はじめに 政治学において政治家と官僚の関係を考察す る際に,本人・代理人理論1)が有用な分析モデ ルとして活用されている.モーの定義では,本 人・代理人理論とは,本人が自分自身が望む結 果を生じさせる行動を代理人が結果的に選ぶこ とを期待して,代理人と契約を合意することを 検討する代理人関係における分析上の表現とさ れ(Moe, 1984 年 756 頁),政治家 と 官僚 の 関 係のように,「委任」を伴う問題を分析する際 に使用される(高安,2005 年,4 頁). 本人・代理人理論に基づき政官関係を考察す ると,本人である政治家は代理人である官僚に 対して政策立案・執行を委託するものの,官僚 が政治家よりも多くの情報を保持できる立場を 利用し,自身の利益のために行動する現象,す なわちエージェンシー ・ スラックが発生する (真渕,2010 年,264─265 頁: 高安,2005 年, 5 頁).このエージェンシー・スラックが,政 官関係において本人・代理人理論が示す前提 であり,政治家に奉仕することを期待されて いる官僚が,組織の権限拡大や官僚個人の出 世欲などの理由により,政治家の意向とそぐ わない行動を取る可能性があることを背景と して2),政治家の期待と官僚の行動によって生 じる結果のギャップと理解されている(真渕, 2000 年,264─265 頁).ま た,本人・代理人理 論を巡る先行研究を改めて考察すると,政官関 係の理論化の過程において,個々の官僚個人や 行政機関の特性を捨象し,官僚・行政機関全体 を政策形成に関わる一つのアクターとみなして いることが見えてくる. 他方,後述するように,情報機関の活動等を 社会科学的手法によって考察するインテリジェ ンス研究(intelligence studies)では,政官関 係の一形態である政治家と情報機関の関係にお いて,エージェンシー・スラックと類似しつつ も,本人・代理人理論では提示されていない独 自の視点を加えた概念として「情報の政治化」 が提示されている.エージェンシー・スラック と似て非なる「情報の政治化」の存在は,政官 関係全体を対象とする本人・代理人理論では説 明できない要素が政治家と情報機関の関係に存 在する高い蓋然性を示している. 本稿では,前述した本人・代理人理論が導く エージェンシー・スラックとインテリジェンス 研究が導く「情報の政治化」の相違に着目し, 比較検討することで,「情報の政治化」を発生
政官関係における本人・代理人理論と「組織の脆弱性」
──政治家と情報機関の関係を巡る考察から──
田 中 啓 介
1)「プリンシパル・エージェント理論」等と表 記される場合もあるが,本稿では本人・代理人理 論で統一する. 2)高安は,代理人が本人と異なる選好を有す ることが不可避であると示唆し,本人が代理人を どのようにコントロールするかが本人・代理人理 論の問題であると指摘する(高安,2005 年,4 頁).させる政治家と情報機関の関係に特有の構造的 要因を提示する.そして,その構造的要因とエー ジェンシー・スラックとの相関性について考察 し,本人・代理人理論に対する新たな論点の示 唆を試みる. また,過去のインテリジェンス研究は情報機 関の活動を対象とした規範的側面が強い政策科 学的研究が主流であった3).本稿では,インテ リジェンス研究が導き出した理論である「情報 の政治化」を,科学的手法に基づいて政治的事 象の真理を探究する政治学(political science) のフィールドで再構築する試みとして議論を展 開することを付言する4). 本稿では,これまでの本人・代理人理論を巡 る研究では検討されていない安全保障政策を巡 る政治家と情報機関の関係を対象とする.さら に,事例として,米国の情報機関,特に代表的 な情報機関として広く一般に認知されている中 央情報局(Central Intelligence Agency,以下 CIA)と政治家との関係を取り扱い,政治家を インテリジェンス・コミュニティ(Intelligence Community,以下 IC)を構成する各情報機関5) を除く大統領などの政府首脳及びホワイトハウ ス,国務省,国防総省高官などの安全保障政策 立案を担う各省庁の政治的任命者及び米国上下 両院とし,本文中で使用される「政策決定者」 も政治家を示唆する.さらに,官僚を安全保障 政策を担当する行政機関とし,その範疇に IC を構成する各情報機関が含まれる.なお,日本 をはじめとする他国の政治家と情報機関の関係 についての考察は別稿に譲ることとする. 1 政治家と情報機関の関係におけるエージェ ンシー・スラック ⑴ 政官関係におけるエージェンシー・スラック まず,先行研究に基づき,本人・代理人理論 におけるエージェンシー・スラックの要因及び その防止策を確認する. エージェンシー・スラックが発生する要因と して,真渕は情報の非対称性,政治家の関心の 限定性及び「本人」の複数性を挙げている(真 渕,2000 年,264─267 頁).ま ず,情報 の 非対 称性とは,専門分野に関する情報・知識を組織 的に収集・蓄積している官僚に政策立案で太 刀打ちできない状況を意味する(原,2003 年, 87 頁).さらに,政策実施過程においても,現 場業務に関する情報が必要であり,当然のこと ながら,実施者である官僚と比べて政治家が情 報・知識・経験で劣ってしまうことは否めな い.また,政治家が官僚が関わるすべての政策 に対して均等に関心を有することは不可能であ り,自身の選挙に影響がある分野に政治家の関 心が限定される点も指摘されている.加えて, 政官関係において「本人」が複数存在している 状況を利用して,代理人はフリーハンドを持つ 可能性がある.複数の本人同士の要求が対立し ている場合に,代理人は,同時に複数の本人の 要求に応じられないことを理由として,自らの 判断で行動する余地が残されるからである(真 渕,2000 年,265 頁). 政治家がエージェンシー・スラックを防ぐ方 策として,政治家による官僚への監視の強化及 び委任の縮小の 2 つの方法がある.しかし,政 3)大野は,インテリジェンス研究を情報機関の 活動に焦点を絞ったものとし,特に米国での研究 は政策論志向が非常に強く,情報機関の失敗の原 因の追究及び改善策の提示にやや偏重していると 評価 す る 一方,情報史研究(intelligence history) においては,情報機関の活動が対外政策の決定や 国際情勢にどういった影響を与えたかを論じる必 要性 に 言及 し て い る(大野,2012 年,9─14 頁). 大野が述べた必要性は情報史研究だけでなく社会 科学においても同様であり,本稿ではその視点に 基づき考察を進めている. 4)なお,本稿は筆者の個人的見解に基づくもの である. 5)現在 の 米国 IC は 国家情報長官(Director of National Intelligence)による統括の下,CIA のほか, 国防情報局(Defense Intelligence Agency),連邦捜 査局(Federal Bureau of Investigation),国家安全保 障局(National Security Agency)な ど の 17 の 行政 機関で構成されており,外交・安全保障政策の実施 に必要な情報を収集するために,独立性と協調性を 備えて活動すると説明される(Intelligence. Gov.).
