• 検索結果がありません。

グローバリゼーションにおける個人化と個人の新たな社会的存立基盤‐U.ベック「リスク社会論」の批判的検討を通じて‐

N/A
N/A
Protected

Academic year: 2021

シェア "グローバリゼーションにおける個人化と個人の新たな社会的存立基盤‐U.ベック「リスク社会論」の批判的検討を通じて‐"

Copied!
171
0
0

読み込み中.... (全文を見る)

全文

(1)2009年度(平成21年度). 学位論文. グローバリゼーションにおける個人他と 個人の新たな社会的存立基盤 U.ベック「リスク社会論」の批判的検討を通じて一. 兵庫教育大学大学院 学校教育研究科 教科・領域教育学専攻 社会系コース. lM108155K. 河 本. 尚.

(2) 目 次 論文題目. グローバリゼーションにおける個人化と個人の新たな社会的存立基盤 一U.ベックrリスク社会諭」の批判的検討を通じて一. 論文構成. 序 章 研究の同的・各章の内容一一一. 1. 第1節 研究の動機・研究目的一. 2. 第2節 各章の内容・一一一一一・…. 3. 第1章 社会と個人との関係の変容一一一・・. 7. 第1節 伝統的共同体による個人の包摂 一一一…・一. 8. 第2節近代化に伴う伝統的共同体からの個人の解放一. 9. 第3節 近代と深化するグローバリゼーションー・一・. 14. 第4節 グローバリゼ]ションにおける個人化過程∵一. 20. 第2章U.ベックにおける個人化概念と不安一. 34. 第1節 個人化過程と制度諭的視座一一・…一…一一・…. 35. 第2節個人化の進行とr広義の制度」…一一一一…. 38. (1)正当化の原理としての「広義の制度」…一一. 39. (2)前近代の伝統的共同体と宗教的な正当化一. 40. (3)近代社会への移行と「広義の制度」一一一一. 43. (4)偶人化過程と肱義の制度」一一…一一一一・. 51. 第3節. U、ベックにおける個人化概念の全景一一…. 56. (1). 共有される不安と捨象されざる「広義の制度」・一一…一. 56. (2). U.ベックの個人化概念における「普遍」とr限定」…. 61.

(3) 67. 第3章 日本の現代社会における個人化過程一・ 第1節 日本の近代化と「脱近代(ポスト・モダン)」をめぐる基本的な視一知. 68. 第2節 個人化の進行する日本の現代社会一一一…一. 75. (1). 77. (2). 78. (3) 労働にみる個人化…・一. …. 81. 82. (4). (5)医療と個人化一…一一. 83. 84. (6). (7)教育と個人化一一一一. 87. (8)法システムと個人化一. 89. 第3節 日本の個人化過程の特色と「制度の衰退」一一一一一…一・一…一…. 第4章. r広義の制度』の対比的検証と同本の個人化適程一一一一一. 91. 104. 第1節聖書的伝統に正当化されたr広義の制度」一. 105. 第2節 個人化の進行と捨象された日本における「広義の制度」…. 121. (1)民俗宗教に見る日本の宗教的伝統…一一. 122. (2) r広義の制度」の捨象と連帯の基盤一一一一一一一. 127. 終 章 社会的存立基盤をもたらす「多義酌・両義的」な自己循環の可能性一・ 第1節. 「広義の制度」と「多義的・両義的」な自己循環の可能性一一一一. 第2節 個人化の進行と学校教育における課題と展望一一一. 139 140 144. 補諭r矛盾する過程としての個人化」と学校における秩序の形成原理一・ 150 一一個人化を前提として「教師であること」の正当性はいかに担保されるのか一一. 参考文献一. 163.

(4) 序. 章. 研究の目的・各章の内容.

(5) 第1節 研究の動機・研究目的. 現代社会において,急速な情報通信技術の発達とともに,政治・経済・文化または環境 といった様々な諾側面においてグローバリゼーションが深化の度合いをますます強め,そ の影響は身近な生活のすみずみにまで及んでいる.. また,平成20年告示の中学校学習指導要領においても,現代目本の特色として少子高 齢化,情報化とともに,グローバル化があげられており1),それが政治や経済,国際関係 に影響を与えていることを,生徒に理解させるべきであると明記されている.. こういった不断に変化する社会の諸相は,過去から現在に至るまで,一人ひとりの人間 の生き方や,自己形成と深くかかわってきた.人間は社会的存在2)であり,人と人との関 わりの中で,多くのことを学び成長していく.. 人間が社会的存在であることを実感させるのは,家族や,学校,企業,地域社会など近 代的3)な社会集団に見られる身近なところでの安定した人と人とのつながりであり,こう いった身近な社会集団は,社会を可視的に考える基盤となってきた.中島道男によれば,. フランスの社会学者瓦.デュルケムは,社会的事実について以下のように定義し,社会的 事実という側面より社会の実在を論じている.. 思考及び感覚の諸形式からなっていて,個人に対しては外在し,且つ個人に影響を課 することめできる一種の強制力を持っている.従って,それらの事実は有機体的現象と は混同され得ないし,もっぱら個人意識の内部に,また偶人意識によって存在している 心理的現象とも混同され得ない.(中島2001:34). また,長谷川公一らは,ドイツの社会学者である,G.ジンメルの「多くの諸個人が相 互作用に入るとき,そこに社会は存在する」という主張から,社会とは人間と人間の間の 相互作用のことであると述べている(長谷川ほか2007:48). そして,個人は相互行為4)という糸が交差する「結び目」であり「個人とは社会的な糸 が互いに結びあう場所に過ぎず,人格とはこの結合の生じる特別な様式に他ならない」(長. 谷川ほか2007:48)とも論じている.当時,産業化に伴いヨーロッパに出現しつつあった 大都市での新たな人と人との関係に注目し,社会的存在としての人間と社会との関係は,. 時代とともに絶えず変化する過程のことであるとG.ジンメルは指摘したといえる..

(6) また,船津衛によると,自我の社会説に立っアメリカの社会心理学者G.H.ミードは 「人間の自我は社会過程において現れるが,それがひとたび現れると人間社会の複雑な発. 展にとって不可欠である」(船津2000:52)と主張しているが,このことも絶えず変化す る社会と人間の不可分な関係を示しているといえる.. このように,社会が実在し,個人が社会に影響を与え,そして個人もまた社会との関係 に規定されるという社会と個人の関係から,社会と個人は共に変化の循環的な関連の申に あるという関係性が浮かび上がる.. また,長谷川らは,「自己とは,相互行為と独立に,相互行為に先立って存在している ものではなく,相互行為の中で,相互行為を通して形成され,維持され,変化していくも の」(長谷川ほか2007:70)であるとして,この捉え方は,社会学における主要な自己に 関わる議論5)において共通するものであると指摘している.すなわち,自己形成とは,相 互行為に依拠した社会化6)と不即不離の関係であり,結果として社会に一定の秩序をもた らし,それがまた安定した相互行為の基盤となってきたといえる.. 伝統的共同体で構成された社会から近代社会への移行は,個人と社会との関係を大きく 変容させ,さらに,グローバリゼーションが深化する現代社会において,第1章で述べる ように,U.ベックらが指摘している個人化7)の進行と社会の変化は,家族や,学校,企 業,地域社会といった,今までの社会的基盤の再構築を迫るとともに,相互行為を成り立 たせる社会と個人との関係においても深刻な問題を提起していると考えられる.. 現代のグローバリゼーションと個人化の進行がもたらす社会の変容は,人間の社会生活 にどのような影響を与え,そして,人と人との結びつきや連帯は,どのような社会的基盤 の上に成り立つのだろうか.. 本研究は,グロ]バリゼーションと個人化が進行する現代目本社会における個人の依拠 する社会的存立基盤を探ることを目的として,具体的に以下のような章構成のもとで考察 を進めていく.. 第2節 各章の内容. 本研究は,現代社会を「第2の近代」(リスク社会)であるとする論考を背景としたU.. ベックの個人化概念を機軸として,第1章では,伝統的共同体から近代的社会集団への移 行,そしてグローバリゼーションの全面的な展開にいたるU.ベックのいう「第2の近代」. 3.

