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こぺる No.088(2000)

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2000

NO. 88

部落のいまを考える⑬

部落問題と貧困

山城弘敬

ひろば.⑮ 「人物評価

J

をめぐって

南梅吉

、あれ

これ

熊 谷 亨

5日(毎月I回25日発行)ISSN帥194剖3 こべる刊行会

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部落のいまを考え る ⑬

部落問題と貧困

﹁部落問題と貧困﹂について考えてみたい。 部落の持っさま、ざまな低位性は、古くからの大きな課 題であった。同和対策事業も、部落差別をなくすという 大きな目的を掲げながら、直接的にはこの﹁低位性﹂に 対する取り組みが大半を占めたといってもよいだろう。 そして現在においても、さまざまな指標をもって﹁部落 外との格差﹂が問題とされている。 私はここで、低位性全般ではなく、経済的な意味での 貧困と、それにかかわる文化の問題にテ

l

マを絞って考 えたい。なぜならば、同和対策事業によって大きな改善 が実現してきたにもかかわらず、現在もなおこの問題は 大きな課題として存在していると考えるからである。と な る 規 定 を

と を 明 ら か

て お き た しミ 本 稿 お 同時に、むしろこの先、より大きな問題として浮上して くるだろうという予測を持っているからでもある。 部落や部落民、部落差別という、部落問題を語る上で もっとも基本的な言葉はどれも、みんなが納得できる明 確な概念規定があるわけではない。それを語る人それぞ れに、時として微妙に、時として大きく異なる概念を用 いている。ただここでは、それぞれの概念規定の是非を 議論するつもりはない。 , − h v , − JJ ’ ふ / ﹁ 部 落 ﹂ こぺる の 意 味 に つ い て は 、 通常の使用とやや異 いては、行政によって ﹁同和地区﹂と指定されたエリア 1

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だけを、部落として表現する。未指定地区の問題もある だろう。またその成り立ちの経緯についても、他の地区 と異なる場合もある。しかしそれ白はここでは問題とは しない。正確にいうなら、地区指定がなされ、二疋戸数 以上の同和住宅が建設された地区だけをイメージして、 部落と称することにする。 ﹁部落民﹂の概念は、通常と同じである。未指定地区 や部落外に住んでいようとも、いわゆる被差別部落の出 身者全体を部落民としたい。むろん、ここでいう﹁部 落﹂の住民も含まれる。なお﹁両親や祖父母が部落民の 場合、その人を部落民と呼ぶべきか﹂などという問題も 存在するが、ここでは取り扱わない。それらを暖昧にし たところで、ここでの問題とは直接関係ないと考えたか ら で あ る 。 部落というのは、閉ざされた場所ではない。部落から 出て行く人たちも数多くいたし、また逆に新たに部落に 入ってきた人たちもいる。いったん出て行き、その後戻 ってきた人たちもいる。こうした人口の流出と流入は、 ﹁部落問題と貧困﹂という観点からすれば、大きな問題 を 持 っ て い る 。 2 同和対策事業以前から、この人口の流出入は存在した。 しかし事業によって、これがいっそう拡大したというこ と は 間 違 い な い 。 過去三十年ほどにわたって行われてきた同和対策事業 は、大きな成果をあげた。部落の持っさまざまな低位性 に対し、幾多の取り組みがなされた。 老朽化し、密集した住宅は、公営住宅や新しい家屋に 変わった。だがこの過程で、かなりの人たちが部落を出 ていった。多くは道路拡幅などによって立ち退きを迫ら れた人たちである。新しい住まいを部落外に選んだのだ。 奨学金の制度は、学力がありながらも経済的理由で進 学をあきらめた層を、その学力に見合った学校へ進学さ せた。大学に進学した人たちの多くもまた、部落を出て ミ コ ’ E O L V 〆 − ・ ヂ ’ ハ かつての就職差別の実態も大きく改善され、安定した 就労を確保した人たちも多い。それらの中の少なくない 人たちも、部落を出ていった。 ﹁部落産業の保護・育成﹂が解放運動によって叫ばれ、 これに対応した施策もいくつか実施された。しかし奈良

