後入先出法の立法
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(2) 第48巻. 第2号. さらに, 株主への配当に影響し, 会計報告書の内容に作用してくることになるのである。 しかも業種によっては価格変動が棚卸資産の評価に大きく影響し, 後入先出法を認めるか 否かで企業の存続さえも危ぶ まれるところがあった。 このことがいっそう後入先出法の受 容の問題を複雑にしたのである。 後入先出法をめぐって. 人間, 企業, 政府の力関係が生 まれるのである。 そこには「コ ントロ ー ル(支配力) contorol, 影響力 influence, 権力 power, 権威 authority をふく む人間関係の持続的なパタ. ー. ン」11) がある。 後入先出法は棚卸資産の評価方法の一 つにす. ぎないが, その成立過程の研究は政治分析にほかならないのである。 本稿は Congressional Record によって, アメリカの議会で後入先出法が立法化して いった過程をたどり, その成立の政治的背景を明らかにしたい。. II .. 1918年の歳入法と棚卸資産の評価方法. 後入先出法を法人所得計算に初めて取り入れたのは193 8年の歳入法である。 アメリカの 議会が後入先出法をどういう経緯で承認するに到ったか。 このことに立ち入る前に, それ 以前の歳入法における棚卸資産評価をみることにしよう。 20世紀初頭のアメリカの所得税法は, 課税所得の計算において現金主義をとっていた。 従って, 棚卸資産の期末棚卸高を考慮しない。 それ故にそもそも棚卸資産の評価問題は生 じないのである。 ところが1909年になると, 歳入局長官の定める規則に則って, 棚卸を基 礎とする損益計算を認めるようになった。 現金主義からの離脱がはじ まったのである。 期 末の棚卸高を認めれば, 払出原価は期首棚卸高+当期仕入高一期末棚卸高によって計算す ることになる。 売上収益から払出原価をさし引けば, 所得を計算できることになるのであ る。 アメリカの歳入法に 「棚卸(資産)」という項目があらわれるのは, 19 18年の歳入法が最 初である。 それ までは収人・支出計算が基礎であり, 発生主義という考えがなかったので ある。19 18年の歳入法では, section 212(b)において,「純利益は,納税者の一年の会計期 間を基礎に計算するべきである……」(2)とあり,所得の計算に発生主義の考えをみる。sec tion 203 では.「歳入局長官の意見で, 棚卸が納税者の所得を決めるのに必要な場合には. いつでも. 棚卸は基礎として納税者によって行われるべきである。 長官の許可を得て. 取 (l) Dahl (1991, 4)による。 (2) Revenue Act of 1918. -212 (336)-.
(3) 後入先出法の立法(毛利) 引や営業における最良の会計慣行であり, 所得をはっきりと計算するものと認める」13)と ある。 当然のことながら期末棚卸資産の評価が問題になるが, この評価は先入先出法による評 価であった。 つまり, 取得原価である。 棚卸資産の評価方法として先入先出法を認めてい たことは大事なことである。 歳入法は実際の財の流れに代わるものとして先入先出法を承 認していたのである。 棚卸資産の評価方法は原価であるが. 先入先出法と平均法が最もよ <適用されている。それと同時に, 低価法の適用もこの当時に認められていたのである。 なお, 後入先出法以前の評価方法として基礎在高法がある。基礎在高法については. 1919年に財務省は課税所得の計算に適用することを禁じていた。 また, 1930年に最高裁も. 基礎在高法は基礎金額や基準量を決めるのは恣意的であるとの理由で課税所得の計算に適 用することを禁じていた(41。学説上,後人先出法は基礎在高法が税法上. 否認されて後. そ れに代わる方法として登場したともいわれている。 確かに基礎在高法が後入先出法に先 行する評価方法であるのは事実である。 とはいえ, 後入先出法が基礎在高法から派生した ものであるとは必ずしもいえないのである。. III.. ニュ ー ディ. ー. ルと歳入法. アメリカの議会が棚卸資産の評価方法を取りあげたのは1930年代のことである。 それは ル ー ズヴェルト (Roosevelt, R. D.) の ニ ュ ニ. ュ. ー. ディ. ー. ー. ディ. ル以前, 1929 年10 月24 日, ニ ュ. ー. ー. ヨ. ルが始 まった頃である。. ー. ク証券取引所の株価の大暴落をきっ. かけにして, アメリカ経済は大不況におちいっていった。 第一次世界大戦の終結から11 年 後のことである。 第一次世界大戦後の一時期, 1920年代はヨ ー ロッ パ各国, ことに敗戦国 ドイツはイ ンフレ ー ショ ンに見舞われていた。 戦場となったヨ. ー. ロッ パ が戦後の荒廃から. 復興をめざしている中で, アメリカは戦争による被害もなくモ ー タリゼ ー ショ ンとともに 繁栄を謳歌していたのである。 自動車, 鉄鋼, 石油はその典型的な産業であった。 そうい う時期に, 株価の暴落が起こったのである。 当時のアメリカ大統領は共和党のフ ー ヴァ. ー. ヨ. ー. (Hoover, H. C.) であった15)。1929年 4 月にフ ー ヴァ. ー. は大統領に就任したが, ニ ュ. ー. (3) Revenue Act of 1918. (4) 後入先出法をめぐる成立の事情, また基礎在高法との関係については, 渡辺 (1954) を参照し. た。 後入先出法が登場する以前. 基礎在高法が税法上禁止されていたことは事実である。 しか し, 基礎在高法に代わるものとして. 後入先出法が主張されたわけではないのである。 (5) フ ー バーからル ー ズベルトに到るアメリカの財政政策については平井 (1988) を参照した。 -213 (337)-.
(4) 第48巻 第2 号 ク証券取引所の株価が大暴落し恐慌が始 まったのはそれからわずか 7 ヶ 月後のことであ る。 フ ー ヴァ. ー. は, 第一次世界大戦の経験から経済に対する連邦政府の役割という教訓を学. ぶことができた。アメリカは, 1917年に参戦したものの,戦場はヨ. ー. ロッパであったから,. 戦時物資の供給国としての役割をになっていた。 ところがこうした戦時物資の需要増加 は,ともすれば景気の過熱によるイ ンフレ ー ショ ンを招きかねなかったのである。そこで, 当時のアメリカは戦時物資の供給を企業に任せておくのでなく, 政府に物資の調達の権限 を与えたのである。 こうした政府の活動に対して, 企業は 自発的に協力することによって 責務を果たしたわけである。大事なのは,経済 システムにおいて果たす政府の役割である。 よき経済 システムは企業の 自由な活動に任せておけば達成できるというものではなく, 政 府の導きがあって初めて可能であるとの考えであった。 ここで, フ ー ヴァ. ー. が言いたかっ. たことは, 政府の役割を強調しつつもそれが経済活動において主導的立場になることでは なかった。 あく までも経済活動の主体は民間であり, 政府はその支えにす ぎなかったので ある。 フ ー ヴァ フ ー ヴァ. ー. ー は政府を重視しつつも,. 民間に重きをおいていたのである。 かくして,. が第一次世界大戦の経験から学んだことは, 政府が指揮を執り民間がそれに協. 力するという経済 ・ンステムの考え方であった。 その役割を果たしたのは戦時参謀本部 WIB (War Industries Board) である1610. しかしフ ー ヴァ. ー. は1932年11 月の大統領選挙で敗北したのである。 それと期を一にする. かのように, フ ー ヴァ. ー. が堅持した均衡財政の考え方, また政府活動を制限する思考もそ. れと同時に終わりを告げていった。 1932年 1 月, フ ー ヴァ. ー. に代って民主党のル ー ズヴェルトが第三十二代の大統領に就任. した。 ル ー ズヴェルトは1929年恐慌以降, 病弊しきったアメリカ経済の復興をはかるべく ニュ. ー. ディ. ー. ルを掲げて登場したのである。 ル ー ズヴェルトが行ったニュ. ー. ディ. ー. ル政策. といえば, テネ シ ー 峡谷開発公社 (TVA)のような大規模な開発計画が有名であり, 印象 深い。 もちろんニ ュ はフ ー ヴァ. ー. ー. ディ. ー. ル政策にそうした面があることは事実であるが, 注目すべき. 以来の均衡財政からの離脱であった。 ル ー ズヴェルトが大統領就任の 2ヶ月. 後に立法化した「証券法」 はニ ュ. ー. ディ. ー. ルの産物である。 そしてその 1 年後に「証券取. 引所法」が立法化した。 これらの二つの法律は, 株式発行に際して会計報告を求めた。 そ うした中にあって, 1934年に監視機関としての証券取引委員会 (Securities Exchange. (6) 平井 (1988)による。 -214 (338)-.
