菩
薩
戒
の
一考
察
佐
藤
達
玄
智顎
( 近 黨 八 − 五 九 七 ) 撰 に 擬 せ ら れ て い る 『 菩 薩 戒 義 疏 矚 巻 上 に よ る と、 当 時 道 俗 の 閉 で 依 用 さ れ た菩
薩 戒 本 に 、 ω 梵 網 本 ・ 閻 地 持 本 ・ 個 高 畠 本 ・ 瓔 珞 本 ・ 紛新
撰 本 ・ 樹 舗 旨 本 ユ リ の 六 種 が あ っ た こ と を 伝 え て い る 。 こ の 中 「 制 旨 本 」 に つ い て は 具 体 的 説 明 が 省 略 さ れ て 明 ら か に さ れ て い な い が 、 そ の 他 の 五 種 本 の 受 戒 儀 を 表 示 す る と 次 の 通 り で あ る 。 五 種 戒 本 受 戒儀
一 覧 表 梵 網 本 受 讃 結 直勅 地 持 本 高 昌 本 瓔 珞 本擘
諦歎来
三1
重受善
1 歎 撮 相 聴約 業 皈
1
蠶
靄
耋
魏
乞 請 聚 霞 凡鑾
}τ難 商
戒 師 重 結 説 懺 受 礼礼 三 世 三 宝 受 四 不 壊 信 懺 悔 十 悪 五 逆 十 重 戒 撮 三 皈葱
撰 本 師 入 道 場 礼 仏 弟 子 入 道 場 礼 仏 師 請 三 宝 令 起 心 念 竺 一 宝 懺 悔 十 不 善 業 請 諸 聖 作 師 発 磨 と 重 騰 前 十 重 戒 願 菩 薩 戒 の 一 考 察 ( 佐 藤 ) 讃 結 歎 撮 讃 結 +毳
重 歎 撮 相單
発 讃 願 歎 讃 結 説 鑼 結 羯 受 発 想 問 教 正弟師講彊
磨薩
籌
念驚
乞薨
讃 現重 勧
糧
立 得去
提 是勝 前 歎 撮 相 学 竟 戒 飯 誓 戒 問 心 戒心歎 師 右 の 表 に よ る と 、 「 地 擣 本 」 を 除 い た 諸 本 は、 い ず れ も 『 梵 網 経 』 の 十 重 戒 を 戒 相 と し て い る こ と が 明 ら か で あ る か ら 、 隋 代 に お け る 菩 薩 戒 の授
受
は 方 法 や 順 序 が 異 な っ て い て も 、 「 梵 網 戒 」 に よ る受
戒 が 一 般 的 で あ っ た よ う で あ る が 、 「 地 持 一菩 薩 戒 の 一 考 察 ( 佐 藤 ) 戒 」 に よ る
受
戒 も そ れ に 劣 ら ぬ 勢 力 を 示 し て い た こ と が 、高
僧
た ち の 伝 記 に よ っ て 知 る こ と が で き る の で あ る 。 『 僧 伝 』 の 著 者 は い ず れ も 戒 学 の 権 威 者 で あ る に も か か わ ら ず、 高 僧 た ち の 串 家受
戒 の 記 録 に つ い て は 、 た だ 「 受 具 」 と か、 「受
菩 薩 戒 」 ・ 「授
菩 薩 戒 」 と い う 形 式 に よ っ て 示 す だ け で、 そ の 戒 儀 は 何 で あ っ た か 、 ま た 戒 相 は 何 で あ っ た か に つ い て は 全 く ふ れ て い な い か ら、 詳 細 な 点 は 明 ら か で な い 。 前 述 の 六 種 戒 本 に つ い で 多 く の 戒 本 が 出 現 し て い る 。 伝 教 オ リ 大 師 は 『 内 証 血 脈 譜 天 台 円 教 菩 薩 戒 相 承 師 々 血 脈 譜 一 首 』 に お い て、 慧 田 心 く 五 一 五 ー 五 七 七 ) 伝 を の べ 、 慧 思 に 『 授 苙 兄 薩 戒 文 』 一 巻 が あ っ て 盛 ん に 世 に 行 わ れ た と 記 し て い る し 、 道 宣 も 『 続 高 僧 伝 』 巻 十 七 の 慧 思 伝 で 、 か れ が 「 行 二 大 慈 悲 →奉
二菩
薩 戒 . Ω と の べ て い る か ら 、 慧 思撰
述 説 を 肯 定 す る よ う に ハ は ソ受
け と る こ と が で き る 。 し か し 最 近 の 研 究 に よ れ ば そ れ は 慧 患 撰 述 で は な く 、唐
代 の 玄奘
( 六 〇 〇 〈 六 〇 二 〉⊥
ハ 六 四 ) 以 後 の 撰 述 と 断定
す べ き で あ る と い う 見 解 が 発 表 さ れ て い る こ と は 注 目 す べ き で あ る 。 こ こ で 六 種 本 申 、 「 喜冖 昌 本 」 ・ 「 制 琶 日 太 」 に つ い て 若 干 ふ れ て お 蓼 た い 。 「高
墨 本 偏 は 別 名 を 「 揚 法 飾 本 」 と い う が 、 玄暢
( 四 一 六 ー 四 八 四 ) の 依 用 し た 戒 本 が な ぜ 「 高 昌 本 」 と い う か に つ い て 、 智顎
は つ ぎ の よ う に 説 明 し て い る 。 道 進 が は 雲 無 讖 ( 三 八 五 − 四 三 三 ) よ り 授 け ら れ た 菩 薩 戒 は 二 「 河 西 王 、 沮 渠 蒙 遜 子 景 環 、 後移
拠 二 高 昌 既 奉 レ 進 為 〆 師 。進
ハ う 亦 随 徳 、 値 二 高 昌 荒 餓 の 進 生 割 二 己 身 一 以救
二 飢考
→ 髓 此 捨 〆 命 。 」 と い う 。 こ の た め 高 昌 出 身 の 道 進 の弟
子 僧 避 と 比 丘 の 曇 景 の 二 人 が 師 の 戚 法 を 弘 め た の で 、 そ の 名 を と っ て 「 高 昌 本 」 と い う と 説 い て い る 。 ま た 慧 絞 は こ の 「 高 昌 本 」 に よ る 受 戒 作 法 が弘
通 し た こ と に つ い て 、 つ ぎ の よ う に の べ て い る 。 曇 無 讖 の 高 弟 道 朗 が 自 ら 戒 臘 を 卑 し ん で 、道
進
の 法 弟 に な ろ う と し た こ と か ら 、 道 進 の 名 声 が 高 ま り 、 進 に 従 っ て 受 戒 を 希 望 す る 者 が 千 余 人 に 及 び 、 そ れ ら の 人 び と に よ っ て こ の ム ぱ 受 戒 法 が 伝 受 さ れ 、 慧皎
当 時 ま で 盛 行 し て い た と い う か ら 、 「 高 呂 本 」 に よ る 受 戒 作 法 は か な り 広 範 囲 に わ た っ て 影 響 力 を も っ て い た こ と が 知 ら れ る 。 し か も こ の 「 高 昌 本 」 の 溺 名 が 「暢
法 師 本 」 と い わ れ た 理 由 は 、 玄暢
が 元 嘉 の 末 ( 四 五 三 ) 、 魏 か ら 荊 蜀 の 間 に 菩 薩 戒 を 宣 授 し て い た こ と に よ る の で あ る 。 そ し て そ れ は 「 高 昌 本 」 に ほ ぼ 似 て い た が 、 少 し く 違 う と こ ろ が あ っ た の で 「 揚 法 師 ハ ね 本 」 と い う 別 名 が 与 え ら れ た の で あ る 。 そ し て 玄 暢 の 伝 え る 受 戒 法 は 曇 無 讖 か ら 始 ま る の で あ る が 、 「 飽持
」 よ り は 少 し ハ き 広 範 囲 に わ た る も の で あ り 、 そ れ が 「 自 二 斉 宋 一 己 来 、多
用
二 此 法 し と い わ れ て い る 。 玄 賜 は 仏 陀 跋 陀 羅 ( 三 五 九i
四 二 九 ) 系 の 禅 者 と し て 有 名 な 玄 高 の 高弟
で 、宋
の 文 帝 の 元 嘉 二 十 二 年 ( 四 四 五 ) 五 月 に 、 乎城 か ら 江 南 揚 州 に 来 て 、 経 ・
律
・ 禅 及 び 三 論 に 通 じ た 当 時 の 代 表 的 な 学 者 と し て 名 声 高 く 、 そ の 教 学 の 深 さ に つ い て は ロ ヨ 『 出 三 蔵 記 集 』 巻 十 一 所 収 の 「 訶 梨 跋 摩 伝 序 」 か ら 推 察 す る こ と が 可 能 で あ る 。 か れ は 江 南 仏 教 界 の 代 表 的 な 人 物 と し て 、 そ の 皈 依 者 に は 宋 の 文 帝 を 始 め 、 斉 の 驃 騎 予 章 王 嶷 、 河 む 南 の 吐 谷 渾 主 、 司 徒 文 宣 王、 文 恵 太 子 等 の 名 が 見 え る こ と か ら も 、 そ の 人 柄 が し の ば れ る と 思 う 。 玄暢
は 江 南 揚 州 か ら さ ら に 荊 州 ・ 成 都 へ 、 さ ら に 順 帝 の昇
