――目次――
1,
口絵,迦毗羅神王像
2,
原始仏教における縁起観の開展(上),特に赤沼,宇井,和辻諸教授の説を読みて,木村泰賢,Taiken
KIMURA,pp.1-34.
3,
三階教の母胎としての宝山寺,常盤大定,Daizyō TOKIWA,pp.35-56.
4,
北ボルネオ岩窟墓の記,宇野円空,Enkū UNO,pp.57-77.
5,
輓近社会運動における反宗教的態度,二十二鉄鎧,Tetsugai NISOJI,pp.78-96.
6,
般舟三昧経の研究(上),赤沼智善,Tomoyoshi AKANUMA,pp.97-117.
7,
修行道地経と法華経との関係について,渡辺泰道,Yasumichi WATANABE,pp.118-134.
8,
神秘経験の問題,Baruzi, Saint jean de la Croix et le Problème de l’Expérience mystique,
Paris, 1924,
古野清人,Kiyoto FURUNO,pp.135-146.
9,
イエスの復活について,菅円吉,Enkichi KAN,pp.147-151.
10,
新刊紹介,pp.152-160.
寺島鑑山東蛙暢安 省哨河那支
故外n入坑聖仕大 悦 王 紳 瓜 批 迦
一 ましがき
紹剋睨豆大小兵営通し王.備衰亡於ける人珪枇なり牡非枇打りの根本非調たることは改めて言ふ までもh甘い。細にそれに研謂〓棉棉敢にあト土柱 最も宰きH隼∵パめ路地規十mれ一−しに頂姉彿数の立場圧しといつても不吋なき程でみ一心り併し、進んで、その継起枇の融に的意義如何にししいふこ
とになれば必すしも朋碓ならざるものめりノ、そこに和々の異附む捉〓し得べさ怜地のあろことば叩
ふペからざる締出である。之を大開からすれば吾雄和情を中心として凡ての現数は川係の⊥に成就
するもので、棚橋の問には一定の法則あり之む鹿れて孤宜絹布のものなしといふtt経過机の梢紳であ一心けれども、この間係の範閻なり、梢式なり決血王らにぬ寸ろ棉定的椚膵と㍍れば、可なりに郵
れる証描から解珊む下し得ペき伶弛がめるのである。これ、研銅板殆仰徹の根本骨椚と考へらるヽ
原始俳故に於けろ線通観り甜由︵上︶原始偶数に放ける滝壷硯の開展‡︶
− ︵砧に祢沼 再十井、和辻錆敢捏・り読を識みて︶ − 賢q ■J
五部囲阿合の之に関する説明が概して極めて苗即である土に、堅陣何程か異れる丼場から説明
を下
した用もあつて、その輿惹︵隼ろ頂意︶の村越に存するかJ∴止むるに謹ましむるものあるによるので ある。かくして〓疋軍資料に基いて沸教の眞恵首藤押せんとした接の許膵家父は伸雄新︵阿㍑速断論 伸︶の川に経過糾に附して苦衷より相々の異那を生じたのら、自然の放であろが、畔に近代と㍍りて、〓山山北場から彿放を批評諒に耕究せんとす乙人の中にはこの間に西洋哲堺の革で應川してその配
合■笠明碓ならし叫んと寸ろ企ても加はら、更に一桁、那膵のmに捌き・で律することになつたのであ る0 軋も亦﹁損飴仰放‖心他説Lり講究に際して、この問題に対しては吋な、りの苦心中細ったつl。Lリであ ろ。併し借ll・畔、私のとれa研究力針は阿合邦竣典を盆憶として取拇ひ、而五こ山川に後もに螢渡し た大小某日仙想の淵源を兄⋮⋮すといふ頂にあつたので、私‘・tこSカ針か、hして頂鮪彿現に於ける純剋 悔生 大約、三通ら位SIJ∼異れイ0立場より解押すべきセ至篤と信するー二到った。州㌣∴射一はヰと して現㌍住所Jで基礎とした同畔的依存の間伐の式場から、専卜心理浦拗の描式・で中心にして見るの 解押で、而も之は最も頂飴的な面影を梢ふるものと噺つ一−しかヽつた研でわる。節二は更に之な雄命 擬制の進慮の押野で桝に寸る方式と催し.聴に之右一雄躍に制レあてゝの酌据でめり、第三は所謂、 分位瀧で三世に捗ろ輪廻の州状十両にしたもめと見るの解澤であつた︵拙葦原始彿敢〓脚想諭二五〇 原鮨併鞍に於けろ繰越租の開展︵⊥︺音 ー二六六∬︶りそして・そこでは宕明を避けて置いたけれども、筋かに、第一の立場よ縁りはの般苅 や矩歳系の思想む導き〓し、那二の式場よりは唯識州道生仲禦一山立場よりは綾S小爽取に於ける 二画面珊糾む填き〓すの代納にらしめんとしたのは.私の志企であつた。 律し・証正に云へば・第一と招二S侶膵は▼椙令、そのま、ではないとしても、繹説内にやわ衣 面的最知かlし容易に鳴き〓され得べきものであるけれども、軍一の椚耶は予=はヾ統一と箪二とrで丑 秘した♯易からしたものであるだけ、紺説の表面にのみこだはる限り、そこに叫互h私址の合ま云
の節二の立場に薫きを択いて頂鮪件数の思想的那鞘
ことは〓らも認めてかヽつに柄でめるり而もこ
を企て以て大小基へい連綿む容易㍍らしめんとしたのは、一∵=ひ得んならば、私の僻妹的見解とし て、あの.頂茹彿放〓小憩諭し︵大正十︰在米“聖ルあにした詫なる動機であつ化。このことは、私が序文に於てむ本文内に於ても厘々言明して催いた桝でウリ。従っT亦、正正の明就巧私い頂鮪伽
敢〓仙詫Ll机が今拉に於けん彿敢以東沌むの取扱カに闇して、日程か零叫寸る研あるべゝJむ期待寸るしし 吊帖に、亦一部の坤新かrJlまかな,りにヰ描しさ反対む受くべゝごJとむ捜期してゐた桝であつた。殊と
に相続的佃野で弧寸る側からは異端的催押と許せ上∵るべく文扶的ギ謹軍⋮側からは絢糊的解押非
難さる∼であらうとは、私の坤正に、序文に表明して附いた研である。私の伐期ほ果して輿現した。堺界に何程か端射したか預かは私の血バし得ね所で石るけれども、
原始俳故に於けろ絨抱租の一別掴︵⊥︶ L二 ▲井難三方ほ果して両方面からやって華㍍のでぁる。それは印Jh大正十何年一日掩い本誌へ︰吊拙新二 の一︶に浄衣された赤沼加=書教授の﹁十二国雄の用紙的併粋に就て\しい∴論文しし、丁座H十〓㌫雄 誌﹁mル想﹂︵招三九批︶で推ムされ托‡井伯藷教授の,.十二同紙の耶叩1錆朗読のぶ薄しといヰ葡文とで ム∵ら。前行の∴七肌は、原始沸教に於ける維剋冊の托意も、証すィ0明 掩三川毘ほ勅諭に於け∴、通
いふま準じあり、綾部の弐混
000000000000 途の附椰の如くに、時問的に輪舶の舶状む糊にしたもりに外ならぬと 00U
は十二組叔の頂意は塞ろ輿へられた睨仰J,l珪前に兢て、それはどうなつてゐるかを論理的に究明せん ししする研にぁつ托もので、十㌻、陸川的押通▼∽E県関係ヤ最明と見るが如きは所帯親木悌殻S英悪に ㌍つた柳澤でないといふ姉ノでま張としヤ∵bのであ㌫。いち私の梨げた三鮎澤からすれば亦沼氏H㍍ 三言分位軍で以て膵剋祝い頂点でぁると琵航し、宇井氏はm∵の立場に近いものを以て板意であると琵張した形になつてゐるのである。併し、たとへ、それはぶ面的にに昔しく拍はれてゐぬとして
も、両氏共に私のとつた第二の催澤に封して異溝の申宰でその用品中に多分に合苦してゐだことば、
↓での論調よりして容易に石取し得らるゝ所でぁる。
私は及川の如く右の再冶文が岡崎に発火され写しと牽摘めて愉快に通じ、虚心佃憤に之を諏讃し、
その北ハに緻礪な・心火献r−勺瑞相の結果として、そこに到達された結協定ることを見出し、たとへ私の考と典るにしても、坪術上、極めて佃位あるものとして、深く敬滋を来し、且っ有益掟る資料と其
収納仲秋ド於けろ紙抱税の開通︵上︺ 四斥
に解称に糊して、碓々の暗示を特化ことを成謝したものである。殊主宰井氏が同じ四部囲阿合中に
於て改血ハ敬連の由段む究明し、桝悶、根本俳敢の楯異性を発揮せんとし化鰻度に封Lては、私もかぬてその必婁を高明してゐるだけに多大い敬意一打沸った次第である。
然るに、その抜この川遇に桝す争研究の進展む見るに.不幸にして赤沼教授は、爾後.この鮎に閲しては沈凱を守り.
