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<論説>「静岡本名裁判」と在日韓国朝鮮人社会

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(1)論 説. 「静岡本名裁判」と在日韓国朝鮮人社会 柳 赫 秀 はじめに 2014 年 10 月 14 日東京高等裁判所 で あった「静岡本名裁判」 (以下、本件裁 判と略す。 )の控訴審は、同年 4 月 24 日の地裁に続いて、判決論旨に変化はあ るものの、やはり原告山原信一(本名、諸信一)の訴えを認める判決を読み上 げた。この事件は、普段通名(日本名)を使用して暮らしてきた在日韓国人 3 世である山原が、10 年以上勤めていた浄化槽会社の日本人社長から数回にわ たって本名(韓国名)の使用を慫慂され、終礼時間に集まった職員たちの前で 在日韓国人であることを明かされ、精神的苦痛を受けたとして、被告の行為が 人格権侵害またはパワーハラスメントに該当すると主張し損害賠償を請求した 事件である。 裁判では、被告の行為が民法上の不法行為に該当するかが争われた。第 1 審 では、在日韓国人が日常生活で本名と通名のうちどちらを使用するかは個人の アイデンティティないし(人格権の一部を構成する)自己決定権に関する事項 であり、秘している在日韓国人である事実を第 3 者に公表することはプライバ シーを侵害する行為なので、被告は原告に対して精神的苦痛に対する慰謝料と 弁護士費用として計 55 万円を支払うよう命じた。控訴審では、個人を他人か ら識別し特定する機能を有する氏名は通常一つであるが、在日韓国人の場合は 1.

(2) 横浜法学第 24 巻第 2・3 号(2016 年 3 月). 通名を使用してきた歴史的経緯があり、それは外国人登録証明書(2012 年以 後は住民票)に本名とともに通名が併記されるなど、行政上も通名使用に配慮 した扱いがなされてきたので、本名使用によって社会生活上の不利益を受ける ことを恐れてそれを秘匿することが少なくないことを鑑みると、本名の使用を 慫慂し、在日韓国人であることを第 3 者に公表することは、通名の使用で得ら れる社会生活の平穏とプライバシーという人格的利益を侵害する不法行為に該 当するとして、原審を支持した 1)。 本件以前にも在日韓国朝鮮人 2)の氏名をめぐる裁判は数回あったが、すべ てが本人の意思に反して、本名が日本式に表記されたか日本名が使われた場合 であるか、あるいは、 (帰化時に許容されなかった)民族名を回復するために ・ ・ ・. 起こされたものである 3)。その意味で在日韓国人が韓国名の使用を強要された として裁判を起こしたことはショッキングな出来事である。本稿は、本件裁判 を通じて、在日韓国朝鮮人の氏名をめぐる問題状況について考える。まず、問 題状況を概観し、従来の氏名をめぐる裁判例を紹介する。次に、本件裁判の内 容を分析・評価する。そして、在日韓国朝鮮人の氏名使用の歴史と現状の考察 を通じて、本件の歴史構造的背景について考える。さらに、通名をめぐる新た 1)‌現在最高裁に係留中であるが、これまでの判例の流れから考えると結論が変わる可能性 は少ないように思われる。なお、 「静岡本名裁判」という名前は、2015 年 12 月 28 日に 「 『い わゆる本名強要裁判』の意義と帰結について」という題で開かれた座談会(<在日法律 家協会>企画)を経て浮かんだのを採用したものである。 2)‌本稿では、文脈によって在日韓国朝鮮人と在日朝鮮人をいわゆる韓国朝鮮オリジンを総 称する用語として、裁判判決の中で使われている在日韓国人は大韓民国国籍所持者とし て、オールドカマーは特別永住者を中心とする 1965 年国交正常化以前から日本に滞在す る在日韓国朝鮮人を、ニューカマーは 1965 年以降、特に 1980 年代後半以降来日した韓国 人を指す。 「在日」は基本的にオールドカマーと同義に用いる。 3)‌本名、通名以外に、韓民族固有の家族制度と文化を強調するために「民族名」が使われる。 한영혜 ,「 ‘민족명’사용을 통해 보는 재일조선인의 정체성」, 권숙인 엮음『다문화사회 일 본과 정체성 정치』, 서울대학교출판문화원、2010 년(韓栄恵、 「 『民族名」使用を通じて みる在日朝鮮人のアイデンティティ」 、権粛寅編『多文化社会日本とアイデンティティ政 治』 、ソウル大学出版文化院、2010 年) 、83 頁。 2.

(3) 「静岡本名裁判」と在日韓国朝鮮人社会. な展開として、新入管法上通名の取扱の変化と「夫婦別姓裁判」についてみる。 最後に、本件の在日韓国朝鮮人社会に与えるインプリケーションを整理するこ とで結論に代える。. 1.問題状況 周知のように、いまだオールドカマーの多くは通名で生活している 4)。一部 のニューカマーの場合も、ビジネスなどの理由から、通名を使う場合がある が、大多数は本名で生活しているようである。その意味で通名の問題は何より もオールドカマーの問題であるといえるが、 「在日」と日本人の間で生まれた いわゆる「ダブル」の人々にも関係するので、時間が経つと解消するような問 題ではない 5)。 なぜ多くのオールドカマーが通名を使うかについて、やや古いけど、興味深 い統計がある 6)。それによると、 「親が使っているために」が 57.7%、 「日本に 住んでいるから日本名を名のるのは当然である」が 25.8%、 「本名を使うと不 利益を被るから」が 11.1% の順になっている。本名を使うと不利益を受けるか らという理由が 1 割強しかないのに対して、 「親が使っているために」が 6 割 弱を占めているのが目につく。しかし、通名は 1 世たちが差別を恐れて使用し、 4)‌1983 年の時点で、在日の 99%が実際の社会生活で通名を持っていたとされる。尹健次、 『 「在日」の精神史:アイデンティティの揺らぎ』 、岩波書店、2015 年、161 頁。 5)‌去る 2 月 14 日に<東北地域韓国人研究者フォーラム>の「震災後 5 年目を迎える東北地 域での外国人研究者の子女教育」についての座談会の席上で、ニューカマー研究者の子 弟が氏名使用の問題で悩んでいることを耳にし、通名の問題の 「通時性」について改め て思い知らされたものである。今後ニューカマーの状況にも留意していきたい。 6)민관식 ,『재일한국인 : 왜 일본이름을 쓰고 살아야 하나』 ,아시아정책연구원,1990 년 ( 閔 寛植、 『在日韓国人:なぜ日本名で生きなければならないのか』 、亜細亜政策研究院、1990 年) ,202 頁以下。 3.

