼いころから親やきょう だい, 友達との相互行為のなかで, 叱られたり, 喜ばれたり, ことも多い5 . 恥ずかしめら れたり, 笑われたりする ことの繰返しを通じて内面化さ れてきたのである. そのうち には意識の対象にな らないほ どパ ーソナリティ の深層部の構成要素になっているものも ある. デュ ルケーム が説く道徳の二面性, すなわち 道徳は我々 にとっ て望ましいことであると同時に強 制, 命令, 義務でもあるという ことは, このような規範の 内在性, 外在性の顕現に他ならない.. 2. 倫理判断の指導可能性 ( ) 倫理判断指導の 基礎となる指導 1. A) 事実判断, 論理判断, 因果判断の総合的指導. まずはじめに, 現実になさ れる倫理判断の多く は事実判断, 因果判断, 論理判断を含む総合的な 判断として なされるということ, ないしは事実判断, 因果判断, 論理判断を前提として成立して い るということを忘れて はならない. 倫理判断と事実判断とを厳格に区別すべきである と説いた G.E‐ムーアさえも, いかなる行 為を 行っ たらよいのかに関する倫理判断 は因果的事実判断 としてなされる と考えていた. すなわち, そ れ自身における善, 内在的価値 が直覚判断を通じて把握 されていて, 既に決定済みであるなら ば,. 18.

(4) . 倫理判断の指導可能性 いかなる行為をなすべきかに関する倫理判断は いかなる行為がその内在的価 値の最も高い結果を , もたらすのかに関する因果的事実判断として成立 すると考えら れていた6 ) .. 前節で述べた倫理判断の社会性を重視する我々のとらえかた 考え方を仮に社会学的倫理学説と ,. よぶならば, この社会学 的倫理学説においても 倫理判断は因果的事実判 断 論理判断を豊富に含 , , む判断であると考えられる. たとえば, 家出を電話 で通告してきた 息子のもとに駆けつけるために車を走らせる父親の場合 , ス ピー ドをもっ と上 げるべきかどうかの倫理判断には 「ス ピー ドを上 げれば家 に早く着くことが で , き, 息子を説 得するチャ ンスを得て, 父親として の役割規範を果たせ る可能性が高まる とか 「交 」 , 通信号もなく狭いこの道路でスピードを上 げることは人身事故につながりかねない などの因果的 」 事実判断, 論理判断が含まれている . 我々 は行為の結 果を全く予測できないような人 間に望ましい倫 理判断を期待 することはほとんど できない. 殺人に対 してさえも, 因果的事実判 断能力を著しく欠くと判断される人間が行 た殺人 っ ならば, その刑事的責任を問わないのである . また, 社会生活の場で現実に生じている倫理判断のくいちがいや対立 は 事実判断 因果判断の , , ) 暴力シーンがしば しば映し出 されるテレビ番組 くいちがい に起因していることが多いのである7 . が青少 年の暴力犯罪 の原因となっ ていると の因果的事実判断を 行っ ている父母 たち がそ の番組を 「けしからん一と非難する これに対 して むしろそ のような暴力 シーンを見ることが代償として機 . , 能 し, 実際の暴力行動に走ることは少なくなるという因果的事実判断からそ の放映を擁護する人 も い る.. 以上のようなことを考慮するならば, 学校教育 において生徒の倫理判 断を指導する活動 は 生徒 , の事実判断能力や論理的・因果的判断能力を総合的に使うことを必要とする課題 への取り組みを指 導する活動として, あるいは, そのような指導活動に支えられて成立しう るといえる . B) 社会的存在としての自分, 人間の認識・自覚 倫理判断の指導の基礎となる 指導の第二 は 自分 人間が集団・社会の中で他者と共に生きてい , , る社会的存在 であること, 他者に生かさ れている存在 であることに関 する生徒 の認識 自覚がより , 充実することを助長・促進する活動であ る そのような指 導は具体的に は生徒が過去か ら現在に至 . るまで営んできたところの集団・社会生活をみつめさせることから はじめることができる . 例えば小学校の低学年の場合, 月に1度その月 に生まれた生徒 たちの誕生 日をまとめて祝う会を 催す. その際, 前もっ てその生徒たちの母親や父親に その子が生まれる前や生まれた時 そして , , 育てる過程 において, どんな嬉しいことや心配 なこと 苦労したことがあっ たのか を文章にまとめ , てもらう. 誕生会 の場で生徒が皆にそ の文章を発表 してもらうこと にする8 } そのようなこと をきっ . かけとして, 生徒たち は, 自分が家族や親戚 隣人等 多くの人たち の様々 な配慮 のもとで育 て , , っ きたことの認識・自覚 を深めていくことが できるのである 。 このよう に自分や人間が社会的存在であることの認識・自覚の深まりを助長・促進する指導は , まず第一 には, それぞれの生徒が営ん できたところ の集団・社会生 活をみつめさせ それが両親 , , 祖父母, きょう だい, 親戚, 隣人 友達な どといかなる社会関係をとりむすぶ生 活であ たのかを , っ みつめさせる指導からはじめることができる そして中学年 や高学年 になると さらに生徒がまだ . , 経験したことがないような集団・社会生活 をもとりあ げて 社会的存在としての人間のありかた , , その現実や 可能性について考えさせる指導も可能 である .. 19.