またその緩む拙いで捕明 分位説の側に克ちて論陣・室根るの闘士な欠きたる
に反して、芋井氏の苫はゞ論理式端的解符を承けて本年七月より九月に頻る﹁〓心想﹂誌上に於て和辻
常州放授が更に一桁、之む徹底的に推し進めてマックス、ブレザー致授が鱒一し新カント沢の背淡む
以てした僻揮と据ヰせんとしたのは、蓋し頂近に於ける沸教研究非に於け一心⋮倖睨む放つものとし
て人々の絆‖を惹いた研であらう。而も同氏の所論中には随趣に、私の主つた心理論的丑命諭的解
滞を非難し.帖に吋なりに捕烈㍍桝もめるが、私むして書けしむれば、初より研究態度の其れる桝 から雄花意見の刺通もあるけれども−亦中には掛からす反省せしめられた軋もありて、悪日空言はれなからも二仰の見カとし†始終典味む以て爾んだ次耶であ一む。
そこで問題となるのは、こゝニケ年に亙りT、原始沸教山線鵡葡に閲してかく有力な論文が尊敬すべき堺新通よト教衣され、而も泥縄川ほに私の桝諭が批評されたとして、之に封寸一り私∽見附は
いかに、従碑、私のしLつた桝椰にして撞変を緊寸イ0桝なきかといふことであ∵心。一しは私が腱々人﹁ 瓜舶俳政lこ於ける披起軋の陶展︵上︶ 五G 問はれた問題である′ 私はウんに勤して極めで準正に答へ′㌔ − 赤沼読も†井−和辻読も共に、そ 勅諭究法に於て頼めて細緻㍍lいのであるけれども、所詮、失昭一相の見方,而も可なりに橡斯Jで 介め一三仰の比ガに過ぎ仁いもので、それのみが尻に頂柵似顔の出題中藤押したものと・∵=∴ことが 川東ぬ。申に朗て赤沼代両用論は用紙的昭膵に文献的非碓む射へんしLLた鮎に㍍て立派な戊損卑小 したけれ巨Lむ、捏始沸教n身直立場からすれば伶りに伯純に捕にれ過ぎ化怖か、由る、†非、和辻両 氏の諒は疑もじ′、成一り郡に於て揖殆仰穀の宜場に近いも山があ云けjlノども、伶bに近代的論理ま鶉 に煩はされT、却て頂始彿放か一覧く準正成と野際戚と・で欠くの櫨イりあろ十免JL損。かくして、私は 共に尊前L−−ペ∼二挿の兄カたることは充分に之専認め互がらも、之ノで以て唯一の相木的意義
ト、
の謄揮
と北舵すや限にその何れにも従ふことが〓水ぬ。之と桐帖にまた私のしLつた桝梓も、仰々山捌 から寸れば沌分.訂正せわば行ら氾桐塵のあるに気がついたけれども、大概か・りすれば、純剋翫の小心興味は、欠収、謹む小心としての心理作活の様式か晶明にこせんと寸る桝にあつたもので、更に之
ケ延長して推しっむれば遂に雄命論的宜御地にまで進まねば取りがつかぬといふ斗脹が▼ 最新彿放
り備園内に於ても支持し得られろものと、今佃ほ信じてわるものであィ0。と。 ㍍\ 今になりて、私S沸かに退城とする桝は、私があの﹁頂鮪彿放心皿盃LIで州した際には、荘 細からの約束ししはいへ、亜工大小重恩想への架橋とい・ル桝に注意し.㌦般化のガにL〃︸で逓したる剤 原始彿故に於けろ繰越捌り聞屑︵⊥︶ J _ ′ヽ7
合に、その畔異性の認印といネガ而なば些か疎かにしたことである。ために私め怠問と式場とをよ
く諒解せぬ詔新中にlミ軍に一掃飴棟数‖心憩諭しといふ抱月から判じて、あの中で論じ一てゐろ凡ては▼彼の大小乗数と全く異れる原始俳敢の特異的立脚地と、私は信じて論述してゐるかの如くに誤解し
てゐる人も靭くはないやうでめる。私はこの課桝を拒がんがために求紙の靡にも、序文にも私の意
陶な僅々沌麗して置いた所であるけれども、佃ほこり精巣になつたのは、蓋し内容の叙逓に於て欠
くる桝のあつた兼と極め.て遺憾に川心ふてゐる。殊に繰越槻の章に於て、私は三和の見方おあげた中で、第二一宮呵碓丑摘の意味で、私の愛する解耶としたけれども、その理由を朋自に述べぬために、
私は1でれを以て渥ちにm始彿敢に於ける繰出枇の関心篤郎でもみるかの如くに解したものと揖はれてゐるのは、寧ろ私の心外とする桝である。私は準正に白状するが、原始俳故に於ける維鵜糾も、
之お根本闇心姉に限定する限卜′、 − 他の凡ての敢條の由るが如く−−極めて罫純で摘も極めて欝際昧に常めるものであつた。た∨粁怖の畢風として、この脚心鷺甑を収容く圭‖はゞ帝阿の範矧が可
なりに煩く∬つ細々り色彩を新してゐたSセ、次第にこの節肘が忠誠さる∼に及びて、その内容も次第に後難化するに到ったものである。而もそれ圧必ヰしも彿陀の細線に限ったことではなく、約
竿枇紀に捗も仇陀の在他車にあらても、その傾向が束はれ、城線的一石年頃までに一と北.つ滞っく 所に藩ついにもSでぁるとは.少くも印象として私のかねて信する桝である。脱胎彿政血想ゐにこ於 頂柚俳枕lこ於ける故遇親の開展︹止︶ 七8 原始彿秋に於りろ錐粗相の開展︵上︶ 八 けろ私の立境目、据にこの闇心の悠鎚ぉ頭仁甘いて、而も塵ろ帝圏内に州心想的忘我レ見出さんとす る研にあつて、路起㍑に於ける第二り貸付龍的解痢の如きも、欝は之によりて仲仙釦よ卜蒋鳳の端に到 るの有力は一班む見出さんと寸る桝にあつたのである。総て之哲雄鮎日豪の式場とする時は疑もな く行き池ぎてゐるけ.ルどら、併しそこに到一山ベき頂助力の已に佗⋮鮎内に介まる意味に於て、矢張、 掃鮪彿敢の見地たろと川崎に、之によりて稜l二費通した大小乗数に於ける用珊桐葎機静的耳脚他に連 絡む見出し得ペしとは,私がこの糾粁わた愛した所以であつた。しかも私は、私の求むに於てこの劉 を詳論するの砕絹を有しなかったのは、前に述べた如き縄解を招いた所以で、今にして誠にこ私の退 城とする研である。が、私け亦沼説にも宇非、和辻説にもI−一稚の見解としては敬意を来しなが ・LJも ー それを昭一の厘木的邪澤として舘成し得ぬ埋由は、失純な言ひ分かは知らぬけれども、諸 氏が右の鮎に聞うる列拙い⋮たる意識む和しないで強ゐて一方に片附けんとした所にあることは技に汲 め断って深く桝である。 そこで、昨年以水、費衷された諸氏の新しきま張、之に裁く私の解梓に封する批評とに接したの を好拭としT、甚に比﹂か右石欠鋸七補ひ、かねて細氏の附繹に射すろ批評を述べて見たいと思ひつ いたのは.この論文J碕イり閏月一一∫?り。但しこ1で恨め紺つてか1りたいことは†1− ∵ 之をやるには先つ私自身の桝誹原典批評ノで先行せしむる必要がめ、一っう。排し今は÷こまで辛が
9 延び頂から、大股上、宇升、和辻両氏と同じく、五部四阿命中に覇者の屏あることを認めなが、㌧ 典概的問題に閥しては必悪わあ一〇際に論及する程腔に止め配くこと。 二、之は偶り原紙俳故に榊すること計りではハ甘いが、総じて印腔の文献を耽披ふには繹説に衣はれ た表面の文句を詮来する外に、その昔後に潜、けながら、そこに到らしめた心珊的葡埋的捏過七詮 索するの必要あ云ことば、私の常にま張してわる研であィ0。従てこの方法は・1勿論い定の限界 の下に−−−こ∼にも應用せ、らるゝこと。 三、この袖丈は、私の頂始彿敢思想諭む先登として、赤沼.宇井.和辻講氏の論文キ撒悲して立て らる∼ものであるから、文献再利用に際しても、右の謂論文内に考謹されたり引川されたりした ものに対しては、異論のない限りは、そのま∼認むること1して、弼ゐて引用や考課を繁雄亙ら しめぬカ針むとること。 四、この論文は三代の井沢に刺激されたものであるから.論述の惜誠としては▼ 北つ三氏の説を検 討し、然る後、口説に移るの桐序とすること、桐ほ溝諭は大綱を立とし、末節には怜り拘泥せ伯 方針をとること。 等である。 厳賠償奴lこ於けろ紙建刷り桝展︵上︶
10
l一字非、和辻両氏の論理‡義的解繹ヾしその得失