(4) 横浜法学第 24 巻第 2・3 号(2016 年 3 月). 2 世以下も使って今日に至っていることを考えると、オールドカマーの 7 割近 くが本名を使うと不利益を受けるおそれのあることを慮って通名を使用してい ると考えるべきである。 すでに 1980 年代後半の時点で「日本に住んでいるから日本名を名のるのは当 然である」という答えが 25.8% で、4 人に 1 人もいることは少々驚きである 7)。 通名問題について先駆的な研究を行った金一勉は、 「郷に入れば郷に従え」と いわれるように、一部の在日朝鮮人の「日本名」使用にそうした一面があるこ とは確かであるとしながら、パッシング(passing)が可能な理由として漢字 の共通性、外見の差がないことなどを挙げている 8)。宋基燦は、 「在日コリア ンの通名使用は異質な存在として現れるぎこちなさと、ともすれば被るかもし れない不利益を回避する」ための自覚的な戦略的動機とともに、民族的表徴を 隠す慣習が在日コリアンの文化に内在しているという 9)。 オールドカマーの通名使用が、本件控訴審の指摘のように、社会生活上の 不利益を恐れての自救策であったとはいえ、オリジンを隠すことによって、 オールド・カマーは、日本社会で「埋もれた」見えない存在として、そして、 「不透明で説明しにくい存在」10)として生きる大きな代償を払ってきた。しか も、宋の指摘のように、通名使用が在日コリアンの文化に内在するまで進んで しまったのである。本件裁判は、その延長線上で起きたものであるが、通名の 7)‌米国の韓国人や中国人の多くが米国式名前を持っているか使用していることはよく知ら れているが、それについては二通りの解釈が可能である。一つは、 「氏」でないので、ニッ クネームとみることであり、もう一つは、アメリカ社会におけるファーストネームの重 要性から考えると、日本における通名の使用とあまり変わらないと見做すことである。 8)‌金一勉、 『朝鮮人がなぜ「日本名」を名のるのか』 、三一書房、1978 年、13 頁 9)‌宋基燦、 『 「語られないもの」としての朝鮮学校』 、岩波書店、2012 年、93 頁。しかし、宋 は、後述するように、朝鮮学校の生徒たちの通名使用を、日本社会・日本語、朝鮮学校・ 韓国語の二つの世界を行き来しながらの意図的な「演技」として肯定的に評価している。 10)‌鄭大均、 『在日韓国人の終焉』 、文芸新書、2001 年。 4.

(5) 「静岡本名裁判」と在日韓国朝鮮人社会. 使用が自己決定権に祭り上げられるという、より大きな代償をもたらしかねな かったのである。. 2.氏名をめぐる裁判例 前述したように、これまで在日韓国朝鮮人の氏名をめぐる裁判は、すべてが 本人の意思に反して、本名が日本式に表記されたか通名の使用強制か、あるい は、 「民族名」の復元にかかわるものであった。. (1) 「NHK 日本語読み訴訟」11) こ の 事件 は、在日韓国人 で あ る 崔昌華 が、1975 年 9 月 1 日 と 2 日 の NHK ニュース番組で、自分の意思に反して、韓国式の発音である「チォエ・チャン ホア」でなく、日本語読みの「サイ・ショウカ」と呼称され、テロップ表示も 日本語読みになっていたことに抗議して起こしたものである。 1988 年 2 月 16 日の判決で、最高裁は、冒頭で「氏名は、社会的に見れば、 個人を他人から識別し特定する機能を有するものであるが、同時に、その個人 から見れば、人が個人として尊重される基礎であり、その人格の象徴であって、 人格権の一内容を構成するものというべきであるから、人は、他人からその氏 名を正確に呼称されることについて、不法行為法上保護される人格的な利益を 有するというべきである」といい、氏名が人格権の一部をなすとした。しかし、 続いて「氏名を正確に呼称される利益は、氏名を他人に冒用されない権利・利 益と異なり、その性質上不法行為上の利益として必ずしも十分に強固なものと は言えないので」 、不正確な呼称が明らかな蔑称である場合はともかく、不正 確に呼称したすべての行為が違法性のあるものとして不法行為を構成するもの ではないと言った。その理由として、漢字によって表記された氏名を正確に呼 11)‌最高裁判所第 3 小法廷昭和 58 年 (オ) 第 1311 号謝罪広告等請求事件昭和 63 年 2 月 16 日。 5.

(6) 横浜法学第 24 巻第 2・3 号(2016 年 3 月). 称することは必ずしも容易でなく、不正確に呼称することも少なくないこと、 外国人の氏名の民族語音を日本語的な発音によって正確に再現することは通常 極めて困難であることを上げている。 結論として、本件では、上告人があらかじめ表明した意思に反して、上告人 の氏名を日本語読みによって呼称したことは、 「漢字による表記とその発音に 関する我が国の歴史的な経緯、右の放送当時における社会的な状況等原審確定 の諸事情を総合的に考慮すると、在日韓国人の氏名を民族語読みによらず日本 語読みで呼称する慣用的な方法は、右当時においては我が国の社会一般の認識 として是認されていた」ので違法性はないと判示した。. (2) 「民族名を取り戻す裁判」 次に、裁判で争われた内容は異なるが、帰化時「帰化によって新設される氏 は、子孫代々引き継がれるものであるから、一見して外国人と思われるような 氏名は避け、日本人としてふさわしいものが望ましい」と窓口で指導され日本 名を戸籍名にした日本国籍者たちが民族名を取り戻すために戦った一連の裁判 があった。 1982 年夏に鄭良二、尹照子、朴実ら、10 名の「日本籍朝鮮人」たちは学習 会を始める傍ら、戸籍名を民族名に取り戻すための一連の申立を家庭裁判所に 行った。尹照子をさきがけとする申立は「民族意識、民族感情」は氏を変更す るに足りる「やむを得ない事由」に値しないと見事に拒否されたことから、よ り組織的に戦うために 1985 年 12 月「民族名をとりもどす会」が結成された。 そして、1984 年父母両系血統主義を採用した新国籍法の成立及びそれに伴う 戸籍法の改正があって、1987 年 6 月に朴実の 2 度目の申立が認められから、4 人の再度の申立が次々と認められた 12)。 12)‌その詳細な記録としては、民族名をとりもどす会編、 『民族名をとりもどした日本籍朝 鮮人』 、明石書店、1990 年を参照。 6.

(7) 「静岡本名裁判」と在日韓国朝鮮人社会. 戸籍法 107 条 1 項は氏を変更するには「やむを得ない事由」を、同条の二は 名を変更するには「正当な事由」をそれぞれ必要とし、いずれの変更の場合に も家庭裁判所の許可を受けなければならないと規定する。1984 年新国籍法が 成立し戸籍法が改正されるまで、家庭裁判所は、 「やむを得ない事由」を限定 的に解釈し、 「民族名の回復」という人格権の行使より、 「呼称秩序の静的安全」 を優先させたので、最初の申立はことごとく退けられたのである。その背景に は、やはり「日本的氏名」以外の氏名に対する排外的な取扱があったことは間 違いない 13)。 戸籍法改正で、 「外国人と婚姻をしたものがその氏を配偶者の称している氏 に変更しようとするとき」 (同条 2 項)や「父又は母が外国人である者(戸籍 の筆頭に記載した者又はその配偶者を除く)でその氏をその父又は母の称して いる氏に変更しようとする」 (同条 4 項)ときは、いずれもその旨を届け出る だけで氏の変更が認められるようになった。この改正で「外国人姓が初めて成 文法的・制度的に位置づけられ」14)、配偶者又は父母という関係があれば外国 人姓への変更は当然のこととして認められるようになったので、日本国籍を有 する者であるからといって「日本的氏」を称する必然性はなくなった。その後、 帰化時の氏名は原則常用漢字、人名漢字、平仮名及び片仮名の範囲で自由に決 定することができるようになった。 しかし、民族名の回復を認めた審判文をよく見ると、前述した「外部的」変 化を踏まえつつ、従来の許可理由と帰化行政の枠を大きく外れていないことが わかる。少々長くなるが、1989 年 9 月 11 日の金平雄氏審判文の最後を引用す る。 「その後、昭和 60 年 1 月 1 日国籍法の改正に伴い帰化に関する手引書から 外国人が日本に帰化を申請する際、指示すべきものとしていた『日本的氏名』 の事項が削除されるに至ったことを総合して考えると、日本人である申立人が 13)‌民族名をとりもどす会編、 『民族名をとりもどした日本籍朝鮮人』 、82 頁。 14)‌民族名をとりもどす会編、 『民族名をとりもどした日本籍朝鮮人』 、83 頁。 7.