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のグローブ・ミット産業に代表されるように、同和対策 事業の中でも、多くの部落産業が消えていった。そこで 働いていた人々のその後についての調査を知らないが、 おそらくは少なくない人々が部落外に新たな職場を求め ていったのだろう。仕事が部落外にあればまた、住居を 部落外に移す人もいたことだろう。 同和対策事業の中でも、産業対策は成果の少ない分野 であったと思う。投資効率の面からすれば、他の分野よ り成果をあげていないだろう。特にその目的を、部落産 業に従事する人々の就労条件の向上に設定するなら、ほ とんど成果を上げていない。せいぜい就労先の確保程度 の 意 味 合 い だ ろ う 。 これは実質的に部落産業の経営者が、解放運動や部落 内に大きな発言力を持ちつづけ、そこで働く人々の主体 を明確に確立できなかったことが大きな原因だ。 私たちは二十年ほど前に、﹁部落内労働運動・部落民 労働運動﹂を提起し、実践してきた。部落内労働者の政 治的主体の確立と、解放運動の奪取が、大きな目的であ った。当時の部落解放同盟県連副委員長が社長を勤める 屠場において、労働運動を展開した。延べ九名の解雇者 も出したが、全員解雇一撤回・現職復帰を勝ち取った。ス トライキと強力遵法闘争の長期にわたる展開ゃ、それに 呼応した部落解放同盟支部としての闘いなどによって、 副委員長を社長の座からひきずりおろした。 だがそれ以上の勝利を手にすることはできなかった。 この部落内労働運動を、他の支部・他の部落に広げるこ とはできなかったし、部落解放同盟内ではいっそう政治 的に孤立することとなった。しかしもし仮に、私たちが 勝利していたらどうだつただろうか。私たちの地区にお いても、部落外への人口の流出を止めることはできなか っ た だ ろ う 。 部落解放運動においては、部落から出て行くというこ とは、常に否定的に見られていた。﹁ふるさとをすてる﹂ という感傷的な表現であったりもするが、﹁仲間を見捨 てる﹂﹁差別から逃げる﹂などという表現もある。実際 部落から出ていった人の中には、差別者と見分けがつか ぬほどのいいまわしで、部落に住む人々を表現する人も いる。住む場所を変えるだけではなく、本籍地を変え、 時には苗字さえ変える人もいる。部落との人付き合いを こぺる 3

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打ち切り、身内の葬式にさえ戻ってこない。部落から出 るというのは、そのような人たちとなることをイメージ さ れ た の だ ろ う 。 実際には、部落から出て行く理由はさまざまにある。 その後の部落との付き合いや、部落問題との向かい合い 方もいろいろだ。少なくとも、部落から出て行くことが、 部落問題から逃げ出すのと同じというのは、不正確だろ ぅ。部落に残った人々、新たに部落に入ってきた人々。 つまり、現に部落に住む人々は、どれほど部落問題と向 かい合っているだろうか。答えはいうまでもない。 最近では、現役の部落解放同盟幹部が部落から出て、 生活している実態を聞くことも少なからずある。 部落に住んでいる人々よりも、部落から出ていった 人々の方が、はるかに多くいる。分母が違うので、対比 することができないだろうが、それでも後者に部落問題 ときちんと向かい合っている人たちが多いという事実に は 、 音 山 味 が あ る だ ろ う 。 部落外で生活するほうが、より部落差別に接する機会 が多く、部落問題と向かい合わざるを得ないということ は、以前から指摘されてきた。しかしもう一つ、部落を 出た人々がより経済的にも安定し、社会的にも自立する 4 傾向があるという要素も忘れてはならないだろう。 もっともこのように表現すると、﹁部落に残っている 人々は、自立していないのか﹂という批判が出てきそう である。すべての人々と断定するわけではないが、傾向 としては明らかに自立していない人が多い。問題を抱え た 人 が 多 い と 思 う 。 部落に残った人々ではなく、新たに部落に入ってきた 人たち。いったん部落を出て、戻ってきた人たちのこと を考えてみよう。その入ってきた、戻ってきた理由は何 なのだろうか。二・三十年も前なら、部落解放の理念に 燃えて、という人々もいた、だろう。しかしそれを帳消し にしてくれるだけの、暴力団やそれに類する人々もいる。 同和対策事業は、さまざまな利権を生み出したし、それ らを目当てにした人々も、少なからず部落に入り、戻っ てきた。両極端の事例を除けば、﹁部落が住みやすい﹂ というのが、最も多い理由だろう。 家賃は安いし、さまざまな援助策もある。経済的に低 位で、不安定な人々。社会的に自立できずに、問題を抱

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えた人々というのが、同和対策事業が行われる部落に集 まってくる人々の傾向である。 二年後に同和対策事業が打ち切られれば、こう した傾向はなくなるのだろうか。少なくとも、同和住宅 に関していうなら、反対だろう。個人施策などが打ち切 られでも、同和住宅が残る。現在この同和住宅には、家 賃の応能制が導入されつつある。一律の家賃ではなく、 で は 、 所得に応じてその額を決めるのである。これまでよりは るかに高い家賃を求められる人々にとって、同和住宅は 魅力がなくなる。逆にこれまでどおり安い家賃でよい 人々というのは、実際に低所得であるか、所得がありな がらもろくに税金を払っていない人々である。彼らが部 落を出て行く理由は、それほどない。 部落には、絶えず人の出入りがある。都市部の部落で は、その傾向はいっそう強い。農村部の部落とて、新規 の流入は少ないにしろ、戻ってくる人々はいる。その人 の出入りの中では、あるフィルターがかけられる。社会 的に自立した人々が部落を出て行き、自立できない人々 が部落に入ってくるという。 同和対策事業は、大きな成果をあげた。いわゆるハー ド面だけではなく、ソフト面においてもしかりである。 だが皮肉なことに、部落の経済的・文化的な低位性は、 存在しつづける。成果をあげれば上げた分だけ、その成 果は部落外に流出し、新たな問題を持った層が流入して く る か ら だ 。 このように考えてみるなら、従来部落の持つ低位性を ﹁差別の結果﹂としてだけとらえてきたことにも、疑問 が生じる。確かに差別の結果という側面もあっただろう が、もう一方で右のようなフィルターの働いた結果の要 素もあるのではないだろうか。 一般的に産業は、安定して、永年続くものとは限らな い。新たな産業が起きる一方で、古い産業が廃れていく。 部落に縁の深い、屠畜解体との関係で見てみよう。これ は、江戸時代に﹁かわた﹂が担っていた、死牛馬の処理 に源を発する産業だろう。明治になって牛肉などを食す ることが広がったとしても、屠畜解体や肉の販売を専業 で行って、それで生計を立てることのできるまでには、 こぺる 相当の時聞がかかった。多くの場合その聞に、屠畜解体 と肉の販売は、それぞれを専業とする体制が確立された 5