原始彿数直線遊説を諭叩的認識論的に解滞したのは和辻民ら指摘した如くソ訂尋⋮旨Ⅵ笥氏〃ロ⋮e p︼邑つ等号宣岩○ヨnきり︵よっニil十∋リコ 浮己︸計mu詔がそり初めである。 併し之には有力なる専i−り家の反封もめって軟洲にては︰部の輩新″で除いては怜りその追随者を見出しかねてゐたが、近時、犯団に於て、恐らく右の桁群に刺激されてか、盛んに論理的鋸澤を詫張
したのはや≠氏と和辻氏とである。中に就て宇非氏は最近に於けろこの諒の提唱溝の光臨をなした
けれども,立正に言へば、この問に常識的那在戚の混入ふhエL、そを組成的に推し進めかねた媚ひ あゃγ免れざるものがある。之に対して和辻氏のそれは、大憺に於て字井説む般元しながらも//−の常識阻中疎去して徹底的に論理的見解を以て、飴結した研、この宜現に徒ふ眠り、蓋しその代衣
的臨海丁与=つて然るべしと‖心ふ。そこで今、私が所潤ぬ裡ま韮的榊澤を考慮すろに借りても、専ら 和辻氏お中心として、平井論究/て配して、以てその得失む考へて見ろことにしたいと以ふ。舶序として先つ両氏ま張の大綱な堰ぐろならば、蓋し、先の誹郡はその舶撤を最もよく代来するもので
あらう。
∴同じ阿合緯や最珂耶中にも厘史的に予=へばこの糊に瀬音の帰がウ0。線通観に就て云へば、大闇 原始沸教に於けも媛超叔り開展︵上︶11 上、嫌阿介︵加應部︶にめ一心ものは古く、長阿、中阿にあるものは新しい。文化とへ、嫌阿にあろ ものでも説明に捗るものは新しく、憫結ぢるものは青い。故に吾昔は縁起睨の頂姑的意義Jで明か
にせんがためには〓水村る限り、その古きものによらねばならぬ。古き緑地経とその解秤経と阿
毘遁胱的鮎澤とは漸然、分けて考ふべきものでぁるとは、宇井氏も和辻氏も聾しく諭すろ桝の文
献的方法論でぁる。
二、同じく維適経と耕せらる∼ものでも、基中
に大小柵々の系列■で合む数十椰の鮮此ハがある。併し
基等は必すしも川一宜御地に適する詫張の戚略では年く▼ 各々特殊の式場からの克カヤ代来する
ものでJ吟るか、㌧ 之の解澤を混同しではならぬ。而も之・一書鱒担的に云へば初め㈹胆にして脈はぎるむのめり、それが次第に搬押されて、逆に十二維起混にまで漕ぎつけたものでぁるから、十二
繰叔を標準とする限ト・.他の小路鵡粧は要するに↓でS足場たるS意味を宥守るに過ぎぬり中に就で企く論理的見地からされたものは六支線超ユり和まり九或十支、十二支に及ぶのそれ等である。
!之は芋井氏の稔り言はぬ桝で、和は氏の力説せ〃q桝でわる恒.蓋し之はブレザー氏が純鹿諒を胴押するには仝概の宣揚からでなく、革ち姉妹の絆此ハの旗揚からすべしといつた克服に負ふも
のであらう。
三、煉適軌︵特に十二相通板︶の叔初の目的は吾等がいかにして浄化し開腹したかの姉婿む説明せん 脱柏餅歓lニ於ける液相搬S開場︵J︶】月 原始沸教lこ於けろ舷起覿わ偶鹿︵上︶ 一二 とし化ものではなく、堪ろ典へられた牛質む認警し、それに帥して石棺生赤はどうなつてゐるか を見んとしたもので、云ひ得・わ行了らば已に出水あがれ乙什組みの成立伐件む論理的に明にするの は、宇非氏も和 がその作 彷であつて、この間に仲川的捏週に闘寸る軌念の定かつたものであると 江比も写し︿或航すろ所でめろ。殊に和江拭となれば六文、九支、十支、十二支の各線超脱仁於 ける各支の関係ほ丑埋、心理的串瞥に射すバリ分捕納税容ではなく、 凡て法と法との閏に於け一〇論 理的聞係︵肌膵.つけ与川怖と氏はいふ︶む明にせんとした∵bの一に外なら氾といふのが、その最も 力諒するヰ張であん。蓋し氏の購謂、伏しLは私刀椚する限り、阿毘遁肋諭仰の所謂、自性仰持、規 . 律胸椎の定義Jぜ更に■桁論理化し認識論化して之■で情賓そり着ではな′、覇賓をしてあらしむる 枕木規範の意味、帥†I予=ひ得るならばカントの桝却⋮−範鴨に近き考にまで推し進めたものである。 かくして氏ほ十二組避支の∴々は、その名によつてホさる1串鱈の根本規範一で代衣するものとし て而もその中に企ま↓0論理的進展の様式智明にせんとしたのが路地粗山根本互義であつて、之史 雄和的心理的湖暦圃係の義としたのは、云ひ得るならば根本弐意″で通して常時の常識論に零協し た第二端的立脚地︵雅史的にも‖仙想的にも︶であるといふが、氏の根本詫服ししなつたmである。従 って ︵芋非氏もさうでめるが︶氏に従へば十二維鹿北なるものは、根念的種烈的に人蕉存在り揉 式を別にす†りが、その糀意であつて、旦冊的に人生む訣別せんとしたものではなかったといふの
3
も、亦自然の結論であらねばならぬ。
宰井氏再説明も、醇に和辻氏のそれは極めて板東哲極めたものだけに、可なりS長論掌じあるけれども、許する桝、その時妹的
基麗は石の≡ケ佗に収まaものとM仙ふ。かくLて右の二ニケ條を骨子として、私ぉして之七通せしむれば、右の詫脹小には細めて肪れた爪仙む介み、祉も︰甘く維加悦研
究の上に一大功献ななしたこと咤▼ 光っ以て私の敬意む来し坪井のために哩州寸乙桝でぁる、、のみ
ならす、たとへをの結論に於ては怨恨としては之を旗印㈹しか減るものがめっても、部分の強張にあ
bては、私も至秘、岡城な表する郡が抄くはにい。倒せば文献山根掩カの如き、之お挿端に及ばさゞる眠りは、誠に至骨⋮互ものにて、私自身として
も≠都岡阿合内l︰於て川仙想聡ばの晰組お兄んとする場介にはーー来た贋の成集は狩かねてゐるけれ ども−−大冊⊥、右の如きカ釦で研究む進むべきを公私の用命に述べてゐるものであろ。又純鵡悦服理の問題に閻しても、之な彿一代の問と見るか、はた飲代を粧てからのことヽ見ムかハ別問題と
してt・こにかく、モの糊に螢遁のめつたことは.私も温むろ桝である︵頂拍彿融川仙想論∴三人れ以 下︶。又緑地軌清朝の聞直蛸郡はノ・・・l之を論理的に附するセ至舘とするか、ほぺ心理的に昭寸るを至篤とするかほ別問題としてー堺ら典へられた人珪の現増加分〓発鮎として、米審お下寸所にあつ
たことほ、私nも、例の三っの郎耶の一つとして琵徹し帯いた桝で.頂舶価薮〓心想諭には之を次ぎ 原始沸敢lニ於ける膿租税の開展︵上︶頂妬彿薮仁於け∴・紹湛据わ闘㍍﹁⊥︶ 一己 。.∴ の如くに説いて祈いに⋮・⋮ 従って十二維起は必すしも畔問的拙作を迫ふての考察でないといふこ とけ、下人の第二に往意寸べき研であ云。寧ろ大部分は同時的依存刷係む示したもので、つ⊥ふLリ有 情の紺招及び溝助の囲係■で神々い丑場から軋察して弐翼郭.従属梨素と次第に聯閤せしめた結果が 錮㍉十∴文となつたと附すべきでみイ†︵∴宜九〓ハ︶と。勿論、それだからとて、私は維剋軌には帖問 的紺過的意義む合まなかったとは、その際でもヰ購する意志がなかったけれども、ともかく三世に 捗イり怜則S相状Jで説くのが、浩初より豆要闇心情でなかつにといふヰ張に閲する眠り、私も芋井、 和辻面代の諸肌l二矩成するも山である。 ホのぷ昧に於て少くも形式上、私も両氏の元服と共鳴する研める土に、正正に砦‖すれば、拙町に︰ 和辻氏UJ緻揺た亡る論理正義的椚澤に射してlま、少くも棚敢思想ノで深め而ヾい戒ゑ心昧l二現代流行∽〓心 l▼ 剋と結び付けんとした試みに於て、乱の唱如⊥かIhしてむ殆ど調よしたくさへ成するも山があ一心ハ 併し、ポは托に大根諭の式場かIトの批評であろ。若し更に進んで最痛に其醗的にホ山北張む槍訂 すら段ししなれば、両氏の弐購中には文献的に云つでも理論的に云っても、はた頂茹価奴有也く根本 気分か・らしても、刺状、郁代Sノ要求するが如く、唯一の原始的桝相法よ言はれぬ弼糊的要素む充分 に介むことを見逃寸澤にゎか氾。外見上は締めて抑粟な考帯を鮮てゐるやうではあ一んけれども、失 荻、J仰の先入見を北きとした那即決た今JしLは、瑞も公坪に件数Jで抑究してゐる人な、LJば容易に