(5) . 大 坪 嘉 昭. C) 相互理解の援助・促進 そのような指導とともに倫理判断の指導の基 礎となる指 導は, 共に生きる 仲間としての他者に対 する理解, そしてその他者にかかわる者と しての自分自身に対する理解・自覚を助け, 促進する指 導活動である. このような意味での相互理解 を援助・促 進していくために は次のような指導, ない しは教育的配慮 が必要である。 第一は人間の喜びや, 悲しみ, 苦しみ, くやしさ, やさしさ, 気高さ, 残忍さな ど様々 な人間性 が生き生きと描かれた文学作品, 昔話な どに生徒たち がふれ, 心を揺すぶられる 経験をたっ ぷり持 てるための配慮である. 国語や英語の時間における そのような指導を充実する だけでなく, 現在の 日本の学校教育において は, 生徒たちがそれらに余裕をもっ て接するこ とができる時間やそのため の学級図書・学校図書がいかに貧しいのかを自覚することがまず必要である。 第二 は生徒たち が自分の経験, 考え, 気持ちを表現できる多様な機 会を豊富に作り出すための配 慮である. 一斉授業における発問, 指名を繰り返す だけでなく, 個人でノートに授業中の自分の考 えや感想を書く時間, 作文や日記を書く 時間, それを友達と見せ合える時間, となりの生徒と一対 9 ) 一でコミュニケーショ ンできる時間, 小集団の中で一対小数のコミュニケーショ ンができる時間 , 物語りに登場する人物の立場になっ て, その人物の考え・気持ちを思い遣り, 表現する役割演枝 を し, 他の生徒 とお互いの役割 をとりかえて演 じてみるような 時間な どを豊富にする ことを通じて, 0 ) 生徒たち はお互いの考え・気持ちを理解 し合えるのである1 . 第三は小集団研究で説かれて きたような意味 での許容的・支持的な学級・学級内集団の風土をつ D 道徳は一面 において は人間の醜さや悪, 愚かさ, 弱さを厳 しく責め, 裁き, 罰す くることであるI . るという性格を有している. そのような側 面のみが強調され, 生徒同志 が互いに監視しあい, 相手 の弱さや愚かさ, 醜さ, 悪を厳しく 追及する だけの場に学級 がなっ てしまうな らば, 相互理解は極 めて困難になっ てしまう. なぜなら ば, そのように厳 しく責める相 手から何とか 自分を譲らんがた めに, 生徒たち が相手に対して身構え, 防衛のための壁をつくっ てしまい がちになるからである. その壁 は自分を相手に見 えにくくする壁であると同時に, 自分で自分自身を見えにくく している 壁 なのである。 お互いが他者に対 して身構えあう だけの防衛的風土のもとにおいて は, 好意が好意を よび, やさしさ がやさしさをよ び, 善意が善意を生み出していくという平凡であっ て大切なことが 困難になっ てしまうのである. ) 倫理判断の指導は基本的に いかなる指導として成立しう るのか ( 2 )で述べたような指導を基礎 として, 倫理判断の指導は基本 的には次のような指導として成 前項( 1 立しうる. すなわち, 生徒 が現在まで経験してきた集団・社会生活や実際に経験 したのではないけ れども理解しうるような集団・社会生活の問題状況を教材化 してとりあ げ, その問題状況における 成員間の諸行為の調整・コ ントロールの し方, 例え ば目標達成のための協力の し方とか少ない 価値 の分け合い方な どを生徒たち が探求・決定・評価 ・実行する活動 を指導する 過程の一環として, 倫 理判断指導 は成立しうる.. 前述したように, 倫理判断は人間が他者 と共に生きる存在であるという ところに生 ずる判断であ り, 集団・社会のなかにおいて共 に生きる仲間たちとの間でお互いの行為 を社会的に調整 ・コ ント ロールして いく過程の一環としてなされる判断である。 それゆえ, 倫理判断の指導 は, 当然のこと ながら, 基本的には集団・社会生活において 生ずる問題に生徒たちが取り組むの を助け, 促す指導 過程の一環として なされうる. 例え ば, ドッ ジ・ボールがクラスに1個 しかなく, 男子生徒たち, しかもそのうちで最も勢力 が. 20.

