Hugh James Fossの新約聖書註釈と聖書翻訳
著者
荒井 章三
雑誌名
キリスト教論藻
巻
37
ページ
25-50
発行年
2006-03-10
URL
http://doi.org/10.14946/00001607
Hugh James Fossの
新 約 聖 書 註 釈 と 聖 書 翻 訳
荒
井 章 三
1
「松 蔭 女 子 学 院 」 の 前 身 で あ る 「松 蔭 女 学 校 」 は 、 英 国 の 宣 教 団 体Society for the Propagation of the Gospel in Foreign Parts(以 下SPGと 省 略)か ら派 遣
さ れ た ヒ ュ ー ・ジ ェ イ ム ス ・フ ォ ス 師(1848-1932)(彼 の 註 釈 書 の 著 者 名
は 、 フ ヲ ス 、 あ る い は 、 稀 に フ オ ス と な っ て い る が 、 以 下 現 行 の 表 記 法 に 従
い 「フ ォ ス 」 との み 表 記 し、 且 つ 、 敬 称 も省 略)に よ っ て 、1892年 に 創 立 さ
れ た 。彼 の 生 涯 に つ い て は 、彼 自 身 の 回 想 録"Memoirs of Hugh James Foss"(1) に詳 しい が 、 こ こ で は 、 彼 の 神 学 的 業 績 、 と りわ け 、 彼 の 新 約 聖 書 の 註 釈 書 と聖 書 翻 訳 との 関 わ り を取 り上 げ る こ と と し た い 。 註 釈 書 は 、 い ず れ も 日本 で 翻 訳 出版 さ れ た も の ば か りで あ る が 、 残 念 な が ら、 い わ ゆ る原 書 の 所 在 は 分 か ら な い 。r回 想 録 』 に は 、 「新 約 聖 書 の 注 釈 も何 篇 か 準 備 した 。 注 釈 の 場 合 に は 、 私 は まず 英 語 で 書 き、 日本 人 の 助 手 と共 同 で 注 意 深 く翻 訳 を 進 め た 。 エ ペ ソ書 、 コ ロサ イ 書 、 ヘ ブ ル 書 と、 ヨハ ネ の 手 紙 、 ヤ コ プ の 手 紙 、 ユ ダ の 手 紙 、 ペ テ ロ の 第 二 の 手 紙 な ど の注 釈 だ っ た 。 ペ テ ロの 第 一 の 手 紙 の 注 釈 は す で に他 の 人 に よ っ て 準 備 さ れ て い た 。 私 の 黙 示 録 の 注 釈 は 、1923年9月1 日 に 大 震 災 が 起 こ っ た と き に は 、 も う半 分 以 上 印 刷 され て い た 。 し か し、 震 災 の た め 、 印 刷 用 の 原 版 も 、 日本 語 の 原 稿 も、 英 語 の 原 稿 も壊 滅 的 状 態 と な っ た 。 そ の 後5年 近 くは 、 再 び 同 じ本 を 書 き始 め よ う と筆 を 執 る こ と は な か っ た 。1923年 に 英 国 に帰 国 して か ら注 釈 書 の 英 文 原 稿 をす こ し翻 訳 出 版 の た め に 送 っ た 。 そ の う ち 二 、 三 編 は採 用 さ れ 翻 訳 が 着 手 さ れ た が 、 出 版 さ れ た と い う報 せ は ま だ な い 」(99頁 以 下)と い う記 述 が あ り、 英 語 の 原 文 は 手 書
きで あ っ て、 そ れ を元 に著 者 と助 手 とが 共 同 して 翻 訳 し、 直 接 日本 語 に よ る 註 釈 書 が 出版 され た か ら、 印刷 され た英 語 版 は な い と思 わ れ るω。 1.新 約 聖 書 註 釈 書 の 書 誌 現 在 まで、 新 約 聖 書 註 釈 書 の翻 訳 出版 が確 認 され て い るの は 、8巻 で あ る が 、 以 下 、 出版 順 に、 書 誌 を記 してお こ う。 『以 弗 所 書 註 繹 』(エ ペ ソ書) 著 者 名 は 、 ヒユ 、 ゼ ー ム ス 、 フ ヲ ス と表 記 さ れ て い る(但 し、 奥 付 に は 、 ヒユ 、 ゼ 、 フ ヲ ス と な っ て い る 。 以 下 凡 そ 同 じ) 松 山 高 吉 閲 、 松 田 承 久 ・三 島 彊 の 共 訳 で あ り、 明 治42(1909)年12月 15日 印 刷 、 同20日 の 発 行 で 、 発 行 所 は 当 時 、 神 戸 市 中 山 手 通 三 丁 目番 外 五 番 に あ っ た 聖 公 會 出 版 社 で あ る 。 因 み に 当 時 、 著 者 の フ ォス は 神 戸 市 下 山 手 通 五 丁 目 十 五 番 に 住 ん で い た 。 扉 に 印 刷 さ れ て い る よ う に 、SOCIETY FOR
PROMOTING CHRISTIAN KNOWLEDGE(英 国 聖 公 會 布 教 會 社)の 援二助 を
受 け て 出 版 さ れ て い る(写 真A・B・C参 照)。 四 六 判(B6)、 以 下 す べ て 同 型 で あ る の で 、 記 載 し な い 。 本 文197頁 、 目次2頁 の 次 に 著 者 の 「序 」(明 治 42年10月 下 の2日)2頁 あ り。 さ ら に21頁 の 「総 論 」 あ り。 奥 付 に は 定 価 の 記 載 が な い が 、 コ ロ サ イ 書 に付 さ れ た 新 刊 広 告 に は45銭 と書 か れ て い る 。 表 紙 は モ ス グ リ ー ン の 厚 紙 。 以 下 同 じで あ る が 、 コ リ ン ト前 書 の み は 、 ダ ー ク ブ ル ー で あ る 。 『A羅 西 書 註 繹 附 腓 利 門 書 註 繹 』(コ ロ サ イ書 ・ピ レモ ン書) 吉 田菊 治 郎 訳 で 、 大 正 元(1912)年10月(但 し、 奥 付 で は 、11月)発 行 、 発 行 所 は 、 エ ペ ソ書 と同 じで あ る。 本 文166頁(内 、 コ ロサ イ 書130頁)、 本 文 の 前 に 、 日本 聖 公 會 神 学 院 校 長 ・長 老 今 井 壽 道 の 「序 」(大 正 元 年10月)4頁 、 著 者 の 「自序 」(大 正 元 年9月)2頁 、 「目次 」2頁 「総 論 」12頁 あ り。 但 し、 ピ レモ ン書 の 「総 論 」ll頁 は 、総 頁 の 中 に組 み 込 まれ て い る。 定価45銭 。 『使 徒 ヨハ ネ諸 書 翰 註 繹 』 吉 田 菊 治 郎 訳 で、 大 正4(1915)年7月 発 行 、
発 行 所 は 同 じで あ る 。 本 文271頁 。 「自序 」(大 正4年7月)4頁 、 「目次 」2 頁 。 「総 論 」 「本 文 」 は 「第 一 書 」(1-206頁)と 「第 二 書 ・第 三 書 」(207頁 以 下)に 分 れ 、 「総 論 」 は 、 い ず れ も総 頁 の 中 に 組 み 込 ま れ て い る(以 下 同 じ)。 定 価60銭 。 『聖 ヤ コ ブ並 二 聖 ユ ダ書 翰 註 繹 』 吉 田 菊 治 郎 訳 で 、 大 正11(1922)年2 月 発 行 、発 行 所 は 、 東 京 市 京 橋 区 竹 川 町17番 地 に移 っ た 日本 聖公 會 出版 社 で あ る。 本 文292頁(内 ヤ コ ブ書225頁)、 序 文 な し。 定価1円70銭 『ヘ ブル 書 註 繹 』 吉 田 菊 治 郎 訳 で 、 大 正13(1924)年5月 発 行 、発 行 所 は 、麻 布 区 霞 町2番 地 に移 っ た 日本 聖 公 會 出 版社 で あ る。 本 文338頁 、 目次 の前 に、 「序」(大 正11年12月)3頁 あ り。1円70銭 『聖 徒 彼 得 前 後 書 註 繹 』(ペ テ ロ書)吉 田 菊 治 郎 訳 で 、 大 正13(1924)年 5月 発 行 、 発 行 所 は 上 と 同 じ。 本 文258頁(内 前 書13ユ 頁)。 扉 裏 の 英 文 の タ イ トル で は 、 ペ テ ロ前 書 の 著 者 は 、 「回 想 録 」 に 記 さ れ て い る よ う に 、 フ ォ ス で は な く、R.DMSHAWで あ る 。 序 文 な し。 定 価 記 載 な し。 『コ リ ン ト前 書 註 解 』 著 者 名 ヒユ ・ゼ ー ム ス ・フオ ス とな っ て い る。 吉 田 菊次 郎(菊 治 郎 の 間違 い?)訳 で 、 昭和3(1928)年12月 発 行 、発 行 所 は 「聖 公 會 出版 社 」 で 、住 所 は、 麻 布 区 材 木 町24に 移 っ て い る。 本 文292頁 。 序 文 な し。 但 し、 次 の 『ロマ 書 註 鐸 』 と同様 、 表 紙 に英 文 の タイ トル と著 者 名 が記 され て い る。 扉裏 の 英 文 の タイ トル な し。 定 価 1円80銭 。 現 在 手 元 にあ る版 は 、 そ の他 の す べ て の表 紙 の色 が モ ス グ リー ンで あ る の に対 し、 ダ ー ク ブル ー で あ り、 定価 も旧定価 の 上 に4円50銭 と貼 り付 け て あ るの で 、 訳 者 名 の 間違 い 、 扉 裏 の省 略 な ど を考 え合 わ せ る と、 数年 を経 て重 版 され た も の で あ ろ う と推 測 され る。 た だ し、 本 文 は、 紙 質 か ら見 て 、 初 版 そ の ま まの もの が使 わ れ てい る。
『ロ マ 書 』 著 者 名 ヒユ ・ゼ ・フ ヲ ス(但 し、 奥 付 は フ オ ス)、 吉 田 菊 治
郎 訳 で 、 昭 和4(1929)年 発 行 、 発 行 所 は 「聖 公 會 出 版 社 」[但 し、 英 文 で
は 、NIPPON SEIKOKWAI SHUPPANSHA(Church Publishing Society)】 と な っ
