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戦後台湾の高校の国防教育と生活教育

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(1)ࠝ◊✲ࣀ࣮ࢺࠞ. ᡓᚋྎ‴ࡢ㧗ᰯࡢᅜ㜵ᩍ⫱࡜⏕άᩍ⫱. The Military Education and Living Education of Taiwan After World War II. ᒣ⏣ ⨾㤶 Mika YAMADA. Studies in Humanities and Cultures No. 33. ྡྂᒇᕷ❧኱Ꮫ኱Ꮫ㝔ே㛫ᩥ໬◊✲⛉ࠗே㛫ᩥ໬◊✲࠘ᢤๅ 33 ྕ 2020 ᖺ 1 ᭶ GRADUATE SCHOOL OF HUMANITIES AND SOCIAL SCIENCES NAGOYA CITY UNIVERSITY NAGOYA JAPAN JANUARY 2020.

(2) 名古屋市立大学大学院人間文化研究科. 人間文化研究. 第 33 号. 2020 年 1 月. 〔研究ノート〕. 戦後台湾の高校の国防教育と生活教育. The Military Education and Living Education of Taiwan After World War II 山田 美香 Mika Yamada はじめに 1. 軍訓教育・生活教育 1.1. 軍訓と制度. 2. 軍訓の課程標準 2.1. 公民、公民訓練、軍訓. 2.2. 公民訓練教材. 2.3. 軍訓と中国青年反共救国団. 2.4. 軍訓と生活教育・生徒指導. 3. 軍訓の教科書. 4.. 3.1. 1950 年代. 3.2. 1960 年代. 3.3. 1970 年代. 3.4. 1980 年代. 軍訓と学校に関わる議論 4.1. 『学生軍訓』. 4.2. 軍訓に関わる多様な活動. 4.3. 国民中学. 4.4. 軍訓は必要か?. おわりに. 要旨. 本研究は、戦後台湾の高校における国防教育と生活教育の関連について、課程標準(学. 習指導要領)・教科書・新聞・雑誌『学生軍訓』から 1950-1980 年代の状況を明らかにした ものである。1953 年から高校で軍人が国防教育の授業を行い、現在でもその状況が続いてい る。当時、高校で国防教育を行うことは国家の発展に必要であると理解され、授業以外でも 多様な活動が行われた。. キーワード:台湾、国防教育、生活教育、軍訓、生徒指導(輔導). はじめに ・国防教育とは. 161.

(3) 名古屋市立大学大学院人間文化研究科. 人間文化研究. 第 33 号. 2020 年 1 月. 本研究は台湾における大学・高校における国防教育が現在縮小傾向にあることを踏まえ、戦後 高校における国防教育(軍訓)と生活教育について報告するものである。特に 1980 年代まで高校 で軍訓が行われた状況について、課程標準(学習指導要領) ・教科書・雑誌・新聞を中心に論じる。 軍訓とは軍事訓練のことで課程標準にあった科目であり、1953 年多くの高校で始まったものであ る。その担当は教官1と呼ばれる軍人であった。学内に軍人が駐留し、軍訓の担当以外に生徒指導 を行っているが、現在でもその状況は続いている。 本研究の枠組みは、戦後の政治社会情勢の背景のなかで、高校生が国防教育を受けざるをえな かった理由、国が国防教育と生活教育を啓発的に行うことの意味を明らかにすることにある。ア ジアの大学・高校においては国防教育があることは珍しくなく、本研究はアジアにおける国防教 育の歴史を論じるものであり、アジアの歴史的背景のなかで国防教育を行う意味の一端を研究す るものである。 台湾では現在でも高校で国防教育(現在は全民国防。軍訓から名称変更)を行っていることか ら、高校のホームページには国防教育の歴史的経緯について説明があることが多い。例えば、 「1952 年中国青年反共救国団が成立し、生徒の国防教育(軍訓)は救国団が中国青年反共責任を負うこ とになった。1953 年全省の高校で全面的に実施した」2と記されている。 当初、中国青年反共救国団が高校で軍訓教育を行い、その後教育行政が軍訓教育を行うことに なる。政治的に反共産党の思想によって高校生が将来軍人になることを目的とする教育を行った。 戦後長い時期にわたって高校で軍人が教育に関わるのはこれが始まりである。軍人が教育を行う ことについては批判的な論考を出す者もいたが、1987 年の戒厳令解除前は大きな動きとはならな かった。 1962 年初版の曹削平撰『学校訓導與軍訓』には、 「学校教育には 3 つの大きな仕事」があり、 「1 つ目は教務」で「2 つ目が訓導で、学生を高尚な品格に陶冶する」、 「3 つ目は総務で学校校関係者 「軍訓に関わる実際の仕事は(軍訓 の生活上の種々の困難を解決するものである」3と書いており、 を教える:筆者註)教員であり、訓導を行う者であり、―(略)―、中等学校では主任教官と訓 導処の管理組長を兼ねるものである」と述べている。曹削平は、軍訓教官が教員・訓導を行う者 として、生活教育で「学生(生徒)を大事にする」「学生(生徒)にかかわりを持つ」「学生(生 徒)を啓発指導する」 「学生(生徒)を支援する」という方法を重要視すべきだと論じ、決して厳 しい指導が必要だと述べなかった4。しかし教官による実際の指導は厳しく、その指導の在り方が 大きく変化したのは戒厳令解除以降であった。 1987 年戒厳令解除から政治が自由化していくなかで軍訓に関する憲法解釈の議論があった。李 宗藩(2012)は「1995 年、1998 年に大裁判官が『三八〇』『四八〇』の憲法解釈案を出した」5こ 1. 2 3 4 5. 「軍訓」 「軍訓教官」 「軍訓人員」 「看護教師」については、張芙美『中華民國臺灣地區軍訓教育發展之研究』(幼獅、1999 年、 前言 p.4)にその意味を紹介されている。 台南第一中学のホームページ。https://military.tnfsh.tn.edu.tw/files/15-1010-3656,c581-1.php 2019 年 8 月 17 日閲覧引用。 曹削平撰『学校訓導與軍訓』1962 年、p.17。 曹削平撰『学校訓導與軍訓』1962 年、pp.72-74。 李宗藩「我國學生軍訓制度之變革與發展」國立臺灣大學國家發展研究所,2012 年、p.1。. 162.

(4) 戦後台湾の高校の国防教育と生活教育(山田美香). とを紹介し、張芙美(1999)は「各大学で軍訓の授業を行うことが判断できるようになった」6と 論じている。つまり自由に物が言える時代になると、大学が批判的に軍訓に関わる軍人の位置づ けを論じるようになったのである。この点については、張芙美(1999)が各大学の意見をまとめ ている。 2005 年「全民國防教育法」が公布され 2006 年に施行された7ことにより、2006 学年高校におけ る科目名称は「軍訓」から「国防通識」と変更され、2008 学年からは「全民国防教育課程」とな った8。名称は変化しているものの、高校における国防教育は継続して行われているのである。. ・先行研究 高校の国防教育に関わる先行研究は膨大な数に上るが歴史研究は少なく、現在の国防教育研究 が多い。歴史研究としては、李泰翰『一九五○年代臺灣學生軍訓之硏究』 (民國史學叢書 30,2010) 、 謝元熙著・敎育部軍訓處編『文武合一教育之功能』 (臺灣書店発行,1990)、李宗藩「我國學生軍訓 制度之變革與發展」 (國立臺灣大學國家發展研究所修士論文,2012)、張芙美『我國軍訓教育變遷與 未來發展之研究』 (慈濟技術學院, 2002)、張芙美『中華民國臺灣地區軍訓教育發展之研究』 (幼獅, 1999)などがある。 張芙美(1999)は、女子の軍訓教育で「看護」を必要としたことから、軍訓と看護についても論 文を書いた9。男子と女子では軍訓の教育内容が異なり、男子は軍事教練の理論と実地訓練が中心 であるが、女子は軍訓において看護が大きな割合を占めたことを説明している。同時に膨大な軍 訓の資料を集めそれをまとめたのが上記『中華民國臺灣地區軍訓教育發展之研究』(幼獅, 1999) であり、戦前・戦後台湾の軍訓に関わる法令を現代に至るまで丁寧に整理し、台湾軍訓の全体を 示した研究を行った。また将来にわたり軍訓の在り方を論じる『我國軍訓教育變遷與未來發展之 研究』(慈濟技術學院, 2002)も書いている。 軍訓を推進する立場にあった謝元熙(1990)は、戦前の中国共産党下の学生運動などが逆に社 会を不安にさせたとして、台湾において「1951 年に学生(生徒)の軍訓を行うことを決定した」10 と述べているが、一方で李泰翰(2010)はその当時の高校生は 21,000 人程度であったと、その人 数が大変少なかったと示している11。. 6. 張芙美「我國高中以上學校女生軍訓與護理教育實施概況之研究」慈濟技術學院學報第一期,慈濟技術學院,1999 年。 「司法院大 法官於民國 84 年 5 月 26 日所做第 380 號解釋案,以及民國 87 年 3 月 27 日作成的第 450 號解釋案,明示各大學軍訓與護理課 程有無設置必要」http://tad.tcust.edu.tw/files/13-1004-3151.php?Lang=zh-tw 2019 年 8 月 17 日閲覧引用。 7 https://aode.mnd.gov.tw/Unit/Index/120 2019 年 8 月 17 日閲覧引用、国防部のホームページ。 8 台南第一中学のホームページ。https://military.tnfsh.tn.edu.tw/files/15-1010-3656,c581-1.php 2019 年 8 月 17 日閲覧引用。 9 張芙美「我國高中以上學校女生軍訓與護理教育實施概況之研究」慈濟技術學院學報第一期,慈濟技術學院,1999 年。 10 教育部軍訓処・謝元煕『文武合一教育之効能』1990 年、臺灣書店発行,p.7。 11 李泰翰『一九五○年代臺灣學生軍訓之硏究』民國史學叢書 30,2010 年,p.110。. 163.