用 束つき得べき桝であらう。今試みにこの詫なるもの一を堪ぐるならば ー ∵ 先つ第一に文献上の取扱ガであるが、之七大醗かGすれば右の方法は誠に堰浩の■やうである。 けれども鱈はこの問に差配的椚澤を混入寸るに布令のよいカはに相川し得る迫む捌いたことを見 逃してはならぬ。そは硝石にして維甑なる舶肱郡︵雉阿︶り路地組む古き文献と兄ろ巧 先.っ大描 に於て、よしとし化所で、m一どいへば北ハ等は締めて怖桝であろだけ見やうによりては、しカーニ 、−﹂、′ にも解し得、り心∼伶柏があイ0からであるり況して基等む、許して説明した拙論識・︼で糊鱈、侶別し て、獅正の発料として川ゐるならばそこに、可なりに我がま1なる附和ん﹂入れ得′Uことlニならう。 私暫しT忌押なしに、言はしむれば†井、和江氏、特に和辻氏の論理式兼的椚耶な一ヤものは、先 .っ㈹雷な緑地維から.特にをS一論調から一拍の印汲む更け、之ケ側めソレザー代適わの侶郡と結 び付け一\ 先づ確定諏とし.ホい棉定説示必すしむ支持サぬ経論に対しては、之・で拾∴次的いも のとして怖く取扱ひ‖説に都合のよい限トは之むをの葡澤に採用し、然らざ一左J郡い比外糾するの 方法によつて飾爪きあげられたむの1やうに揖はる∼の咤.就い先イその方扶諦に昆一で挑まざ′力む 得ぬ研七直る。詔し㈹招的で而も概ね里にはまル一〇的結な錐朗捏が第.m吹的でめり,之七圧︵澄明 I・■■’−−1 に詳説しい∵らのが崩二次的でぁるといふ与トば、村政上:更に〟井遡りて.その概高的な紺諦の背 後に潜ひ錐通観の邪謹的意義の■詮無にまで離甘なかったか。新し文献S・〃が明いの芋棺−Iといふ 錯佃併秋に於ける娘也鶴の開展ハ上︶
1‘ ならば、何故に其醗的説明のめる描瀧七特に坑二次的としT嘩成すろや。何んとなれば文挟をま とす,り限り、純音互る雑諒の基醗的音吐は、椙令、†r・れが銅棋士、第二次的に属寸ろとした研で 所謂解揮緯に於てのみ見出チエゝJものであるからであ一り。鴇るむ字非氏でも和辻氏でも、文献 批評セやかましく冨ひせてながら、賀は放め〓分で隼︸=附け置いた徴用的椚群小豆笹とLて、凡 てーγn混に邸介よく之ヤ蹟涙し、こ1に昭晰仙耶鱒ゾ入れて俗に何州州、冷しい〃・でして居られる のは、私の遺脱に〓心ふ桝でJ吊ら。 二、かく文厭的収損カl二無理が借′ルでゐろので、一見、いかに巧みに枠組んでも、その㍑理†華叫鋸 繹は、蓬に文状の支持む招かねたこし′一Jソ景山して○る。今、和江代の例むあげ†之む甜明寸イわ与㍉ − 氏はその論理迂端的解耶十㍑けて、先イ研い長両∴八日いカ便樟︵D・HペソE−ぎ己笹nP芸き︶に向 った。蓋し.氏に徒へばこの紺にじに二二伸の椚繹捏ではJりるけれども、九支持歳の糾耶とい・≠れば之 による外に仲井がないからで爪∵?フ。かくして氏は桝紺辿親に北いて栗栖死より〓於して、をの 両々に満て氏一抹の立場か・上里黒川揺㍗由Tて、ともかく、籾までは椚ぎつり克りけれども、第
八第九の名色と識との捌係を規にする段となるや、文献土、何んと描解しても蓬に超え靴きⅢ閃に
出携った。何んとなれば大純躍は識と新色との柑橘十両自に典昭的に托柏崎に於ける心身組織︵有 色︶とその中心としての心魂︵識︶の意味l二購膵して、こ∼に論理的闘係り意味七附加し縛ろ愴血 原始牌敦lこ於けち披地帯り開腿︵上︶】7 †で許さぬからである。このことば氏円らも曾白してゐる桝で、﹁かヽる解将によりて几支繍通の詫 澤は、甚しき困難七提供す一心。何故ならば、名色を陣肋中の胎兄と解し、才、名色の聞係む受胎 の・瞬間と解せしめるやうな文句が★りらからでぁるL︵忠明第五人批五入︶と。併しそれでも代∴ 強ひて之ヤ比喩の意味にとつて1母胎とは未だ意味に於ても形潤に於ても姉妹的限定む受けざる ものであり、従って未仁名色ではなく、無でぁる。識が入り氷ることによつて即ち罷別によつて特 殊的限定ぉ安くることによつて名色は初めて成立するL︵〓心想同眈五九︶と那押しやうと試みにが、 かゝる救粋は、苛も正正に文献む収扱はんとする人の一顧にも惜しないものであらねばならぬ。 従って若しこの苦しき救郡にして成立せぬこと∼なれば、少くも丸文維通説に閲 する限り、代が 切乃色々と持も廻り七やつと成就せしめた他の七支油の論理的闘係も、所詮.氏の我櫨な㌫椚 繹といふことにぢらう。そこで氏はこの椰l弼Jで異様せんがために、偶々十文緑地課に向け介利州 伸銅拘稀経との問答と情へらる1識と名色とが和瓦に加侍りて成立するの闘係空一つの粟撒両 と 。雉十二∴屁二二㌫︶に基いて、その認識論的関 州借りて立っが如きの愉を以てした読︵S・HHI・宗 係の意味なることを文献的巨滞せんとしたのである。然り、右、尭應の比喩によろ胡、名包の説 溜識的閤係の意味に耶押しに所で爪∵るか一女原鮪彿敬二九︶酌て捏論む狭まぬ研 明は、私も之七 である。けれども,私の場合はサニ直訳など∼榊通せしめての椚澤でぁつて.正正に云へばそれ 原始傍聴lこ於けろ繰越槻の開展︵土︶
18 原始彿秋lニ於りろ紙起租の開舶︵上︶ ︼八 自身仁けでは、必†Lも認識論意味に限るといふことに∴亘られ。解しゃぅによつては可なりに違 った意味にむとれる旬であろ。舶州紺地論︵Pいこ許m〓己:⋮需Pノ・つlコp∴㍑︶では︰般に識と名色 とり和正冊係吏招亘の刺那︵P什㌢︸乙l一iE−い憲︶に於けろ倶圧詫︵笹︼1Pj旨こ︶宍CD︶rP︶の㈲係を表は ヽヽ したものであ一〇と僻したのは伶りに壁用的でぁろとし仁厨で、右雄両の句に衷はれてゐる。和瓦 ヽ.ヽヽヽヽヽ に依存しっ1︵ロ㌫コヨ邑訂ヨコi診で︶といふ衣覗か∴すれば、吾等の心理清秋の払起することな く、正す用圧に凧肱川適すろの串㍍州係、印寸∴川謂加圧紹︵コ▲ン㌢ロ︼Pけど竃CつPリ1P︶を指したものと も僻し得・られ十う。とにかく、東電の■瑚椅るが如さ闇夜とあつても、そり意味と写れば細々に解 辞され得べき仙鮎地存守ろが、暇らに一歩を護って之王制辻氏り要求するが如く認識論杓い信と解 して、九‡維剋諒の欠陥を祁ふことが胴衣乙とした研でーこゝに亦氏‖身の寅購な藩切†Uの箪宵 が残って水イU。それは帥Jり識が名色∴より〃り色が誠によつて成就するならば、同様のことば愛と 氏日動も恵めた如く 一カのみに向つて進み行
受とに就ても細と受とに離ても一十ハひ糾らるべく、﹁
く緒剋の系列その新圧無意吐にh仏工うL﹁思想付根宜九昭四︶、かくして氏はこ∼でも、その諭埋ま 端的僻膵に対する文献の支潤む見出しかねて、更に進んで十二路地説に於てその粟求せる説明を 見出さんとした。が、不串にして、をこでも亦兄串にその計剥が宜切られた。それは即ち氏等が 十二組剋の僻澤痙として兼んじた相應都筑十二品の二に乾かれた分別蛙︵くi夢見甲︶が氏等の証】9 文通りに肺癌し舵いてくれぬことである。 舶に和辻代にLしりて幻滅を成せねばならぬことはをの井﹁老病死に対する説明でぁらねばならぬぐ 0000000 和辻氏に従へば十二餓鬼王於ける雄とに決して生れるといふ意味ではなく、性すること晶般の義 で弼逸語のEロt鞋巨に軍左・概念であり、同橋に老死とは雄理的に悪い且っ死ぬることではなく、 00000000 叩に過ぎ術くことl一般帥もノ▲、羞ebenの絹であると解押上の革新む更改して、その諭和光義的解 将に椰合よからしめんとし空‖芯第五入搬三七︶。が、桝謂僻押捏は、かヽる要求には無頼着で 、 珪とは何ぞやり口く、それぞれの衆生がそれぞれの糸井紬に於て珪む受くること即ち出 ある。﹁ 珪、托肋∴叩膵−綿飴S〓明清秋S成就之なりL﹁老とは何ぞや。口く、それぞれの衆生がそれぞれ の糸井類に於で老いること、即ち讃齢、詐喝〓喝触戊、諏齢、珊根捕湘、之行アリL︵S・邑H︷p・は