て お り、 著 者 の 肩 書 き が 、 「前 大 阪 地 方 部 監 督 ・神 学 博 士 」(EX-BISHOP OF OSAKA)に 変 わ っ て い る 。 本 文286頁 。 序 文 な し。 定 価1円80銭 。 フ オ ス が 日本 に 滞 在 した の は 、1876年8月 か ら 、 関 東 大 震 災 の 直 前1923年 の6月 ま で で あ っ た か ら、 前 に 引 用 した 文 か ら推 察 す る な ら ば 、 最 初 の4巻 は 、 彼 の 在 日 中 に発 行 さ れ た が 、 後 の4巻 は 、 帰 国 後 に 原 稿 を送 っ た も の で あ ろ う 。 『ヨハ ネ 黙 示 録 』 に つ い て は 、 彼 の 記 述 ど お り、 震 災 で 失 わ れ て し ま っ た に 違 い な い 。 『聖 ヤ コ ブ 書 』 以 降 は 、 東 京 に 移 っ た 日本 聖 公 會 出 版 社 の 発 行 に な る と 同 時 に 、SPCKの 許 可 な しで 発 行 さ れ て い る 。 裏 表 紙 の 「日 本 聖 公 會 出 版 社 」 と`iChurch Publishing S・ciety"の 頭 文 字CPSを 組 み 合 わ せ た ロ ゴ か ら も 、 そ の こ とが 裏 付 け られ る 。 2.註 釈 書 を 書 い た 動 機 さて 、 フ ォス は、 後 に述 べ る よ うに 、1910年 以 降 、新 約 聖 書 の 改訳 に関 わ るの で あ るが 、 この 改 訳 の完 成 以 前 に刊 行 され た註 釈 書 は、 エ ペ ソ書 とコ ロ サ イ書 及びピ レモ ン書 、 ヨハ ネ諸 書 簡 の み で あ る。 この うち、 コ ロサ イ書 及 び ピ レモ ン書 は 、改 訳 作 業 が 進 め られ て い た時 期 に書 か れ た と思 わ れ る。 そ の 点 に つ い て は 、後 述 す るが 、 まず 、 彼 が 何 故 に註 釈 の仕 事 を志 した の か を 知 る た め に、 エ ペ ソ書 と コ ロサ イ書 の 序 文 を書 き移 して お こ う。 エ ベ ソ まず 、 『以 弗 所 書 註 繹 』 の 序 文 を記 載 す る。 な お 、彼 が 著 した 註 釈 書 は 、 すべ て ル ビ付 で あ り、 序 文 もそ の例 外 で は ない が 、 あ ま りに も煩 瑛 なの で 、 読 み に くい 部 分 の み に付 け て お いた 。 本 文 通 りの 漢 字 を使 っ た の は 、 当 時 の 雰 囲 気 を味 わ って も らい た い か らで あ る。
序
いな 今 よ り数 年 前 の こ とな り しが 、 篤 志 者 の懇 望 、 僻 み が た く して、 エ ペ ソ書 そのころ に註 繹 す る こ とを諾 し、 當 時 起 稿 せ し もの か ら、 事 繁 き身 は心 に任 せ ず 、 思 へ ひの ほ か に 長 日月 を歴 た り。 その 間 に 英 國 に て は、 此 書 の新 註 繹 二 三 種 類 出 こへも 版 せ られ て世 に公 に なれ り。是 以 て予 は愈 よ この 書 の重 要 な る と、 日本 語 の をへ 註 繹 の 必 用 な る と深 く感 じ、 更 に奮 働 を加 へ て 速 か に成 し了 ん こ とを期 した あた しばしば り。斯 て 註 繹 す る に方 り、 塵次 困 難 を畳 えた る は、 現u聖 書 の 往 々原 文 に適 され 合 せ ざ る所 の あ る事 な り き。然 ど予 は現 課 を難ず る者 に あ らず 、 多 くの識 者 と共 に之 を ::し、 之 に始 め て従 事 せ られ し、翻 謬 委 員 諸 氏 の 精働 、 公 平 、 博 識 に感 服 す る 者 な り。 但 しエ ペ ソ書 の如 きは書 簡 中 尤 も深 き玄 妙 の 意味 の 含 まれ た る者 な れ ば、 翻 謬 も亦 随 って 難 し。 この故 にそ の意 義 を顕 は さん と す れ ば 、 直 課 に遠 ざか る は 自然 の勢 な り、敢 え てbむ べ き にあ らず 。 然 ど、 之 が為 に聖 書 の 中 か ら これ pB.比較 す る に は 、甚 だ不 便 を感 じた れ ど、唯 だ 止 を得 ざ る個 所 の み を改Rし て、 其 他 は勉 め て現Aの 句 に よ りて 註繹 を試 み た り。 註 し了 りて省 閲 す る に 、猶 ほ不 完全 な る黒占頗 る多 し。 稿 を棄 て 出版 を やめ 罷 ん か、 然 ず ば 更 に研 鐙 推 敲 の ・ち 世 に出 さん か、 遅 疑 す る所 あ り しか ど、 徒 らに年 をか さ ね 、若 くは 中止 して依 頼 者 の志 を空 うす る に忍 び ず 、且 は前 ここ ひたすら ねぎ 諾 に背 くも心 よ き業 な らね ば 、裳 に 一 向全 能 者 の祝 福 と聴 許 とを祈 求 め て 、 印刷 に 附す る こ と ・せ り。 願 くは讃 者 諸 君 、 この書 の 今 の代 に肝 要 な る を艶 り、註 繹 は不 完 全 な りと も堂 に 昇 る手 引 き とな し、愈 よ進 ん で 室 に入 り、真 理 の奥 を究 め 、 之 に よ りて忠 信 、仁 愛 、 熱 誠 等 の諸 徳 を増 し加 へ られ ん こ と を 明 治 四 十 二 年 十 月 下 の二 日 著 者 識 す 聖 書 に つ い て は 、新 約 聖 書 が1879年(明 治12年)、 旧 約 聖 書 が1887年(明 治20年)に 完 成 して い た(明 治 訳)の で あ るが 、 適 当 な註 釈 書 は 、 ほ と ん ど 皆 無 とい う状 況 で あ った 。 そ こで 、 フ ォス は まず 、 エ ペ ソ書 か ら始 め よ う と した の だが 、公 務 に 時 間 を割 か れ(「 数 年 前 か ら」 とい う表 現 は 曖 昧 だが 、 1905年 前 後 と考 え れ ば 、1899年 の主 教 就 任 後 とい う こ とに な る)、 仕 事 の 進行 は 思 う に 任 せ な か っ た で あ ろ う こ と は 明 ら か で あ る 。 しか し 、 「こ の 書 の 重 要 性 、 さ ら に 、 本 国 で の 新 しい 註 釈 書 の 出 版 な ど に後 押 し さ れ て 取 り組 ん だ の で あ る が 、 註 釈 作 業 を 進 め る に した が っ て 、 現 行 聖 書(明 治 訳 〉 に は 、 ギ リ シ ア 語 の 原 文 に 適 合 し な い と こ ろ が あ り、 作 業 上 しば し ば 困 難 を感 じた 。 も ち ろ ん 、 翻 訳 者 の 努 力 に は 頭 が 下 が る と は い え 、 パ ウ ロ書 簡 の な か で も、 エ ペ ソ 書 の よ う な 意 味 深 長 な 言 葉 を含 む 書 の 場 合 に は 、 翻 訳 は と て も 困 難 を 極 め る 。 そ の た め 、 現 行 聖 書 で は 、 意 味 が 通 る よ う に 直 訳 を避 け て 、 意 訳 に な っ て い る箇 所 が 多 い 。 そ れ は そ れ で 、 仕 方 が な い が 、 そ の 結 果 、 他 の 書 簡 と の 比 較 ・引 用 す る 場 合 に 非 常 に 不 便 を 感 じた 。 そ の 場 合 に は 、 止 む を 得 な い 箇 所 に 限 っ て 、 自分 の 訳 を つ け て お い た 」 と い う の が 大 体 の 意 味 す る と こ ろ で あ ろ う。 当 時 発 行 さ れ て い た 英 語 に よ る 註 釈 ・書 に つ い て は 、
Henry Alford (1810-1871): The epistle to the Galatians, Ephesians,
Philippians, Colassian.sa Thessalonians, to Timotheus, Titus, and Philemon:The
Creep'Testament:with a critically revised text, a digest of various reaclings,
marginal references to verbal and idiomatic usage, prolegomena, and a criti.ca:l and
exegetica】c。mmentary,1856, Deighton, B el1, Cambridge(『irL:書 註 繹 附
腓 利 門 書 註 繹 』 の 序 文 の 中 に オ ル フ ヲ ド と 言 及 さ れ て い る 。)1880年 重 版
Charles J. Ellis。tt{1819-1905}:``A Chtical and Grammatical Co㎜en町
on Sしpaur s Epistle to 4he Ephesia皿s",1855, W。F, Draper, Condon.(フ ォ ス の 大 学
在 学 中 に 読 ん だ 可 能 性 が あ る 。こ の 書 も 『寄 羅 西 書 註 繹 附 腓 利 門 書 註 繹 』
の 序 文 の 中 に 言 及 さ れ て い る 。 ギ リ シ ア 語 の テ キ ス ト を 各 ペ ー ジ 上 に 掲 げ て
お り 、 本 格 的 な 註 釈 書 で あ る 。 ユ863、1881年 に 重 版 。 別 に 、 翻 訳 と し て 『基
督 教 々 要 論 』 バ イ ン ド 、 木 庭 孫 彦 訳 、1905年 、 日 本 聖 公 会 出 版 社 が あ る 。
H.C.G. Moule〔1841-1920}:``The Epistle to the Ephesians with introduction
anal Hates",1SS6, The Cambridge Bible far Se.hoolsand Colleges, Cambridge.
M.F. Sad【er(18↑9-1895}:``The Epistle of St. Paul to the Galatians, Ephesians,
and Phヨipp量ans with Hates critical and practical",1889, George Bell and Sons,
そ の 所 説 を そ の ま ま 引 用 し て い る 箇 所 が あ る 。
G.Currie Martin〔1865-1937): "Ephesians, Colossians, Philemon,&
Philippians, The century B ible,1902, T.C.&ECJack, Edinburgh.
Brooke Foss Westcott〔1825-1901}:"Saint Paul'sEpistle to血e Ephesians:
The Greek text with notes and apPendバ,190,Macmillan anal Co. Limited Landon.
