• 検索結果がありません。

「能海寛を学ぶ」から「能海寛に学ぶ」へ 利用統計を見る

N/A
N/A
Protected

Academic year: 2021

シェア "「能海寛を学ぶ」から「能海寛に学ぶ」へ 利用統計を見る"

Copied!
5
0
0

読み込み中.... (全文を見る)

全文

(1)

「能海寛を学ぶ」から「能海寛に学ぶ」へ

著者

奥山 直司

雑誌名

アジア文化研究所研究年報

53

ページ

184(55)-187(52)

発行年

2019-02

URL

http://id.nii.ac.jp/1060/00010990/

Creative Commons : 表示 - 非営利 - 改変禁止 http://creativecommons.org/licenses/by-nc-nd/3.0/deed.ja

(2)

はじめに  私の発表題目は,「『能海寛を学ぶ』から『能海寛に学ぶ』へ」です。このうち「能海寛を学ぶ」 とは能海寛に関わる研究をするということです。「能海寛に学ぶ」とは能海寛の行動なり思想なり から何ごとかを学ぶということです。これに当てはめれば,隅田,岡崎,三浦,松本,千葉,飯塚 の諸先生は「を学ぶ」の観点から,江本先生は「に学ぶ」の観点から発言されたと言うことができ ます。  この「を学ぶ」と「に学ぶ」との関係は,「を学ぶ」は「に学ぶ」の前提であり,「を学ぶ」がしっ かりしていなければ,「に学ぶ」も曖昧なものにしかならないというものです。ではこのどちらが 大切かと言えば,これはやはりどちらも大切だと言わざるを得ない。ただ近年,「に学ぶ」の重要 性がますます高まっているという思いが私にはあります。  以下では,「を学ぶ」について今私がどのような取り組みをしているか,「に学ぶ」について今私 が何を考えているかを,ひとつずつお話したいと思います。 能海寛を学ぶ─私の取り組み  幸いなことに,今年度から 3 年にわたって科学研究費補助金を受けることができるようになり, 4 人からなる小さな研究者グループを作って研究を進めています。そのテーマは「近代日本の仏教 者によるアジア留学・探検に関する基礎資料の研究」です。その趣旨について簡単にご説明します。  明治仏教界に新たに起こった動きのひとつに仏教の原点を探究する動きがあります。当初この動 きは,日本の仏教者たち(その多くは僧侶であった)による梵語(サンスクリット)・パーリ語仏 典の研究を目的とした西洋への留学となって現れますが,まもなく,彼らをセイロン,インドへの 留学に,さらにはネパール,チベット等への探検に向かわせます。彼らの目的は,梵語,パーリ語,

「能海寛を学ぶ」から「能海寛に学ぶ」へ

奥 山 直 司

(3)

「能海寛を学ぶ」から「能海寛に学ぶ」へ ─  ─(  ) ─  ─(  ) 185  実はこの研究計画は,能海関係資料,特にチベット語文献を本格的に調査,研究したい,しなけ ればならないというところから出発しました。したがって,能海関係資料こそ第一の研究対象です。 この資料は,現在までに判明しているところでは,島根県浜田市金城町波佐にある金城町歴史民俗 資料館(図 1 )と京都の大谷大学図書館の 2 箇所に所在します。 図 1  このうち金城町歴史民俗資料館の資料は,能海の自坊であった浄土真宗大谷派浄蓮寺から寄託さ れている約2800点からなり,そのうちの375点が浜田市指定文化財になっています(隅田正三『チベッ ト巡礼探検家・求道の師 能海寛』改訂版,pp.187-194)。これらは,隅田正三先生と能海寛研究 会の長年の努力によって整然と分類整理されています。またそのうち能海が書き残した文書類の主 要なものは,『能海寛著作集』全18冊(USS 出版)として写真版で刊行されました。能海寛研究会 による大きな成果です。  これに対して大谷大学図書館所蔵分は,『大谷大学図書館所蔵 西蔵文献目録』の中に能海寛請 来(Brought by Kan Noumi)と明記された文献が11点含まれているほか,1988年に同図書館で「能 海寛生誕120年記念展覧」が開かれた際の請来品リストにも著書,書簡類,木椀,茶碗,仏像,チベッ ト語文献が29点記されています。  本年(2018年)9 月,能海寛研究会の全面的な協力の下,金城町歴史民俗資料館の能海関係資料 に含まれるチベット語文献と仏像等の立体物の調査とデジタル撮影を行いました。撮影は専門の業 者に委託しました。このうちチベット語文献については,1987年に山口瑞鳳先生が調査し,その結果 に基づくリストが公表されていて便利です(隅田,前掲書,pp.135-147)。今回の調査によって同館所 蔵のチベット語文献を78点まで確認することができました。そのひとつをお目にかけます(図 2 )。 図 2  54

(4)

