上ビルマの一農村における年中儀礼と二元性
著者
田村 克己
雑誌名
南総研紀要
巻
1
号
1
ページ
93-141
別言語のタイトル
Annual-cycle ceremonies and dualism in one
village in Upper Burma
Mem、KagoshimaUniv・Res・CenterS・Pac.,VoL1,No.1,1980
上 ビ ル マ の 一 農 村 に お け る
年中儀礼と二元』性
田村克己*’ Annual-cycleceremoniesanddualisminonevillageinUpperBurma KatSumiTAMURA*’ Abstrat 93 Thepresentpaperisintendedtodescrilbetheannual-cycleceremoniesorrituals ofmixed-crpvillageinSagaingTownshipofUpperBurma,19milestothewestof Mandalay・Thestudyisbasedontheanalysisofthefielddatawhichtheauthorhad theopportunitVtocollectduringhisstayinl979-80,throughobservationsandinter‐ viewsoTheobjectofthestudyistopresentatentativeexplanationsofthecharac‐ teristicfeaturesofBuddhismandNat-worship,withtheirdifferences,theirrelevancy tosocio-culturalfactors,theirstandingintheBurmeseconceptofculture, ThefollowingarethefindingsofthepresentStudy. (1)ThepurposeofBuddhistritualsistomakemeritsindividuallyandanyone canparticipateintheminanyform,CoupledwiththeBuddhistteachingofequalism, thismakestherituals《open'、ItenablesanVonetoextendandsolidifVego-centered personalrelationships,thenetworkofwhichsustainsacommonritual《group',although itcouldalsoleadtotheunstabilityofthe《group'.Inthissense,itcouldbesaid,Bud‐ dhistritualshavesecularmeaningSandare《pulblic'. (2)Householdsandvillageshavetheirownguardian抑atandtheirownrituaL One'srelated(bamg)抑atisinheritedfromhisancestorsthroughcognaticdescent・In thissense汎at-ritualsare《closed,intermsoflocalityandkinshipNat-worshipis exclusive,individualisticand《private'innature,whichleadstothelackofsocialrela‐ tionshipamongcommon抑at-lbelievers・Village抑at-ritualsareverysimplecompared withBuddhistritualswhicharesometimesaccompaniedwithfeastandamusements. (3)Sincewomenmustmakemoremeritsthanmenbecauseoftheirreligious inferioritV,morewomenparticipateintheBuddhistritualsthanmen・Inaddition, menmustnotbeconcemedwith抑at-rituals,since抑atisconsideredtobeinfe1iorto menbythevillagers・Thisisinchargeoffemalemembers・Asaconsequence,women playanactivepartbothinBuddhistritualsandTuat-rituals、This,however,doesnot meanthematrifocalityinthereligiousorritualfieldorinthesocialstructure,due totheexistenceofthepremiseofritualinferiorityofwomen. (4)Buddhistmonksareontologicallysuper,ortolaVmen,and,likeBuddha,be‐ longstothe《sacred'.Theyarenotspecialistsortheagentsofrituals,buttheobject ofworship、NatJtadaw(抑at-wife),ontheoterhand,isamediumwithsomesuper‐ *l)鹿児島大学教養部文化人類学研究室 (Lab、Anthropology,CollegeofLiberalArts,KagoshimaUniv.)94 田村克己:上ビルマの一農村における年中儀礼と二元性 naturalpowers,althoughherstatusisunofficialandsheissomewhatsuspectedbymale members. (5)Some抑αt-ritualsareagriculmralrituals,butagricultualonesarenotsocon‐ spicuousintheannual-cVcleceremonies・ThisisbecausemajorritualsareBuddhist ones,inwhichwishesaredissolvedintotheabstractconceptofmeritandtheseasonal elementsarelacking・SomeBuddhistritualssuchasKahtemandHtamcme−Pwe,are originallyagriculturalones(buttodayithasnoovertassociationwithagricultural ones). (6)Incourseofayear,therearetwomajorturningpoints,Thmgya抑andlight festivals,whichhavesomeritualssimilartoeachother,Eachofthesetwofestivals precedesanecologicalseason:oneprecedesarainyseason,theotheradryseason・The rainyseasonischaracterizedasWa,areligiousperiod,whilethedryseasonisfeatured bVsecularactivities,InthissensethetwoseasonsrepresentBuddhistconceptsofthe binaryoppositionofthesacredandtheprofane,symbolizedbywaterandfire. (7)TheBuddhistrituaIsaretypicalfeaturesoftherainVseasonwhile1ilat−tm,or 抑atofferings,arefeaturesofthedryseason,especiallyofTabα'mgmonth,InpIanning ahouse,Buddhistshrinesarelocatedintheeastofthehouse,inthedirectionof water-stand,whichis《open'and《public'incharacter,asismentionedin(1).Hearths, whichare《closed'and《private'incharacter,asismentionedin(2),areplacedinthe westofthehouse,inwhichofferingsaremadeto抑“Hereliesthesymbolicdualism ofwater/fire,east/west,《open'/《closed'andBuddhism/Nat-worshipThisdualism leadstoaparadeofdualitems,suchasliving/dead,fertile/barren,wet/dry,cool/ hot,fortune/misfortune,superior/inferior,man/womanandright/left、Thesehave beendevelopedfromthebinaryoppositionofBuddhismandNat-worship.