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と 思 わ れ る 。 その当時、毛皮を扱うことの方が、安定していただろ う 。 牛 馬 に 限 ら ず 、 キツネ・タヌキ・イタチ・ウサギな ど多くの毛皮が商品として流通していた。捕獲・集荷か ら、革なめし・裁断・縫製にいたるさまざまな工程で、 多くの人々の生活を支えていた。だが時代が移り変われ ば、仕事の量も内容も変わる。同じ物がいつまでも売れ るわけではない。売れなくなったものは、作れない。原 料の入らなくなったもの、利潤率が二疋限度を下回った も の も 同 じ だ 。 牛馬の各パ

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ツについていえば、よりわかりやすい。 蒸製という方法は、獣骨の利用を拡大し、その価値を高 めた。しかし円高によって、安い飼料・肥料が大量に輸 入されるにいたり、再びその価値は下落した。かつて捨 てていた内臓は、現在では立派な商品である。これは食 文化の変化に対応する。最近ではコラ

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ゲンがやたらと 流行っている。これを抽出することで、石化原料に押さ れて価値の下がった獣皮が、再び評価される。 時代に応じた新たな仕事を見つけること。これができ なければ、その企業は存続できない。いや存続したとこ ろで、そこで働く人々の賃金や就労そのものに反映され てくる。同時に製造工程の革新は、求められる労働者の 6 質 を 変 化 さ せ た 。 産業ごとに、景気の波は押し寄せ、引いてゆく。そう した中で、経済的に成功した人々の一定部分は、部落を 出ていったに違いない。また入ってくる入、戻ってくる 人には、失敗した人が多かったのだろう。この現象が、 部落のさまざまな低位性を補完したのではないか。 今日では、部落の持つ低位性は、﹁差別の結果﹂ある いは﹁差別の実態﹂ととらえられることが多い。しかし ﹁同対審答申﹂においても、その当時の部落解放運動に おいても、﹁結果﹂だけではなく﹁原因﹂とのとらえ方 であった。﹁原因と結果を繰り返す、悪循環﹂とは、当 時の表現である。私はこれに賛同する。 思うに部落差別の原因についての議論は、あまりにも イデオロギツシユでありすぎた。﹁部落差別の本質﹂な どの言葉をつかい、そのすべてを理解できる魔法の呪文 の存在に疑うことなく、人それぞれの呪文を捜し当てる か の 議 論 が 多 す ぎ た 。

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そもそも、人間の理性の限界をわきまえることができ なかったのではないだろうか。人間の理性には限界があ る。物事のすべてを理解できるとは限らない。さまざま な事象の因果関係を、きちんと捉えることができるとは 限 ら な い 。 否定すべき現象の原因を理解したとしよう。その原因 を取り除けば、問題の現象はなくなるかもしれない。し かしもっと簡単に、その現象を回避する方法があるかも しれない。また逆に、対策をとっても現象がおさまらな いかもしれない。幾多の試行錯誤を繰り返すことで、よ りましな方法が見つかることはあるだろう。しかしそれ が﹁絶対正しい﹂とも限らないのだ。 部落差別という社会的現象を考えてみるときも同じだ ろう。私たちは、この現象の仕組みを理解できていない。 差別を人々の言動に限って議論しても同じだ。そもそも その行いをなした当人すら、なぜ差別言動を行ったのか、 理解できないだろう。多くの場合差別言動は、自覚的な 行為としてでなく、﹁何気なく﹂なされる。それぞれの 人を差別言動にいたらしめた原因を理解することは、き わめて困難だ。ましてそれらのすべてについてまで、理 解することは事実上不可能といえる。 ﹁本質﹂などという呪文に頼らず、つぎあてをおこな うかのように、対策を積み重ねた方がより現実的であろ う。部落の持つ低位性は、充分部落差別の原因となりう る実態を持っている。その中で、解決のめどが立ってい ない経済的な貧困と、それを取り巻く文化的な低位性へ の対策が緊急の課題となっていると思う。 では、実態はどうなっているのか。もとより私個人が、 全国の部落の実態を掌握しているはずがない。私の出身 部落の様子ゃ、それをもとにしながら議論した友人たち の話を通じて私が理解できる範囲のことしかー書けない。 部落といっても規模や、産業、所在する地域によって、 さまざまな姿がある。それ自体もとてもひとくくりにで きない存在だ。だがその中でも、同和住宅内においては、 ほほ共通する層が二疋程度存在しているようだ。 まず若者に焦点を当ててみよう。部落から若年人口が 流出しているのは、ほほ全国的な傾向である。その中で 数は少ないが、部落に戻ってくる若者もいる。先ほどか ら繰り返しているように、明らかに問題を持っている傾 こベる 7