(5) 名古屋市立大学大学院人間文化研究科. 表1. 人間文化研究. 第 33 号. 2020 年 1 月. 軍訓が実施された学校数・生徒数・卒業生数(人). 年. 学校数. 生徒数. 卒業生数. 1953. 129. 43,344. ―. 1954. 141. 45,652. ―. 1955. 162. 58,568. 14,978. 1956. 182. 69,598. 17,013. 1957. 200. 81,642. 21,420. 1958. 227. 90,709. 24,835. 1959. 235. 102,153. 27,667. 1960. 250. 109,701. 30,578. 1961. 247. 115,228. 34,388. 出典: 「高級中等以上学校暦年実施軍訓校数人数統計」教育部軍訓處編『軍訓十年』教育部軍訓處, 1962、p.46。. これについて李泰翰(2010)は、人口比からすれば高校生数は少なく、高校生に軍訓を行うこ とはエリート層への軍事教育と彼らが軍事学校に進学するための啓蒙的な教育と論じた12。そして 李泰翰(2010)は、1950 年代の軍訓制度はアメリカの予備軍官訓練団をまねたものであること13、 また当時の政治情勢との関連でその時期の軍訓制度に対する批判的な議論も紹介した14。 ここからも分かるように、軍訓に関わる様々な課題の論点を明示した研究書は多く、張芙美 (1999)によって資料も系統的にまとめられているものの、一方で軍訓の歴史研究はそれほど多く ない。自由がなかった時代の歴史であるため研究すべき資料がほとんどないというのが、研究者 が取り上げない理由である。. ・生活教育と国防教育 本研究では、台湾において軍訓で生徒指導を行うという独特な教育について、どのような指導 内容があったのかを明示する。国防教育と学校教育が一体化して愛国的な国防教育が行われたが、 学校現場における軍訓教官の役割には生活教育・生徒指導もあった。この生活教育というのは蒋 介石が進めた新生活教育運動であり、全国民が生活から国家の発展を目指すものである。本研究 では教官によって生活教育・生徒指導がどのように行われたのかを報告するが、この点のみに注 視した研究はほとんどない。 軍訓と生活教育・生徒指導に関連する先行研究は、張芙美(1999) (2002)が広く軍訓研究をす るなかで軍訓教官と生活教育・生徒指導に関わる法令も紹介しているだけである15。 12. 李泰翰『一九五○年代臺灣學生軍訓之硏究』民國史學叢書 30,2010 年、p.116。 李泰翰『一九五○年代臺灣學生軍訓之硏究』民國史學叢書 30,2010 年、p.329。 14 李泰翰『一九五○年代臺灣學生軍訓之硏究』民國史學叢書 30,2010 年,pp.274-275。 15 張芙美『中華民國臺灣地區軍訓教育發展之研究』幼獅、1999 年、pp.235-262。張芙美『我國軍訓教育變遷與未來發展之研究』 慈濟技術學院,2002 年、pp.115-124、pp.152-163。 13. 164.

(6) 戦後台湾の高校の国防教育と生活教育(山田美香). そのため本研究は、軍訓の教科書、 『学生軍訓月刊』などの雑誌資料を用いて、当時の生活指導 の状況を明らかにした点が新しい研究だと言える。. 1.. 軍訓教育・生活教育 本研究の対象となる軍訓における生活教育の位置づけについて明らかにするため、蒋介石、次. の総統となった息子の蒋経国の軍訓教育に対する考えを見てみたい。 張芙美(1999、89)には、蒋介石の軍訓教育の考え方が次のようにまとめられている。. 蒋介石の軍訓教育の訓示 青年は革命教育を必要とする 文武合一の術と徳を修める 国家は革命青年を必要とする. ―軍訓教育容義――六芸教育を重視――――「礼」 「楽」「射」 「御」 「書」「数」 ――軍人の武徳の養成―――「智」 「信」「仁」 「勇」 「厳」 ー軍訓の教育目的―文武兼備の予備官を養成 -反共復国の潜在的能力を充実 ―軍訓教育の方式―生活教育を重視――――「集団」の生活―組織に対する意識の建立 ――――「美」の生活――人格品格の陶冶 ――――「力」の生活――戦闘精神の養成 -革命の心法を伝授―――「労働」―刻苦勤労・自力更生 ―――「創造」―研究発展・自強不息 ―――「力行」―実践篤行・埋頭苦幹 ―国防常識を学ばせるーー「武術技術」 ――「戦争原則」―軍事に関する知識・戦闘に関わる知恵. 下の蒋経国の軍訓に関する指示は、教育部軍訓處主編『学生軍訓五十年』(幼獅、1978)、張芙 美(1999、90) から引用した。. 蒋経国の軍訓に対する指示 一切は青年のため・新しい時代を迎え新作風を創造する・一切は国家のため. ―軍訓教育要義――国家のため優秀な予備官を養成する・青年のため輝かしい前途を開く。 ―軍訓の教育目的―学校の風紀を改造・学生気質の変化―学校が反共抗露の精神の中心。 ―軍訓の教育内容―思想教育. 165.

(7) 名古屋市立大学大学院人間文化研究科. 人間文化研究. 第 33 号. 2020 年 1 月. 五大信念を強く持ち、政治認識を高め、心理建設を強化し、思想を信仰に変え、 信仰を力量に変える。知識と信念を結合することを期待し、知識と信念を結合 し行動と思想を一体化する。 -生活教育 衣食住行の教養を重視し、整理清潔を学び、規律ある正常な生活を養成する。 高尚で良好な風土を陶冶し、民族伝統の特性を発揚し、完全な国民道徳を樹立し、教育と 生活を一致させる。学校と社会・家庭が協調し教育訓導合一の目的に達する。 ―精神教育 学生(生徒)の服務・創造・相互に助け合う・協力の品徳に関わる点を養成し、青年が冒 険しがたいことから自立自強の精神を養成する。青年が頂点に立つほど高い革命意識を 持つよう励まし、青年の天地を開くような奮闘精神を啓発する。 ―軍訓教育要領. ―精求・実求・深求 ―仕事の徹底・方法を具体的に・作風が実在・計画は周到に。 ―心・目・口・手が向かう、思う・見る・言う・なす、虚心・関わり・懇切・勤勉。 -管理より輔導を重んじる、言で教えるより身で教える、理論より実践を重んじる。. 軍訓教官は軍訓で生活教育を行い、これに加えて授業以外で生活教育・生徒指導を行った。以 下は軍訓に関わる生活教育ではないが、当時の生活教育の目標を示したものである。『学生軍訓』 第一巻第一期に掲載された彭靖寰「学生生活教育之研究」 (p.15)に書かれたものである。. 生活教育―依拠―――総統の生活教育の訓示 ―――教育部頒布の生活教育方案 ⇓ ―基本要求―生活観念の確立・生活品徳をよりよいものとする・生活規律を整える・生活の形を樹立 する・生活内容を充実させる・生活規範を実践する・生活の理想を完成させる -目標達成―思想純正・品徳高尚・誠実勤勉・和睦謙虚・身体強健・挙止大方・明礼達義・青年典型. 生活教育にしろ軍訓にしろ、総統の指示で行われない教育はなく、すべての学校で同じ教育が 行われていた。. 1.1 軍訓と制度 張芙美(1999)の研究では軍訓に関わる法規が整理されている。張(1999)の研究から生活教 育に関わる法規を羅列すると次のようになる。. 1962 年教育部修正公布「高級中等以上学校学生軍事管理実施弁法」. 166.