(7) における社会と個人との関係の変容について概観する.そして,現代社会の特色であるグ ローバリゼーションの深化を踏まえながら,現代社会における個人化とグローバリゼーシ ョンとの関連について整理し,U、ベックにおける個人化概念の定義と,その概念に含ま れる問題の所在,研究目的との関連を明確にする.. 第2章では,主としてP.L.バーガーやT.ルックマンに依拠して,制度諭の視点か らU.ベックの偶人化概念を捉え直し,M.ウェーバーの指摘するプ1コテスタンテイズム と近代資本主義との特有の関係といった歴史的な背景,または近代を自生的に生み出した 西欧における歴史的連続性に考慮しつつ,U.ベックのいう個人化概念の持つ射程を明確 にして本稿で捉え直した個人化概念の全体像を提示する.. そして,第3章においては,U.ベックのいう「第2の近代」における人と人との連帯, 対人結合という側面での基本的な視座を,主として塩原勉の議論に依拠して整理する.. さらに,現代目本社会の個人化過程の進行について,その状況を各領域ごとに概観する とともに,日本においてその進行が指摘される個人化の特色を考察する.. 第4章においては,U.ベックの個人化概念の重要な鍵である「不安」について,聖書 的伝統における「実存的な不安」という側面から考察を深めるとともに,同じく個人化過 程の進行が指摘される日本おける宗教的伝統について,聖書的伝統との対比的な視点から その特質をより強調して考察を進めていく.. 終章においては,本研究の論考を整理し,グローバリゼーションの深化を背景として日 本において進行する個人化過程の特色から,個人化社会での個人の依拠する社会的な存立 基盤について考察する.そして,日本において進行する個人化という視点から学校教育に おける課題と展望を,本研究の考察をもとにしてまとめていく.. [注コ. 1). 平成20年3月告示の中学校学習指導要領,第2章「各教科」第2節「社会」第2 の公民的分野の2「内容」(1)アの項.. 2). アリストテレスは,その著書である「政治学」の申で「人間は自然によってポリス 的動物である」と述べ,社会に対して能動的な人間像を描いている.. また,平成20年告示の中学校指導要領においては,社会科の公民的分野の教科内 容に関わるもののひとつとして,人間は本来社会的存在であることに着目させること. が重要であるとしている(平成20年3月告示中学校学習指導要領,第2章「各教科」. 4.

(8) 第2節「社会」第2の公民的分野の2「内容」(1)イの項).. 3)厚東洋輔によれば,日本では近代と一言で表されているものが,英語ではmodem,. moaemi毛y,mOaemiSmという言葉が使い分けられていて,それぞれ「近代的」「近 代性(近代的なもの)」「近代主義(近代の理念)」といった訳語が適当であろうと述. べている.modemなものを一般的に指示する言葉である㎜oaemItyは,「17世紀の 西欧(とりわけイギリス)で生まれ,19世紀から20世紀にかけて,フランス革命・ 産業革命・都市化などを通じて全世界に普及していった制度的構造」(厚東2006:12) と定義することができるだろうと述べている,. 具体的には,一例えば政治的な側面においては,中央集権化,政治の機能的な自立,. 合理的な官僚制化,さらに政治権々の正統性を構成員全員に求める三とや,民主主義 的な政治体制への移行といったことも近代化の過程として捉える事が出来る.また, 生産力の発展という見地から見れば,産業革命を画期として農業中心から工業中心へ と移行した急激な産業化も近代を特徴づける.このように現実には様々な表現形式を. 持つ近代の一般的な原理あるいは抽象的理念を指示する場合にはModem1S血が用い られるとされる(厚東2006).. 4)相互作用と同じ意味で用いられ,それは複数の行為主体の間で接触や身振り,言語 をはじめとした様々な記号や象徴を介して,直接的にまたは間接的に,それぞれの行 為者の行為がお互いに相手側の反応を呼び起こす刺激として作用しあうとされる(森 匠司}まカユ 1993:907)、. 本稿においては,G.ジンメルからの引用部分のみ「相互作用」としているが,そ れ以外では,長谷川らに従って一般的に使用される「相互行為」という語句で統一し て記述する(長谷川ほか2007).. 5)長谷川らが取り上げている自己に関する主要な議論は,G.ジンメルの絶えず変化 する相互行為により形成されるプロセスとしての自己,そして,I(主我)とMe(客 我)のコミュニケーションによる自己の形成を論じた,G.H.ミード,さらに,自 己は社会化の過程を通して形成されるとしたT.パーソンズ,役割距離や自己呈示と いう概念から,自己とは他者と共同で維持されているとしたアメリカの社会学者E. ゴフマンらの議論である(長谷川ほか2007).. 6)社会化とは,「学習を通して役割期待の体系を身につけていく過程」(長谷川ほか 2007162)のことであり,「社会が個人に内面化する」(中野1999:26)過程を示して.

(9) いる.いずれもT、パーソンズに代表される,社会的に共有されている価値(共有価 値)の内面化,すなわち役割取得による「社会化」概念について述べたものである. すなわち,個人が他者との相互作用の中で,社会に適切に参加することが可能にな るような,価値や知識,技能や行動などを習得する過程を示す(森岡ほか1993).. 7)本稿で用いる個人化とは,U.ベック(U.ベック1986=1998)の議論に従うこと とし,近代的な社会集団からの解放,すなわち階級,職場,家族といった集団から個. 人が切り離される過程を示す.個人化を引き起こすものとして,U.ベックは,環境 問題を例に挙げながら,不安に基づく新たな価値体系の出現に言及し,階級社会から 危険社会への移行を指摘している(第1章参照).. また,本稿では混乱を避けるため,一般的に用いられる「個人がより個人として自 立していく過程」または,「自我の形成・個性の形成過程」などの意味では個人化と いう語句を用いないこととする.ただし,引用部分に一般的な意味での個人化の表記 がある場合はそのまま引用する..

(10) 第1章 社会と個人との関係の変容. 7.

(11) 本章において,伝統的共同体で構成された社会から,グローバリゼーションの深化する 現代社会にいたる社会と個人との関係の変容について,近代を軸として概観することによ り,U.ベックらが言及する現代社会における個人化について,その概念が提起する社会 と個人との関係に関わる問題の所在を明らかにする.. 第1節 伝統的共同体による個人の包摂. 前近代的な伝統社会,村落共同体では,偶人と社会との関係において,社会集団そのも のが自己形成に大きな役割を果たしていたと考えられる.. 個人と社会について細谷昂らは,「われわれはふつう,諸個人が集まって集団をつくり 社会をつくったと考えている.しかし,歴史的には,社会あるいは集団が先にあって,諸 個人はその中に生みごまれたのである」(細谷ほか1983:13)と指摘し,近代以前の歴史 的に長期にわたる個人と,個人に優越する社会集団との関係を示唆している.. そして,近代化以前の社会は移動手段や情報手段が極めて限定的であり,人と人との関 係は濃密であり,共同体の規範が大きく個人の行動を規定する社会でもあった. 中島道男は,前近代のこのような社会を社会構造的に環節社会1)であるとして,人と人 の結びつきを機械的連帯と呼んだE.デュルケムの言葉を引用し,「ここでは集合意識2)が. 強力な支配力を持っており,極端に言えば成員の個性はゼロである」(中島2001:50)と 指摘している.また,機械的連帯について「個人的人格が集合的人格に吸収しつくされて いる限りにおいてのみ可能」(中島2001:50)であるとして,前近代の環節社会における 密接な個人と社会との関係を指摘している.. このような環節社会における機械的連帯について,A.ギデンズはr伝統はすべて規範 性なり道徳性を有していて,伝統に拘束力という特性を持たせている.伝統は単にその社 会において『なされる』事柄だけでなく『なすべき』事柄をも具体的に指示している」(U.. ベックほか1994=1997:124)として,伝統という側面より伝統的共同体が有していた個 人に対する社会的な拘束力について論じている.. いずれも,自己形成や個性の発達に対する社会集団の強力な規定力を示すものであり, 自己を形成するということは集団の規範や行動様式を身につけることと同義であったこと を示唆するものである.. さらにA一ギデンズは,危険を避けるための手段としての伝統の役割に注目し,伝統と 8.

