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自己金融の一考察 : ゼリエンの所論を中心として

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(1)

自己金融の一考察 : ゼリエンの所論を中心として

その他のタイトル A Consideration on the Internal Financing

著者 清水 宗一

雑誌名 關西大學商學論集

巻 6

号 2

ページ 113‑128

発行年 1961‑06‑30

URL http://hdl.handle.net/10112/00021693

(2)

ドイッ企業財務論はシュマーレンバッハによってその基礎をきずかれたことはおよそ周知のごとくである︒かれ

はその膨大な会計学的経営学的研究の一環として財務論の研究を行なったのであり︑その初期の研究は動的会計論

や原価計算論に関する研究とともにつとにわが国に紹介された︒ところで︑時代はうつり︑戦後において新しい問

題意識の下に幾人かの学者によって財務論の体系が整えられている︒その一っとして一九五二年に西独で公にされ

たゼリニン

( H e l m u t S e l l i e n )

の企業財務論の研究がある︒その表題は﹁財務と財務計画﹂である

( H . S e l l i e n ,  

••Finanzierung

u n d   F i n a n z p l a n u n g , ,   W i e s b a d e n   1

95 2.

︒この書物において企業財務論におけるすべての問題)

が手際よく論ぜられている︒それにもかかわらず︑

自己金融の一考察

自 己 金 融 の

かれの研究は最近に至るまで必ずしも正当な評価を受けていな ーゼリエンの所論を中心としてー—

考 察

(3)

114 

g)   sa un er un  

れば幸いである︒

このことからすでに利益蓄積 自己金融の1

考察

( 1 )  

かったようであり︑わが国でもかれの所論はあまり知られていない︒もちろん自己金融論についてもまった<論評

( 2 )  

されていない︒この小稿では︑私の企業財務論研究の一つの作業として︑かれの著書によってその自己金融論を究

明しようと思う︒

( 1

)ローマソ教授は一九五九年の一論文において︑ゲルストナー︑ベックマン︑シェーファ︑メレロヴィッツ︑リーガーなど

の著名な著者たちの企業財務問題に関する見解に対して批判を行なったさい︑ゼリエンの著書に論及して︑非常に造詣あ る概論と評し︑かれの思想が確かな地位を占めるだろうということを述べている

(M ar ti Ln oh ma n,  Fr ei bu rg i .     B r ・ "

  Zu r  Pr ob le ma ti k  d er   go ld en en   B i l a n z r e g e l D ,   ie   Wi r t sc h a ft s p rt i f un g

̀ Ja h r g.   12•Nr.

6.  1 9 5 9 

S.  1 4

7 . )

(2)小稿は「企業会計」第十三巻•第八号所掲の拙稿「企業財務の方法」の続論をなすものであるので、右の拙稿を併読され

ゼリニンの自己金融概念をは握することにしよう︒かれは自己金融そのものについて必ずしも

明確な概念規定をほどこしていないので︑具体的な用語例から推論することによって概念内容をは握するほかはな

い︒以下においてかれの論述をみるに︑企業形態別に出資金融を論じた箇所でかれはつぎのようにいっている︒す

﹁われわれは個人企業の形態をした各種の規模の経営を︑また幾十年の間にとくに利益蓄積

(G ew in nt he

を通じて高度に発達してきた世界的名声ある経営をすら知っている︒

(S el bs tf in an zi er un g) )

が出資金融

(E ig en fi na nz ie ru ng )

の一層広い可能性であることが明らかにな

( 1 )  

る︒利益を消費しつくさないことによって資本を規則的に増加することができる﹂と︒また︑自己金融を詳論して

(4)

れば︑利益の蓄積すなわち利益の留保である︒ たどるならば︑自己金融が自己資本の調達︑ 自己資本が他人資本のために保証資本

(G

ar

an

ti

ek

ap

it

al

)

の機能を有しているのと同様に︑基礎資本

(G

ru

nd

のための保証資本が公示積立金や秘密積立金の形態で調達される︒この積立金の蓄積は自己金融の概念

( 2 )  

に属している︒狭義における財務は自己資本および他人資本の調達であるが︑自己資本調達のさいの

Ei

ge

n

己金融のさいの

Se

lb

st

とを対照させるとき︑両者の差異は見い出されず︑両方の概念が同一の出来事に対してニ

重に用いられているのである︒企業は主体的性格と客体的性格とを同時にもっているべきはずであるが︑それは企

業者がある企業の所有者であるという理由で不可能である︒もしも自己金融のために要求される手段の生成の跡を

にほかならないということを明白に認識できる︒この附加的自己資本は株式会社においては法律上の理由により本

来の基礎資本または基本的資本

(S

ta

mm

ka

pi

ta

l)

と融合されずまた計算上でも合算されないのに対して人的企業

( 3 )  

においてはこの過程が実際に認められている︒

一層適切にいえば附加的自己資本

(e

ig

en

es

Zu

sa

tz

ka

pi

ta

l)

 

かれの以上のような所説を総合してできるだけ短く圧縮するとつぎのようにいえよう︒すなわち︑自己金

融とは︑基礎資本もしくは基本的資本のための保証資本としての機能をもつ附加的自己資本の調達であり︑約言す

ところで︑ここでとくにわれわれの興味をひくのは︑

自己金融の一考察ー︵清水︶

k a p i

t a l )

