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(図6)仏教とNat信仰における関わり方の相違
124 田 村 克 己 : 上 ビ ル マ の 一 農 村 に お け る 年 中 儀 礼 と 二 元 性
に立つのである97)。ただ例外的にはpaVeik読諦の儀礼がある。この場合,僧が超自然的な 力を伝える媒介者として位置づけられるが,儀礼自体,功徳を積むことを目的とするもの でなく,呪術的.非仏教的様相をもつものである。なおpaya‑lugyiの存在があるが,彼ら は,聖俗の媒介者として機能するわけでなく,俗人の側にあって,正しい供え物の仕方や 僧との問答における適切な答えの知識でもって,儀礼の形式性を整える役割をしているに 過ぎない。
(2)男性と女性
男性は女性より位が高い(mvint‑mVat)といわれ,それゆえ,男性と女性の洗濯物を一緒 にしないとか,女性が男性の右側に寝ないなどという日常的禁制が存在する。それらを犯す と男性の有する徳(pon)が減るといわれるように,両者の相違は,僧と俗人との間のそ れと同様に,宗教的位置における存在の差異である。女性は,僧と対照的にneikbanによ り遠く位置するものとして規定され,一層の功徳を積む必要があるとされる。そのために 様々な仏教儀礼の行為者や参加者は,女性が圧倒的になる。しかしながら,女性は宗教的 に劣った存在,ponを持たない存在と認識されるため,儀礼の場面で,幾つかの制約が加 えられる。仏陀や僧を礼拝する時などは肩に掛けた布を手に狭んで,それを通して行わね ばならない。僧の法話において,必ず男性の存在を必要とし,また布施などの行為の証しと
して行うye‑zet‑chaは多く男性の手によってなされる。
既に述べたようにNat儀礼が女性の管掌するところであるのは,宗教的位置において,
natが男性と女性の間に位置するゆえである。すなわち男性は,natより位が高いので、関 わるべきでないとされ,女性に儀礼の執行が任される。女性は,個人のsaingするnatへの 供え物を自分自身のものに対してだけでなく,夫などの家族のためにも行うのである。
以上のように仏教儀礼,Nat儀礼いづれにも,女性が行為者・参加者として顕著である。
しかし,宗教的位階において劣位に位置するとの前提に立つ以上,このことが,宗教上・
儀礼上,また社会構造上のmatrifocalityを導くものでない。仏教儀礼において,女性は 間接的にしか聖なる世界に近づくことが出来ず,重要な点における男性の存在を必要とし ているのである。Nat儀礼は専ら女性の関わるところであるため,父方・夫方のsaingは忘 失されていく傾向があるが,saingの継承の原則が双系的であり,既述のように 閉じられ た 性格の信仰であるゆえに,matrifocalな社会関係や集団の形成をもたらすに至らない。
男性と女性の存在の相違は,ビルマの社会生活における性と年齢による区別に反映し,
逆にそれにより補強される。日常的に,男性は男性のみで,女性は女性のみで仲間関係を 持ち,それぞれが年齢に応じた幾つかの集まりを形成し,相互訪問をし茶を飲み会話を交 わす。農作業において,田植や除草などでは女性のみで作業グループを作る。儀礼の場や 映画・ショーを観る場合においても,男性と女性が別れて着席する。性と年齢による区別 が顕著に現れるのは,村のパゴダ祭の準備や得度式・結婚式などの準備にあたってである。
村には,半公式的な儀礼互助組織(thayenaye‑athin)があり,僧侶に御飯等を差し上げ る年長男性のグループ,客人の接待・御飯を炊く仕事・オカズをつくる仕事にあたる壮年 男子の各グループ,茶の持ち運びや力仕事にあたる青年(ka‑Ia‑thar)グループそれに女性 の グ ル ー プ に わ か れ , そ れ ぞ れ に 長 を 持 つ 。 こ の よ う な 性 と 年 齢 に よ る 役 割 分 担 は , mithazuパゴダの祭をはじめ他の共同飲食を伴う布施の機会に,儀礼参加者の間の中で,
Mem,KagoshimaUniv、Res,CenterS・Pac.,VoL1,No.1,1980 125
同じ様に見られる。そして男性は,儀礼自体に直接加わらなくても,それに付随する仕事 を各々の分担に応じ行うことによって,功徳を積むのである。なお年長者と年少者は,前
者が優位に立つ関係にあり,後者から,Thingyanの時のように礼拝を受け,敬意をもっ て接せられる。(3)Nat‑kadaw
儀礼の専門家としてnat‑kadawの存在を忘れることはできない。現在N村に2人おり,
いづれも女性である。しかし都市を中心に見られる職業的nat‑kadawと異なり,奉持する natと結婚式を挙げるというような特別な儀礼を経てなるものでない。他の人々から,専 門職としてより,儀礼の順序や供え物の仕方を知っている人として,paya‑Iugyiと若干類.
