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明治期における、中国小説字典について

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Academic year: 2021

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(199) 明治期における 中国小説字典について 鳥居久靖 本稿は本年10月31日金沢大会に於て発表した、「秋水園主人『小説字彙』 について」の後半である。前半は別に草した「秋水園主人『小説字彙』 をめぐって」(天理大学学報 第16輯、54、12月)を参着していただけ れば幸いである。 江戸の中期に隆盛をきわめた中国 俗文学愛好の風潮は、末期になるに ともない次第に衰退の徴を示し、明 治に入ると、世はいわゆる文明開化 の波に流われて、一そうそれに拍車 をかけたかに見えるが、江戸以来の 永い伝統が、にわかに地を拂うはす はなく、地下水の如く目立ちはしな かったが、有力に継続された。それ は、この期に刊行された中国俗文学 の翻訳書などを一瞥しても旨肯され るところである。江戸期に岡嶋冠山 らによって鼓吹せられた原典による 俗文学の消化ということも、江戸の 隆盛には比すべきもないにせよ、そ の伝統は依然として絶えなかったこ とは、この時代に、小説戯曲解読の 目的をもって編まれたいくつかの評 書が刊行されたことでもわかる。本 稿は、それらの辞書の二三について 紹介するのが目的である。 明治期に刊行された中国小説字書 と銘うつもの、ないしはそれに準ず るもので、主なものに次の三種があ は約九分の入りでざっと三百名。胸 に純白の大きなバラを飾った審査勇 (出場校から各一名計十三名、外に 中国人二名)が慎重な面接で最前列 に席を占める。大した野次も拍手も なく、しかし終止固唾を呑んで、午 后二時半終る。 日本人審査勇代表竹田〓敎授より 「概して逐年成績は向上しているが 思想と表現が一致していない。原稿 を〓誦しているといった感じのが多 いこと、有気と無気、〓音と〓音の 区別、四声、極端な濁音等基本的な 誤謬が少くなかった」という要旨の 講評があったが、中国人審査勇の神 戸中華同文学校の李万之校長からは、 「私が第一回と第二回の大会に審査 員をした時よりは、ずっと上手にな っていて、中国人である私の方が恥 しい位であう。それから、演説内容が 当時に比較して、ずっと〓れて進歩 的になったことは日中友好の前進の ためにも嬉しい」と注目すべき発言 があった。小憩の後、成績発表、団 体第一位東京外大、第二位神戸外大、 第三位愛知大、個人成績は五位まで 永見(神外)岸(東外)青山(東外) 白石(明大)鷲見(愛大)君の順で、 一・二位共に女子学生が獲得した。 終了後の懇談会の席上、入〓者の 何れもがテープ・コーダーで練習し ましたというのが、参列者を大きく 首肯させた。本席上、来年度の当番 校を審議したが、(P.20につづく) (11)

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(200) る。 雅俗漢語訳解 市川清流修纂 明治11年10月(1878)刊 支那小説字林 柔野顧柳纂輯 明治43年(1910)刊 (上記のほか石崎又造氏の支那俗 語文学史には支那小説・訓解二冊 東〓義型、明治31~33年が見えて いるが筆者未見である) 雅俗漢語訳解(以下「訳解」と略 称する)は、すぐに知られているよ うに沢田一斎の編に擬せられる伝鈔 本俗語解を市川清流が校訂して成っ たもので、京大東洋史研究室覆印本 の解題のうちで入矢義髙氏が、その 大要を述べておられるので今あらた めて紹介の筆を執らない。市川氏の 労によって、われわれは従来容易に 見ることのできなかった俗語解の全 貌をうかゞい得るようになったので あって、編者の労を夛としなければ ならないが、伝鈔本の常として俗語 解には、いくつかの異本があり、テ キストによっては「訳解」と夛少の 結果の出入あることは注意しなけれ ばならない。今手許にある京都大学 人文科学研究所〓本俗語解と「訳解」 とを比較してみても、「一」字部で 俗語解に見え「訳解」に見えぬもの は、一味・一時・一行・一回・一様 以下23語、「不」字では、不住・不 可頼・不在家の3語があり、逆に俗 に俗語解に見えず「訳解」にのみあ る語は、「一」部では一閧・一哄・ 一上・一下・一項以下53語、「不」 では不利諾不托・不敬・不要以下14 語がある(もっともこの際京大本俗 語解は、かなり漏脱の夛い粗本であ ることも考慮に入れておく必要があ る。がしかし「一」「不」字などは 筆者のみたところでは漏脱は少いよ うである。正確なところは上野図書 館蔵本によらねばならない)。これ は俗語解の他のテクストと比較して も当然予想されるところであるが、 上の例でもわかるように、市川氏の 「訳解」は、なまなかの俗語解テク ストよりも、はるかに充実したもの である。 京大本俗語解は、その祖漏は別と して、收裁された語彙の範囲では比 較的原本に近いものと考えられる根 拠があるから、上に見たような語彙 の増加は、「訳解」の編者が使用し たテキスト(編者は二種のテクスト を底本としたと言う--「誤解」附 言参照)は、後人の補筆本であった ことがわかる。 この後人補筆と目される語彙ども を一見して直ちに気ずくことは、例 の秋水園主人の「小説字彙」(以下 「字彙」と略称)の語彙と同じもの がいくつかあるということである。 これを仔細に検すると増補語「一」 字53語中3語を数える。これらは釈 義もまったく一致するから「字彙」 (12)