(8) 横浜法学第 24 巻第 2・3 号(2016 年 3 月). 帰化以前の民族意識上帰化前の氏に変更の許可を求めることは、これを認める ことができないが、申立人が氏として『金』を使用した状況、申立人が『金本』 を称するに至った経緯とその後の法の改正の趣旨や氏に対する社会的、国家的 意識の変遷並びに『金』が常用漢字に含まれている字であって氏変更許可につ いて特段の支障となるものではないこと等に照らすと、本件申立は戸籍法 107 条 1 項所定により変更を許可するのを相当と認める。 」15) 以前は帰化時に「日本的氏名」が要求されたが、 戸籍法の改正で取扱が変わっ たこと、常用漢字の範囲であることから変更を認める趣旨であって、申立書で 強調された「民族名をとりもどすことは、基本的人権としての、人格権の行使 である」という主張には踏み入っていない。そして、氏名を人格権の一部であ るとした、前述した「NHK 日本語読み訴訟」の影響も確かでない。. (3) 「金稔万イルム裁判」16) 「本件裁判」とは全く逆の通名強要如何が争われたのが「金稔万イルム(名 前)裁判」である。2010 年 5 月在日韓国人 2 世の金稔万が大阪の建設現場に 日雇いで就労するにあたって、 「金海稔万」という通名の使用を強制されたこ とから、自己の朝鮮民族としてのアイデンティティを侵害され精神的苦痛を受 けたとして、2 次下請会社に対しては不法行為ないし使用者責任を、元請会社、 1 次下請会社には使用者責任を、国に対しては国家賠償法に基づき、それぞれ 損害賠償を求めた事案である。2 年余の審理を経て 2013 年 1 月 30 日の判決で、 大阪地裁は、通名であれば当日から就労できるかもしれない旨持ちかけられた 15)‌民族名をとりもどす会編、 『民族名をとりもどした日本籍朝鮮人』 、205 頁。 16)‌大阪高等裁判所平成 25 年(ネ)第 608 号損害賠償請求控訴事件平成 25 年 11 月 26 日; 大阪地方裁判所平成 22 年(ワ)第 7311 号、平成 23 年(ワ)第 284 号損害賠償請求事件 (第 1 事件、第 2 事件)平成 25 年 1 月 30 日。なお、 「金稔万イルム裁判」という名前は、 脚注 1)の「 『いわゆる本名強要裁判の意義と帰結について」の座談会に出された資料を ベースに付けたものである。 8.

(9) 「静岡本名裁判」と在日韓国朝鮮人社会. 原告がこれを了解したのであるから, 「原告が通名の使用を強制された事実を 認めることはできない」と請求を棄却した。 2013 年 11 月 26 日大阪高裁も金稔万の控訴を棄却した。大阪高裁は、まず 「NHK 日本語読み訴訟」の判示に照らしていえば、控訴人が「本名による呼称」 を明示的に求める場合は、 「本名の正確な呼称」について、不法行為上の保護 を受けうる人格的な利益を有するとする。しかし、 「当時の外国人登録証に控 訴人の本名とともに通名も併記されているように、在日韓国人に対する通名に よる呼称は、社会的には当該個人を他人から識別し特定する機能を有し、我が 国の社会一般の認識として是認されてきた」ので、通名の呼称や通名の使用に 関連するすべての行為が当然に不法なものではなく、 「在日韓国人が『本名の 正確な呼称』を明示的に求めている場合に、そのようなことを認識しながら、 害意をもって、ことさらに通名の呼称をするなどの特段の事情がない限り」違 法性はないと容認すべきであるとした。その上で、雇用手続について業者に誤 解があり、控訴人に対して必要のない通名の使用を強いたこと、また、本名シー ルを剥がして捨るなどしてアイデンティティを侵害する結果となったことが認 められるが、あくまでも控訴人を雇用し速やかに仕事に従事させるための対応 や行動で、害意をもって、ことさらに通名の呼称を求めたものとは認められな いとして、不法行為の成立を否定した。通名に関する国の責任については、 「前 記のとおり、在日韓国人に関する通名による呼称が社会的には当該個人を他人 から識別し特定する機能を有し、我が国の社会一般の認識として是認されてき たことからして、立法上及び行政上の措置を取らなかったこと等が国家賠償法 上の違法となるものではない」とした。その後最高裁が上告不受理としたため に原告の敗訴が確定した。 大阪高裁は、地裁に比べると、雇用手続について業者に誤解があり、不必要 な通名の使用を強いたことと、アイデンティティを侵害する結果となったこと など、原告の主張を一部認めた。そして、不正確な呼称のすべてが不法行為を 構成するものでない理由として、外国人登録証明書の通名併記に現れているよ 9.

(10) 横浜法学第 24 巻第 2・3 号(2016 年 3 月). うに、通名が一定の本人識別・特定の機能を有し、社会的にも一般的に是認さ れてきたことをあげている。この現状認識を前提にして、国が立法上及び行政 上の措置を取らなかったことや国が通名を制度的に保障してきたとの原告の主 張を退けた。. 3.本件裁判の分析 本件裁判の論点と判示についてみると、原審と控訴審とでは判断の旋回がみ られる。原審では、在日韓国人が日常生活で本名と通称名のうちどちらを使用 するかは個人のアイデンティティないし(人格権の一部を構成する)自己決定 権に関する事項であり、また、在日韓国人であることを第 3 者に公表すること はプライバシーを侵害するという 2 つの論点が争われたが、控訴審では、前者 との関連が不明な部分はあるものの、後者の論点にほぼ集中している。. (1)原審 17) 原告は、およそ人間がどのような名称を名のって生活するかは、その人間の 人生観や価値観、歴史観等に深く根差し、憲法 13 条が保障する個人の尊厳の 中核をなすものであるが、被告は原告が従業員として勤務する会社の社長とし ての立場で、原告に対して韓国名を名のるよう強要し、原告が韓国籍であるこ とを知らない従業員たちがいる前で在日韓国人であることを公表したので、原 告の名称使用に関する人格権を侵害し、その結果原告は精神的苦痛を受けたと 主張した。また、本件訴え提起後原告の勤務内容を除草業務に変更したことで、 原告は精神的な苦痛を受けており、明らかにパワーハラスメントを構成すると 主張した。. 17)‌平成 25 年(ワ)第 569 号損害賠償請求事件静岡地裁平成 27 年 4 月 24 日判決 10.