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向が強い。目立つのは、部落外で結婚し、離婚して戻つ てくるケ

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ス だ 。 若いカップルの離婚原因の一番大きい要素は、生活力 も家事能力もない組み合わせであるという。これは部落 に限った話ではなく、日本全体の傾向らしい。仕事につ いても長続きせず、外食・中食︵外で買ってきた弁当を、 家で食べること。外食と内食の中間の意︶の比率が高い。 要するに、収入が少なく、支出が多くなる。むだづかい もはなはだしい。その上に、パチンコ・競輪・競馬。最 近では、テレビゲ

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ムを夜通しするという新しいスタイ ルも生まれている。もちろん、翌日は仕事を休む。 別に目新しい話ではなく、古くから問題にされてきた ことばかりだ。時代の反映はあるものの、基本的な構図 は 変 わ っ て い な い 。 これに対し、部落解放運動はどのような取り組みを行 っ て き た の だ ろ う か 。 基本的には、安定した就労先の確保など、その外面に おける取り組みに終始してきたといえるだろう。﹁職業 安定講習﹂をはじめとするさまざまな就労援助策だけで はなく、地区学習会における円子万補充も、基本的にはそ の目的である。その時々では、それなりの成果が上がつ 8 たのだろうが、その成果は部落外に流出する。 部落内の人々の内面に対する働きかけは、どうであっ たのだろうか。解放の思想や狭山思想という形での、運 動団体からの提起はあったが、定着はしていない。経済 的に豊かになることを目指すという運動の基本方向があ る以上、精神主義の注入では、事態は改善されないので は な い か 。 隣保館や教育集会所などなどにおける、各種の文化講 座を考えてみよう。その多くは、お花や手芸など、カル チ ャ

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センターと変わるところはない。タイトルが同じ だけではなく、内容も変わっていない。ここにあるのは、 ﹁世間と同じ暮らしがしたい﹂という願望に応えようと す る も の だ ろ う 。 もっと別の方法はないものだろうか。 私は部落差別そのものについて、﹁なくせるとは限ら ないし、なくすことだけが部落解放への道ではない﹂と 考えてきた。差別をなくすことだけを目指すのではなく、

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それがあることを前提としながら、差別によって傷つか ない方法の模索と実行。そうした中で、ある日気づいた ら﹁部落差別がなくなっていた﹂という姿を夢見るのだ。 貧困の問題も同じである。経済的に豊かになることだ けが、﹁貧困からの解放﹂であるとは限らない。経済的 な貧しさを受け入れ、その中で自分の納得のいく生活を 築き上げる。そうした姿も可能ではないだろうか。 そのためには、﹁お金などたくさん必要ない﹂という 価値観を築き上げることだろう。実際、どれほど﹁貧困 だ﹂﹁貧困だ﹂といっても、絶対的な貧困ではない。同 和対策事業を行っている地区で、誰かが餓死したなどと いう話は、聞いたこともない。﹁貧困﹂とは、部落外と の対比で出てきているにすぎない。 むしろこの点については、部落解放運動だけではなく、 日本の左翼勢力全般に存在する価値認識を問題にしなく てはならないだろう。たとえば左翼にとって、いまだに 労働組合はその活動拠点である。そして賃上げ闘争は、 労働組合の活動の機軸である。だが果たして、本当にこ れ以上賃金を上げるべきなのだろうか。日本の労働者は、 基本的には充分の賃金を得ていると思う。ほとんどの労 働組合が、本工によって組織されている現実。増加する 一 方 の パ

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トや派遣社員は、大半が未組織である。部分 的に組織されていたところで、本工主義の組合ではほと んど存在を無視される。こうした実態が日本左翼の最大 の活動基盤であるというのは、あまりにもむなしい。 パートの賃金も、本工の賃金も、両方上げろではだめ だ。本工の賃金を下げろということのできる運動が必要 だろう。それができない。ここに横たわるのは、生活の 質の向上を、物的条件によってはかろうという発想であ る。金にしても、物にしても、それがありすぎた分だけ、 生活は貧しくなることを忘れてはならない。 本当に必要なお金はいくらか。それ以外のお金は、何 に使われるか。これを考えることが求められる。そして これを暖昧にするなら、金持ちは環境破壊を、貧乏人は 生活破壊をするだけなのだから。絶え間なく降り注ぐ、 消費扇動の嵐に抗すること。消費欲求をコントロールす ること。この大切さを、どのように提起し、実践してい くのかが、この問題の大きなかぎとなるだろう。 もう一つ大切なことは、労働観の問題である。マルク ス主義の影響もあって、賃労働を疎外された行為と理解 こベる 9