(5) 後入先出法の立法(毛利) Commission) を創設したのである。 これらはいずれも ニ ュ. ー. ディ. ー. ルの産物である。. 1933年に大統領に就任して以来, 当初ル ー ズヴェルトの関心は専ら景気回復策に向けら. れていたが, 政府が施策を講ずるためには税収が不可欠であると認識するに及んで, 増税 に移っていった。 ニ ュ. ー. ディ. ー. ルは新しい税制をも生み出していったのである。減価償却. 方法もその一つである。 議会は増税を貫くために減価償却費の削減を求め, 産業界はこれ に反対し, 財務省もこれに同調した。 議会は減価償却費の計上そのものは認めたものの減 価償却方法の選択が税収を減らしていると考えたからである(7)。結局,1934 年の歳入法で, 議会は減価償却方法として定額法のみを認めることとした。 定額法は,. ニ. ュ. ー. ディ. ー. ルの. 増税政策の下で確立したのである。 後入先出法が会計上, 取り上げられ, またアメリカ議会で議論されたのは1936-1942年 のことであるから, やはり ニ ュ. ー. ディ. ー. ル期に相当する。 次に後入先出法がどのような経. 緯を経て議会で取り上げられるようになったかを述べることにする。. IV.. 1936 年の歳入法と留保利益税. 後入先出法が棚卸資産の評価方法として, 初めて公になったのはアメリカ石油協会の提 唱によるものである。 それ まではたとえ実務上, 後入先出法に照応する方法が存在したに せよ, その名称は用いられていない。1934 年 8 月, アメリカ石油協会は,「石油会計の統一 的方法に関する委員会報告」を受け取った。委員会の委員長は. 後入先出法を基礎にした. 石油会社の棚卸資産の決定を承認するよう一致したと. 理事会に申し入れた。 この勧告は 理事会で検討されて, 1934 年11月12 日に次のことを議決した。 その内容は. 委員会が後入 先出法を石油の棚卸資産に対する統 一的評価方法として受け入れること. そして石油の評 価方法として1934 年度に, またできるだけ早く採用するように勧告する, というもので あった181。この中で. 委員会は.. 一. 致して石油会社に後入先出法を承認するよう決議したの. である。 後入先出法という名称はこの時はじめて用いられたのである。 アメリカ石油協会 による後入先出法の提唱は, ル ー ズヴェルト が大統領に就任し, たすぐ翌年のことであった。 ニ ュ ー ディ. ー. ニ. ュ. ー. ディ. ー. ルが始まっ. ルの まっただ中に, 後入先出法が表に出てきた. (7) 宮島 (1972) による。 ル ー ズベルトの租税政策については加藤 (1975) も参照した。 また, 課 税所得の計算にともなう減価償却方法について Smith and Butters (1949), および Grant and Norton (1949) が言及している。 定額法はニュ ー ディ ー ル期に確立した税制といえるであ. ろう。. (8) このことは, Hoffman and Gunders (1970, 184) にある。 -215 (339)-.
(6) 第48巻. 第 2号. のである。 石油製品が他の財と違い, 価格変動の影響を受けやすいことがあるとはいえ, この時期に後入先出法を提唱したことはル ー ズヴェルトのニ ュ. ー. ディ. ー. ル政策と無関係で. はあるまい。 その後, 1936 年には, アメリカ石油協会は 「石油産業にとっての統一的な会 計報告」を公表している(91。そこでは,後入先出法が現在の売上に現在の費用を対応させる 評価方法であると定義した。 こうしたアメリカ石油協会における後入先出法の提唱を受け て, 税法への導入が議論になるのである。後入先出法を立法化する動きが1936 年からアメ リカの議会で始まるのである。 棚卸資産の評価方法が問題となった背景には, ル ー ズヴェルト大統領による増税政策が ある。 1935 年6 月, ル ー ズヴェルト は増税を議会に訴え, 8 月には歳入法を成立させてい る。 この時, 所得税付加税の税率を最高5 9%から75%へ, 不動産税の税率を最高6 0%から 7 0%へ引き上げ, その他, 法人資本税や超過利潤税を引き上げている。 そして新たに累進 の法人所得税や企業間配当への課税を導入している00。 こうした増税の後, ル ー ズヴェルトは翌年の1936 年には新たな増税法案として留保利益 税を導入しようとしたのである。 この留保利益法案は1936 年6 月に議会を通過し法として 成立した。 実は, 後入先出法を歳入法に容認させようとする議論は, この留保利益税の導 入と深く関わっているのである。 「留保利益税」 とはおよそ次のような内容のものである。 留保利益税とは, 利益から配当金を分配した後の所得に対する課税額として定義され る。 会社の税は, 株主への配当に則って所得分配の一部として考えることとなった。 この 規定は二重課税を防止しようとするものであった叱それは,配当の全額と,配当されずに 企業に留保した利益についても課税の対象とするものであった。 宮島 (1972) は, この留保利益税は法人実在説から法人擬制説への転換として位置づけ ているのである。 というのは, 株主への配当にせよ留保利益にせよ株主の所得であること に変わりはないからである。 このことは, 会社にとって利益分配を促進することとなった のである呪 ところで留保利益税は棚卸資産の評価方法に問題を投げかけることになる。 「留保利益 税」 の導入がなぜ棚卸資産の評価方法, ひいては後入先出法の容認に結びつくのかを考え (9) American Petroleum Institute( 1936). 1936年当時のル ー ズベルトの税制については, Blakey (1936), 宮島(1972), 野津(1939) を参照した。 (ID Revenue of 1936. 留保利益税について, 宮島(1972)による詳細な研究がある。 宮島は後入 先出法の出現が留保利益税に拠ることを指摘している。 この指摘は大変重要であり, 示唆される ことが多い。 平井 (1988) も留保利益税に言及している。 u� この考えは宮島(1972)によって. 主張されている。 なお, 加藤(1975)も法人実在説から法 人擬制説への転換について触れている。. UO). -216 ( 340)-.