(11) 「静岡本名裁判」と在日韓国朝鮮人社会. それに対して、被告は、本件各発言をしたことは認めるが、在日韓国人は、 民族や国の誇りをもって、韓国名を名のって日本で生活すべきであるという考 え方から言ったのであり、差別意識の表れや行動ではない。原告は、韓国名を 名のることを拒絶する意思表示をしたことはなく、従業員のほとんどは、原告 が韓国籍であることを知っていた。従って、被告の本件各発言は、原告の人格 権と個人の尊厳を侵害するものでなく、不法行為に該当しないと反論した。そ して、被告は原告の雇用主であるが、原告に対してパワーハラスメントが生じ るような一方的に優位な立場にある訳ではなく、仮にそうであっても、本件命 令が不法行為に該当しないので、被告は、原告に対する本件各発言及び本件命 令について、不法行為責任を負わないと主張した。 判決は、氏名を人格権の一内容として認めた「NHK 日本語読み裁判」の部 分を引きながら、 「在日韓国人である者の多くにとって、日常生活において韓 国名を使用するか、日本名を使用するかという問題は、極めて当該個人の内心、 自己決定に関わる事柄であって、それ自体、自己決定権の一内容を形成する」 と認め、 「どちらか選択した氏名は当該個人のアイデンティティを形成するの で、他者がそれを無視して自己の価値観を押し付ける形で他方の氏の使用を強 制した場合、あるいは強制に至らないとしても著しく不快感を与える態様で他 方の氏の使用を推奨したような場合には、自己決定権を違法に侵害するものと して、不法行為となる場合がある。 」とする。 そして、 「原告は、日本に生まれ、日本人としての教育を受け、在日韓国人 であることを知った後も、日本人としての意識を持ちながら、日本において生 活しているものであって、…原告にとって、日本名を使用するということは自 己のアイデンティティとしてのいわば中核部分を形成していることが容易に想 像され」るので、 「被告が、在日韓国人であることを秘し、日本名である「山原」 を使用し続けている原告に対して、再三にわたり、韓国名を名のるように働き かけ、また、原告が在日韓国人であることを知らない多くの従業員の前で原告 が在日韓国人であることを公表した」のは、社会通念上、著しく原告に不快感 11.

(12) 横浜法学第 24 巻第 2・3 号(2016 年 3 月). を与えるものであり、原告の自己決定権及びプライバシー権を違法に侵害する ものとして不法行為に該当するとした。 また、 「何人も、個人の私生活上の自由の一つとして、個人に関する情報を みだりに第 3 者に開示又は公表されない自由を有しているので、自己が第三者 に秘匿しあるいは秘匿したいと考えている個人情報(在日韓国人である事実も これに当然含まれる)について、そのことを認識し又は認識できる立場にある 他者が当該個人情報をみだりに第三者に開示又は公表した場合にはプライバ シー権を違法に侵害する」もので、不法行為となるとした。 確かに「NHK 日本語読み裁判」を文字通り読み、自己決定権を純粋法理的 に推し進めるなら、本名と通名の中のどちらかを選択する自己決定権が人格権 ないし人格権の一内容として認められよう。問題は、選択の対象が本名と通名 であること、すなわち、人を他人から識別し特定する本名と、歴史的経緯と差 別的な社会構造から便宜的に併用される通名が同じ重みとして考えられている ことである。あたかも人格的同一性保持権的な氏名人格権の消極的側面を超え て、積極的に自己決定権的な氏名選択権へ踏み入れているようにさえ見える 18)。 しかも、通名が本名と同等の重みに達している理由として、在日韓国人の原告 が「日本人として」の教育を受け、 「日本人としての意識」をもって生活して きたことを上げていることが目につく。確かに、在日韓国人の多くにとって、 通名が一定の自己識別・特定の機能を果たしていることは間違いないが、韓国 籍を維持している原告にとって、本名と同等の重みをもつと言えるのであろう か。 判決文にもあるように、在日韓国人である事実は、当の在日韓国人たちが第 三者に秘匿しあるいは秘匿したいと考えている個人情報に該当し、通名はまさ に在日韓国人であることを秘匿する機能を果たす。このように、在日韓国人で 18)‌氏名人格権の消極的側面と積極的側面については、民族名をとりもどす会編『民族名を とりもどした日本籍朝鮮人』 、175 頁以下を参照。 12.

(13) 「静岡本名裁判」と在日韓国朝鮮人社会. あるから本名を秘匿するために用いられている通名を、 本名と同じ「ホジショ ン」において、自己決定に基づいて選択できることとし、選択したからには尊 重されるべきであるというのは、あまりにも在日韓国人が通名を使用するに 至った歴史的・社会的な背景を無視するものであり、在日韓国人が通名を使用 している現状を無批判的に追認する判決であると言わざるを得ない。. (2)控訴審 19) 東京高裁は、 「控訴人が本件各発言をしたことは被控訴人に対する不法行為 を構成する」と原審と同じ結論に達しながらも、判決理由を異にする。すなわ ち、通名が人格権の一部としての自己決定権の行使であり、アイデンティティ を形成するという部分を捨象し、使用者と労働者の関係における労働者の人格 的利益という枠組みの中で論旨を展開する。 すなわち、労働基準法 3 条上の、労働者の国籍、信条または社会的身分を理 由として、賃金、労働時間その他の労働条件について、差別的な取扱をしては ならない使用者の義務と、労働基準法の同条その他の規定が労働者の人権保障 を図っていることを指摘しながら、労働者の人格的利益の侵害という軸を提示 する。そして、 「一般に職場において労働者の人格的利益が侵害される恐れの ある場面を類型的にいえば、セクシャル・ハラスメント、職場におけるいじめ・ 嫌がらせ・パワーハラスメント、他人にみだりに知られたくないプライバシー 情報の開示を上げることができる」といい、本件でそのような人格的利益が違 法に侵害され、不法行為を構成するか検討するのである。 「氏名は、個人を他人から識別し特定する機能を有する公的なものであるか ら、その性質上、用いられる氏名は一人につき一つに定まっている必要がある。 もっとも、在日韓国人については、かつて日本名を使用していた時期があるな. 19)‌平成 27 年(ネ)第 3249 号損害賠償請求控訴事件大阪高裁平成 27 年 10 月 14 日判決 13.

(14) 横浜法学第 24 巻第 2・3 号(2016 年 3 月). どの歴史的経緯等から、その後も本名である韓国名のほかに日本名を通名とす ることが広く行われてきており、外国人登録法では外国人登録証明書に本名と 通名を併記する扱いが認められてきた。…外国人登録法の改正後も住民票に通 称を併記登録することができるなど、長く行われてきた外国人の通名使用の慣 行に配慮した行政上の扱いが維持されている。 」 「在日韓国人であっても…日本 名を通名として使用するか否か…人によりさまざまであり得る。しかし、その 者があえて専ら通名である日本名を使用している場合においては、本名である 韓国名を使用することによって社会生活上の不利益を受けるおそれがあること を慮ってこれを秘匿していることが少なくないものと解され、…本名である韓 国名が別にあるという事実は、他人にみだりに知られたくないプライバシー情 報ということができる。そうすると、…当該事実をみだりに公表されないこと、 その限りで、通名使用の下においてそれまでに形成している社会生活の平穏を 当該事実の公表によって害されないことにつき一定の法的保護に値する利益を 有しているというべきであり、このような利益は…不法行為上の保護に値する というべきである。 」 「そうすると、使用者が、在日韓国人であり日常生活において専ら通名を使 用してきた労働者に対して本名の使用を命じ又は勧奨することは、労働契約上 の付随義務として信義則上負う職場環境配慮義務による労働契約上の責任を生 じさせることがあるほか、その態様等の具体的な事情によっては、労働者のプ ライバシーや社会生活の平穏といった人格的利益を違法に侵害する嫌がらせと して、不法行為法上違法の評価を受けることがあるものというべきである。 」 控訴審では、労働基準法上の使用者の義務と労働者の人権保障という枠組み を立て、原審が展開した人格権論点を避けつつ、同じ結論を導いている。その ために、在日韓国人の多くにとって通名が、本来一つしかない本名と並んで、 自己識別・特定の機能を果たしていること、しかも、それを外国人登録法や改 正後の住民基本台帳法が併記登録を認めるなど行政的に配慮されている現状を 確認する。そして、在日韓国人が、本名を使用することによって被るかもしれ 14.