(Middy Name"Foss"に つ い て は 、 「回 想 録 」 に 面 白 い 記 述 が あ る(16頁 以 下)。 註 釈 書 の 翻 訳 は な い が 、 『復 活 せ る 主 の 啓 示 』 菅 寅 吉 訳 、1911年 、 普 光 社 が 出 版 さ れ て い る 。
Joseph B⊥ightfoot(侶28-1889):"Notes on the Epistle of StPaul,1875, Macmillan and Co., Limited, London.ギ リ シ ア 語 の テ キ ス ト付 。 註 釈 書 の 翻 訳
は な い が 、 『基 督 教 会 教 職 論 』 村 井 ≡義孝 訳 、1889年 、 教 文 館 が 出 版 さ れ て い る 。 な お 、 「英 国 改 訂 訳 」devised Versionが 、1885年 に 完 成 し て お り、 彼 も利 用 した と考 え ら れ る 。 因 み に 、 改 訳 委 員 会 で は 、 参 照 さ れ て い る 。 次 に、 『寄 羅 西 書 註 繹 附 序 文 も書 き写 して お こ う。 腓 利 門書 註 繹 」(コ ロサ イ書 ・ピ レモ ン書)の
自序
か 此小 冊 子 の 目的 は夫 の重 要 な る寄 羅 西 書 を研 究 せ ん と志 ざす 人 々の 手 引 た る にあ り、此 故 に 聖 書 の 引 用 を歎 多 く して載 せ た れ ば 、 讃 者 は宜 し く煩 を厭 ふ こ とな く一一々封 照 比 較 して ぐ本 書 簡 の 眞 意 を閾 明 し翫味 す る や う努 め ら る べ し 著 者 は大概 現 課 日本 聖 書 に従 ひ て註 繹 を加 へ たれ ど も、唯 其 原 意 を現 はす こ と梢 不 明 瞭 な りと認 む る個所 のみ 不 完 全 なが ら著 者 の改 課 を掲 げ 、 之 に糠 りて註 鐸 を施 した り 聖 パ ウ ロ は本 書 翰 に於 て 、 先 づ 主 イエ ス 、 キ リス トの 圓満 充 足一 萬 民 の有 らゆ る渇望 を充 た し有 らゆ る要 求 に鷹 ず べ き諸徳 満 能 を一 身 に完備 し給 ふ ご ひか り と、 及 び教 會 の 首 謄 、光 明 の 國 の君 主 た る 濁 一無 比 の位 に在 ま して 、其 教 會即 ち光 明 の 國 を次 第 に全 世 界 に援 張 せ しめ之 に よ りて満 民 を神 に婁苗順 せ しめ 給 ふ こ とを力 を極 め て 主 張 し、 次 に既 に召 され て光 明 の 國 に屡 せ る信 徒 た る 者 は皆 暗黒 の 行 爲 を脱 ぎ去 り、心 中 に残 れ る 邪 悪 の 性 情 を殺 す に よ り め ぐみ
且 つ聖霊 の恩恵 を蒙 り充分 に之 を用 ひて其性 質 を改新 し神 の子供 た るに適
は し き生涯 を送 るこ とに よ りて神 よ り受 けた る召命預 選 を愈確保せ ざるべ か
おも らざ る こ と を熱 心 に勧 告 せ り、惟 ふ に此 主 張 と勧 告 は實 に二 十 世 紀 の 吾 人信 がいせつ徒 に封 して亦極 めて剴切 緊要 なる宣 言 にあ らず や
いえども ねが 本 書 は 些 々 な る小 冊 子 に 過 ず 、其 註 繹 は 不 完 全 な り と、 難 、翼 は くは 護 者 之 を活 用 して此 重 要 に して 趣 味 多 き書 翰 を研 究 し其 中 に存 す る聖 パ ウ ロの 眞 正 な る教 訓 を領 得 す る に到 らん こ と を、是 余 の熱 心 に望 む 所 な り あた終 に臨み、著者 は本 註繹 を作 るに方 り監督 ライ トフー ト氏 、監督 エ リコッ
ト氏 及 びオール フヲ ド氏等 の著書 を丁寧 に参 照 した り、依 て菰 に之 を附記 す
大 正元年九 月 著 者 識 す
こ こ で も フ ォス は 、現 行 の 聖書 を基 礎 に して い るが 、 ギ リ シ ア語 原 文 の意 味 が 不 明瞭 の 場 合 に は 、彼 自身 の改 訳 を掲 げ て 、 そ れ に従 っ て註 釈 を した 、 と述 べ て い る。 自分 の訳 を掲 げ て い る度 合 い は 、 エ ペ ソ書 よ りも コ ロサ イ書 の ほ うが 、 は るか に多 い が 、 そ れ は 、 エ ペ ソ書 が 、彼 の 関与 した聖 書 改訳 以 前 に書 か れ た の に対 し、 コ ロ サ イ書 は次 に述 べ る改 訳 の委 員 と して 関 わ って い た か ら、 思 い切 っ て試 訳 が で きた か らで あ ろ う。 そ の 点 につ い て は 、後 に 詳 し く検 討 す る(皿 参 照)。 3.新 約 聖 書 改 訳 と の 関 わ り で は 、次 に 、彼 が 従 事 した 新 約聖 書 の改 訳 につ い て 、彼 の 回想 録 か ら引用 して お こ う。 「後 に 、私 は ロー マ ・カ トリ ック教 会 とロ シ ア正教 会 を除 くすべ て の キ リ ス ト教 団 が使 え る よ うに と、新 約聖 書 を改 定 す る た め に結 成 され た委 員 会 の メ ンバ ー に指 名 され た 。新 しい 改定 の仕 事 で も、私 た ちが最 初 に翻 訳 した と きに使 っ た文 体 が 新 約 聖書 全 体 に採 用 され た 。 … 相 当 の 熟慮 と検 討 の結果 、外 国 人4人 と、 日本 人4人 が 選 ば れ、 こ の 仕 事 に 携 わ る こ と に な っ た 。 一 ・ア メ リ カ ン ・ボ ー ドの グ リー ン博 士 は、30年 昔 の最 初 の翻 訳 者 の 一 人 で 再 び委 員 に選 ば れ て い たが 、 病 身 の た め あ ま り仕 事 は で きず 、委 員 会 が仕 事 に着 手 した あ とす ぐに亡 くな られ た 。彼 の あ とは 、 同 じア メ リカ ン ・ ボ ー ドの ラ ー ニ ド博 士 が 引 き継 い だ。 彼 は1875年 に来 日 し、聖 書 諸 篇 の 詳 細 な注釈 書 を数 多 く出版 して い た。 私 た ち の教 会 か らは私 と松 山氏 が 代 表 で 出 た 。松 山 氏 は、 前 述 の とお り、最 初 の 翻 訳 者 た ち の 助 手 を 務 め た 人 で あ る。 … 委 員 の う ち二 人 は メ ソジス トで 、 うち一 人 は 日本 生 まれ の ア メ リ カ人 で宣 教 師 の 息子 だ った 。 も う一 人 は 日本 人 だ っ た。 バ プ テ ィス ト派 の ア メ リカ人 の宣 教 師 もい た。 バ プ テ ィス ト派 はす で に彼 ら独 自 の 日本 語 訳 を持 っ て い た が 、 こ の 企 画 に 参 加 し た。 長 老 派 の 日本 人 も一 人 加 わ っ て い た。 一 ・7年 の作 業 の後 、1917年 に全 体 が よ うや く出版 さ れ た が 、 新 し い 翻訳 は広 く一般 に受 け入 れ られ た よ う に思 わ れ た。 … 私 自身 と して は 、 この よ う な仕 事 に携 わ る機 会 を得 た の は非 常 に光 栄 な こ とで あ っ た。 私 た ち 委 員 の 唯一 の 目標 は 、 ギ リシ ア語 の原 文 を正確 に力 強 く、神 学 上 の偏 見 を交 えず に表 現 す る こ とで あ っ た」(105頁 以 下)。 こ の 事 業 は 、 い わ ゆ る 明 治 訳 聖 書[1879(明 治12)年 完 成]の 改 訂 で あ る 「大 正 改 訳 新 約 聖 書 」 の こ と を指 し て い る 。 『日本 聖 書 協 会 一 二 五 年 史 』 に よ れ ば 、 「そ の 後 の 国 語 の 変 化 、 思 想 の 変 転 、 ま た 聖 書 学 の 進 展 な どか ら、 聖 書 の 改 訂 を 求 め る 声 が 次 第 に 大 き くな っ た 。1906(明 治39)年 、 当 時 の 諸 教 派 の 協 力 機 関 で あ っ た 福 音 同 盟 会 は 、 聖 書 改 訳 の 決 議 を した 。 こ れ を 受 け て 聖 書 常 置 委 員 会 は 、 三 聖 書 会 社[註 英 国 、 北 英 国 、 米 国 コ と共 に改 訳 の 具 体 化 を は か り、 改 訳 委 員 と し てD.C.グ リ ー ン(委 員 長 、 後 にD.W.ラ ー ネ ッ ド)、 藤 井 寅 一 、H.3.フ ォ ス 、 松 山 高 吉 、 C.S.デ ビ ス ン、 別 所 梅 之 助 、 J.G ダ ン ロ ッ プ(後 にC.K.ハ ー リ ン トン)、 川 添 万 寿 得 を 選 ん だ 。1910年(明 治 43年)、 改 訳 規 定 を 定 め 、 英 国 聖 書 協 会 発 行 の ネ ス ト レ の ギ リ シ ア 語 原 文 校 訂 本 に 基 づ き 、 改 訂 英 訳 を 参 考 と して 改 訳 を 開 始 した 。 こ れ を1917年(大 正 6年)に 完 了 し、 大 正 改 訳 『新 約 聖 書 』 と し て 初 版 を 発 行 し た の で あ る 。 こ
の 大 正 改 訳 は 、 原 文 に 忠 実 で あ る と と も に 、 そ の 表 現 に も苦 心 が 払 わ れ 、 散 文 と 詩 文 との 区 別 を 明 ら か に し、 歴 史 的 現 在 法 を用 い て 学 問 的 ・文 学 的 に も 細 心 の 注 意 が 払 わ れ た 」 と 簡 潔 に 述 べ ら れ て い る(3)。 そ れ に対 し 『日本 聖 書 協 会 一 〇 〇 年 史 』 に は 、 よ り詳 しい 記 述 が あ る が 、 こ の 記 述 は 、 海 老 澤 有 道 『日本 の 聖 書 聖 書 和 訳 の 歴 史 』 を 基 に し て 書 か れ て い る の で 、 同 書 か ら引 用 し て お き た い 。 「聖 書 常 置 委 員 会 は 、 … 1909 年 か ら 翌 年 に か け て 、 グ リ ー ンJ.C.Greene ABCFNI、 藤 井 寅 一(組 合 教 会)、