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(201) から採られたことは明かである。さ らに細く見ていけば「訳解」一斉の 註釈中に引く「一斉出馬」の語、同 じく一頓に引く「一頓飯」の語、一 陣に引く「一陣風捲雲吃了〓淨〓」 の語、一問に附す「一度にどっとわ めく」の解、などは、いずれ「字彙」 からの〓用である。こうした「字彙」 の〓用は「訳解」全書を通すれば約 1000語にも及ぶであろうと筆者は 推定している。われわれは「字彙」 の類書に及ぼした影響の大いさを、 こゝでも再認識せざるを得まい。ち なみに「訳解」の收載語彙はさっと 9000であるから、それから「字彙」 からの援用語を差引いた8000が、 原本俗語解の總語数と見て大差はな いであろう。 小説字林一巻は桑野鋭の編。版枚 免許の日付は明治十四年四月十九日 となっているが、上柞されたのは明 治十七年(1884)である。そして十 年後の明治二十七年(1849)再版、 さらに明治三十九年(1906)と版を 重ねている。初版本は筆者未見であ るから、今明治二十七年の再版本に よってその大略を記す。 本書袖珍型一冊。書名を支那小説 字林(以下「字林」と略称)という。 見返しは中央に小説字林全と大書、 左に一名支那俗語集と副題を附し、 右に三木愛花序・桑野〓〓〓と並著、 その下に再版の文字を入れ、書名の 左に東京九春堂藏板と署す。奥付に よれば再版の日は明治二十七年二月 五日、発行所は東京都麹町区有楽町 二丁目三番地九春堂。 〓に三木愛花の序三丁、凡例四丁、 目次十六丁、そして本文二百十六丁 から成る。この体裁はまったく「字 彙」にならったもので、この字書が 「字彙」の影響下に成ったものであ ることを、すでに露呈している。 *三十九年版は表紙を支那俗語小説字 林全とし、見返しは中央に支那俗語 小説字林、右に桑野鋭〓〓、左 に東京書林文永堂梓と署す。奥 付によれば求版は明治三十九年 八月二日、発行者は東京都神田 区二丁目六番地文永堂武田伝右 エ門。内容は序、凡例、目次、 本文ともまったく九春堂版と同 じ、住また九春堂の文字を残し ている。おそらく文永堂が板〓 をゆずり受けて版行したもので あろう。 本書の序を草した三木愛花は本名 貞一、文久元年(1861)四月五日、 上總山武郡大綱に生る。青年時代田 中従吾〓について漢学を学び、のち 新聞界に入り明治中期から大正にか けて記者としてはなばなしく活躍、 また相撲通をもって知られる。昭和 八年(1933)二月六日、東京西品川 に歿、年七十三。日本相撲史ほか多 くの著者がある。 編者桑野鋭については、号を顧柳 といゝ福岡県の士族という以外知る (13)