(7) 後入先出法の立法(毛利) てみよう。 それは単に増税法案だからという理由だけで企業が反対したわけではない。 1936年当時, 業種によっては留保利益税によって, 企業の存続を脅かすほどの影響をこう. むるところがあったからである。 とりわけ留保利益が棚卸資産の評価益を源泉とする企業 は影響が大きかったのである。 当時, 歳入法が認めていた棚卸資産の評価方法は, 先入先出法であった。 棚卸資産の価 格が上昇していく場合には, 棚卸資産評価益という未実現利益が発生するOJ。 未実現利益 は架空利益であるにもかかわらず, 配当として株主に分配するか課税されることになるの である。 皮革産業では棚卸資産が資産総額の半分を占めていた。 しかも, 材料費は製品原価の 65% に及んでいる状況であったのである。 棚卸資産の占める割合が大きい皮革産業や繊維. 産業では, 価格変動の影響を受けやすく, 価格上昇時には利益は大きくなるのである。価 格上昇時に発生した未実現利益を配当するならば, 運転資本が犠牲にならざるを得ない。 原材料を大量にしかも, 長期にかかえこ まなければならない皮革産業は, 価格変動の影響 を受けやすく, 棚卸資産評価益によって課税の重圧に苦し まねばならなかったのである。 留保利益税は課税の負担をいっそう大きくしたのである0�。 棚卸資産の評価問願には, こ うした課税所得の議論が背景にあったことを看過してはならないであろう。 1936年 4 月29 日に, 下院の法案12395が, 下院を通過した。 法案12395は税制改革として. ル ー ズヴェルト が提案した留保利益税を含んでおり, 会社の留保利益に対して課税しよう とするものであった。 この法案は, 1934年の歳入法の全面改正に伴って, 新たにそう入さ れたものである。しかし法案では, 棚卸資産の評価規定のある Section 22(c) に何ら変更 を加えていないoso 法案の公聴会の後, ル ー ズヴェルト大統領は議会による下院の法案の修正を回避するこ とに熱中しなくてはならなかった。 上院の財政委員会では, 留保利益税に反対する雰囲気 が流れていたのである。 メ ンバーの一人はもし委員の採決があれば, 一致結束して改革案 をつぶすと宣言した。 また, 他のメ ンバ ー は, もしル ー ズヴェルト大統領がこの法案を撤 回しないならば委員会での採決に加わらないと息巻いたのである。 財政委員会にプログラ ムを伝達するにあたり,ル ー ズヴェルト 大統領は留保利益税を示唆したのである。しかし, 立法化することを強制したのではない。 立法化を示唆することは大統領の立場からすれば (13) Revenue of 1936. 宮島 (1972) は留保利益税が未実現利益に及ぼす影響について, 特に中小 規模の企業ほど大きかったという。 (14) Revenue Act of 1936 をめぐる議会での Peroubet の証言による。 (15) United States Congressional Record 1936. -217 (341)-.
(8) 第48巻. 第 2号. 特殊なことだったのである。 留保利益税は税制改革OQ にとって必要欠くべからざるものと されたからである。 小規模の企業成長している企業については, 留保利益税の影響は不確実であったのであ る。 このことが議会の委員会における, 歳入法案に対するト ラ プ ルの原因となった。 この 点が明らかでなかったので, 公聴会の参加者は問題点として報告したのである。 そうした ことから, 小規模の企業や成長企業に対する減税や免税が考えられ た りもし たのである。 小企業にとっても, 成長企業にとっても留保利益は会社資本の一部を構成するものであ る。 それ故に, これに税を課すことはこれらの企業にとって大きな負担となるものであっ た。 アメリカ銀行協会 ABA (American Bankers Association) は, 持株会社の純利益が 配当されない利益として処理されるべきことを示唆し た。 これらの会社は, 特定の金額を こえて配当を支払うことを禁じている。 準備金として利用するのである。 1936 年の歳入法 案の下では, 持株会社の利益が消滅する税となることを意味した呪 留保利益税は, 利益を株主に配当することなく, 企業内にとどめたことへのペ ナ ルテ ィ を意味し た。 利益は全て株主へ配当するのが原則であるとしたのである。 利益の60%以上 を株主に配当している会社は, わずか 7 %の留保利益さえもない。 一方, 特別の理由もな く利益の40%以上配当している会社にとって 脅威であった。 改正歳入法の下におかれる。 留保利益に35%前のペ ナ ルテ ィ を課すからである。 留保利益税は会社にとって過酷なもの であったので, これを緩和するために, 委員会は利益の40%以上を留保する会社は届出を するように勧告し たのである。 それは, 株主に対して, 十分な配当をしなかった理由を説 明するというものであった。 法人所得税の累進化がはかられていった。 これによっ て, 委 員会は, 会社相互間で受け取る配当について, 現在の90%の税を確保OS することができた のである。 上院議員の Black と LaFollette は, 留保利益への累進税を求めるル ー ズヴェルト大 統領の求めに応じて報告書を提出した 。この二人の上院議員は,上院の議長 Doujhton の 要望に従い, ル ー ズヴェルト 大統領が提唱し た原則が上院の法案には入らないものと信じ た。 提出され た報告書は, 会社に対する現在の所得税率をその ま まに留めておくべきこと を提案し た 。 それは20%以上, 40%以内 までの留保利益の割合に対して, 20%の累進の利 (1� 宮島 (1972). 野津 (1939)を参照した。 (1り Wall Street Journal 1936 , May 8 に よ る。 (l!P 留保利益税がもたらす問題は宮島 (1972), 加藤 (1975), Pincus (1989)に よって指摘され ている。 - 2 1 8 ( 342 )-.
(9) 後人先出法の立法 (毛利). 益留保税とともに, また, 彼は, 留保利益税から1 5 , 000 ド ルを減免することを提案した。 ガスや石油の販売については, 累進の所得税率は販売価格の30%を越えないものとする。 納税者の財産の主要な値が採掘の仕事で示される。 この修正はテ キ サ ス州選出の上院議員 Connelly の緊急議案0� で委員会で採決された。 1936年 6 月 5 日, 下院の法案1 2395は, 上院を通過した叫 1 936年 6 月 20 B , 下院の法案1 2395は上院で承認された。 1 936年 6 月 22 日, 下院の法案1 2395に ル ー ズ ヴ ェルト大統領は署名した。 1 936年の留保利益税とともに, 棚卸資産の評価が問題になった。というのは業種によっ て, 棚卸資産を在庫, 保有しその間に価格変動の影響を受けやすいからである。 価格変動 によって棚卸資産の評価損益が発生する。 新しい税制の下では, 留保利益税を回避するに は未実現の棚卸資産評価益を株主へ配当として分配しなければならないのである。ところ が, 棚卸資産評価益は架空利益であった。 企業は棚卸資産評価益を排除するための方法を 模索しなくてはならないことになった。 この根本要因は留保利益税にあった。 このことが 結果として後入先出法に結びついていくのである。 後入先出法は ニ ュ. ー. ディ. ュ. ー. ー. ルの財政政. 策の下で, 留保利益税から派生したものであった。. V.. 1937年の議会の動 向. 1937年1 1 月 14 日, ル ー ズヴェルト大統領は ラ ジ オ 放送を通じて,. ニ. ディ. ー. ル政策の. 意義を国民に訴えた。 その内容は, アメリカの購買力が豊かであることと, 労働者の賃金 が産業や農産物の支えとなりうるというものであった。 ニ ュ. ー. ディ. ー. ル政策は労働者や農. 民の助けとなるものであり, 経済活動の拡大へとつながるものであることを力説したので ある�"。 ル ー ズ ヴ ェ ルト大統領のこうしたメッ セ ー ジ にもかかわらず, 議会は課税こそが 国の最重要課題であると考えていたのである。 影響力のある上院の指導者は, 経済問題の 解決が留保利益税の廃止と所得税法の中の一節である法人所得税, 損失繰越控除の改正で あると信じていた。 議会が課題の問題に焦点をあててきた背景には, 経済の見通しをよくして, 状況を打開 (19) このことは Wall Street Journal 1936, May 8 にある。 ⑳ この経過は Pincus (1989) による。 Revenue of 1936 の記録と多少のずれがある。 (21) Wall Street Journal 1936, November 15 による。 - 2 1 9 ( 343 )-.