フ オ スHJ.Foss、 松 山 高 吉(聖 公 会)、 デ ヴ ィ ス ンC.S.Davison, MEFB、 別 所
梅 之 助(メ ソ ジ ス ト教 会)、 ダ ンQッ プJ.G.Dunl。p, PN、 川 添 万 壽 得(日 本 基 督 教 会)ら 内 外 各 四 名 ず つ を選 ん だ 。 ま た 常 置 委 員 会 は 一 月 に 改 訳 規 定 を 協 議 、BFBSの 発 行 し た ネ ス ト レEberhard Nestleの ギ リ シ ャ原 文 校 訂 本 に 従 い 、 特 殊 な 章 句 に つ い て は ギ リ シ ャ語 に通 ず る 委 員 の 三 分 の 二 以 上 の 同 意 に よ る と か 、 改 正 英 訳 の 採 っ た 解 釈 に 従 い 、 新 解 釈 は 全 委 員 の 三 分 の 二 以 上 の じぷん 賛 成 を 要 す る と か 、 文 体 は 敬 語 を適 当 な 範 囲 で 用 い 、 む ず か し く な い 時 文 体 を採 る な どの 原 則 を 定 め(4)、1910年3月12日 、 神 田 の 基 督 教 青 年 会 館 に 委 員 らが 集 ま り、 グ リ ー ン を 委 員 長 に挙 げ 、 い よ い よ事 業 を 開 始 した 。 … 翌 4月13日 か ら 霊 南 坂 教 会 牧 師 館 、 す な わ ち小 崎 弘 道 の 書 斎 で マ ル コ福 音 書 か ら着 手 した 。5月 に 至 る ま で は 委 員 宅 を 転 々 と して 会 合 す る あ り さ ま で あ っ た が 、 … 5月 か ら は 青 山 学 院 神 学 部 の 楼 上 の ∼ 室 で 、 日曜 日 を 除 き毎 日 午 前9時 か ら午 後4時 ま で 委 員 らは 訳 業 に従 っ た 。 ダ ン ロ ッ プ は 伝 道 の た め 辞 任 、 ハ ー リ ン トンC.KHaエringto n, AB Fが こ れ に代 わ っ た 。 こ う して1911 年1月25日 、 マ ル コ福 音 書 の 初 稿 が で きあ が り、 推 敲 を経 て 、 広 く意 見 を徴 す る た め 試 訳 と し て6月 に3000部 を 印 刷 配 布 、 反 響 を 待 つ こ と に な っ た 。 ・ 一 改 訳 委 員 会 は 、1911年(明 治44年)1月 下 旬a)総 会 に お い て 、 ハ ー リ ン トン ・川 添 ・別 所 は マ タ イ、 グ リ ー ン ・藤 井 は ル カ 、 フ ォ ス と松 山 は 京 都 に あ っ て ヨ ハ ネ と 、 ま ず 福 音 書 の 分 担 を 決 め 、 で き あ が っ た 草 稿 は 全 委 員 が 検 討 す る こ と に 決 め て い た 。 … 翌 年 は じめ に マ タ イ 、 年 末 に ル カ 、 そ し て1913年5月 ヨハ ネ 伝 の 訳 稿 が 出 来 上 が っ た 。 … 1916年10月 ヨハ ネ 黙 示 録 の 訂 正 が 完 了 。 更 に 半 年 に わ た り新 約 全 部 に検 討 を加 え 、1917年(大
正6年)2月 、改 訳 の業 を終 え、10月5日 に大 正 改訳 の 出版 を見 る に至 っ た」 と述 べ て い る㈲ この な か で重 要 な点 は 、 フ ォス が松 山高 吉 と 「ヨハ ネ福 音 書 」 を担 当 した こ との 記 述 で あ る。彼 の 回想 録 に は、 こ の点 に つ い て は触 れ られ て い な い。 しか も、 この論 考 で対 象 と して い る 「書 簡 」 の 分 担 につ い て語 られ て い な い の も残 念 で あ る㈲。 た だ 、 同書 に よれ ばt改 訳 事 業 の 前 史 と して 、 聖公 会 の 祈 祷 書 の改 訂 事 業 に も触 れ て い て、 フ ォス との 関連 で 重 要 で あ る ので 、 そ の こ と につ い て も引 用 して お きた い。 4.聖 公 会 祈 祷 書 の 改 訳 と の 関 わ り 「聖 公 会 は、 公 的祈 祷 書 と して 、英 美 宣 教 師 編 『日本 聖 公 会 祷 文 』(1888 年 刊)を 第 一 総 会 にお い て仮 採 用 と決 定 した が 、 その 後 … 改 訂 を加 え、 X595年(明 治28年)『 日本 聖 公 会 祈 祷 書 』 を 出版 、翌 年 開催 の 第 五 総 会 は こ れ を正 規 の もの と して 受 理 ・承 認 した 。 … さ らに1902年 開催 の 第 七 総 会 にお い て 、祈 祷 書 中 に収 め られ る福 音 書 ・使 徒 書 簡 の 改 訂 の議 が 決 せ られ 、 1905年(明 治38年)5月 の第 八 総 会 に 中 間報 告 が な され た。 そ の 報 告 文 には 、 この 改訳 の経 過 が述 べ られ て い るの で 、次 に掲 げ てお こ う。 使 徒 書福 音 書 改 訳 委 員 会 報 告 本 委 員 ハ 最 初 フ ヲス 、 チ ング 、 キ ング 、木 庭 、水 野 、松 山 ノ六 名 ナ リシニ 水 野 氏 辞 シテ 山県 氏 入 リ、マ タ暫 クニ シ テ遠 地 二在 リテハ 取 調 困 難 ナ リ トテ、 キ ング、 山県 氏 辞 シテ 、 チ ャプ マ ン氏 力其 候 補 トナ リ今 日二至 レ リ。本 委 員 ラは 第 七 総 会 二於 テ葡 委 員 ノ報 告 シ タ ル主 意 二従 ヒテ 改訳 又 ハ 訂 正 ヲ ナ シ、 数 次 集 会 シテ 之 ヲ評 定 シ、其 調 査 ヲ了 ハ リシ モ ノハ復 活 日 ヨ リ漸 次 キ リス ト 教 週 報 二登 載 シ テ公 ニ シ タ リ。 然 レ ドモ 是 レ完 全 ト見 定 メ タル モ ノニ ア ラザ レバ 、 猶 多 少 ノ修 正 ヲ ナ ス コ トアル ヘ シ。 今 弦 二最 初 ヨ リ現 時 マ デ 調 了 シ タ ル モ ノ ヲ見 本 トシ テ諸 氏 ノー 覧 二供 ス 。 使 徒 書 ・福 音 書 改訂 委 員 そ して 「使 徒 書 ・福 音 書 翻 訳 改 正 草 案見 本 」 と して復 活 日の使 徒 書 寄 羅 西 書 第 三 章 一 節一 七 節 と福 音 書 の約 翰 伝 第 二 十 章 一 節一 十 節 を例 示 して い る。
そ の ヨハ ネ20・1-3を 次 に掲 げ る 。 ま 一 周 の は じめ の 日 、 朝 ま だ き暗 き う ち に 、 マ グ ダ ラ の マ リ ア 墓 に き た り て 、 閉 せ る 石 の 取 除 け あ り し を見 る 。 す な は ち 走 りゆ き、 シ モ ン 、 ペ テ ロ及 び イ エ ス の 愛 せ し弟 子 の も と に 至 りて 、 誰 か 主 を墓 よ り取 去 れ り、 何 処 に お き しか 我 ら知 らず 、 と い ひ け れ ば 、 ペ テ ロ と か の 弟 子 い で ・墓 に ゆ く。 こ の訳 を一 読 して 、 そ れ が大 正 の 改訳 に、 きわ め て似 て い る こ とが た だ ち に知 られ る で あ ろ う。 大 正 改訳 にお いて ヨハ ネ伝 を担 当 した の は フ ォス と松 山 高 吉 で あ っ た か ら、 当然 と言 え ば それ まで で あ るが 、 大 正 改 訳 に至 る前 史 と して 、 この聖 公 会 の 改 訳 事 業 の もつ 意 義 は 無 視 す べ か ら ざ る もの と言 わ な け れ ば な らな いω。」 ・ ち なみ に 「改 訳 聖 書 」 の 該 当箇 所 を引 用 して お く。 ひと まは り 一 週 の は じめ の 日、 朝 ま だ き暗 き う ち に マ グ ダ ラ の マ リヤ 、墓 に きた りて 墓 よ り石 の取 除 け あ る を見 る。 乃 ち走 りゆ き、 シモ ン ・ペ テ ロ とイ エ ス の 愛 し給 ひ しか の弟 子 との 許 に到 りて 言 ふ 『た れ か主 を墓 よ り取 去 い つ ニ れ り、 何 庭 に 置 き し か 我 ら 知 らず 』 ペ テ ロ と 、 か の 弟 子 と い で て 墓 に ゆ く。 明 治 訳 で は、 地 名 に は二 重線 、 人 名 に は 一 重 線 が 引 か れ て い た の で 、 聖 公 会 祈 祷 書 で は、 そ の ま ま踏 襲 して い るが 、 大 正訳 で は、 そ の両 方 が 除 か れ て お り、 ま た、 総 ル ビ とな って い て(上 の 例 で は、 二 箇所 の み付 してお い た) 点 を 除 け ば 、訳 文 は ほ とん ど同 一 と言 っ て も良 い 。 コロサ イ書3章1-7節 につ い て は、 後 述 す る(20頁 以 下)。 こ の祈 祷 書 の改 訳 事 業 につ い て、 フ オス 自身 「回想録 」 の な か で 「私 は 日 本 語 の祈 祷 書 の翻 訳 委 員 に も指 名 され て い た 。 こ れ も骨 が 折 れ たが 、 楽 しい 仕 事 だ っ た。 私 以 外 の 外 国 人 は 、 の ち に北 海 道 主 教 と な っ たP.K.フ ァ イ ソ