1 . 序 論
ビルマは,南方上座部仏教徒が多数を占めているが,これら仏教徒にあってNat信仰の 併存していることは,良く知られている。双方は,ビルマ人の生活において,それぞれ に違った機能を有し,また信仰自身異った性格を持つものであるため,互いに混清するこ となく,生活の違った局面に登場してくる。逆に言えばビルマ人が,それぞれの信仰を日 常生活や儀礼の様々な場面に応じて使いわけ,そのことによって生活の互いに異なり,時 に矛盾する目標を達成しようとしている。年中儀礼においても,仏教儀礼とNat信仰に基 づく儀礼に大別され,それぞれに異なる場で異なる時期に,違った目的をもって執り行わ れる。本稿は,年中儀礼の実態の分析を通して,仏教とNat信仰の性格の相違や,他の文 化的諸要囚との異なる関わり方を明らかにし,更に双方がビルマ人の持つ観念の枠組の中 でいかに位置づけられているかを描こうとする試みである。 筆者は,1979年3月より一年間ビルマに滞在し,この間およそ10ケ月にわたり,上ビル マの一村落において,住み込みの現地調査を行った。調査地は,上ビルマの中心地マンダ レーより約19マイル西(サガイン管区主都サガインより8マイル西)のNyaung-pin-zin 村(以下N村と略す)である。N村は,戸数200余,人口千人余の,上ビルマにおいて中規 模の村落であり,西に隣接してほ蕊同規模のMyin-hmwe村(以下M村と略す)がある。Mem,KagoshimaUniv、Res・CenterS・Pac.,Vol、1,No.1,1980 95 両方の村は,サガイン管区サガイン郡(township)の一行政村を構成し,共通の人民評議 会議長を持つ。しかし,それぞれの村は独立性を保ち,ことに宗教的・儀礼的場面におい ては,個々の村人の交流はあるものの,各々独立の単位として動く。歴史的に見て,この 付近は,マンタレー・アヴァなどの古都近くにあり,Shweboから更にインドのManipur に通じる重要な幹線道路の脇に位置するため,古くから開けたものと思われる。N村近く の畑には,Pagan期のものとされるパゴダが遣存し,Ava期の記録にM村の名が見られ
る')。敗走の王族を匿ったという口牌も伝えられるが,時期を詳らかにしない。またM村
の分村といわれるが,分離の時期等も明らかでない。村の東5マイル程の所には椀を伏せ た特異な形でビルマ全土に有名なKaung電hmu-dawパゴダがあり,N村を含め近隣地域の人々の誇りとなっている2)。サガインの町の北には,多数の僧院。パゴダの建つサガイ
ン・ヒルが控え,一つの宗教的中心地となっているが,ここはN村の人の宗教生活の上に も大きな意味を持っている。N村の北には,マンダレーとShwebo,Monywaを結ぶ道路 があって,トラックを改造したバスが人々の足となっている。マンダレーーMonywa間の 鉄道もこの道路とほぼ平行してあり,N村近くにTheindawの駅があるが,‘駅舎もなく利 用する人は少ない。N村の南イラワデイ河畔に位置する村々やN村の西南の村々の人々は N村の脇の道を馬車や徒歩で通って幹線道路へ出る。そのためN村の人は,「ここはラング ーンと同じ_,交通の要衝という。しかしそうした人の数は決して多いわけでなく,N村の 日常生活に余り影響を及ぼしていない。 N村は,外観的に200余戸が一つの塊まりとなっているのが認められる。村の東の方に, ywa-oo-kyaung(村の一番重要な僧院)であるI、僧院があり,それを越えてここ10年来 新たな住居が東と北へ広がり,東端に別の僧院がある。幹線道路近くにはTheindaw僧院 があり,この三つの僧院あわせて,僧侶が7∼8体,沙弥が20体以上いる。古いパゴダは, 居住地内部やその外側に広がる耕作地に点々と存在する。村の南端に,村を守護するnat, Ywa-daw識Shinの洞があり,I、僧院の東南側の外れに,Ko-myo-shinの洞がある。村内 にはこの外,4つばかりのnatの小両がある。村ywaは居住地を指し,Natによって守 られているとされるが,周囲の耕作地はtaw(野)と呼ばれ,幽霊などに出会う所として 区別されている(N村の概図は,図8,P、130)。 既述のようにN村は,M村と併さって一行政単位を形成しているが,その政治上.行政 上の力を持つのは,ywa-lugyiと呼ばれる人々である。人民評議会.社会主義計画党・協 同組合・農民組合の幹部で構成される。 N村の住民は,殆んどが農民であり,2∼3エーカーから20∼30エーカーの土地を耕作 している。主に村の西の方には,土地を持たない農業労働者がいる。その他農業の副業と して,馬車屋・小物売り・行商・大工などが行われる。村の南側は,イラワデイ川の氾濫 原で,雨季に冠水し,乾季には一部の湖沼を除いて干上り,耕作される。村の北側にも, 幹線道路をはさんで、村の耕作地が広がっており,ほぎ雨季の始まる頃に耕起され,乾季の 初 め に 収 穫 さ れ る 。 こ の よ う に 年 2 回 の 農 耕 サ イ ク ル を 持 ち そ の た め 南 側 や 北 側 の 村 々 に 比し,比較的裕福といわれる。しかし潅概は行われておらず,耕作は殆んど人力と畜力(牛) に頼って行われる。ビルマ中部の乾燥地帯の外れに位置するため乾いた土地であり,水利 の 良 い 所 で 行 わ れ る 稲 作 の 他 , 小 麦 ・ と う も ろ こ し ・ 南 京 豆 ・ そ の 他 の 豆 類 , ウ リ ・ ト マ96 田 村 克 己 : 上 ビ ル マ の 一 農 村 に お け る 年 中 儀 礼 と 二 元 性 トなどの野菜類が主要作物である。 N村の住民は,身体形質上決して一様でないが,ビルマ人としてのアイデンティティを 持ち,全て仏教徒である。村で日常的に用いられる日付は,全てビルマ暦に基づく。ビル マ暦は,太陽暦で、あり,おおよそ4月頃最初の月が始まって,29日と30日の月が交代に12 ケ月ある。(図5,P,118参照)。3年に1回はウルウ年となり,Wazo月が2回繰り返 される。一ヶ月の各日は晦月日,上弦何日,満月日,下弦何日と表わされ,このうち,晦 月日,上弦と下弦の8日,満月日がUbok日として,仏教徒にとって特別に神聖な日とさ れる。この日は仕事を休んで,持戒精進をはじめ功徳を積む行為に励むべき日とされ,年 中儀礼もこうした日に行われるのが殆んどである。ビルマ語で祭,儀式を表す語にpwe という言葉があるが,その含む意味内容は広く,単なる人や物の集まりに対しても用いら
れる。例えば,劇(zat-pwe)軽演劇(anyeint.pwe),サッカーの試合(bawlon-pwe),牛
の競売(nwa-pwe)などにも用いられる。また供え物をも意味し,仏教儀礼,Nat儀礼を 問わずに見られる,ココ祁子とバナナから成る供え物は,gadaw-pweと呼ばれる。I
IWitkvinaQ E ( 図 1 ) ビ ノ レ マ ScalcinmIlc5 200204060801〔ロ d G ロ D q L 0 原図:Huke,RE.Rα航faIImB汎Tmα,GeographyPublicationsatDartmouthNo.2,1%5Mem・KagoshimaUniv、Res,CenterS・Pac.,Vol、1,No.1,1980
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(図2)SagaingTownship (作成にあたり,Saging第2高等学校校長UTunShweの助力を得た) 97 N98 田村克己:上ビルマの一農村における年中儀礼と二元性 本稿ではN村における年中儀礼の実態を詳述し,それから冒頭べ述べた問題提起につい て一応の解答を試みる。それゆえ,筆者の現地調査で得られた資料に依処して行われる試 論であり,他の比較検討すべき資料については若干の言及をするにとどめたい3)。本稿で 得られた結論を,ビルマ社会全体における位置づけを計ることや,歴史的展望のもとに置 いていくことは,稿を改めて行いたいと考えている。
11。年中儀礼の実態