治家が絶えず官僚の行動を監視すること自体に コスト(監視コスト)がかかり,官僚機構への 委任を縮小して政治家自身によって政策を形成 することにも,大幅なコスト(政策コスト)6) がかかる.一般的に,行政国家現象が広く生じ ている現状では,政策形成に必要な専門知識が 高度化したために,官僚の行動の直接的な監視 及び政治家自身による政策形成が困難になって いる(真渕,2010 年,74─75 頁). このため,政治家は監視コスト及び政策コス トを低く抑え,効率的に官僚を監視するため, 「火災報知器型監視」(fire alarm oversight)を
選択すると指摘されている.「火災報知器型監 視」と は,政治家 が 官僚 の 活動 を 市民・利益 団体等がチェックできる制度・手続を構築し, 市民・利益団体等が官僚の逸脱行為を政治家, 官僚及び裁判所に対して告発し,対策を講じ るように求める方法である.「火災報知器型監 視」は,政治家自身 が 直接的 に 官僚 の 政策形 成をチェックして政策目標の逸脱行為を察知 す る「警察 パ ト ロール 型監視」(police patrol oversight)と比べて政治家による関与が間接 的になるものの,監視コスト及び政策コストを 低く抑えられる上,効果的な監視が可能であり, 政治家は「火災報知器型監視」を採用する傾向 にある(McCubbins,1984 年,165─179 頁). ⑵ 情報機関の秘匿性 それでは,本人・代理人理論に基づき政治家 と情報機関の関係を分析した場合,政治家と 他の行政機関との関係と比較してエージェン シー・スラックの発生における相違はあるのだ ろうか.両関係を比較するために,情報機関の 機能を確認したうえで,監視コスト及び政策コ ストの観点から他の行政機関との相違を検証す る. 情報機関の任務として,その名称からも推測 できる通り,情報7)の収集,分析,提供を担っ ているほか,上述のとおりに情報機関が安全保 障政策を担当する行政機関であるため,各国の 統治制度によって各行政機関に付与される任 務及び権限が異なることと同様,各情報機関は 各々固有の任務を有している.例えば,CIA は, その任務として,①敵の計画,意図及び能力を 明らかにし,決定及び行動の基礎を提供する情 報の収集及び②米国の国益を保護・促進する責 務を担う大統領及び政策決定者に対して展望, 警告及び機会を提供する時宜にかなった分析の 実施のほか,③脅威を阻止又は米国の政策目的 を達成するために大統領の指示に基づく秘密工 作(covert action)の実施,を掲げている8).一 方,日本の IC9)の構成主体の一つである内閣 情報調査室の場合,内閣官房組織令第 4 条にお いて「内閣情報調査室においては,内閣の重要 政策に関する情報の収集及び分析その他の調査 に関する事務(各行政機関の行う情報の収集及 び分析その他の調査であって内閣の重要政策に 係るものの連絡調整に関する事務を含む.)を つかさどる」とのみ規定し,CIA が規定する 秘密工作に該当する任務は含まれていない.ま た,同様に IC の構成主体である公安調査庁は, 関係機関に対する安全に関する情報の提供だけ でなく,破壊的団体に対する規制が必要な場合 に,公安審査委員会へ当該団体の解散の指定等 の処分請求を行う団体規制業務を担っており, 他の情報コミュニティ構成主体とは異なる権限 6)真渕は,「立法コスト」を表現しているが, 政治家と情報機関の関係においては必ずしも立法 作業が中心的な政策形成手段ではないため,本稿 では立法作業にとどまらず広く行政活動を含む「政 策コスト」に置き換えた(真渕,2010 年,74 頁). 7)一般的に,インテリジェンス研究では,情 報 を 加工 さ れ て い な い 生情報(information)と 加工,分析,評価 の 過程 を 経 て 生産 さ れ た 情報 (intelligence)を区別して議論を進める.
8)Central Intelligence Agency (CIA), “CIA Vision, Mission & Values”, <https://www.cia.gov/ about-cia/cia-vision-mission-values/index.html>, accessed on Mar. 12 2012.
9)日本の行政文書は IC を「情報コミュニティ」 と呼称している(情報機能強化検討会議,2008 年).