(15) 「静岡本名裁判」と在日韓国朝鮮人社会. ない社会生活上の不利益を恐れてあえて通名を使っている場合、ⅰ本名が別に あるという事実は他人にみだりに公表されたくないプライバシー情報に該当す ること、ⅱそれをみだりに公表することは通名使用で形成されてきた社会生活 の平穏という、一定の法的保護に値する利益を侵害することになるという論理 構成をとった。本来被雇用者に働きやすい職場環境を保つよう努力すべき使用 者としての立場にある者が、被雇用者のプライバシーを公表し社会生活の平穏 を乱すことで、不法行為責任を負うということである。 このように、通名が人格権の一部としての自己決定権の行使であり、アイデ ンティティを形成するという地裁で展開された部分が回避されたのである。控 訴審でも人格権が展開されていたら、当事者本人が通名を使用しているし、使 用することを望んでいる状況においては、本名か通名かどちらを使用するかが 当該個人の内心、自己決定に関わる事柄であって、自己決定権の一内容を形成 するものとして認められた可能性は否定できのではないか 20)。もし通名の使用 が自己決定権として認められることになると、一気に「日本人化している在日」 たちに「個の解放」という名分が与えられ、 「民族的」 アイデンティティを確立 することで同化の圧力に抵抗してきた「在日」社会には大きな痛手となったと 思われる 21)。 20)‌2015 年 7 月 18 日<韓国人研究者フォーラム>第 42 回定例研究会「いわゆる『本名強要 裁判』についての座談会」における館田晶子教授(北海学園大学)の発言の趣旨である。 プライバシーも人格権の一要素をなすと学説上言われているが(五十嵐清『人格権論概 説』 、有斐閣、2003 年、194 頁以下) 、高裁は「労働者」のプライバシーという限定をか けているように見受けられる。しかし、韓国人であることがプライバシー情報に該当し、 通名使用によって形成されてきた社会平穏が人格権の要素となり得るなら、どうなるだ ろうか。 「労働者のプライバシーや社会生活の平穏といった人格的利益」をどう考えるか によって、高裁がどこまで原審の展開した人格権論から遠ざかったか決まると思われる。 21)‌金泰泳、 『アイデンティティ・ポリティクスを超えて:在日朝鮮人のエスニシティ』 、世 界思想社、1999 年、58-62 頁。在日韓国・朝鮮人の氏名使用の歴史的経緯と問題状況に ついては次の節を参照。 15.

(16) 横浜法学第 24 巻第 2・3 号(2016 年 3 月). 他方で、高裁は、在日韓国人による通名使用は歴史的経緯等から長い間社会 的に認知されてきた慣行で、通名使用によって形成されている社会生活の平穏 を一定の法的保護に値する利益として積極的に認めている。そして、その背後 に従来外国人登録法が外国人登録証明書に本名と通名の併記登録を認め、その 改正後住民票に通称を併記登録できることなど行政上の扱いがあることを上げ る。韓栄恵は、戦後在日朝鮮人たちが 2 つの名前をもって主に通名を使用する ようになったのは、在日朝鮮人に対する差別の存在と在日朝鮮人の意思だけで は説明がつかないという。それだけでなく、戦後日本政府が外国人登録時に本 名だけでなく、通名の併記を認めたことで、通名が事実上の本名として機能す る、戦前の「本名 / 通名」の二重構造が再構築され、その後外国人登録、就学 申請などの主要局面で本名を名のる必要のない制度的装置として機能してきた ことを指摘する 22)。高裁は、現在の在日韓国人の通名使用の背後に行政上の 制度的装置が働いていることを、間接的ながら前提にしているといえよう。. 4.在日韓国朝鮮人の通名使用の歴史と問題状況 本件は珍しいのか。あるいは、裁判沙汰になったことを除いて、現象とし ては何も今になって生じたものではないので、あまり騒ぎ立てることはない のか。 金一勉は、戦後 20 年後在日社会において進んだ「同化志向」の深刻さにつ いて次の逸話を紹介している。1972 年「七・四共同声明」後各大学で在日同窓 会づくりが進められた時に、梁判山は、学籍簿から氏名は日本名であるが本籍 地が「韓国・○○」になっている人に電話して、「君の本籍は韓国・○○でしょ う?」 、そして「本名は李○○でしょう?」と確認した。すると当人は「そこ. ‌한영혜 ,「 ‘민족명’사용을 통해 보는 재일조선인의 정체성」, 59 頁。 22) 16.

(17) 「静岡本名裁判」と在日韓国朝鮮人社会. に書いている本籍は父の本籍です。李○○という名前は父が作った名前です」 と答えた。 「李○○は自分の名とは関係のない “ 架空の名前 ” と言いたげであ り、いま使用している日本通名が本当の名前といわんばかりである」と 23)。 この逸話は、戦後在日朝鮮人たちが、自分たちへの弾圧と締め付けから逃れ るために、戦前使っていた日本名を通名として使ったこと、いわばボタンの掛 け違いがいかに根深い歪みをもたらしたかを物語っている。金一勉は、本名 使用は、 「日本社会の差別や偏見を免れる方便として、雨蛙風に日本通名とい う保護色を帯びて生きようとするか、それとも自己の主体性をあきらかにし差 別・偏見の構造とたたかいながら、…ぎぜんとした生き方をするかの問題であ る」とする 24)。しかし、本件裁判が示しているように、在日韓国朝鮮人社会は、 戦後 70 年が経った今の時点でも、金一勉のいう後者の道を歩むことができず にいるだけでなく、本名・通名の問題は、 「<国籍=民族>か、同化か」とい う両者択一を強いる、在日主流と日本社会の中で思わぬ跳ね方を見せるように なる。 金泰泳がいったように、在日 1 世に民族は「自由」であるが、2 世以下には 「不自由」の象徴である 25)。すなわち、民族が日本社会の差別や偏見から自分 を保護し抵抗する手段として機能した 1 世たちとは違って、2 世以下に民族は 自明でも本質的でもなく「構築」されるべきものである。2 世以下が直面した 最も深刻なディレンマは「在日朝鮮人としての自分」 、すなわち在日朝鮮人と いう集団的アイデンティティと客観的な本質主義から解放された、 「個人とし ての自分」をいかに調和するかであった。この二つの自分が本名と通名の使用 と不可分に絡んでいることが、高槻市「むくげの会」が主宰した「在日朝鮮人 23)‌金一勉、 『朝鮮人がなぜ「日本名」を名のるのか』 、187 頁。 24)‌金一勉、 『朝鮮人がなぜ「日本名」を名のるのか』 、11 頁。 25)‌金泰泳、 『アイデンティティ・ポリティクスを超えて:在日朝鮮人のエスニシティ』 、第 3 章、第 4 章。 17.