(10) 第48巻. 第2号. していくには, 減税のほかはないと議会のリ ー ダ ー たちが感じとってい たからである。 上院の Glass は, Old Dorsinion 州 選出の上院議員である。 立法については, 何もか も知り尽くした 議員であっ た。 彼の意見によると, もしも留保利益税が廃案になり, 超過 利潤税と損失繰越控除が修正されるならば, アメリ カ の企業は息を吹き返すだろうという のである。 上院の雰囲気はともかく, 下院の小委員会のメ ン バ ー によると留保利益税の抜 本的な改正に有利な状況となっている究 そういう印象がも たれてい た。 1 937年になると, 企業の中には利益を株主に分配をして留保利益税を回避するよりは, 配当を抑制する方向に変わっていった。例えば American Gas & Electric 社も,株主へ 多額の配当を支払う代わりに, 現金準備の ために剰余益金税を支払うことを選択した。 資 本調達のためには, 剰余益金を確保し, 税を支払う傾向になってい た。 その方が資金調達 のコ ストが安くて済むというものであっ た。 資金を新 た に調達するのが困難で, 企業の利 益が下降傾向にある時期にあってはそれが企業にとって有利とみられたのである。 新株発 行による資金調達をしても, 配当の支払は企業にとり大きな負担となっ たからである。 例えば,Chrysler 社は, 1936年 1 株当た り1 2 ドルの配当をし, 1937年には10 ドルの配当 をする。 しかし, 第四半期の利益が思わしくなければ, 3 ドルの配当をすると宣言してい る。そして利益の大部分を留保しようというのである。Chrysler 社は,税引後利益を2023%留保するだろうとした。 1936年には1 5 . 8%を留保したのである。 Dougles Aircruft 社の 役員は, 運転資本を確保するた めに, 今年度中の配当四 はしな いように取締役に勧告すると語った。この方針に従って,会社は205 , 000 ドルの留保利益税 を負担し た 。 さらに, 石油会社は, 今年度の配当額を ダ ウ ン して, 石油備蓄のための資金 を確保しようとし た。 これによって, 留保利益税を支払うことになる。. VI .. 1938年の歳入法と後入先出法の 受容. 1938年当時の歳入法は, 損失が発生した場合にその繰延を禁止してい た。 従って, 好況 期には期間の会計利益は大きく計上することになるのである。 1939年に後入先出法が認め られるまで, 棚卸資産の評価方法は先入先出法のみであった 。 先入先出法ではやはり, 好 四 このような状況について は Blaky and Blaky (1936), および宮島 (1972) を参照した。 四 留保利益税や法人所得税が企業の資金調達に及ぼした影響について は, 宮島 (1972) および加 藤 (1976) に述べられている。 これによ っ て ア メリカ経済をい っ そうの苦境に陥れたので ある。 なお, American Gas & Electric 社, Chrysler 社, Dougles Aircruft 社の事例 は Wall Street Journal 1937, November 10 による。 - 220 ( 344 )-.
(11) 後入先出法の立法(毛利) 況期には大きな評価益が発生する。 そこで損失の繰延禁止と先入先出法の適用によって, 好況期の評価益が会計利益に算入することになる。 これが課税標準を拡大した。 それは架 空利益としての棚卸資産評価益⑳ が混入しやすい企業にとっては, 実質負担率の上昇をも たらしたのである。 下院の歳入委員会議長の Vinson は, 留保利益税の負担はあ まりに誇張されていると 主張した。 それは1 936年の歳入法を誤って伝えており. それに一 役買っているのが裕福な 株主たちであると考えたのである。 歳入法の改正によって得をするのは, 黙して語る人た ちであるのは皮肉なことだと言った。 Vinson は, 現行の歳入法の不公正な点は, 標準税, 法人所得税, 超過利潤税四 にあると考えた。 決して留保利益税にあるわ けではないとみた のである。 というのも, アメリカの会社は標準税, 法人所得税, 超過利潤税に対して, 留 保利益税より 8 倍も支払っているというのである。 下院の歳入委員会 (Ways and Means) によって勧告された二つの重要な課税法案, っ まり留保利益税と法人資本税の改正は, 委員会の承認を得た。 それは, 経営活動に刺激を 与え, 財務省の歳入を確保することをねらいとするものであった。 その一は, 1936年の留 保利益税を廃止し, それに代えて累進の法人所得税とすること, その二は, 投資を促進す るために法人資本税を改正するというものである。 委員会により承認された小委員会の勧 告は, 現行の留保利益税の代わりに, 20%から16%に及ぶ累進税を導入しようとするもの であった。 この累進課税⑳ は, 課税所得に対し次のような税率を適用しようとするもので あった。 課税所得 5 , 000 ドルまで. 税率 1 2 . 5%. 20 , 000 ドルまで. 14%. 25 , 000 ドルまで. 16%. そして, 25 , 000 ドルをこえる会社については適用しない。 下院の歳入委員会により示された新しい税法案は次のようなものである究 第一, 純利益が25 , 000 ドル またはそれ以下の会社は, 1 2 %から16%の累進税率で課税す (24) この間の事情については渡辺 (1954) を参照したい。 ただ, 渡辺は留保利益税については言及 していない。 (25) 留保利益税が導入によって, 苦しん だのは中小の企業のみで, 大企業にはあ まり影響がなかっ たといわれている。 宮島 (1972) を参照した。 ⑳ Revenue Act of 1938. これについては野津 (1939) に も 述べられている。 � Revenue Act of 1938. 1938年法人所得税の成立の事情については Blaky and Blaky (1938) を参照した。 -22 1 ( 345)-.