ロ ロ サ 明 三 年 ( 四 七 九 ) に は 岷 山 ( 甘 粛 省 眠 県 ) へ と 錫 を 移 し 、 文 字 通 り 東奔
西 走 し て 弘 律 に 専 念 し た の で あ る 。 ま た 『 梁 高 僧 伝 』 巻 十 三 所 収 の 法 献 伝 に よ る と 、斉
の 永 明 中 ( 四 八 三 − 四 九 三 ) 、 法 献 と 共 に 僧 主 と し て 南 北 の 教 団 を 治 め 、 法 献 が 勅 に よ り 三 呉 の 二 衆 を 沙 簡 し た 際 、 玄 暢 も 同 じ く セけ 東 行 し て 受 戒 の 法 を 申 べ た と 伝 え て い る 。 さ て 、 「 地 持 本 」 の 流 れ を く む 「 高 昌 本 」 の 受 戒 作 法 の 特 長 は 、 「 地 持 本 」 が 言 及 し な い 十 重 の 戒 相 を 説 く こ と に あ る 。 『 梵 網 経 』 を 採 用 す る 「 瓔 珞 本 」 が 十 重 戒 を 説 く の は 当 然 の こ と で あ る が、 系 統 の 異 な る 「 高 昌 本 」 ま で が 十 重 戒 を導
入 せ ざ る を え な い ほ ど、 「 梵 網 本 」 に よ る 受 戒 作 法 が 流 行 し て い た こ と を 物 語 っ て い る の で あ る 。 「 制 旨 本 」 に 関 し て は 、 『 菩 薩 戒 義 疏 』 に 基 づ い て 「 制 勅 流 行 本 」 と か、 あ る い は 広 州 制 旨 寺 の 真 諦 三 蔵 所 出 本 と か い わ 菩 薩 戒 の 一 考 察 ( 佐 藤 ) れ て い る が 、 土 橋 教 授 に よ る と そ れ は 梁 武 帝 の 撰述
に な る ハ の 『 受 菩 薩 戒 法 』 で あ ろ う と 指 摘 さ れ て い る 。 こ の 推 論 の 傍 証 と し て 『 続 高 僧 伝 』 巻 六、 慧 約 伝 に 「 ( 天 監 十 一 年 ) … … 帝 乃 博 採 二 経 教 → 撰 二 立 戒 品 適 条 草 畢挙
、 儀 式 具 陳 、 制 二 造 円 壇 → 用 明 二 果 極 一。 … … 至 二 十 八 年 己 亥 四 月 セ 八 日 → 天 子 発 二 弘 誓 心 一 受 二 菩 薩 戒 → 」 と 、 同 じ く 巻 五、 法 雲 伝 に 「帝
抄 二 諸 方 等 経 → 撰 二 受 菩 薩 法 叩 構 二 等 覚 道 場 → 請 二 草 堂 寺 め 慧 約 法 師 → 以 為 二 智 者 → 躬 受 二 大 戒一 以 自 荘 厳 。 」 と い う 二 伝 に よ っ て 、 武 帝 に 戒 品 の 撰 述 す な わ 諸 大 乗 経 典 よ り 抄 出 し た 『 受 菩 薩 戒 法 』 が あ っ た こ と が 知 ら れ る 。 そ し て そ の 撰 述 年 代 は 天 監 十 一 年 ( 五 一 二 ) か ら 同 十 八 年 ( 五 一 九 ) ま で の 間 で あ り 、 「 制 旨 」 の 名 が 附 せ ら れ た も の は 、 中 国 の 典 籍 目 録 か ら み て も 梁 武 帝 の 撰 述 以 外 に は み ら れ な い 。 ま た 土 橋 教 授 の 紹 介 し た ペ リ オ 本 『 出 家 人 受 菩 薩 戒 法 』 巻 第 一 の 跋 文 に よ る と 、 「 大 梁 天 監 十 八 年 歳 次 己 亥 夏 五 月 、 勅 写 、 用紙
二 十 三 枚 、 戴 萠 桐 書、 睾・ 人 山 之読
、 互 官 寺 釈慧
明 奉 持 」 と あ る の は 、 前 掲 の 慧 約 伝 に 武 帝 が 天 監十
八 年 四 月 八 日 、 自 ら 撰 述 し た 『 受 菩 薩 戒 法 』 に よ っ て 、 慧 約 か ら受
戒
し た 翌 月 に 勅 写 を 命 じ た こ と に な る と 考 察 し て い る 。 こ の 『 出 家 人 受 菩 薩 戒 法 』 に は 「 為 二 在 家 出 家一 受 菩 薩 戒 法 」 と あ り 、 智顕
も 三菩 薩 戒 の 一 考 察 ( 佐 藤 ) こ れ を 裏 付 け る か の よ う に 「 制 旨 本 」 に つ い て 、 レ 「 制 旨 受 戒 法 、 備 有 二 在 家 出 家 方 法 → 文 広 不 レ 列 也 」 と の べ て い る か ら 、 武 帝 が こ の 受 戒 法 に 基 づ い て 受 戒 し た と み る べ き で あ ろ う 。 ペ リ オ
本
に よ る と 、 「 世 聞 所 γ 伝 菩 薩 戒 法 、 似 γ 欲 〆 依 三 一 経 嚇 多 附一 一 小 乗 行 事 ご と い っ て 、 当 時 の 受 菩 薩 戒 法 に 「 地 持 」 、 「 梵 網 」 の 二 つ の 系 統 が あ っ て 、 そ れ は 多 く 小 乗 の 行 事 を 取 入 れ て い た こ と を 指 摘 す る と 共 に、 当 時 流 布 し て い た 菩 薩 戒 法 に 六 家 が あ っ た と し て 、 「 撰 二 菩 薩 戒 法 → 乃 有 二 多 家 → 鳩 摩 羅 什 所 γ 出 菩 薩 戒 法 。 高 昌 曇 景 口 所 レ 伝 、 受 菩 薩 戒 法 。 羅 什 是 用 二 梵 網 経 → 高 昌 云 二 弥 勒 所 フ 集 。 亦 梵 網 経 長 沙 寺 玄 暢 所 レ 撰 菩 薩 戒 法 。 京師
又 有 下 依優
婆
塞 戒 経 一 撰 中 菩 薩 戒 法 ゆ復
有
下 依 二 瓔 珞 本 業 経 一 撰 中 菩 薩 戒 法 復 有 下 依 二 観普
賢 行 経 ’ 撰 中 菩 薩 戒 法 加 粗 是 所 見、 略 出 二 六 家 → 壁 目 共 入 〆 水、求
二 流 離 珠 一 各 随 レ 所 レ得
、 歓 喜 受 持 、 世 行 己 久 。 … : 」 Q と の べ て い る 。 こ れ に よ っ て も 羅 什 本 ・ 高 昌 曇 景 本・ 玄 暢 本・ 優 婆 塞 戒 本 ・瓔
珞 本 ・ 観 普 賢 行 本 等 が 世 に 盛 行 し て い た こ と が 知 ら れ る 。 『 菩 薩 戒義
疏 』 の 伝 え る 六 本 を 始 め と し て 、 安 ロ の 然 の 『 普 通 授 菩 薩 戒 広 釈 』 の 十 本 や 、 そ の 他 の も の を挙
げ る と 、 重 複 す る も の を 除 い て も 各 地 で 種 々 の 戒 本 が 行 わ れ て い た こ と に な る 。 四 境 野 黄 洋 博 士 は 中 国 に お け る 大 乗 戒 の 経 典 と し て 、 後 世 に 至 る ま で 大 き な影
響 を 及 ぼ し た も の は 『瓔
珞 経 』 ・ 『 梵 網 経 』・ り 『 地 持 経 』 で あ る と の べ て い る 。 『 瓔 珞 経 』 二 巻 に つ い て は おロ バ さ 『 出 三 蔵 記 集 』 巻 四 や 、 費 長 房 の 『 歴 代 三 宝 紀 』 巻 八 に は 竺 仏 念 ( 四 世 紀 末 ) 訳 と し て い る 。 だ が 本経
は 中 国 成 立 の 疑 経 お で梁
代 ( 五 〇 ニ ー 五 五 七 ) 以 前 の 成 立 で あ る と い う 説 も あ り 、 の 中 国 成 立 説 は 今 日 で は 学 界 の常
識 と な っ て い る 。 ゑ 『 梵 網 経 』 に つ い て も 『 歴 代 三 宝 紀 』 巻 八 は 、 羅 什 の 訳 出 で あ る こ と を 主 張 し て い る が 、 『 出 三 蔵 記 集 』 巻 十 一 所 収 の 作者
未 詳 『 菩 薩 波 羅 提 木 叉 後 記 』 で は 、 ま 「 什 言 、 此 戒 出 二 梵 網 経 中 こ と の べ て い る か ら 、 羅 什 が 訳 出 し た こ と を 認 め て い な い 。 そ れ ゆ え 僧祐
の こ ろ 、 す な わ ち 五 世 紀 半 ば ご ろ に は 『 菩 薩 波 羅 提 木 叉 』 は 存 在 し て い た と み て よ い 。 こ の こ と は 同 時 代 の 慧 ま り 皎 の 『 梁 高 僧 伝 』 巻 二 の 中 で 、 羅 什 が 『 菩 薩 戒 本 』 を 訳 し た と の べ て い る し 、 同 じ く 道 融 伝 で も れ ロ 「 請 γ 什 出 二 菩 薩 戒 本 → 今 行 二 於 世 → 」 と の べ て い る か ら 、 五 世 紀 半 ば ご ろ に は 『 梵 網 経 』 は 中 国 仏 教 界 に 流 布 し て い た こ と は 明 ら か で あ る 。 こ こ に い う 『 菩 薩戒 本 』 と は 現 存 の 『 梵 網 経 』 二 巻 の 中 、 下 巻 に 相 当 す る も の で あ る 。 つ ぎ に 曇 無 讖 訳 の 『 菩 薩 地 持 経 』 十