(18) 横浜法学第 24 巻第 2・3 号(2016 年 3 月). 子ども会」の子供たちの世界の観察を通じて示されている 26)。 在日 3 世の宋順子は、小学生の時「在日朝鮮人子ども会」の活動をしたこ とで、中学校入学と同時に、親の反対を押し切って、本名を使いはじめる。 本名を使うことで彼女に対する差別事象も多発し、学校生活に対する不安も 募っていく反面、 「在日朝鮮人子ども会」の事業の象徴的な存在となり、在 日朝鮮人教育実践にとってある種のモデルケースでもあった。日本人生徒の 前で在日朝鮮人としての 「思い」を語ることが彼女の民族的アイデンティティ を保障する。しかし、やがて周囲の大人たちが期待する在日朝鮮人の子ども 像に答える生き方に疲れる。 「順子さんのため」という言説は「順子さんの 義務」に転化したのである。順子は高校に入ってから日本名に戻す。「在日 朝鮮人にとって、本名を使い、朝鮮人であるということを明らかにして生活 ・ ・. ・ ・. ・ ・. ・. ・ ・. することは、日本社会の現状の中では、少なからぬ緊張を伴うのである」(傍 点は筆者)が、順子は日本名へ変更したことで、 「在日朝鮮人の自分」をや め、 「在日朝鮮人としての責任」という荷物をおろしたのである 27)。「<国籍 =民族>か、同化か」の二者択一から脱却し(え)ない在日主流と、変わら ない日本社会の現状の中で、 「集団か、 個人か」というもう一つの二項対立が、 アイデンティティ・ポリティクスの呪縛の中で、順子を苦しめる様子がよく 窺える。 在日 3 世で、直木賞受賞者の金城一紀の『GO』が昨今の在日の現住所をよ く物語っている。本のハードカバーの表裏には „No soy coreano ni soy japones. Yo soy desarraigado”(韓国人でも日本人でもない、ただ一人の根無し草 ) と 書かれ、1 頁捲れば次の一句が見える。 27)‌金泰泳、 『アイデンティティ・ポリティクスを超えて:在日朝鮮人のエスニシティ』 、179 頁。 26)‌金泰泳、 『アイデンティティ・ポリティクスを超えて:在日朝鮮人のエスニシティ』 、第 5 章。 18.

(19) 「静岡本名裁判」と在日韓国朝鮮人社会. 「名前ってなに? バラと呼んでいる花を 別の名前にしてみても美しい香りはそのまま」 ―『ロミオとジュリエット』シェイクスピア(小田島雄志訳) 杉原という日本名を使う在日の主人公が再会した日本人女性の桜井に話しか けるあたりはショッキングでさえある。 「言っとくけどな、僕は『在日』でも、 韓国人でも、朝鮮人でも、モンゴロイドでもねえんだ。俺を狭いところに押し 込めるのはやめてくれ。俺は俺なんだ。 」28)そして、友達に言う。 「俺が国籍を 変えないのは、もうこれ以上、国なんてものに新しく組み込まれたり、取りこ まれたり、締め付けられたりされるのが嫌いだからだ。もうこれ以上、大きな ものに帰属している、なんて感覚を抱えながら生きてくのは、まっぴらごめん なんだよ。…。でもな、もしキム・ベイジンガーが俺に向かって、ねえお願い、 国籍を変えて、なんて頼んだら、俺はすぐにでも変更の申請に行くよ。俺にとっ て、国籍なんてそんなものなんだ。矛盾していると思う?」29) ここでも「<国籍=民族>か、同化か」 、 「集団か、個人か」という二項対立 から脱しようとする主人公金城の叫びに、本名か通名かのもう一つの 2 分法が オーバーラップする。しかし、 裏表紙の著者紹介にある「コリアン・ジャパニー ズ」がいまだ日本では実定法はもちろん、社会的に受け入れていないことはい かにも皮肉である。 「バラはどう呼んだってバラだ」という金城の通名「強弁」をどう考えるべき か。金泰泳は、宋順子が本名を日本名に変えたことで「在日朝鮮人の自覚」を 喪失したわけではないという。 「彼女の日本名への変更という選択を、在日朝鮮 人として生きることの重圧を逃れる『避難』と決めつけるべきでない。それは. 28)‌金城一紀、 『GO』 、KODANSHA、2000 年、234 頁。 29)‌金城一紀、 『GO』 、221-222 頁。 19.

(20) 横浜法学第 24 巻第 2・3 号(2016 年 3 月). 彼女にとって差別社会を生きていく上での一つの便宜的な『戦術』であり、民 族の本質主義的拘束を脱けて柔軟な民族性を生きていることである」と肯定的 に評価する 30)。 朝鮮学校を、二つの言語と二つの世界の間で集団と個が二律背反の共存を 図っている実践共同体として再照明した宋基燦も、朝鮮学校の生徒たちの通 名使用をポジティブに評価する 31)。宋は、日本社会と朝鮮学校という「舞台」 の上で台本(文化)に合わせて「演技」し、うまくいかなかったらもう一つの 世界に脱出する朝鮮学校の生徒たちに、宋順子の便宜的な選択という戦術を超 えた、 「柔軟でしなやかなアイデンティティの可能性」を見出すのである 32)。 「バラはどう呼んだってバラだ」と強弁し、本名と通名の「使い分け」を「柔 軟でしなやかなアイデンティティ」と評価する流れに対して、民族名を取り戻 した「日本籍朝鮮人」尹照子と、夫君の山根俊彦は手厳しい。日本国籍を持つ 在日コリアンと「ダブル」たちが、 「朝鮮人」と「日本人」のアイデンティティ のなかでどちらか一つを選択することを拒否しつつ、自らのアイデンティティ を模索するために結成した「パラムの会」の代表の安田直人と山根との論争は とても興味深いものである 33)。 安田は、 自分の 「安田」という姓は、 母親が離婚してからも、 父親の名字が 「安」 だったことを伝えるために、旧姓に戻さないで残したもので、自分は、いつ でもどこでも「安田」は「安」から由来し、朝鮮の血統を引いていることを 30)‌金泰泳、 『アイデンティティ・ポリティクスを超えて:在日朝鮮人のエスニシティ』 、190 頁。 31)‌宋基燦、 『 「語られないもの」としての朝鮮学校』 、212 頁。 32)‌宋基燦、 『 「語られないもの」としての朝鮮学校』 、219 頁。 33)‌今回は時間的、資料的制約のために原典に当たることができなかったので、次の文献の 関連個所を参照した。이홍장 ,「재일조선인의 정체성을 보는 시각 :' 더블 ' 의 역사성에 관 한 담론을 통해」,『일본비평』14 호 , 2016 년(李洪章、 「在日朝鮮人のアイデンティティ を見る視角: 『ダブル』の歴史性に関する言説を通じて」 、 『日本批評』14 号、2016 年; 宋基燦、 『 「語られないもの」としての朝鮮学校』 。 20.

(21) 「静岡本名裁判」と在日韓国朝鮮人社会. 息子に言い伝えようとした母親の気持ちを、人に語っていることを強調する。 それに対して、山根は反論する。朝鮮人と結婚した母親が向き合ってきたこ とから逃げないで「安田」という姓を守ってきた努力は認めるが、日本教会 の排他的な壁の前で(牧師になれるために)帰化するしかなかった父親の「安」 という姓を回復しなくていいのだろうか。安田の長い「叙述的自己表現」34) に出会う機会がある人ならともかく、そうでない人たちは、安田を日本人に 認識するか、朝鮮人であることを隠す朝鮮人としか認識しないのではないか。 日本人か朝鮮人かの二分法に問題がないわけではないが、それを壊すために も「民族性」を表す名前が必要ではないかと。すなわち、山根は、安田が母 親の気持ちを尊重するなら、むしろ非日本人であることを可視化すべきであ るというのである。 尹照子はいう。 「たかが名前。中身こそ問題。中身さえあれば名前はどうで もいい」という人がいる。本来はそうであろう。しかし、現実に、民族名を名 のることがどんなに厳しい抵抗を受け、困難を伴うかを知るなら、民族名を名 のることが一つの闘いであることが分かるだろう。民族名を名のることは、朝 鮮人が朝鮮人として立ち現れる、という当たり前のことに過ぎない。そのこと すら突破できないようでは、差別をなくすことはできない」と 35)。前述した、 「金一勉のいう後者の道」が見事に唱えられている。 容赦なく進行する「事実としての在日」が、本件裁判の控訴審が認めてい るように、通名を強いる「変わらない日本社会」と交錯する中で、 「<国籍= 民族>か、同化か」 、 「集団か、個人か」という二分法に、 「本名か、日本名か」 が絡んで、先の見えない、入り組んだ「在日のあり方」の苦闘が続く中、本件 裁判が起きたのである。 34)‌ 「叙述的自己表現」は、 安田が 「パラムの会」の代表として定式化したもので、 その後の 「パ ラムの会」の活動の理念的柱になったと言われる。 35)‌民族名をとりもどす会編、 『民族名をとりもどした日本籍朝鮮人』 、26 頁。 21.