(12) 第48巻 第 2 号 ることが提案される。 留保利益税 は廃止する。 このこと は 留保利益税から88%の会社が免 れることになるであろう。 しかし, このグル ー プに属する会社 は, 全ての会社の報告利益 の総額のおよそ10%にす ぎない。 それ故, 歳入への影響 は少ないのである。 第二,25 , 000 ドルを超える純利益の会社グル ー プには,20%の均等の課税が提案される。 20%の税率 は 1 936年法の52 . 4%と比較すれば, 税率でほぼ40%の減税である。 配当を促進 するために, 20%の税に対して配当の 4 %が控除されるように計画される。 全部を配当 す る場合, この控除によって最小16%の税率になる。 しかし, 年度の純利益を超える配当額を次年度の配当控除のために繰り延べできるよう にすることが提案される。会社が欠損を生じた場合,この損失 は次年度に繰り延べられて, 4 %の配当控除の計算の際に配 当として処理される究 いわ ゆるみなし配当である。 ル ー ズヴェ ルト大統領 は税制改革法案が下院を通過する前であっても, 実際の租税政策 は行政機関に託した。そして,今年度の政府の税制改革法案を通過させたいのだと語った。 上院の財政委員会 は 4 月5 日に上院に上程された税制改革の六つの改正案を 4 月6 日に可 決した。 改正案のなかに棚卸資産の評価方法に関する「現行法にある先入先出法の代わり に, 後入先出法を認めるよう課税計算のために棚卸資産の評価方法の改革」 と題する法案 があった。 コ ネ テ ィ カット州選出の上院議員, Lonergan が提出した修正案,「課税のため に後入先出法で原材料や棚卸資産を計算する」129 というものであった。 法案 は可決された。 上院議員の Harrison は財政委員会で修正案に賛成しなかった。 しかし, 彼 はこころよ くそれを議会に出して, そこで十分に討議したのである。 Lonergan の修正案 は, 販売し た財の原価を現在原価に近い値で計算し, 販売価格に現在原価をチ ャ. ー. ジさせるというも. のであった。こうした動きは,企業活動が留保利益税の呪縛から解放されることであった。 そして, 上院における18%の均一の法人所得税率にとって代わることである。 下院の法案と上院の法案の根本的な争点 は次の通りである。 下院で は, 留保利益の額に よる法人所得の16%から20%になる累進税率を提案した。 これに対して, 上院で は, 均一 の税率案を提出したのである。 上院の均一の税率について は, 財務省高官が支持すること を表明している。 ル ー ズヴェルト大統領 は, 相変わらず留保利益税の考えに固執していた し,政府高官 は下院の法案に賛成することを表明した°°。しかし,議会の雰囲気 は上院の考 ⑳ 損失繰越制度については. 宮島 (1972) が留保利益税の廃止とならんで言及している。 四 Revenue Act of 1938. この法案で, 宮島 (1972) は後入先出法が認められるようになったこ とに注意を喚起している。 そこで後入先出法を容認する外部要因としては, 政府の租税政策が景 気政策と結びつい たからであるとしている。 (30) この時期における上院と下院の議会の動きを Wall Street Journal 1938, April 1 1 . が伝え ている。 野津 (1939) も参照し た。 - 222 ( 34 6 )-.
(13) 後入先出法の立法(毛利) えに賛成するようにみえたのである。 上院を通過した税法案では, 棚卸資産の評価方法に 後人先出法を用いることができる。しかし, 後人先出法を適用することによって有利なの は ごく限られた産業のみである。 後人先出法は最新の仕入原価を払出原価とすることを認 めるので, 棚卸資産の評価益, つ まり未実現利益を回避することができるのである。 と いっても, 当時, 業種によっては既に後入先出法を適用している会社もあった。 特に非鉄 金属の会社は後入先出法を用いていた。しかし, 法人所得税法ではそれを認めていなかっ た。 それ故に, 後入先出法を用いていた会社は, 未実現の利益に対し税を支払っていると の感覚であったのである。 後入先出法を用いる会社は, 非鉄金属, 皮革, 銅, 銅線, 石油, 製紙, 製縄のみである。 これらの産業では棚卸資産の原価が少数の基本的な原材料からなる。 また製造過程が長時 間かかる。製品と原材料の価格差が一定である。 こうした特長をもった産業に後入先出法 は適したのである汽 財務省は, 後入先出法を認めると歳入不足になるといって反対した。 財務省の立場から すれば, もっともな理由である。 しかし, 会計士たちは, これらの産業では不況の年度に は合わせて25 , 000 , 000 ドルの所得税を支払うし, 好況の年度には70 , 000 , 000 ドルを支払う と主張した。税額は好況の年度には低く, 不況の年度には大きくなるだろう汽 そこで長期 的にみれば税の増加や減少は調整できると考えたのである。 ル ー ズヴェ ルトは, 所得税をめ ぐ って議会の審議に直面した。 この審議は留保利益税の 取り扱いについてであった。 大統領は留保利益税の維持につとめた。 しかし, 現状ではこ の問題によって議会は行き詰 まりをみせていたのである。 財務省は留保利益税の修正に賛 成するまでになった。 下院は政府の支持を得て, 法案にあるような留保利益税の原則を守 るように抵抗した。 これに対し, 上院は法案に賛成し, 留保利益税の原則を継続する試み に反対している。こういう状況下にあって法案の成立が危ぶ まれていた。下院の感情は, 議員が法人課税の二つの案のうちいずれかを選択する機会が与えられる中で, 企業活動の ために上院の提案を支持していることを示した。 しかし, 他方で上院は下院に歩み寄るよ うにみえる。 企業活動の拡大をねらいとした所得税法案について財務省が歳人の点から望 ましくないことを指摘したからである団。 法案の可決が危ぶまれることは, 下院の審議を 有利なものにした。 印り この事実は 1938年の上院および下院における Peloubet の証言にみられるところである。 � 1938年, 下院での Peloubet の証言, 上院における Peloubet, Stempf, Conover, Connaly の証言でしばし ば言及されている。 (33) 当時の留保利益税をめぐる議会の雰囲気については, 宮島 (1938) を参照した。 -223 ( 347 )-.
(14) 第48巻. 第 2号. 四半期, 下院が上院の超過利潤税の措置に同意することを示唆した。 それ は, 上院が留 保利益税を受け入れるとの条件で, 長期の利益に15%の税率を課する。 この提示をして, 下院の法人税の案 は, ほぼ16%の均等の法人所得税と 2 %ないし 3 %の利益留保税をいっ し ょ にする点まで修正 さ れることが提案 さ れた。 しかし, 当時の上院 はそうした提案を承 認するような雰囲気でなかった。 留保利益税 は上院議員の中に支持者がなかった。 他方, 下院で は二人の共和党議員を除 く 全ての議員が留保利益税を受け入れた。 下院と上院の法 案をめぐる対立の中で, 合意を さ ぐりつつ, 二週間, 議会 は行き詰 まっていた。 委員会の専門家たち は, 委員により承認 さ れる法案が, 上院を通過した形の法案より, 年に35 , 000 , 000 ドルも会社の負担を軽 く するだろうということに合意した。 留保利益税 は 歳入法案にとどめられた。 そうでなければ, 上院とホ ワ イトハ ウ ス の論争に火がつ く こと を委員がおそれたからである。そのことが企業活動を妨げると考えたのである°°。しかし, 留保利益税 は も はや現行のものに比べてみると内容に乏しかった。 妥協の結果 歳入法案 は現行法あるい は下院の法案のいずれよりも留保利益については 寛大であった。 下院の法案で は, 1 年に25 , 000 ドル以下の会社の利益で は, 留保利益税 は な く , 1 2 . 5%から16%の所得税と評価 さ れた。 25 , 000 ドルをこえる会社利益の場合, 16% から20%の税と評価 さ れた。 留保利益を基礎にした累進税である。 現行法で は, 会社は 1 2 . 5%から15%の所得税を支払っており, 留保利益税 は 7 %から27%に及んでいる究 二人の上院 議 員, マ サ チ ュ. ー. セ ッ ツ州 選出の Walsh 議 員 と ジ ョ ー ジ ア 州 選出の. George 議員 は, 委員の行動 は 委員会の行き詰 まりを打開するための歩みよりの結果で あったとの共同声明を出した。 留保利益税の改正にとり, 超過利潤税と損失繰越税の軽減 に関する上院の見解を採るにあたっての委員会の行動が重要であった。 下院と上院の租税 諮問委員会による妥協の産物である法案 は, 企業活動を促進するであろう, と民主党と共 和党 は意見を表明した。 しかし, 委員会で法案の作成に携わった税の専門家たち は, 今年 は企業活動は下降するので歳入 は不足する°° と予想したのである。 法案で は 純利益25 , 000 ドルを. 配当額に最高19%の累進税. 超える会社. 対し. ⑳ 留保利益税が企業活動に及ぼす影響については既に述べた通りである。 注24参照のこと。 /3.5) Revenue Act of 1938. 留保利益税を含む歳入法案をめぐる議会の議論につ いては, 野津 (1939) およ び Blaky and Blaky (1938) を参照した。 (36) 宮 島 (1972) によると, 1938年の税制は議会が主導権を握って行われたという。 Wall Street Journal 1938, April 23 では, 1938年の歳入法案は下院と上院の妥協の産物であるとしている。 -224 ( 348 )-.