000000つ0000nO
−ム.嫌十二、炭二芸︶といつた獅の説明はいかに之な椚した研で丑す久u▼﹂と一般、過ぎ須くこと 0〇 一般といふ概念的現職の意眈にとることが山水ないではないか。墨ろ準正にそれは住用的那賀を 指したものと僻すべきが至曹でめらう。勿論、氏はこ∼で、例の文状的力扶論むかざして、期の 如きは1めとの附加物でぁることは疑ない\ニ親し▼今度は更にその救ひ生前に識が陣肋に入 も、 るの何で、吋なりに聞〓しほ例の比価大総紺にある律溜兆の諦桝に仰いだけれ卜﹂かくの如き は那に怜ト・に糾し托那椰伏で刑場 緋の輿忠に契ふの見カとは言はれぬ。のみ学・︶−骨∴つ一つの 蹄始彿較lこ於ける繰越取り附展︵上︶ご∩ 原用仰放lニ於けろ綾鰻〃りり川根︵上︶
二〇
㌍現によりて昭殊の証明を封i!解すペしと揚言した氏の方法論はこヽで全︿氏自らによつて措て㌧ れたと﹂・↓=はねば行らぬことに㍍らう。 要之、和辻氏り論理ま載的解柁なるものは、之一で文献に徹する限り、丸文路題紺で行きつまれ乙 所は十支純起錯に救ひな求め、十支線避経で行基れ一工肋は十二支緯に救ひノで仰ぎ、更に十二支得 で阿つ工桝は蓬に丸文繹に救ひを求むる方法で、慢に幸じてその醗北ノで盤へ∴ご﹂とが出水たもの である。糊じて氏日動がやかましくヤ=ひ立つるが如き、正正な文献的取扱ひから審たものでない といふことはれの指摘﹁∵JTりて最早、疑ふべからざる串彗と〓心ふ。氏は優々自説に都合悪しき文 机にほすれば﹁=1に畔問的聞係が揖≦入れられたのは常然の勢で・再らうがこれは明かに純題諒 としてげ失放でめつにLとか﹁丸文紹起の証狩紺は ー 否等の仰搾に不利な埴科を提供すらLなど ゝ、こぼし丁・㍍られ乙が、択始彿敢の純剋軌はフッサールの従﹁∵⊥Tリて組織されたものでもなけ れば、リッカートの従に勅料・で提供せんがために考へられたものでもなく、臼・土用自の証易に基 いたものでわる以上、之も致し方のないことでぁる。 要は愴り先入兄に杓はれないで.正正に文献に向ふことは、少′、も文献的考護を詮溝する軍人の 義務でめらうとM心ふ。 三、文献の収扱カ∴れ山加き偏⋮理右るに膿じて㍑吠⋮の結北とし∵融和⊥の取椴ガに1b純分り厘⋮理がり ■ノ ある。論理ま栽的僻膵に印すろ合冊的博捜H照らく描くとしても,偶々の皿〓に満て、彿親自身 の丼場からして私の㈱に甜⋮ちかぬろ解仰が膵山にあ∴・・。怜b痢にしくなるから.その一々Jで指摘 タンハ せぬとして、私い到拭県しか出∴∴は無明い侶揮とその取殿方とである。蓋し無明は欲と出端びて 山で、従って十二維地肌にあゎ豆も.その〓相即む㌧ 彿数人咋机上、最も叩⋮ムな息蛇Jで有寸よ∵ら す躍であろからその取扱山上して骨⋮む得ぬとき阜 少くも十二緒剋説に閲しては蓬に紹起机金肥 が蕾む得ぬことにトサろか、hでふ∵る。 私が原始彿数日一山、想論に於て、原始彿数の無明し﹂は所詮、丑の日内的常㍍の意味で〓〓意志の一義に 締右すべしと論じたいに射して、芋井代も和江代も文献の支へがないか、LJとて攻催されたが、私 の理由はめとで逓ぶムト﹂して私か工守れば宇≠氏再無廟融五和辻氏のそれも決して元金なものと は言はれぬ。†井氏h†二鋒山肌無明む一休托の根本〓仙想・.甘知らぬことL︵〓心想銅三九批∵、同一 五等︶でと糾し、十二組朗の〓的り桝於、こい俳托の根太・〓箭心曾知らぬ人︵凡夫︶の心術がど うなつ てゐるかむ明かに守らの論理的什組みに外ならぬと諭するがそい1純剋混S意義しに於け乙点蕊で あるりいかにも紳助ハには無桝む㍊いて門前S理な知らノ山こと∼、パつてゐ㍍研からすれば之でむよ いかも知れぬけれども、仰し之では例の1仰〓つるら〓でざるも異る購五しLと苫はれた柁叔は別 . 、 常〓性山息昧が判然と永けれて凍ぬではないか。備出てたる綾山無明はそれでよしとしても. ー 原始仰故に於けろ損如軌打囲摘︵⊥︶
22 二二 鳳始彿秋lニ於ける嬢趨観の閉園︵上︶ 田てざる以前の無明は少くも、それだけでは説明することの出水ぬ映鮎を仲ふて雄やう。若し﹁彿 陀S根本思想Lとは休陀山根木思想によつて代表せらるゝ法の英和といふ意妹であり、従って無 明とはそれを理解せぬといふ滋味であるといふ隼トば、勿論之は前しょりも捉い正しい見椚である。 律しこの際と錐も、然らば日放に吾等凡夫は法の英和哲理解し得ぬか、抑々理研L得ざらしむる 根本動力は〓んでぁるかといふことノで諭兜せねば順りがつかぬことにならうが、宇井氏はこのm まで進まないで、車“ご損純に俳陀の根本〓心鱒ぜ抑那せぬことゝ片附け化のは線剋勘考轄の旧教鮎 に於て除りに手畔地亨たことにじり、従ってその論理的附僻も、暇命.それが成立しても頼めて 力射きものたるの戒めるむ免れぬ。之に封して和辻氏は字井説を継承しながらも特に之を﹁n然 的光場Lと糾し化のは︵例せば〓心想節五入統一二︶私からすればかなりに意味深く成せらるゝもの がある。蓋し私〓身ム彿敢に於ける人格的進展の一両な説いて自然建より道徳膿に進 み違に道道 徳俵︵捏弊︶にまで到一じ所にあんと論じ、而もその自然版を無廟欲敦のさながらの憫値と僻したの に︵新枠嫌詰節囲六∵十四六二蛇︶暗合するものめらて私としては特に北ハ鳴するものあるがためで あらう。併し不単にして氏はこの〓然的立場の一いかなるものなるかを心理的にも論理的にも論究 しセ桝は一箱研もないので、いみじくは宕ひ衣はしてゐるけれども、たいそれぎりでぁる。従つ サンカー.′0000 て氏自身も白状してゐろが如く.術を鶉作一般と例の如く拙念化し托立場からすれば、その概念
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をいかに掘下げ化からとて﹁自然的立場しといふ無明の概念と論理的に結び付かぬとになる。そこ
サ∴:刀1・ノ で氏は新鹿の極−維超文lこ無明を証てたのは﹁この術も亦制約されたものでぁることを示すため、 即相加伽印加臣伽如立てられたのは無両でぁる﹂︵川蒜第五九眈一こといふ寧ろ聡くべき結論む 氾さぎろJ〃﹂柑ぬことになつたのである。これ鱈に戊か性悪死以下の十一文セルて氏の研細、決即 ち規範の意味に一般化して雅た結果、遂に最後に掃右した難側に執す〃。救澤であつて.私は寧ろ 氏い正前なる尊者的勇気に敬意を来するものでぁるけれども、た早因今しとには之では沸教n身の重刑がくづれることである。知らすや綿々の継起軌がめる中でも無明繰起と右愛繍起とはその
苗も根本的嵩もので十二緑地課は毀するにその両線超の紬合に外ならぬことは古辣の諭仲通によ
って已に道破されてゐる粁、無明と洞愛とが純偶別の小心をなすものたることを。︵例せばd扉己d・d己m帯∽Pワ琵ひ療昭⋮︶、然チビ今やその和明が蓬に止むな糾す什ガ侵しに置かれ化かの如くにま
で片肘けねば、速にその論理定義的解郡が成立せぬとすれば、私は沸教々埋の純贋を縛っために