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(202) ところがない。 本書編纂の意図および内容は、書 名によってすでに明らかであるが、 試に編者の凡例を見ると、その第一 則に、此書は支那の小説を学び新聞 を読み若くは俗語を訳する〓の 爲めに熟字助字及虚字等を〓〓して 其音訳を附し画引*伊呂波引の二様に 分て専ら考察に便上す(原文は片カ ナ)とある。 *本書の伊呂波引については、凡 例に、訳によって其字を求むる には伊呂波引を以てすれば必其 字を得ずと云ふ事なし、と記さ れ、本書のほかに今日の日華辞 書式のものもあるように言われ ているが実際は無い模様である。 本書は体裁を「字〓」にならう總 画引の辞書であること前に触れたと おりであるが、語数は「字〓」より もニチ語を増加し、計六六二九語、 後述する藤井〓〓の小説辞〓よりも 多い。收載語数から見れば本書はか なりの労作と申してよい。 本書の釈義は、見出語の下に二行 に割書きし、簡潔で出典は一切附さ ない。これについて編者は「我今一 々字書の訓話を挙て其釈義を明瞭に せんと欲するも〓数の〓まんことを 恐れて之を略」したとことわってい る。 編者は、本書の修纂を、一見自ら の手になるものの如く擬してはいる が、実は「字〓」から〓数の語を〓 いでいることは、本書をざっと見た だけでもわかる。これを少しく仔細 に検してみよう。 一画から三画までの両者の語数お よび両者に互見する語数は次表の如 くである。 (14)

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(203) 上の表で判用するように一画から 三角までの「字彙」總語数二九〇、 「字林」總語数四一二のうち、互見 するのもの実に二七八語。しかしてその 釈義は両者まったく一致するか、 大同であるから、右二八七語のすべ てが、「字彙」から採られたものと、 断じて差支えない。かくて「字林」 全書では「字彙」からの借用語実に 四五六三を数え、これは「字林」總 語数の六九%弱に当る。「字林」は、 その語の大半を「字彙」に仰いで成 ったのであり、これを「字彙」から 見れば、自己の總語数四六〇〇の、 ほとんどすべてを挙げて「字林」に 供給したことになる。こゝに於てわ れわれは、編者の、我今一々字書の 訓語を挙げ基〓義を明瞭にせんとす る〓するも云々の語は、実は編者の 単なるはったりであることを知る。 しかもこのことはすら「字彙」の、 今毎字の下字書の訓語を挙て其訳義 を明すべけれども、然るときは紙〓 〓し、巾箱の小冊子に收めかたく云 々のことばを、装ったものであるこ とを知るとき、いよいよ失笑を禁じ 得ないものがある。 では「字林」の編者は「字彙」の 援用に際して忠実であったかどうか。 それを少し検してみよう。 「字林」はだいたいにおいて「字 彙」をそのまゝ装っているが、特に 見出語や釈義に夛少の変改を施した ものがある。見出語をあらためた例 (先に挙げるのは「字彙」の語) ・〓々的敲→々的116ウ ・歸 〓→蝶〓不定 190ウ ・提撥→提撥 人象140オ ・停回→停回佳了126 オ ・恭〓→恭〓恭喜114戈 ・慨 爽→慨爽人180ウ ・皇帝上位的糾 →皇帝上位的89ウ ・検一箇空→ 検一箇空出来193ウ ・長算短筆画 →長算短画69ウ ・症子掌黄枝→ 症子掌黄坂苦握了 150戈 ・目酸酸 的笑了→眼酸酸的117ウ……(下略) 右に伴い語釈をいくらか改められ たものもあるが概して大同である。 次に語釈を増補した例(丁数のはじ めの方は「字彙」、後のは「字林」。 以下これにならう。おのの語釈は煩 をいとうて省略にしたがう) (15)