ン師 とア メ リ カ ン ・ミ ッシ ョ ンのT.S.テ ィ ン グ師 の 二 人 だ っ た。 フ ァ イ ソ ン 師 は 旧約 聖 書 翻 訳 委 員 会 の主 要 な委 員 で あ り、 テ ィ ング 師 は 素 晴 ら しい独 創 的 な翻 訳 手 法 を編 み 出 して い た 。私 た ち三 人 にあ と三 人 の 日本 人 が 加 わ り、 IJ.水 野 師が 私 の 特 別 助 手 を務 め て くれ た 。」(103頁)「 私 は使 徒 書 と福 音 書 の翻 訳 委員 会 に も身 を置 い て い た。 テ ィ ング 師 と松 山氏 の 二 人 が 主 な協 力 者 だ っ た」(105頁)と い う記 述 が あ る。 この う ち、 前 者 は 、 「祈 祷 書 」 そ の も の の改 訂 作 業 で あ っ て 、何 年 に もわ た って 続 け られ た事 業 で あ り、 そ の 委 員 も、 「回想 録 」 の み に書 か れ た 人 だ け で な く、 しか も、幾 つ か の委 員 会 に分 か れ て い た よ うで あ る。1)祈 祷 文 序 文 編 集 委 員 今 井壽 道 山 田清 風 左 乙 女 豊 秋 2)聖 公 会 日課 表 改 正 委 員 フ ォス マ キ ム 水 野 功 3)祈 祷 文 短 縮 等 の諸 議 案 調 査 委 員 両 監 督(ウ イ リ ア ム ス 及 び ビ カス テ ス)キ ン グ 田井 正 一 和 気 市 作 山 田助 次 郎 4)祈 祷 文 標 準 の保 護 者 フ ァイ ソ ン 牧 岡鐵 彌 中川 藤 四郎 5)新 祈 祷 文 委 員 フ ォス マ キ ム 寺 澤 久 吉 木庭 孫 彦 6)祈 祷 文 文 章 改 正 委 員 チ ン グ フ ァイ ソ ン 水 野 功 山 田清 風 の 諸 氏 が 『日本 聖 公 会祈 祷 書 』 の 刊 行 に向 けて 選 ば れ た 。 彼 らの作 成 した草 案 を、1893年(明 治26年)の 第 四総 会 で 選 ば れ た 審査 委 員(両 監 督 、 フ オス 、 チ ング 、 今 井 、 寺 澤 の4名 と、 文 章 改 正 委 員 ら に よ っ て 、 審議 され 、1896年(明 治29年)に 『日本 聖 公 会 祈 祷 書 』 と して 、発 行 さ れ た 。 そ の後 、1915年(大 正4年)に 、 こ の改 訂 増 補 版 が 出 版 され たが 、 そ の翌 年 フ ォス は 、改 正 祈 祷 書 使 用 に関 す る司 会 者 の 心得 とい う小 冊 子 を出 し て い る(8)。 一 方 、 「使 徒 書 福 音 書 改 訳 委 員 」 は 明 治32年 の第 六 総 会 にお い て 選 出 され て い た が 、 第 十 二 総 会(1917年 、大 正6年)に 次 の よ うな報 告 を して い る。 「使 徒 書 福 音 書 改 訳 委 員 は 、 … 爾 来 そ の 事 業 を継 続 して 今 日 に 到 れ り。 … 委 員 は此 事 業 に着 手 す る に 臨 み 、 先 づ 神 の聖 語 の 真 理 を表 現 す る に適 当 なる文 体 を な さん に は、 単 に現 行 訳 に多 少 の 訂 正 を加 ふ る の み に て は 尚不 充 分 な るべ き を認 め 、新 た に改 訳 を試 む る こ とに決 定 し、 之 に従 事 す る こ と数 年 終 に 明 治44年 第 十総 会 に其 成 案 全 部 を報告 す る を得 た り。 然 れ ど も 該 総 会 は 、祈 祷 書 改 正 案 と共 に 、此 改 訳 案 の 討議 を も延期 した りき。 此 の 間
他 方 に於 い て各 派 共 同 に て新 約全 書 改訳 の 事 業 企 て られ 、 我 が 委 員 中 の二 人 も委 嘱 を受 け て 之 に参 加 す る こ と と な り、 第 十 一 総会 に於 い て使 徒 書 福 音 書 の 問 題 は 、 共 同改 訳 の 成 る まで待 つ 事 となせ り。然 る に共 同 改 訳 委 員 は 、今 や既 に其 事 業 を完 了 した る に よ り、 我 等 使 徒 書福 音 書 改 訳 委 員 は右 の 改 訳 文 に従 ひ、 蕪 に此 報 告 案 を編 製 して提 出す る に至 れ り。 此 文体 は 、前 に我 が改 訳 委 員 が 最 も適 当 と認 め て取 り し所 に して 共 同改 訳 委 員 も亦 之 を採 用 した る な り。 そ の訳 文 は 、現 行 の もの に比 す れ ば 一 層 正 確 に して その 用 語 も亦 一 層 恭 謹 に して 、神 の 聖 語 の与 ふ る神 聖 崇 高 な る教 訓 に 能 く適 合 す る こ とを信 ず 。 … 委 員 は又 旧 約 聖 書 よ りの 日課 に就 て も、其 意 義 を 正確 に し文 体 を斉 し くせ ん が た め に、現 行 訳 に多 少 の改 窟 を加 へ た り。 願 わ くは本 総 会 に於 て 此 報 告 案 を可 決 し、普 く 日本 聖公 会 に用 い られ ん こ と を(9)」 こ れ を読 め ば 、 聖 公 會 の 改 課 事 業 は 、明 治44(1911)年 に は完 成 して い た の で あ るが 、祈 祷 書 に採 用 され る こ とな く、 幻 の書 と して、 お 蔵 入 りに な っ て し ま っ た こ とが 分 か る。 第 十 総會[1911年]の 委 員 報 告 と して 「我 ラ委 員 ハ 爾 来 ソ ノ任 務 二 背 カザ ラ ン コ トヲ欲 シ、各 々 多 忙 ナル ニ モ係 ラズ 、・ … 努 力 シ デ 穂 々 二歩 ヲ進 メ タ リシ ニ 、第 九 総 會 ノ期 近 キ 頃 、偶 々全 聖 書 改 謬 ノ 風 説 盛 ンニ 伝 ヘ ラ レ、 既 二着 手 セ リ トサへ 聞 コエ タ レバ ー 旦 ハ此 事 業 ヲ停 止 セ ン ト思 ヘ リ、然 レ ド第 九 総 會 ノ議 決 ニ ヨ リ テ更 二継 続 スベ キ ヲ命 ゼ ラ レ、 復 孜 々 トシテ勤 メ来 リ、 遂 二結 了 ス ル ヲ得 タ レバ 、叢 二 之 ヲ第 十 総 會 二提 出 ス ル コ ト トナ レ リ。 … 本 委 員 中 二名 ノ者 ハ 今 般 更 二 成 立 シ タル 聖 書 改 繹 事 業 ノ為 二選 抜 セ ラ レテ 、 其 委 員 ノ数 二加 エ ラ レ タ リ。 灰 カニ 聞 ク 、全 聖 書 改 課 事 業 ノ始 ル ニ 方 リ我 ガ 委 員 ラノ改 訳 セ シ所 ノモ ノ 、其 ノ参 考 ニ ナ リテ之 二稗 益 ヲ予 工 、又 ソ ノ文 禮 二模 型 ヲ示 シ タ リ トゾ。 我 ラ委 員 ハ 第 十 総 會 ガ我 ラ委 員 ノ労 苦 ノ結 果 ナ ル使 徒 書 福 音 書 改 課 草 案 ヲ審査 シ 、之 ガ採 否 ヲ決 定 セ ン コ トヲ希 望 ス 。」 さ ら に,第 十 一 総 會[1914年]の 同 委 員 会 で 「本 委 員 等 ハ 前 総 会 二報 告 セ シ改A草 案 ヲ参 考 二 供 ス ル為 聖 書 改p委 員 二送 レ リ聞 ク所 ニ ョ レバ 聖 書 改繹 委 員 ハ 之 ヲ参考 シ ツ ツ ア リ トノ事 ナ リ是 以 上 報 告 ス ル ノ材 料 ヲ有 セズ 」 とあ り、彼 等 の事 業 は 、 同時 進 行 して い た 共 同 改 訳 委 員 会 に引
き継 が れ 、 なお かつ 、 そ こで 大 きな役 割 を果 た した こ と を知 る こ とが で きる。 と りわ け 、 フ ォス の果 た した役 割 は、 きわ め て 大 きか った と言 わ ざ る を得 な いo 皿 こ こ で 、彼 の 「回想 録 」 に よって 、 彼 の略 歴 を述 べ て お こ う。 彼 は 、1848年6月25日 に カ ンタベ リー近 郊 の ス トリー ト ・エ ン ドに生 まれ た 。 カ ン タベ リー の私 塾 で学 ん だあ と、1860年 マ ール バ ラ校 の4年 次 に編 入 した 。 こ の学 校 は 、 現 在 も存 在 して お り、 当 時 は 、 オ ック ス フ ォー ド大 学 へ の進 学 校 と して有 名 で あ った 。彼 もま た オ ック ス フ ォー ドへ の進 学 を 目指 し たが 、 叶 わず 、1868年1月 ケ ンブ リ ッジ大 学 の ク ライ ス ト ・カ レ ッジ に 入 学 した。 卒 業(1872年 〉 後 、 彼 は 、 カナ ダの 大 学 で の古 典 の教 授 に推薦 を断 り、 牧 会 へ の道 を選 ぶ 。 リ ヴ ァプ ー ル の聖 バ ル ナバ 教 会 の 副 牧 師 に就 任 した あ と、 チ ェス タ ーの 聖 ミカエ ル教 会(1880年 彼 に よ っ て神 戸 に建 て られ た聖 ミカエ ル教 会 は、 こ の教 会 に 因 んで 名付 け られ た)と 聖 オ レイ ブ教 会 を管 理 す る伝 道 区 に 移 るが 、1875年11月14日 、外 国 で宣 教 活 動 して い る人 々 の た め の祈 祷 会 に 出 か け る途 中 で 、 「日本 に行 こ う」 とい う考 えが ひ らめ き、SPGに 外 国 伝 道 の希 望 を 申 し出、 面 接 の後 、1876年7月6日 に リバ プー ル を 出航 し、 ニ ュ ー ヨ ー ク経 由 で、8月26日 に横 浜 に入 港 、 しば ら く東 京 に 滞在 後 、9月21 EIに神 戸 港 に到 着 して い る。彼 が28歳 の と きで あ る。 そ れ か ら、1923年6月 まで 、途 中 、何 回か の帰 国 、 そ の一 回 は 、1899年 大 阪 の 主 教 に 聖 別 され る た め の 帰 国 もあ るが(こ の ときケ ンブ リ ッ ジ大 学 か ら名誉 神 学 博 士 を授 与 され た)、お よそ47年 に わ た って 日本 での布 教 活 動 に従 事 した の で あ る。彼 は 「1923 年 、 最 初 の二 人 の 日本 人 の主 教[元 田作 之 進 と名 出保 太 郎 主 教]が 選 出 され た 第15回 総 会 の直 後 に 、 同僚 の 主教 た ち と も十 分 に相 談 した あ と、 私 は主 教 職 を辞 し、 カ ナ ダ郵 船 会 社 の船 に乗 っ て妻 と と もに イギ リス に帰 国 した。 た だ荷 物 は 、一 部 を梱 包 した程 度 で そ の ほ とん ど を 日本 に残 して い た。 数 ヵ月 後 に は 日本 に戻 って きて東 京 近 辺 に住 み 、 文 筆 活 動 に従 事 した い と思 っ て い た か らで あ る。 しか し、 関東 大 震 災 の壊 滅 的 な被 災 の あ と聖 書 協 会 が新 しい