巻
は 、 北 凉 の 玄 始 七 年 ( 四 一 八 ) ご ろ に 訳 さ れ て い る 。 こ の 経 は 弥勒
菩 薩 の 『 瑜 伽 師 地論
』 本 地 分 中 の 「 菩 薩 地 」 の 異 訳 で あ り 、瑜
伽系
の 戒 と し て は こ れ が 最 初 で あ る し 、 ま た 中 国 で 訳 出 さ れ た 大 乗 戒 と し て も こ の 『 菩 薩 地 持 経 』 が 最 も 早 い と い え よ う 。 こ の よ う に 三 経 の 訳 出 や 成 立 年 代 か ら み て 、 中 国 に お け る 大 乗 戒 の流
布 は 五 世 紀 に 始 ま る こ と が 明 ら か で 、 そ れ 以前
に 遡 る こ と は で き な い 。 ま た イ ン ド の 戒 律 が 中 国 に 完 全 な姿
で 伝 訳 さ れ た の は 、 五 世 紀 初 頭 よ り わ ず か 二 十年
間 で あ り 、 『 梵 網 経 が か り に 大 野 説 に 従 っ て 、 宋 の 元 嘉 八 年 ( 四 三 一 )1
南 斉 の 建 元 年 間 ( 四 七 九 − 四 八 二 ) の間
に 成 立 を み た と し て も 、 四 大 広 律 が 訳 出 さ れ て か ら 三 十 年 ほ ど 経 た 四 五 〇 年 ご ろ に は 、 『 梵 網 経 』 が す で に 存 在 し て い た の で あ る 。 こ れ が 羅什
訳 か ど う か は 異 論 の あ る こ と で あ る が、 羅 什 以 前 に 大 乗 菩 薩 戒 は 全 く な か っ た と 断 定 す る こ と は で き な い 。 す な わ ち 僧 祐 ( 四 四 五 − 五 一 八 ) の 『 出 三蔵
記 集 』 の 各 処 に み え る 菩 薩 戒 に ゑ り 関 す る も の を 挙 げ る と 、 巻 二 の 「 新 集 撰 出 経 律 論 録 」 第 一 に 曇 無 讖 の 訳 出 経 と し て ω菩
薩
地 持 経 八 巻 、 或 云、 菩 薩 戒 経 、 或 云菩
薩 地 経 。 働 菩 薩 戒 本 一 巻 、 別 録 云 、 燉煌
出 。 菩 薩 戒 の 一 考 察 ( 佐 藤 ) 偶 優 婆 塞 戒 七 巻 。 側菩
薩 戒 経 八 巻 。 菩 薩戒
優 婆 塞 戒 壇 文 一 巻 。 な ど を挙
げ て い る 。 曇 無 讖 訳 は瑜
伽 論 系 の も の で あ る か ら 、 こ こ に挙
げ た も の は 「 地 持 戒 」 関 係 の も の と い え よ う 。 ま た 同 じ く 巻 四 の 「新
集 続 撰 失 訳 雑 経 録 」 第 哨 の 「 有 経 目 へ の ね 録 」 に 菩 薩 戒 自 在 経 一 巻 抄 菩 薩 戒 要 義 経 一 巻 幗 菩 薩 戒 経 一 巻異 出 本 似 抄 ω 菩 薩 受 戒 経 一 巻 異 出 受 菩 薩 戒 次 第 十 法 一 巻 菩 薩 戒 独 受 壇 文 一
巻
菩
薩 懺 悔 法 一 巻菩
薩 懺 悔 法 一 巻 異 本 働 菩 薩 受 斉 戒 一 巻菩
薩 施懺
悔 法 お ロ ま た 同 じ く 「 未 見 目 録 」 に ω 在 家 菩 薩 戒 経 一 巻 働 在 家律
儀
経 一 巻 な ど あ り 、出
家 菩 薩 と し て の 発 心 ・受
戒
・ 懺 悔 の 作 法 や 、 在家
菩 薩 の 受 戒 作 法 な ど も 早 く か ら 成 立 し て 依 用 さ れ て い た こ 五菩 薩 戒 の 一 考 察 ( 佐 藤 ) と が 知 ら れ る か ら 、 五 世 紀 半 ば ご ろ に は 菩 薩 戒 は 当 然 行 わ は て い た こ と は 明 ら か で あ る 。 おり ま た 『 衆 経 目 録 』 巻 五 に は 『 出 三 蔵 記 集 』 と 同 様 に、 菩 薩 戒 に 関 す る 資 料 を
多
数
あ げ て い る が 、 前 者 と 重 複 す る も の を 除 く と 次 の よ う な も の が み え る 。 ω 菩 薩 悔 過 法 経 一 巻 晋 世 竺 法護
訳 。 菩 薩 斎 法 一 巻 一 銘 掘 黼 齬 灘 絶 同 本 異 訳 菩 薩 斎 法 一 巻纛
灘
難
腱 ω 菩 薩 波 羅 提 木 叉 経 一 巻 失 訳 樹 菩 薩 受 斎 経 一 巻 〃 鵬籌
饕
巻髭
=醯
絳
の 「 未 見 目 圖 菩 薩 戒 経 抄 一 巻 衆 律 抄 菩 薩 受 戒 法 一 巻〃 圃 菩 薩 出 入 諸 則 経 一 巻 〃 菩 薩 地 持 戒 経 一
巻
出
地 持 論 圃 菩 薩 善 戒 受 戒 経 一 巻 出 善 戒 経右
の よ う に 中 国 に は 相 当 早 く か ら 菩 薩 戒 の 経 典 類 の 伝 訳 が あ っ た が、 そ れ は 当 然 の こ と と し て 授 戒 作 法 を 伴 う も の で あ る か ら、 儀 式 修 法 の 形 式 化 は 進 行 し て い た も の と 思 わ れ る 。 そ し て 受 戒 の 目 的 も 信 仰 の 皈 結 と し て と い う よ り も 、 多 く は 日 常 生 活 に お け る 種 々 の 祈願
の た め に 行 わ れ た こ と を 見 逃 す ご と は で き な い 。 『 出 三 蔵 記 集 』 巻 十 二 の お け 録 序 L に よ る と 、 ω 為 亡 人 設 福 呪 願 文 第 二 十 一 生 子 設 福 呪 願 文 第 二 十 二 個 作 新 舎 呪 願 文 第 二 十 三 側 遠 行 設 福 呪 願 文 第 二 十 四 取 婦 設 福 呪 願 文 第 二 十 五 と い う 名 目 が み ら れ 、 し て 、 〃 祗出 律僧 〃 〃 〃 亠 ノ 、 「 法 苑雑
縁 原 始 集 目 そ れ ら が い ず れ も 『 僧 祗 律 』 に 出 つ と 修 法 の典
拠 を 律 に 求 め て い た こ と が 知 ら れ る 。 こ れ と 共 に 菩 薩 戒 は 仏 教 徒 の 研 究 対 象 と し て 重 視 さ れ、 時 代 の 脚 光 を 浴 び る よ う に な っ た の で あ る 。 ま ま た 『 出 三 蔵 記 集 』 の 同 所 に ω 菩 薩 戒 初 至 次 第受
法 記 第 一 宋 明 帝 受 菩 薩 自 誓 文 第 二 竟 陵 文 宣 王 受 菩薩
戒 記 第 三 囘 天 保 寺 集 優 婆 塞 講 記 第 四 文 宣 王 集 優 婆 塞 布 薩 記 第 五 宋 斉 勝 士 受 苙 皐 陸 戒 名 録 笛 工 ハ 右 の 六 首 の 受 菩 薩 戒 集 は 、 宋 か ら斉
の 間 ( 四 二 〇 ー 五 〇 二 ) に お け る 国 家 的 な 宗 教 儀 礼 と し て 、 帝 王 や 勝 士 を 中 心 と す る 上 層 部 の 人 び と が 菩 薩 戒を
受 け て い た こ と が 知 ら れ る 。 時 代 的 に み て こ こ で い う 菩薩
戒 と は 恐 ら く 「 地 持 戒 」 で あ っ た と 思わ れ る 。 前 述 の よ う に 梁 武 帝 ( 五 〇 ニ ー 五 四 九 ) が 自 ら 撰 述 し た 『 出 家 人 受 菩 薩 戒 法 』 に 基 づ い て 、 「 梵 網 戒 」 を 受 け て い た こ と が 知 ら れ る が 、 大 勢 と し て は 「 菩 薩 戒 」 と い え ば 地 持 戒 の 方 が 優 勢 で あ っ た と み る べ き で あ ろ う 。 こ の こ と は 、 そ の 当 時 の 高 僧 の 間 に 『 菩 薩 地 持 経 』 の 研 究 者 が 多 か っ た こ と が こ れ を 証 明 す る 。 そ し て そ の 後 「 地 持 戒 本 」 が 用 い ら れ、 智
顎
が 『 菩 薩 戒 義 疏 』 を 著 わ し て 、 「 梵 網 戒 」 の 優 位 が 決 定 的 と な っ て も 、 「 地 持 戒 」 の 研 究 は そ の 後 広 依 然 と し て 行 わ れ て い た こ と は 、 僧 伝 類 の 記述