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(204) 保山41ウ・85ウ 〓〓93ウ 〓〓93ウ・204戈 発皮90戈 184戈 眉花眼笑 46戈 84ウ 〓君 52戈 98ウ……(下略) この例は全書を通じ五十例を下ら ぬ。中には保山(なかふとする→な こうど)のように釈義を訂正したも のもあるが、多くは溌皮(あばれも の→はっつけ)のように用語をい換え もしくは〓撥不開(仕やうにあぐむ →仕方にあぐむ又ひるはござらぬ) 眉〓眼笑(えしゃくする事→えしゃ くこぼして又えしゃくする)のよう に小鼻の疑義を附加えたものが大部 分で編者の創見は少い。 これとは逆に「字彙」がせっかく 光えた詳細な説明を簡略してしまっ たものがある。たとえば*台57戈・ 127ウの如き。「字彙」はこの語に 関して等、杖の区別にも言及するが、 「字林」は単にむちうつとのみ釈す。骨 牌50ウ・104戈、頂58戈・127ウ 〓濁99ウ・205ウなど同断である。 これは語釈の簡単を避けるという字 林編者の主旨に出るものであるかも 知れないが、どうせ「字彙」を借用 するなら、こうしたものもそのまゝ 借用したらどうであろう。 *「字彙」はこれを〓に誤り「字 林」また襲う。 *両者とも「〓」に誤る。 「字彙」に少からぬ誤字のあるこ とは前稿で指摘したが「字林」はそ れらを少しく訂正している。たとえば 〓回来・〓遷・〓喜・〓101 ウ 梗刀手・梗両把力・梗科・梗燈也 似67ウ→梗1477 〓〓82ウ→〓〓166ウ の如き。 以上は「字林」が「字彙」にいく らかプラスする点を挙げたのである が、どちらかといえば本書はむしろ マイナスする〓の方が多い。「字彙」 の項で、〓書の欠陥の主なものとし て、無意味な重出語の多いこと、見 出語に誤字脱字の多いこと、を指摘 しておいたが、「字林」は、その欠 陥のほとんどをそのまゝ襲っている。 前者の例として擬唇欺〓・擬唇欺〓 2147 原擬95ウ・厚疑111戈(厚 疑の誤り)の如きを看破し得ずして そのまゝ採ったのはまだしも、親字 皮を四・五画に重出することまで まねているのは困りものである*。 *まれに「字彙」が三ヶ所に出し た破確子を一ヶ所にもとめたよ うな例もないではない。また柎 87ウ・〓134ウ・〓分子 145戈 闘分子208ウ・市場161ウ 開 場186戈の如き異体字による重 出も、もちろん「字彙」そのま ゝであるが、この種類のものは、 とがむべきでないこと前稿で述 べたとおりである。 次に誤字脱字。これも先に指摘し たような若干の訂正以外は、まった (16)

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(205) く「字彙」そのまゝと言ってよく、 悪いことには更なる誤字を追加して いることである。次にそのいくつかを 指摘しよう。 徒なる紙〓を〓すことは、この辺 できりあげよう。右でもわかるよう に編者栗野鋭は、中国俗語について の素養はきはめて乏しいと断じてよ く、そうした編者が、小説俗語の辞 典の編纂を志すに至った契機につい ては、これを明らかにし得ないのは遺 憾であるが、憶測をゆるされるならば、 あるいは父祖などのうちに漢字を好 む者があり(現に幕末の〓〓前に桑 野という一族があり、代々漢字を好 くしたという記録がある。が鋭との 関係は明らかでない)その影響を受け たのではないか。 之を要するに、「字林」の編者は、 「字彙」の編者秋水園が、中〓俗語 〓から大半の語を採って一書を成し た如く、「字彙」の語のほとんどす べてを採り、それに自らの見〓とお ぼしき二千なにがしの語を加えて一 書を編んだのである。したがって本 書の価値は、この二千余語によって 判定されるわけであり、それについ ては、また述べる機会があろう。 (未完) 杜撰 高橋君平 淸趙翼は〓餘〓考巻四十三でこの 詞の由来を〓べている。 宗の稗史に「杜黙爲侍、多少合律 故世〓不合格者曰杜撰」とあるが この記はまちがっている。というの は湘山野錦に「盛文画度撥張文節神 追碑石参政中立問誰撥、文粛率然対 日度撥、満〓皆笑」とあるが文粛は 杜黙の前であるから杜黙から始まっ たとは云えない。呂藍行の言〓は「 道家經懺倶杜光庭〓撥、多虚誕、故 云杜撰」といっているのも誤りだ。 沈作語の寓簡「漢用何喜易、言易者 本田何、何以斉諸田従杜慶、號杜田、 或日杜園、〓本比、〓当時議何之易 学無所師承所云然耶」云々。以上が 杜選ということばの由来である。杜 園というのは杜田から転じたのだろ う。宗の孔文仲の対策に「可爲痛哭 太息」という語があるので世人が「 杜園の〓〓」と謂ったというのが〓 (17)

参照

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