仕 事 に乗 り出 す こ とが ほ ぼ見 込 み 薄 とな り、 私 の 日本 で の使 命 も終 わ っ た よ う に思 わ れ た の で、 私 た ち は イ ギ リ ス で の 生 活 に本 腰 を 入 れ る こ と に し た 。 ・ 一 た だ 、翻 訳 さえ す れ ば 日本 聖 公 会 で 使 用 で き る よ うに英 語 の 聖 書 註 釈 を用 意 す る な ど して 、 日本 との つ なが りを保 つ よ うに努 め た」 と 『回想 録 』 の 最 後 を締 め括 っ てお り、彼 の 日本 に対 す る学 問 的寄 与 へ の 意欲 は きわ め て大 きか った と言 わ ざ る を得 ない 。 こ の こ と は、 第 三 者 の言 葉 か ら も知 る こ とが で きる 。 『 F西 書 註 繹 附 腓 利 門 書 註 繹 』 に は 、 日本 聖 公 会 神 学 院校 長 長 老 今 井 壽 道 の 「序 」 が付 け られ て い る。 そ の な か で 、 今 井 壽 道 は 「著 者 は我 邦 に來 教 せ られ て よ り斯 に三 十 有 飴 年 、 我 が 民 情 國俗 に通 暁 し、 教 界 細 大 の事 情 を知 悉 す る の み な らず 、 其 の 詩材 文 想 は夙 に我 が 國風 の趣 味 を楽 しみ 、 時 に感 興 来 る あれ ば 自 ら三 十 一 文 字 を聯 らぬ る事 あ り、 而 して加 ふ る に古 典 學 上 の智 識 と聖 書 改p事 業 に久 し く蓋 療 しつ つ あ る経 験 と を以 て す 、 「聖 書 ハ 日本 人 に よ りて 日本 人 の為 に 解 繹 さ れ ざ る可 らず 」 と主 張 す る余 の如 き も、平 生著 者 其 人 に封 してハ 日本 人 を兼 ね た る英 國 人 と して之 を賞 賛 し、高 徳 博 學 の 師 と して尊 崇 す る心 を禁 ず る こ と 能 ハ ざ る者 な る が故 に、 焉 ん ぞ 襲 に以 弗 所 書 註 繹 を激 迎 した る心 を以 て更 に 本 著 の 上 梓 を感 謝 せ ざ る を得 ん や」 と、 フ ォス の 日本 語 力 は も とよ り、 日本 文 化 に対 す る造 詣 の 深 さ を賞 賛 して い る 。 「日本 人 を兼 ね た る英 國 人」 とは 最 高 の 賛 辞 で あ ろ う。 「回想 録 」 の なか に は、 も ち ろん学 生 生 活 につ い て述 ぺ て い るが 、 ク ラ ブ 活 動 に つ い て は、 か な り多 く語 って い る。 「個 人 競技 で あ る テ ニ ス 以 外 は、 カ レ ッ ジの ク ラ ブの全 部 に参 加 す る こ と に し、 ま ず手 始 め に コ ー ラス で 歌 い 始 め たが 、 きっ とは た迷 惑 だ っ た ろ う と思 う」 と述 べ て い る が 、後 に彼 が 日 本 の 主 教 に推 薦 され た と き、 自分 が難 聴 で あ るの で 、か な りの抵 抗 を感 じた と記 して お り(66頁)、 また 、 主教 辞 任 の理 由 に難 聴 を挙 げ て い るか ら(108 頁)、 大 学 入 学 当 時 す で に難 聴 で あ っ た か ど うか 、 明 らか で は な い が 、彼 の コー ラス 部 で の活 動 は短 期 間で あ った 。 しか し、彼 は 、 チ ャペ ル の無 給 聖 歌 隊 、弁 論 部 に所 属 した。 大 学 の祈 祷 会 に も入 り、委 員 と して 活躍 した よ うで あ る。(こ こ で は、 後 に 日本 の 二 人 目の 主 教 とな っ た エ ドワ ー ド ・ビ カス テ
ス と面 識 を も っ た)。 ス ポ ー ツ で は 、 ク リ ケ ッ ト、 ボ ー ト、 サ ッ カ ー 、 中 距 離 走 、 競 歩 な ど 、 万 能 で あ っ た よ う で あ る 。 そ れ に対 し、 学 業 に つ い て は 、 そ れ ほ ど詳 し く語 っ て い な い 。1871年 ま ず 古 典 の 学 位 を と り、 翌72年 神 学 の 学 位 を得 た 。 彼 は 「特 に ヘ ブ ラ イ 語 の 熟 達 度 に つ い て は 、 賞 賛 の 星 印 が 付 け ら れ て い た 」(16頁)と 書 い て い る が 、 残 念 な が ら 、 そ の 当 時 の 旧 約 学 の 講 義 が ど の よ う な も の で あ っ た か に つ い て は 述 べ て い な い 。 彼 が 後 に 日本 で 旧 約 聖 書 の 改 訳 の 委 員 に 選 ば れ た の は 、 こ の よ う な 彼 の ヘ ブ ラ イ語 の 素 養 が 買 わ れ た か ら で あ ろ う。 新 約 に つ い て は 「学 生 た ち に 評 判 の 高 か っ た 講 義 に はrピ ー ル 博 士 の 古 典 の ほ か に 、 ラ イ トフ ッ ト教 授 の 聖 パ ウ ロ の 書 簡 に 関 す る 講 義 、 ウ ェ ス トコ ッ ト教 授 の ヨハ ネ の 福 音 書 に 関 す る 私 的 講 義 が あ っ た 」 と簡 単 に 述 べ て い る の み で あ る(16頁)。 し か し、 こ の ラ イ ト フ ッ ト(J.B.Lightfoot,1828-89)、 ウ ェ ス ト コ ッ ト(BE Westcott,1825-1901)、 こ れ に ボ ー ト(F.J.A.Hort,1828--92)を 加 え た3教 授 は 、 ケ ン ブ リ ッ ジ大 学 、 否 、 英 国 を代 表 す る 聖 書 神 学 者 で あ っ た 。 当 時 、 キ リ ス ト教 界 は 、1859年 に刊 行 さ れ た ダ ー ウ ィ ン の 『種 の 起 源 』 が 契 機 と な っ て 、 信 仰 と科 学 と を め ぐ っ て 大 論 争 が 起 き、 混 乱 を き わ め て い た が 、 こ の 混 乱 か らキ リス ト教 界 を 立 ち な お させ た の は 、 実 に こ の 三 人 の 聖 書 学 者 で あ っ た の で あ る 。 彼 ら は 、 ドイ ツ の 聖 書 批 評 学 の 成 果 を取 り入 れ た 新 しい 註 解 書 の 刊 行 を と お して 、 信 仰 と 学 問 と を調 和 させ る 方 向 を 指 し示 した の で あ る 。 そ の よ う な 教 授 に 学 ん だ こ と は 、 フ ォ ス に大 き な 影 響 を 与 え た こ と は 疑 い え な い で あ ろ う 。 皿 さて 、彼 の 註 釈 書 を も と に、 聖 書 本 文 の翻 訳 につ い て考 察 して い きた い。 最 初 の 註 釈 書 『エ ペ ソ書 』 は 、前 に も述 べ た よ う に、1909年 に発 行 され てお り、 原 稿 は、 彼 が改 訳 委 員 と して ヨハ ネ伝 の訳 業 に携 わ る以 前 に完 成 してい た こ とは 明 らか で あ る。 そ の 作 業 の な か で、 「序 」 か ら察 せ ら れ る明 治 訳 に 対 す る不 満 が 顕 にな り、 彼 を改 訳 委 員 へ の道 を歩 ま しめ たの か も しれ な い。 本 文 の 註釈 に 入 る前 に 、21頁 に わ た る 「総 論 」 が お か れ て い る。 「こ の書
簡 の作 者」 「ど この教 会 に向 け て書 か れ た の か」fパ ウ ロが この 書 簡 を書 い た 目 的」 「エ ペ ソ とパ ウ ロ との 関係 」 「エ ペ ソ書 の概 略 」 の5項 目 が含 まれ てい る 。 この 総 論 は、 他 の 註 釈 書 に もおお よそ 共 通 す る。 で は、 フ オス が 現 行 聖 書 の 本 文 を どの よ うに改訳 したの か 、 具体 的 に見 て み よ う。 エ ペ ソ書 の 場 合 もそ の他 の註 釈 書 の 場 合 も、現 行 聖 書 を一 節 ず つ掲 げ 、 そ れ に註 釈 を加 え て い くの で あ るが 、本 文 が 不 満 な とき に は、 現 行 聖書 の横 に、 「改 課 」 と書 い て 、 自分 の訳 を併 記 して い る。 『以 弗所 書 註 繹 』 で は 、 明 らか に 「改p」 が掲 げ られ て い る箇 所 は 、9箇 所 にす ぎな いが 、 そ の他 に、 註 釈 の欄 で 、 この よ う に改 め るべ きだ とい う指 摘 が な され て い る箇 所 が 、数 箇 所 あ る。 以下 、順 次 、 具 体 的 に考 察 しよ う。 1 1 「神 の 旨 に 由 て イ エ ス ・キ リス トの使 徒 と なれ るパ ウ ロエペ ソ に あ る 聖 ウ ふみ 徒 お よび キ リス ト ・イエ ス に在 て信 ず る者 に書 を贈 る(列 ヘ へ 〔聖 徒 〕 キ リ ス ト ・イ エ ス に 在 て 信 ず る 者 を指 す(聖 徒 の 下 の 及 び の 二 字 は 誤 り な り除 く方 よ し)・ … 〔キ リス ト ・イ エ ス に 在 て 〕 か れ ら は キ リス ト と一 致 して 、 信 者 の 有 す る凡 か く て の 安 全 を得 る が 故 に 常 に 如 此 い へ り (書 を贈 る) 原 文 に は 此 語 な し。 英 文 は 受 信 者 の 名 を 先 に シ発 信 者 の 名 を 書 の 終 り に記 し、 和 文 は 双 方 の 名 を 書 の 終 りに 記 せ ど も希 膿 語 の 風 は双 方 の 名 を其 書 の 始 め に 記 す な り ここで は、 フォスが ギ リシア語 のテキス トにいか に忠 実であるかが伺 われ る と同 時 に、 手紙 の宛 名 の書 き方 の違 いの指摘か ら、 この註 釈書が 日本人 のため に書か れ てい る こ とが、 明 らか となる。 1 4 「そ れ神 わ れ ら を して其 前 に潔 く疵 なか ら しめ ん為 に 世 の基 を置 ざ り し先 よ えら り我 ら をキ リス トの 中 に簡 び」 む む ゆ くコ