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する風潮がある。そうでなくとも、﹁なぜ働くのか﹂の 問いに、﹁生活のため﹂と答える人が、あまりにも多い。 人は収入を得るためにのみ、働くのだろうか。私は労 働には、もう一つの大きな目的があると思う。それは社 会参加である。労働を通じて、さまざまな人と直接であ れ、間接であれ結びつき役立つというのは、充分に価値 の あ る こ と だ ろ う 。 もしそうでなければ、詐欺商法をやっていればよい。 実 際 に は 、 官 公 庁 、 だ け で は な く 、 民 間 企 業 に お い て も 、 社会的責任がいわれる。︵部落解放同盟は、そう主張し てきた︶会社という単位だけではなく、そこで働く労働 者一人ひとりもまた、社会的責任があるだろう。人間は 責任を全うすることに、大きな満足感を持つ。これもま た労働の大きな目的だろう。現についている労働に価値 を見出すこと。あるいはその手助けをすることは、この 問題に限らず、労働運動の課題でもあるだろう。 とはいうものの、﹁貧乏はこわくない﹂﹁生きがいを感 じて働こう﹂などと、百万四繰り返しても、事態は解決 されない。もう一つの生きがいである余暇のすごしかた から、家計簿のつけ方にいたるまで、多岐にわたる提起 が求められるだろう。残念ながら、私にはそれを体系だ 10 って展開することができない。そこで私の仕事を通じて 考えたととを紹介するにとどめる。 私は現在、四日市市立の児童館に勤務する。同和向け ではなく、いわゆる一般向けの施設である。市内には四 つの児童館があるが、いずれも﹁嘱託﹂と呼ばれる一年 雇用の職員が二名ずつ配置されている。正規職員はいな ぃ。これでもわかるように、あまり重視されていない職 場である。役所で重視されていないというのは、予算が つかないことでもある。実際、光熱水費を除いた需要費 は、年間二十四万円である。これで子どもたちの読むマ ンガの本から、コピ

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用紙、各種教室の材料代などを捻 出する。これはとても厳しい。 私の勤める児童館のある場所は、かつて四日市公害で 名をはせた地区である。若年層の流出や、一部でスラム 化が進むなど、部落と似た傾向を持つ。児童館の利用者 の中には、親子して部落の低位性を連想させる場合が少 な く な い 。

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主な活動は、幼児とその保護者向けの手あそびなどの つどい。クッキングや工作などの小学生向けの教室。こ れらをそれぞれ週二度行い、月一度、﹁まつり﹂と称し たイベントを行う。リクレ

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シヨンが中心だ。そして来 館する子どもたちの相手である。 部落と似通った問題を持つ子どもたちも多いので、最 近ではケ

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ス記録をつけ、対応に気配りしている。﹁ま つり﹂をはじめ、基本的にはすべての行事に、問題を持つ どの子が来てもいいように、あらかじめプログラムする。 ,~ -,

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スの持 っている課題の解決に役立てようという手法だ。だから ただ漫然と、グループ化してあそばせるわけではない。 それぞれに問題をかかえた子どもたちを意識し、個別に 役割を設定してリクレ

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シヨンなどを企画する。 各種教室で困るのが、二つある。何をするのかという ことと、予算をどうするのかだ。児童館は学校などと違 って、図書館と同じ利用施設だ。行事を企画しても、何 人くるかわからない。それに、ただ人を集めればよいと いうものでもない。各教室ごとに利用者を想定し、メッ セージを込める。児童館はカルチャーセンターではない の だ か ら 。 予算の問題も大きい。上からは﹁受益者負担﹂を求め られている。つまり参加者から材料代を徴収しろという ことだ。お金を持っている子どもばかりではない。ろく に小遣いももらっていない子どももいる。そんな子を無 視したくない。むしろ大切にしたい子どもたちだ。だか らできるだけ、ただのものを探す。木工教室の材料は、 建具屋さんや家具屋さんの捨てる木を。他の材料も同じ だ。知り合いの清掃職員に、品物を指定して、ゴミの中 から持ってくることもある。学校や保育園を改築すると きは、チェーンソーを持って、切り取ってもくる。 最近では、児童館の本箱なども廃材で自作している。 廃材や安い木を使った家具作り教室など、児童館ではで きないが、部落の中ならできるのでは。 先日実施して好評だったクッキング教室は、﹁やみな ベ風お好み焼き﹂。薄力粉とキャベツだけ児童館で用意 し、それ以外の具は子どもたちが持ってくる。クッキン グのねらいの一つは、子どもたちが自分で食事の準備を こぺる 11

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できるようになること。もちろんそれ以外にも個別化さ れたねらいもある。これを通じ子どもたちは、親が食事 を作らなくとも、冷蔵庫の中の材料だけで、何とか食べ られるものを作れるようになる。 一回の行事で、児童館の年間予算の何倍かを消化する、 同和向け施設。私からすれば、何でもできるはず。運動 団体も行政も、もっといろんな事をすればよい。 忘れられつつある生活の知恵。提供すべき情報は、い くらでもある。そうした取り組みの中で、貧困はそのま までも、文化的向上は図れるのではないだろうか。 ア し 実 な の け と れ こ

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る 考 0 'え た る と 上 え で ぱ 暴 ク 力 リ 団。四日市市はいまだに暴力団関係者の、同和住宅への 不正入居を黙認しつづけている。︵不正入居であるとい うことは認めたが、放置︶私の出身地区の場合、同和住 宅の一割を超える。これほどひどくなくとも、同じ問題 は各地にあるのだろう。これも含めて、問題山積である。 また、﹁協同組合運動﹂など、研究・検討すべきことも ある。しかしとりあえず、やれるところから始めよう。 12 ご批判をお待ちしています。