1.Thingyan ビルマ暦の第1月Tagu月には,水掛け祭として名高いThingyan-pweが行われる。ビ ルマの年中行事は,太陰暦に基いて行われるのが普通であるが,この行事だけは,太陽と 星の動きによって決定される。従って日時は年によって変わるが,ほ、.太陽暦の4月中旬 にあたり,概ね3日にわたって祝われ,それが明けるとビルマ暦の新年とされる。 (1)Thagyaminの降臨 Thingyanの3日間,精霊の最上界の王Thagya-min(若しくはThingyan-min)4)が 地上に降りて来て人々の行いを記録し,それが死後天国へ行くか地獄へ行くかを決するも のになるということは,一般に信じられているところである。 Thingyanを控えて町には,家々や通りの掃除をしたり,祭の夜に行われる踊りの舞台 作り等を行う姿がみられ,市場は買物客で賑う。この時どの家庭も,thingyan-pan(花) とthingyan、Ce(壷)を買う。Thingyan-panはthabyeの若枝をはじめ5種類の植物が一組になっており,素焼きの小さな壷(thingyan-oe)に挿され置かれる5)。壷の水は,
Thagyaminが地上に降りて来る時刻に,大きな木の側などで、注がれ,花は魔除けの意味で屋外の木や塀に結びつけられる6)。これを行うのは,多く家庭内の女性である。
ところで,Thagyaminの降下の時刻はどのようにして判るのであろうか。かっては空砲をもって知らせたといい7>,村にも竹製のもので同様に行ったという。他方,町の市場
などで立ち売りされているthingyan-sa(一種の暦)によっても正確な時刻を知ることが できる。これは,天文学上の計算により新年の日時の決定を行ったかつての王室付ブラー マン(ponna)の子孫とするマンダレーのponnaにより発行されているものである。人々 はこれを見ることにより,Thagyaminの降下と昇天の時刻を秒単位まで、知ることができる8)とともに,来るべき年を占う。ビルマ暦1341年(西暦1979年)の暦には,Thagyamin
がbilu(鬼)に乗り矩火を持って来る絵が描かれている。この図柄から火事の多い年であることを知り9),本文を読むことによって,気候ことに雨の多少や作柄などの年占や稲の
播種結実・収穫の月日などの情報を得る'0)。この他,thingyan-saには,Thingyanの期
間中行うべきことについても詳しく書かれている。 (2)享楽的行事と宗教的行事 最初にも書いたように,Thingyanを特徴づけ楽しいものとしているものは,水の掛け 合いである。若者達を載せた車が町中を走り廻り,通りかかる車にホースやバケツの水をMem,KagoshimaUniv・Re5・CenterS、Pac.,VOL1,No.1,1980 99 かける若者達,家の前で通行人にコップの水を浴びせる子供達の姿が至る所に見受けられ る。水掛けは日没まで、で,夜は,町のあちこちで各地区または職場の委員会により組織さ れたe-khan-pwe(もてなしの宴またはpyebyaw-pwe=楽しみの宴)が催される。次々と 踊りが披露され,途中飾り付けをされたトラックが若者達を載せて訪れ,舞台との間で踊 りの交換を行う。 このようなThingyanの,或る意味で享楽的な側面が,主として若者達によって担われ ているのに対し,年寄りや宗教心の篤い者達は,この期間,僧院に出かけ,戒律を守って 静かに過す(ubok-saunt)。そのような人達だけでなく,Thingyanの間,悪い事をして
はいけないという事が良くいわれる'1)。理由として,Thagyaminが人間の善悪の記録に
来ているからといい,また,仏教の行いをする特別な日々であるからともいう。後者のこ とは,僧院やパゴダに布施(a-hlu)する者の多い理由でもある。布施は,一杯の米と一腕の オガズが基本という。またマンダレーのMaha-muniパゴダなどでは,生れた曜日の仏像 に水をかけることが行われる。Thingyan-saにも,パゴダのそれぞれの曜日(方位)の場 所で釈迦の悟りを開いた東南の方角へ向い仏教の守護神に供え物をすること,その後,髪 を洗い,それぞれ曜日により決る草花の芽を頭に挿すことをするように述べてある'2)。洗 髪の意味は,全ての罪の消滅にあると書かれている。 (3)新年の儀礼 Thagyaminが天に戻った時刻以後,新年となるのであるが,普通そのThingyan最終 日の翌日が新年である。僧院にて持戒を守っている人は続けているが,水掛けや踊りは既 に終わり静かな日となる。Thingyan-saによれば,晴着をつけ,Dhamma(仏法)・Thanga(僧).saya(先生).miba(両親).bo−bwa(祖父母)に供え物をし'3),甘い味のお菓子
を一杯食べるように勧められる。このことは利益・幸福・恵みをもたらすという。仏陀や 両親等へ供え物をすることは,Thingyan-gadawと呼ばれる。食べ物,若しくは可能な時 は着る物などを贈り,礼拝を行い,それに対し僧や年長者から祝福の言葉が発せられ,時 に小遣いなどを伴うことがある。贈り物は水を入れた壷にのせられ,その水は浄めの意味を持つという'4)。また新年にあたって功徳を積むため,魚を川や湖に放流iする。
新年の日の夕方には,Payeik-yut-pwe(護呪経文を唱える儀礼)がもたれる。町の各地 区の四隅及び中心に,祭壇がしつらえられ,gadaw-pwe,僧侶への布施の品々が置かれ, それらとともに各戸からもたらされたpayeik-oe(壷)が並べられる。地区内の年長者や女 性達の参列のもと,僧が呼ばれて経文を唱える。経文はkam-ma-waと呼ばれ,危険を防ぐ 力を持つとされ,正くし唱えると壷の中の水が沸くと言われる。諦経後,ye-zet-cha(潅 水供養)'5)が行われ,僧侶に品物が与えられて終わる。PaVeik-oeは各戸に持ち帰られる が,その中のpayeikpan(thabye)は塀に結びつけられ,payeik-chee(糸)は家の廻りに 張りめぐらされる。いづれも魔除けのためである。また中のpayeik-thE(砂)はとってお かれ,biluや幽霊が来た時に投げつけると効果あるとされる。この儀礼後,ブリキ缶などを た た い て 音 を た て た り , 紙 を 燃 や し て 火 を 焚 く こ と が , 一 部 の 家 々 で 行 わ れ る 。 幽 霊 な ど を駆逐するためという。 (4)N村のThingyan 以上述べてきたことは,マンダレーなどの都市で行われるThingyanである。村におい100 田 村 克 己 : 上 ビ ル マ の 一 農 村 に お け る 年 中 儀 礼 と 二 元 性 ては若干の相違がみられる。何よりも目立つところは,Thingyanの期間,村が概して静 かな雰囲気にあることである。水掛けも行われるがそれ程多いわけでない。それに友人や 親しい者同志で行うことが多いという。好意を持つ異性に対しては,重要であることを示 す意味で香りの良い水を掛けるという。また鍋の底の墨を塗り合うことも行われる。 Thingyan-panやthingyan-oeは町の市場から買って来て置かれるが,その水をこぼす 日時は,最後の日すなわちThagyaminが天へ昇る時であり,Thagyaminのため,それぞ れに古い大きな木に対しされる。Thingyan-saは,町へ行った者が買って来るとのことで ある。 主に老人や女性により,僧院への布施や持戒精進が行われる。パゴダにおいてそれぞれ
の場所でhsun(斎飯)供えることも行われる'6)。またThingyanの中間日に髪を洗う風
習がある。多く女性が行うが,そのため井戸の側には,功徳を積むために喜捨されたtayawの樹皮やkinbunの実'7)が置かれる。洗髪の意味するところは,その年の垢を翌年に持ち
こさないためであり,水掛けも同じ意味を持つという。 Thingyanの間,悪口や悪い事を言ったり口論してはいけないとされるが,青年達(ka-la-thar) がいろいろのいたずらをすることは認められる。鶏を盗んで、とって食べる楽しみがあり, また牛車や着物を盗んで高い所に吊したり,親しくない人同士の牛を交換したりして年長 者をからかう。ことに恥づかしがり屋の人や怒りっぽい人に対し行うといい,単なる楽しみ(aPyaW-apar)でするとのことである'8)。
新年になると僧侶や老人に対する礼拝がなされる。これに対し長命で危険に遭わず願い の叶うことを望む祝言が唱えられる。夕方の経文を唱える儀礼は,昔はしたが,今は行わないという。あまり信じなくなったからといわれる'9)。
(5)Thingyanの意味 Thingyanは,まづ第一に古い年から新しい年への区切りとしての意味をもつことは, 言を族たない。迎えるにあたって家の内外が清掃されることや,水掛け・洗髪の行為には, 古い年の汚れや罪を翌年に持ち込さないという意味がこめられ,人々に意識されている。 またThingyanの前や期間中に死者が出た場合,葬儀を翌年まで持ち込さないように埋葬の急がれることも,同じ理由からである20)。
ところで新年を迎えるこの祭りにおいては,水掛けやいたずら,盗みなどの享楽的で秩序を無視するような行為がなされる21)。ことに長幼の区別が重んぜられる社会において,