(12) は反復行動であると定義しづつ,「『自分たちが承知している唯一の世界』に止まるための. 方法,つまり『相容れない異質な』生活価値や生活様式に身をさらすことを避ける手段な のである」(U.ベックほか1994=1997:137)と論じている、. また,Z.バウマンは,前近代社会において,個人に対する社会的圧力が,一人ひとり に反復行動を課すことについて「推奨され,強制され,学習された行動様式の単調さ,規 則性のおかげで,大体の場合人間は自ら進むべき道を知ることができる.……規範は拘束 であると同時に可能性である」(Z.バウマン2000二2001:27)と述べている.. 前近代の社会における伝統や集合意識,社会的圧力といった個人に還元できないものが 自己形成や一人ひとりの人間の生き方を強力に規定することに対して積極的に意義を見出 すこれらの指摘は重要であり留意する必要がある.. 第2節 近代化に伴う伝統的共同体からの個人の解放. 17世紀のイギリスにおける革命や,その後の産業革命の拡大などを契機とした近代社会 への移行は,啓蒙主義3)や市民社会4)の発展を背景とした,法主体,権利主体としての個 人5)の出現とともに,個人と社会との関係を構造的に大きく変容させていった. 近代社会の成立過程について,厚東洋輔は,「近代社会の成立は遠心化傾向をもつ主権・. 市場・市民社会・文明化,それに対抗して求心力として国民が配備されるという微妙なバ ランスの上にようやく成立した」(厚東2006:126)と述べて,遠心化傾向を内包する近代 社会の構造的な特徴という側面から近代化以前の社会構造と異なる点を指摘している.. また,中野秀一郎は,T.パーソンズの議論から,システム構造の再編成としての機能 分化に注目し,「近代化は急激な機能分化を伴うが,その結果,階層分化と役割の多元化が. 伸展する.人々の生活空間が広がると共に多元化し,様々な葛藤が生じるので,これに対 応できる新しい統合メカニズムが発達する」(中野1999:87)と述べて,急激な機能分化 とシステム構造の変化という視点から近代を捉えている.. さらに,Z、バウマンは,近代の特徴を「堅固なものの融解」にあるとして次のように 述べている.. 堅固なものを融解する試みは,「聖なるものの冒濱」,つまり過去や「伝統」すなわち. 現在における過去の蓄積と残津といったものを否定し,権威の座から引きずり下ろすこ. 9.

(13) とでもあった、それはまた堅固なものが身につけていた信仰や忠誠といった鎧を打ち砕 くことでもあった.(Z.バウマン2000二2001:6). さらに,「堅固なものの融解によって開かれた領域は,(ヴェーバーのいう)道具的理性,. あるいは(カール・マルクスのいう)経済の絶対的役割に侵略され,占拠された」(Z.バ ウマン2000=2001:7)と指摘一して,経済活動が,伝統的な政治的,倫理的,文化的束縛 から自由になり,その役割が増大したことを指摘している、. 遠心化傾向を持つ社会構造や,急激な社会の機能分化,そして「堅固なものの融解」と いった近代の特徴に関するこれらの指摘は,伝統や集合意識に支配された共同体が,もは や十全な社会的凝集性の基盤と成り得ないことを示し,身近な社会集団は近代社会への移 行にともない,「家共同体・村落共同体・同業組合・身分などの伝統的共同体から個人が解 放され,近代家族6)・コミュニティ・企業・階級などの新たな集団に再編」(長谷川ほか2007:. 72)されていった.. しかし,伝統的共同体からの個人の解放は,社会集団に埋没した没個性的な個人から, より自立した個人への変容を促したが,そのことが,個人が社会との結びつきを全く必要 としなくなり,社会集団が保持していた個人に対する社会化機能も失われだということを 意味するものではない.. では,近代社会において,個人はいかに社会と結びつき,社会化と一体である自己形成 はいかに達成されてきたのだろうか、. 居安正によれば,G.ジンメルは近代化に伴う社会集団の再編を,個人の特殊性が発達 することによる集団の同質性の崩壊と,同じ方向に異質化した成員の結合という視点から 捉え,伝統的共同体からの個人の解放に由来する人格の孤立化への補償が,同じ目的に関 心を持つ多数の人々が任意に結合する社会集団に存在すると指摘している(居安2000). そして,個人・家族・自治会というように個人を規定する集団が重層するよりも,企業・. 政党・趣味の団体などのように無関係に併存している社会集団への所属に対して,社会圏 の交差圧力という視点から,近代的な社会集団へのより積極的な意義を見出している(居 安2000).. 厚東も,近代に特徴的に見られる社会集団と自己形成との関連について言及し,近代の 個性を抑圧することなく自己実現を促進する集団は,アソシエーションであるとして, 「人々は一生を通して,同義的で・自発的で・多元的な,さまざまに異なったアソシエー 10.

(14) ションを遍歴する中で,一その個性を研ぎ澄まし,個性的存在へと自己形成していくという のが近代特有の生活スタイルである」(厚東2006:64)と指摘している. さらに,アソシエーションの基盤をなしているのは「『人権』や『市民権』によって培. われた共同性,近代的な意味でのコミュニティ」(厚東2006:67)が醸成する仲間意識で あるとして,近代における自己形成と社会的連帯についてアソシエーションとコミュニテ ィという集団類型から論じている.. また,中島によれば,E.デュルケムは近代社会への移行に伴い「集合意識は次第に一 般的かつ抽象的になり無数の個人の分裂を許容」(中島2001−61)するようになり,社会 的凝集性は成員の間の分業を通じた機能的な相互依存を通して維持されるとしたが,近代 の新たな分業による連帯においてなお,機械的連帯はその基盤をなし,集合意識は引き続 き,重要な位置を占めていると指摘している(中島2001). さらに,中野は「近代(社会)を一可能にしたものは,合理性(合理主義的精神)であっ. て,その仲間が功利主義であり,道具主義なのである」(中野1999:16)と指摘し,人間 の欲求充足に関連して無駄のない最も合理的な方法を最善とするある種の近代特有の道徳 律に言及している.そして,近代を可能なさしめた合理性または合理主義的精神のもとで は古くからの伝統ですら審査を免れることはできないとして,A.ギデンズは,近代社会 への移行と伝統との関係について次のように指摘している.. 伝統は,自らをr説明し正当づける」ことを求められる.一般的にいえば,r伝統は 理路整然とした言説による正統づけをおこなうことができる限りにおいてのみ」また, 単に他の伝統だけでなく,代替可能な他の生活様式との開かれた対話を始める用意がで きている限りのいてのみr存続しうる」のである.(U.ベックほか1994=1997:197). これらの議論から,個人と社会との関係から見た近代社会の特色は,第一に,伝統的共 同体から近代的社会集団への再編にともなう,伝統や集合意識,社会的圧力といった共同 体の個人に対する強力な社会化機能の弱体化であることが指摘できる.. 第二に,自らを何者なのか説明する必要もなく,為すべき行動も,守るべき規範も全て 示されていた社会化と自己形成が同義であった環節社会は,より個性的存在としての個人 を重視する社会へ構造的に変容したということであり,第三に,相互行為による自己形成 と社会化は,個人が所属する多様な社会集団一一伝統的共同体のように個人の全人格を強 11.

