技術科教育における最近の研究動向
生活健康教育講座松浦正史
1.はじめに 技術科は普通教育における技術教育を担当する教科である. 技術教育をとお して児童・生徒の全人格の形成を目指すわけであるが,全人格の育成のなかに 教科としての独自性が含まれていると考えている. それをわかりにくくしてい る問題点は中学校にしか技術科が存在しないことである. 初等教育や幼児教育 には技術科の独自性なるものはどの教科に含まれているのであろうか. 私は幼 児が自分で服を着て,ボタンをかけることの学習から技術科教育が始まると考 えている. 初等教育では図工という教科のなかにそれが埋め込まれている. こ れは教科教育の研究を進めるなかで,中学生ひとりひとりの技術的なスキーマ の源を探ると小学校の図工につきあたることがあるからである. 2.情報基礎領域の新設 技術科に情報基礎領域が新設されることから数年来「情報領域は学会発表の 3-4割を占めてきた. また,学会の分科会に情報分科会が設定され年数回,独 自に発表会やシンポジウムを開催してきた. これは,日本産業技術教育学会の 一歩前進したスタイルであった. しかし,掲載された論文は,ハ-ド,ソフト の教材の開発が多く,情報基礎の教育についての「目標論及び方法論」に関す る研究は極めて少ないのが実状である. 情報基礎教育の研究においても生徒の発達から考える態度に欠けている. 情 報処理能力という用語がいろいろな意味に解釈され混乱を招いている. 一般に 技術科の教官や現場の教師はコンピュータの好きな人が多く,道具と内容を混 乱させている場合が見られる. 教科教育の研究対象としての情報教育は始まっ たばかりといえよう. 3.技術科教育と環境教育・エネルギー教育 技術科教育は生活にかかわる技術教育であるから,環境教育やエネルギー教 育との関連は極めて大きなものがあると想像される. エネルギー教育について-84-は諸外国との比較研究から出発して,領域の設定を想定した研究や,現在の枠 の中での実践研究がみられる・環境教育については目標,内容,実践について 研究はまだみあたらない・従来から存在する領域のなかで,どのように環境教 育やエネルギー教育を組み込むことができるかを問うことが出発点であるよう に思う・ただ,同じ素材では授業の展開で,技術の授業ではなく,理科の授業 になる危険性をはらんでいる. 技術科教育と理科教育の目標の異なる点を明確 にしておかなければならない. 4.技術科教育の国際化 国際的な技術教育の学会としてITEA(InternationalTechnologyEducat ionAsociationConference)やITLS(InternationalTechnologicalLiter acySymposium)が存在するが,本格的な交流には至っていない. また,本年の 日本産業技術教育学会35回全国大会では「韓国の技術教育の現状と将来」が韓 国忠南大学の李戟元教授によって講演された. 技術科教育での国際化は繋明期 といえよう. 5.技術科教育と生涯学習 多様な特徴をもった人間がいる中で,いわゆるものとのかかわりの中に自分 の存在を感じる人もいる. もの作りはある論理の追求であり,それを実現化す るプロセスは創造である. このような方向性を選択した人は生涯それを探究し てゆくことになるが,学校教育でその基礎を育成することによって,それが具 体的になる. すなわち,中学校段階でもの作りや栽培に興味と共感を感じた人 はその分野で自己実現を図るのである. 6.技術科教育を支える学会 教員養成大学・学部で技術科系列の教官は,教育大学協会全国技術部門に登 録している数が310名,このうち担当を技術科教育としている教官は69名である. 博士の学位取得者は10名たらず,しかもそれらは工学,農学も含まれており, 教育学博士は数名である. 現在,全国で,教科教育として技術科教育の博士課 程をもっている大学は皆無である. この点,本学の博士課程構想は意味がある. 特に,技術科教育の専門家を養成する桟閲が存在しないことは極めて憂慮す る事態で,教科が発足して以来,地道に技術科教育を研究しても学位もとれな