(6) . 倫理判断の指導可能性 強いA雄をボスとするグルー プだけが独占している このような状況 は学級集 団における成員間の . 諸行為 に関してある意味 での調整・制御が成立 している状況であるといえる ニホンザルの社会に . おいてよく見られるような権力による集団成員の諸行為の調整・制御 である (このよう に 集団に , おける成員の諸行為の調整・制御 は必ずしも規範を媒介としてのみなされているとは限らないので 2 ある)1 L 教師による倫 理判断の指導 は, 例え ば, そのような権力による調整・制御のし方がなされている 状況に対して, ボールを使用させてもらえない女子の生徒が批判 するとか あるいは教師がそのよ , うな気持ちを有している生徒 を励ましてやることな どを契機として はじめることが できる . そのような批判, すなわちボー ル使用の独占が生じているという ことに対する批判がなされる場 合, それはしばしば次のよう になされる 「男子のA雄君 のグループばかりが ドッ ジ・ボールを使 ‐ っ ているのは不公平です」というような批判, すなわち公平さを要 請する規範 に準拠する批判 である . このような公平さを要請する規範の遵守がない と A雄のグループのメ ンバー にとっ ても学級生活 , が不愉快なも のになりかねない 他のグルー プの生徒やクラス 担任教師がA 雄の グループのメ ン . バーに対して不公平 であっ て は困るのであ る それゆえ 公平さ を要請する規範 に準拠する批判に . , 対してはA雄のグループの生徒も正面から反論することは困難である . そのような際によく出される反論 は次のよう なも のである 「ぼくたち だけがドッ ジ・ボールを . 使っ ているのは不公平だと言われた けれ ども クラスにある 集団縄跳び用 の縄をいつも女子 ばかり , が使っ ているんではない ですか そのことを考えると 不公平ではないと思います とい たよう . っ , 」 な反論 である. そういっ た反論 は屍理屈 にす ぎな いこと たとえば集団縄跳びを しない他の男子グ , ループの生 徒も ドッ ジ・ボールを使えない でいることをどこか へ置いてきた屍理屈 であるというこ とがよくあるのだが, ともかくも屍 理屈とも言える 反論が出され それに対してさらに反論がなさ , れるといっ た議論が展開されていく そのような議 論の展開過程を通じて 公平であるべきだとい . , うことはどう いうことであるのかを生徒たちが具体的な 問題状況に即 してよ り深く考える可能性が 実現していく のである. このよう に倫理判断の指導は基本的には 集団・社会生活 における諸行為 の調整 コントロール , , のし方の学習を助長・促進する過程の一環として成立するが その際の集団・社会生活 を生徒が実 , 際に経験している集団・社会生 活, ないしは過去 に経験した集団・ 社会生活 だけに限定 するのでは 不十分である. 生徒が実 際には経験した のではないような集団・社会生 活からの教材も含まれた方 3 ) カミよ い1 .. 生徒たちが現に学級生活で直面している問題状況を教材化 することには 生徒たち にと てその っ , 問題が切実な 問題であること に由来する 「両刃の刃」 的な意義がある 問題が切実であるだけに . , その問題 に対する生徒たちの真剣な取 り組みが期待 できる その問題 の解決のため に自分自身の . 行っ てきた行為の点検や親しい友人 の行為の批判が必 要であることが多い 普段の自分や今後の自 . 分のありかたをどこか へ置いてきて の奇麗事に終始 するような道徳 の時間になりがちな現状を改め ていく上 で, 生徒たちが現に学級生活 で直面している問題状況を教材化すること は有益である . しかしながら, 学級集 団で生ずる重大な問題 はしばしば その解決を急い で行う必要があり 道 , , 徳の時間の教材 として 取り上 げても 解決を急ぐために せっ かち で不十分な議論にと どま てし , っ , まうことも少 なくない.