(15) 後入先出法の立法(毛利) 100%の配当16 . 5%の税 純利益25 , 000 ドル以下の. 1 2 . 5%から16%の累進税. 会社. 留保利益税. なし. 利益で負債を支払っている会社に対して, 留保利益税は免除. 1938年 4 月, 議会は留保利益税を削減して, 超過利益に均等の税を課そうとして大統領 と争った。 企業活動が下降 ぎみなので, 議会の感情はこれにたいして 支援が必要であると いうことであった。 1 938年の歳入法の主な内容は法人所得税や超過利潤税に関するもので ある。 いずれも ル ー ズヴェルト大統領が根本的に批判したものである。 税制改正法案は留保利益税の原則を骨抜きにして, 超過利潤税を修正して, 5 月 1 1 日, 最終的に議会の承認を得た汽 下院は上院で承認された委員会報告を採決し, ル ー ズヴェ ルト大統領の署名を求めて ホ ワ イトハ ウ スヘ法案を送る準備をした。 議会の指導者たちは 大統領の決裁を受 けるのは確かであると語った。 ル ー ズヴェルト大統領が1 938年の新しい歳人法案に署名するかどうかの問題をめぐっ て, 政府は沈黙した。 大統領は新しい税法案の処理に関して財務長官の Morgenthau, H. H. と一連の協議を始めた国 ので, 彼が法案を裁可するという公式また非公式の情報が流. れた。 大統領が法案に署名するであろうという予想には疑問もあった。 その一つは, 法人 所得税から超過利潤税 まで, 新しい法案の主要なセ ク ショ ンがない。 二は, 財務省はもし も新法が現行法にとって代わるならば, 歳入を失う。 その三は, 法案に大統領が署名する との予想は法案に賛成する人たちがそう言っていることである。 これらの疑問は, 大統領 が署名する機会はあるとしても, 裁可しない可能性もあることを示唆するものであった。 ル ー ズヴェルト 大統領は, 5 月25 日, 1938年の歳入法に署名した。 署名の 日に発表され るステ ー トメ ントは, 財務省から ホ ワ イトハ ウ スヘ送られた。 法として成立することを前 提に施行規則の作業が始められた。 ル ー ズヴェルト大統領は,. ニ. ュ. ー. ディ. ー. ルの税制改革. に関し1 939年始めの議会で発表することを計画していた。 新しい税法規定の施行 日は, 法 人所得税法について は 1939年初頭あるいは 1 月 1 日である。 ル ー ズヴェルト大統領は, 1938年の歳入法は 自分の署名がなくとも, また承認がなくとも法になるだろうと語ったCl90 新しい法人所得税は利益が25 , 000 ドル以上の会社に19%の均等の税を課すのである。 こ 聞 Revenue Act of 1938. 野津 (1939) も参照し た。 ⑱ 後入先出法を含む 1938年の歳入法案の成立には. 財務長官の Morgenth au や上院財政委員長 の Harrison の力が大きかったと考えられる 。 この点は宮島 (1972) を参照し た 。 Cl9) Pincus (1989) を参照し た 。 -225 ( 34 9 )一.
(16) 第48巻 第 2 号 の19%の税から会社は配当の2 . 5%の額を控除することが認められる。 配当する利益の割 合に応じて19%から16 . 5%へと税率を逆進したことによって, 配当性向への効果があった だけである。 新し い法人所得税について確かな ことは, 企業の内部資金を促進することで あった。 この規定は利益を留保して会社を支援することを意図する。 留保利益税の配当性 向への効果は企業規模が小さいほど大きく,規模が大きければ小さかった叫 といわれてい る。 1938年歳入法はおおよそ次のよう な 内容である見 棚卸については従来通りであるが, 特定の産業における棚卸という項目を設けて. ( 1 ) 非鉄金属の製造業者や加工業者 囚. 非鉄鉱物の溶解あるいは, 非鉄金属の精錬. (B) 真鍮. 銅製品 真鍮で作った製品の製造. そのいずれか またはそれ以上を製造する 業者 については. 棚卸資産の評価は原価ですることとし. 原材料が個別に識別できな いほどに. 混在している場合には. 第一に. 課税年度始の棚卸資産は(取得の順に従って), 期首の額で評価し第二に. 課税年 度中に取得した棚卸資産は取得の順に評価する。 こととする。 また, 製革業者についても原材料に関し, 上記の評価方法を選択する権利がある。 棚卸資産の評価方法の選択については. もし納税者が歳人局長官の許可を得て. それを 適用する方法の選択を登録していな ければ, 適用すべきでない。 後入先出法の適用 後入先出法への変更は. 脱税を防止するために歳入局長官の許可によるべきである。 評価方法の変更 いったん選択した評価方法をもとへ戻すべきでない。 選択した評価方法は. 次の課税年 度にも適用するべきである。 以上のように, 1 938年歳入法ははじめて後入先出法を非鉄金属や皮革業に認めたのであ る。 後入先出法を適用できたのはこれらの限られた業種であった。. (40) 注24参照。 (40 Revenue Act of 1938. Section 22. - 226 ( 350 )-.
(17) 後入先出法の立法(毛利). w. 1 939年の議会では,. 1939年の歳入法と棚卸資産評価損益. 次のような問題が争点⑫ となった。. ディ. ル税制法案で展開された留保利益税. 1.. 1 936年のニュ. 2.. 超過利潤に対する累進税. ー. ー. 法人所得税の改正については, 下院の歳入委員会の議長 Doughtor が委員会を招集し, 財務省の税に関する見解を公表するために財務長官の Morgenthau, H. H. を招へ いする こ とを発表した。 Doughter は委員会ができるだけ早く税制改正を押し進める こ とを意図 した こ とを宣言した。 下院の税法案の中には, 企業活動に対する二つの新しい譲歩案があった。 その こ とは下 院の歳入委員会によって承認され, 下院に報告される以前に新しい歳入法案に記載されて いる。 改正の一つは, 会社に対する助成として, 営業損失の二年間の繰越を個人企業に拡 大するというものであった。 もう一 つは, 額面以下での債券の購入と同様, 手形, 社債の 買い入れに対して課税しないというものであった。 損失繰越制度は留保利益税に対する 18% の均等の所得税に代わるものであった⑬。. しかし, 正常の利益から控除できる損失額. に限度があった。 上院の財政委員会は企業活動を支援するための税制改正法案が早期に上院を通過すると 予想していた。 税制改正法案は 6 月 1 9 日に下院を通過したがわずか一票差であった。 こ の 当時, 政府の租税政策に対する企業経営者の強い不満は, 留保利益税とならんで損失繰越 の禁止にあったのである。 と こ ろで こ の新しい税制改正法案は棚卸資産の評価方法に重要な変化をもたらすきっか けとなる。 それは棚卸資産評価益の処理である。 棚卸資産評価益は, 同じ棚卸資産の購入 時点の原価が評価時点の原価より低いときに発生する。しかし,それは未実現利益である。 棚卸資産を販売すれば, 販売益の中に未実現利益が混入する叫 会計学者は棚卸資産評価 益を未実現利益と考えて,実現利益と明確に区分する こ とを主張した。現行の歳入法では, 棚卸資産評価益は利益とみなされた。 しかし, 新しい歳入法では評価益を利益とみなさな (@ 1939年の歳入法案の論議は 1938年歳入法の積み残しともい う べきものであった。 宮島 ( 1972) を参照した。 (43) Blaky and Blaky ( 1 939) を参照。 なお, 1939年度の下院および上院における歳入法案をめ ぐる論議については Wall Street Journal 1939, June 17-20 に記録がある。 (44) 渡辺 ( 1 954) は後入先出法がアメリカの税法に導入された経緯について, 未実現利益としての 棚卸資産評価益の排除をあ げている。 - 227 ( 35 1 )-.