(15) 力に包摂することなく,しかも並列的に存在する社会集団 が,基盤となっていったと いうことである.. さらに,第四として,それ自体は個性的で多様な伝統的共同体の再編による社会的圧力 や集合意識の弱体化を背景に,近代社会において,相互行為によって内面化し得る共有価 値は,合理的で,かつ,啓蒙主義を背景とした人権思想に裏打ちされた法主体・権利主体 としての偶人と矛盾しない抽象的・一般的傾向を強めざるを得ないということも指摘でき る7).. また,共有価値が近代を可能にした合理性と密接に結びつき,なおかつ抽象的であると するならば,社会集団の枠を超えた個人に対する規定力という点においては,伝統的共同 体の保持していた個人に対する社会化機能とは質的に異なるということである.. ここまで,西欧出自の近代における個人と社会との関係に注目し,その特色を概観して きたが,本章の第1節の最後で述べた,かつての伝統的共同体による個人の包摂に積極的 な意義を見出したZ.バウマンらの指摘にも関連して,近代社会における個人と社会との 関係の変容が,個人にもたらした問題について,さらに立ち入って検証する.. E.デュルケムは自己本位と集団本位という視点から自殺という現象について考察を重 ね,広汎に発生している自殺のタイプは,自己本位的自殺であるとして,「その特徴は,常 軌を逸した個人化8)から生じる憂欝と無気力にある.ここでは個人は自己を現実につなぎ. とめてくれる唯一の媒介者,すなわち社会にもはや十分に結びついていないので,すでに 生きることに心ひかれていない」(E.デュルケム1897=1985:450)と指摘している. さらに自殺の別のタイプとしてアノミー9)的自殺をあげて,「それは個人が社会に結びつ. く様式にではなく,社会が個人を規制する様式によって規定されている点で,その他のタ イプから区別される」(固.デュルケム1897:1985:319)と述べている.. これらの指摘は,自殺の研究を通して,偶人が社会に緕びつく様式においては過剰な個 人主義や利已主義が,そして社会が個人を規制する様式においてはアノミーという欲望の 無規制状態が,近代社会への移行にともない変容する個人と社会の関係性に内在する問題 であることを明らかにしたと捉える事ができる、. また,西北ヨ]ロッパにおける近代資本主義の発展を,プロテスタンティズム,特にカ ルヴィニズムの世俗内的禁欲の工一トス10)の意図せざる結果であると論じたM.ウェー バーは,世俗内的禁欲と経済活動との関連について次のように述べている.. 12.

(16) プロテスタンティズムの世俗内的禁欲は,所有物の無頓着な享楽に全力を挙げて反対 し,消費を,とりわけ著傷的な消費を圧殺した.その反面その禁欲は心理的効果として 財の獲得を伝統主義的倫理の障害から解き放った.利潤の追求を合法化したばかりでな く,それをまさしく神の意思に沿うものと考えて,そうした伝統主義の樫椿を破砕して しまった.一・・肉の欲,外物への執着との戦いは,決して合理的営利との戦いではなく,. 所有物の非合理的使用に対する戦いなのだった.(M.ウェーバー1920=1989:342). さらに,M.ウェーバーは,このような世俗内的禁欲について,カルヴィニズムの教説 に関連した1647年のウェストミンスター信仰告白を引用して,次のように述べている、. この悲槍な非人間性を帯びる教説が,その壮大な帰結に身をゆだねた世代の心に与え ずにはおかなかった結果は何よりもまず,個々人のかつてみない内面的孤独化の感情だ った.(M.ウェーバー1920=1989:156). すなわち,神の恩寵に預かっているかどうかを証明し続けるための徹底した経済活動を も含めた生活態度の合理化が,意図せざる結果として,近代資本主義を発達させたという ことであり,近代を可能にした合理性は非合理な基盤の上に成立しだということを,逆説 的にM.ウェーバーは指摘している(lM.ウェーバ]1920=1989). そして,このことは近代を可能にした合理性に内在する個人の内面的孤独化という問題 を指摘したと捉えることも可能であり,教理の妥当性が失われてもなおピューリタニズム の伝統を持つ人々に対して,近代の合理性を通して,その生活に影響を及ぼし続けている ことを示唆している.. G.ジンメルも伝統的共同体からの個人の解放に由来する人格の孤立化(居安2000)を 指摘しているが,M.ウェーバ』もまたプロテスタンティズムに由来する世俗内禁欲とい う側面から個人の内面的孤独化を指摘したということである.. E.デュルケムとM.ウェーバーの議論より,近代社会への移行がもたらす個人と社会 との関係における問題点として,個人と社会の結びつきの希薄化という視点から個人が社 会に結びつく様式での過剰な個入主義や利己主義を,そして社会が個人を規制する様式に おいてはアノミーを,さらに,近代を支える合理性に内在するものとして個人の内面的孤 独化を概観してきた.そして伝統的共同体から近代社会への移行に伴う個人と社会集団と. 13.

(17) の関係の変容が自己形成にも大きな影響を与えたことが,これらの指摘からもより明確に なる.. 役割取得による自己形成に関連して,船津衛によれば,アメリカの社会学者G.H.ミ ードは,「意味のある他者」の期待と,さらに,複数の他者の期待をまとめあげ,組織化し,. 一般化することによって生まれた「一般化された他者」の期待の取得によって自我の社会 性は拡大すると論じている(船津2000).. 官僚制や近代資本主義的組織をはじめ,近代のあらゆる制度的構造は,その誕生の歴史 的背景より,合理性(形式合理性)の追求が最大の命題であり,近代の社会集団を基盤と した相互行為によって「意味のある他者」または「一般化された他者」から取得する役割 期待で最も重要なものは,合理性の止むことのない追求を是とする行動様式であり,さら. に,法主体・権利主体としての形式的個人を背景に,個人を個性南存在である見なし一 他者への無関心にも繋がる可能性もあるが ,個人の異質化を認め,さらにそれを促進 しようとする行動様式も,分業による相互依存とも関連して,「一般化された他者」から常 に期待されていることでもある.. 形式合理性そして個性的存在である個人の尊重は,近代においてあらゆる社会集団に, そして公共空間においてさえ,共通して見られる役割期待であり11),近代社会全体の共 有価値として見なすことも可能である.. そして,伝統的共同体が近代的な社会集団に再編されたことに伴い,キリスト教的倫理 観の影響を受けた人間一般の品位や道徳性・行動規範といったものに抽象化・一般化され た集合意識・共有価値は,個人に対する規定カは弱体化しつつも,個人の内面的孤独や,. 他者への無関心に関係する過剰な個人主義やアノミ]など,近代の社会集団を基盤とした 自己形成に関わる問題に対して,合理性との親和性から問題をより深刻にする方向に働く. 側面と,他方では,抽象化・一般化されたが故に世代や社会集団の枠を超えて連帯をもた らすという二律背反的な傾向を強めていったと考えられる.. 第3節 近代と深化するグローバリゼーション12). 前節において,伝統的共同体から近代社会への移行を概観し,近代社会の特徴を個人と 社会との関係という側面を中心に整理し,近代的な社会集団を基盤とした網五行為による 自己形成を,主として合理性の追求や,形式的個人像,抽象的な道徳性といった共有価値. 14.