(22) 横浜法学第 24 巻第 2・3 号(2016 年 3 月). 5.新たな展開 (1)新入管法後の展開 本件控訴審判決が記しているように、通名は、外国人登録法で外国人登録 証明書に本名と通名を併記する扱いが認められ、外国人登録法の改正後も住 民票に通名を併記登録することができるなど、長く行われてきた外国人の通 名使用の慣行に配慮した行政上の扱いに支えられている。従って、このよう な行政上の扱いが変わるなら、通名の存続及びあり方に重大な影響が出るよ うになる。 2009 年 7 月 9 日改正され、2012 年 7 月 9 日から施行された新入国管理法 36) によって、外国人登録証明書が廃止され、中長期滞在者には在留カードが、特 別永住者には特別永住者証明書が交付された。しかし、在留カードにも、特別 永住者証明書にも氏名の記載の際に、英文名を基本とし、本名の漢字表記を併 記することになり、通名の記載ができなくなった。ただし、住民票には引き続 き通名の併記登録が許された。 その結果在日社会には少なからずの混乱が生じている 37)。まさに「通名使 用の下においてそれまでに形成している社会生活の平穏」が乱れて、通名使用 者たちの社会生活の平穏が動揺し始めているのである。同胞団体も再び通名の 併記を認めるよう請願を行ったようであるが、日本の行政的な扱いに何か具体 的な変化があるとはいまだ聞いていない 38)。 「在日特権を認めない会」による「通名使用は特権」であるという批判は、 36)‌正式な名称は、「出入国管理及び難民認定法及び日本国との平和条約に基づき日本の 国籍を離脱した者等の出入国管理に関する特例法の一部を改正する等の法律」である。 37)‌例えば、次の統一日報の記事を参照。h t t p : / / n e w s . o n e k o r e a n e w s . n e t / d e t a i l . php?number=78981&thread=044. 2016 年 2 月 3 日訪問。 38)‌筆者が個人的に同胞団体の関係者から聞いた話である。 22.

(23) 「静岡本名裁判」と在日韓国朝鮮人社会. 通名のはらむ歴史構造性への無知・無関心に基づくものであるが、今回の在留 カード・特別永住証明書における通名併記の廃止を機に、在日社会が通名なき 世に打って出るのか、生活実態に合わせ日本政府の善処を求めていくのか、難 しい岐路に立たされているのは間違いない。. (2)夫婦別姓裁判 39) 前述したように、本件裁判の高裁では後景に退いたが、地裁のレベルでは、 在日韓国人が日常生活で本名と通名のうちどちらを使用するかは個人のアイデ ンティティないし(人格権の一部を構成する)自己決定権に関する事項である との主張がなされたので、氏の自己決定権が人格権として争われた 「夫婦別姓 訴訟」の行方が注目されていた。繰り返しになるが、 「NHK 日本語読み裁判」 で氏名が人格権の一部をなすとの司法判断が示され、その後日本の氏名に関す る人格権法理の中核をなし、本件地裁もこの判断に依拠している。 2015 年 12 月 16 日最高裁の大法廷では、民法 750 条が,憲法上の権利とし て保障される人格権の一内容である「氏の変更を強制されない自由」を不当に 侵害し,憲法 13 条に違反するかが問われた。最高裁は、前記「NHK 日本語読 み裁判」 を引きながら、氏名が人格権の一内容を構成するものであると認めな がらも、 「氏は,婚姻及び家族に関する法制度の一部として法律がその具体的 な内容を規律しているものである」ので、氏に関する人格権の内容は「憲法上 一義的に捉えられるべきものではなく、憲法の趣旨を踏まえつつ定められる法 制度をまって初めて具体的に捉えられるもの」で、 「具体的な法制度を離れて, 氏が変更されること自体を捉えて直ちに人格権を侵害し,違憲であるか否かを 論ずることは相当ではない」といった。 そして、民法における氏に関する諸規定(出生、婚姻(本件規定) 、離婚や. 39)‌平成 26 年(オ)第 1023 号 損害賠償請求事件平成 27 年 12 月 16 日 大法廷判決。 23.

(24) 横浜法学第 24 巻第 2・3 号(2016 年 3 月). 婚姻の取消し、 養子縁組、 離縁や縁組の取消し)を通読すると、 氏の性質は、 「夫 婦及びその間の未婚の子や養親子が同一の氏を称するとすることにより,社会 の構成要素である家族の呼称としての意義がある。 」家族は社会の自然かつ基 礎的な集団単位であるから,このように個人の呼称の一部である氏をその個人 の属する集団を想起させるものとして一つに定めることには合理性があるとい う。 「本件は、婚姻という身分関係の変動を自らの意思で選択することに伴って 夫婦の一方が氏を改めるという場面であるが、氏は、名とあいまって社会的に 個人を他人から識別し特定する機能を有するものであることからすれば,自ら の意思のみによって自由に定めたり,又は改めたりすることを認めることは本 来の性質に沿わないものであり,一定の統一された基準に従って定められ,又 は改められるとすることが不自然な取扱いとはいえない。 」現行の法制度の下 における氏の性質等に鑑みると,婚姻の際に「氏の変更を強制されない自由」 が憲法上の権利として保障される人格権の一内容であるとはいえないので、憲 法 13 条に違反するものではないと結論付ける。 本稿の主題にとって、最高裁が、氏の性質として「個人の呼称としての意義」 とともに、 「社会の構成要素である家族の呼称としての意義」を強調して、 「自 らの意思のみによって自由に定めたり,又は改めたりすることを認めることは 本来の性質に沿わないもの」であると判示していることが重要である。そのこ とからすれば、個人の呼称として本名と通名のうちどちらを使用するかを自己 決定権として構成する論理に援用され、それを補強することにはならないので はないか。ただし、上記の結論の後、最高裁は「氏が、名とあいまって、個人 を他人から識別し特定する機能を有するほか、人が個人として尊重される基礎 であり、その個人の人格を一体として示すものでもあることから、氏を改める 者にとって、そのことによりいわゆるアイデンティティの喪失感を抱いたり、 従前の氏を使用する中で形成されてきた他人から識別し特定される機能が阻害 される不利益や、個人の信用,評価,名誉感情等にも影響が及ぶという不利益 24.