(8) 戦後台湾の高校の国防教育と生活教育(山田美香). 1962 年台湾省教育庁頒布「為防止不良学生犯罪與不良行為、各級学校応與当地警察機関密接聯 繋」 1963 年教育部頒布「各級学校日常生活教育重点考核実施弁法」 1965 年台湾省教育庁規定「各級学校学生一律不得進入舞場跳舞」 1968 年教育部修正公布「生活教育実施方案」 1969 年教育部修正公布「高中以上学校新生入学訓練実施弁法」 1973 年教育部修正公布「高級中等以上学校学生軍事管理実施弁法」 1975 年教育部長学校訓導工作に対する指示 1976 年修正頒布「特殊事件予防及処理程序」 1976 年教育部文書「加強学生校外生活督導要点」 1979 年蒋経国先生による学校訓導工作に対する指示 1985 年教育部「高級中等以上学校軍訓教官輔導(服務)学生実施要点」 1987 年教育部編集「学生生活輔導手冊」 「軍訓教官輔導(服務)学生基本観念與要領」 「軍訓教 官処理学生問題三歩驟」「軍訓教官自省自勉卡」16. 2.. 軍訓の課程標準. 2.1 公民、公民訓練、軍訓 1948 年修訂高級中学課程標準草案が出され、公民教育が行われた。しかしながら公民教育には 軍事訓練の要素がないことから 1952 年から公民訓練課程が始まった17。 この時期は、張芙美(1999)によれば、 「1952 年 4 月 8 日、教育部は反共復国政策と合わせ下記 の目標を達成する」として、 「1:三民主義を行い、反共復国の意識を強化する。2:民族精神を発 揚し、我国固有の道徳を回復する。3:労働、生産、勤労倹約質素の養成することを重視する。4: 軍事の必要に合わせ各種実用技能を訓練する」18という内容が挙げられていた。国が教育に期待す るものは台湾の中国大陸支配に関わる言論が中心であったのである。. 2.2 公民訓練教材 国家教育研究院教科書図書館で閲覧した呉仲良編著『高中公民訓練教材上冊』(復興書局,1953 年)には、 「台中市立中学で命令が施行されたとき、公民訓練委員会を組織し、各事項の設計責任 を負った。ただし訓練教材が必要とされたが世の中になく、その際探したものは系統的なもので はなかった」19と書かれている。公民訓練教材を作るには大きな困難があったのである。 当時、公民に軍訓に関連する授業があったものの、1952 年に公民訓練課程が作られた20。. 16 17 18 19 20. 張芙美『中華民國臺灣地區軍訓教育發展之研究』幼獅、1999 年、pp.235-262。 呉仲良『高中公民訓練教材上冊』復興書局,1953 年,p.1。 張芙美『中華民國臺灣地區軍訓教育發展之研究』幼獅、1999 年、p.44。 呉仲良『高中公民訓練教材上冊』復興書局,1953 年,p.1。 呉仲良『高中公民訓練教材 上冊』復興書局、1953 年、p.1。. 167.

(9) 名古屋市立大学大学院人間文化研究科. 呉仲良『高中公民訓練教材. 人間文化研究. 第 33 号. 2020 年 1 月. 上冊』(復興書局、1953 年)を見ると、 「教え、学び、行うことの. なかで、『即知即行』の効果を修めた」と知識と行為の重要性が書かれている21。訓練課程となる と教材がなく、 「台中市立中学で命令が施行されたとき、公民訓練委員会を組織し、各事項の設計 の責任を負った。ただし訓練教材が必要とされたが、世の中にはなく、その際探したものの系統 的なものに欠けていた。呉仲良、陳祖榮を推薦し、『各学校で民族精神教育を強化する実施綱要』 『中等学校訓導手冊』及び関連する教育改革法案の指示に基づき、中学・高校を分けて公民訓練教 材を編集した」22と教材編集に苦労した状況が示されている。 『高中公民訓練教材. 上冊』「例言」には、「1 冊ごとに 20 の小単元」で上下冊があり、 「上冊は. 四維八徳の精義の説明と民族精神教育の発揚に注意し、下冊は団体活動の設計と戦時業務の演習 で理論と実践を同時に求めるものとなる」と述べられている23。上冊は下冊につながる儒学と民族 精神教育が中心で、当時の政治状況を反映した教育内容である。 目次は第一週から第二十週まであり、公民とその後始まる軍訓の学問的な内容を足したもので あるが、しかし実際に軍事訓練をするものではない。. 第一週紀律訓練週、第二週清潔訓練週、第三週礼節訓練週、第四週自治訓練週、第五週勤労 倹約訓練週、第六週革命人生観之培養訓練週、第七週国父遺教研鑽訓練週、第八週総統訓示 研鑽週、第九週民権初期訓練週、第十週労働創造訓練週、第十一週忠勇孝順訓練週、第十二 週守信行義訓練週、第十三週仁愛廉恥訓練週、第十四週合作服従訓練週、第十五週有恆守時 訓練週、第十六週和平助人訓練週、第十七週時事分析訓練週、第十八週愛国敬軍訓練週、第 十九週国防常識訓練週、第二十週文芸康楽訓練週24。. 公民訓練課程には教科書もあった。1954 年 8 月に出された龔宝先編著『高中公民訓練教程』第 一冊(復興書店)は「台湾省教育庁新頒課程調整綱要」によって編集された教科書である25。 この教科書の第一冊の内容は、第一単元「どのように分隊活動を展開するか」、第二単元「どの ように職業生活を準備するのか」、第三単元「どのように社会保障制度を研究するのか」、第四単 元「どのように連合国憲章を維持するのか」、第五単元「どのように規約を遵守するのか」、第六 単元「どのように公的なものを大事にするのか」 、第七単元「どのように我が国の文化を発揚する のか」、第八単元「どのような科学生産を促進するのか」、付録一「中国青年反共救国団質疑」、付 録二「中国青年反共救国団団章」である。 第一単元の「分隊」は、「中国青年反共救国団の基層組織の分隊」のことである26。第二単元の 職業生活については、 「(一)一般的な職業の状況を知る。 (二)私たちはどのように適した職業を 21 22 23 24 25 26. 呉仲良『高中公民訓練教材 上冊』復興書局、1953 年、p.1。 呉仲良『高中公民訓練教材 上冊』復興書局、1953 年、p.1。 呉仲良『高中公民訓練教材 上冊』復興書局、1953 年、「例言」p.1。 呉仲良『高中公民訓練教材 上冊』復興書局、1953 年、「目次」pp.1-2。 龔宝先編著『高中公民訓練教程』第一冊、復興書店、1954 年、編輯大意 p.1。 龔宝先編著『高中公民訓練教程』第一冊、復興書店、1954 年、p.1。. 168.

(10) 戦後台湾の高校の国防教育と生活教育(山田美香). 選択すればよいのか。 (三)私たちはどのように理想とする職業生活の準備をすればよいのか。 (四) 私たちはどのように調査を行う一般的な手続きを理解すればよいのか」27を目的に、実際に班ごと に調査に行く状況を説明しており軍事とはあまり関係がない。 第三単元については、社会保障制度に関連した施設見学も考えられている。第五単元「どのよ うに規約を遵守するのか」の活動目的は、 「一法規が私たちの日常生活と密接な関係があることを 理解する」 「二私たちは規約と法律が同等の効力があるものであり遵守すべきものであることを認 識する」と書き、規約を守る必要性を述べている28。 第二冊も同様の傾向があり、この教科書は生活教育に関する内容が多く含まれていると言える が、軍事訓練とも異なりその当時の政治的背景をもとにした公民教育であるといえる。 しかし同じ時期に軍訓も行われたため、その後公民訓練は広がりを持たず軍訓による教育が中 心となる。. 2.3.. 軍訓と中国青年反共救国団. 軍訓の科目・授業時間数は男女によって異なり、女子は主に軍事訓練より看護に関わる科目が 多かった29。それは当時の男子は将来の軍人となり女子は軍人を支える補助的な存在と理解された ためである。張芙美(1999)は、新聞報道から「軍訓教育に看護課程が隷属している問題、看護 課程が片方の性別の学修となっており女性蔑視のきらいがある問題、軍訓の看護は衛生教育通識 教育課程に改めるべきだという問題」30を紹介している。 最初に軍訓の教科書を作成したのは中国青年反共救国団であり、その後教育部が高校軍訓を管 轄するまで軍訓全般に関する組織を束ね軍事教育を行った。張芙美(1999)は、 「中国青年反共救 国団の組織は中央政府に総団部が設置され」 「地方各県市に団務指導委員会が設立され、当地の中 等学校及び社会の団務工作の責任を負う」ことになったと説明している31。中等学校のなかは「団 務委員会が設立され、各学校は志願方式で団体団員となることを申請した」32というように、中国 青年反共救国団は各学校のなかに組織があった。地方の団務委員会が高校で軍訓を指導し、同時 に学校にはそれぞれ団務委員会があったことから、中国青年反共救国団は大きな影響力を持って いたと言える。台湾大学図書館で検索した新聞記事を見ると、次のような記事があった33。各学校 が自ら願い出て団務委員会を設立したというが、申請を考えない学校はなかった。. 1961 年 3 月 17 日中央日報 「中国青年反共救国団台北市各中等学校団務委員会聯合成立大会が行われ」、 「学校のなかに救国 27. 龔宝先編著『高中公民訓練教程』第一冊、復興書店、1954 年、p.17。 龔宝先編著『高中公民訓練教程』第一冊、復興書店、1954 年、p.49。 29 李泰翰『一九五○年代臺灣學生軍訓之硏究』民國史學叢書 30,2010 年, pp.229-231、pp.316-317。 30 張芙美『中華民國臺灣地區軍訓教育發展之研究』幼獅、1999 年、p.2。 31 張芙美『中華民國臺灣地區軍訓教育發展之研究』幼獅、1999 年、p.70。 32 張芙美『中華民國臺灣地區軍訓教育發展之研究』幼獅、1999 年、p.70。 33 李泰翰『一九五○年代臺灣學生軍訓之硏究』(民國史學叢書 30,2010 年)も中央日報を引用しつつ、1950 年代の中国青年反 共救国団と高校の軍訓についての記事を紹介している。 28. 169.