年長者に対しこうした行為が行われるという価値の転倒が見られる。それはまた,新年に 入ってからのgadaw(礼拝)によって秩序が再びもたらされることに先立つものである。 こうした点を含め,宇宙の秩序の更新として記念される新年の考え方がThingyanの祭にみられ,それがヒンドウー高文化の影響の下にあることは,既に指摘されている22)。この
点はタイその他の地域と共通するThingyanの起源伝説にもあらわれており23),何よりも
その日取りがブラーマン24)の手によって決められるところに頭著で、ある。
他方,ブラーマンがthingyan-saにおいて仏教的行為を説くように,この祭は,仏教実 修の神聖な日として,ビルマ仏教徒に位置づけられる。しかしその行為内容は,普段のubOk 日に行われるものと本質的に変わらない。.ただ新年の夕方に僧侶が呪術的経文を話するこ とは注目されて良い。なお,新年にあたって一部の家では,家の守護nat(Ein-dwin-nat)Mem,KagoshimaUniv、Res,UenterS・Pac.,Vol、1,No.1,1980 10] のココ祁子を変えるというが,これ以外,ThingyanとNat信仰との結びつきは,見受け られない。 また水を掛け合うことで,雨季の到来を確かにする模倣呪術的な意味を持ち,来るべき 年の豊鏡への予祝的意味を持つという,Thingyanの農耕儀礼的側面は,既に指摘されて いるところで、ある25)。 2 雨 乞 い Tagu月からKason月に変わる頃,上ビルマは高温で、乾燥した日々が続き,雨乞いのた めの綱引きが,マンダレーのあちこちの地区や周辺の村々で行われる。 N村においても,村内の広い敷地を持つ家で,夕方4時から6時にかけて行われ,7日 間に及ぶという。ひかれるのは大きな木の枝で,nat-kadaw(natの霊媒)が使用の許可 を与え,初めに女達によってgadaw-pweが供えられる。枝にNatがいるので,これをし
ないでは綱引きができないとされる26)。競技は男女の組にわかれ,女の方がいつも勝つと
いわれ,例えば7回やって4回勝つというふうである。勝った組は,負けた方で恥かしが り屋と考えられている男性または女性を捕えて,楽隊(saingwaing)の伴奏のもと踊らせる。この行事は必ずしも毎年行われるわけでなく27),また雨乞いになぜ綱引きをするかという
点に関しては,単に習慣と説明するだけである。 村では,雨を降らせるために仏像に水をかけることも行う。村の西北2∼3マイルのと ころにあるKandalooパゴダの仏像と,Theindaw僧院の側にあるpOngyiパゴダの仏像とに対してであり,この順序に巡って行く(alay)28)。すなわち水の入ったドラム缶を載せた
牛車を先頭に女達が花を持ったり,水壷を頭に載せて続き,村中の男が後尾となって,喜 捨を集めながら(a-hlu-khan)歩いて行く。途中Byedayauk村において,お茶の接待 (lapet-Ve-taik)を受けるのが常である。ここの村人は,N村の人がこれを行うと雨が降る と信じており,大概Kandalooパゴダに着く前に雨が降るといわれる。この全村的行事を 組織するのは,ywa-lugyi達であり,村のためのことゆえ行うという。 この他,雨乞いのためNatへ供え物をすることもいわれるが,一層興味深いのは,かっ て行われたWUtpachin-natの儀礼である。これは最早行われておらず,現在40才の男性 が子供の頃見たと記憶しているところから,およそ20∼30年前にはされていたと思われる。 6∼7人の老女が,村内の広い家で,7日間または1日,夜の6時から8時頃に行ったと いう。竹製の篭を逆さにし,その頂部(篭の底)に女性の髪の毛をつけ,下半部に女性の 腰衣(tamein)をつける。Natへgadawpweとろうそくが供えられた後,老女達は,この 龍を上へ持ち上げ呪文を唱え,そして下ろす。これを何度か行うが,Natが騒ぐ(nat-pu) と篭が重くなるとのことで,篭を放すとNatが逃げ去るのでいつも把んでおくとのことで ある。また,Natを信じないと持ち上らず,信じると持ち上るといわれる。なお男性の中 に信じない者がいたとのことである。 3.Kason満月の日の行事 Kason満月の日は,釈迦が生誕し,悟りを開き,入寂されたという,仏教徒にとって記 念すべき時である。この日は,釈迦がその下で悟りを開いたバンヤンの木(nyaung-pin)102 田村克己:上ビルマの一農村における年中儀礼と二元性 に水をかける儀礼(Nyaung-pin-ye-thun-pwe)が行われる。マンダレーの町や一部の大き なパゴダでは,王朝時代の服装をした人々の行列がバンヤンの木に向って行くのが見らる
る
2
9
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。
N村においても,夕方4時頃,gadaw-pweを先頭にし,水の壷を頭に載せた女,子供 達の行列が行われる。村内の家からI、僧院へ進み,僧院内のバイヤンの木及び仏像に水が注がれる30)。行列の後尾には楽隊と牛車に乗った踊り子が続き,僧院内で暫し踊りを披露
する。この儀礼は,全村を挙げて行う盛大なものでなく,呼びかけた人を中心に,功徳を
積む行為の一つとして人々が集まって行われるに過ぎない3')。またこの日は僧へのhsun‐
gywe(斎飯を差し上げる)を行うべき日とされ32),朝人々がhsunを僧院へ持っていく姿
が見受けられる。しかし,それはubok日であるからといい,ことに特別の日と意識され ていないようである。 Kason月に続くNayon月の満月の日には,僧侶の経文諦唱の試験(Sapyan-pwe)や Maha-thamaya(thamaya=パーリ語で時)が行われる。後者は,学問のある僧などによ るsutta(経典)の謂唱であるが,いづれもラングーンなど大都市中心の行事であり,村 においてこの月に特別な行事は見られない。 4.Wa(雨安居) ビルマ暦の第4月Wazo月は,暦の上で,そして実際上の雨期の到来である。農作業が 本格化するとともに,Wazo満月の日からの三ヶ月間は,仏教徒にとっての特別の神聖な 雨安居の期間(Wadwin)として,宗教的行為の実修が進んで行われる。 (1)僧侶におけるWa Waの期間,釈迦が,その母親に説教するため天界に赴くといわれるが,またWazoの始まりに関して,次のような伝説が僧侶によって説かれる33)。すなわち,仏法が弘まり始
めた頃,Wazoに関する規則は何らなく,そのため僧侶達は一年中旅して廻った。人々は, 雨期の間異教徒が静かに暮し,鳥さえも自らの巣にとどまるのに仏教の僧侶が自由にあち こちに動き,そのために成長して来る草が踏みつけられることに対し,非難の声をあげた。 これを聞いた仏陀は,僧侶に雨期の三ヶ月,僧院に止まることを命じ,Wazoについての 規則を定めたという。 Wazoのwaはパーリ語のwathaから来て,とどまることを意味し,so(-zo)は諦唱の 意味で、ある。すなわち雨期の間に決められた僧院にとどまること,そしてこれを唱えるこ とを示す。一定の僧院にとどまる意味は,具体的には,夜を他の場所で過さないことであ る。僧院に壁か何らかの遮るものがあれば,その中が範囲となり,ない場合,何らかの限 界が設けられる。もっとも例外(wa-pan-gyin)が認められる。状況によって,7日を越え ないうちに戻ってくるとの誓いをたてて,僧院長から他出の許可を貰えるし,更に続けて 旅を続ける場合,7日目の夜を過した僧院で同じ誓いをくり返せば良いという。このよう な僧の安居(Waso.tら)の期間は,いづれも三ヶ月だが二種類ある。一つはWazo下弦1日 の夜明け前からThadingyut下弦1日にかけ,一つはWagaung下弦1日からTazaungmon下弦1日にかけてである34)。その始まりと終りの満月の日には,僧院内で,それぞれ安居
に入いること,終わることを標す儀礼が行われる。Mem、KagoshimaUniv,Res,CenterS、Pac.,VoL1,No.1,1980 103 Wazo満月の夜,N村のI、僧院で行われた儀礼には,僧院内の僧侶5体に,沙弥18体が 参 会 し , 沙 弥 の 母 や 姉 な ど 村 人 十 数 名 が 後 部 に 列 席 し た 。 経 文 の 謂 唱 の 後 , 僧 侶 が 対 面 し た沙弥に対しWaについて説き,続いて僧の先導のもと,沙弥達が安居の期間僧院内にと どまることなどを唱和する。これらが終った後,俗人から,僧侶や沙弥にnya-gyinが供 えられる(nya-gyin-kat)。出家者は,昼12時以降,御飯を食べないことを戒律の一つとし て守っているが,玉葱と生墓を塩・油とともに水につけたnya-gyinは,飲食しても差し 支えない。その他,zi-pyaw-ye(zi-thiの汁に砂糖祁子の汁と水を混ぜたもの)やジュー ス類の水もの,柑橘類(例えばthanbaya-thi),tannvet(砂糖柳子の汁を煮詰め固形に
したもの)や飴のように甘い味のするものも,飲食可能である35)。この夜は,nya-gyinの