(18) 第48巻 第 2 号. い。 現行の歳入法で認 められている先入先出法は後入先出法にとって代わるのである。 会 社は後入先出法を望んでいたが, い ま まで許されていなかったのである。 上院議員の Harrison は,財政委員会の議長である。新しい棚卸資産の評価について説 明をしたが, 上院の財政委員会によって承認された改正案は, 棚卸資産評価益を減らし, 排除することによって企業活動の発展に寄与するとい う ものであった。要するに Har rison による改正案は,棚卸資産評価方法として,後入先出法を認 めることであった心。こ れによって, 期末の棚卸資産の評価は期間始めのものとすることができるのである。 改正案についての Harrison の説明には大切な点が三つある。その一 つは,棚卸資産の 評価方法に対して納税者の選択を認 めたことである。 これによって, 棚卸資産の評価方法 は唯一でなく, 選択となった。 1918年以来, 歳入法は発生主義に支えられ棚卸資産の評価 を導入してきた。 しかし, 評価方法として先人先出法しか認 めてこなかったのである。 そ の二は, 後入先出法を全ての納税者に認 めたことである。 1938年の歳入法は後入先出法を 認めたが, それはある限られた業種のみであった。 その三は, 法人所得の計算に後入先出 法を適用すれば, 財務諸表にも後入先出法を適用しなければならないことである。ただ Harrison の法案には重要な例外があった。 それは低価法の否認である。 業種に関わりなく後入先出法の選択を認めることは, 合衆国における課税所得計算の基 礎を根本的に変えることであった。 最終の仕入原価を払出原価にすることは, 価格上昇期 においては利益を減少させる。 結果としてみれば, それは課税所得を減らし歳入を少なく するのである。 にもかかわらず, 議会が後入先出法を認め たのは,たとえ一時的に歳入の 減少があったにせよ, 企業が後入先出法を用いることによって内部資金を調達すれば, 景 気の回復とともに課税所得も増し, 歳入は増大するとの確信があったからである。 このよ う な考えに立てばこそ,議会には後入先出法に対し何の疑問も迷いもなかったのである。 これは法人所得の税制が企業の内部資金の充実に移ってきたことを示している包。 新しい歳入法は, 留保利益税に変えて均ーに18%の法人所得税を課した。 それは1 939年 1 2月31 日より施行することになった。 同時に, 留保利益税も1 939年の歳入法では完全に廃 止された。1 938年の歳入法では回 配当金の支払いに対する所得控除として,留保利益税は (45) 宮島 (1972) は上院財政委員長の Harrison について, 1935年に法人税率累進化を促進しな がら, 1938年になると企業の資本蓄積を押し進める一人となっていたという。 後入先出法の確立 が棚卸資産評価益の排除にあったことは事実であるが, その立法化にあたっては企業の内部資金 の充実を進めた上院議員, ことに上院財政委員長の Harrison の力を看過してはならないであ ろう。 (46) 1938年から 1939年にかけ て ア メリカの租税政策が企業の 資本蓄積に 向かったことを宮島 (1972) は指摘している。 (47) この ような状況については Blaky and Blaky (1939) を参照した。 - 228 ( 352 )一.
(19) 後入先出法の立法(毛利) なおもその痕跡をとどめていたのである。 1 939年の歳入法における法人所得税制は次のよ うになっている。 課税所得. 税率. 25 , 000 ド ルをこえる利益の会社. 18%. 25 , 000 ド ル以下の利益の会社. 1 2 . 5% - 16 %の累進税. の税を課すこととなった。 また, 会社に二年間にわたって損失を繰り越すことを認めたの である。 現行法では一年の繰延しか認めていない。 1 939年の歳入法の section 2 1 9 棚卸資産では1938年に採択された現行法の規定に代わ る棚卸資産の選択方法を規定する。 現行法では, 選択の方法は, 皮革製造業, 非鉄金属の 製造及び加工業者によってのみ用いられる。 1 939年度の歳入法の下では, 後入先出法の選 択は, 納税者が従事する営業に関わりなくそれを継続的に用いるあらゆる納税者に拡大さ れる例。 こうして,. 1939年歳入法の特徴は後入先出法の適用をすべての業種に認めたこと. にある。. vm .. 1942 年の歳入法と conformity の確立. 1941年1 2月に, アメリカは第二次世界大戦に参戦する。 1 942年 6 月, 日本との開戦から わずか半年あ まりしかたたないにもかかわらず, アメリカ議会はすでに戦後の経済状況を 考え始めていた。 議会には, 戦時中の企業に対する課税負担が, 戦後の経済復興を遅らす のではないかというおそれがあった。 財務省は棚卸資産の評価損の発生をおそれたのであ る。 そこで1 942年の税制改革において, 最も大きな特徴は企業の課税負担を和らげるために 準備金制度を認めたことである。 財務省は棚卸資産評価益について, 企業が準備金を設け ることを支持した。 棚卸資産評価益は架空利益であり, 分配できない。 架空利益は課税所 得にならないことを財務省も議会も認識してきたのである。 逆に, 棚卸資産評価損が生ず れば, 準備金を取り崩して補填するのである。 1 942年の歳入法は, 後入先出法を適用して いない全ての納税義務者に棚卸資産評価損益に対して準備金を用いて処理することを認め たのであるり見 準備金は, 全ての棚卸資産に用いる必要はなく, 必要に応じて選択し適用す ることができた。 納税者が全ての棚卸資産の評価損益に準備金を用いるのか, それとも一 � Revenue Act of 1939. (49) このことは渡辺 (1954) が言及している。 - 22 9 ( 353 )-.