を有している10). 情報機関と他の行政機関を比較した場合,情 報機関に共通して見られる特徴は組織及び活動 における高い秘匿性である.インテリジェンス 研究の入門書として広く米国の大学のインテリ ジェンス講座で使用されているローエンタール の『インテリジェンス:秘密から政策へ』では, その理由として,情報機関による情報収集の対 象が国家及びテロリストなどの非国家主体が秘 匿したい事項であるため,情報機関がそれを把 握する活動も秘匿する必要があるためと言及さ れている(ローエンタール,2012 年,1─12 頁). さらに,情報機関は,秘密性が求められる外交・ 安全保障政策の形成に不可欠な情報を生産する のみならず(田中,2011 年,140─142 頁),一 般的に情報機関が実施する情報収集には,報道, 各種公式文書などの公開情報の収集だけでな く,情報協力者,通信傍受,偵察衛星等による ものも含まれており,さらに,上記の CIA の 任務の一つである秘密工作など,国家の統治シ ステムによってはプロパカンダ,準軍事的行為, 暗殺などにも関与する場合もあるため,高い秘 匿性が要求されることが容易に想像できる. 米国においては,情報機関の活動に対する高 い秘匿性は制度上も保証されている.行政機関 の活動への監視に対して,連邦政府の各省庁自 身による 1993 年政府業績成果法(Government Performance and Results Act of 1993, P.L. 103─62, 以下 GPRA)に 基 づ く 業績評価,行 政管理予算局 に よ る 規制影響分析,会計検査 院(Government Accountability Office, 以下 GAO)のプログラム評価,連邦議会による行 政監視などを通じて実施している.しかし, CIA の 場合,GPRA は 適用除外 と なって い る 上,CIA は権限のない公開から情報源と手法 を秘匿する責任に基づき GAO への情報提供を 限定しているため,GAO は事実上連邦政府の 全省庁を対象に評価を行う際の一環として実 施する場合や,米国の安全保障上の脅威に関 する分析の一環として行われる場合など,非常 に限定した場合のみに CIA に対する評価を実 施するにとどまっている(廣瀬,2006 年,48─ 61 頁).また,2010 年 10 月に成立した 2010 年 度情報機関授権法 で は,情報機関 の 情報 に 対 する GAO の情報入手手続を定める指令を国家 情報長官が定めることや,GAO 職員に対する 機密情報の保護に関する義務が規定されたが, GAO が ど の 程度 の 情報 を 入手 し て 監視強化 できるかについてはまだ不明確である(廣瀬, 2012 年,139─142 頁).ま た,CIA は 監察総監 を設置し,CIA の活動やプログラムの検査, 調査,監査を実施し,CIA 長官を通じて連邦 両院の情報特別委員会に半年ごとに報告書を提 出することになっているが,CIA 長官が国家 安全保障上の重大な利益を守るために監察総監 の監査,検査,調査を禁止できる(廣瀬,2006 年,48─61 頁). このように,情報機関の監視においては,情 報機関の高い秘匿性から市民・利益団体等の活 動に限界が生じ,「火災報知機型監視」が有効 に機能しないおそれがあるため,「火災報知器 型監視」よりも高い監視コスト及び政策コスト が発生する「警察パトロール型監視」を重視せ ざるを得ない状況にある.そのため,CIA の 活動の監視においても最も重要な役割を果たし てきたのは,連邦両院に設置された情報特別委 員会による「警察パトロール型監視」である. 情報特別委員会は,恒久特別委員会として法案 審査を実施し,本会議に報告することができる ため,常任委員会とほぼ同じ権限を有しており, CIA に秘密工作を含む情報活動に関する両委 員会への報告義務が,情報源の秘匿等に反しな いなどの例外を除いて法定されている.これま でも,イラン・コントラ事件,同時多発テロ事 件,イラク戦争など,国民全体が強い関心を持 つ安全保障上の問題における IC の関与につい 10)公安調査庁「公安調査庁紹介」<http://www. moj.go.jp/psia/kouan_shoukai2.html#01>,2012 年 7 月 29 日アクセス.
て,連邦議会は両院合同,同時多発テロ事件に おいては議会外にされた独立調査委員会による IC の活動に関する大規模な調査による監視を 実施してきた.しかし,連邦議会による CIA に対する監視について,①イラク戦争の調査を 例として,年単位の膨大な準備作業が必要であ るうえ,技術的な困難さを伴うにもかかわらず, 目立った成果が得られるとは限らないこと,② 立法活動に比べて有権者・メディアの関心が低 く,議員の優先度が低いこと,③地道な調査に 取り組む委員会スタッフに対する予算が削減さ れる傾向にあること,④連邦議員のスケジュー ルが過密化しており,監視に時間を割くことが 困難になっていることなどを挙げて,長期的に 低調になる傾向があると指摘されている(廣瀬, 2006 年,57─65 頁).さ ら に,情報特別委員会 のスタッフは,CIA などの IC 構成官庁と情報 特別委員会を行き来してキャリアを積み上げて いく場合が多く(廣瀬,2006 年,59 頁),上下 両院の情報特別委員会は監視対象である情報機 関の代弁者に過ぎないと揶揄されることもあり (落合,2005 年,153 頁),将来の勤務先になり うる情報機関に対してどの程度立法府として精 緻な監視を実施できるのか疑問が生ずる. 加えて,近年,同時多発テロ事件の検証のた めに設置された各種検証委員会で議会による IC への監視の機能不全を相次いで指摘され, 監視の強化の気運が高まり,同時多発テロに関 する調査委員会が 2004 年 7 月に発表した最終 報告書で,合同情報委員会の設置又は既存の情 報特別委員会の権限強化を提言したものの(the 9─11 Commission,2004 年,419─423 頁),結局 実現に至らなかったことから,情報機関の秘 匿性に対する政府の要請が強いことが伺える (Halchin,2012 年,35─36 頁). 