(11) 名古屋市立大学大学院人間文化研究科. 人間文化研究. 第 33 号. 2020 年 1 月. 団の大隊がなくなっても、自ら救国団に参加することを願い出る学校はひとしく改めて団務委員 会を設立した。―略―。台北市ではすでに 32 校の公私立高級中等学校が救国団の団体団員となる 申請をしている」。. 1967 年 4 月 17 日(中央日報) 総統が声をかけ、積極的に中華文化復員運動を推進することになったため、中国青年反共救 国団は再検討し各中等学校団委員会で輔導することを定め、徹底して有効な運動を推進するこ とを期待した。方案の中心的な要求は、①三民主義が中華文化の結晶であることを認識させ、 実践を貫徹することで復員中華文化の大道とする。②現代思潮、世界情勢、大陸の共産党、台 湾建設の分析によって、学生に復員文化運動の重要性を理解させる。③「倫理」 「民主」 「科学」 の三民主義で創造的・建設的な人生の事業の理想を建立し、終身努めてそれを行うことができ る志をもつようにする。④つとめて青年守則によって行動し、公民訓練と各科学「理論が実際 に結合する」教育を行い、 「倫理」 「民主」 「科学」の基本観念を養成し、切に日常生活のなかで 行うようにする。. このように学校の団委員会において、三民主義をもとに各科目と連携した思想教育を行った。 学校の思想教育は中国青年反共救国団によって組織的に行われたものであった。. 2.4 軍訓と生活教育・生徒指導 張芙美(1999)には 1960 年からの高校の軍訓課程標準が簡潔にまとめられている34。張芙美(1999) の研究をもとに、それ以前(1956)の軍訓課程標準も踏まえて生活教育・生徒指導に関わる内容 を下に整理した。. ・男子 1956 年高校男子軍訓―324 時間のうち生活教育に関連する時間はなし 1960 年高校男子軍訓―216 時間のうち「生活教育」4 時間 1968 年高校男子軍訓―216 時間のうち「軍訓規範と軍事管理」12 時間 1973 年高校男子軍訓―216 時間のうち「生徒の安全教育」10 時間、 「軍隊生活規範」4 時間 1974 年高校男子軍訓―216 時間のうち「軍訓規範と軍事管理」8 時間 1977 年高校男子軍訓―216 時間のうち「軍訓規範」8 時間、 「五大信念」6 時間、 「蒋公の青年に対 する遺訓」12 時間、 「民族英雄伝記(一) ・軍訓専門書選読(一) 」12 時間 1978 年高校男子軍訓―216 時間のうち精神教育( 「国父遺教」6 時間、 「先総統. 蒋公遺訓」6 時. 間、 「蒋総統経国講詞」6 時間、 「励志文選」6 時間、 「我々の認識と信仰」. 34. 張芙美『中華民國臺灣地區軍訓教育發展之研究』幼獅、1999 年、pp.192-201。. 170.

(12) 戦後台湾の高校の国防教育と生活教育(山田美香). 6 時間) 1983 年高校男子軍訓―216 時間のうち精神教育( 「国父遺教」3 時間、 「先総統. 蒋公遺訓」3 時. 間、 「蒋総統経国講詞」3 時間、 「励志文選」3 時間、 「我々の認識と信仰」 4 時間) 」 1987 年高校男子軍訓―216 時間のうち学科「生徒の安全教育」4 時間、 「軍隊生活規範」6 時間 1988 年高校男子軍訓―216 時間のうち「生徒の安全教育」4 時間、 「軍隊生活規範」6 時間. ・女子 1956 年高校女子軍訓―324 時間のうち生活教育に関連する時間はなし。看護教育が多い。 1960 年高校女子軍訓―216 時間のうち「軍事基本教練(生活示範及び体能活動) 」12 時間、「軍 隊内務と生活教育」8 時間 1968 年高校女子軍訓―216 時間のうち一般課程「軍訓規範と軍事管理」6 時間 1973 年高校女子軍訓―216 時間のうち一般課程「生徒の安全教育」6 時間、「軍隊生活規範」4 時間、看護課程「健康と青少年」16 時間 1974 年高校女子軍訓―216 時間のうち一般課程「軍訓規範と軍事管理」6 時間 1977 年高校女子軍訓―216 時間のうち「軍訓規範」6 時間、 「五大信念」4 時間、 「蒋公の青年に 対する遺訓」12 時間、「民族英雄伝記(一)・軍訓専門書選読(一)」12 時間 1983 年高校女子軍訓―216 時間のうち精神教育( 「国父遺教」6 時間、 「先総統. 蒋公遺訓」6 時. 間、 「蒋総統経国講詞」6 時間、 「励志文選」6 時間、 「我々の認識と信仰」 4 時間)」、一般常識「軍訓教育と生活規範」4 時間 1988 年高校女子軍訓―216 時間のうち「生徒の安全教育」4 時間. 3.. 軍訓の教科書. 3.1 1950 年代 張芙美(1999)は「1954 年 2 月 1 日国防部と台湾省政府が頒布した台湾省高級中等学校学生軍 訓教育計画」を紹介しているが、その教育計画において軍訓は「愛国教育、生活訓練、体能訓練、 技能訓練」35を行うものとされていた。生活訓練は「男女生徒はひとしく軍事基本要求に合わせた 規律ある生活を養うべきである」36と、愛国教育のなかに生活訓練が取り込まれたものであった。 学校における生活教育・生徒指導の担当は訓導処で、教官も訓導処の教師とともに生徒の生活 管理を行った。『軍訓十年』(1962)には「中等学校では主任教官、兼任学生生活管理組組長、訓 導人員及び担任の教師が共同で生徒の生活管理の仕事を負担する」37と書いてある。高校において. 35 36 37. 張芙美『中華民國臺灣地區軍訓教育發展之研究』幼獅、1999 年、p.80。 張芙美『中華民國臺灣地區軍訓教育發展之研究』幼獅、1999 年、p.81。 教育部軍訓處編『軍訓十年』教育部軍訓處, 1962 年、p.18。. 171.

(13) 名古屋市立大学大学院人間文化研究科. 人間文化研究. 第 33 号. 2020 年 1 月. 軍訓教官が生徒指導を行った。. 1956 年高級中学課程標準 1956 年高級中学課程標準には軍訓課程はあったものの課程標準のなかに科目としては示されて いなかった。課程標準の末尾に「1956 年台湾省高級中等学校男生軍訓課程時間進度基準表」とし て教育内容が記されていた。この 1956 年高級中学課程では、軍訓は「国策に合わせ、文武合一教 育を実施し、三民主義、軍事訓練の時間数を増やした」38と軍訓の時間数が修正された。軍訓は科 目ではないため教科書ではなく教材があり、その教材は中国青年反共救国団総団部が作成し、台 湾省教育庁・台湾書店によって発行された39。1956 年の軍訓の教材は次のような特徴があった。 基準表から分かるのは教練の時間が長く、射撃教練が最も時間を割くものであったということ である。高校の軍訓であるため初めて銃を使う者ばかりであることから、射撃訓練はそれだけの 時間が必要であった。他に土木作業も基本教練として行っている。しかしながら「生活教育」に 関わる教育は見られない。. 課目 ・歩兵操典(6 時間) 、射撃教範(10 時間) 、陸海空軍礼節礼要 4 時間、内務手冊 4 時間、衛生常識 8 時間、法律常識 12 時間、国民革命軍建軍史 8 時間、兵器保養 2 時間、通信常識 2 時間、軍語 釈要 2 時間、防空 8 時間、防毒 6 時間、保密防諜 6 時間、戦地宣伝 6 時間、民衆組訓 6 時間、 小計 90 時間 ・基本教練(80 時間)、行軍演習 36 時間、射撃教練 46 時間、土工作業 8 時間、剪刺 16 時間、小 計 180 時間 ・観摩教育(12 時間)、校閲 12 時間、機会教育時間 24 時間 ・総計 324 時間40. 張芙美(1999)は、 「1959 年 9 月 5 日、救国団総団部が 59 年度軍訓実施関連事項を改め学生(生 徒)の生活輔導を軍訓の重要な仕事の一つと指示した」41と述べているが、これ以降、軍訓教材・ 教科書には生活教育に関する内容が入ってくる。そこで 1960 年代の軍訓の教科書で生活教育・生 徒指導に関わる内容についてみてみたい。. 3.2 1960 年代 1960 年代には、1950 年代当初 300 時間を超えた軍訓の授業時間が 100 時間ほど削減された42。 38. 「1956 年中学課程標準修訂経過」「1956 年中学課程標準」p.218。 中国青年反共救国団総団部『1956 年 高等中等学校軍訓教材第一冊』再版、台湾省教育庁、台湾書店。中国青年反共救国団 総団部『1956 年 高等中等学校軍訓教材第三冊』台湾省教育庁、台湾書店。 40 1956 年高級中学課程標準、pp.189-194。 41 張芙美『中華民國臺灣地區軍訓教育發展之研究』幼獅、1999 年、p.102。 42 1956 年高級中学課程標準と 1960 年高級中学課程標準の比較。 39. 172.