(18) の内面化による個人の社会化という視点から論述してきた.. 現代社会の特色の一つであるグローバリゼーションは,近代社会における個人と社会と の関係に大きな影響を及ぼし,U.ベックらの議論に従えば,個人化とも密接に関連して いる、グローバリゼーションと個人化との関連,および偶人化の提起する問題を考察する 前提として,本節においては,まずグローバリゼーションという現象そのものを概観し, その現象を可能としたもの,引き起こしたものは何かを整理する.. 歴史上,グローバルな拡大を示したものは,いくつか存在する.例えば,ローマ帝国の 国教化を契機としたキリスト教の拡大,世界帝国とも呼べる規模に版図を広げたモンゴル 帝国,そして,欧米列強による植民地支配の拡大などが考えられる.. 現在のグローバリゼーションは,1960年代以降,核戦争に対する危機意識や環境問題, グローバルエコノミーの興隆や,グロ]バルなコミュニケーションシステムの整備などを. 契機として本格化したとされ(厚東2006),1990年代初頭の米ソ冷戦の終結を,またひ とつの画期として,文字通り地球規模で全面的に展開していったものであり,厚東によれ ば「人々の結びつきが次第に拡大し,全世界規模に到達する歴史的趨勢(トレンド)」(厚 東2006:102)であると定華される.. また,J.トムリンソンは,グローバリゼーションとは近代世界におけるひとつの経験 的状況であるとして,社会生活を特徴づける相互結合性と,相互依存性の果てしない欄密 化を意味する複合的結合性という視点からグロ]バリゼーションを捉えている(J,トム リンソン1999鶉2000).. これらは,様々な側面からの多様な定義が存在する中で,いずれも世界規模で拡大する 人々の結びつきに視点を置いてグ1コーバリゼーションを定義しようとするものである.. そして,それは一人ひとりの個人のレベルにも,グローバリゼーションが影響を及ぼし ているということを示唆している.. 現在のグローバリゼーションは,過去にグローバルな拡大を示したものと比較して,影 響の及ぶ範囲やその深さにおいて類をみない現象であり,中村則弘は「グローバルな動き は圧倒的な規定力を持ってのしかかってくる.それは巨大システムによる包摂の強さであ り,ローカルな対応を崩壊させるほどの規模である」(中村・高橋編20081xiv)と指摘し ている.. そして,「私たちの生活は世界各地の事象に大きな影響を受けており,地球全体を視野に おさめない限り,その意味を理解することはできない」(厚東2006:103)とされ,「グロ 15.

(19) 一バル化は『こちら側』の問題になり,生活の最も私的な諸側面にさえ影響を及ぼしてい る」(U.ベックほか.1994:1997:197)とされる.. これらの指摘からも,一個人的な日常生活の隅々まで影響を及ぼす現在のグローバリゼー. ションの影響力の大きさが窺える.また,長谷川公丁らは,グローバリゼーションをめぐ 一る重層的な社会過程を5つの領域13)に整理した五アーリの枠組みをもとに,イデオロギ. ーとしてのグロ]バリゼーションに言及し,今やグローバリゼーションは人々の認識や行 動をも枠づける力を獲得し始めたと指摘している(長谷川ほか2007:330・332).. これらのことからも,現在グロ]バリゼーションは個人の私的な生活にまで深く影響を 及ぼし,日常的に,かつ身近に接する言葉となり,その不可逆性と,必然性がもはや自明 の前提とな.りっつあるということがいえる、. さらに,川崎嘉元は,グローバリゼーションに関わるすべての問題はアイデンティティ の問題と深くかかわるとして次のように指摘している.. グローバリゼーションの進行は,気ままで世界の人々を安住させていた政治的・経済 的・文化的・社会的生活基盤を揺り動かし,日々の生活様式に変容を迫る.そして基盤 の変容が生む人々の不安の基礎には,アイデンティティ・クライシスエ4)が横たわって いる.(川崎ほか2004:8). J.トムリンソンは,このような政治・経済・文化の諸次元15)はもとより,個人の身近. な生活に至るまで様々な影響を及ぼしているグローバリゼ]ションを捉えていく,ひとつ の枠組みとして次のような指摘をしている.一. これまで我々が社会や文化を理解するときに伸介役を務めてきたのと同じ範疇や理 論を通じて初めて見えるものなのである.その中で最も強力なものといえば,おそらく 近代性という範濤であろう.(J.トムリンソン1999=2000:64). グローバリゼーションを,近代性と深く結びつく現象であるとして,強力な「近代性と いう範騰」から捉えた時,その現象を引き起こした原因,その由来はどのような近代の要 素に求められるのだろうか.. 山之内靖によれば,西欧近代のプロテスタンティズムに由来した合理性を論じた,M.. 16.

(20) ウェーバーは,個人の内面的孤独化を指摘する]方で(本章第2節),西欧近代の普遍的 な意義と妥当性をもつ文化的諸現象について,合理化.された世界像による行為の構造化と いう視点から分析を加えている(山之内1997).つまり,M、・ウェーバーは近代を可能と. した合理性こそが,西欧近代が普遍的な意義と妥当性を持ち得る重要な要素であると捉え ていたということである.. 普遍的な近代の合理性という視点に関連して,厚東は西欧中心主義的な見方に陥ること を警告しつつ,晒欧が生み出したモダン(近代)は,移転可能性がその極限まで登り詰め た文明(文化)と規定できるだろう」(厚東2006:113)と述べている. そして,.異なった文化圏に移植しても作動し続ける近代固有の特性について,「『文化の. 移転可能性』すなわち,『ある文化項目が,異なった社会的・文化的コンテクストに移し替 えられても本来の活動水準が損なわれ一ることなく作動する能力』という概念」(厚東2006: 111・112)’を提示して,高度の形式合理性に基づく移転可能性という側面から近代性(近. 代的なもの)を捉え,近代性の拡大または近代性の変容としてのグ1コーバリゼーションに 言及している(厚東2006).. また,A.ギデンズも,広く世界に浸透するカを持つ文明として西欧近代を以下のよう に捉えている.. 今日のグローバル化の過程は,近代の最初期段階を通して確立されていった例の初期 の様式を,依然として少なくとも踏襲している.たとえば,資本主義経済活動は《何に も増して》脱埋め込みメカニズムであり,かつては資本主義に抵抗してきた世界の至る ところで,これまでと同様に徹底的に他を圧している.……欧米の文明ほど広く世界 に浸透する影響力を持ち,また,世界を欧米文明に固有の概念だけで形成していった文 明は他になかった.(U.ベックほか1994=1997:180). すなわち,政治・経済・文化などの多様な側面で,広く,深く影響を及ぼしているグロ ーバリゼーションは,近代性のグロ]バルな拡大という枠組みから捉えることが可能であ り16),その由来を近代固有の高度な形式合理性に基づく移転可能性に,求めることができ ると・いうことである.. そして,第2節で言及した,近代における個人の社会化に大きな影響を及ぼした,共有 価値としての合理性は,「移転可能性を高める方向で進行した」(厚東2006:113)西欧合 17.