以上のように,情報機関の組織及び活動に対 する高い秘匿性によって「火災報知器型監視」 の実施に限界があることに鑑みれば,他の行政 機関と比較して監視コスト及び政策コストが非 常に高くなることが想定される.さらに,政策 コストについては,立法作業を伴う政策立案を 主として担当する他の行政機関とは異なり,情 報機関の活動は政策立案よりも情報の収集,分 析及び提供,団体規制,秘密工作などの政策実 施に重心が置かれており,それを政治家が情報 機関に代わって実施することは不可能であるた め,さらに高い政策コストが存在すると評価で きる.したがって,政治家と他の行政機関の関 係と比較した場合,政治家と情報機関の関係に おいてエージェンシー・スラックがより容易に 発生する環境が存在すると言える. 2 「情報の政治化」と「組織の脆弱性」 ⑴ 「情報の政治化」と「組織の脆弱性」 政治学における政官関係においてエージェン シー・スラックが議論されている一方,インテ リジェンス研究においては,前述の通り,情報 機関の活動や機能を巡る諸現象を対象とする社 会科学,特に政策科学の視点から,政治家と情 報機関の関係に存在する問題点として「情報の 政治化(politicized intelligence)」が議論されて いる. 「情報の政治化」とは,客観的・中立的な立 場から提供されるべき情報が,政治的圧力など により,意図的に情報が歪められる又は適切に 政策決定者──本稿 の 場合 は 政治家── に 提 供されない現象と定義される(小島,2011 年, 113 頁).この定義に基づけば,「情報の政治化」 には,①情報機関が自分の組織的利益に基づい て情報を自分の都合の良いように歪曲するこ と,②政治家が自分の政策的信念・個人的利益 などに基づいて情報機関によって生産された情 報を濫用すること,の二つの意味を有しており, 情報を濫用する主体として政治家,情報機関双 方が設定されている. ①はまさに本人・代理人理論が提示するエー ジェンシー・スラックと同じ問題意識から発生 した視点であり,既に指摘した通り,情報機関 の秘匿性によって他の行政機関よりも発生しや すい環境にある.他方,②については,本人・
代理人理論では代理人が本人の意向を無視した 行動を取る点に特化しており,②をエージェン シー・スラックが発生しない理想的な政官関係 と整理されてしまうが,インテリジェンス研究 は,②を情報機関の中立性を阻害する行為とし て問題視している.すなわち,本人・代理人理 論及びインテリジェンス研究とも政官関係とい う共通の事象を分析対象としながら,インテリ ジェンス研究では,本人・代理人理論には存在 しない政治家から行政機関への働きかけを「情 報の政治化」として政治家による情報機関の濫 用を警戒する視点を示唆している.両者に分析 視点の相違が見られる背景として,①を促進さ せる情報機関の秘匿性と同様,②を発生させる 政治家と情報機関に特有の構造的要因の存在が 想定される. ②が発生する構造的要因を考察するうえで, 情報機関と他の行政機関の任務の性質に大きな 相違が存在する点が重要な手がかりとなる.一 般的な行政機関は,政策立案・実施を担当する アクターとして政策形成過程に不可欠の存在で あり,例えば,米国の外交・安全保障政策にお いて,政権によって関与の程度に相違が存在す るものの,大統領等の高位政策決定者をサポー トするホワイトハウスの補佐官,外交政策を担 当する国務省,国防,軍事を担当する国防総省 が全く関わらず,政治家のみで形成されること はない.他方,安全保障政策に関する情報の収 集,分析,提供を主に担当する情報機関の場合, 情報機関が政治家に対して提供する情報は,そ の対象となる脅威を認識する又は具体的な政策 立案を支援する目的で利用されるため,情報の 提供先である政治家が情報を政策形成に利用す るか又は無視するかの決定権は政治家自身が有 している(田中,2011 年,140─142 頁:ローエ ン タール,2011 年,235 頁).ま た,情報機関 が自らの意見を政策決定者に取り入れるように 強要できない一方,政治家は自らが選択した政 策が失敗した場合に情報機関に罰を与える可能 性がある(ローエンタール,2011 年,7─11 頁). さらに,安全保障政策に関わる情報の収集, 分析は,情報機関が蓄積した知識・経験を活用 して主体的に実施しているものの,決して情報 機関の独占的業務ではなく,国務省及び国防総 省の政策担当部局はもちろん,政治家個人も各 種報道や独自の情報源から意識的又は無意識的 に情報収集・分析を実施している(北岡,2003 年,17─20 頁). したがって,政治家が情報機関に依存せずと も政策形成できるうえ,政策の失敗を情報機関 の失敗として責任を追及できる一方,情報機関 は,提供する情報が政治家に使用されなければ, その存在意義を喪失するため,政治家が情報 機関に従属を強いる著しく不平等な関係にある (ローエンタール,2011 年,240 頁)11).その関 係が導かれる構造的要因として,情報機関が, 他の行政機関と比較して,情報機関の行政活動 のみならず,組織の運営・管理に対しても政治 家の政治的圧力に脆弱であり,その状況が情報 機関のインセンティブに大きな影響を与えてい ると推察できる.本稿では,この構造的要因を 情報機関の政治家に対する「組織の脆弱性」と 呼称する. ⑵ 失敗事例から見る CIA の「組織の脆弱性」 情報機関の政治家に対する「組織の脆弱性」 は過去の事例からも確認できる.ローエンター ルが米国の IC の形成及び機能に影響を与えた として例示した主な国際問題から,1947 年の CIA 発足以降に発生し,米国が軍事力等を通 じて直接的に関与した問題であって,CIA の 失敗に関連する事象として,朝鮮戦争(1950 年),ピッグス湾事件(1961 年),ソ連崩壊(1989 11)ローエンタールが紹介したインテリジェン ス担当官の間で言い習わされている言葉として「存 在するのは,政策の成功とインテリジェンスの失 敗だけである.政策の失敗とインテリジェンスの 成功は存在しない」が,政治家と情報機関の不平 等関係を的確に示すものである(ローエンタール, 2011 年,227 頁).