(14) 戦後台湾の高校の国防教育と生活教育(山田美香). ・男子軍訓教科書 教科書(1964)は「1959 年学校軍訓教育改進計画大綱によって」作成された43。「中学の童子軍 教育を接続し、大学専門学校の軍訓とも合わせるものである」44と中学校の童子軍教育、さらにそ の上の大学と専門学校の軍事訓練の接続性を重視したことが書かれている。 台湾の小中学にはカリキュラムに童子軍があり、集団訓練だけでなく自分で生活する力を身に つけることが目的の科目がある。張芙美(1999)は、「生徒の服装身なりの清潔さ、食事の改善、 宿舎管理の強化を三つの重要な内容とした。また軍訓検査の成績によって、各教官は詳細な輔導 実施計画を定めそれによって評価をした」45とも説明している。軍事訓練のなかでも生活教育が重 視されたのである。 同じ時期に 1962 年課程標準をもとに作られた教科書(1963)もある。この教科書には、 「現行 の学校軍訓の目標によって、生徒の高尚な品格を陶冶し、服務能力を充実させ、国家観念を強化 し、健全な体を鍛錬し、良好な生活習慣を養成し、現代の軍事常識を学び、文武兼備の優秀な人 材を養成することを趣旨とする」46と書かれている。 教科書(1963)は、「(一)軍訓規範と軍事管理」「(二)軍語釈要」「(三)保密防諜」「(四)防 空常識、反空降作戦常識、原子・生物・化学戦剤防護常識」 「(五)中華民国軍人読解浅釈」 「(六) 国軍概況」 「(七)兵役法令」 「(八)戦地政務」 「(九)軍事基本教練」 「(十)射撃教練・劈刺教練」 の内容となっている47。 生活教育に関わり、「(一)軍訓生活規範」第二課で、「衣食住行」に関わり制服、飲食、居住、 行動について説明がある。しかし軍事訓練のなかで最低限必要な「衣食住行」の基本が数ページ 書かれているのみである。. ・女子軍訓教科書 1962 年課程標準をもとにした女子生徒用の軍訓教科書もある。教育部・国防部審査『軍訓. 高. 級中等学校女生適用』 (上冊、幼獅書店、1962 年 8 月三版)である。 「編輯大意」には、「本書は、行政院『1959 年学校軍育教育改進計画大綱』が頒布され、高級中 等学校女性軍訓教育計画の科目目標によって編集した」「1 年生が上冊、2、3 年生が下冊を用い る」と、3 年間上下冊セットで勉強することが書かれている48。 「本書は各課の内容を定め、生徒が、主義、リーダー、国家、責任、栄誉に対する信念を持ち、 軍事常識を勉強し、良好な生活習慣を養成することを目標とするものである」とあるように、 「良 好な生活習慣」の養成は軍訓にとって最も重要であると理解されていた。 「良好な生活習慣」を養 43. 教育部軍訓処・軍訓教材編輯委員会『高級中等学校男生適用 軍訓課本第六冊』幼獅書店、1954 年 2 月、「編輯大意」p.1。 教育部軍訓処・軍訓教材編輯委員会『高級中等学校男生適用 軍訓課本第六冊』幼獅書店、1954 年 2 月、「編輯大意」p.1。 45 張芙美『中華民國臺灣地區軍訓教育發展之研究』幼獅書店、1999 年、p.102。 46 教育部審査 教育部軍訓処・軍訓教材編輯委員会主編 高級中等学校男子適用『軍訓課本』第一冊、幼獅書店、1963 年 8 月、編輯大意、p.1。 47 教育部審査 教育部軍訓処・軍訓教材編輯委員会主編 高級中等学校男子適用『軍訓課本』第一冊、幼獅書店、1963 年 8 月、目次。 48 教育部・国防部審査『軍訓』高級中等学校女生適用上冊、幼獅書店、1962 年 8 月三版、「編輯大意」p.1。 44. 173.

(15) 名古屋市立大学大学院人間文化研究科. 人間文化研究. 第 33 号. 2020 年 1 月. 成するための生活教育は「生徒に厳しく、それでいて活発な生活習慣を養成する」というもので あった49。 女子の軍訓も「毎週 2 時間程度」50であり、この時間数は男子と変わらないものである。しかし 女子向けの軍訓は生活教育が中心である。 孫文が「民生は、つまり人民の生活、社会的な生存、国民の生計、群衆の生命である」と述べ たことから、1962 年課程標準軍訓において民生主義によって新生活教育運動が行われ、国家と国 民の生活の発展のために軍訓においても生活教育が実施された51。「生活教育はすなわち我々の日 常生活―衣食住行育楽等の公共的な関係が関わり、正常な発達の道を獲得させるための教育」と され、生活教育運動によってその生活を徹底させることが考えられた52。生活教育の内容は、「気 質を改める」 「生活習慣を改める」もので、日常の細かな習慣を改めることを指示するものであっ た53。 まず「(1)生活教育」に関わる学修があり、 「衣食住行楽」について、 「衣」については「生徒 の服装は学校が規定する制服で、身につける時は清潔質素であることが要求される」と書き、制 服の規程の詳細を説明している54。「飲食」については、「中国料理」「西洋料理」の食事に必要な 礼儀についても細かく述べている。このような説明を読む限り、生活教育は「軍訓」の一環とし てあくまで常識的な「衣食住行楽」を学ぶものであるといえる。 生活教育以外の軍訓の内容としては、「(2)軍人礼節―生徒に軍訓を学修させ必ず知るべき軍 人の礼節常識を紹介する」「(3)保密防諜―生徒に保防をより理解させ、正確な保防の観念を樹 立し、生徒に国家に対して保防の責任を負うべきことを体認させる」「(4)防空に関する常識、 核兵器・生物兵器・化学兵器の防護に関する常識―生徒に現代の軍事の最新知識・民防常識を勉 強させる」「(5)軍事基本教練―軍事基本動作を学修させ、軍事訓練につなぐ」「(6)射撃訓練 ―射撃の技能を学修させ、青年として鍛錬する」がある55。 「(2)軍人礼節」では、軍人としての敬礼・儀式など軍事関連の事柄を学び、 「(1)生活教育」 とは異なる内容になっている56。これ以降(3)から(6)についても軍事に関わる内容ばかりで、 「生活教育」に関わる部分はない。. 3.3 1970 年代 ・男子軍訓教科書 1970 年高級中学軍訓課程標準では、軍訓の目標が「1.生徒の高尚な品格を陶冶し、服務の知識 を充実させ、国家観念を強化させる」 「2.生徒の健全な体を鍛錬し、良好な生活習慣を養成する」 49 50 51 52 53 54 55 56. 教育部・国防部審査『軍訓』高級中等学校女生適用上冊、幼獅書店、1962 年 8 月三版、「編輯大意」p.1。 教育部・国防部審査『軍訓』高級中等学校女生適用上冊、幼獅書店、1962 年 8 月三版、p.2。 教育部・国防部審査『軍訓』高級中等学校女生適用上冊、幼獅書店、1962 年 8 月三版、p.1。 教育部・国防部審査『軍訓』高級中等学校女生適用上冊、幼獅書店、1962 年 8 月三版、p.1。 教育部・国防部審査『軍訓』高級中等学校女生適用上冊、幼獅書店、1962 年 8 月三版、p.3。 教育部・国防部審査『軍訓』高級中等学校女生適用上冊、幼獅書店、1962 年 8 月三版、p.6。 教育部・国防部審査『軍訓』高級中等学校女生適用上冊、幼獅書店、1962 年 8 月三版、pp.1-3。 教育部・国防部審査『軍訓』高級中等学校女生適用上冊、幼獅書店、1962 年 8 月三版、pp.25-41。. 174.