他,これらのものも差し上げられた。この布施は,個々人が功徳を積むためにするもので, 主として,沙弥の親や親戚の者が行う。またgadaw-pweも供えられるが,ye-zet-chaは 行われなかった。 (2)俗人におけるWa Waの期間は,僧侶が一定の僧院にとどまっているため,俗人にとって,僧侶に近づき 教えを受け,その指導の下に宗教的義務を果たして功徳を積む時期である。また僧侶への 布施もよく行われ,この期間に贈られた法衣はwaso-thingan,僧院はwaso-kyaungなど と特別の名称で呼ばれる。布施の行為は,Waの三ヶ月間のいつでも良いが,今日その名 称からWazo月に集中して行われ,ことにWazo満月の日が重視される。この日は,釈迦 の懐胎・出世間・最初の説法の日,それに反対宗派を負かすためにマンゴーの木の下で奇 蹟を起した日として,四重の意味で仏教徒にとって記念すべき日である。N村の一部の人 々は,前の晩からサガイン・ヒルの僧院へ出かけ宿泊し,満月の日の朝,僧侶に斎飯を供 し(hsun-gywe)布施を行う。これは,僧侶とつながり(血縁的・儀礼的)を持つ者が,親 戚や友人に呼びかけ,グループをなして出かけるのであり,それぞれが功徳を積むために 参加する。また村の僧院においても朝僧侶へhsun-gywe(hsun-kat)が行われ,僧院やパ ゴダの仏像に,花(wazo-pan)ろうそく(wazo-payaundaing),斎飯(hsun),水の四種が供えられる36)。
既に述べたようにWaの三ヶ月は,仏教の特別の時期であり,宗教的行為を通して功徳を積む機会である37)。それは,この期間の特にubok日に集中して行われる。村の小学校
も,日曜日とともにubok日が休みとなる。これは上ビルマ一帯に共通しており,Wadwin 以 外 の 季 節 は , 土 。 日 曜 日 が 休 み で あ る 。 N 村 と 隣 接 の M 村 の 村 内 に あ る 幾 つ か の パ ゴ ダ は,主としてWadwinのubok日に次々とパゴダ祭(Paya-pwe)を行う(次章参照)。村 の僧院で、は朝,何人かの人々が集って僧侶に食事を差し上げる。中心的な人(または家族) が親戚や友人などに呼び、かけ,後者がそれぞれに,食後のお菓子を差し上げたり,労力を 提供する形で,功徳を積む。これには,村外の親戚や知人の招かれることがあり,また村 出身者などが中心となって同様に行う場合もある。 田畑の耕起.播種.除草等の一段落するWagaung月の後半には,村人の一部が,近隣 の町や村・の僧院に出かける。やはりubok日に行われ,朝に僧侶に食事やお茶を差し上げ るため,一泊の形をとることが多い。上述の布施の場合と同じように,中心的な提唱者(ま は た 家 族 ) と そ の 親 戚 ・ 友 人 か ら 成 る 集 ま り で あ る 。 参 加 者 は , こ の 機 会 に 訪 問 し た 村 に104 田 村 克 己 : 上 ビ ル マ の 一 農 村 に お け る 年 中 儀 礼 と 二 元 性 い る 親 戚 ・ 知 人 の 家 を 次 々 と 訪 ね , 相 互 の 社 会 的 関 係 を あ ら た め て 確 認 す る 。 ま た 親 戚 ・ 友人が集まって,有名なパゴダなどへ参詣に行くことも,この時期に見られる。 Wadwinのubok日の前日には,hsun-daw-gyiの一隊が村を訪れ,米や金銭の喜捨を
集める38)。これはubok日に行われるパゴダ祭のため,東方のSidi,Paganyat,Tindeik,
Magyizinなどの村からやってくるもので,時に一日に三つも四つもの隊(pwe)が村を訪 れる。かつてはこの村からも出かけて行ったといい,東の村から西の方の村雲へ行くのが原 則という。裸足で、,白い上衣.下衣を身につけた男ばかりの一隊39)は,村の何か所かの辻 に立ち止まって,同行の楽隊の音楽で村人を集め,喜捨を求める。途中村内の親しい家に 休むが,その家は,お茶と若干の菓子でもって接待する(lapet-ye-taik)。やはり功徳を積 む行為の一つである。Hsun-dawgyiの一隊も,またそれを接待する側も,上述の布施の 場合と同様に構成された人々の集まりである。 (3)Ubok-saunt Ubok日に持戒精進すること(ulbok-saunt)は,Wadwinに限らない。しかしそれをす る人の多いことは,Waの期間を特徴づけるものである。 Ubok日に僧侶達は托鉢に出ない。村人(主に女性)ことに息子が沙弥でいるような人 は,朝僧院にhsunを持って行く(hsun-ok-poe)。またubok-sauntをする人は,米・食 用油・茶の葉のthila-pwe(持戒の供え物)を皿などに載せて8時過ぎ頃,僧院内のzayat (休息所)へ集まる。9時に僧侶の勤行があり,この時僧の導きで,持戒についての言葉 を唱和する(thila-yu)ことによって,ubok-sauntに入いる。以後この一日は,戒律を守 って静かに過し,余計なおしゃべり,殊に良くない事を言わないようにする。戒律の中で ことに強調されるのは,昼から食事をとらないことである。また考えを仏教や仏陀のみに めぐらし,珠数をくる人もいる。精進はそれぞれの家で行って良いが〆老女などは,一旦 家で昼前の食事を済ました後,僧院に戻ってzayatで一日を送る。Ubok-sauntを更に2, 3日続けることもあり,その期間をubok-twinという。これらの行為は,勿論個々人が功 徳を積むことに意味がある。行う人は圧倒的に女性であるが,Waの間には男性の数が少し増加する40)。なお僧侶の法話には,少なくとも男性一人の存在が必要とされる。
5.パゴダ、祭 N村とM村の村内にある幾つかのパゴダでは,Nayon月満月の日からTazaungmon月 満月の日にかけてのubok日毎に,次々とパゴダ祭(Paya-pwe)が行われる。N村とM村 のパゴダがほぼ交代に行われるが,Tawthalin月満月の日以後はN村のパゴダのものが続 く。このうちNayon月満月のものはM村のパゴダ祭であり,Tawthalin月満月のものは N村のパゴダ祭である。これらとThadingyut月満月およびTazaungmon月満月のもの は,ywa-paya(村のパゴダ)と呼ばれるが,その他はmithazu-paya(家族のパゴダ)と いわれる41)。 (1)Mithazu-payaパゴダ祭42)の行われるパゴダには,祭の日の早朝,N村とM村のほぎ各戸から女性が,
円錐形の蓋付きの盆に載せた供え物を持って集まる。内容は,斎飲(hsun)に,最少3個 のオカズ(hsun-hin)であり,paya-lugyiが指揮して,まとめ仕分けられる。PaVa-lugViは,Mem,KagoshimaUniv・Res‘CenterS・Pac.,Vol、1,No.1,1980 105 仏教的行為の実修を積み知識を持つ老人であって,パゴダ祭において儀式の進行などを司 る。N村で、行われるパゴダ祭にはN村のpaya-lugyiが,M村のはM村の者が世話をする。 N村には6名のpaya-lugyiが存在するが,彼らは特別な資格を持つわけでなく,若い頃か ら仏教に興味を持ち(wathana-pa),行いを積んできたゆえといわれる。また彼らは,葬 式やubok日などの僧の法話の席において,供え物の仕方を指導したり,俗人を代表して 僧との問答を行う。 ところでそれぞれのパゴダには固有の名が付いているが,村人の名を付けて呼ばれるこ ともある。彼は,当該のパゴダを建立・修復した者もしくはその子孫であり,彼(または 彼女,複数の場合もある)がmithazu-payaの祭を主宰する。これら関係者や手伝い等に 来ている友人を除いて,供え物を持ってきた女達は,空になった盆を再び、頭に載せて戻っ て行く。多くの場合,彼女達にお茶とつまみ,時に祭のため特別に作る菓子や飲物が饗さ れる。食べ物を作るのは成年男子があたり,茶の盆を運んだり食器を洗ったりするのは青 年(ka-Ia-thar)の役割である。いずれも主宰者の呼びかけに応じた親戚.友人達である。 7時半頃,パゴダでは,paya-lugyiや主宰者とその関係者が,祭の儀礼的部分を行う。 まづN村とM村の僧院の僧侶・沙弥が,祭の主宰者やその親戚・友人6∼7人の作る列の 前を通って,托鉢の鉢におかずや菓子や御飯を受けて行く。これはpongyi-hsun-laung‐ pweと呼ばれる。続いてpaya-hsun-cha-pweが行われる。これは,パゴダの仏像の前に, gadaw-pwe2∼3pwe,盆に盛られた米,三盆のおかず(hsun-daw-kat-pwe)が供 えられることである。Gadaw-pweは,paya,taya,thangaの3pweが基本であるが,時 にpaya-pweとtaya(thanga)-pweだけとなる。8時頃,paya-lugViが,kVi-zi(小さな 銅鐘)を鳴らして,taya-haw-pweの始まりを知らせる。