年から 1991 年),同時多発テロ事件(2001 年) 及びイラク戦争(2003 年)が挙げられる(ロー エンタール,2011 年,22─34 頁).上記の事象 における政治家の CIA への対応を整理したも のが表 1 である.以下,事象ごとに検証する. ア 朝鮮戦争 朝鮮戦争の勃発となる 1950 年 6 月 25 日の北 朝鮮の南進について,米国は事前に把握できず, CIA は「情報の失敗」として批判を受けるこ ととなった.しかし,実際には CIA は米軍の 撤退後に北朝鮮が南進する可能性を警告してお り12),その事実が露見したことで,米世論がそ れを無視した政治家を非難する可能性が強まっ た.この事態を受けて,トルーマン大統領はヒ レンケッター CIA 長官をスケープゴートにし たて辞任させた(Jeffreys-Jones,1989 年,63─ 65 頁).さらに,後任のスミス長官が朝鮮戦争 を受けて,発足して間もない CIA の改革を断 行し,CIA の組織運営や秘密工作のあり方の ほか,朝鮮戦争以前から CIA の情報評価の機 能不全に対して検証委員会などが指摘していた ことも背景として,CIA の報告評価局を基礎 的研究を実施する研究報告局と情報評価文書の 作成に特化した国家評価局に分割した.この改 革は,IC 内部の構造及び政策決定者への貢献 の姿勢に大きな変化を与え,非常に大きな成 果をもたらしたと評価される(大野,2012 年, 17─18 頁及び 121─164 頁)13). イ ピッグス湾事件 1961 年 4 月 に 発生 し た ピッグ ス 湾事件 は, 当時のケネディ政権及び CIA に大きな衝撃を 与えた.CIA によって訓練されたキューバ亡 命組織によるキューバ進攻計画が完全な失敗に 終わった原因として,CIA がアイゼンハワー 及びケネディ政権に対して正確な情報を報告し ていなかったことなどが挙げられているもの の,あくまでキューバ亡命組織主体での進攻に こだわり,当初想定していた米国の正規部隊に よる支援を躊躇するなどのケネディ大統領らの 政策決定者の責任も指摘されている(ワイナー, 2008 年,248─260 頁)14).しかし,作戦失敗後, 12)CIA は予測失敗の批判を避けるために北朝 鮮の南進の可能性に関する警告を乱発していた. そのため,ジョンソン国防長官が「非常に頻繁に 『狼だ』と叫ぶ報告を受け取っているため,何を信 じて良いか分からない」と証言する通り,CIA の 情報提供に問題があったと言える(Jeffreys-Jones, 1989 年,64 頁). 13)スミス長官による CIA 改革については〔大 野,2012 年〕が詳しい. 14)同書は欧米の新聞・雑誌で絶賛されたもの の,アカデミズムから,CIA の失敗を列挙しただ けで学術的見地から得るところの少ない著作との 厳しい評価を受けている(大野,2012 年,11 頁). しかし,本稿では,同書が CIA の失敗への政治家 の対応の検証において有益な情報を提供している と判断し,同書が記述した事実を部分的に引用した. 表 1 主要事象における政治家の CIA への対応 事 象 (発生年) 政治家の対応 朝鮮戦争 (1950) 北朝鮮の南進直後にヒレンケッター長官を更迭.CIA から情報評価機 能の分離を含む大幅な組織改編を実施 ピッグス湾事件 (1961) ダレス長官ら CIA 幹部を更迭,ケネディ大統領が CIA 解体を宣言(同 大統領の暗殺により実現せず) ソ連崩壊 (1989─1991) 崩壊予測を巡る CIA の評価は分かれているものの,冷戦後の情勢変 化から一時期予算が削減 同時多発テロ事件 (2001) 1949 年国家安全保障法以来となる IC の大再編を実施(2004).その 過程 で,上院情報特別委員会委員長 か ら CIA 分割 を 提案(ブッシュ 大統領が同提案を拒否) イラク戦争 (2003)
ケネディ大統領はダレス CIA 長官,カベル副 長官ら CIA 幹部を辞任させたほか,ケネディ の暗殺によって実現されなかったものの,政 府最高幹部に対して CIA の完全な解体を望ん でいる旨明言するなど(NYT,1966 年),CIA に対して極めて厳しい対応を示していた. ウ ソ連崩壊 1991 年のソ連崩壊を巡る CIA の予測につい ては,ソ連を最大の対象としていたにも関わら ずその崩壊を予測できなかったことは究極の失 敗であるとの批判がなされた一方,米国 IC は ソ連崩壊の要因となった内部腐敗を十分に把 握していたと IC を擁護する声もみられ,ソ連 崩壊を CIA は予測できなかったと断定するこ とはできない.加えて,ソ連崩壊を米国を中心 とする資本主義陣営の勝利とする解釈も可能で あったことから,結果として CIA の大規模の 組織改編に進展しておらず,他の事例と比較 して政治家の CIA への対応は穏健的であった. しかし,IC の活動に懐疑的な立場から,IC の 早急の縮小及び改革を容認する意見もみられ, 有力上院議員のモイニハンが,CIA を解体し てその権限を国務省へ移管する法案を提案した ほか15),実際に米国政府も,冷戦終結という国 際情勢の変化に対応して,「平和の配当」のス ローガンの下,国防予算とともにインテリジェ ンス関連予算も一時期削減される結果となった (ローエ ン タール,2011 年,30─31 頁: 落合, 2005 年,65─66 頁). エ 同時多発テロ及びイラク戦争 2001 年 9 月に発生した同時多発テロ事件及 び 2003 年のイラク戦争の対応を巡って,CIA はその活動に対して厳しい批判が投げかけられ た.2004 年 7 月に発表された 9/11 委員会の最 終報告書では,テロ発生を未然に防げなかっ た IC の構造的問題点として,CIA をはじめと する IC を構成する情報機関間の情報共有が不 十分であったことなどを指摘した(the 9─11 Commission,2004 年,407─421 頁).