(16) 戦後台湾の高校の国防教育と生活教育(山田美香). 「3.現在の軍事知識を勉強させ、文武兼備の優秀な人材を養成する」と書かれている57。軍訓は「第 一、第二、第三学年は毎週ひとしく 2 時間とする。授業時間は連続して配列する」とされ、週 2 時間行われた58。この課程標準によって、男子は 1 学年 72 時間の軍訓で、次の科目を学んだ59。. ・軍事学科(軍訓規範と軍事訓練、軍訓釈要、射撃教育) ・軍事術科(基本教練、射撃教練) 合計 216 時間60. ・教育預備・測験. 続いて 1971 年課程標準に基づいた 1973 年の教科書でも同じ目標が示された61。教科書は計 6 冊 あり、1 学期 1 冊用いるものであった62 教科書の内容は「1.軍訓規範と軍事管理」 「2.軍人礼節」 「3.保防常識」 「4.民防常識」 「5. 国軍奨懲」 「6.中華民国軍人読訓浅釈」 「7.国軍軍事学校簡介」 「8.兵役法令」 「9.認識共産」 「10. 基本教練」「11.兵器教練」であり、「1.軍訓規範と軍事管理」に関するところが生活教育に関連 するものであった63。. ・女子軍訓教科書 1960 年代の女子軍訓の教科書は「生活教育」として家庭科教育の要素を含んだ内容があったが、 1970 年代では看護教育が強化されている。 例えば 1971 年高級中学課程標準には、「1 学期で 18 週、1 週間に 2 時間授業を行い、1 学期に 36 時間、全部で 216 時間とする。1,2 年生は平均的に軍訓と看護概略を配当し、3 年生はすべて 看護とする(軍隊衛生と衛生勤務を含めて)。教育預備は各学校によって自ら定める」64と説明が ある。つまり 3 年生はすべて看護教育を受けることになる。以下が軍訓各課程の時間数であるが、 一般課程の「軍人規範と軍事管理」のなかで生活教育に対応する科目がある。. ・一般課程・基本教練・兵器教練・軍隊衛生と衛生勤務. 74 時間. 実弾射撃は 2 年生で 2 回行う ・看護(簡易看護と技術、簡易救急法、疾病常識と健康、女性と子どもの衛生常識、赤十字の組 織と精神)106 時間 ・行軍演習 12 時間 ・総合復習及測験 57 58 59 60 61 62 63 64. 12 時間. 1970 年高級中学軍訓課程標準、p.455。 1970 年高級中学軍訓課程標準、p.455。 1970 年高級中学軍訓課程標準、p.456。 1970 年高級中学軍訓課程標準、pp.456-457。 教育部軍訓処『軍訓』第 2 冊、幼獅文化事業公司、1975 年、「編輯大意」p.1。 教育部軍訓処『軍訓』第 2 冊、幼獅文化事業公司、1975 年、「編輯大意」p.1。 教育部軍訓処『軍訓』第 2 冊、幼獅文化事業公司、1975 年、「編輯大意」pp.1-2。 1971 年高級中学課程標準、p.253。. 175.

(17) 名古屋市立大学大学院人間文化研究科. ・教育預備. 人間文化研究. 第 33 号. 2020 年 1 月. 12 時間. 合計 216 時間65. これらのことから、1970 年代は女子軍訓の看護が強化されたことが理解できる。. 3.4 1980 年代 ・男子軍訓教科書 1981 年の高級中学課程標準(1971 年課程標準改訂)は、1970 年代と全く同じ目標で時間配分も 「1軍訓規範と軍事管理」の「(二)軍訓生活規範」に生活教育に関する「衣食 変わらなかった66。 住行育楽」があるが、これまでの生活教育とほぼ変わらないものである67。 1983 年改訂課程標準によった教科書(1984、註 68)の趣旨は「国家観念と民族意識を強化し、前 の敵を認識し、愛国感情を啓発し、軍事看護常識を学び、基礎戦闘技能を修習するものである。生 活教育を重視し、軍人精神儀態を養成し、高尚な品格を陶冶し、青年が国民として国家に対して尽 くすべき責任を理解し、国家のために服務する基礎を定め、国家のために文武人材の養成をする」 と書かれている。趣旨に「生活教育」が文言として入っているのは 1980 年代になってからである。 この教科書の各課は「(一)精神教育」 「(二)軍訓教育と生活規範」 「(三)我々の認識と信仰」 「(四) 保防常識」「(五)民防常識」「(六)法律常識」「(七)全民聯戦」「(八)保健常識」「(九)国軍軍 事学校簡介」 「(十)兵役法規概要」「(十一)認識敵人」「(十二)基本教練」である68。 「(一)精神教育」第一課の最初に大きく「愛国思想教育」「国父遺教」(孫文の教え)と書かれ ており、孫文と歴代総統の文言が教科書に載せられている69が、これはこれまでの教科書にもみら れたことである。「(二)軍訓教育と生活規範」は生活教育に関わる内容だが、蒋介石の文言「生 活行動の訓練は一切の教育の基礎である」と、生活教育が重要である点を書いている70。 しかし 1960 年代から生活教育に関わる部分の分量の違いはあっても、生活教育としての「衣食 住行育楽」の内容については大きな変化はない。 1980 年代までの教科書を見る限り、軍訓の教科書には生活教育に関わる部分が少ないが、一貫 して生活教育に関する内容があったこと、学校全体で生活教育が行われていたことが分かる。. 4.. 軍訓と学校に関わる議論. 4.1 『学生軍訓』 『学生軍訓』は 1963 年 7 月に始まった雑誌である。しかし第一巻第一期は、軍訓に関する記事 よりむしろ生活教育・新生活運動に関する記事が多い。新生活運動が始まったのは 1934 年で、戦 65 66 67 68 69 70. 1971 年高級中学課程標準、pp.254-255。 1981 年高級中学課程標準、p.253。 1981 年高級中学課程標準、p.258。 教育部軍訓処『高級中等学校男生適用 軍訓課本第一冊』幼獅文化事業公司、1984 年 7 月第二版、編輯大意 pp.1-3。 教育部軍訓処『高級中等学校男生適用 軍訓課本第一冊』幼獅文化事業公司、1984 年 7 月第二版、p.1。 教育部軍訓処『高級中等学校男生適用 軍訓課本第一冊』幼獅文化事業公司、1984 年 7 月第二版、p.65。. 176.

(18) 戦後台湾の高校の国防教育と生活教育(山田美香). 後は 1960 年代に再び活動が行われるようになった。 この新生活運動の意義について、『学生軍訓』において胡軌(1963)は、「人となることを自覚 すべき」 「中国人となることを自覚すべき」 「現代中国人となることを自覚すべき」というのが「総 統がこれまで提唱した新生活運動の意義と内容」であると述べている71。 新生活運動のなかで行われた生活教育の内容は、楊希震が「我々の日常的な飲食、起居、言語、 挙動一切のもの」と説明している72。ただし「個人の欲望に使われるだけでなく」「すべての国家 民族ないし人類の生活を考えないといけない」と記している73。生活教育の「生活」は、毎日の個 人の生活レベルから国家・人類に至るまで大変大きな意味を持つもので、生活教育は個人の衣食 住などの生活レベルから集団で行うことで一種の運動となることを説明している。 「我々は必ず集 団生活を行うもので、その生活は合理的となり、我々の行動は必ず一種の群衆運動となり、その 行動は益を生むことになる」74として、「社会心理の改良と社会の雰囲気の養成はなお生活教育の 結果如何にかかっている!」75と記している。 軍訓と生活教育については、教官が訓導に関わり生活教育も行うことから、田培林が「学校の 軍訓が訓導と合わせて行われるべきだ」76と書いている。 「軍事的管理で正しい道に進むようにし、 進んで学業に力を尽くすようにする。学校軍訓がこの任務を達成できれば、現在の学校と生徒に 莫大な貢献をするだけでなく、未来の社会風紀も変えるのにも深い影響を与える」と、 「文武合一」 「術徳兼修」を提唱している77。 生活教育について王炳炎は、 「生徒が盲目的に古い旧習に従順であることではなく、自主的に理 性で生活を計画していくことを要求するものである」78と述べている。ただしその生活教育は国 家・軍事が前面に押し出された軍訓の活動であるため、生徒が自主的に生活を計画することは難 しいと言える。 しかしながら「教育部軍訓室主任武寧海少将は、該省所属の軍訓教官に学生輔導の注意すべき 点 7 点を提示した」79というように、学生輔導(生徒指導)、生徒の処分も緩やかに行うよう注意 がなされた。その内容は以下のとおりであるが、実際の状況は分からない。. ①学生(生徒)が間違いを起こしたら、教官はすぐに処分を建議しない。②教官が学生(生 徒)の問題を処理する際、 心穏やかによく導くべきで、規則で判断することに固執しない。 絶対に学生(生徒)を殴ってはいけない。③教官は学生(生徒)のより大きな問題を処理す るが、まず先に主任教官(管理組長)あるいは訓導主任・校長等にお願いする、あるいは集 71. 胡軌「自覚運動と新生活運動 自覚運動之民族自救復興的良薬―新生活運動―的引子」『学生軍訓』第一巻第一期、1963 年 7 月号、p.4。 72 楊希震「総統対実施生活教育的指示」 『学生軍訓』第一巻第一期、1963 年 7 月号、p.6。 73 楊希震「総統対実施生活教育的指示」 『学生軍訓』第一巻第一期、1963 年 7 月号、p.6。 74 楊希震「総統対実施生活教育的指示」 『学生軍訓』第一巻第一期、1963 年 7 月号、pp.6-7。 75 楊希震「総統対実施生活教育的指示」 『学生軍訓』第一巻第一期、1963 年 7 月号、p.7。 76 田培林「学生軍訓と生活教育」 『学生軍訓』第一巻第一期、1963 年 7 月号、p.8。 77 田培林「学生軍訓と生活教育」 『学生軍訓』第一巻第一期、1963 年 7 月号、p.8。 78 王炳炎「学生軍訓漫談」 『学生軍訓月刊』第六巻第十期、1969 年 4 月 15 日、p.15。 79 『学生軍訓月刊』第六巻第七期、1969 年 1 月号、p.39。. 177.