に よ っ て 明 白 で あ る 。 こ の こ と 鳳 尚 古 的 立 場 に 立 つ 中 国 的 思惟
に 基 づ く も の で 、 出 家 者 た ち の 経 典 に 対 す る 見 解 の 一端
を 示 す も の と し て 受 け 止 め る べ き で あ る 。 す な わ ち 『 梵 網 経 』 が 正 経 で な く 、 中 国 成 立 の 偽 経 で あ る と い う こ と 、 こ の こ と は 経 典 に 対 す る 価 値 観 の 上 に 大 き な影
響 を 及 ぼ し た こ と は 必 定 で あ る 。 し か も 『 梵 網 経 』 が 仏 教 界 に 地 位 を 決 定 的 な ら し め た の が、 『 菩 薩 地 持 経 』 に 遅 れ を と っ た と い う 時 間 的ず
れ を 認 め ね ば な ら な い 。 そ れ と 共 に 出 家 者 た ち の 戒 学 に対
す る 学 的 良 識 に よ れ ば 、 『 地 持 経 』 は イ ン ド の 瑜 伽 行 に お け る 観 法 を 詳 説 し た 『 瑜 伽 師 地 論 』 の 菩 薩 地 の 異 訳 で 、 し か も イ ン ド の 大 乗 戒 経 の 主 流 的 存 在 と し て 、 出 家 在 家 に 共 通 す る 戒 学 の 基 本 的 立 場 を 示 し た も の で あ る と い う 伝 統 的 権 威 が 、 教 界 の 指 導 者 の 心 を 強 く 把 え た こ と は 否 定 で き な い 。 菩 薩 戒 の 一 考 察 ( 佐 藤 ) い ま 『 続 高 僧 伝 』 の 記 述 に よ っ て 、 「 地 持 」 ・ 「 梵 網 」 両 戒 の 流 布 の 状 態 に つ い て 考 察 し よ う 。 斉 代 ( 四 七 九 ー 五 〇 二 ) の 鄰 下 総持
寺 の 慧 順 (1
? ) は 慧 光 の も と で 出 家 し 、 「 三 持 ( 三 皈 ) 三 聚 ( 三 聚 浄 戒 ) 影 二 現 於 神 外 → 博 見 融 冶 、 陶 ま り 然 有 〆 余 。 講 二 十 地 ・ 地 持 ・ 華 厳 ・ 維 摩 → 並 立一 ・ 疏 記 ご と 伝 え ら れ て い る 。 同 じ く 斉 の 林 慮 山 洪 谷 寺 の僧
達 ( 四 七 四 ー 五 五 六 ) ぱ 、 ま ね 「 聴 二 光 師 十 地 “ 発 二 明 幽 旨 → 遂 従 受 二 菩 薩 戒 ご と い わ れ て い る 。 慧 光 は い う ま で も な く 世 親 系 の 学 問 を 弘 め た 人 で あ り 、 ま た 『 地 持 論 疏 』 の 著 が あ る ほ ど で あ る か ら 、 か れ の 戒 は 「 地 持 戒 」 で あ っ た こ と は 明 ら か で あ る 。 そ れ ゆ え 僧 達 伝 に も 、 お 「 講 二 華 厳 ・ 四 分 ・ 十 地 ・ 地 持 →雖
γ 無 二 疏 記 一 而 敷 揚 有 レ拠
。 」 と 伝 え て い る こ と が こ れ を 立 証 し て い る 。 ま た 斉 鄰 東 大 覚 寺 の 僧 範 ( 四 七 五 − 五 五 五 ) も 、 サ 「 講 二 華 厳 ・ 十 地 ・ 地 持 ・ 維 摩 ・ 勝 鬘 → 各 有 二 疏 記 ご と の べ 、 か れ が 法席
を 開 く ご と に 聴 衆 千 余 、 大 儒 徐 遵 明 ・ 李 宝 頂 等 に 「 地 持 戒 」 を 授 け 、 「 五 衆 皈 レ 之 如 7 市 」 で あ っ た と 記 し て い る 。 七菩 薩 戒 の 一 考 察 ( 佐 藤 ) ま た 同 じ く 斉 の 大 統 合 水 寺 の 法 上 ( 四 九 四 − 五 八 〇 ) 伝 に は 、 「 既 慧 業 有 ノ 聞 、 衆 皆 陳 請 。 乃 講 二 十 地 ・ 地 持 ・ 楞 伽 ・ 涅
槃
ま ぽ 等 部 噛 輪 次 相 続 、 並 著 二 文 疏 ご と の べ て い る か ら 、 か れ が 国 師 と し て 文 宣 帝 を 始 め 、 皇 妃 重 臣 に 授 け た 菩 薩 戒 は 「 地 持 戒 」 で あ る こ と は 明 ら か で あ る 。 文 宣 帝 が 法 上 を 戒 師 と し て 尊 崇 し 、 「 常 布 二 髪 於 地 → 令 二 上 践一 焉 」 と あ る よ う に 、 熱 烈 な 信 仰 で あ っ た こ と が 窺 わ れ る 。 法 上 が 仏 教 界 で 指 導 的 役 割 を 果 し て い た こ と は 、 つ ぎ の 記 事 が 知 ら せ て く れ る 。 す な わ ち 「 魏 斉 二 代 、 歴 7 為 二 統 師 噛 昭 玄 一 曹 純 掌 二 僧 録 刈 令 三 史 員 置 二 五 十 許 人 → 所 部 僧 尼 二 百 余 万 、 而 上 綱 領 預 将 二 四 十 年 → 」 と の べ て い る よ う に 、 北 魏 ・ 北斉
二 朝 四 十 年 間 に 亘 っ て 僧 統 と な り、 僧 尼 二 百 万 を 統 制 し 仏 教 界 に 君 臨 し た の で あ る 。 梁 代 ( 五 〇 二i
五 五 七 ) に お け る 鐘 山 開 善 寺 智 蔵 ( 四 五 七 − 五 二 二 ) は 、 白 衣 の 僧 上 と し て 仏 教 界 を そ の 手 中 に 掌 握 し よ う と し た 武 帝 に 対 し おね 「 仏 法 大 海、 非 二 俗 人 所 7 知 。 」 と そ の 所 信 を 表 明 し た 入 物 と し て 有 名 で あ る が 、 そ の 智 蔵 が 梁 の 武 帝 に 菩 薩 戒 を 授 け て い る の で あ る 。 か れ の 仏 教 々 学 の 幅 の 広 さ に つ い て 『 高 僧 伝 』 は 、 「 凡 講 二 大 小 品 ・ 涅槃
・ 般 若 ・ 法 華 ・ 十 地 ・ 金 光 明 ・ 戒 実 ・ 八 あら 百 論 ・ 阿 毘 曇 心 等 ハ 各 著 二 義 疏一 行 γ 世 。 」 と 伝 え て い る か ら 、 か れ の 菩 薩 戒 は 「 地 持 戒 」 か 「 梵 網 戒 」 か 明 ら か で な い が 、 『 十 地 経 論 』 を 講 じ た り 、 『 義 疏 』 を 著 わ し た り し て い る こ と か ら み れ ば 、 お そ ら く 「 地 持 戒 」 で あ っ た ろ う と 思 わ れ る 。 し か し 梁 武 帝 の 菩 薩 戒 は 「 梵 網 戒 」 で あ っ た か ら 、 授 戒 の 面 か ら の み 見 れ ば 、智
蔵 は 「 梵 網 ・ 地 持 」 両 戒 を 兼 ね 修 し た 人 で あ る と 考 え ら れ る 。 ハ む モ な お 梁 武 帝 の 時 代 に 、 南 澗 寺 の 大 僧 正 慧 超 (1
五 二 六 ) や あ 草 堂 寺 の 慧約
( 四 五 一 − 五 三 五 ) は 共 に 菩 薩 戒 を 授 け て い る が 、 前 者 の 慧 超 は 武 帝 の 天 監 年 中 ( 五 〇 ニ ー 五 一 九 ) に 帝 の 家 僧 と な り 、 円 壇 ( 当 時 の 戒 場 が 円 座 で あ っ た こ と を 示 す ) を 造 り 、 武 帝 に菩
薩 戒 を 授 け て お り 、 ま た 草 堂 寺 の 慧 約 も 天 監 十 八 年 ( 五 一 九 ) に 帝 に 菩 薩 戒 を 授 け て い る が 、 と も に 同 時 代 の こ と ゆ え 『 梵 網 経 』 に よ る 菩 薩 戒 で あ っ た ろ う と 思 わ れ る 。 つ ぎ に 隋 代 ( 五 八 一 − 六 一 八 ) の 高 僧 と し て 、 ま ず 指 を屈
す べ き 者 に 浄影
寺 慧 遠 ( 四 二 三 ー 五 九 二 ) が い る 。 か れ は 北 斉 の 廃 仏 の と き 帝 威 も 恐 れ ず に 「 陛 下、 今恃