非難がとびかう だけで 先に述べたよう な防衛的風土を強化する だけに終 , っ て しまうこ とにもなりかねない また学級 で生ずる重大な 問題のう ちには利害 の深刻な対立が含ま . れていて, 道徳の時間の教材としてとりあ げても 利害関係の深刻さ ゆえに生徒たち の冷静な対話 , の成立が期待しにくいこともある そのような場合 むしろ生徒たちが直面している問題と同様な . , 21.

(7) . 大 坪 嘉 昭. 問題を含む状況ではある が, 生徒たち が実際に経験したのではない問題状況を教材としてとり あ げ た方がよい.. また倫理判断の指導が生徒たちの現在の集団・社会生活の改善だけではなく将来の集団・社会生. 活の準備のためにもなされる べきであるなら ば, 生徒たちが経験 したことがないよう な集団・社 会 生活の場面, 問題状況を適切に記述 した教材をとり あげ; そのような問題状況において集団成員 が なすべき行為や諸行為の調整の し方を探求, 評価さ せるような指導も必 要である。. ( 3 ) 倫理判断指導の分析的構成要素 以上, 倫理判断の指 導はどのような指導を墓礎として成立しうる指導であるのか, そして倫理判 断の指導は基本 的にいかなる指 導として成 立しうるのかについて考えてきた が, 次に基本的にはそ のようにとらえられる倫理判 断の指導を分析 し, それが どのような要素か ら構成されうる指 導であ る の か につ い て 考 え る こ と に す る。. 倫理判断指導の構成要素の第一としてあ げたい指導は, 生徒たちが社会的事実としての規範の存 在とその存在のし方の二面性を認識し自覚することを助長・促進する活動である. すなわち, いか なる規範 が社会的事実として, 集団・社会の成員, その一人である自分に外在する もの (すべきこ と, 義務) として, さらにはそのパーソナリティ に内面化されたもの (のぞましきこと, 欲求) と して存在するのかの認識・自覚を深 める指導である。 「 ズが 「 「私はバラが好き」 「僕 は菊 が好き」 , 僕はローリ ング・ストーン , 私は ビー トルズが好き」 , 好き」 といっ た好き嫌いや趣味の問題に関 して は, どちらが正しい とか, どちらがいけない とかが 問われる ことはない. これに対して相手の意志に逆らっ て異性を性的享楽の対象にする ことは, 好 みや趣味の問題とは異なり, 正しくないことであり, いけないことなのである. 人間 が他者と共に 生きる場には自分の欲求とはかかわり なく, して はならないこと, しなくて はならない ことが規範 と して {÷め ら れ て い る.. 社会的事実としての規範の存在の認識・自覚 を深める指導に は, 規範 がそのよう に生徒たちに外 在する だけでなく, 生徒たちの態度, 好み, 願いな どに組み込まれてもいるという ことを認識・自 覚させる指導も 含まれている. 前述した例 (ドッ ジ・ボールの独占使用状況) における, 女子生徒 の 「男子のA雄君のグルー プばかりがドッ ジ・ボールを使っ ているの は不公平です」 という批判と 「 それに対する反 論, 反論に対する 反論といっ た議論を指導していく活動 は, 公平であるべき」だと いっ た規範をクラス のどの生徒も自分の願いと して抱いている ことを確認し合うことにつな がる指 導となりうるのである. ただし, 生徒のパーソナリティ 体系に内面化されてはおらず, 外在するにとどまっ ている ような 規範はどの学 年段階にあっ ても存在する‐ そのように内面化されて はいない規範であっ ても, 集団 バ のメ ンバーそれぞれの好みに応じて, 守っ ても, 守らなくてもよいという命題ではなく, 各メ ン ー 的な道 の欲求や好みにかかわりなく守る