(21) 理主義との関連から捉えなくてはならないということでもある.. また,高度の形式合理性と移転可能能力を特徴とする近代性の拡大として捉えたグロー バリゼーションは,必然的に世界の画一化という方向性を内包しているといえるが,実際 には異なった文化圏への近代偉の拡大は複雑な様相を呈している.. 例えば,新津晃一は,文化の次元において,政治的・経済的に強い背景を持った中心国 からの文化が周辺へと波及する傾向が強いことを指摘しながらも,他方では,様々な地域. や国家からの文化が相互に流入しあい,混合文化を形成していくことにも言及している (新津・吉原編2006:19).. さらに,文化的な側面に限らず,世界の画一化に関連して,栗岡英幸は「グローバリゼ ーションは世界の画一化を促すと同時に,その画一化への各現場(ローカル)における抵 抗もしくは『適応』が,意図的もしくは非意図的に画一化を拒み多様化を推し進める」(中 村・栗閏編2008:231)と指摘している.. また,非西欧文化圏への近代性の拡大に関連して厚東は以下のように述べ,ハイブリッ ドモダンという概念を提起している.. モダニティは移転に成功するためには土着文化とハイブリッド化せざるをえず,その 過程で或る独特の変容を蒙り,ハイブリッドモダンという姿をとることによりはじめて 定着することができる……グローバリゼーションとは異文化混清が地球規模で行われ, 「異種混清」という経験がますますグローバル化されるとい.うことに他ならない.. (厚東2006:165). そして,厚東は,「西欧で生まれたモダンを異なった文脈に移し替えようとしたとき, そこにポスト1モダン1の的状況が生まれる」(厚東2006:32)のであり,「非西欧圏では,. ポスト・モダンは西欧からのモダンの移転によって生み出される全体社会に関わるひとつ の型と見なされるべきである」(厚東2006:33)と指摘している1. そして,モダンの変容には2つのパターンが区別されるべきであるとして,西欧で見ら れるモダンの内省的な自己展開によって生じるポスト・モダンと,異なったコンテクスト ヘの移転によって生み出される方向性の2つを指摘する、. 前者は時間軸上の進化論的パースペクティブが有効であり,後者は空間軸上で整理する 伝播論的パースペクティブが有効であるとして,モダンの空間的移動によって生じる変容. 18.

(22) は,表面的・現象的に類似していてもポスト・モダンとはいえな・いと指摘している.. そして,このような空間的な移動によるモダンの変容の様相をハイブリッドモダンと呼 び,それが成り立つメカニズムの相違から,ポスト・モダンとの概念的な峻別の必要性に 言及している(厚東2006).. さらに,厚東は,政治的近代化の3つの原理(国家・民主主義・国民)18)に言及し,そ. れぞれの特徴を論じているが,対立する「国家形成」と「民主主義」,そして2つの原理 を調停する第3項として「ナショナリズム」19)をあげている(厚東2006).. そして,政治的近代を構成する3つの原理を非西欧圏への伝播可能性という観点から比 較検討し,「発生母体を超えて,全世界に広がる能力という点で卓越していたのが,いうま. でもなくナショナリズムである」(厚東2006:48)と指摘し,さらに,国家形成について は官僚制という外形は類似していても,動かす原理が合理的でなかったりすることも多い として,ナショナリズムに比べて移植は困難を伴うとも述べている(厚東2006).. そして,「何と言っても非西欧圏が見習うことが最高に難しかったのはデモクラシーで ある」(厚東2006:49)と述べて,民主主義は西欧文化に深々と染め上げられた政治原則 であり,「民主主義の移植が難しいのは,古代から近代へ,西欧から非西欧へという,いわ. ば,2段階の借用ないし転用に成功しなければならないからと考えられるだろう」(厚東 2006:49)と指摘している.. また,人ギデンズは,グローバリゼーションによって近代性そのものが間われている として次のような指摘をしている.. モダニティは今日「その東の意味の自覚」を余儀なくされている.それは,モダニテ ィそのものが世界中に一般化していったことによる.欧米が他の文化に対して及ぼす覇 権の基盤の吟味がもはや避けられないように,モダニティの生み出してきた規範や社会 形態も同じように精査を免れることはできないのである.. (U.ベックほか1994:1997:106). これらの指摘から,近代性の拡大としてのグローバリゼーションは,世界の画一化を進 めるという側面があると同時に,異なった文化圏への定着においては,改変され,変容を 蒙り,厚東のいう異種混清が進むという複雑な過程をたどるということであり,日本の近 代化について考察する上でも重要な視点であるといえる、 19.

(23) そして,グロ〕バリゼーションは,近代性そのものを間い直す契機ともなっているとい うことでもある.. 第4節グローバリゼーションにおける個人化過程 前節において,グローバリゼーションという現象の由来,その捉え方を,近代性との関 連から概観してきた、. 本節において,前半でU.ベックらが指摘する現代社会における個人化過程に関わる議 論を整理し,本章第1節から第3節までの考察を基盤として,本稿の研究目的にも関連し て,個人化概念が提起する個人と社会との関係にかかわる問題を検証していく. U.ベッークのいう個人化は,近代化にともない伝統的共同体から解放された個人が,さ. らに近代的社会集団からも切り離されていく過程を示しているが,グローバリゼーション と個人化について,「個人化とグローバル化は,事実,再帰的近代化20)という同じ過程の. 2つの側面なのである」(U.ベックほか1994=1997:32)として,近代社会は個人化とグ ローバル化を特徴とする第2の近代,後期近代とも呼ぶべき新たな段階に移行したと主張 している.. つまり,U.ベックに代表される現代社会における個人化過程は,現代社会を新たな段. 階に移行した近代,第2の近代であるとする論考が背景にあり,その第2の近代をもたら した再帰的近代化を,「工業社会という一つの時代全体の創造的〈自己〉破壊の可能性を意 味し,その創造的破壊の主因は,革命でも恐慌でもなく,西側社会の近代化の勝利である」 (U.ベックはカ)1994:1997:11)と定義し,以下のようにその特徴を描写している、. 再帰的近代化とは,発達が。自己破壊に転化する可能性があり,また,その自己破壊の. 中で,ひとつの近代化が別の近代化を蝕み,変化させていくような新たな段階である. ・・力強い経済成長や技術の急激な高度化,雇用の高い安定度もまた工業社会を新しい 時代に出航させる.(U.ベックほか1994:1997:12−13). そして,工業社会の再帰的近代化は,よく目にし,時には望まれたものであるため,気 づかないうちに引き起こされていくものであり,「創造的く自己〉破壊」により,近代工業 社会はその発展とともに,「富の社会的生産と並行して危険が社会的に生産されるようにな. 20.

(24) る」(U.ベック1986=1998:23)として,第2の近代をリスク社会21)への移行として捉 えている.U.ベックはグローバル化・深刻化する環境問題に言及しながら「工業社会は その独自の原動力と,その成功によって,保険をかけることのできない脅威に満ちた未知 の土地に滑り込み始めている.不確実性が再来し,あちこちで増殖している」(U.ベック. ほか1994=1997:29)と指摘し,この近代化に伴う危険性・リスクの拡大こそが近代社会 を新たな段階に移行させた原動力であるとしている. さらに,「危険はそれが及ぶ範囲内で平等に作用し,その影響を受ける人々を平等化する.. 危険の持つ新しいタイプの政治的なカはまさにここにある」(U.ベック1986=1998123) と指摘し,次のように述べている、. 階級社会から危険社会への移行に伴って,それぞれ全く異なった2つの価値体系が見 られる.階級社会の発展カは常に平等という理想と常に関わっている.危険社会の基礎 となり社会を動かしている規範的な対立概念は安全性である.危険社会には「不平等社 会」の価値体系に代わって,「不安」社会の価値体系が現れる.危険社会では階級社会 に見られる欠乏の共有に代わって不安の共有が見られる一(U.ベック1986=1998:75). これらのことから,前節において近代性の拡大として捉えたグローバリゼーションは,U.. ベックにおいては,近代の必然としてのrリスクのグローバル化」という視点が付与され,. 「それが及ぶ範囲内で平等に作用するリスク」(U.ベック1986=1998)が,階級に規定 されない不安の共有を特徴としたリスク社会への移行をもたらしたということがいえる.. さらにU.ベックは,階級社会では「『上層に属する人と下層に属する人』といった自 己認識が形成され固定化され得るが,危険における社会状況は,階級の場合とは全く別の 様相を呈する」(U’ベック1986=1998:57)と指摘している.. 個人化という概念は,このリスク社会への移行に伴う自己認識や自己形成の在り方の変 化を,社会と切り離されていく個人という視点から示すものであり,「工業社会文化に見出 す,集合的な,集団に固有の意味供給源は枯渇し,解体しようとしている」(U.ベックほ. か1994=1997:20)申で,個人が「封建的な,宗教による超越論的な確実性から工業社会. への『放出』ではなく,工業社会から地球規模のリスク社会という混乱の申に『放出さ れ始めている」(U.ベックはカ子1994=1997:20)過程の中で個人化の進行を捉えている ということである... 21.