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ひ ろ ば ⑮ ﹁ 人 物 評 価 ﹂ を め ぐ っ て

あれこれ

官~ λ、ん ’ロー 十 字 ︵ 京 都 市 楽 只 隣 保 館 資 料 室 ︶ 四 四 歳 と 五 ヶ 月 。 一 九 一 一 一 年 一

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月に奈良の松井庄五 郎宅で阪本清一郎と出会い、水平社創立への参加を口説 かれたときの南梅吉の年齢です︵ちなみに阪本はその時、 二 九 歳 ︶ 。 四

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代半ばでの転身:::別に珍しいことでも ないのかも知れませんが、自分も間もなく手が届く年齢 になってしまったせいか、妙な感慨を覚えてしまいます。 今年は水平杜宣言の起草者として知られる西光万吉の 没 後 三

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周年ということで、部落解放運動や農民運動関 係の資料だけではなく、絵画や文芸作品なども網羅した ﹁商光万吉展﹂が各地を巡回しています。京都でも三月 末から一ヶ月間、崇仁の柳原銀行記念資料館とツラッテ イ千本︵楽只隣保館資料室︶を会場として同展が開催さ れ ま し た 。 この京都展の準備段階で、﹁せっかく千本でやるんだ から、関連した企画ができんもんかね﹂ということで、 ツラツテイ千本では、全国水平社の初代中央執行委員長 である南梅吉に関連した展示をやろうということになり ま し た 。 そうはいっても、地元である千本にも、 い ま で は 南 を 知る人やその足跡を示すものはほとんど残っていません。 南 梅 士 口 に つ い て の ま と ま つ た 論 文 と 一 吉 放人権セン夕

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発行の﹃地域同和﹄誌九二年二月号で 谷口勝巳さんが﹁﹃南梅土口﹂初論﹂として、その生涯を 概括したのが文字通り初めてのものと思いますが、その 谷日さんも﹁:::論ぜよといわれて、南梅吉についての 資料を探索したが、皆無といってよい状況であった﹂と い う 嘆 き で 始 め ら れ て い ま す 。 幸いというべきか、﹃京都部落史研究所報﹂︵以下、 ﹃ 所 報 ﹄ ︶ で 昨 年 か ら 連 載 さ れ て い た 朝 治 武 さ ん の ﹁ 創 立 期全国水平社と南梅吉﹂という論文が今年のはじめに完 結 し ま し た ︵ 第 一 一 ! 二 二 号 ︶ 。 朝 治 さ ん は 、 こぺる おおよそ初期にはたした役割は一定程度評価されて 13

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はいるものの、時には保守的活動家、融和主義者、 裏切り者、国家主義者と評されてきた。︵中略︶つ まり南は、全国水平社初代中央執行委員長であった としても、主にその前身と後身の位置によって−評価 されてきたからである。必要なことは、①水平運動 への転身まで、②全国水平社中央執行委員長、③そ れ以降、と大きく三つに分かれる時期に即して南の 思想と行動を明らかにし、それぞれを水平運動の展 開の中に位置づけることであろう。 そこで本稿では、南の全体像を明らかにするための 私の作業の第一歩として、南にとって最も輝かしい 全国水平社中央執行委員長を中心とした時期に絞っ て 検 討 を 試 み た い 。 として、京都府による﹃水平運動の情勢﹄など近年発見 された史料を紹介しながら、創立期全国水平社と南梅吉 の思想や行動について詳しく論を展開されています。 ここで朝治さんの論文に検討を加えるのはわたしの力 に余ることですが、今まで見過ごしていた資料を読み返 しながらの展示作業を通して、個人と思想、組織、運動 との関わりについて、あるいは﹁人を評価﹂するという ことについて、あらためて考えさせられることになりま した。わたしにとっても南梅吉は、部落解放運動史を学 ぴ始めた頃に刷り込まれた?﹁権力のスパイ﹂、そこま で言わないまでも﹁水平運動の脱落者﹂というイメージ でストップしたままの人物でしたから。 14 水平社創立準備に参加する以前の南梅吉を知ることの 出来る資料として、寺田蘇人の﹃部落之人豪﹄︵一九二

O

年 ︶ が あ り ま す 。 寺 田 と 一 言 ヲ ん ば 、 一 般 に は 水 平 社 創 立 の動きを妨害するために大日本平等会の創立大会﹁大日 本同朋差別撤廃大会﹂︵一九二二年二月、大阪︶の開催 をしかけた人物として︵悪名が?︶知られていますが、 彼が各地の部落の﹁名士﹂を訪ね歩き、それぞれの生い 立ちゃ考え方、会つての感想などを述べたものです。そ せ い ほ う 自分は資産なく聾望なく文盲非才にして部落有志と か っ しての資格はありませぬが、部落の先輩からは携が