二 王 力 自 在 嚇 破 二 滅 三 宝 → 是 邪 見 人 。 阿 鼻 地 獄 お り 不 〆 揀 二 貴 賤 → 陛 下 何 得 γ 不 レ 怖 。 」 と 主 張 し て 破 仏 の 非 な る こ と を 諫 め 、 「 法 実 不 〆 滅 」 と い う 確 乎 た る 信 念 を も っ て 、 つ い に 汲 郡 ( 河 南 省 汲 県 ) の 西 山 に 隠 棲 し 、 道 を 勤 め て 倦 む こ と な く 、 三 年 の 問 、 法 華 ・ 維 摩 等 を 誦す る こ と 一 千 遍、 戒 を 守 り 禅 定 に 励 ん だ の で あ っ た 。 大 象 二 年 ( 五 八 〇 ) の 復 仏 の 際 に は、 慧 遠 は 少 林 寺 長
講
を 命 ぜ ら れ て い る 。 こ の 慧 遠 に は か の 有 名 な 『 大 乗 大 義 章 』 の ほ か に、 『 地 持 疏 』 五 巻 、 『十
地 疏 』 七 巻 、 『 地 持 論 義 記 』 十 巻 が あ る か ら 、 か れ の 教 学 思 想 か ら 推 察 し て も、 か れ の 授 け た 菩 薩 戒 は 「 地 持 戒 」 で あ っ た こ と が 分 る 。 ま た 陳 の 南 岳 衡 山 の 慧 思 ( 五 = 二 ー 五 七 七 ) 伝 に よ る と 、 か へ れ は 「 行 二 大 慈 悲 → 奉 二 菩 薩 戒 一 」 と い う が 、 そ の 菩 薩 戒 と は お そ ら く 「 梵 網 戒 」 で あ っ た と 思 わ れ る 。 そ れ は 慧 思 が 智 顕 の 師 で あ る こ と と 、 智顎
の 講 義 を 門 人 の 章 安 灌 頂 が 筆 録 し た と い う 『 菩 薩 戒 義 疏 』 は 、 師 で あ る 慧 思 の 戒 学 の 内 容 を 伝 承 す る も の と み て よ く 、 慧 思 も 『 梵 網 経 』 の 研 究 者 で あ っ た と 判 断 し て も 間 違 い は な か ろ う と 思 わ れ る 。 ゆ ま た 京 師 延 興 寺 の 曇 延 ( 五 一 五 ー 五 八 八 ) は 、 華 厳 ・ 大 論 ・ 十 地 ・ 地 持 ・ 仏 性 ・ 宝 性 論 等 を 研 究 し 、 北 周 武 帝 の 廃 仏 後 の 大 象 二 年 ( 五 八 〇 ) に 、 東 西 の 両 京 に お の お の 陟 岾 寺 が 建 て ら れ て 、 菩 薩 僧 が 設 置 さ れ た と き に 、 か れ は そ の 上 班 に あ っ た と い う 優 れ た 高 僧 で あ っ た 。 曇 延 の授
け た 菩 薩 戒 は 、 そ の 経 歴 か ら み て 「 地 持 」系
の 戒 で あ っ た と 思 わ れ る 。 へ む ソ ま た 相 州 ( 河 南 安 陽 県 ) 演 空 寺 の 璽 裕 ( 五 一 七 − 六 〇 五 ) は 、 鄰 に い た 慧 光 律 師 の 弟 子 に な ろ う と し て 、 か れ の 許 に 往 っ た と こ ろ、 た ま た ま 慧 光 の 死 後 七 日 に 当 り 、 止 む な く 「 投 二 憑 菩 薩 戒 の 一 考 察 ( 佐 藤 ) 師 一 聴 二 於 地 論 こ く こ と 三 年 の 後 、 定 州 に 赴 い て 大 戒 を 受 け 、 『 四 分 』 ・ 『 僧 祗 』 の 二 戒 を 誦 し 、 自 ら そ の 文 を 写 し 八 日 の 中 に 書 誦 と も に 了 っ た と い う よ う に 戒 学 の 研 鑽 に は げ ん だ 。 三 十 歳 の こ ろ か ら 著 述 に 専 念 し 、 『 十 地 疏 』 四 巻 ・ 『 地 持 』 ・ 『 維 摩 』 ・ 『 波 若 』 の 疏 各 二 巻 、 『 四 分律
疏 』 五 巻 、 『 受 菩 薩 戒 法 』 并 に 『 戒 本 』 の 首 尾 の 註 、 『 僧 制 寺 誥 』 等 の ほ か 五 十 余 巻 を 著 わ し 、 こ れ ら が 久 し く 世 に 行 わ れ た と 伝 え て い る 。 ま た 天 台 宗 の 開 祖 智 頻 ( 五 三 八 ー 五 九 七 ) は 、 そ の 伝 に 「 開 士 万 行 戒 善 為 レ 先 、 菩 薩 十 受 専 持 最 上 」 と あ り 、 さ ら に ま 「 五十
余 州 道 俗 受埀
口 薩 戒 一 者 、 不 ノ 可 二 称 紀 ご と 伝 え て い る か ら 、 庶 民 の 戒律
へ の 関 心 の ほ ど が知
ら れ 、 陳 の 宣 帝 ( 五 六 八 ー 五 八 二 ) も 智顎
か ら 戒 を 受 け た 一 人 で あ る 。 後 に 煬 帝 と な っ た 晋 王 広 が 、 開 皇 十 一 年 ( 五 九 一 ) に 智 頻 を 揚 州 に 招 い て 菩 薩 戒 を 授 か り 、 陳 や 隋 の 王侯
臣 下 で 智 頻 を 戒 師 と し て 受 戒 し た 者 は か な り の 数 に の ぼ る こ と は 、 『 国 清 百 録 』 の 記 す と こ ろ か ら推
測 す る こ と が で き る 。 智 頻 の 戒 学 が 『 梵 網 経 』 に 基 づ い て い た こ と は 、 か れ に 『 梵 網 経 』 の 注 釈 で あ る 『 菩 薩 戒 義 疏 』 の 著 が あ り 、 ま た つ ぎ に の べ る 『 釈 禅波
羅 蜜 次 第 法 門 』 の 文 章 か ら み て も 明 ら か で あ る 。 ω「 従 十 善 三 皈 五
戒
・ 八 斎 戒 ・ 沙 弥 十 戒 ・ 大 比 丘 二 百 五 九菩 噛 陸 戒 の 一 細 考 察 ( 佐 藤 … ) 十 戒 ・ 菩 薩 十 重 四 十 八 軽 戒 。 L 囲 「 亦 可 ノ 言 γ 持 二 丱 音 薩 十 重 四 十 八 軽 戒 → 此 戒 能 至 二 仏 果一 ら ち 故 。 」 ま た 西 京 禅 定 道 場 の 曇 遷 ( 五 四 一 − 六 〇 七 ) 伝 に は 「 研 二 精 華 厳 ・ 十 地 ・ 維 摩 ・ 楞 伽 ・ 地 持 ・ 起 信 等→ 咸 究 二 其 あヒ 深 蹟 ご と あ り 、 終 南 山 至 相 道 場 の 静 渕 ( 五 四 三
i
六 一 一 ) も ま 「 自 二 華 厳 ・ 地 持 ・ 涅槃
・ 十 地 納 皆 一 聞 無 レ 墜 歴 ノ 耳 便 講 。 」 と 伝 え て い る か ら 、 両 者 は 「 地 持 戒 」 に 通 じ そ の 弘 通 に 努 め ヨね た こ と が 知 ら れ る 。 ま た 河 東 栖巌
道 場 の 智 通 ( 五 四 七 − 六 → 一 ) は、 俊律
師、 曇 延 律 師 に 師 事 し た と い う か ら 、 「 地 持 戒 」 を 学 ん だ も の と 思 わ れ る 。 こ の よ う に 隋 代 に お け る 「 地 持 戒 」 の 普 及 は 、 智 頻 や そ の 学 系 に よ っ て 行 わ れ た 「 梵 網 戒 」 の 普 及 よ り は 、 か な り広
範 囲 に 及 ん で い た こ と は 明 ら か で あ る 。 こ う し た 隋 代 の 「 地 持 戒 」 研 究 の 潮 流 は 、唐
代 に 至 っ て も 衰 え な か っ た よ う で あ る 。 こ の こ と は 僧 伝 の 中 に 「 梵 網 戒 」 に よ る 授 戒 の 事 実 を 明 言 す る こ と が 稀 で あ る こ と か ら も 察 せ ら れ る 。 四 唐 代 に お け る 菩 薩 戒 の 普 及 に つ い て 、 高 僧 の 伝 記 な ど か ら 判 断 す る に 、 「 義 解 篇 」 や 「 習 禅 篇 」 に 列 伝 さ れ た 者 の 中 に 嚇 ○ は 、 「 梵 網 」 系 の 者 よ り は、 「 地 持 」 系 の 戒 学 を 修 得 し た 者 の 多 い こ と は 注 目 す べ き こ と で あ る 。 こ の よ う な 戒 学 の 動 き の 原 点 に 立 つ も の は 玄 奘 三 蔵 ( 六 〇 二 ー 六 六 四 ) そ の 人 で あ る 。 まり い ま 玄 奘 訳 の 『 菩 薩 戒 羯 磨 文 』 一 巻 と 『 菩 薩 戒 本 』 一 巻 、 ぶり 或 は 慧 沼 ( 六 五 〇1
七 四 ) 撰 の 『 勧 発 菩提
心 集 』 巻 下 に 掲 げ ら れ て い る 『 大 唐 三 蔵 法 師 伝 西 域 正 法蔵
受
菩 薩 戒 法 』 や 『 自 受 菩 薩 戒 法 』 に よ っ て 、 玄奘
の 戒 学 を 考 察 し よ う 。 『 菩 薩 戒 羯 磨 文 』 は 、 「 出瑜