(25) 「静岡本名裁判」と在日韓国朝鮮人社会. が生じたりすることがあることは否定できず」という。この部分と合わせて読 むと、通名の果たす一定の機能と連結する可能性がないわけではないが、本判 ・ ・. 決が、家族という単位にとっての氏の社会的・制度的価値を認めるところに重 ・ ・. 点が置かれているからには、個人の自己決定権が問題になっている本件裁判に そのまま転用されるには限界がるように思われる 40)。. 終わりに:在日韓国朝鮮人社会へのインプリケーション 本件裁判が在日社会に問いかけているものは何であろうか。金泰泳と宋基燦 がいうように、 本名と通名の 「使い分け」は 「柔軟でしなやかなアイデンティティ」 として今後在日の新たなアイデンティティとなり得るのだろうか。すでに進む だけ進んでしまった「事実としての在日」の下で本名(だけ)への復帰は望む ことはできないのか。通名使用の理由が「戦略的動機」からいつの間にか在日 社会の文化となり、慣習となったのであろうか。 およそエスニック集団のアイデンティティが不動である訳ではない。 「在日」 の歴史はすでに 100 年を数える。在外韓人について最初の包括的な研究で知ら れる論文の中で尹インジンは、 「民族のアイデンティティと愛着は、民族語の駆 使能力と民族の歴史、文化に関する知識といった客観的な与件だけでは決定さ れない」という 41)。尹健次も、 「1990 年代末の今日「在日」アイデンティティ の核が民族といえるか疑わしい。民族=国民といった共同体に同化することの. 40)‌最高裁の判示内容を理解する際に、立教大学の高鉄雄准教授に貴重なご教示をいただい た。記して感謝申し上げる。なお、本件の判示内容についての正確な評価は今後の課題 にしておきたい。 디아스포라 : 재외한인의 이주 , 적응 , 정체성」,『한국사회학』제 37 집 4 41)‌윤인진 「코리안 , 호,2003 년 ( 尹インジン、 「コリアン・ディアスポラ:在外韓人の移住、適応、アイデン ティティ」 、 『韓国社会学』第 37 輯 4 号、2003 年) 、101 頁。 25.

(26) 横浜法学第 24 巻第 2・3 号(2016 年 3 月). できない、自らの内歴を確認する歴史への省察こそ重要である」と力説する 42)。 問題は、我々が住んでいる日本社会が根本においては変わっていないことで ある。誤解を避けるために敷衍すると、現在日本社会は、外国人法政策におい て、1980 年を前後に大きく変わり、 「1991 年合意」で「在日」に特別永住権が 与えられるなど、法的・制度的障壁は大きく緩和された 43)。そして、1970 年 代以降在日社会が、社会的・経済的差別と、個別的に、集団的に立ち向かい、 現在は在米韓国人に比べると 1 世代余計にかかったが、モデル・マイノリティ になったといわれるまでになった 44)。しかし、敗戦後にも戦前の「国体保全」 を最優先課題として再出発した単一民族国家日本が、国際人権規約に加入し、 外国人に生存権と社会権を保障するなど変わったように見えるが、あくまでも 抑圧がソフトになっただけで、定住を通じて共生の可能性を開けることができ るという期待は幻想にすぎないという、30 年前の姜尚中の戒めが依然として 現実味を帯びていることも事実である 45)。 姜は、 その時同胞たちによる「 『朝鮮系日本人』としての定住化は、 「賤民化」 の道に通じていないという保証はどこにもない」と言ったが 46)、現下の状 況は「<国籍=民族>か、同化か」 、 「集団か、個人か」という二分法から脱 42)‌윤건차 ,「21 세기를 향한 ‘ 在日 ’ 의 아이덴티티」, 강덕상 , 정진성 외、 『근현대 한일관계 와 재일동포』1990 년 , 302 頁 .(尹健次、 「21 世紀に向けた 『在日』のアイデンティティ」 、 姜徳相、鄭振聲他、 『近現代韓日関係と在日同胞』 、1999 年)302 頁。最近ある在日の方 から倅が「韓国人としてのアイデンティティの証として、国籍と本名だけにし、韓国語 は勘弁してほしいというんです」と、アイデンティティの分節を考える際に参考になる、 とても興味深い話を伺った。 43)‌柳赫秀・殷勇基、 「日本の外国人法制のあらましと課題」<韓国人研究者フォーラム> HP(http://ksfj.jp)掲載。 , 직업적 지위의 동태 : 인구 센서스 데이터로 보는 198044)‌히구치 나오토 「재일코리안의 2010 년의 변화」,『일본비평』14 호,2016 년(樋口直人、 「在日 コ リ ア ン の 職業的地位 の動態―国勢調査データで見る 1980-2010 年の変化」 、 『日本批評』14 号、2016 年)82 頁。 45)‌姜尚中、 「 『在日』の現在と未来の間」 『季刊三千里』42 号(1985 年夏)118 頁以下。 46)姜尚中、 「 『在日』の現在と未来の間」123 頁。 26.

(27) 「静岡本名裁判」と在日韓国朝鮮人社会. 却し、民族少数者としての権利義務の獲得を考えるよう促しているように思わ れる 47)。そのためには、 最終的には日本社会が、 出生地主義の部分導入を決断し、 「日本人でない日本国民」を法制的にも社会的にも受け入れることが必要であ ・ ・ ・ ・. るが 48)、何より在日社会が共生主体として存続することが前提となる。 「事実 としての在日」の容赦なき進行を前に、 在日韓国朝鮮社会(人)は日本社会(人) と共生を図る際に、 「朝鮮の民族名を名のることは、社会的に生きる姿勢を表 明することである」という指摘 49)を今後の原点として自らに課すべきではな いか。前述した山根の言葉のように 50)、 「日本人か朝鮮人かの二分法に問題が ないわけではないが、それを壊すためにも民族性を表す名前が必要」である。 どう弄ろうが少なくとも「オリジン」が分かるように「本名」を作りたいもの である 51)。それこそ日本的特殊性の中で「本名を名のる意味」であり 52)、野村 進のいう 2 番目の「民族教育」である、 「日本人の側が在日や帰化者について 知るための教育」の意味である 53)。 47)‌柳赫秀、 「在日社会とアイデンティティ―歴史と未来―」 、 『神奈川大学評論』第 59 号、 2008 年、68 頁。 48)‌子の両親の一定期間以上の国内定住や、世代の積み重ね(例えば、祖父母の代から国内 に定住する外国人家族の場合、 第三世代 (孫) ) を要件として子に国籍を付与することなど、 血統主義の原則は維持しつつ、部分的に出生地主義の導入を提唱するものとして、柳赫 秀・殷勇基、 「日本の外国人法制のあらましと課題」 、17 頁を参照。 49)‌尹照子の凄絶な叫びのような注文である。民族名をとりもどす会編、 『民族名をとりもど した日本籍朝鮮人』 、26 頁。現在韓国の大学院に在学中の筆者の次女から、本名で小中高 を通った際に、 「もちろんつらい時はいろいろあったが、何せ親がなんともなく生きている からには耐えるしかなかったんだ」と聞かされて改めて考え込んだものである。 50)‌前掲注 33 を参照。 51)‌LAZAK 編著、 『裁判の中の在日コリアン:中高生の戦後史理解のために』 (現代人文社、 2008 年)の執筆者である 17 名の在日コリアン弁護士たちの名前は、氏・名それぞれ多様な 読み方が組み合わされているが、 氏名から韓国朝鮮オリジンがわかる場合がほとんどである。 52)‌金一勉、 『朝鮮人がなぜ「日本名」を名のるのか』 、228 頁以下を参照。 53)‌野村 進は、在日や帰化者の子供が自分自身のことを知るための教育と、日本人の側が 在日や帰化者について知るための教育の二つの方向の教育を合わせて、 「民族教育」と呼 んでいる。 『コリアン世界の旅』 、講談社+α文庫、1999 年、99 頁。 27.

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参照

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