僧侶による法話であり,ubok‐ sauntの戒を与えるものなのでthila-pay-tayahawともいわれる。参会者は,主宰者とそ の親戚10∼20人で女性が圧倒的に多く,それにpaya-Iugyiが加わる。最後に主宰者(複数 の場合年長者)が,ye-zet-chaを行って,8時半頃には全て終わる。Gadaw-pweのうち taya(thanga)-pweは僧侶に差し上げられ,paya-pweは手伝いの若者達に下げられる。 ところで,祭に関与する親戚の集まりとは,パゴダ建立(修復)者,若しくは祭の主宰 者に双系的に繋がる者達,更にそれらの配偶者達である。しかしこの範祷の人々が全て含 まれるわけでなく,他方,姻戚や友人が加わってくる。すなわちこの親戚の集まりとは, 主宰者(個人若しくは兄弟イトコ関係にたつ複数の人々)を中心とする緩やかなサークル に過ぎない。このサークルは祭の執行にあたって集団としての機能を果たしているわけで ない。サークルが,参加者から供え物や接待の費用を徴集し,集団として布施するので なく,それぞれが,僧侶に差し上げる果物を提供したり,接待の手伝いをしたりの形を通 じて,功徳を積む。従って,この祭は,親戚の集まりを中心としながらも,外縁的に開か れたものであり,どのような人もこの機会に功徳を積むことができる。それは,村の各戸 から供え物をする形で、,村全体の行事として位置づけられる理由である。祭の前日には,
村の伝令(ywa-zaw)43)が祭のあることを触れ歩く(ywa-hit)のである。もっとも,中心
のサークルが祭という共同行為を通し社会関係がより密接になっていくという側面は,否 定できない。またubok日以外に,残されたパゴダで祭を行いたい人は,同様にすること が可能であり,gyar-PaVaと呼ばれる。106 田村克己:上ビルマの一農村における年中儀礼と二元性 (2)Ywa-paya(Shwe-bon-thaパゴダ) Tawthalin月の満月の日には,村の西端にあるShwe-1bon-thaパゴダにおいて,パゴダ 祭が行われる。N村が全体として主催するものであり,ywa-lugyiを中心に,paya-lugVi などが加わって,gawpaga(管理委員会:17人)を設け,準備調整を行う。前日には,パ ゴダ内に祭壇をしつらえたり,夜の踊りの舞台作りなど,性別・年齢による仕事の分担が あり,また数日前からは,踊りに出る若者達の練習が,夜の太鼓の音の形で伝わってくる。
二日前には,paya-lugyiが村内を巡って,金銭の喜捨を求める(a-hlu-khan)44)。
祭は,正確には,満月の前日の午後のhsun-daw-pweから始まる。各戸から子供や未婚 の女達が花や果物,お菓子(montgan)を持ってIn僧院へ集まり,そこから行列を作って, 村内を通ってバゴダへと向う。パゴダにて仏像に花がささげられ,食べ物類は前の祭壇に 並べられる。果物や菓子を家や車の形などに作ったものもあり,町から買って来たものも 目立つ。全部で75点ほどあり,paya-Iugyiがそれぞれ何を持って来るか記すという。同じ 頃,村の青年達のグループは,牛車1,2台で各々趣向を凝らして,村内を巡る。辻々で踊 りや寸劇を披露しながらI、僧院からパゴダへ向う。盛んな時には7∼8組(saing)でると いうが,前年少雨で作物の出来が悪く現金が少ないとのことで,3組だけであった。夜は パゴダの横にしつらえられた仮設舞台で,pya-zatが演ぜられる°踊りと寸劇のショーで あり,女優は町からの職業芸人が雇われるが,男優の役は村の青年達の娯しみで、ある。シ ョーに出るには金銭を支払わねばならないため,金の少ない今年は出る人が少ないという。 莫座の上に座って見る女・子供の廻りを男達が囲むように立って舞台を見,観客の外側で は,二,三の村人がお茶や軽食などの店を出して稼ぐ。ショーは9時から夜半3時近くま で続き村の長老はパゴダなどに控えて交代で不寝番をする。なお寸劇は,同好の集まりが 2つ程あってほ慾.隔年に行い,その脚本は村人の手で書かれ,ywa-Iugyiの検閲を受ける という。内容は英領時代のことなどの政治的なものが多いとのことである。 満月の日の朝は,パゴダでhsun割gyi-laung-pweが行われる。村人150人ほどの列の前 を通って,僧侶・沙弥が托鉢の鉢に食べ物を受けていく。僧侶などは,N村.M村の僧院 からだけでなく,近隣の村の僧院からも呼ばれ,120体になるというが,実際は後で届ける ために代わりをする俗人も混じる。それが終わると,昨日供えられた菓子や果物が,lugyiの手によって子供達に撒かれる(sunt-pyit)。子供達は奪い合って取ろうとする45)。9時頃に
は僧侶による法話がある。Paya-lugyiなどの男性若干に,30人位の女性で、,mithazu-paya の場合より少し多いに過ぎない。この日が仕事休みなのは言うまでもなく,金のある家は この機会に友人などを多く食事やお茶に呼ぶ。また村出身者が帰ってきたり,村外の親戚 知人も呼ばれ,村内は人の行き来で終日賑う。夜は,天蓋まで燈を灯されたパゴダ横で46),僧侶の法話がある。マンダレーなどから高
僧が招かれ,女性中心に多くの村人,更に他村の人々も参集する。終わって帰る僧侶の道 に,女達が競って肩掛を敷き延べ,その足元にぬかづく。 以上の村のバゴダ祭は,満月の前日のpaya-pwe,満月の日の朝のthanga-pwe,夜の taya-pweの三つの部分に成っている。この点は,mithazu-payaが僧侶への布施・パゴダ への供進・僧侶の法話から構成されているのと基本的に変わらず,ただ規模の大きさとお 祭り気分の横溢が加わるだけである。また祭の主宰者が,親戚・友人のサークルでなく,Mem・KagoshimaUniv・Res、CenterS、Pac.,VoL1jNo‘1,1980 107 村であることも異なる。しかし,パゴダへ供え物をしたり,僧侶へ斎飯を与えたりして, 個々人が功徳を積む点は同様である。満月の夜の説教も,ywa-lugyiなどでない個人が組 織したものであり,一部の寄付を受けた他は,残りの費用や途中の飲み物(pVaw-ye)の 提供を行った。 (3)Tazaungmon月のパゴダ祭 Tazaungmon月の満月の日の朝には,村の北西の外れ,墓地の近くにあるパゴダ(Kyaung‐ gyi-shin-min-paya)で,パゴダ祭が行われる。これは今一つの村のパゴダ祭であるが,祭 礼の要素はなく,Vwa-Iugyiの関与もなくて,mithazu-payaの場合と変らない。儀礼的行 為も,パゴダに供え物をすること,僧侶への布施(pongyi-hsun-laung),僧侶の法話 (taya-haw)から成り同様である。しかし,一,二の注目すべき相異点がある。まづ各戸か らもたらされた供え物には,必ずバナナ一房が含まれる。供え物を持って来た女達は,パ ゴダ内の仏像に,御飯・菓子・水等を供え礼拝した後,パゴダ横の地面または大きな石の 上に御飯を投げるように置き,菓子などを置き,そして水を注ぐ(ye-zet-cha)。死者に 食べ物を与えるという。この時thadu,thaduと唱えるが,これによって死者が食事をで きるとされる47)。一部の人は墓地に対しても同様のことを行い,ろうそくの灯された墓石 も見受けられる。 この祭は,パゴダと僧侶に対して,そして死んだ祖先に対してといわれる。祖先の含ま
れる理由は,墓地が近いことを挙げるに過ぎない48)。しかし,同様の祭がM村において
Thadingyut月の満月の日に行われることと考えあわせ,死者の関与する祭が,雨期の終 った火祭り(7章参照)の日になされることは,何らかの理由があるに違いない。 6.雨期のNat信仰 (1)家の守護nat各家の部屋の東南隅の柱には49),Ein-dwin-nat(家の主のnat)を表すココ祁子が吊り
下げられている。Waの以前と以後には,供え物・祈りとともに,このココ榔子が取り替えられる50)。これをするのは,各家の母親(または妻)の務めで,午前中に行う。ココ柳
子の柱の前に敷かれた糞座の上に,ココ柳子1つ。バナナ3房から成るgadaw-pwe,茶の葉,thanakhar51),kun(キンマ),水2杯,更に柱に据え付けの鉢にpannyoの葉が供え
られる52)。一家の母親は,祈りの文句を唱えた後,ココ抑子を柱に吊るし,水を花にかけ,