五 節 なる愛 を以 て といふ語 は原語 の意 を味ふ に此節 中 に入 るる方至 當 なる
が如 く思 はる
〔神 わ れ ら を し て 愛 を 以 て 潔 く 疵 な か ら し め ん 〕 大 正 繹 で は 、 「或 は 四 の 「潔 く」 の 下 を 「疵 な く愛 に を ら し め ん 為 に 」 とpし 、 五 な る 「愛 を も て 」 を 除 く」 と い う欄 外 註 を つ け て い る 。 1-15 すべて 「是 故 に われ も汝 らが 主 イエ ス を信 ず る こ と と諸 の聖 徒 を愛 す る こ と を聞 て」 すべて 改R 「是 故 に我 も主 イ エ ス に在 る汝 等 の 信 仰 と諸 の聖 徒 に対 す る 愛 を 聞 て」 これ は使 徒 パ ウ ロが獄 中 に在 てエ パ フ ラス そ の他 の信 徒 よ り、 エ ペ ソ 人 の近 況 を伝 聞 し、 か れ らの 愛 との進 歩 せ しこ と に感 じて いへ る な り 故 に旧Aは 原 文 の 意 をあ らはす に不 充 分 な る憾 み あ り(序 文 を参 看 せ よ) 大 正q「 この故 に我 も汝 らが主 イエ ス に対 す る信 仰 と凡 て の聖 徒 に対 す る愛 と を聞 きて」 2・2 省 略 3・ll 「此 は 神 世 々 の 先 よ り定 め た ま ひ し 旨 に循 へ る な り、 こ の 旨 は 我 らの 主 キ リ ス ト ・イ エ ス に 由 て 成 就 せ り」 改 詳 「此 は 世 々 の 光 よ り我 ら の 主 キ リス ト ・イ エ ス に 由 て 定 め た ま ひ し聖 旨 に循 へ り な り」 〔此 は 世 々 の 先 よ り 一Q・ 聖 旨 に循 へ る な り〕 原 書 に は 成 就 の 語 な し故 に 省 く而 し て 其 意 は 神 は 歴 世 の 先 即 ち太 初 よ り ・ … 珍 し く、こ こには誤 植 があ る。 「世 々の先 よ り」 を 「世 々の光 よ り」 と 「先」 と 「光」 とを間違 えてい る。 註釈 の箇所 で は正 しく 「先」 となっているか ら、単 なる誤植 であ ろう。 3・14 「此 に縁 りて 我 らの 主 イエ ス ・キ リス トの父 、即 ち天 と地 に在 る諸 族 が か れ
に 由 て名 を得 し者 の 父 に脆 きて」 改 鐸 「此 故 に我 は天 にあ り地 に あ る全 家 族 の そ の名 を得 る父 の 前 に ひ ざ ま づ きて」 今 の繹 文 には 父 の上 に われ らの主 イエ ス ・キ リス トの とい ふ句 あ れ ど も確 か な る古 代 の爲 本 に見 え ざ れ ば之 を省 きて改pす 大 正 課 「こ の故 に我 は 天 と地 と に在 る諸 族 の 名 の 起 る と こ ろ の 父 に脆 づ き て」 「諸族」 に 「或は 「全家」 と課す」 という欄外注がつけられている。 3・18-19、5・13省 略 5・15 「然 ば汝 等 つ つ しみ て行 を堅 くす べ し、 智 らざ る者 の ご と くせ ず 智 者 の 如 く し」 改 言睾 「な ん じ ら心 して其 歩 を慎 め 、 智 ら ざ る云 々」 本 書 の 中 に歩 の 字 を用 ふ る こ と此 節 と と もに七 回 に及 ぶ[引 用 箇所 省 略 筆 者]原 書 歩 とあ る を現 諜 多 くは行 の字 を當 た り、歩 を慎 む こ と の 緊 要 に して重 をお け る を知 るべ し」 大 正 言睾 「され ば慎 み て そ の 歩 む とこ ろ に 心 せ よ、 智 か らぬ者 の如 くせ ず 、智 き者 の如 く し」 5・16、18 省 略 以 上 の点 か ら 『エ ペ ソ書 』 につ い て 言 え る こ とは 、 フ ォス が 、 明 らか に こ の書 の 註 釈 に重 点 を置 い た こ とで あ る 。彼 の改 訳 の箇 所 が 、エ ペ ソ書全 体155 節 の う ち の9節 に過 ぎ な い こ と を見 れ ば 、彼 が 、 明 治訳 の 改 訳 を 目指 して い た とは考 え られ な い で あ ろ う。 したが っ て、 大 正 訳 との 関係 につ い て云 々 す る こ とは で きな い 。 『コ ロサ イ 書 』 につ い て の 詳 しい考 察 は、 稿 を改 め る ほか は な い が 、 『エ ペ ソ書 』 に比 べ て 、 ほ とん ど、 各 節 ご とに 「改 課 」 が掲 げ られ て い る 。 しか し なが ら、 一見 した と こ ろ、 そ れ が 、 そ の ま ま 『大 正言睾』 に採 用 され て い る箇
所が多 い とは思 え ない。
先 ほ ど述べ た「
使徒 書 ・福 音書 翻訳 改正草案 見本」
が 第 八 総 会 に提 出 され た の は1905年 で あ る が 、 そ の 訳 文 は次 の よ う に な っ て い る。 「汝 等 キ リス トと ・もに甦 ら され た れ ば、 上 に在 る もの を求 め よ。 キ リ ス ト彼 庭 にて 神 の右 に座 し給 ふ な り。 汝等 上 に あ る もの を思 へ 、 地 に あ る もの を思 ふ な、汝 等 は さ きに死 た り、斯 て そ の生 命 は キ リス トと}に 神 の うち に蔵 れ あ る な り。 我 等 の 生命 な る キ リス トの 現 れ給 ふ と き、 汝 いんこう ら も栄 光 を もて 共 に現 れ ん。 この故 に 、汝 ら地 にあ る髄 の肢 な る淫 行 、 むさぼり け が れ 汚繊 、 悪情 、 邪 慾 、 お よび貧 禁 を殺 せ 、 む さぼ りは偶 像 に つ か ふ る と殊 な る こ とな し。 これ らの 事 に よ りて 、 神 の怒 は 反逆 の子 に 臨 む な り。 汝 ながらひ ら も前 に そ の な か に 、 生 存 し と き は 、 同 く こ れ を行 へ り。」 こ れ に対 し、1912年 に 出版 さ れ て い る フ ォ ス の 『寄 羅 西 書 註 繹 』 の 訳 文 は 、 下 記 の 通 りで あ る 。 ・ なんじら 「爾 曹 キ リス トと借 に甦 らせ られ た れ ば 、上 に あ る もの を求 め よ、 キ リ ス ト彼Jam.にて 神 の右 に座 し給 ふ な り。 上 にあ る もの を念 へ 、 地 にあ る も の を念 ふ な 、 爾 等 は前 に死 に た り、斯 て其 生 命 は キ リス トと楷 に神 の 中 に蔵 れ あ る な り。 我 等 の 生命 なる キ リス トの 顕 れ給 ふ と き、 爾 等 も栄 光 いんこうをくわいを もて楷 に顕 はれん。是故 に爾等地 にあ る膿 の肢 な る淫行 汚椴邪情 悪 慾
むさぼ り つか むさぼり 及 樫 貧 を殺 せ 、樫 貧 は偶 像 に事 ふ る と異 な る こ とな し。 此 等 の事 に 由 り て 、神 の怒 叛 逆 の子 に臨 む な り。爾 等 も婁 に其 中 に なが らひ し時 は、 同 じ く之 を行 へ り」 次 の大 正 訳 に比 べ る と、 明 らか に フ ォス 訳 は、 面 倒 を避 け て 、 明 治訳 は掲 げ な か った が 、明 治 訳 に近 く、 「改 正 草 案」 の ほ うが 「大 正 訳 」 に近 い 。 した が っ て、 彼 の註 釈 書 の 原 稿 は 、1905年 の 「翻 訳 改 正 草 案 」 以 前 に完 成 して い た もの と考 え られ る。 汝 等 も しキ リス と共 に甦 へ らせ られ しな らば 、上 に あ る もの を求 め よ、キ リス ト彼 庭 に在 りて神 の 右 に座 し給 ふ な り。 汝 ら上 に あ る もの を念 ひ、 地 に在 る もの を念 ふ な、 汝 らは 死 に た る 者 に し て其 の 生 命 は キ リス ト と ・も に神 の 中 に隠 れ在 れ ば な り。 我 らの 生命 な る キ リス トの 現 れ給 ふ と き、 汝 ら も之 と ・も に栄 光 の うち に現 れ ん。 され ば地 にあ る肢 艦 、 す け が れ むさぼ り むさぼ り な は ち淫 行 ・汚 臓 ・情 慾 ・悪 慾 、 また樫 貧 を殺 せ 、樫 貧 は偶 像 崇 拝 な り。 神 の怒 は 、 これ らの 事 に よ りて不 従 順 の子 らに来 る な り。 汝 ら も斯 る人 の 中 に 日 を送 り し時 は 、 これ らの 悪 しき事 に歩 め り。 したが っ て、 コ ロサ イ書 で の彼 の改 訳 は、 そ の ま ま大 正 訳 に は生 か さ れ る こ とは な か っ た とい う結 論 に達 せ ざ る を得 な い 。 「コ ロサ イ書 」 に付 され て い る 「ピ レモ ン書 」 の場 合 に は 、 ほ とん ど フ オス に よ る改 訳 が 記 され て お らず 、 明 治 訳 が そ の ま ま テ キ ス トと して用 い られて い る こ とか ら も、 出版 年 の順 序 に もか か わ らず 、 「改 正 草 案 」 よ り も古 い と断 ぜ ざ る を得 な い。 そ れ よ りは、 む しろ 、 ヨハ ネ福 音 書 と関係 の あ る 『使 徒 ヨハ ネ諸 書 翰 註 繹 』 を検 討 す る ほ うが 良 い か も しれ な い 。 「ヨハ ネの 第 一 の書 」1章4節 以 下 の み を掲 げ てお く。 改課 「此 等 の事 を書 き贈 る は我 らの 喜悦 を充 しめ ん とて な り。 我 ら彼 よ り おとつれ 聞 きて亦 な ん ぢ ら に傳 ふ る音 信 は是 な り、 即 ち神 は光 に して少 しの暗 と も いつわ き所 な し。 我 ら も し神 と同 心 な りと言 ひ て 暗 を歩 ま ば 我 等 は 読 りて ま こ と 真 理 を行 は ざ る な り。 大 正a「 此 等 の こ と を書 き贈 る は、 我 らの喜 悦 の満 ち ん為 な り。 我 らが彼 よ り聞 きて 、 ま た 汝 ら に告 ぐる音 信 は是 な り。 即 ち神 は 光 に して 少 しの 暗 き所 な し。 も し神 と交 際 あ りと言 ひ て 暗 き うち を歩 まば、 我 ら偽 り まこ と て真 理 を行 は ざ る な り。」 この 一 例 を もっ て 、 全 体 を論 じる こ とは避 け ね ば な らな いが 、 両訳 の 親 近 性 を推 察 す る こ とは容 易 で あ ろ う。 お そ ら く、 この書 簡 に 関 して は、 フ ォス が 関 与 した可 能 性 は高 い と考 え られ る。