(25) そして,社会階級からの解放と女性の解放に結晶化22)した個人化過程は,家族=職業 と.いう産業社会の座標軸に圧力を加え,「危険や不確実性によって,産業社会の内部構造や. その中にはめ込まれた個人の生き方の基底にある自明性は,擦り減ってしまい作り替えら れる」(U.ベックほか1994=1997:137)ことになるとU.ベックは指摘している. そして,噸人化とは,工業社会的生き方の脱埋め込みを,次に新たな生き方による工業 社会的生き方の再埋め込みを意味し,この新たな生き方においては一人ひとりが自らの生 活歴を創作し,上演し,補修していかねばならない」(U.ベックほか1994=1997:30) とも述べている.. 個人化の進行によって,「すべてのことが自分の自我,あるいは自分自身の人生の軸の周 りを回るようになる」一方で,「共同で行った行為が自分の人生を変化させるような領域は. 減少し,自分の人生行路を自分で作るよう強制される」(U.ベック1986:1998:226)よ うになり,U.ベックによれば,そこではもはや,身分も社会階級も,家族すらも安定し た準拠枠とはなりえず,個々人が,市場に媒介された自分の生存保障と人生計画および人 生編成の行為者となるということである(U.ベック1986=1998).. さらに,U.ベックは「近代的社会集団からの個人の解放」を論じる一方で,個人化過 程においては,偶人がより一層制度に依存する状況をともなうことも指摘している.. それは,個人化概念が高度の発達した工業社会のリスク社会への移行を前提とするとと もに,高度に発達した社会保障制度,すなわち福祉国家23)の発展をも前提としているこ とに由来する.. そして,個々人の状況が分化していく一方で,個人化を引き起こす媒体は,生活状況の 制度化と標準化もともなうと指摘し,以下のように述べている.. 解放された個々人は労働市場に依存しており,そのために教育や消費や社会保障法の 規定や給付に依存し,交通計画や消費財の僕給に依存し,一・これらすべては「制度に 依存した個々人の状況」に対する特別な統制構造があることを示している. (U.ベック1986:1998:142). そして,社会集団の側から見れば個人への規定力を喪失し,個人の側から見れば社会集 団が準拠枠でなくなっていく個人化過程において,制度に依存する個人と社会形成につい て,以下の様に描写している.. 22.

(26) 個人の状況は,これまで分離されていた私的領域とさまざまな公的領域を縦断するよ うに広がっているのである.個人の状況は,もはや単に私的なものであるだけでなく,. 常にまた制度的状況でもある.個人の状況は,制度に依存した個人の情況という,矛盾 する2つの顔を持っている.一・・個人化は最も進歩した形の,市場や法や教育等に依 存した社会化になっている.(U、ベック1986=1998:259). これらのことから,U.ベックの主張する現代社会の特色としての個人化は,第一に, 高度に発達した近代社会の必然的な帰結としての第2の近代・リスク社会への移行に伴う ものであり,第二に,工業社会の発展がもたらす環境に関わるリスクや,失業等の働く上 でのリスクが,もはや社会階級と関連せず,人々を結びつけるものが,階級に規定された 貧困による連帯から,不安の共有による連帯へと移行したとするものである. そして,第三に,女性をめぐる情況の変化と,社会階級からの解放により,近代家族・ コミュニティ・.企業・階級などの近代的社会集団は安定した個人の準拠枠としての機能を. 喪失し,個人は個人として社会的再生産の単位となり,集団に準拠せず自分自身が何者な のかを説明し,個人の責任において自らの生活歴の創作・上演・補修を迫られているとい うことである、. さらに第四の特色として,個人化は個人の情況を標準化し,法や制度への個人の依存と いう現象を伴うものであり,「これは福祉国家が大分進んでから後になって出現する現象」 (U.ベック1986=1998:258)であると指摘されている.ことである.. U.ベックは第2の近代における個人化された個人の人生の目標となるのは,自己実現 や自分自身のアイデンティティの探求,そして個人的能力の発達といったことであると指 摘し,リスク社会における個人の行為モデル24)を提起している.. このような,U.ベックの個人化概念を,個人の準拠枠としての社会集団という視点か ら図示すると次のようになる(河本2009).. 23.

(27) 図1{.U.ベックの論じる社会集団と個人化過程のイメージ. 弱. 個人の準拠枠としての社会集団 .. 1. 個人. I 1. 集. I. 階級と役割分業二新たな身分制. 団 に. 1. 個人の状況の標準化. I l. 不安の共有. 一. ; 法・狭義の制度への依存. I. i. ↓. l. l. よ る. 個 人. 1 階級・役割分業からの個人の解放. 個人. I. 近代的社会集団. の. 一. = 近代的社会集団 = ■. 包. ■. l. l. 摂 I. 一、 個人. 一. ; 伝統・文化. 。’. 伝統的共同体. I. I. I. 一. 1. ■. ;. 一. 伝統・文化. 1 I. 1. − 一. ; (伝統的共同体) =. : (伝統的共同体) =. I. I. 1. l. ■. 1. ■. 1. 強. 前近代. 前期近代. 後期近代(第2の近代). (出所) 拙稿(河本2009)において,U.ベック『危険社会』(東廉・伊藤美登里訳1986=1998)を 参考に筆者が作成したものを転載.. 注1)U.ベックによる伝統・文化に対する詳細な言及はなされていない.一方,A.ギデンズは,近 代社会への移行とその発展に伴って,伝統は「理路整然とした言説により,正当化されたもの」 に再構成されると指摘している(U.ベックほか1994=1997).. 注2) 『近代的社会集団からの個入の解放」は,集団そのものの消失を意味するものではなく近代的 社会集団の偶人に対する規定力の変容という視点で捉えている.. 注3)U.ベックは前期近代(産業社会)をr半分は産業社会,半分は身分制社会」であり,自由と 平等という近代の原理は,「男性・職業」で実現し「女性・家族」の犠牲を強いるものであったと 指摘している.ただし,産業社会における身分制は,階級と役割分業を特色とするものであり, 伝統的遺制ではない新たな封建関係の創造であり,産業社会の根幹を成すものとされている(U. ベック1986=1998).. また,U.ベックと同様に,第2節において言及したZ、バウマンも近代社会の新たな 段階への移行という視点に立ち,「現代社会とは,ポスト・モダンと呼ばれる後期近代社会. のことであり,ウルリッヒ・ベックが『第2の近代』といい,私が『流動的近代』といっ 24.