似した受け止められ方をされることがある。このことは,そうした知識を持っていれば 一般の女性もnatへの供え物のできることを意味し,全てのNat儀礼にnat‑kadawの介 在しない理由でもある。Nat‑kadawのうち一人は,自らnat‑kadawでないと言い,魂 (leikpya)が美しいので,natによって選ばれて行っていると語る。それはnatにとって
も人々にとっても利益になるからであると言う。
しかし彼女自身natに選ばれたと語っているように,幾つかの点で,村のnat‑kadaw も一般の人々と異なった存在である。彼女は,病気の診断にあたってKo‑myo岸Shinの命 令を聞くことが出来,儀礼において想依状態の彼女の口からnatの言葉が語られるように,
人とnatの間にあって,霊的能力を持つ媒介者として存在する。彼女自身,他の人がnat を呼ぼうとしても来ない,その代わりnat,がnge‑kyun(若い奴隷=nat‑kadawのこと)
を連れて来るように要求すると語っている98)。
勿論nat‑kadawは,村の正式の役職者でない。それぞれが病気診断.治癒や通過儀礼 における供進などに当たる顧客を持つが,年長の方が,儀礼を「よりできる」ゆえ,個人 的儀礼に呼ばれる回数も多く,また村のNat儀礼を執行する。しかしnatkadawは,男 性から若干胡散臭〈見られる存在であり,それはNat信仰自体に対しても同様である。既 に述べたように男性とnatの宗教的位置関係のゆえであるが,それ以上にNat信仰のあり 方そのものに由るとも考えられる。すなわちNat儀礼は,病気や厄除け。稔りなど,現実 に起った,若しくは予想される事態に対・して為されるものであり,或る意味で、処世的なも のである。それは,一定の状況に対し個々人が,様々な世俗的方策を用いて対処していく のと本質的に相違しない。事態処理の一手段として個人的関係の網の目を用い自分の利益 を引き出していくが,そうした個人的関係の一つがnatとの関係とも考えられる。これに 対し仏教は,村人などにおいて現世利益的色彩をもって語られるにもかかわらず,究極的 には人間の存在のあり方自体を(少なくとも来世において)変える教えである。Nat信仰 が現実にのみ関わり剃那的であるのに対し,仏教は,来世にわたる広がりの中に個人々々 の行為を位置づけていく。仏教行為自身,功徳の形でi残され,より豊かで幸せな再生への 希望をもたらすものである。Natは,保護を与えてくれるものであるにもかかわらず,何 らかの行為で怒らせると病気や不幸をもたらすように,悪い事をするものとして受け止め られる方が多い。
以上のような仏教とNat信仰のあり方の相違は,人々の間に,両者の優劣をつけさせる ことになる。言うまでもなく,仏教が優れたものである。或る男性が語るように,Nat信
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仰は,「それで病気が治ってくれるなら」という程度に位置づけられる。
3.年中儀礼と農耕 (1)仏教儀礼と農耕
年中儀礼の中には幾つか農耕儀礼的意味を持つものがある。しかし農耕儀礼そのものは 殆んど見当らない。ただ田植や収穫にあたり,田を守るNatや稲のNatに対し,田の隅 で供え物がなされることが行われるが,その田で仕事をする者が簡単に行うだけである。
このように農耕儀礼が顕著に見られないのは何故であろうか。
第一に考えられるのは,N村が水田・畑作の混合地域であって,必ずしも稲作が生業上 大きな比重を占めていないことである。しかし,ビルマの農村の年中儀礼を扱う他の報告
においても,農耕儀礼が全体の中で主要な位置を持つとは考えられない99)。それは,仏教
儀礼がビルマ社会において中心的な位置を占めているためであり,また元来農耕儀礼的な ものが仏教儀礼の装いをまとっているためである。Kahtein儀礼に豊焼予祝的意味のある ことは既に述べたところであるが,Htamne作りにおいても,得られた収穫物の一番最初 の一番良い所を尊敬すべき対象にささげるという考え方が述べられており,元来初穂儀礼であった可能性をうかがわせる'00)。
村人にとって,仏教儀礼を行うことや日々仏教的行為を実践することは,単に来‑世のた めでなく現世の上で,豊かさや健康や幸せをもたらすものとされている。従って,農耕の
豊鏡を願う行事が仏教儀礼の姿をとることは決して不思議ではない'01)。しかし,仏教儀礼
は何よりも功徳を積むことを目的とするものであり,個々の年の豊焼の願いは,来世に及 ぶ豊かさ一般の中に溶け込み,功徳という抽象的概念で置き換えられてしまう。それゆえ 仏教的色彩におおわれた農耕儀礼は,本来の意味が大きく後退することになる。また仏教 儀礼は,何時でも行うことが出来,何時なされる儀礼も等しい価値を持つものであるが,そのために農耕儀礼を成り立たせている主要な要素の季節性・時間性を奪い,一層儀礼に おける農耕儀礼的色彩を薄める結果になったと考えられる。
(2)Nat儀礼と農耕
Nat信仰は,前章に述べたように具体的現実に関わり処世的なものであるゆえ,個々の 年の豊かな稔りを願い実現させるのに,一層適したものである。なによりもnat自身,そ の個別性ゆえに機能分化をしており,田を守るNatや稲のNatなどが存在する。村のNat 儀礼が収穫感謝の意味を持つことは述べた所であるが,近隣で行われるnat‑pweも,その 名称からして農耕との結び、つきを示している。Legyi‑bodawgyiは「大きな田のお爺さん」
の意味であり,Ti‑byu‑saunt‑natは別名Pe‑ghwe‑natと呼ばれる。Peは豆の意味である'0W ところで,こうした近隣のnat‑pweが大規模化し, 都市型,'Nat信仰と結び、ついたのが Taunglbyonのnat‑pweであるが,それが元来農耕儀礼としての意味を持っていた点は,
かつて論じたことがある。Nadaw月の祭りは,伝説上二兄弟のNatが中国遠征に出かけ るための祭であり,この時に遠征の食料として近隣の村々から様々な農作物がNatに捧 げられ祭壇上に吊されるのは,明らかに収穫祭としての姿をとどめている。これに対し,
Tabaung月の祭は遠征からの帰還を記念して行われるが,この双方の祭から穀霊去来観