 これは,紺紙に銀泥で書写された『大解脱経』,つぶさには『聖大解脱十方広大,懺悔によりて 罪を浄め成仏に導くと名づくる大乗経』という長い名前の大乗経典です。本経はチベット大蔵経カ ンギュル(仏説部)の諸経部にも収録されています。能海はこれを『滅十罪経』と呼んでいますが, この名称は,チベット語のタイトルの一部を繋ぎ合わせたもので,率直に言って不適切です。大谷 大学図書館に蔵されている能海のノートブック(『能海寛著作集』第14巻所収のいわゆる「フィー ルド・ノート」)によれば,彼がこれを得たのは,1899(明治32)年10月末から11月にかけて,四川 省西部のダルツェンド(打箭爐,現康定)において,ヨンチョンという人物からであることが分か ります。  おもしろいことに,翌1900年 7 月 4 日にネパールのトルボからチベット中西部に潜入した河口慧 海(1866-1945)が,やはりこの経典に出会っています。すなわち,国境の峠を越えた次の日,河 口は,彼の言う「白巌窟」を訪れ,その翌日にはそこでゲロン・リンポチェ・ロプサンゴンポなる 行者に会って問答をしました。その時,ゲロン・リンポチェは,自らの衆生済度の方法を『大解脱 経』に依るものとし,それを慧海に読ませています(『チベット旅行記』(上),pp.135-136)。この 経典は,東洋文庫所蔵の「河口慧海将来チベット語蔵外文献」にも含まれています(315A~C)。  この事例は,この時期,『大解脱経』という経典がチベットの東から西までのかなり広範囲に流 布していたことを想像させます。  さて,このようにしてデジタル化された資料は現在,整理中ですが,いずれはウェブ上で公開し, 世界のどこからでも閲覧できるようにしたいと私は考えています。そうすることが能海の遺志に叶 うことであると考えるからです。 能海寛に学ぶ─私が考えていること  「能海寛に学ぶ」とは能海寛の生き方,考え方から何ごとかを学ぶということを意味します。た だし,この場合に注意しなければならないのは,能海寛は,数え年34歳の若さで夭折した人物であ るということです。先にも触れた河口慧海は80歳まで生き,晩年まで取り組んだ『蔵和辞典』こそ 完成しなかったものの,さまざまなことを成し遂げてから世を去りました。能海はこういう人物と は違うということです。  『世界に於ける仏教徒』を読めば,能海が実にさまざまなアイディアの持ち主であったことが分 かります。しかし,そうしたアイディアのほとんどは能海が雲南の奥地から帰らなかったため実現 されませんでした。その彼を偉人のように見なすのは,どこか違うと思います。もしかしたら能海 自身,面映ゆい思いをしているかもしれません。少なくとも私にとって能海は,一介の求道的な青 年僧です。  こう考えると,「能海寛に学ぶ」とは,能海の実績に学ぶというよりは,能海の中に胚胎してい

(5)

「能海寛を学ぶ」から「能海寛に学ぶ」へ ─  ─(  ) ─  ─(  ) 187 教研究の分野で次々と業績を挙げ,それを世界に向かって発信していったと考えられます。  しかし,やがて能海は故郷の寺に帰ったと私は思います。日本の僧侶にとって,菩提寺の住職と して檀家,信徒,門徒に尽くすことほど大切な仕事はありません。能海も若い時代には,寺院後継 者としての義務感と広い世界へ羽ばたきたいという気持ちとの間で葛藤を経験したと推察されま す。しかし,チベット探検という大事業を果たした後の彼の思いは,他の何よりも長年彼の帰りを 待っていた故郷の人々にあったと思います。むろん金城町に戻っても,研究と発信を止める訳では ありません。むしろいよいよこれに力を注いだに違いない。だがそれだけでなく,彼は故郷にあっ て別の事業をも推進したでしょう。それは,彼にとっては波佐倶楽部による学習活動,高島での僻 地離島教育などを通じてすでに「実験済み」のもの。すなわち,社会教育を通じた地域の振興開発 事業です。  仮定の話はこのぐらいにしなければなりませんが,私が注目するのは,能海が持っていた地域開 発者としての可能性,すなわち,地方に根を下ろし,社会教育による人材の育成や産業の振興など を通じてその地方を豊かにしてゆく人間像です。これは,これからの地方寺院のあり方を考える上 でも示唆的だと思います。  現在日本の地域社会は高齢化と人口減少・地場産業の衰退によって危機に直面していると言って よい。今必要なのはその地域社会をさまざまな工夫と努力によって支えてゆく人材です。能海はそ のロールモデルとなり得ると私は考えます。今日本の山河はたくさんの能海寛を必要としている。 以上が,私が考える「能海寛に学ぶ」ことです。時間が参りましたので,私の話はこれまでと致し ます。 〈参考文献〉 大谷大学図書館編『大谷大学図書館所蔵 西蔵文献目録』大谷大学図書館,1973年。 河口慧海『チベット旅行記』(上),講談社,2015年。 隅田正三『チベット巡礼探検家・求道の師 能海寛』改訂版,USS 出版,2010年。 隅田正三『新仏教運動の提唱者 求道の師 能海寛』波佐文化協会,2018年。   (客員研究員/高野山大学教授)  52

参照

関連したドキュメント

ビスナ Bithnah は海岸の町フジェイラ Fujairah から 北西 13km のハジャル山脈内にあり、フジェイラと山 脈内の町マサフィ Masafi

海なし県なので海の仕事についてよく知らなかったけど、この体験を通して海で楽しむ人のかげで、海を

<第二部:海と街のくらしを学ぶお話>.

開催数 開 催 日 相談者数(対応した専門職種・人数) 対応法人・場 所 第1回 4月24日 相談者 1 人(法律職1人、福祉職 1 人)

『いくさと愛と』(監修,東京新聞出版局, 1997 年),『木更津の女たち』(共

大気と海の間の熱の

海の魚について(健康食)/海運/深海流について/船舶への乗船または見学体験/かいそうおしば/クルー

ヘーゲル「法の哲学」 における刑罰理論の基礎