も、論理的僻郡の不成就を希望せざるを得ぬ。
囲、†非氏も和辻氏も抜殻とは因果の一義ではなく、従ってこの聞に時間的抱起のぷ義正合ま氾こと
に力説した。そしてその一帯明として痛わに維︵pPeつ印篭=pr首唱P︶山り鶉針柳澤 し、りとめ.1でル ぉ園︵︼邑ロ︶と借別せんとした︵‖仙想箪∴九批全損†、川雛鳥批莞﹂Jl†し。いかにも之は或る相撲に 叔始俳徽に於〓そ縄踊剰の聞鹿︵上︶∩︼ 於て正しいことであるり私も亦紹導い机念′ぞ一部の西洋雄ポ㌧卜﹂り購寸るが加′、﹁ご=∵Lキ︶因果 律直り′、れと混同することには反動与るもので、頂鮪棚鶏思想詔にに次ぎい如くに附して削いに﹁要 すィ引l二燐くいへば聞係又に使件の義と解して大差なからうと思ふL︵頂鮪沸教二五︶と∵併しそ れ仁からとて、線を円と全く粍別し享非氏の如︿Mを以て∩招利雄的帰因山如︿に附†ろのに︵思 想須二九眈五二︶押して辟を得たものでは行い。堪ろ国と経と日原々混同して用ん・㌧れにいは脱胎 ヽ ヽヽヽヽヽヽヽヽ 彿数仁於け乙侶川例と附したカが、より池畔rI.である。例せば﹁諸法は円よ・り珪せ一?らの︵−を︼弓? l㌻/・且その何分柵陀は説く.︵つin薫r召︼H p・台︶とか﹁この形は臼作にめ■hす他作に′ヤ卜す、閏 \ヽヽヽ▼ によ卜て︵訂2m−J与っっっ︶互せるものL︵S・ヨl Hp・︼崇︶など∼あろのは俳敢の♯場からすれば疑も じく錘赴い我と解すべきでJ可イり。この意味に於て足部大緑経で因︵hetエ純︵︻︶買だ・P︶支︵n畜n臼︶葉 丁≡女官†こ華ヤ同義と兄上ろな引般いで、体育かー一詫CリJ het仁訂rP召日ni賢JPmSハ=已〓⋮≦lJL† ニ≒○ユ己i蔓㌻亡Jけ訂ヨペリ1阜甘已e=・ぎ⋮一︵ィrヨ7ご︰︼︶﹁絶といひ因といひ、頂〓といひ、文と 、 一にして、たゞ名絹張るのケ﹂と粧し隼・、輿︰⋮ん丁 いひ什といひ起とい・tルも.滋味からすればM 撲‖じ意味で﹁戎〓殴、矧臼井、或〓起、或〓中萩同文別︵八木欲珪肝、戊十、コ︶と糾したの トニ坪姉彿敬の斗場からLて隼イハ至常とm心ふものであろ。故仁二Nと経とり闘儒むいかに詐寂して 見た桝で、張碓には桝貴nl帥囚純︵︼−e言責CP㌧P︶の勘合に到注すべきが沸蹟で、之﹁∵⊥丁りて畔m的親融 原始彿放に於りろ繰超網り開展︹上︶
Ⅲ ヽ 得べきでぁる。 川係.少くむ瑚機︵訂草しL結果︵÷〃ヱとの間に於け・力餅剋附係■で否定するい滞糊とはならぬと心 札む以−㌧兄りにこの経い字義の詮蛮よりも、もつと左明仁文献山批評的研究む享井氏ら和辻代 こh ・し.〓 んー 。それに糾い﹁これJのれげ柁J両卜 之丑†れに被圧し.之行けれ豆 ら腫外相しにの′で遺恨﹁思∴ 彼べ′、立潤†れげ披適才Lといふ鍾鵡の㍍養おいかやうに侶膵㌻べきかししいふ串でぁる。尤も† 升氏Hふ鶴.二の文句l二偶れてはゐんけれども.併し肝心仁一サ∵めれば笹やりLこコJPSmぎ 邑i idPm山︼C︰i︶と一之丑†れげぬ布祥一∴Hm転︸已﹁芯㌢∑㌃巨uHJ・やモとの問に二於け隼帖別に射しては 姉別の往悪を細って居ら氾が、和辻氏と小甘れば∵∵∵ト之に周れた研がない出でわ㌫。私な以て見 に絶剋Sに鵜上して右Silj旬■で抑ペ難けたのは深甚巾意式レ︸存L一三リ もので、決して同じ串柄わ る 経り過へしでぢいことは、研誹滅親のガにも同じく井べあげてゐるに撤−†ん血でみ乙。私の椚 ヽヽヽヽヽヽ ヽヽヽヽヽヽ する限り﹁訳し之めれは彼あり﹂のカは同時的依存闇偉をホし十∵bので、﹁持し之圧すい ば、彼杵 . すLりガは苅帖的桐朗閲楕年不したものとサねげ収まりがつくまいと川肘ふか′招妬俳放〓心Ⅲ論︰ 六︶=古雅の大畑諦帥津の問にも亦、か∼′り見解む抱いて椚押しに人︰γ勘くは㍍い。桝サ誉仙骨の如 きも利い机する限り、この澄見な抱くもので、彼は稼といヰ音吐・γ犬山加くに別してウ㌔ ヽ▼ヽ−’ それl二よりてわ︿が故に純︵よるこしL︶といふ。之に伏在して鴨するとい・一川義”仏り/り.扶が仙眩 原始併軟﹁於りふ繰越搬の附舶︵⊥︶
ヱ6 00つCつ○つC00 に依存して、或は什L或け什する時、かの一法が他法り線と挿せらる。︵1i3・p・ひ∽拍︶ ヽヽヽヽlヽヽヽ とこ∼で、吾等の▲純忠すべきは或は化し或は焦す︵十i号︰己ノ・Pヱ弓皇已∵a︶といへることである。 而らこは祉の旭々頼り速へしたことで、仙語では﹁一法が他法の什宣︵菩iti︶又は雄性︵u︼JPpPtti︶の 期日︵t一す訂已エとなろ時、その一法む他法の経といふt︵山e己p▼冨∽︶とも説いてゐる。即ちこゝ ヽヽ ヽヽ ヽヽ ヽヽ に付し又は什★といへるは﹁之あれば彼ありLに施すろの日時閻係で、珪じ又は俊雄といへるは、 ﹁ウん兆すれば彼性すLり華畔閻様に舶庇寺るの那粁と見る一千リ圧他に什方があるまいと思ふ。更に 倶介諭となれば、︰㍍この串を明かにしてゐる。口く 何故に枇骨は前の二旬む詔′、や、謂︿一1之あるによりて絞めりLと一之焦するが故に彼坐すしと。 緒他に於て決定を知らしめんがためな♭。簡研に説くが如し。無明めるとよりて話術めること む得、無別を捕れて諸行あぇべきにあらすと。又講支の噂竿・一‡親ホせんがためなり、珊州くこの支 あるによりてかり支あぇことを楷、彼の女兆するが君に除文雄することむ得と︵倶合邦九鱒 旭雅本一九︶ 即・り明かに共存闇儒と緋避冊係とJで併せ説くが練避阻の弐意でぁるししは而北Iニ捗り七大論帥S一 致する意見ではないか。従って之を潜むる限♭、共布闇係のカでは論理的意味む見て之存廃し得 ろ紛他のあろことむ必すしも否定せぬけれども、抱起㈹儒の方は、何んとした研で時間的甑念・で 原始彿牧lこ於けろ娘蟻椚の閉班ハ上︶
27 入れないでは之を説き得ぬことにならう。勿論、之に対してず非代も和辻戊も彿肯し﹂いひ世槻と いひ、北ハに維避枇むJ以て柵廻再説明形式と定めてか1つた人々でぁるから、その意陳石膏てポわ 如く解したもので、脱出的拾︰次的意義哲正正に失明したものではあるまいと反駁するに州道が なからう。付しそれならばそれししして、椰合のよい時のみ仰≠など・−で引き合ひに〓山J互いで.か ゝる場合にこもその解膵七箱要刷︹▼ 之に対してその井理,で摘抒して、前祷面旬と1U論理的闇儒七 明にしたものであるといふ論滞′イ⋮隼小するの鵡稼がJ・り、.りう∵ほへ甘いか。線の一字なつゝくよりも
はをぎる、
このカはどれだけ写く締出の机念な明に寸るために必要な文猷■十めるか言要せ研典∵