茶の葉などを鉢に置く。バナナは持ち去られ食べられる。祈りの文句は,以下の様である。 家の主,御主人様,この家の家人全てが,水のように冷え,花のように新鮮であらせら れませ。良き力,良き運をどうか与えられませ。家人全てが,健康で、ありますように, 裕かでありますように。 また家の外(入口)などに供え物を置き,暫くそこに座り,供え祈りをすることがある。 Natを待つ(saunt)という。 なお家の守護natのココ抑子を変えるのは,これらの機会の他,既に述べたように新年 にもするという人があり,また誕生の儀礼・得度式・結婚式・葬式の時にも変えられる。 通過儀礼にしる年中行事にしろ,いずれも主要な節目において変えられるのである。 ところで、Wadwinでは,natへ供え物をすること(nat-tin)を行わないという。しか108 田 村 克 己 : 上 ビ ル マ の 一 農 村 ・ に お け る 年 中 儀 礼 と 二 元 性 し,田植えにあたっての簡単な茶の葉のnat-tinが行われ,また家人の病気や不健康のため, Ko-myo-shinの洞や村内の小而で供え祈りをする姿が時々見られる。後者のように臨時 に行うものの他,Ko-myo-shinや小洞のnatに関係を持つ(saing)人若しくは家族が,年 一回行う儀礼がある。これらはNadaw月の頃からTabaung月にかけてなされるもので あり,Wadwinに行わないnat化inとは,これをさすものと思われる。なお臨時のnat-tinは, 村のnat-kadawにどのnatが呼んでいるかの判断を下して貰い,nat-kadawともども一 家の母親(または妻)が行う。 (2)TaunglbyonのNat-pwe 雨期の最中Wagaung月には,マンダレーの北のTaungbyon村でNat-pweが行われ,
続いて,南のAmarapuraでYadanaguのNat-pweが催される53)。これらの祭は,ビル
マ全土において有名であり,信者が多数参集する。いづれの祭も,N村から半日で十分に 行けるが,村人にとって重要な意味をもっていない。村人は,これらNat-pweの存在や それについての伝説を知っており,行ったことのある者もいるが,natに供え物をするた めでなく,物見遊山で出かけるだけである。Taungbyonの祭がWagaung月以外にNadaw, Tabaung月に行われることも知られていない。このことの理由は,以下のように考えられ る。 Taungbyonなどの祭を成立させているのは,職業的natkadawと商人や芸人,軍人・ 高官の妻などの都市の住人である。彼らは,企業の成功や商売の繁昌,栄達昇進を願って 供え物をする。このような“都市型”のNat信仰のあり方は,村・において見られない。村 人は,病気などになった時に,供え物をしてnatを慰撫し,不幸な状態の回復を願う。Nat がそのような状態の原因ゆえ行うものであり,商売の成功した暁には盛大な供え物をする というように,人間から積極的にnatに働きかけ取引きすることはない。村人にとって natは,病気を起したり悪い事をするとされ,必要で適切な態度・行動をとって保護を受 ける以上に,関与すべきものと考えられていない。特に男性は,natより位が高い(myint‐ myat)ので,仏事にのみ専念し,natの儀礼に携わるべきでないとされている。このように信仰のあり方が相異する54)だけでなく,Taungbyonなどの祭の雰囲気は,村人にとっ
てそぐわない。騒々しさ,過度の飲酒,過剰な性的雰囲気は,仏教の教えに背くものである55)。お祭り気分の伴う村のパゴダ祭においても,これらのことは少しも見られない。ま
たTaungbVonのNatは,一定の地域を支配するといわれるが,その領域はイラワデイ川 の東である。それゆえN村の人にとり,このNatがyoya-nat(血筋によって伝わるnat) すなわちSaingするnatの可能性は極めて薄く,祭に出かける義務はない56)。 ただ病気などになった時,村のnat-kadawからこれらの祭に行く様に言われ,何年間か 続けて供え物をしに行く例がある。この他,祭の時に食べ物を売ったりするために出かけ る例がある。 以上のようにTaungbyonの祭とN村との結びつきは薄いが,この祭に関係する風習が 村に一つ存在する。Taungbyonの祭が終わると,Taungbyon二兄弟Natの母親Medaw -gyiが,住いのPopa山へ戻るといわれる。その帰り道,彼女に悪いnat(makaung-soewa) 達がついてくるとされる。そこで,火を焚き,その廻りでアルミ缶等の音をたてるものを 叩き,これら悪霊を駆逐するという。Taungbyonの祭の後,すなわちWagaung月下弦Mem・KagoshimaUniv・ReS、CenterS,Pac.,VOL1,No.1,1980 の日で,日の入りに行う。昔は村中で行ったが,今は一部の家だけである。 7 . 火 祭 109 ビルマ暦の第7月Thadingyut月は,暦の上で雨期の終わりである。雨は,その後二ケ 月ほど降るが,量も日数も漸いに少なくなって行く。月の名が宗教的務め(thadin)の終 了(kyut)を意味するように,満月の日は,Waの終わりを標す儀礼(Wa-kyut-pwe)が 行われる。朝7時から8時には僧院でPawaranaが催される。近隣の僧院から多数の僧侶 を招待して行い,招待きれて近くの村の僧院へ赴く年もある。いづれにせよ僧侶だけで行 われるもので,互いにWaの間の罪を告白する。それゆえ一年で一番僧侶の純粋な時とさ れ,これから後の時期は,人々がkahteinを贈る(次章参照)など競って布施を行うとい う。なお僧侶の年を数える単位にwaを用いるが,この満月の日を過ぎて1法臆ta-waの 終了という。またwaの間僧衣で過した沙弥で遷俗を望む者に対し許可の与えられる (lu-wat-le-kwint)のもこの日である。 このように,Thadingyut月満月の日は,少なくとも僧院生活を送る者にとって,一年 を区切る最も主要な節目となっている。また俗人の年の区切りであるThingyanにgadaw (礼拝)が行われるように,この時にも,僧侶や年長者に対する礼拝がなされる。 (1)ThadingVutの火祭 Thadingyut満月の日を一年の流れの中で彩りあるものとするのは,火を灯す祭 (Thadingyut-mi-tun-pwe)である。天に行って母親に法話をしていた釈迦が降りてくる の を 照 ら す た め と の 説 明 が な さ れ る 。 N村では,正しくは満月の日の翌日,昏〈なりかける夕方5時頃,各家から女がsimi-kwet やろうそくを持って家を出る。前者は,小さなかわらけに油をしみ込ませた綿を載せたも のである。Ko-myo-shinの両(およびその付近の3つの小而),Ywa-daw-shinの洞,そ れに村内の4つの小洞を順々に廻り,火を灯す。この時,唱える文句は以下の様である。 Simiを託します。釈迦牟尼仏にsimiを供えて下さい。 家の中の仏壇にも灯され,仏陀の方角である東側の窓にはsimiが並べられ,家の守護 natの前にも置かれる。そしてYokkhazo-natのいる大木,牛,牛車,カマド,階段に対 して灯される。町から買って来た燈寵を吊している家もあり,子供達の中には,中にろう そくの灯された自動車や飛行機の形のおもちゃをひいて遊ぶ者達がいる。僧院やパゴダの 仏像に対しても火が灯されるが,必ずしも全てが供えに行くわけでない。 ところで各家の西側には,主屋と別に台所(mibo-gyaung)がある。簡単に屋根をつけ られただけのものもあり,別棟になっている場合もある。中には,台所用具や料理・食器 洗い用の水壷とともに,カマド(mibo)が据えられてある。これを叩くことは,父母を叩
くのと一緒であるといわれる。またカマドには,Nyaung-gyi-o-natがいるともいう57)。
このNatは,好まない人やカマドをまたいだり叩いたりする人に対し,窪みをもたらすと される。Thadingyut月下弦1日,料理の前に,カマドの三つ石に対し,ろうそくまたは 薪を燃やす。家族に癖みを与えないように祈ってのことである。 (2)Tazaungmon満月の日の行事Tazaungmon月の満月の日は,第二の火祭が行われる時で、あるが58),N村においては見
110 田村克己:上ビルマの一農村における年中儀礼と二元性 られない。村では,既に述べた墓地近くのパゴダ祭がある他,Wazo満月の日などの様に, サガイン・ヒルの僧院へ出かけるグループがある。
またこの日は,若者達がいたずら.泥棒をする日とされているが59),似たような風習が
N村においてもある。早朝または夜,人々に知られないうちに,盗んだものを人の通る道 や井戸の所に投げ棄てて置き,発見した人がそれを持ち去れるという。見つけるのは青年 達(Ka-la-thar)の楽しみであり,盗みを行うのも主として彼らである。今も一部行われて おり,また功徳を積むために,自分から金銭・衣類・食べ物などを,人に知られず誰にも 言わないように,同様に置いておく人もある。これは全ての人が行うといい,僧侶もする という。以上の風習は,pant-thaku-pヤit,と呼ばれる。また青年達は,鶏類をこっそりと捕 えて皆で食べることもする。町では金を集めて食べるという。 (3)Kaung-hmu-dawパゴダの祭 Waが終わると,マンダレー及びその近辺の大小さまざまなパゴダでは,次々とパゴダ 祭が行われる。それは,Waの間の仏教の修行的側面から以後の祝祭的側面への移り変わりを示すものであり60),N村から5マイル余離れたKaung-hmu-dawパゴダでも,サガイ.