伽 論 本 地 分 中 菩 薩 地 」 と 割 注 で の べ て い る よ う に 、 そ れ は 『瑜
伽 論 』 よ り 抜 萃 し て 、 受 戒 羯 磨 ・ 懺 悔 羯 磨 ・ 得捨
羯 磨 の 三 項 か ら 成 立 し て い る も の で あ る 。 そ こ で は 菩 薩 戒 の 従 他 受 ・ 自 誓 受 や 、 懺 悔 滅 罪 を と き 、 或 は 戒 の 得 捨 に お い て 大 乗 戒 は 集 団 的 な も の よ り も 、 よ り 個 人 的 内 面 性 を 重 視 す る も の へ と 展 開 し て い る こ と を 示 し て い る 。 『 菩 薩 戒 本 』 一 巻 に つ い て は 、 『 開 元 釈 教 録 』 巻 十 九 に 「 菩 薩 戒 本 一 巻 曇 無 讖 訳 一 十 一 紙 」 ハ の 「 菩 薩 戒 本 一 巻 三 蔵 玄 奘 訳 一 十 八 紙 」 と あ り 、 『 菩 薩 戒 本 』 に 曇 無 讖 訳 と 玄奘
訳 の 二 訳 が あ っ た こ と を 伝 え て い る 。 こ こ で 問 題 と す る 玄 奘 訳 の 戒 本 と は 、 割 注 で 「 出 瑜 伽 論 本 地 分 中 菩 薩 地 」 と の べ て い る よ う に 、 『瑜
伽 論 』 巻 四 十 の 終 り の 部 分 で の べ て い る 「 四 他 勝 処 法 」 と 、 巻 四 十 一 で の べ る 「 四 十 三 軽 戒 」 の す べ て を、 そ の ま ま の 姿 で掲 げ て い る こ と か ら み て 、 慧 沼 撰 『 勧 発 菩 提 心 集 』 巻 下 に み え る 『 大
唐
三 蔵 法 師 伝 西 域 正 法 蔵 受 菩 薩 戒 法 』 や 『 自 受 菩 薩 戒 法 』 と 不 可 分 の 関 係 に あ る こ と が 知 ら れ る の で あ る 。 す な わ ち 『 自 受 菩 薩 戒 法 』 は 、 『 瑜 伽 論 』 巻 四 十 一 が 「 四 十 三 軽 戒 」 を 説 き 終 っ た 後 で、 自 誓 受 戒 を 説 明 す る 部 分 の 文 章 と 全 く 同 じ で あ る こ と か ら み て 、 自 誓 受 戒 法 の テ キ ス ト と し て の 性 格 を も つ も の と 思 わ れ る 。 し か し て 『 西 域 正 法 蔵 受 菩 薩 戒 法 』 は 、 『 菩 薩 戒 羯 磨 文 』 よ り も 簡 潔 に 「 受 菩 薩 戒 法 」 を の べ 、 四 重 四 十 三 軽 戒 を 従 他 受 す る 際 の 受 戒 の 順序
次 第 を 具 体 的 に 明 示 し て い る 。 曇 無 讖 訳 と い わ れ る 『 戒 本 』 も 、 玄 奘 訳 と 同 本 異 訳 で あ る あ こ と は 、 「 出 地 持 戒 品 中 、 慈 氏 菩 薩 説 」 と あ る 割 注 に よ っ て 知 る こ と が で き る 。 更 に ま た わ が 国 の 天 台 宗 の 安 然 (1
八 八 四1
) 撰 『 普 通 授 菩 薩 戒 儀 広 釈 』 巻 上 に は、 十 本 の授
菩 薩 戒 本 が 存 在 し た と い っ て 、 そ の 名 前 を 挙 げ て い る が 、 そ の 中 の 六 本 は す で に 天 台 智 頻 が 『 菩 薩 戒 義 疏 』 で の べ た も の と 同 一 で あ る 。 残 り の 四 本 は 達 磨 本 ・ 明 曠 本 ・ 妙 楽 本 ・ 和 国 本 で あ る 。 と こ ろ が 安 然 は 曇 無 讖 の こ と を 達 摩 無 讖 と い い 、 達 摩 無 讖 の 『 菩 薩 戒 本 』 に つ い て 、 「 達 摩 無 讖 三 蔵、 持 二 菩 薩 戒 ハ 来 二 化 西 凉 一。 時 有 二 沙 門 法 進 肉 求 二 菩 薩 戒 →并
請 二 戒 本 → … … 今 別 行 地 持 戒 本 首 安 二 皈 敬 偈 一 おワ 者 、 是 。 」 菩 薩 戒 の 一 考 察 ( 佐 藤 ) と の べ て い る か ら、 安 然 の い う 達 摩 本 と は 別 の も の で あ る 。 関 口 博 士 は 『 広 釈 』 に 菩 薩 戒 の 小 乗 律 に 対 す る 八勝
法 が 説 か れ て い て 、 「 達 摩 説 こ 八 勝 法 こ と あ る 一 句 に 注 目 し て 、 こ の 八 勝 法 は 曇 無 讖 訳 の 『 菩 薩 戒 本 』 の 中 に は 見 出 さ れ な い が 、南
嶽 慧 思 ( 五 一 五 − 五 七 七 ) の 撰 述 に 擬 せ ら れ て い る 『 授 菩 薩 戒儀
』 一 巻 に 「 菩 薩 戒 有 二 八 種 殊 勝一 云 々 」 と あ る と し て 、 安 然 の い う 「 達 摩 本 」 と は こ の 「 南岳
本 」 で は な い か と い う 説 を の べ て い る 。 博 士 が 「 南 岳 本 」 と 推 定 し た 「 達 摩 本 」 が、 禅 宗 教 団 の 「 菩 薩 戒 本 」 で あ っ た か 、 或 は 天 台 系 の も の で あ っ た か に つ い て は 、 今 後 の 研 究 を 要 す る 問 題 で あ る 。 ま た こ の 他 に 天 台 中 興 の 祖 と い わ れ る 唐 代 の荊
渓 湛 然 ( 七 一 一 − 七 八 二 ) に 『 授 菩 薩 戒 儀 』 一 巻 が あ り 、 こ れ が 当 時 広 く 一 般 に 依 用 さ れ て い た 。 広 く 流 布 し た 理 由 と し て 、 湛 然 自 身 『 授 菩 薩 戒 儀 』 の 冒 頭 に 「 依 二 古 徳 及 梵 網 ・ 瓔 珞 ・ 地 持 并 高 昌 等 文 → 授 二 菩 薩 戒 → 行 ホロ 事 之 儀 略 為 二 十 二 門 殉 雖 〆 不 三 専依
一 二 家 噛 併 不 〆 違 二 聖 教 ご と の べ て い る よ う に、 十 二 門 か ら な る 『 授 菩 薩 戒 儀 』 は 、 古 徳 の 戒 儀 や 梵網
・ 瓔珞
・ 地 持 ・ 高 昌 な ど の 諸 本 が説
い て い る 授 戒 作 法 に 基 づ い て 組 織 さ れ た も の で あ る か ら 、 一 家 の 所 説 を 中 心 と し た も の で は な い か ら で あ る 。 そ れ は あ た か も 『 梵 一 “菩 薩 戒 の 一 考 察 ( 佐 藤 ) 網 経 』 が 、 中 国 的 な 諸 要 素 を す べ て 吸 収 し た と 同 じ よ う に 、 十 二 門 か ら な る 受 戒 作 法 は 当 時 の も の と し て は 普 遍 妥 当 性 の あ る も の で あ っ た こ と が 知 ら れ る の で あ る 。 ま た 唐 代 に は 大 暦 十 二 年 ( 七 七 七 ) に 、 天 台 智 頻 の 『 菩 薩 戒 義 疏 』 を 刪 補 し た と い う 明 曠 撰 の 『 天 台 菩 薩 戒 疏 』 三 巻 が 存 在 し 、 現 に 大 正 蔵 経 巻 四 十 に 見 る こ と が で き る 。 こ の 明 曠 の 『 戒 疏 』 上 の 冒 頭 に 、 仏 性 常 住 教 起 従 縁 、 縁 宜 不 同 故 、 義 有 広 略 。 或 引 衆 釈 以 顕 異 。 或 破 今 古 験 非 円 。 或 以 綺 飾 引 文 才 。 或 存 膚 質 成 深 致 。 莫 非 為 彰 教 旨 四 悉 適 時 也 。 今 随 所 欲 直 筆 銷 文 取 捨 有 憑 不 違 先 見 。 則 以 天 台 為 宗 骨 。 用 天 宮 之 具
縁
。 補 闕 銷 釈 貴 在 扶 文 。 則 諸 家 参 取 但 自 慮遺
失 。 豈 敢 呈 露 他 人 。 忽 漏 視 聴 之 縁 。 幸 ら 知 源 意 矣 。 と の べ て い る か ら 、 明 曠 の 撰 述 意 図 は 古 今 を 破 し て 非 円 を 験 め 、 天 台 教 学 に 忠 実 な 戒 学 を 確 立 す る こ と に あ っ た の で あ る 。 そ の た め に は 、 ま ず ω 天 台 を 以 て 宗 骨 と な し 。 似 天 宮 の 具 縁 を 用 い 。 圖 諸 家 を 参 取 す 。 右 の よ う に 明 曠 自身
が告