ぉ面氏丑∵向その紺に偶れないのは私の理解し得ぬやり方と思ふ。 五、之は前項に已に介まつてゐ今﹂とではあろけれども改めて一般的に冨ふならば、その時聞的凱 念を除去して偏へに倫理的嚇珊を以て純剋軌な兄んと寸るの嬰求はいかなる紺師論陣の支持予・。 得て屠らぬことは頼めて津〓すべき折柄であらゎばならぬ。勿論、掘ゐて沢むれば、楼上起った 大衆部の路地支性無常諭の如き、石部い小畑腰わ法の如き、大雅上於て調伏に勤してその異動皆 立つるが如き、一﹁=けヾ概念と僧在とり中川お前く考へカ小にはー見やうによつては、倫理弐詭柄 芯鴻を抽出す吋補作か・・ツhうり 併しかヽる症状の†に☆つ派でも十二路地祝日冊の説明となれば、欠脱、之を純論理的に収損 柑始併敢lニ於けあ推越親の開脚︵⊥︶2月 っては居らぬが況Lて、か\ごJ井沢J〃恵めぬ側にあ卜/ては、殆とその形逃さへも示さぬといつてち と 然るべしrl−心ふ。†井氏はかの有名仁王二界虚妄唯是一心、十二囚純分皆依心とい′莞彗屁の二旬 小掠へて之に擬してゐるけれども︵〓心想第三九比七一︶、苅しそれで畔糊的鰯避的意味む十二囲緯 帯から排来して論理式蓑的催押七捕寸守ろ符面とする与−り ば、それは全く速断である。糞 之け、 十仙=榊小い如六埋い諒川小l二あろ十和紹茂t−−・山たゞ一つの㍑カでぁる計りではなく、私め附守ら肥 三パひよはした←いぃ−二 り、その∵JIJ㍊Jい墨守るに大毘埴沙論告■十﹂・り桝謂、利耶結赴机意味ノで強め一 過ぎぬか・hで古∵も。このγ仁に拙い九椚澤の凡て阿毘沌戯王二拾ム沌途の畔問的錯題鞠ノで非柑として ゐるに徴しても糊で・∴りる:椚もその別邸錆郎鞘ぢゃもりし 必すしも時制的岬紺週S流人サで刷∴干・ −1 たもいではh仏く、にヾ知的仙の意味・工期罰したもの一に過ぎぬから、之に基いての華損緯の宰∵∵ト 決して芋井氏直弼穴脱した加・長⋮明い力とにならぬ。勿論−だか・らしして、私も十二円錐は男、心に 由ろといヰ串仁匡甲†㌫ら出で圧だい。堪ろ対〓舟﹂h附かく僻するわ﹂至骨⋮と寸るもので.板鮪借 款思州心論には之Jピ次の如くにぺ高いて附いた。帥ゴ ち無数に張りつめられたる関係S糾山大本一γ闘★ りけ贋に“㍗石つて、十手帆れてけその円経論も荘に成立し損ないことは、この鮎にm†品縫い 、 結論で′直らねば隼LJ氾.︵.二三.n︶とり併し私はこの結論は必†しも、路剋睨■で梢念的論理的 に椚押せわは串き〓され得ないし﹂は踊して考へぬ桝で、寧ろ縦の囲係︵時間的︶も措の閻係︵同時 膵紳輔故上二於り・ハ・緒起彫り槻展︵上︶
ニP 的︶も凡て心り上l二捕りなされた規塊といふが仰敬の柊戊と、私は解して右わ如く説いたもので ホる。亦†井氏は〓点い保帯Jで求むら意味で﹁⋮⋮・詭に根本的体裁計り七はなく、接世の正純沸 石し.工・圭一Lこの混に基くも・いでめって、般若離、甜描沸教の︰朝里空説豆之章−地溝に了−黒に来は は畔冊的刷係むも合めてのことでぁる。而もこは彿音や瀧描からもガ期し得ら∴≠∼ことである。 し
1日心想第二一九眈六〇︶といつてゐるが、之も決して︸止しき謹明ではない。
たものに外ならぬ:⋮⋮ 溝扶朋圭誹は絹地睨の結論なるこし﹂は私も温むム研で・■わるけれども︵頂茹彿新二七五︶、併しそれ ⋮点し彿宜一い龍研も膵通論L﹂しては明かに之生二世両市の闘伐として混用しながらも、親刷は回路 明雄江北混即基ぺと遺構し、彿☆は無明等の我載研にめらざる野より十∴囚膵は居でわり右輪 J ︵こーPヨ︵・ドkkP︶は穴古サりT訃白−J■い㌶︶と追概してぉるからである。 1㌃ 山紺論と錐も.之■〃一一再正にかくして、私の知れろ滝川かれば所明 小乗の誹樟諭は勿論、大雅
附すろ捕り一、十二紺地諭か・1﹀帖川的心理的机念に描・上し、描辟誹誹論的に解⋮げしにtbの〓先.っ︰㌧ いと言つても然るべきでめ乙、苦しハナ井.和辻拭い佃描が.チいヰ購通り某し㌧所冊.用木彿敬 の胱㌫心む得たょすれば、柁の大小溝の論帥膵帥止凡てそい帰意な過しわ∵bいト宇∴はねばにLぬこ 、 とにならうがかく侶与ぇことば県Lて蔓性⋮であ・1ノブカー持し純叔軌の帰鮪的ぷ栽が果して論里 ︰.いr1. に川里化した購で.仰世にまで少しは塵りさう〃了b 宜兼的でぁつたとするならば、m令,そはいか 原始彿放lこ於りろ欄摘親の開展︵止︶30 のなィんにこの串なさは、到底理附し得ぬ恨む的呪忽と﹂・・=はねばなら渦。 律し若し之に対して、かく長く理設してゐた錐起率い頂意が、骨世紀に到りて一面に於てはリツ ケルトの祉徳であムマ︰クス、ブレザー氏によつて快復さ出い和いい.宇井、和辻氏性に和辻氏によ 完成されたと言は㌧ 私はたい誰んで口・ど閃ぢるのみてみる。 りて 五、最綾に現ぐ∴∵きは1之は意見の舶違といへばそれまでゞはJ勘るけれども ー 前に述べた如く †井、和辻氏の侶澤には、少くも損鮪彿教む賞く準正戚と暦帯域とが衣はれて屠ら氾ことである。 宇非氏は﹁然し十二田媒は凡丁椙に型蜜ホすのみの趣意でぁつて、︰々銅賞上の糾 非串を例示せ んとするものではないー11L︵思想第三九龍三八︶といつたのセ和辻氏は焼成して、﹁錐叔説の耕究 を一府弘い範閥に押し進め一桁根本的に掘り下げたと見ねばならね﹂︵思想第五七挑四︶と説いて ゐィり。が私中Lて∴はしむれば却てそこが大に疑義の存する凱であら。いかにも十二錆題姐な云 ものは、粧瀧の衣而からすれば、可なりに型にはまつたものであるけれども、併し律に逓ぶるが ▼ 如く その根底に㍑吐きた路面の題〓Jで理想し、従って吐きた人丑の串鱈む沌旭しての観察の潜 むことむ見逃しては断じて、維剋甑の頂始的意義わー捕へることが出水ぬと〓心ふ。殊更.五郎囲阿 合の中にも新吉の層あるを認めて、故も据茹的な意味Jぜ明にするといふ立場で、脱胎彿敢に判し て別に更に根本沸教の名捕まで附せんとした人が、春雄ならば理山中から革帯的意味む摘出すべ 原始彿歌に於り・わ接遇観り閲届︵上︶
31. く努力すべきに、却って凡て哲型にはめて、考ふることむ如心阿昆遁勅諭帥でも言ひさうなこと を公昭し、その立場で純避軌を解澤せんとするが如きは.殆ど私の理解し得申感度である。十二 妹蓮根は彿陀が華捉樹下で〓心肺した悟得山粧渦一どホしたものであるといふ梢説は縛らく措くとし ても、少くも之れは彿茹子にとりでは、悟らんがための一番性的力針として、言はゞ櫛定の公袈で あつたことは、字井氏も之わ㍉糾合の仕方Lといつてゐ∴こ桝から寸れば川じく萬むる所であらう。 果して然万とすれば内容のない損なる論理的型式む思椎するが如きは到底、考へ得られぬことで はないか。にとへ形式上は瑚の如くに見えても、瑚もそれは靖條の方式たる阻♭、それ白身の巾 に已に歴静的内容の撼られてゐることは少しく静かに種々の維剋辟を詔んにならば何人と雌も認 めねばならぬ研である。和辻氏は典慨的心理的となつたのは折二次的.で、抽象的論理的であつた のは第一次的であるといつてゐるが︵川仙想、第五九址一七︶、私からすれば丁腔その反射になつて ゐるのが傑出的串璽であらうと〓心ふ。その理由は之から運べて如く私の﹁継起削川根Lの桝に浪る として.とにかく十二緑誕を以て初より論理的栗沢の席物と兄ムのは兄浩拉ひで、初は準ろ増設 ま端的立脚から氾敬したものたることぉ忘れては断じて純剋翫の最悪が得られ甲しとになる。 以上の五理由は、即ち私が文献による限♭宇非.和辻両氏の研硝、期しゃ耶耶に坐成し得ぬ韮な 府飴俳赦にこ於ける繰越軌の開展︵止︶
32 原始仰敬に於けろ錐通観の開展︵上︶ 三二 根城でぁる。新し両氏にしても、少し控え目に、か∼る解膵む施し狩る伶弛もあるといふ位の宜 ろ 場かLL上∵b出でJウリ悠らば、勿箪 私は苦悩は言はぬ。点し相続的に去っても路避槻に対して伸 輔の異解のあつに上に、殊些 西洋の草者中には、 その好める立論から、或は科準的に或は西里的 に上.之1二近代的句ひノで附した僻繹Jで施した人も妙くは㍍いから、已にブレザー氏によつて試みら れた認識論的論理的僻郡のみ一心以上、両氏によつて.︷巾の如き椚紺が提唱されたからとて、今更謄 くに足らぬからであろ。たい両氏は飽くJまで原典批評の上に克つと故旧し、 いかにもそれが脛史的 に云って、唯一重賞山頂簸でJのィUかの如くに執して.他の解和才排斥する媛腔をとつたのは、私の 梵成し得ぬ所でぁる。従って亦、両氏殊に和辻氏が私り上京帝伽敬川心想諭に於ける解将に対して指摘 された桝珊川欠鮎に闇しても、− 私は正正に成訓の念ノで以て承認寸る仰桝もあるけれどもーー根本 的宜御地に於て、蓬に氏等の故に従って改め得ざる理由、も亦こ∼にあることを傍白して龍く。