ンの町や周辺の村々から多くの人々のやつく来る祭が行われる。祭は三度あり6VThadin-gyut月満月の日,Thadingyut月下弦6日から8日にかけて,それにTazaungmon月満 月の日である。二度の満月の日は,火を灯す祭(Mi-tun-pwe)であり,村人の中で,パゴ ダにろうそくの灯を供える人もいる。Thadingyut月の二度の祭は,Hsun-daw-gyiの祭 である。満月の前日および下弦5日に,白い衣に身を包んだ男性の一隊が道々米や金銭の 喜捨を求めて行くもので,基本的には,既に述べた村に来る一隊と異ならない。しかし, ここのhsun-daw-gyiは,飾り付けされたトラックに踊り手や楽隊を載せ,一隊250人位 の大規模なもので,見物人にとって娯楽的色彩の強いものである。それらは,サガインの 町の各地区で組織されたもので,朝サガインを出発し,途中喜捨を求め踊りを披露しなが ら,夕方3,4時から5,6時にかけて,次々とパゴダに到着する。全部で10隊近くあり,パゴダに一泊して翌朝7時頃,僧侶に斎飯を供える(hsun-kat)62)。またTazaungmon満
月の日にも,僧侶に斎飯を供えるグループがいる。 N村の殆んどの人は,三度の祭のうち少なくとも一度は出かける。パゴダを礼拝したり ろうそくを供えて功徳を積むためであることは言うまでもないが,何よりもこれらの祭は 彼らにとって大きな楽しみである。パゴダの周辺には,飲食店をはじめとして,様々な品 物を売る小屋が立ち並び,小さな見世物小屋だけでなく,劇(zat-pwe)やショー(pya-zat), 映画,拳闘などの小屋も掛けられる。パゴダ横の広場には,祭の委員会に招かれた人形劇 (yokthay-pwe)の舞台も設けられる。そして晴れ着を着飾った町や村の人で賑い,境内や 路端に鱒る乞食や大道芸人も話の種である。どのような俳優の劇や映画が催されるかは, 祭の前後,暫し若者達の話題である。友人と連れ立って行く者もあるが,一家揃って,簡 単な自炊具,食器を携え,それに牛の餌を載せて牛車で、来るのも多い。牛車は,食事やお 茶の場となり,広場の催しを見る時の観客席となり,宿泊所ともなる。帰りの車には,こ の時に買った品物が積まれる。先に述べたように祭には多数の店が並ぶが,策や篭などの 竹細工,鍬先や刀などの金属製品,壷や瓶,牛の綱等々,農作業や生活上の必需品を売る 店が殆んどで、ある。祭は,村人にとってこうした物を買う数少ない重要な機会である。そMem,KagoshmaUniv、Res,CenterS・Pac.,VOL1,No.1,1980 111 し て あ ち こ ち の 村 か ら 多 数 の 人 の 集 ま る こ の 時 は , 知 人 に 出 会 っ て 話 を 交 す 社 交 と 情 報 交 換の機会でもある。またN村の一部の人は,麺類や軽食類を売る店を出したり,商店を手 伝ったりして若干の収入を得る63)。 N村の大部分の人の行く大きなパゴダ祭は,Kaung-hmu-dawのそれであるが,マンダ レーのパゴダ祭や遠くShweboのパゴダ祭(Tagu月)に出かける人もいる。後者の例は, 村 で で き た と う も ろ こ し の 葉 を , 煙 草 を 巻 く 材 料 と し て 売 る た め で あ る 。 8.Kahtein 安居の期間が終わって一ヶ月間,すなわちThadingyut月下弦1日からTazaungmon 月満月の日までは,僧侶に法衣kahteinを送るKahtein-khin-pweが,ビルマ全土で行わ
れ
る
6
4
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。
かつて30人の僧侶が雨期の間旅行して,仏陀の所へ赴いた。道中,黄衣が破れ損われて し ま っ た 。 仏 陀 が 彼 ら に 何 か 困 る こ と は な い か と 尋 ね た と こ ろ , 法 衣 以 外 何 も な い と 答 え たという。そこで、,この法衣を贈る風習が以後行われるようになったという。 Kahteinは,パーリ語の“持続”を意味するKahtinaから来ており,法衣を贈る行為に よる5つの効験(a-ni-thin)が,常に僧院内に止まっていることを表す。Kahtein-khinは kahtein-khin-gyinで、あり,kahteinを展げ示すことを意味する。殊に僧院内に,床も壁 も完全に蔽うように展げることは,上述の効‘験が僧院内(若しくは僧侶の間)にあること を示す。ところで効験とは何であろうか。法衣を贈る良き行いにより,贈られた僧侶は, 守るべき227の戒律のうち5つを除外される。僧院長(または長老)の許可なしに旅行で きること,dukoat(重衣)・e-kathi(上衣)・kowut-thin-baing(内衣)を付けずに宿泊 できること,以後6ヶ月間,俗人による4体以上一緒の招待を受けられること,Tabaung 月満月まで3着を越える僧衣を持つこと,そして僧侶共有のものの中から自分のものを取 り出せることである。これが5つの効験であり,Talbaung月満月まで有効という。 Kahteim-khin-pweは,個人の主宰で行われることもあるが,町では,地区や学校,職 場,軍隊などが実行委員会を作って行う場合が多い。儀礼の前日には,贈られる品物が展 示される(thadu-anu-maw-dana)。それは,法衣だけでなく,帯・傘・鉢・洗面用具・ 暦など僧侶の日常の用に供するものも多数含まれる。この時多くの人々が招待されて見物 に来『時にe-khan-pwe(もてなしの踊)が催される。翌日朝に斎飯を差し上げた(hsun‐laung)後,僧院の戒壇堂(thein)にて儀礼が行われる65:最初の経文の謂唱の後,法衣を展
げ示す。そして謂唱,僧院長の法話,布施者(代表)によるye-zet-chaと続いた後,沙弥・ 俗人が外に出て,僧侶だけが残って,掌に字を書き,呪術的経文kam−ma−waを読調する。 Thadu,thaduの唱え言で儀礼は終わり,最後に法衣の分配が行われる。 Kahtein-khin-pweが,通常の布施と異って特別なもので、あるのは,贈られる僧侶の出 席を必要とすること,儀礼が戒壇堂内で執行されること,そしてkam-ma-waの読謂でもっ て儀礼の完了するためである。それは,一年一月,一月一回,一回一僧院,一僧院一Kahtein といわれ,一つの僧院で行うと他ですることはできないとされる。Kahtein-khin-pweを 行いたい人は,それゆえ未だ受け取っていない僧院を探し,そこで、kahteinを贈る機会が ある。これは,mo-bawkya-kahtein(天から出現のkahtein)と呼ばれる。この場合,俗112 田 村 . 克 己 : 上 ビ ル マ の 一 農 村 に お け る 年 中 儀 礼 と 二 元 性 人と僧侶の.間に,それ以前何の関係ももたれていない場合がある。 それでは,このように重視されるKahteinは,俗人にとってどのような意味があるので あろうか。功徳を積む行為の一つであることは言うまでもないが,kahteinを贈ることは 俗人にも5つの効験をもたらされるとされる。それは,無事に旅行できること,財産が敵 に よ っ て 壊 さ れ な い こ と , 稀 で 美 味 な 食 物 を 食 べ る こ と が で き , 例 え 毒 が 入 っ て い て も 犯 されないこと,財産の安全,他人以上に仕事で繁栄することである。いづれも世俗的。現 世的なものであることは,注目される。 N村において,Kahtein-khinpweは,村の行事として行われるものでない。或る個人 を中心として,親戚・友人から成るサークルが行う。しかし村人は,その年に誰がいつ行 うかを事前に知り,個々人として贈り物をする事が可能であり,儀礼にも招かれる。贈り 物は,木の形をした枠組に付けられ展示される。大きい方をhnyat-ma(中心の挟むもの), 小さい方をhnyat-yang(回りで挟むもの)というが,主宰者以外の人は,hnyat-maの 方へ贈り物をつける66)。 ところで,このhnyat-ma,hnyat-yangは,正月や得度式などで紙幣を貼りつけ供え物 をするものと同様である。後者は,padetha-pinを表すというが,それは仏教世界観の中