白 し て い る 。 右 の 「 天 宮 の 具 縁 」 の 「 具 縁 」 と は 大 野 博 士 が 指 摘 す る よ う に 、 具 戒 の 法 縁 と 解 さ れ る か ら 、 戒 儀 の 意 と な り、 天 宮 に 『 受 菩 薩 戒儀
』 が あ っ た = 一 ホ こ と に な る 。 し か し て 明 曠 は 『 戒 疏 』 上 に 「 将 釈 此 文 七 門 分 別 」 と い っ て 、 七 門 に 分 け る 中 の 第 四 「 明 受 法 」 で 、 明 受 法 者 ・ 謹 依 瓔 珞 ・ 地 持 ・ 高 昌 等 文 総 作 一 十 二 門 分 別 。 第 一 開 悟 。第
二 三 皈 。第
三 請 師 。 第 四 懺 悔 。 第 五 発 心 。 第 六 示 相 問 遮 。 第 七 授 戒 。 第 八 証 明 。 第 九 現 相 。 第 十 陳 持 お 犯 。 第 十 一 明 広 願 。 第 十 二 教 持 戒 。 と 説 く 所 謂 「 十 二 門 戒 儀 」 は 、 前 述 の 湛 然 の 妙 楽 本 が の べ る 形 式 ・ 内 容 と よ く 一 致 す る し 、 慧 沼 が 伝 え る 玄 奘 の 『 西 域 正 法 蔵 受 菩 薩 戒 法 』 も 妙 楽 本 ・ 明 曠 本 に 似 た と こ ろ が あ る か あ ね ら 、 明 曠 本 は 慧 沼 本 を も 参 照 し た こ と は 明 ら か で あ る 。 こ れ に つ い て は 明 曠 自 身 が 『 戒 疏 』 に 「 補闕
銷釈
、 貴 在 扶 文 、 則 諸 家 参 取 、 但 自 慮遺
失 」 と の べ て い る こ と か ら も 理 解 さ れ よ う 。 ま た 唐 代 に は 、 上 述 の 受 戒 儀 と は 性 格 を 異 に す る 密 教 系 の も の も 存 在 す る 。 す な わ ち 大 正 大 蔵 経 巻 十 八 に、 唐 善 無 畏 ・ 敬賢
共 編 の 『 無 畏 三 蔵 禅 要 』 一 巻 と 、 不 空 三 蔵 訳 『 受 菩 提 心 戒儀
』 一 巻 が そ れ で あ る 。 前 者 の 『 無 畏 三 蔵 禅 要 』 は 末 尾 に の 「 京 西 明 寺 慧 警 禅 師 、 先 有 撰 集 。 今再
詳 補、 頗 謂 備 焉 。 」 と あ る か ら、 西 明 寺 慧 警 の 撰 述 を 詳 補 し た も の で あ る こ と が 知 ら れ る 。 そ れ に よ れ ば 無 畏 三 蔵 が 『禅
要 』 を 詳 補 す る 以 前 に 、 こ の よ う な 形 式 の 受 戒 作 法 が す で に 行 わ れ て い た の で あ ハ おサ っ て 、 そ れ が 嵩 山 会 善 寺 敬 賢 を 始 め と す る 北 宗 の 神 秀 門 下 の者 に よ っ て 、 用 い ら れ て い た も の で あ る こ と が 知 ら れ る の で あ る 。 『 禅 要 』 は 二 部 か ら な り 、 第 一 部 は つ ぎ の 十 一 門 よ り 成 っ て い る 。 第 一 発 心 門 。 第 二 供 養 門 。 第 三 懺 悔 門 。 第 四 皈 依 門 。 第 五 発 菩 提 心 門 。 第 六 間 遮 難 門 。 第 七 請 師 門 。 第 八 羯 磨 門 。 第 九 結 戒 門 。 第 十 修 四 摂 門 。 第 十 一 十 重 戒 門 。 こ の 十 一 門 を 他 の 諸 本 が 伝 え る 受 戒 作 法 と 比 べ た 時 、 と く に 注 意 す べ き 点 は 、 一 般 の 受 戒 法 で 行 な う 「 能 持 否 」 の 三 問 三 答 を 「 問 遮 難 門 」 に 属 し た こ と で あ ろ う 。
第
二 部 は 密 教 独 特 の も の で 、 そ れ は 「 前 雖受
菩 薩 浄 戒、 今 須 重 受 諸 仏 内 証 無 漏 清 浄 法 戒 。 方 今 あ 可 入 禅 門 、 入禅
門 己 、 要 須 誦 此 陀 羅 尼 。 」 と の べ 、 陀 羅 尼 の 内 容 も 聞 戒 ・ 発 心 ・ 証 入 ・ 入 菩 薩 行位
の 四 種 陀 羅 尼 を そ れ ぞ れ 三 遍 誦 す る の で あ る 。 そ し て 諸 仏 内証
無漏
清 浄 戒 を 受 け て か ら 禅 門 に 入 る べ き こ と を 強 調 す る 。 こ こ に禅
密 双 修 の 学 仏 道 が 説 か れ る の で あ っ て 、 き わ め て特
異
な も の で あ る 。 つ ぎ に 三 昧 に 入 る 初 学 者 に 対 し て 、 一 静 処 で 半 跏 趺 坐 し 、 種 々 の 印 を 結 ぶ 方 法 を 説 い て い る 。 「 以 右押
左 不 須 全跏
」 と い っ て 、 全 跏 ( 結 跏 趺 坐 ) は 多 病 の た め 定 を 得 る こ と が難
し い と い う 。 し か し 「 若 先 来 全 跏 坐 得 者 最為
妙 也 」 と も の べ て 菩 薩 P 戒 の 一 考 察 ( 佐 藤 ) い る 。 こ の よ う に し て 心 が 外 境 に と ら わ れ る こ と が無
く な れ ば 「 然 可 運 心 供 養 懺 悔 」 し た こ と に な る と い う の で あ る 。 つ ぎ に 弘 誓. 願 を 発 し 、 調 気 法 を 学 ぶ こ と に な る が 、 禅 門 の 所 謂 「 数 息 観 」 に 当 る 。 調 息 が で き た な ら ば 定 を 学 び 、 三 摩 地 を 修 す る 。 こ の 三 摩 地 と は 、 「 直 是 一 切 衆 生 自 性 清 浄 心 。 名 為 大 円 鏡 智 。 」 で あ る と い う 。 こ の よ う に 初 学 者 は 定 を 修 し 、 過 去 諸 仏秘
密 方 便 加 持 修 定 法 を 行 じ な け れ ば な ら な い と 説 い て い る 。 ま た 不 空 ( 七 〇 五 ー 七 七 四 ) の 『 受 菩 提 心 戒儀
』 一 巻 は 、 『禅
要 』 が 説 く 十 一 門 の 受 戒 法 の 中 、 前 五 門 に 基 づ い て 偈 文 の 形 式 で の べ 、 各 門 の 終 り に そ の 真 言 を 附 し て い る 。 五 つ ぎ に 禅 宗 系 統 に あ っ て は 四 祖 道 信 ( 五 八 〇 ー 六 五 一 ) に 『 菩 薩 戒 法 』 一 本 が あ っ た こ と を 、 浄 覚 の 『 楞伽
師 資 記 』 の 道 信 章 に の べ て い る 。 さ ら に 南 頓 北 漸 と い う 呼称
が 示 す よ う に 、 南 北 教 団 の 対 立 に お い て 、 南 宗 は つ ね に 北宗
に 対 す る 対 抗 意 識 に燃
え て い た か ら 、 授 菩 薩 戒 本 に お い て も 当 然 そ れ ぞ れ 形 式 を異
に す る も の を 持 っ て い た こ と が 考 え ら れ る 。 北 宗 系 の も の は 大 正 蔵 経 巻 八 五 所 収 、 神 秀撰
『 大 乗 無 生 方 便 門 』 に 説 か れ て お り 、 ま た 最 澄 の 『 授 菩 薩 戒儀
』 に 対 す る 智 証 大 師 の 註 に 一 三菩 薩 戒 の 一 考 察 ( 佐 藤 ) ま け 「 大 唐 和 上 略 受 菩 薩 戒 文 云 … … 」 と あ る 「 大 唐 和 上 瑤 」 と は 、 普 寂 ( 六 五 一
i
七 三 九 ) の 弟 子 道 略 で あ ろ う か ら 、 道踏
に も 『 受 菩薩
戒 文 』 が あ っ た こ と が 知 お ら れ る 。 さ ら に 土 橋 教 授 が 紹介
し た 敦 煌 出 土 ス タ イ ン 本 第 一 〇 七 三 号 の 『授
菩 薩 戒 儀 』 噌 巻 は 、 『 大 乗 無 生 方 便 門 』 や 『 南 岳 本 』 と 同系
統 に ぞ く す る 『 授 菩 薩 戒 儀 』 で あ る と い わ ハ のソ れ る 。 南 宗系
の も の と し て は 、 荷 沢神
会 の 『南
陽 和 上 頓 教 解 脱 禅 門 直 了 性 壇 語 』 ( 以 下 「 壇 語 」 と よ ぶ ) と 、 敦 煌 本 『 六 祖 壇 経 』 ( 以 下 「 壇 経 」 と よ ぶ ) な ど に 授 戒 儀 が 具 体 的 に の べ ら れ て い る 。 敦煌
本 『 壇 経 』 の 標 題 は 「南