(19) 名古屋市立大学大学院人間文化研究科. 人間文化研究. 第 33 号. 2020 年 1 月. 団でより良い方法を考え、そののちに処理する。④公開の場では学生(生徒)を処分しては いけない。集団で学生(生徒)を処分することもしない。⑤学生(生徒)の要求が一般的な 感情や合理的なものであれば、例えば学校は特殊な要求(髪を剃る)について教官は慎重に 処理すべきで、ある種の強制的執行はしてはいけない。⑥学校は、学生(生徒)に輔導につ いて意見をさせる場合優秀な学生(生徒)を選び充当し、その態度は和やかで粗暴な行為を 行ってはいけない。それによって問題を発生させないようにする。⑦教官と担任教師の間は 密接な連携があるべきで、十分に協力協調、良好な関係を保持すべきである80。. 訓導主任、担任、校長をはじめとして学校のなかでは協力して生徒指導をすべきだと強調され ている。. 4.2 軍訓に関わる多様な活動 当初から軍訓に携わってきた中国青年反共救国団であるが、各地域で救国団が軍訓教官や生徒 向けの多様な活動を展開した。例えば会議を開いたり、軍事訓練や看護に関わる教育研究、生活 教育運動などである。 「台南県団務指導委員会が学校軍訓の強化のため、高級中等以上の学校管理組長会議を開催し」、 会議において「服装・身だしなみのコンクールを行い、定期的不定期の検査も行う」81ことにした。 また救国団以外に、各地域で軍訓教官団分団における活動があった。軍訓教官団の活動は教育 部や教育局と連携しており、例えば私立育達商業職業学校における活動では、台北市教育局長か ら「軍訓、訓導、団務は三者一体で分けることができないもの」との講演があった82。ほかにも、 この学校では「生活規範摘要演習及び軍訓看護資料展覧等」の活動を行った83。 澎湖では省立馬公中学で参観が行われ、教育庁・救国団の関係者も来賓としてその場にいた84。 「集会室でまず主任教官が学校の軍訓活動簡報」を紹介した。その後、上尉教官の授業「軍訓生活 規範」を見学した85。その授業は「軍訓生活規範の定義・生活教育の目標」に関するもので、特に 「衣食住行」と「社会の集団との関係」について詳細に説明されたものであった86。 ほかに南投県省立竹山高校では軍訓教官・軍訓看護教員が集まり、南投県警察局刑事課長から 「青少年に対する輔導の問題」の講演を聞いた87。 このように教官・看護教員が学ぶ機会は他にもあり、「桃園県生活教育研修キャンプ」は「3 日 間キャンプを実施し」、「男子教官で 4 つの小隊、女子教官・看護教員で 2 つの小隊を編成し」訓. 80 81 82 83 84. 85 86 87. 『学生軍訓月刊』第六巻第七期、1969 年 1 月号、p.39。 『学生軍訓月刊』第六巻第七期、1969 年 1 月号、p.39。 『学生軍訓月刊』第六巻第七期、1969 年 1 月号、p.40。 『学生軍訓月刊』第六巻第七期、1969 年 1 月号、p.40。 省立澎水教官劉清斉「訓與教合一 教與管並重 澎湖地区軍訓教官活動紀実」『学生軍訓月刊』第六巻第八期、1969 年 2 月号、p.22。 『学生軍訓月刊』第六巻第八期、1969 年 2 月号、p.22。 『学生軍訓月刊』第六巻第八期、1969 年 2 月号、p.22。 『学生軍訓月刊』第六巻第十一期、1969 年 5 月 15 日、p.36。. 178.

(20) 戦後台湾の高校の国防教育と生活教育(山田美香). 練を受けたり、朝早くから夜遅くまで「飛んだり跳ねたり、食事を作る」ものであった88。これら 訓練は教官・看護教員が知り合うきっかけとなり情報共有もできることで、学校現場に戻り軍訓 を行うために必要なものといえた。. 生徒向けの活動には次のものがあった。. 1957 年 5 月 23 日. 中央日報. 「中国青年反共救国団は団員の民族精神教育を強化するため、ならびに高校 3 年の民主主義研究 の興味を高めるため、本月 27 日全省各県市で第一回民族精神教育試験コンクールを行うことを決 定した。該団所属の各高校、職業高校、師範学校団員 6 万 9000 余人が試験に参加する」 。 高校では三民主義の授業があり、授業に加えコンクールに参加することが評価された。試験範 囲は、「指導者の青年に対する訓示」「ロシア帝国の中国への侵略簡史」「中国の命運教材」「国父 の青年に対する遺教」という三民主義の教科書の内容が出題され、1 時間の試験であった89。. 1966 年 11 月 29 日. 中央日報. 「この大規模な共産党講座は、国内の共産党の状況に関する専門家を動員し、共産党研究の教師 200 余人が講師を担当した。まさに『共産党文化の粛清と紅衛兵の暴乱』を主題とし、高校生大学 生に対して共産党文化粛清及び逼迫した紅衛兵の暴乱の罪を分析した。救国団は青年の共産党研 究の便のため、特に『共産党一場亡党亡国亡頭の大闘争』『毛共産党政権を葬る吹き手―紅衛兵』 の両書を印刷し、各学校の学生が参考閲覧できるように送った」。. 1972 年 6 月 3 日. 中央日報. 「中国青年反共救国団は、今年は夏に全省 14 営区で国防部と協調して各青年研修会を行い、青 年の戦闘活動の拡大を行い、高校男女生徒 2 万人の参加を予定している。この軍が行う青年戦闘 活動は、軍事訓練を主として楽しむ活動も一部あり、生徒の戦闘技能の養成、生徒の戦闘への意 思を磨き、生徒が戦闘生活を実施することを内容とするものである」。. 新聞記事から、中国青年反共救国団による高校生の課外活動が大変多く、軍訓の授業以外に軍 事訓練などを受ける者が多かったことが分かる。. 4.3 国民中学 国民中学と高校の軍訓との関わりは、国民中学の童子軍は生活で必要な事柄を学ぶため軍事訓 練とはほとんど無縁のものであるが、童子軍の内容が高校の軍訓を受けるうえで最低限の学びと 88 89. 呉鶴年「桃園県軍訓人員生活教育研習営散記」 『学生軍訓月刊』第七巻第二期、1969 年 8 月 15 日、p.33。 1957 年 5 月 23 日中央日報。. 179.

(21) 名古屋市立大学大学院人間文化研究科. 人間文化研究. 第 33 号. 2020 年 1 月. なっていることである。 王炳炎「学生軍訓漫談」は、「高校以上の軍訓は、中学の童軍訓練を継続するものだけでなく、 体育公民等の科目と合わせ、次の世代の心理・生活・体格上に、加速化する国家の現代化に関連 した専門課程を教えるものである」90として「軍訓は童子軍訓練より責任が重く難しいものである」 91と書いている。. 当時軍官から国民中学教師への転任検定試験もあった。これは行政院国軍退除役官兵輔導委員 会が行ったものである92。このような検定試験から軍官を経て国民中学で教師となった者もいたの である。一方で検定試験の資格を受けるには、 「①高級中等学校卒業資格を持ち軍官養成教育が合 わせて 1 年以上あること、②かつて公私立中等学校の軍訓教官を 3 年以上行った者、③台湾省中 等学校教師検定試験でその合格証明書を持っている者、④口頭試験あるいは相当の特殊試験合格 者、⑤かつて中学教師 4 年以上を行った者、⑥国内外の大学独立学院あるいは 3 年生専科学校卒 業後 2 年以上の者、⑦専科学校夜間部あるいは 5 年制専科卒業者、⑧本省市師範学校卒業後満5 年教師をした者、⑨登記あるいは検定に合格した国民学校教師で7年以上の教育経験がある者、 ⑩かつて中等学校国文教師を3年行った者、国文科の試験を受けた者」93のどれか一つの経歴が必 要であった。つまりある程度の教育歴がないと軍官から国民中学教師になることはできなかった が、転任検定試験で軍官から教師になるということができたのは、軍官の経験があるからこそ教 員になる道があったということである。. 4.4 軍訓は必要か? 中央日報において軍訓関連の記事は多くない。兵役に関する記事の方が多く、また学校以外で 軍事教育を受けることの重要性を記している記事が多かった。台湾の国防教育を考えた場合、高 校の軍訓は軍事教育のなかの一つとして重視されたが、国防教育の中心に高校の軍訓はなかった ためである。しかし、早い段階で軍訓の問題を提議した人がいなかったわけではない。 1953 年 5 月 16 日中央日報は 1950 年代軍訓開始時期の問題提起について、 「本省各中等学校で全 面的に軍訓を実施することは、政府が事前に何度も考え確定したものである。これによって各界 の人たちは大きな希望を寄せている」と書きながらも、 「一般の反応は甚だ良好であるが、ただ記 者が外で接触する極めて少数の者は学校における軍訓の意義がいまだはっきりしないと言うこと を発見した」と、一部が軍訓に前向きでないことを紹介している。そこで、 「記者が特に救国団の ある責任者のところに行って、その問題の方針について説明をお願いした」。その結果明らかにな ったのは、 「軍訓は国防力を強化し、国家文武全能の優秀な人材を養成するものである。ただ学校 で軍訓を実施する方式は、必ずしも確かな軍事的基本教練でなくても、その方法は体育の国防化、 課外活動の軍事化を重んじるものである」というように、学校の各科目で軍事化の必要性を述べ 90 91 92 93. 王炳炎「学生軍訓漫談」 『学生軍訓月刊』第六巻第十期、1969 年 4 月 15 日、p.14。 王炳炎「学生軍訓漫談」 『学生軍訓月刊』第六巻第十期、1969 年 4 月 15 日、p.14。 『学生軍訓月刊』第六巻第八期、1969 年 2 月号、P.37。 『学生軍訓月刊』第六巻第八期、1969 年 2 月号、P.37。. 180.