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い き さ つ く れるそれに持ったが病で部落の改善には柳か蓋し っ と て居ります。部外の交際も出来得るだけは努めてや ふしよう って居りますが、不肖私の如きものでも喜田博士 な ど さ い U つ あ り が た く 杯は一再ならず訪問されまして賓に難有感じて居 り ま す 。 という南の言葉と 氏は明治十年五月滋賀県蒲生郡桐原村の農家に生る 後数年ならずして不幸孤児となり親族の聞に保育せ お U ら い らる、長じて小学校を卒え爾来業務の館暇種々の書 し よ う り ょ う 籍を渉猟した。 明治二十七年の秋現住地に移転し化粧品の製造に従 事してゐる、同三十五年以来鋭意部落の改善に従事 し終に青年団を設けて其団長となった。 由来北町部落︵引用者注・北町とは鷹野北町のこと。 すくな 当時の千本の町名︶に資産聾望あるの有志又砂か わ ず か らざるも鋭意部落の改善に蓋しの有志は僅に氏一 い ん よ う 人である。他の有志も氏の熱誠に動かされ陰に陽に び じ 氏に聾援しっ、あるは同部落の一大美事である。 という人物紹介が記されています。 現在の滋賀県近江八幡市で生まれた南梅吉は、 八年︵明治二一︶に京都市内の商家に丁稚奉公に出まし た︵東三条の靴屋といわれている︶。﹁明治二十七年秋現 住地に移転﹂といいますから、一七歳の時に千本にやっ てきたことになります。千本を選んだのは、仕事の上か 何かのつながりによるものでしょうか。

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年頃というのは、松方デフレによ る不況の影響などによって有力者たちの教育や殖産興業 の試みが挫折し、部落の窮乏化が急速に進んだ時期で、 千本も例外ではありませんでした。そんな中、いわば裸 一貫でやってきた南が、のちに青年団を組織し、村の有 力者の一人として成長していくわけです。 南が住み始めた頃の千本には、﹁身分取立歎願書﹂を 京都府に提出した年寄元右衛門の息子で小学校の建設や 眼病院を開設した益井茂平、その眼病院を継いだ益井 ︵仁木︶信、あるいは茂平の後輩として小学校長や村長、 郡会議員等を務めた井上靖といった有力者がいました。 こうした﹁先輩﹂の教えを受けて、南も改善運動に取り 組み始めたのでしょう︵なお南は﹁以来鋭意部落の改善 こべる 15

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に従事し﹂た﹁同三十五年﹂の翌年に千本の女性主結婚 しているが、﹃部落問題事典﹄の南の項﹁蓮台野村の年 寄増︵益︶井元右衛門の娘﹂というのは誤り︶。 ちなみに、井上靖は奈良の融和運動家松井庄五郎の主 宰する﹃明治の光﹂誌の名誉社友でもあり、同誌の各号 に漢詩を寄せています。南を松井に紹介したのも井上か もしれません。また井上は、全国水平社機関誌﹃水平﹄ 第一号に名刺広告も出しています。 興味深いのは、寺田蘇人の﹁鋭意部落の改善に蓋しの 有志は僅に氏一人﹂という南への高い評価です。﹁資産 整望あるの有志﹂とは、益井信や井上靖などをさしてい ると思われますが、二人とも融和運動の中では知られた 人物ですから寺田も既知のはずであり、南のどこにちが いを見て取ったのでしょうか。単なるヨイショとも思え ま せ ん 。 南は、米騒動に際しては千本からの参加者を制止して 京都府知事から表彰を受け、一九一九年の第一回同情融 和大会には﹁各界の名士﹂とならんで名を連ねるなど、 改善運動家として全国的にも名を知られていくことにな ります。また、米騒動後には京都市内の各部落に託児所 やトラコーマ診療所、公衆浴場などの設置が進められて いきます。﹁先輩﹂たちの発想からすれば、年齢も四

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16 半 ば 、 い よ い よ 改 善 事 業 家 と し て 本 格 的 な 名 声 を : : : と いう時期に、阪本清一郎と出会うことになります。 研究書と銘打った本ですら、融和運動や改善運動に携 わった人々、あるいは全国水平社と別の運動を始めた 人 々 に 対 し て ﹁ : : : は 天 皇 制 融 和 主 義 者 で あ っ た 。 以 上 、 批判終わり﹂のような記述が堂々となされていた時期が ありました。わたしも以前であれば、﹁そうかそうか、 悪いやっちゃ﹂で納得していましたから偉そうなことは 言えません。けれども、そうしたレッテルを貼って切り 捨ててきた中に、部落問題を考える上で大事なものがあ ったのではないかと思うのです。そんな﹁身内﹂にしか 通用しないような﹁批判﹂で、本当に相手に切り込むこ とが出来てきたのか、といった方がいいかも知れません。 南梅吉もまた、生涯を部落問題に向き合って生きた一 人であり、なにを考え、どう行動したのかを吟味してい くことは、二

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世紀末の今日の部落差別を考える上でも 大切なことではないか、そんなことを痛感します。