(20) 第48巻. 第2号. 部の棚卸資産に用いるかの選択は, 歳入局長官の承認によった。 1942年の歳入法は業種をこえて, 広く納税者に後人先出法を認めた。 これによって納税. 者は, 棚卸資産評価損益を排除することができるのである。 にもかかわらず, どうして歳 入法はわざわざ, 準備金を設けることを納税者に認めたのであろうか。 実は後入先出法の 利用は納税者側に限界があったのである。 多種の商品を扱う業者にとって, 種類 ごとに後 入先出法を適用するのは手数がかかる。 課税上の利点はあるものの, 会計処理上のコ スト が大きかったのである。 従って, 後人先出法は実際には, 少品種で多量の商品を扱う業種 に限られたのである15110 議会や財務省の専門家たちは, 上院の財政委員会において, 棚卸資産の価格上昇にとも なう準備金が法案にもりこ まれるべきことを勧告する。 改正案の中では, 後入先出法を選 択した際に準備金を設ける規定は省いていた。 下院の歳入委員会は棚卸資産の準備金の提 案を受け入れたが, 法案作成の際にそれを削除したのである。 7 月20 日,1942年の歳人法案は,下院を通過した。法人所得税は 1 億 6 , 000万 ドルに上昇 し, 歳入の伸びは63億 ドルになった。 上院の財政委員会は法案を変更することが予想 さ れた。 棚卸資産について言えば, 準備 金に対し所得税控除を認めることである。 委員会には棚卸資産の評価益に準備金を設け て, それには税をかけないことに賛成する雰囲気があった。 財務省と上院の財政委員会は 減税について合意した。 その中に, 次の項目がある。 棚卸資産の評価方法に後入先出法を 用いている納税者についても減税の対象とする汽 これは戦時下における棚卸資産の不足 や制約を考慮しての特別措置であった。 上院で減税を議論したのは, 当時のアメリカが戦 時下にあり, 企業の効率的な生産活動を拡大するために, 税制上, 優遇したいとの願望が あったためである。 財務省は, 税への控除が戦時期の経済をふるい立たせ, 効率性を高め ることにより, 戦時から平和期への経済の移行を容易にし, 戦後の経済活動を発展 さ せる のに貢献すると言った。 1942年の歳人法案をめぐる上院の審議が始 まるが, それを前にして財政委員会は80億 ド. ルを生み出す税を最終的に承認した。 なお1942年の税制改革では, 後人先出法の適用が納 税者の間で不公平にならぬ よう配慮 さ れた。 法人所得の計算に後入先出法を用いたなら ば, 財務諸表でも後入先出法を適用しなくてはならないことになった。 このことは, 年度 (5()) この当時の後入先出法の問題については, Barker (1942) を参照したい。 (5り Revenue Act of 1942. この当時の議会の様子は上院における Paul, Cooper, および Fernard の証言から伺うことができる。 なお, United States Congressional Record 1942, June 15-16 も参照した。 -230 (354 )-.
(21) 後入先出法の立法(毛利) の財務諸表に後入先出法を適用すれば, 中間財務諸表についてもやはり後入先出法でなけ ればならないのである図。 1942年10月2 1 日, 1942年歳入法が上院を通過し, 成立した。. び. む. す. IX .. 後入先出法の立法化には次の三つの要件があることが分かった。 第一に後入先出法が歳入法で承認されたのは, 財政に対する考え方が均衡予算から赤字 予算を認める方針へと転換していったことと無関係でない。 ル ー ズヴェ ルト は, 不況克服 のためには赤字予算をも辞さないとの方針で財政政策をとりしきったのである。 他方. 前 大統領のフ ー ヴァ ヴァ. ー. はかたくなな までに均衡予算の考えをとった。 後入先出法はフ ー. ー の均衡予算の下では成立すべくもないのである。. 後入先出法は単年度では一時的に. 税収を下げ, 歳入を減少しても, 中期的には経済活動を活発にすることができる。 このよ うな考えに立ってはじめて認められるものである。 第二に, 政府の役割が指摘できる。 フ ー ヴァ. ー. 大統領の下では, 政府の役割を重視しつ. つも. 経済活動の主体はあく までも民間であり, その 自主性に まかせるというものであっ た。 フ ー ヴァ. ー. は根本的に経済活動に政府が介入しないことを良しとしたのである。 しか. し. そのような考え方の下では歳入法で承認されていない会計方法を企業が適用すること はできない。 ル ー ズヴェ ルト大統領の時代に到って, 経済活動の主体はあく までも民間で あるが政府がこれを支援することになる。 ここではじめてロビ ー 活動を通じて. 後入先出 法がア メ リカ議会で議論され, 承認されることになるのである。 政府の役割に対する考え 方が根本的に転換している。 それが後入先出法の成立をうながしているのである。 第三は留保利益税の廃止である。 留保利益税は ニュ. ー. ディ. ー. ル政策の下で成立した。 し. かし, それは業種によっては棚卸資産評価益にも課税する結果になった。 未実現利益への 課税を回避する棚卸資産の評価方法は何か, が探求される。 それには最新の仕入原価を払 出原価とするほかない。 ここに歳入法は後入先出法を容認する。 同時に, 留保利益税は廃 止した。. (.5� Davis (1982) . -23 1 (355)―.
(22) 第48巻 第 2 号 参 考 文 献 American Petroleum Institute. 1935. American Petroleum Industry : A survey of the present position of the petroleum industry and its outlook toward the future.. New York.. American Petroleum Institute. 1936. Uniform system of accounts for the oil industry. 新井益太郎. 1954. 『後入先出法」 中央経済社。. Barker, R. 1942. last-in, fist-out method of inventory acounting. (January) : 23-26.. Taxes : The Tax Magazine. Blakey, R. G., and G. C. Blakey. 1936. The Revenue Act of 1936. Amencan Economic Review 26 (September) : 466-482.. Blakey, R. G., and G. C. Blakey. 1938. The Revenue Act of 1938. American Economic Review 28 (September) : 447-458.. Blakey, R. G., and G. C. Blakey. 1939. Federal Tax regislation. American Economic Review 29 (December) : 695-707.. Butters, J. K., and P. Niland. 1949: Effects of taxation-inventory accounting and policies. Harvard Univercity : Boston.. Dahl, R. A. 1991. Moden political analysis. fifth edition, Prentice-Hall. C高畠通敏訳 『現代政治 分析』 1999年. 岩波書店). Davis, H. 1982. History of LIFO. Accounting Histoガan Journal 9 (Spring) : 1-23. 平井規之. 1988. 『大恐慌 と ア メ リ カ 財政政策の展開』 岩波書店。. Hoffman, R. A. 1953. LIFO, A review of its application in valuing inventoガes.. Chicago.. Hoffman, R., and H. Gunders. 1970. Inventories : Control, Costing, and Effect upon Income and Taxes.. The Ronald Press Company, New york.. 加藤栄一. 1975. 「 ニ ュ ー デ ィ. 加藤栄一. 1976. 「ニ ュ ー デ ィ 宮島. ー ル財政の成果 と. ー. 限界 (一) 」 『社会科学研究」 第26巻 5号 : 1-45。. ル財政の成果 と 限界 (二)」 『社会科学研究』 第27巻 3号 : 72-135。. 洋. 1972. 「現代租税政策の形成過程. -310。. ア メ リ カ 連邦法人税 に つ い て」 『証券研究」 第33巻 : 203. Niven, J. B. 1919. Income tax department Journal of Accountancy (April) 272-304.. 野津高次郎. 1939. 『米國税制登達史』 有斐閣。. Pincus, M. 1989. Legislative history of the allowance of LIFO for tax purposes. Accounting Historians Journal 16 (June) : 23- 55.. 渋谷博史. 1995. 『現代 ア メ リ カ 連邦税制史 審議過程 と 議会資料」 丸善。 Smith, D. T., and J. K. Butters. 1949. nomic Research, New York.. Taxable and business income.. National Bureau Eco. 渡辺 進. 1954. 「 ア メ リ カ 税法 に お け る LIFO の成立」 『企業経営研究年報」 4号 : 93-119。. 資. 料. Income Tax Regulations, 1983. Revenue Act of 1916.. Revenue Act of 1918. -232 (35 6 )-.
(23) 後入先出法の立法 (毛利). Revenue Act of 1919, Regulation 45. Revenue Act of 1938. Revenue Act of 1939.. Revenue Act of 1942.. Securities Act of 1933.. Securities Exchange Act of 1934.. Treasury Regulation 94, Article 22 (c-2), 1919.. United States Congressional Record. 1936. April 2-June 22.. United States Congressional Record. 1938. March I-May 11. United States Congressional Record. 1939. June 2-June 29.. United States Congressional Record. 1942. March 9-0ctober 20. Wall Street Journal. 1936.. Wall Street journal. 1938. Wall Street Journal. 1939.. Wall Street Journal. 1942.. -233 ( 357 )-.
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