宗 頓 教 最 上 大 乗 摩 訶般
若 波 羅 蜜 経 六祖
恵 能 大 師 於 韶 州 大 梵 寺 施 法 壇 経 一 巻 兼 受 無 相 戒 弘 法 弟 子 法 海集
記 。 」 と あ り 、 「 施 法 壇 経 一 巻 」 と は 一 般 道俗
の た め に 行 な っ た 授 お 戒 説 法 の 記 録 と 解 し て よ い で あ ろ う 。 宇井
博 士 は 『 禅 宗 史 研 究 』 に お い て 、 北 宗 系 の 禅 者 で 弘 律 活 動 に 努 め た 著 名 な 僧 一 二 六 名 を 掲 げ て い る 。 か れ ら は 禅 僧 で あ り 、 か つ 明律
僧
と し て 小乗
戒 に も 通 じ て お り 、 当 時 成 立 し て い た 律 宗 の 三 派 ( 相 部 宗 . 東 塔 宗 ・ 南 山 宗 ) の す べ て の 流 れ を 受 け て お り、 と く に 相 部 宗 ・ 東 塔 宗 の 影 響 下 に あ る の は 思 恒 ( 六 五 一 − 七 二 六 ) 、 道 略 ( 七 〇 ニ ー 七 六 〇 ) 、 契 微 ( 七一 二 一 四 ー 七 八 一 ) 、 普 願 ( 七 四 九 − 八 三 四 ) な ど が あ り 、南
山 律 宗 の 関 係 で は 荊 州 玉 泉 寺 の 神秀
( 六 〇 六 − 七 〇 六 ) 、嵩
山 の普
寂
( 六 五 一 − 七 三 九 ) や、 道 宣親
受 の 弟 子 恒 景 ( 六 三 四 − 七 = 一 ) が あ り 、 そ の 門 よ り 恵真
( 六 七 一一丁
七 五 一 ) ・ 鑑 真 ( 六 八 八 ー 七 六 三 ) ・ 懐 譲 ( 六 七 七 ー 七 四 四 ) が 輩 出 し て い る 。 ま た 南 山 律 鈔 を 講 じ 、 の ち 普 寂 門 下 に 入 門 し た 法 融 ( 七 四 七 − 八 三 五 ) な ど が 指 摘 さ れ う る 。 か れ ら の 活 躍 に よ っ て 、禅
宗
教 団 に お け る 道 俗 へ の 授 戒 は き わ め て 盛 ん で あ っ た 。 『宋
高 僧 伝 』 巻 十 四、 「 明 律 篇 」 に み え る 唐 越 州 法 華 山 寺 玄 儼 ( 六 七 五 − 七 四 二 ) 伝 に よ る と 、 「 自 二 広 陵 一 迄 二 於 信 安 → 地 方 千 里、 道 俗 受 レ 法 者 、 殆 出 二 万 人 → 凡 礼 二 仏 名 経 二 百 遍、 設 二 無 遮 大 会 一 十筵
、 而 入 7 境 住 け持
挙 無 二 与 比 嚇 夫 秉 〆 法 伝 授 、 従 二 仏 口 一 生 。 」 と あ る 。 こ れ は 明 ら か に 道 俗 へ の 授 戒 説 法 の 盛 ん な 様 子 を 描 写 し た も の で あ る 。 ま た 玄 儼 の 弟 子 、 越 州 称 心 寺 大 義 ( 六 九 一 − 七 七 九 ) も 、 か 「 前 後 戒 壇 計 二 七 登 丶 受 戒 弟 子 三 万 余 人 。 」 い た と い う し 、 ま た 薪 春 東 山 の 弘 忍 よ り禅
法 を 学 び 、 ま た 番 禺 で 慧 能 に 遇 っ て 深 く 玄 理 を 悟 っ た と い う 会 稽 山 妙喜
寺 印 宗 ( 六 二 七 − 七 = 二 ) 伝 に は 、 お 「 請 置 二 戒 壇 →命
レ 宗度
ソ 人 。 可 二 数 千 百 ご と あ る 。 こ こ に の べ て い る 人 数 に 誇 張 が あ る と し て も 、 と にか く 大 勢 の 道 俗 を 交 え て の 授 戒 会 で あ っ た こ と は 確 か で あ ろ う 。 『 壇 語 』 に し て も 『 壇 経 』 に し て も 、 と も に か か る 授 戒 会 に お け る 戒 壇 説 法 の 内 容 で あ る こ と は 間 違 い な か ろ う 。 い ま 『 方 便 門 』 ・ 『 壇 経 』 ・ 『 壇 語 』 の 三 資 料 に よ っ て 、 初 期 禅 宗 教 団 で 行 わ れ た 受 戒 儀 の 内 容 を 表 示 す る と つ ぎ の 通 り で あ る 。 大 乗 無
生 方 便 門 ( 鈴 木 大 拙 全 集 巻 三 ) ω 各 各 瑚 跪 合 掌 、 当 下 教 令 占 発 二 四 弘 誓 願 幻 衆 生 無 辺 誓 願 度、 煩 悩 無 辺 誓 願 断、 法 門 無 尽 誓 願 学 無 上 仏 道 誓 願 証 翻 次 請 二 十 方 諸 仏一 為 二 和 尚 等司 次 請一一 三 世 諸 仏 菩 薩 等 → 國 次 教 レ 受 二 三 皈 叩 樹 次 問 二 五 能 而 一 者、 汝 従 二 今 日 一 乃 至 二 菩 提 → 能 捨一 二 切 悪 知 識 一 不 。 能 。 二 者 、 親 二 近 善 知 識 → 不 。 能 。 三 〔 者 〕、 能 坐 二 持 禁 戒 一 乃 至 二 命 終一 不 レ 犯 レ 戒 、 不 。 能 。 四 〔 者 〕 、 能 読一 一 誦 大 乗 経→ 問 二 甚 深 義 → 不 。 能 。 五 〔 者 〕 、 能 見 二 苦 衆 生 一 願 〆 力 能 救 護 、 不 。 能 。 次 各 ヒ 称 二 己 名 } 懺 悔 罪 言 。 過 去 未 来 及 現 在 身 口 意 業、 十 悪 罪 、 我 今 至 心 尽 懺 悔 。 願 菩 薩 戒 の 一 考 察 ( 佐 藤 ) 南 陽 和 上
壇 語 ( 鈴 木 大 拙 全 集 巻 三 ) ω 今 能 来 各 各 発 二 無 上 菩 提 心 司 ω 各 々 礼 仏、 敬 礼 過 去 際 一 切 仏 。 敬 礼 未 来 際 一 切 仏 。 敬 礼 現 在 際 一 切 諸 仏 。 敬 礼 般 若 尊 法 修 多 羅 蔵 。 敬 礼 諸 大 菩 薩 一 切 賢 聖 僧 。 同 今 知 識 、 三 業 清 浄、 過 去 未 来 及 現 在 。 身 口 意 業 四 重 罪 。 我 今 至 心 尽 懺 悔 。 願 罪 除 滅 敦 煌 本 壇
経 ( 鈴 木 公 田 校 訂 本 )
劇
( 第 二 + 節 ) 善 知 識、 総 須 二 自 体 → 与 授 二 無 相 戒 囎 … 見 二 自 三 身 仏 囮 ( 以 下 略 ) ω 今 既 自 皈 二 依 三 身 仏 】 己 。 与 二 善 知 識→ 発 二 四 弘 大 願 叩 善 知 識 、 一 時 逐 二 恵 能[ 道 。 衆 生 無 辺 誓 願 度、 煩 悩 無 辺 誓 願 断 、 法 門 無 辺 誓 願 学 ( 第 二 十 一 節 ) 國 今 既 懺 悔 己 。 与 二 善 知 識 一 授 二 無 相 三 皈 依 戒 → 皈 二 依 覚 両 足 尊 鱒 皈 二 依 正 離 欲 尊 叩 皈 二 依 浄 衆 中 尊 → ( 第 二 十 三 節 ) 説 二 与 善 知 識 無 相 懺 悔 叩 滅 二 三 世 罪 障 突 中 略 ) 懺 者 終 身 不 γ 為 。 悔 者 知 二 於 前 非 悪 業 → 一 五菩 薩 戒 の 一 考 察 ( 佐 藤 ) 罪 除 滅、 永 不 レ 起 。 五 逆 罪 障 重 罪、 准 前 。 譬 下 如 下 明 珠 没 二 濁 水 中 叫 以 二 珠 カ 一 故、 水 即 澄 清 鱒 … 堪 γ 受 二 浄 戒 司 ω 菩 薩 戒 、 是 持 レ 心 戒 。 以 二 仏 性} 為 二 戒 性 叩 心 暼 起 即 違 二 仏 性 → 是 破 二 菩 薩 戒 弔 護 持 心 不 レ 起、 即 順 二 仏 性 門 是 持 二 菩 薩 戒 鰐 三 説 。 次 各 ≧ 令 二 結 跏 趺 坐 鱒 永 不 レ 起 。 1 七 逆 罪 、 罪 。 五 逆 罪 。 十 悪 業 。 障 重 ω 若 求 二 無 上 菩 提 → 須 下 信 二 仏 語 → 依 申 仏 教 経 云 、 諸 悪 莫 〆 作 、 諸 善 奉 行、 自 浄 其 意 、 是 諸 仏 教 。 各 須 レ 護 二 持 斎 戒 唖 若 不 ノ 能 二 斎 戒 幻 一 切 善 法 、 終 不 レ 能 レ 生 。 一 六 恆 不 レ 離 γ 心 。 諸 仏 前 口 説 無 レ 益 。 我 此 法 門 中 、 永 断 不 γ 作 。 名 為 二 懺 悔 叩 ( 第 二 十 二 節 ) ω 与一 善 知 識一 説 二 摩 訶 槃 若 波 羅 蜜 法 帽 善 知 識、 雖一 一 念 不 7 解、 恵 能 与 説 。 各 々 聴 。 右 の 表 に よ っ て 禅 門 に お け る 受 戒 儀 の 内 容 を