べきことを規定する義務を規定 しているということは基本 徳の重要な側面であり, 規範の義務的側面の認識 ・自覚を深める指導の意義を見失なっ て はならな し)・. ところで, そのよう にして存在 している ことが認識・自覚さ れる規範 がいかなる規範であるのか は, 具体的な問題状況にその規範 を適用し, その問題を何 とか解決しよう と努める中でより 深く理 解されていく. その問題状 況にその規範 がどのように適用されうるものなのか, 適用しきれないも のであるの かを考えることを通じて, その規範 がいかなる規範である のかをより 深く理解できるの で あ る‐. 22.

(8) . 倫理判断の指導可能性 このことを含め倫理判断指導の構成要素の第2 はある問題状況へ適用する にふさわしい規範の選 択と実際 の適用のし方に関する指導 である 問題状況に適用さ れる規範は一つであるとは限らない . ‐ いわゆる徳 目主義的な指導においては, まず子 どもたちがその時間に学ぶべき特定の規範を前も っ て決めておき, その特定の規範が大切 だとの生徒 の思いを強めるという 観点のみから教材 を選択・ 構成し, 教え込んでいくような指導がなさ れがち である まず勤勉という 徳目 (を説く規範) が選 . ばれ, 次に勤勉さ のお手本として伊能忠敬が選択され 伊能忠敬がどんな に勤勉であっ たのかを強 , 4 ) そのような指導が全く無意義であっ たとは言えな 調する だけにと どまる教材が構成されていた1 . いけれ ども, 生徒自身に問題状況に適用すべき規範を選択させ どう適用したらよいのか 適用し , , きれないのかを深く追及させる指導 のし方が, 規範の適用のし方 の学習を促進するととも に 次に , 述べるような規範の機能・限界 の理解を通じての規範の意義のより深い理解の助けともなるのであ る.. 問題状況に適用するにふさわしい規範 の選択と実際の適用 のし方に関する指導と密接に関連する 指導としてあげられるのは, それぞれの規範がいかなる価値の確保・実現 に関していかなる社会的 機能を果たしているのか, あるいは果た しうる のかに関する指導と 個々 の規範がいかなる 限界を , 5 )に関する指導である 有するものであるのか1 . 規範がいかなる社会的機能を果たしうるか, そしていかなる限界を有する のかは その規範を具 , 体的な問題状況 に適用することを通 じて理解さ れていく 例え ば公 平さ を要請す る規範の機能 は . ドッ ジ・ボー ルの独占的使用状況への適用過程 を通じて生徒たちに理解されていくのであり 親孝 , 行を説く規範 の限界 は早く就職して病身の親を病院に入れてあげるべきか それとも父親の医者 に , なっ てほしいとの切なる願いをかなえるべく進学すべきか といっ た問題に当 の親孝行を説く規 範が 頼りにならないことを体験 することを通じて認識されていく のである . また, ある規範 の機能や限界 は, 他の規範と関連 することが多 い 親 しい友達が図書 の貸出期限 . を後1日延 ばしてほしいと頼む その図書は人気が高く 貸出し予約をしている者が何人もいる . , . このようなケースにおいては, 真に友のためになることを考えるためには 公平さについても考え , ることが必要なのである. 自分の指導がそれでよかっ たのだとの確信に関して 論理学や数学 自然科学の指 導に比べて , , , 倫理判断の指導 において は, 低い確信しか我々 は持てないかもしれない しかしながら このこと . , は倫理判 断の指導がいかなる意味においても客観性を有しない指導でしかありえず 主観的なも の , であらざるをえないと言わんとしている のではない 前述したよう に 倫理判断は事実判断 論理 ‐ , , 判断, 因果判断を含む総 合的判断であることが少なくない このような総合的判断に含まれる事実 .. 判断, 論理判断, 因果判断の部分に関しては, 経験科学や数学 論理学と同質の客観性を有する指 ,. 