-85-い状況がみられる. また,本学の修了生のなかには現場に帰っても着実に技術 科教育研究を進めている人もあり今後が期待されている. 技術科教育の学会として日本産業技術教育学会がある. 論文審査のある学術 雑誌である. 昭和33年9月に創刊され現在34巻になっている. 現在では年4号発 行し,掲載論文は約40編である. 内容は教育,木材加工,金属加工,機械,電気,栽培,及び情報の教科専門 に区別されている. 近年,一応全国に修士課程ができるところはできあがった ので,論文投稿数は減少傾向にある. 数年前は情報領域の投稿数が多かったが, 指導要償が明らかになった境から減少傾向にある. 7.教科教育と教科専門との境界 教科教育は一般に教育と教科専門に区分される. 教育はさらに教育原論と教 育方法に区分される. 一方教科専門は教育内容ともいわれている. 教科専門は 背景となる科学,技術科でいえば工学や農学がそれにあたる. いわゆる教科関 連諸科学である. しかし,隣接教科である体育科や家庭科と比較して教科関連 諸科学の守備範囲が異なるのである. 例えば体育科の日本体育学会では,体育 原論,体育史,体育社会学,体育心理等の分野も含んでいる. 家庭科の教科関 連諸科学も社会科学や心理学を含んでいる. 技術科の場合の工学はその中に社会科学や心理学を含んではいない. また, 農学はかなり広範な科学の領域を含んではいるが,心理学までは見あたらない. 技術と社会,技術と環境,技術と心理等の科学はいわゆる工学では含みきれな いのである. 技術科の教科関連諸科学の中に見あたらなければそれは技術科教 育の中におさめざるを得ないのである. すなわち,技術科教育の研究だと思っ て認知心理学を利用した研究をしていると,それは体育では教科関連諸科学の 中にその専門家がいるのである、 8.技術科教育と教育学及び心理学 "教育学は,本来,その研究成果は各科教育学の具体的問題として通用され, 具体的な研究成果として検証されねばならない",と辻野氏*)は述べられてい る.体育科とは異なり関連専門科学に心理学をもたない技術科教育は,教育学 と同様なことが心理学においてもいえる. これまでも教育学から導入された概念は,「問題解決学習」,「系統学習」,
-86-「CAI」,「探求学習」,「形成的評価」,「到達度評価」,「自己教育力」 等がみられる. しかし,これらの諸概念を導入,あるいは実践するにあたり, そのレベルは多様である. 心理学から導入された概念は,「問題解決」,「スキーマ理論」,「メンタ ルモデル」,「知識ネットワーク」等の認知心理学,あるいはそれを応用した 再生刺激法などが,近年,数人の心理学出身の研究者等により着実に研究が推 進され,撤密な研究手続きにより,新鮮味と新たな刺激を与えている. 技術科教育における認知心理学の手法を用いておこなわれたこれまでの研究 として,授業に関係するもの,運動技能に関するもの,問題解決に関するもの 等をあげることができる. 授業に関するものとして再生刺激法が上げられる. 授業を通して教師の意図 と生徒の理解とのズレの研究である. 技術科に特有な実技をともなう授業の場 面でのズレの研究である. 生徒自身はどのように考えてきたのか,生徒はあら かじめどのような概念をもって授業を受けていたのか知りたいという結論が返 ってきた. これは構成主義の研究へつながってゆくものと思われる. 運動技能に関するものとして,プロトコルをとおして生徒の内観を調査する 方法がある. これまでの運動技能の研究は産業心理学の立場から実施されたも であった. これは熟練者の技能の習得であって,技術科でおこなう初心者の技 能習得段階とは異なっているものと思われる. 内観を通して,どのような道筋 で生徒は技能を習得しているか等について調査することができる. このことに より技能の習得の経験が人間形成の一端を担っていることを証明することの可 能性を示唆された. 問題解決に関するものとして,生徒に技術的で具体的な問題解決を実施させ, これを生徒の行動や内観から分析している. 技術的な問題解決はその間題が数 学や理科の問題解決とはそのスタイルが異なっており,教科の独自性が明らか にされた. すなわち,問題そのものが唆味な点が多く,またその正解も複数あ り,問題の中にさらに問題が含まれていることなどが判明した. (平成5年1月20日) *辻野:大阪体育学研究No. 30,ppl-9,(1991).