三 赤沼氏の相続的鮮押の得失
かく字井、和辻氏の論理定義的僻澤哲許し凍りて、然らば赤沼氏の所謂相続的解澤︵愉廻愉的朋 揮︶はいかにといふに、或る滋味からすれば、この方は前の両托に比べて無印が少いといふことが 出水よう。蓋し祁腰部に,直ろ筒古な膵起捏でも亦そS所謂僻辟経でも、見やうによつては相続的裾汀 膵とオ宿する桝がはいからでめろ。仰しこの解膵に於て私の膵らぎろ所は、何んといつても、古き 純通津に友ほれてゐろ人往の現鱈に封して、時に羞病死ノで中心として、その帯酌に到るの心理溝功 一r比視寸るし﹂い′ル精仲山卜︰八はれて居・㌧ぬことである。私 ほ省き捏批ハと雌も、已にその小に愉廻の滋 味中内合してゐたこと′で埴て否定寸ろものではないけれども.公雄に正直に経典な詔む限ら、失収 現揮溝動︵汁として心理的押通︶の持式に禿きを置いての租察であつにといふことは雄はれぬ隼鱈と 揖ふ。現に†井、和辻両氏のんならすソレザー氏なとがポの印象中京州として、車上現腎的有在に印 して解押し㍍の−が、たとへ公冊として沌てそこに無理がめるとしても、ともかく一と始り締まると いヰ満席王徴しても、このことは反省して見るの情情がめらうとM心ふ。然ろに赤沼氏は盆然−こヽ 意を細はなかった許りではなく、前に述べた如く.ぁの考帝王据来されたのも、私の提出した に注
三中の二−与二む汁し﹂し
押椚那て、規増車心の解押七一蹴して他くま七輪廻中心の椚膵に凡てな締結
せんとり意企でぁつたのは、私,でして忠相なしに許せしむれば、術き過ぎT却て失敗であつにとM心 ふ。のみならす、同じく用紙的研押と請った桝で南北に梢はる種々の経論中には.種々の解群が提 出され、而もその小にほ吋なりにー糊きのめることは亦椚代S夙とに了知せらろヽ研でふ∵らう。然る を同氏は基等のこと哲慄外祀して、ただ南カでは仰骨む江とし、北カでは裡ら石部系の論洒な基礎 として、絆旬と論旬との問に放ける文献的連絡を見拍して、所帯用紙的解郡む維燕せんょすもカ扶 原始彿故に於りろ紙越軌の開展︵⊥︶3ヰ をとつたほ考帯の緻礪∵ろにも関らす、全櫻として愉りに手酵に失した蛾−のるJで免れぬと思ふ。若 し同氏にして五部四阿合、以綾とギへらろ1結論中にある線避租の見方に拭て、解揮土の境港む追 随したならば、初期論評に於ける維剋諭の小心興味が何遍にぁつたかといふことが介り、従って遡 論文な撥来したものでh㌧いことは.私の鞋︿経信守る描五言と同時に、川人と錐も、正正にあの籠 和辻氏か私なも合めて肺﹁同氏む許した如く、槻統に妥協し晩成数㈲の御用に供するために、あの りて原始沸教仁於ける線旭髄の刷心焦鮎も理解されたらうにと思ふ。勿論、それだからとて、私は、 文を請んだ人ならば、それに忠鱈なム却鹿緬成果であることを疑はねであらう。︵未完∵車一一 二七︶ 原始彿敢に於りろ維抱拍わ聞鹿㍗圭
前
支那河南竹串徳肝咤キの六朝時代の邪郡、庸時代の舶州で、沸教史上れ名な土地である。沸教
によつて、之を歳成したものである。その串は、北ハに迫ハ几の1鎖高仰化Lの中上見え.t居る。こヽI二七風化せる串は、仲秋虹⊥の著しき輿暦であるり
慧北.道喝㍊吋がJの=、後に桁㍍の再伸l鵬硲、慧休かJ巾り、丑年の堺徳が、この地を中心として四隣安、南井にては両涼、施申である。その中、郡椰には、前に稜剋の彿岡持あり、申ごろ北斬の侶那▼
の中心地は、畔代によつて異るが、基中に於て、畔﹁汀〓せ、h㌫べゝJは、北方にてけ洛陽、邪.長 堰徳酔の湖西七十宜せ里に暦両近火雄といふ名刺がある。n分化大証十年十‖I包.以てこヽを踏査 した。この由良薄は六靭以凍の名刺で、暦−こ馳末S一道甑が基礎を耶き、弟子の⋮肌情が︰代り持サ経験 二のつれ描がめりbい いけ大留鵠甜と名けられ、仙は大伴難問と名けらる∼。前新高地代い造.掩新 三脚秋の恥拍ご・しての一駅小幕三隅敦の哩胎としての賓山寺
,rJ t tl■ ♪﹁r盤 大 足
は情代の眈氾でぁる。ポ開の外に、隋の定裕渚があり、庸の玄林措がみり、北ハ他憲構、慧休■ピ初め多 くの草徳の次身漕がJのろり追想い石像もあつたとみるが、今は無い。赴等はいづれも.注意せらる べきものtで、北ハに﹁文邦沸教史描L第三輯の中に収められ、また之に闇して諸所に報侍し化から、多 く言ふの要が無い。n分は、かねて雄山寺の・史的情偶について極予=して居たが、不用の到紺な調査 して居イリ川に、矢吹博士が、本年十月の﹁思想Lの申lニ載せられた﹁三隅敢﹂の七僧彿名に大りィ0町小 を得て、小㍊絹と三隅放との問に何等かの通路がありはしまいかと思ふので,之について昭文を草し て、帖に此敢仁ついて心血■γ脱ぎつ∼ある矢吹兄り蓼考に発したいのでぁる。之に闇して眈に兄に 其一端を語ったが、北ハ拉や∼委し︿取調べを進めつ∼ある。まだく不十分では▲ヅ0 が、兎も殉一 腰之■で書いて見︰㌔之によつて、見り豊雷な研究に一助を苅し得ば串である。 三階数の研究こそけ.賞に華の意味に於け一生.掘り〓し物しでぁる。∩分は、かねて支那沸教史上 に於て.㌫放映の溢るる㍍派l二ほする里の少いのに不満を戚じっ∼ぁつた。多くけ卑近け功利的な 新鵬再吊に過ぎぬらしい。ホの吊癌㌫念俳に巧特に≠派へ仏救漕Ⅲ別冊放といエペき妙味が拘せられ、 その後む水〓に追伸華埠がぁろけいども、此仙の念俳咤 よし︰天川渥む凪僻すィ0にせよ、ぁまり に挿昧が与寸ぎる。支那沸教史上、景黒沌Jl外に、常に再小数の骨鶴を.得たししいふべさものが無った であらっか﹁椚用の仇薮止、捕右肩式を∬ハへて㍍′小り此小に㌫放レ1眞帖な得たものが撒て苅哨のみ ∵.仰欲の呼胎与しての望山守
限るまい。人聞の根本欲衷む且つめて.八川のま∼にして救折せらイんべき編者を説い托ものは、薯 埴以外に無い串はみるまいり彿放であろ以上は、書物彿敢、成定沸教の外に、代念彿歌の無い道理 は無いと偲って居に。こい隅仰に対して大なる啓発を輿へ十∵ものは、宵に三隅放である。勿倫これ についても、獅多くの疑川があ一心。その新しいもの止﹁ 此〓彿の信仰でぁる。この宗教が、果して普 仰のみにて彼が加さ力か拍たーnSでみ・りフか。必すその所竹としl′し普彿以外のものがあらねばなら ぬと〓仙ふが、これは椚多くの描裾な検討む要すろ。〓分は、二階数の普敬認悪・消東棟病の再訟‖に 大H云瓦ハ鵬一で成する。よし.押土数社より大な一Q非難を豪ったにせよ、両歌の榊に密接なる交渉の あつたのは、那に此郡になければなら氾。 三隅敷け、新に梢った世瑚沸教の申に棺醜せられたと川心は る∼。世親沸教の′相雄は、婿に常時の 支那沸教に溝壱由へたものでめつた。n分は、かねて世親彿敢肛ほの踵物として、1押上諭Lによつ て成れる里黒の渾土敢、1帯伽絆﹂によつて成れる慧呵の珊パパを敗へつ\ニ巾a。三階数が同じく世親 沸教の梢雄に成拉bとせば、︰婦女く世親仰敢の支那工於けろ闇屁Jで見る満となる。‖分のこゝに 言はんとすろ購咤 三隅敢凧〓如楯仰が、地論堺系に人と成った叫.椚二岬詮じっめれば一倍宿り 養はれた地正邪葡で∵而してをの・普彿㍍仰む養はしめた人は、霜補であbはしまいかといふにある。 抑 信術の系統は、大略次の蛸なものであつたと偲ふ。 lエ耶秋り聴齢ごLての東川守