さ ら に, 2003 年のイラク戦争開戦の根拠となったイラ ク政府の大量破壊兵器保有における予測の失敗 については,米上院情報特別委員会,イラク調 査団及びブッシュ大統領が設立した委員会から その原因究明に関する報告書が発出されている ほか,研究者による様々な視点から検証も実施 されている.そのうち,チェイニー副大統領, リビー首席補佐官らによる CIA 分析官に対す る圧力など,「情報の政治化」の②の視点に該 当する疑惑も指摘されている(大野,2009 年, 103─110 頁). 同時多発テロ事件及びイラク戦争後に設置さ れた調査委員会等は,CIA を始めとした IC の 活動に関する検証が実施され,IC 再編が提案 された.同時に,ブッシュ政権も IC の大再編 に着手したが,2004 年 8 月,ロバーツ上院情 報特別委員会委員長 が CIA を 情報収集 を 担当 する国家作戦部,情報分析を担当する国家評価 室,技術支援室の 3 部門に分割して,各部門が 新設する情報担当長官ポストに報告する CIA 解体を提示した(NYT,2004 年). 結局 CIA の解体には至らなかったものの, 2004 年 12 月 に 米連邦議会 で「2004 年 イ ン テ リジェンス改革及びテロリスト防止法(The Intelligence Reform and Terrorist Prevention Act of 2004)」が成立し,これまで CIA 長官が 中央情報長官(Director of Central Intelligence) として IC 全体を統括する任務を担っていた従 来の制度から,IC の統括者として国家情報長官 (Director of National Intelligence)を新たに設 置するなど,「1947 年国家安全保障法(National Security Act of 1947)」以来の法制度上の最大 規模の改編が実施される結果となった(小林, 2011 年,179─181 頁). 15)モイニハン上院議員は,1995 年 1 月に上院 に同法案を提出し,CIA は冷戦期において外交政 策を所管する国務省の任務を阻害しており,国務 長官がインテリジェンスの運営を実施することが 望ましい旨言及して,CIA の活動に対して厳しい 評価を示している(LOC, 1995 年).
オ 評 価 以上の事象に鑑みると,CIA は,その失敗 の責任を取る形で幹部の更迭,組織再編のみな らず,組織自体の廃止・解体が大統領らによっ て宣言・検討され,政治家の一存で情報機関自 体の存廃を決定される可能性があるほどの,情 報機関の「組織の脆弱性」が明確に示されてい る.一方,国務省,国防総省などの政策決定に 関与する行政機関では,幹部の更迭,組織再編 については失敗の程度によっては想定されるも のの,組織の解体まで踏み込んだ検討がなされ る例は極めて稀であろう. 3 エージェンシー・スラックと「組織の脆弱 性」の相関性 ⑴ 問題意識 以上のように,情報機関には政治家との関係 における特性として「組織の脆弱性」が存在し, そのために,一般的な政官関係と異なり,政治 家と情報機関の関係では政治家から行政機関に 対する過度な介入が「情報の政治化」の一部と して概念化された.それでは,本人・代理人理 論の理論的構造では,「組織の脆弱性」はエー ジェンシー・スラックにどのような変化を与え るのか. この問題を検証するために,2011 年 5 月に 発生した米国のオサマ・ビン・ラディン殺害作 戦を事例として取り上げる.上記のように,情 報機関の活動は,政策失敗における責任の所在 を明確にする必要から,情報機関が活動に失敗 した場合に露見される事例の件数が,成功事例 と比較して極めて多い.しかし,2011 年 5 月 1 日16)にオバマ米大統領が異例といえる深夜 の演説で発表した国際テロ組織「アルカイダ」 (Al-Qaeda,以下 AQ)の指導者であるオサマ・ ビン・ラディン殺害作戦の成功は,情報機関の 活動を政府自らが「成果」として公表する希
有な事例となった(The White House, 2012 年 ①).本作戦は発生から間もなく,政策決定過 程を把握する際に利用できる資料は,政府関係 者によるブリーフィングや報道機関を通じた CIA 長官などの関係者の言辞などに限定され るため,本作戦の検証において推測的要素が強 くなることは避けられない.しかし,政府から 明示された最新の成功事例から情報機関の「組 織の脆弱性」とエージェンシー・スラックの相 関性を検証することは,その理論の普遍性を確 認するうえで意義がある. ⑵ オサマ・ビン・ラディン殺害作戦に至る政 治家と情報機関の活動 2001 年 9 月の同時多発テロ事件の首謀者で あるオサマ・ビン・ラディンの追跡は,オバマ 政権においてもブッシュ前政権の方針を引き継 ぎ,政権発足当初からの最優先課題として IC に対して指示されていた.CIA を始めとする各 情報機関が情報収集に尽力した結果,2010 年 9 月,CIA は,長年追跡していた AQ 幹部との 関係が深い人物がアボタバードのある住居に AQ の重要対象者を匿っている可能性が高いと オ バ マ 大統領 に 報告 し,そ の 数ヶ月後,CIA はその重要対象者がオサマ・ビン・ラディン である可能性が高いと判断した(The White House, 2012 年②:WSJ, 2012 年).これを契機 に,オバマ大統領は IC から関連情報の報告を 随時受けつつ,ホワイトハウス内で本件への対 処方針について議論を繰り返した末,政策決定 者 は,2011 年 2 月,同住居 に オ サ マ・ビ ン・ ラディンが潜伏している可能性が高く,その情 報は同住居への攻撃作戦を実行するだけの信 頼性があると結論付けた(The White House, 2012 年②).さらに,同住居に対する軍事作戦 については,既に 2010 年末の時点でオバマ大 統領がパネッタ CIA 長官にそのオプションの 検討を指示していた(The New Yorker, 2011 年).