導を行うことが できる. また規範がいかなる機能を果たしているのか 果たしう るのかに関しても , , 相当程度 の客観性を有する指導を行うことが可能である さらに起こりうるあらゆる 問題状況を前 ‐ もっ て想定し, それぞれの問題状況が生じた場合になすべき行為を明確 に定めておくという ことが 不可能なことに由来する規範 の限界性に関しても客観的な指導 を行うことは可能である . ただし,そのような指導が どんな発達段階の生徒 にも可能であると言わんとしている のではない . 幼い子 ども に礼儀作法の機能を十分に理解させることは非常 に困難であろう そのよう に規範の機 . 能, 意義がよく 理解出来ない段 階の生徒 に対してその規範 に適うような行為を求める指 導はさしひ かえた方がよ いのであろう か . 児童・生徒がそ の規範の機能, 意義を理解 できるまで 規範を守ることを厳しく指導しないとい , っ たことは, 一見すると理に適っ ているかのよう に見える はたしてそうな のだろうか 規範のうち ‐ ‐ 23.

(9) . 大 坪 嘉 昭. には, 各成員 が好むと好まざるにかかわらず, それに従う べき義務を規定するという性 格を有する ものがあり, それらの多く は規範の機能, 意義を理 解できる人にも 出来ない人にも守らせるような 何らかの拘束力 を有して存在 している. そのような拘束力に十分な意義が認められる ことが多い. また我々 の良心の形成過程を考 えると, 幼児たち がその機能, 意義を理解しえない段階から, 基本 的な規範を厳 しく守らせるこ とが必要である と判断される. そのような指 導は押しつ けであり, 児童・生徒の主体性を損なうといっ た, 少なからぬ学 生たち に人気のある論に対 して は, 押しつけにあえなくも屈 してしまうような主体性 とは一体 どんな主体 なのかと問う ことにしている. 大人 は子 どものしつけにおいて時には頑固であっ てもよい. その頑 固さに子 どもが反抗 し, 何度も捻 じ伏せられな がらも抵抗し育っ ていくよ う な主体性の重要性 が もっ と説かれてもよいと考えるのである. ただし, 規範の意義, 機能を十分に理解できる段階の児童 ・生徒に対して も押しつ け的なしつ け 「 を続けると主張 しているので はない. 他律の道徳の意義を述 べようとして, 他律の道徳 から自律の 道徳へ」 といっ た倫理判断指導の基本方向を見失うようなことがあっ て はならない. さらに,他律の道徳 から自律の道徳への移行にあたっ て生徒たち が悪ぶることがあっ たとしても, たじろい ではならない. 再構築ないしは創造に破壊はともない がちである. それと同時に幼い子, 心が疲れはて た生徒, 迷路に迷い込 んでしまっ た問題児の 気持ちを徹底 的に受容しよう とすること が必要な段階があるという ことも見失っ て はならない. 「 また, 教師がその機 能, 意義をまだ理解できない段階の子 どもに きまり だから守りなさい」 と 有無を言わさ ぬ指導を行う 際には, 少なくとも教師自身はその規範の機能, 意義と限界を十分に理 を怠っ て はならない. いいかえるなら, 「きまりだから守りなさい」といっ た有無を言わ 解する努力, さぬ指導 が, その規範の機 能, 意義や限界を十分 に理解できる 段階の生徒に対して反省なくしてな されるなら ば, そして, そのような指導が単に教師による規範の意 義, 限界の理 解と生徒理解にお ける怠慢の結果にす ぎないなら ば, そのような指導は有害ですらある.. 