(22) 戦後台湾の高校の国防教育と生活教育(山田美香). るものであった。 軍訓や教官の立場に対して問題を指摘する人はいたのであるが、中国青年反共救国団や軍、教 育者においてそのような意見を言う者はほとんどいなかった。 1952 年 9 月 6 日中央日報に、師範学院院長劉真が談話を発表している。 劉真は、軍訓が 3 つの要素で重要であると述べ、 「一.教育的なもの。学校教育と密接に連携し、 学校教育の不足を補う。例えば過去の一般の学校は、学生(生徒)に対して、体育、規律、生活 上の十分な訓練がなく、学生(生徒)が学校で知識を得る以外その他何も得ることがなかった。 現在この種の欠陥を補うべきだ。」 「二.服務的なもの。青年が服務するのに必要な人生観を養成し、 生産技能と服務の道徳を訓練し、1 人の人間として、青年が学校を離れた後、社会に対して貢献で きるようにする。」 「三.戦闘的なもの。団の主要な使命は青年が共産党と戦うことを指導すること で、青年が三民主義の認識を高め、反共救国の決心を強化する」と言っている。 1956 年 6 月 11 日中央日報には、 「全国公私立高級中学と職業学校 150 校のなかで、現在に至る まで既に 81 校の卒業生 1,500 人ほどが志願し軍事学校の入試を受けている。ならびに既に学校に ある大隊を分けて救国団総団部が輔導を行う」と書かれている。 この記事のように新聞では特に軍事学校への志願数が多く紹介され、高校卒業生が軍事学校に 進むよう働きかけが行われた。高校生の軍事学校進学は政府にとって優秀な軍人養成には重要な ことであったのである。 『学生軍訓月刊』では、暁明「我対三軍官校的認識」が軍事学校 3 校への高校生の認識を紹介し ている94。 省立左営中学の生徒は、 「私はかつて何度か海軍官立学校の各種設備を参観した。社会科学部だ けでなく、一般科学部・海軍科学部の設備はみな完全で整ったものであった」95と、進学する上で よりよい設備の軍官学校に関心を持ったようであった。省立高雄工業高校の生徒は、次のように 家の近くの人が、彼の 2 人の子どもが軍官学校にいたときの状況を聞いている。. 彼が言うには、官立学校は環境がよく設備も完全なもので、教育では教授はすべて国内第一 流の学者が担当し、現代化した教育儀器があることで学生に十分な学習・研究を提供でき、 大学専門学院より遅れをとるものではなかった。卒業後は教育部によって学士学位が与えら れ、成績優秀者にはさらに海外で学ぶ機会が与えられる。生活管理は厳しいが、衣食は問題 なく睡眠も十分充足している。これによって身体を鍛えることができる96。. 94 95 96. 『学生軍訓月刊』第六巻第十一期、1969 年 5 月 15 日、p.34。 『学生軍訓月刊』第六巻第十一期、1969 年 5 月 15 日、pp.34‐35。 『学生軍訓月刊』第六巻第十一期、1969 年 5 月 15 日、p.34。. 181.

(23) 名古屋市立大学大学院人間文化研究科. 人間文化研究. 第 33 号. 2020 年 1 月. おわりに 本研究では軍訓教官による生活指導についてまとめたが、現在でも教官により生活指導・輔 導(生徒指導)が行われており教官の仕事として理解されている。各学校には輔導の教師もい ることから教官のみが生活指導・輔導(生徒指導)を行うわけではない。輔導の教師の方がガ イダンスやカウンセラーとしての知識が多く、生徒に関わる姿勢も支援が中心である。しかし 教官も教師と同じように支援活動をすることが多い。 1990 年代以降問われたのは教官の生徒支援の在り方如何ではなく、学校に軍人である教官がい ることであった。これについては教育部軍訓処編・謝元煕著『文武合一教育之効能』(1990)は、 「生活指導に関して輔導の教師がいるが人数が足りないため」、教官がいることで「学生(生徒) を完全な人格に陶冶できる」97と述べている。 これに反して張芙美(1999)(2002)は教官に対する多様な人の意見をまとめている98。教育現 場に教官がいることについて賛成・反対の意見がどちらもあることを踏まえ、張芙美(2002)は 「軍訓に関わる人は深く教育の自由化・学校の民主化という時代の潮流を体認しなければならない」 99. と述べている。これが最も現実的で多くの人に共通する意見である。 本研究は、1950 年代から 80 年代までの軍訓を組織的に行っていた時代を論じたものであるが、. 本研究の資料は張芙美(1999) (2002)100を踏まえたものが多いのは、軍訓に関する史料が限定的 であったためである。資料調査は行ったものの、既に張芙美(1999)101が軍訓の法制度研究を一通 り行ったこと、1950 年代は李泰翰『一九五○年代臺灣學生軍訓之硏究』(民國史學叢書 30,2010) の研究があり、それを超える軍訓の史料は物理的にないというのが正直なところである。つまり 軍訓は 1950 年代から組織的に大きな変更がないため、軍訓開始時期の 1950 年代とは異なり 1960 -80 年代の新しい史料を見つけることは難しかった。しかし生活教育との関連で、軍訓の意義を 論じたのは本研究の新しい点だと思われる。 1990 年代以降の軍訓に関わる論考は大量にあるが、それを整理することも今後のアジアの国防 教育を考えるうえで重要な仕事だと考える。. 本文中で、筆者が「学生」のあとに(生徒)と加えているのは、中国語で「学生」は児童・生徒・学生をす べて含むためである。 本研究は、教育史学会第 63 回大会(2019 年 9 月 29 日㈰於:静岡大学)の発表原稿に加筆修正をしたもので ある。また、科研費基盤研究(C) (一般)山田美香:研究代表者「東アジア儒教圏の道徳教育と愛国心教育― 日本の「特別の教科道徳」を考えるために」(平成 29 年度~平成 33 年度)に関する研究である。. 97. 教育部軍訓処編・謝元煕著『文武合一教育之効能』台湾書店、1990 年 6 月、p.41。 張芙美『我國軍訓教育變遷與未來發展之研究』慈濟技術學院、2002 年、pp.166-193。張芙美『中華民國臺灣地區軍訓教育發 展之研究』幼獅、1999 年、pp.421-428。 99 張芙美『我國軍訓教育變遷與未來發展之研究』慈濟技術學院、2002、p.174。 100 張芙美『我國軍訓教育變遷與未來發展之研究』慈濟技術學院、2002 年。張芙美『中華民國臺灣地區軍訓教育發展之研究』幼 獅、1999 年。 101 張芙美『中華民國臺灣地區軍訓教育發展之研究』幼獅、1999 年。 98. 182.

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表 1  軍訓が実施された学校数・生徒数・卒業生数(人)  年  学校数  生徒数  卒業生数  1953  129  43,344  ―  1954  141  45,652  ―  1955  162  58,568  14,978  1956  182  69,598  17,013  1957  200  81,642  21,420  1958  227  90,709  24,835  1959  235  102,153  27,667  1960  250  109,701  30,578

参照

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①中学 1 年生 ②中学 2 年生 ③中学 3 年生 ④高校 1 年生 ⑤高校 2 年生 ⑥高校 3 年生

2015 年度子ども代表委員: 笹野 千枝里 ( 高校 3 年生 ) 川島 悠 ( 高校 2 年生

社会教育は、 1949 (昭和 24