2011 年 3 月以降 の 5 回以上 に 及 ぶ 国家安全
16)本事例で言及した日時は米国東部時間で表 記する.
保障会議を経て,オバマ大統領は 2011 年 4 月 29 日 に 小規模 の 実行部隊 に よ る 同住居 へ の 攻撃を承認した.米国実行部隊による攻撃は 2011 年 5 月 1 日 に 実行 さ れ,オ サ マ・ビ ン・ ラディンの側近との銃撃戦に発展したものの, オサマ・ビン・ラディンの殺害,遺体の収容に 成功 し た(The White House, 2012 年②).オ バマ大統領は同人の遺体の写真を見て,専門的 な分析を待つまでもなくオサマ・ビン・ラディ ン で あ る と 特定 で き た(The White House, 2012 年③).本作戦について,オバマ大統領は, 2011 年 5 月 1 日の国民向けの演説や,5 月 20 日に IC のトップであるクラッパー国家情報長 官及びパネッタ CIA 長官とともに CIA 本部で 行われた IC 向けの演説などを通じて,IC の長 年の努力によって得られた成功であるとし,そ の活動を賞賛した(The White House, 2012 年 ④). 確かに本作戦によって,安全保障上の最重要 ターゲットであったオサマ・ビン・ラディンの 殺害という米国政府が期待した成果を得ること ができた.しかし,本作戦は「オサマ・ビン・ ラディンがその住居に潜伏している」という 確証が得られぬまま実行されたものであった. IC は,パネッタ長官の指示の下,作戦実行直 前の 4 月 26 日に CIA のテロ対策センターや南 アジア担当の分析官などで構成される作業チー ムが同住居に関する情報の信憑性を検証するな ど,IC 全体で同住居に関する膨大な情報を収 集・分析した.結果として,IC は同住居内に オサマ・ビン・ラディンが居住している「状況 証拠」があると判断し,CIA 分析官は 4 月 26 日の検証時に,パネッタ長官に対して同住居に オサマ・ビン・ラディンがいる可能性は 60% から 80% という評価を報告していた17).他方, IC を 構成 す る 国家地理空間情報局(National
Geospatial-Intelligence Agency: NGA)18) は, 作戦実行までの数週間をかけてアボタバードに 所在する住居内にオサマ・ビン・ラディンが 居住している証拠を撮影しようと試みるなど, IC は継続して情報収集に取り組み,直接的な 証拠を追求していたものの,結局入手には至ら なかった(PBS,2011 年:TIME,2011 年). しかし,オバマ大統領は,既に 3 月 14 日の 国家安全保障会議において,本作戦実行前に計 画が漏洩する危険を恐れ,作戦実行の前提とし てオサマ・ビン・ラディンが同住居に潜伏し ている確証を入手することを放棄した(WSJ, 2012 年).加えて,パネッタ長官も,4 月 28 日 のオバマ大統領が出席する会議で,「状況証拠」 は作戦失敗の危険を冒すだけの十分な根拠にな り,最後にオサマ・ビン・ラディンを確認し た 2001 年以降から見ても最高の情報である上, 仮に情報収集を続けたとしても,同住居の強固 な防衛体制を勘案するとこれ以上の情報を入手 する可能性は低いと示唆した.その判断を聞い たオバマ大統領は,最終的にそれを受け入れ本 作戦実行の最終命令を下したものの,パネッタ 長官は作戦実行部隊に対して,もしオサマ・ビ ン・ラディンがいなければすぐに撤収するよう にと指示するなど,オサマ・ビン・ラディンが 潜伏していないおそれは最後まで払拭できな かった(The White House, 2012 年②:TIME, 2011 年). ⑶ 評 価 オサマ・ビン・ラディン殺害作戦は,通常の 軍事行動ではなく,IC の活動の一環である秘 密工作に該当するため,仮にアボタバードにオ サマ・ビン・ラディンが潜伏していないために 作戦が失敗に終わることがあれば,IC が作戦 17)別の報道では,同会議での分析官の評価に は 40% から 95% までの幅があったと示唆している (The New Yorker, 2011 年).
18)国防総省 に 所属 し,国防及 び 自然災害対 策 を 支援 す る た め に 地域空間情報(geospatial intelligence: GEOINT)を 担当 す る IC の 構成組織 (NGA).