934年, 2ー9頁. 1) 和辻哲郎 『人間の学としての倫理学』 岩波書店, 1 i i in t on and bbs s : The Problem of Def 献が参考になる 特に次の文 関しては 規範の分類に 2) , Nomn . J.P.Gi , iol i o i f i i canioumalofsoc を評, VOL 70,1965, Number5,PP‐586‐603. C1ass on, 伍eamer cat. 3) W‐G‐ サムナーはモーレスを次のように定義している‐ 「真と正しさという要素が, 生活の福祉という教養にま で発展すると, フォークウェイ ズはもう一つ別の局面へと高められる. それらは推論を生み, 新しい形態へと発展 姿轡を個人や社会へと広げることが可能となる. そのとき, われわれはそれをモーレスと呼ぶ‐ モー し, その建設的影 社会生活の福祉にっいての哲 が成長するにつれ レスは, それら , それらによって暗示され, それらに固有である, 恭一・山本英治 ( 青柳清孝・園田 W G サムナー ズ イ である ークウ フ ェ 一 ‐ ‐ 学的で倫理的な一般化を含んでいる ォ 4 3頁 7 5年 1 9 『 青木書店 体系 第3巻 ズ 訳) フォークウェイ 』 現代社会学 , . , , ,. 4) 拙稿「道徳教育の社会学をめざして --倫理判断の社会学的研究の可能性の検討」北海道教育大学紀要(第一部 3頁. なおこのように倫理判断を規範とのかかわりにおいてとらえることが, 悪しき相対主義 0巻第2号,4 C)第3 に陥ってしまわないかといった疑問に対 しては, 次のような文献が参考になる. G.ハーマン(大庭健・宇佐美公生 5頁. C.クラックホーン (城戸浩太郎訳 『文化と行動』 社会 0-17 訳) 『哲学的倫理学序説』 産業図書, 1988年, 17 9 - 8 4頁 57年, 7 心理学講座W, みすず書房, 19 ‐. i i i ta i ion,Pres l l rs resdeFrance,1963,P.60. t ve sesUn l i eed e,1925 : Nouve on mora 5) E‐Durkheim, じeducat 『 1 4年 0 6頁 1 9 6 麻生誠・山村健訳 道徳教育論』 1・2巻, 明治図書, , . i iver idge Un ty Pre s s,1903,PP‐142‐182‐ s 6) G- E‐ Moore, Principia Ethica, Cambr. 24.

(10) . 倫理判断の指導可能性 「道徳」 授業批判』 明治図書 197 7) 宇佐美寛 『 4年, 16 2-163頁. , 8) 井上治郎・江測喜美子 『手をつなぐ書く考える』 明治図書 19 0 18頁参照‐ , 8 ,1 9) 片岡徳雄 『学級集団を創る』 泰明書房, 1 97 1年, 1 57-16 2参照‐ 10 ) 生田茂 『役割演技で進める道徳指導』 禁明書房, 1 98 9年, 82-214頁‐ 11 ) 片岡徳雄, 前掲書, 18 2-187頁参照. 1 2 ) 拙稿 『集団における成員の行為の調整・制御様式の分析』 東京教育大学教育学部紀要 第2 4巻, 197 8年, 1 5一3 3 , 頁においては, 規範の適用による調整・制御の他に合意の達成過程を通じての調整・制御と権威・権力を有すると ころの権能者の裁量による調整・制御に関する分析を行った ‐ 1 ) 井上冶郎・全国道徳授業研究会編 『道徳授業入門』 明治図書 197 3 5年, 20-5 8頁参照‐ , 1 ) 例えば, 海後宗臣・仲新編 『日本教科書体系』 近代編 第3巻 修身 (三) 講談社 19 4 9頁‐ , , , , 62年, 208-20 15 ) 規範の免れがたい限界に関して論じた文献としては拙稿 前掲書( 197 8年)の前に次の文献がある.K-J‐Ar r , ow, The Limi t i i sofor t t 4 za 4 on gan on,197 糸癒織の限界」 岩波書店, 197 8年, 9 1-9 2頁. , Nor ‐村上泰亮訳 「 ,p.7 (本 学 助 教授 ・ 函館 分 校). 25.

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参照

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