(28) た方がふさわしいと考える時代のことである」(Z.バウマン2000二2001131)と述べてい る.そして,近代の永遠の特徴を「堅固なるものの融解」(本章第2節)であるとしたZ. バウマンは,「流動的近代である今,堆塙に投げ込まれ,溶かされかけているのは,集団的. な事業や集団的な行動において,かつて個人偶人それぞれの選択を結んでいたつながりで ある」(Z.バウマン2000=2001:9)と指摘し,流動的近代における個人の生活に関連す る指針,道案内となる形式,法規,規則といったものについて次のように言及している.. 今日の範型や形式は「所与の」ものではなく,ましてや「明白な」ものではない.大 変な数の形式や範型が衝突しあい,それらの発する命令は互いに矛盾し,個々の範型, 形式には絶対的拘束力と強制力がない,…・一我々の生きる近代は,同じ近代でも個人,. 私中心の近代であり,範型と形式を作る重い任務は個人の双肩にかかり,つくるのに失 敗した場合も責任は個人だけに帰せられる.(Z.バウマン2000=2001:11). そして,Z.バウマンのいう初期近代と後期近代(流動的近代)における個人化過程の 異なる点を次のように述べている.. 階級とジェンダーは「自然の摂理」であり,自立を目指すほとんどの個人にできる仕 事と.いえば,割り当てられた場所で,同じ場所の人々と同じ行動をとり,その場所に「と. けこむ」ことにすぎなかった、一・いまや個人が新しくおさまるべき場所は,準備さ れておらず,たとえあったとしても居場所としては全く不十分で,個人がおさまりきる 前に消えてしまうような頼りない場所でしかない.(Z.バウマン2000=2001:44). そして,「個人化の圧力を受けた結果,個人は次第にそして確実に,市民性の鎧を剥奪さ. れ,市民としての能力を没収され始めている.目下のところ形式上の個人が事実上の個人 (真の自己実現に不可欠な条件を保有する人のこと)に変身する可能性は皆無に近い」. (Z.バウマン2000=2001:53)として,個人が市民としての素養,市民としての能力を 取り戻すことの重要性に言及している.. Z.バウマンのいう個人化においても,後期近代として捉えた現代社会の必然であると する点や,「社会は危険と矛盾を生産し続ける一方,それらへの対処は個人に押し付ける」. (Z.バウマン2000=2001:45)という指摘から,U.ベックのいうリスク社会との関連. 25.

(29) を見出すことが可能であり,近代家族・コミュニティ・企業・階級などが個人の生活にお ける「形式や範型」を示すものではなくなり,「範型と形式を作る重い任務」がすべて個人. に還元されていくことなど,後期近代における社会と個人との関係の大きな変化が同様に 強調されている.. これらの議論は,本章第1・2節において概観した,伝統的共同体から近代社会への移 行において見られた一貫して個人が個人として自立していく過程の延長線上に捉えること ができる.. 本稿においても,現代社会における個人化の過程を考察の基礎とするが,人間を社会的 存在として捉えるならば,近代的社会集団からも個人が解放される個人化過程において,. 自己形成や社会化がどのような社会的基盤のもとで成立していくのかという問題を個人化 概念は内包している.. 近代的社会集団が個人の準拠枠としての機能を失うと論じられ,個人にすべてが帰せら れると指摘されているが,社会と切り離すことのできない個人が,個人化過程の中で存立 基盤とする社会集団はどのようなものであり,そして,U.ベックのいう個人化した社会 での連帯を可能とする「脱伝統化・個人化された生活世界での社会的アイデンティティ形 成過程」(U.ベック1986=1998:143)は個人と社会集団とのどのような関わりの中で成 立し得るのかという問題である.. これは,U.ベックが指摘している,社会集団から切り離され,法や制度にますます依 存する個人の情況とも深く関連する問題でもある.. さらに,U.一ベックらの議論に従い,個人化が近代社会の必然的帰結であるとしても,. その内実は近代の固有の特徴である普遍性(高度な形式合理性と移転可能能力)ゆえに普 遍化できない(移転における改変と変容・異種混清)という問題も指摘することができる.. U.ベックが個人化に関わる論述においてrドイツ連邦共和国において」(U.ベック 1986=1998)という限定の上で議論を展開していることも,個人化という概念の内実がす べての面で一般化できないことを示唆していると考える. つまり,U.ベックが言及しているリスク社会における「不安の共有による連帯」25)を. 例とするならば,不安を共有し,不安を内面化した個人による新たな連帯がドイツでは可 能なのかもしれないが,決してそれは一般化できないということである、. そして,このことは近代の必然としての個人化概念に内在する問題点であると同時に, たとえ進行する個人化過程の中にあっても,「不安の共有による連帯」だけでなく,多様な. 26.

(30) 連帯の可能性があることも示唆しているといえる.. 本節において,U、ベックやZ.バウマンの個人化概念を概観し,その概念に内在する 問題を検証してきたが,研究目的との関連でいえば,本研究は,こういった個人化概念に 内在する問題に対して考察を深めることで,日本における個人化過程の特質と問題点を検 証しようとするものである.. そして,個人化過程が高度に発達した工業社会,そして発展した福祉国家を前提とする ことも考え合わせると,U.ベックらの個人化概念の射程は限定的なものであるといえる が,近代的な国家(近代社会)であり,先進国であるとされている日本は,個人化概念の 射程で捉えうる形式的な条件が揃っているということである. 次章において,本章での考察を踏まえながら,一個人と社会との関係という視点から見た 日本あ近代化と,現代の日本社会における個人化の過程を,様々な問題状況と関連させな がら検証していく.. [注コ. 1)前近代社会を社会構造の面から捉え,前近代社会が類似した基本的集合体の反復に よって成立していることを示す(中島2001). 2)中島は集合意識について「『同じ社会の成員たちの平均に共通な誇信念と諸感情の総. 体』と定義され,諸個人のうちにしか実現されないが,個人の個別的な諸意識とは全 く異なる『社会の心理的型』」(中島2001:50)であるとE.デュルケムの議論より説 明している.. 3)18世紀のフランスを中心に展開された,理性の普遍的な性格や人間の完成可能性 を無限と見なす観念に基づいて,宗教的・絶対主義的権威からの人間の自由,基本的 諸権利の保障などを追求する思想運動の総称とされる(森岡ほか1993).. 4)一般的に参政権などに代表される市民権を持っ住民を基礎に成り立つ社会のことで あるが,本稿においてはJ.ハーバ]マスのいう「私人の領域と公権力の領域の分離」. (花岡1993)された中で,家族=職業の領域を「狭義の市民社会」とし,公共圏を 加えて「広義の市民社会」であるとする視点に立つ.・. また,厚東は国民国家と市民権との関係について,国民国家の成立後は,市民権は 国籍を基準に付与される派生的権利にすぎないと指摘し,「法的権利の有無によって 社会のバウンダリーが定められているという点で,現代の国民は市民社会の論理を引. 27.

参照

関連したドキュメント

在させていないような孤立的個人では決してない。もし、そのような存在で

当社は「世界を変える、新しい流れを。」というミッションの下、インターネットを通じて、法人・個人の垣根 を 壊 し 、 誰 もが 多様 な 専門性 を 生 かすことで 今 まで

「欲求とはけっしてある特定のモノへの欲求で はなくて、差異への欲求(社会的な意味への 欲望)であることを認めるなら、完全な満足な どというものは存在しない

自分ではおかしいと思って も、「自分の体は汚れてい るのではないか」「ひどい ことを周りの人にしたので

個人は,その社会生活関係において自己の自由意思にもとづいて契約をす

全ての人にとっての人権であるという考え方から、国連の諸機関においては、より広義な「SO GI(Sexual Orientation and