失敗の主要な責任を取らねばならない立場にあ る.オサマ・ビン・ラディンの潜伏の可能性が 高いものの,潜伏を断言できるほどの確たる情 報が入手できない状況において,通常の本人・ 代理人理論から代理人である IC の対応を考察 すれば,IC は政治家の作戦実行への意志に反 してその責任を軽減するためにオサマ・ビン・ ラディンの潜伏に関する情報の不確実性を強調 し,作戦実行の回避に向けた行動を取ると想定 される. し か し,本事例 の 場合,IC は 上記 の 本人・ 代理人理論が導く結末とは異なる行動を取って いる.3 ⑵ で言及したオサマ・ビン・ラディ ン殺害作戦実行に至る政治家と IC の活動を時 系列に整理した表 2 を見ると,2010 年末頃に CIA がオサマ・ビン・ラディンが潜伏してい る可能性が高いと判断したのとほぼ同時期に, オバマ大統領がパネッタ長官に軍事作戦のオプ ションの検討を指示している.その後の 2011 年 2 月,政治家は「アボタバードにオサマ・ビ ン・ラディンが潜伏している可能性が高い」と の理解から進展して,「潜伏している」との確 信に至り,作戦実施に向けた具体的な検討を開 始している.この事実は,オサマ・ビン・ラ ディンの潜伏の可能性が高いものの,潜伏を断 言できるほどの確たる情報が入手できない状況 下で,IC が,オバマ大統領から作戦検討の指 示を受けても,本人・代理人理論が想定するオ サマ・ビン・ラディンの潜伏の不確実性を強調 する行動を取らず,政治家の要請に応じて,オ 年月日 政治家(政策決定者) 情報機関(IC) CIA. AQ重要対象者の潜伏の可能性が高いと オバマ大統領に報告 2010年 9月 アボタバードの住居にオサマ・ビン・ラディ 2011年 2月 12月頃 オバマ大統領,パネッタ長官に作戦検討を指示 CIA. 潜伏する重要対象者がオサマ・ビン・ラ ディンである可能性が高いと判断 ンが潜伏している可能性が高く,作戦を実行 するだけの信頼性があると結論 3月14日 オバマ大統領 国家安全保障会議でオサマ・ビ CIA作業チームがICは住居内にオサマ・ビン・ ラディンが居住している「状況証拠」があると 4月26日 3月14日 オバマ大統領,国家安全保障会議でオサマ・ビ ン・ラディン潜伏の確証を追求することを放棄 判断.ただし,CIA分析官は長官に対して住居 にビン・ラディンがいる可能性は60%─80%と 報告.NGAなどは直接的な証拠入手を追求 パネッタ長官,オバマ大統領に「状況証拠」 は作戦失敗の危険を冒すだけの十分な根拠に なると伝達 オバマ大統領 作戦実行を承認 4月28日 4月29日 オバマ大統領,作戦実行を承認 4月29日 作戦決行 5月1日 表 2 オサマ・ビン・ラディン殺害作戦における政治家と情報機関の活動
サマビンラディンの潜伏を政治家に確信させる だけの情報を積極的に提供していたことを示唆 している. さ ら に,2011 年 3 月 の 国家安全保障会議 に おいて,オバマ大統領が作戦の前提としてのオ サマ・ビン・ラディン潜伏の確証の追求を放棄 した後,作戦実行の最終決定の直前に,パネッ タ長官が「状況証拠」の高い確度と作戦実行の 意義についてオバマ大統領に意見具申して作戦 実行を強く後押ししたことも,本人・代理人理 論から想定される IC の責任を軽減させるため の作戦回避に向けた行動とは反する.加えて, このパネッタ長官の対応は,長年 CIA 職員と してインテリジェンス活動に従事し,初めて 生え抜きとして CIA 長官を経験したゲーツ国 防長官が,政治家の立場から率直にオサマ・ビ ン・ラディンの潜伏に関する情報に懐疑的な姿 勢を示し,最後まで作戦承認をためらった事実 (WSJ,2012 年)と対比して,現職の情報機関 の長であったパネッタ長官の政治家への従属的 な姿勢を伺わせるものである. 以上の IC の行動は,前章までで考察した通 り,「情報 の 政治化」に よ る「組織 の 脆弱性」 に由来する代理人の本人への従順性を示唆して いる.そして,その従属性が本人・代理人理論 が想定する結論とは異なる事実を導いている. つまり,「組織の脆弱性」を有する行政機関が 代理人であった場合,代理人は本人の行動に追 従する行動を取ることで,エージェンシー・ス ラックが発生する環境下でも発生しない,との エージェンシー・スラックと「組織の脆弱性」 の相関性を示す結論が提示される. おわりに 本稿では,政官関係を扱う本人・代理人理論 とインテリジェンス研究において,それぞれ エージェンシー・スラックと「情報の政治化」 という政官関係における問題点を指摘する類似 の概念が存在するにも関わらず,「情報の政治 化」には行政機関による活動の歪曲だけでなく, 政治家が情報機関の活動を濫用する視点が包含 されていることに着目した.そして,両概念が 相違する要因として,政治家と情報機関の関係 が著しく不平等であるために,政治家の意思に よっては組織の存廃さえ決定されうるほどの 「組織の脆弱性」が情報機関に存在することを 示唆し,「組織の脆弱性」が本人・代理人理論 におけるエージェンシー・スラックの発生を阻 害する可能性があることに言及した.以上の考 察を通じて,本人・代理人理論では捨象された 代理人の特性を考察する意義に基づき,情報機 関の特性である「組織の脆弱性」とエージェン シー・スラックの相関性を指摘することで,イ ンテリジェンス研究の成果を政治学のフィール ドで再構築し,本人・代理人理論に対する新た な知見の示唆を試みた.今後の課題として,事 例研究を通じて,本稿で提示した「組織の脆弱 性」とエージェンシー・スラックの相関性に関 する理論の信頼性を高める作業とともに,政治 学にインテリジェンス研究を組み入れて,既存 の政治学の諸理論に新たな視点を提示する試み が必要であろう. 参考文献 〔日本語文献〕 大野直樹「文献研究:イラク戦争とアメリカのイ ンテリジェンス」情報史研究会『情報史研究』 創刊号,2009 年,103─110 頁, 大野直樹『冷戦下 CIA のインテリジェンス:ト ルーマン政権の戦略策定過程』ミネルヴァ書 房,2012 年 落合浩太郎『 CIA:失敗の研究』文藝春秋,2005 年 北岡元『インテリジェンス入門』,慶應義塾大学 出版会,2003 年 公 安 調 査 庁「公 安 調 査 庁 紹 介」<http://www. moj.go.jp/psia/kouan_shoukai2.html#01>, 2012 年 7 月 29 日アクセス 河野勝『制度:社会科学の理論とモデル 12 』,東 京大学出版会,2002 年 小島𠮷之「用語解説:情報の政治化」情報史研究 会『情報史研究』第 3 号,2011 年,113─115 頁 小林直樹『インテリジェンスの基礎理論』立花書 房,2011 年
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[たなか けいすけ 横浜国立大学大学院国際社 会科学研究科博士課程後期]