以上 、 見 て きた とこ ろ か ら、彼 が松 山幸 吉 と と もに 「ヨハ ネ福 音 書」 の 大 正 訳 に関 わ っ た こ とは 、資 料 的 に見 て 明 らかで あ るが 、 書 簡 に関 して は 、 ど の書 簡 の 翻 訳 を担 当 した の か は 、分 か らな い。 しか しなが ら、彼 が 、 日本 人 の た め に新 しい 聖書 の 訳 を試 み 、 さ らに、 その 註 釈 を刊 行 した こ とは、 記 憶 され るべ きだ と考 え る。 た しか に、彼 の 先 輩 の 学 者 た ち が 書 い た 本格 的 な註 釈 書 の よ うに、 ギ リシ ア語 の テ キ ス トも掲 げず 、 きわ め て簡 便 な もの で あ る こ とは 、 否 定 で きない が 、 日本 人 の た め に、公 務 の多 忙 さに もか か わ らず 、 多 くの註 釈 書 を著二した こ とは、 日本 の教 会 に とっ て大 きな足 跡 で あ る。 そ し て 、 そ の足 跡 の 第 一歩 は 、彼 が カナ ダの 大 学 の 古 典 学 教 授 へ の誘 い を受 け ず 、 「日本 に行 こ う」 と閃 い た若 き 日の朝 にあ るの で は な い だ ろ うか 。
註
(1)"Memoirs of Hugb James FQss"1994年 『松 蔭 女 子 学 院 史 料 』 第1集(英 文)、 本 論 で は そ の 翻 訳 『ヒ ュ ー ・ジ ェ イ ム ズ ・フ ォス 回 想 録 』1995年 『松 蔭 女 子 学 院 史 料 』 第2集 を使 用 した 。 こ の 回 想 録 は 出 版 さ れ る こ と な く、 家 族 の 間 で の み 愛 読 さ れ て い た タ イ プ打 ち の 原 稿 で あ り、何 時 、 書 か れ た もの か 判 明 しな い が 、 文 中 に1彼 は 現 在 (1929年)に い た る ま で 」(51頁)「 現 在(1929年)で は 」(97頁)と い う 表 現 が あ る の で 、 彼 の 死(1932年)の 数 年 前 で あ る こ と は 明 ら か で あ る 。 しか し 、 こ の 回 想 は 、 き わ め て 詳 細 で あ り、 長 年 に わ た っ て 、 書 き た め ら れ て い た 可 能 性 も あ る 。 ・ ②2004年 度 、 フ ォ ス が 学 ん だ ケ ン ブ リ ッ ジ 大 学 で 研 究 活 動 を さ れ て い た 本 大 学 の 山 田 道 夫 教 授 に 、 大 学 図 書 館 や 古 書 店 で の 探 索 を 依 頼 し た が 、 そ の 他 の 書 を 含 め て 、 彼 に よ る 著 書 は 皆 無 と の こ と で あ っ た 。 (3) 『日本 聖 書 協 会 一 二 五 年 史 』(日 本 聖 書 協 会 、2001年)の 記 載 順 に 彼 ら の 略 歴 を 掲 げ て お こ う(但 し 、 フ ォ ス は 除 く)。 『日 本 キ リ ス ト教 歴 史 事 典 』 『キ リ ス ト教 事 典 』 に よ る 。 D.C.Greene(1843-1913)ア メ リ カ ン ・ボ ー ド最 初 の 宣 教 師 と して1869(明 治2年) 来 日 、74年 摂 津 第 一 公 会 を 設 立 。 同 年 聖 書 翻 訳 委 員 と な っ て 横 浜 に 移 り、 新 約 聖 書 の 翻 訳 に 従 事(80年 完 成 〉、81年 よ り同 志 社 英 学 校 教 授 。90年 よ り東 京 に 定 住 し て 、 葉 山 で 没 す 。 D.W⊥eamed(1848一 ユ943) ア メ リ カ ン ・ボ ー ド宣 教 師 1875(明 治8)年 来 日 草 創 期 の 同 志 社 の 教 育 に 尽 力 。1928年 帰 国 。1886-1908年 に わ た っ て 、 新 約 聖 書 全 巻 の 注 解 書 を 刊 行 。 全 巻 の もの と し て は 最 古 で あ る 。 藤 井 寅 一 1870(明 治3>年 一1917(大 正7)年 熊 本 生 ま れ 大 阪 三 一 神 学 校 に 学
び 、 聖 公 会 の 牧 師 で あ っ た がi新 神 学 の 影 響 を 受 け て 、教 職 に 転 じ る 。1889(明 治22>` 年 よ り、 長 崎 鎮 西 学 院 、 大 阪 桃 山 高 等 英 語 学 校 、 同 志 社 な ど で 、 主 と して 、 国 漢 の 教 師 を 務 め た 。 ギ リ シ ア 語 に も堪 能 で 、 委 員 に え ら ば れ た 。12年 九 州 学 院 に 招 か れ た 。 松 山 高 吉 1847(弘 化3)年 一193年 新 潟 県 生 ま れ 1874年 摂 津 第___.公会 神 戸 教 会 の 初 代 受 洗 者 同 教 会 の 牧 師 80・-84年 を初 め 、 平 安 教 会 、 同 志 社 の 社 長 代 理 (1906-07>を 勤 め た 。 こ の 間 、神 戸 女 学 院A同 志 社 、 平 安 女 学 院(1896-・1909)で 教 師 を務 め た 。平 安 女 学 院 に 就 任 し た 際 、聖 公 会 に 転 会 。聖 公 会 の 「古 今 聖 歌 集 」(1900 -01)「 改 訂 古 今 聖 歌 集 」(1914-22)、 「聖 公 会 祈 祷 書 」(1899)に も参 加 。 「新 約 聖 書 」 (1874-79)「 旧 約 聖 書 」(1884-87)に も参 加 して い る 。 C.S.Davison(1877一 ユ920) ア メ リ カ ・メ ソ ジ ス ト監 督 教 会 最 初 の 宣 教 師1.C Denisonの 長 男 と して 長 崎 に生 ま れ 、 後 ユ903-18年 日本 で 奉 仕 した 。 別 所 梅 之 助(1871-1945)東 京 生 ま れ 。 青 山 学 院 神 学 部 卒 業 後 、 メ ソ ジ ス ト教 会 の 牧 師 と して 、 豊 岡 、 川 越 で 伝 道 。 後 に 青 山 学 院 教 授 。 讃 美 歌 の 編 集 に も参 加 し て い る 。 J.Dunlop(1867-1932) カ ナ ダ 出 身 、1885(明 治18)年 来 日 日本 メ ソ ジ ス ト教 会 (カ ナ ダ ・メ ソ ジ ス ト教 会)に 属 し、 長 野 、 静 岡 、 東 京 ・本 郷 中 央 会 堂 、 高 田 、 金 沢 、 福 井 、 津 で 伝 道 、 軽 井 沢 で 死 去 。 C.K.Harrington(1858-1920) ア メ リ カ ・バ プ テ ス ト教 会 宣 教 師 1886(明 治19) 年 来 日。 横 浜 バ プ テ ス ト神 学 校(関 東 学 院)の 旧 約 学 教 授1911-16年 改 訳 委 員 、 完 成 後16年 に 帰 国 。 川 添 万 寿 得 187-一 一1938 高 知 県 生 ま れ 明 治 学 院 神 学 部 卒 業 後 長 野 佐 久 で 伝 道 、 1902-05年 オ ー バ ン神 学 校 に 留 学 。 帰 国 後 、 東 京(こ の 間 、 「福 音 新 報 」 の 編 集 に 関 与 し 、 植 村 正 久 に 師 事)長 崎 、 大 阪 で 牧 会 。17年 か ら 青 山 教 会 の 牧 師 。 明 治 学 院 神 学 部 長 、 日本 神 学 校 校 長 兼 教 授 。 (4)原 則 が い か な る も の で あ っ た か 、 松 山 高 吉 の 『聖 書 改 訳 に つ き卑 見 』 と い う 覚 え 書 を 掲 げ て お く。 田 中 豊 次 郎 著 『聖 書 和 訳 の 話 』 か ら の 引 用 と し て 『日本 聖 書 協 会 一 〇 〇 年 史 』(日 本 聖 書 協 会 、1975年)に 記 さ れ て い る 。83頁 以 下 。 一 、 文 体 は 平 易 通 俗 ニ シ テ ロ 語 二 近 カ ラ シ ム ル 事 一 、 用 語 ハ 新 旧 ヲ 問 ハ ズ 広 ク 通 ジ 易 キ ヲ トリ而 モ 卑 シ カ ラ ヌ 者 ヲ択 プ 事 漢 語 タ リ ト モ ー 般 二 知 ラ レ タ ル 者 ニ シ テ 卑 シ カ ラ ズ 、 稜 々 シ カ ラ ヌ ハ 用 ヰ テ 可 ナ ル ベ シ 、 邦 語 ノ通 ジ 難 キ 死 語 ヨ リハ 中 々 二 勝 ラ ン ー 、 文 章 言 辞 ハ 勉 メ テ 普 通 平 易 ヲ取 リ、 信 屈 贅 牙 ヲ 避 ク ト難 モ 鄙 俗 二 陥 ラ ズ 正 確 ヲ失 ハ ズ シ テ 荘 厳 ヲ保 ツ コ ト ー 、 神 及 ビ 基 督 ニ ハ 敬 語 ヲ用 ヒ 、 其 他 モ 詞 遣 二 意 ヲ用 ヰ テ 、 オ ノ ズ カ ラ 尊 卑 正 邪 読 ム 者 聞 ク 者 二 弁 ヘ シ ム ル 事 一 、 か れ 、 な ん じ等 ノ代 名 詞 ハ ナ ル ベ ク 略 シ 、 殊 二 至 尊 二 対 シ テ ハ 之 二 代 ル ニ 別 二 敬 意 ヲ失 ハ ザ ル 語 ヲ用 ヰ ル 事 一 、 訳 語 ニ ア ラ ズ シ テ 翻 訳 タ ル ベ ク 、 日本 語 ノ他 国 文 ナ ラ ズ シ テ 日本 語 ノ 日本 文 タ ル