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鴨水記 マ例の﹁三国人﹂発言や﹁天皇中心 の神の国﹂発言など、政治家の最近 の一連の発言を読むにつけ、威勢が いいわりには確信のなさが透けて見 えます。確信がないから言葉だけが 走るのです。彼らの言葉を政治論議 の文脈で語ることは、それはそれで 必要かもしれないけれど、彼らの言 動に、﹁権力の中の人間的卑小さ﹂ ︵安岡章太郎︶を感じとる洞察力の ほうが大切だ、と私は考えます。こ のさい地位や肩書きに幻惑されやす い 人 間 観 を 省 み る 機 会 に し て は 如 何 。 それがひょっとしたら加藤周一さん のいう、﹁みずからを批判し、みず からを笑うことのできる能力﹂につ な が る よ う な 気 が し ま す 。 マ第印回﹁こぺる﹄合評会は、中西 ひ と し さ ん に 、 ﹁ ﹃ 子 ど も の 社 会 力 ﹄ をめぐって同和教育において相互 行為は可能か﹂と題して話題を提供 していただきました。私はこの間ず っと、自分と自分の親しい人以外の ことなんか知らないという、他者不 在・傍若無人の風潮がはびこる世の 中に、部落差別問題の解決を目指す く さ び 取り組みはどんな棋を打ち込んで きたのか考えていたので、同書の ﹁社会力﹂という言葉に注目し、中 西さんに書評を依頼したわけです。 中西さんは自らの経験をふまえて同 和教育の場における相互行為の困難 さを率直に語ってくださいました 0 年間二百日をこえる、いわゆる同和 地区への家庭訪問。そこに込められ ている善意と熱意を否定はしません が 、 そ う し た 実 践 の 意 味 が 問 え な い 、 あるいは問われない雰囲気、関係自 体が相互行為の不在を示しているの ではないでしょうか。︵藤田敬一︶ マ﹃こぺる﹂合評会は七、八、九月 は 休 み 、 次 回 は 十 月 で す 。 編集・発行者 こぺる刊行会(編集責任藤田敬一) 発行所京都市上京区衣棚通上御霊前下Jレ上木ノ下町73-9阿昨社 Tel. 075 414 8951 Fax. 075 414 8952 E-mail: [email protected] 定価300円(税込)・年間4000円郵便振替 01010-7-6141 第88号 2000年7月25日発行

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V 未開拓 ・ 異色の書 公民館 ・ 学校 ・ 美術館 ・ 図書館 ・ 青 年 の 家 や 公 園 : ・ の 社 会教育施設の使用や学習材 、 さらに社会教育主 事 ・ 司書 ・ 学芸員の専門職性や人事問題 、

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や ボ ランテ ィアの活動 な どを め ぐって、今日 、 多発す る紛争 を 紹介 、 大 人 の学習権を論じる。

社会教育の紛争と法

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U − 内容紹介 公民館の使用をめぐる紛争と法 研究課題と研究方法 / 公民館における集会の自由 / 公民館での学習・集会の内容 / 公民館使用をめぐる今後の課題 大人の「特別活動

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定 価 ︵ 本 体 三

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四八円+税 ︶ 八 八 号 二 OOO 年七月 二 十 五 日発行 ︵ 毎月 一 回 二 十五 日 発 行 ︶ 公民館以外の社会教育施設の使用をめぐる紛争と法 研究課題と研究方法 / 教職員組合 の 研修 ・ 集会 / 天皇制問題の集会 / 同性愛者の施設利用 / 美術作品の発 表 / 公民館以外 の 社会教育施設使用をめ ぐ る今後の課題 学校施設の目的 外 使用 を めぐる紛争と法 研究課題と研究方法 / ﹁ 社 会 教 育 ﹂ のとらえかた / ﹁学校教育上支障﹂の存否の教育的判断の裁量の基準 / ﹁学校教育上支障がない﹂の判断と使用許可の裁量 / 学校施設の目的外使用をめぐる今後の課題 学習材をめぐる紛争と法 研究課題と 研 究方法 / 知る権利と情報 公 開条例 / 社会教育施 設 における学習材 の 提供 / 文化財の保護と活用 / 個人による 学 習材の破損 / 個人 の 表 現 の 自由と 、 観て学ぶ権利 / 学習材をめぐる今後の課題 社会教育関係団体をめぐる紛争と法 研究課題と研究方法 / 社会教育関係団体の法的性格 / 社会教育関係団体の教育的性格 / 社 会 教育関係団体の民 主 性 / 社会教育関係団体をめぐる今後の課題 専門的職員 ︵ 社会教育主事、司 書 、学芸員︶の人事を め ぐる紛 争と法 研 究課題と研究方法 / 社会教育 主 事 の 専 門職性 / 可舎と公民館主事の専門職性 / 専門的職員をめぐる 今 後の課題 ボランティアの活動をめぐる紛争と法 研究課題と研究方法 / ボランティアの責任 / 子ども会育成 会 の責任 / ボラン テ ィアの注意義務の範囲 / 保護者の責任 / 子どもの責任 / 行政機関の 責 任 / ボランティアの活動をめぐる今後の課題

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︵ O 七 五 ︶ 四 一 四 | 八 九 五 一 附 ︵ O 七 五 ︶ 四 一 四 | 八 九 五 二 一 九九 三 年五 月 二 十 七 日 第 三 種郵便物 認可 定価 三 百円 ︵ 本 体 二 八 六 円 ︶ 発 売 阿 昨 社/ 京都市上京区衣棚通上御霊前下ル上木ノ下町73-9 Tel 075-414-8951 Fax 075-414 8952

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