 

いる箇所でかれは大要つぎのように説明している︒

の調達

かれにおいては︑自己金融によって調達される資本は企業

が自己の力によって内部的に調達した資本というよりも︑企業者によって調達された資本であると解されている点

である︒このことは︑企業が主体的性格と客体的性格とを同時にもつことが不可能であるとする所論からも知られ

(5)

116 

自己金融の一考察

一層決定的にはかれがつぎのように論じているところからもうかがわれる︒すなわち︑

ない利益の資本勘定への振替または積立金形成

( R

e s

e r

v e

n b

i l

d u

n g

)

を自己金融と名づけることは正しいことであ

ろうか︒本来は純利益の全体

(g

es

am

te

r

R e

i n

e r

t r

a g

)  

が自己資本出資者に帰属し従って法律上もまた自己資本

出資者に支払われるべきである︒ただ︑自己資本出資者は相応の利子支払いで満足しているので︑必ずしも意識し

ていないのではあるが︑純利益の一部を放棄し︑企業に自由に使用させるのである︒従って︑基本的資本の調達の

さいと全く同様に自己資本の調達が問題になっている︒企業が自分自身を設立したことがないのと同様に︑企業が

( 4 )  

前述の処理によって自分自己に金融をしたことがないのである﹂と︒また︑

待することは不適当であろう︒なぜなら︑自己金融においては︑本来は株主に帰属する利益が企業内に留保される

( 5 )  

ことに株主が同意するかどうかは実際企業の所有者すなわち株主の好意にかなり依存しているからである﹂と︒

これらの論述から察するところ︑

るようである︒かくて︑結局︑

かれにおいては︑企業者的観点がつよく表面に打ち出されていて︑

点は後方に押しこめられているように思われる︒

企業体的観

かれは企業に主体性がなく︑企業者に主体性があるとい

うことを前提にしているために︑利益の留保分はたとえ企業に留保されるものであるにしても︑企業に帰属したも

のではなく︑企業者もしくは所有者に帰属するものであり︑従って企業者の資本にほかならないとかれは考えてい

かれは出資金融が企業の外部からの資本調達であるのに対して自己金融が企業内部

( 6 )  

における資本の形成であるという思考と別れることになり︑出資金融と自己金融との差異はかれにあっては単に前

者が企業者による基本的自己資本調達であり︑後者が企業者による附加的自己資本調達である点に求められる︒そ

して︑こうした考え方にもとづいて︑利益の留保分である積立金と︑株主によって直接に払込まれた資本である額 ﹁自己金融からひょっとして利益を期 1

一 六

(6)

(8 ) 

(7 ) 

(6 ) 

(3 ) 

( 4 )  

(5 ) 

(2)  (1 )

( 7 ) ( 8 )  

面超過金とが全く同列に扱われてしまうことになる︒しかし︑自己金融についてのかような考え方は︑自己金融の 以上で︑自己金融の概念に関するゼリニンの所論を考察してきた︒さらに進んで︑次項で自己金融の手段に関す

S el l i en ,   F in an zi er un g  u nd   Fina nz pl an un g, .     S

37 . 

かれは自己資本および他人資本の調達を狭義の財務と解し︑資金調達を広義の財務と解している︒この点については拙 稿﹁企業財務の方法﹂参照︒

De rs el be ,  a .   a .   0 . ,   S .   6

7.  

De rs el be ,  a .   a .   0 . ,   S .  

68 . 

De rs el be ,  a .   a .   0 . ,   S .  

91 .  このことに関して例えばベックマンはつぎのような見解を示している︒すなわち︑﹁自己金融とは経営経済の自力での 資本調達である︒従って︑そこでは︑甚本的な自己資本や他人資本のように外部から来る資本が問題ではなくして︑そ の経営経済内部において増殖する資本が問題である﹂(L.

Be ck ma nn ,  Di e  b e tr i e bs w i rt s c ha f t li c h e  Fi na nz ie ru ng , 

19 56 , 

s .  

37 .)

と ︒ これは剰余金の区別にまつわる問題であり︑それに関連するすべての問題については︑昭和

3 5 年に私が日本経営学会高 松大会のために行なった報告﹁資本と利益との区別﹂において検討した︒

ゼリエン自身は図式を示しているわけではないが︑理解の便宜上︑

融の位置づけをすると︑つぎのようになるだろう︒

Ei ge nf in an zi er un g  }E ig en ka   p i   ta lb es ch af fu ng   Se lb st fi na nz ie r ung  自己金融の一考察

るかれの所論を考察することにする︒ 本質を正しく解釈するものとはいえない︒

ハーゲスト流に図式を用いて体系的にかれの自己金

(7)

18 

自己金融の一考察

Fr em df in an zi er un

g

Fr em dk ap it al be sc ha ff un g 

ちなみに︑ハーゲストはつぎの図式を示している

(K•Hagest,,Selbstfinanzierung

de s  B e tr i e bs ,  1 95 2,

S .  

  2

6.

)

Fr em df in an zi er un g Fi na nz ie ru ng m  it   Fr em dk ap it al   E ig en fi na n, ie rn ng l  Ka pi ta l bildu

ng  v on   au ze n 

Fi na nz ie ru ng i  m t  Eigen

ka pi ta l  Ka pi ta l bildung

  vo n  i nn en

S e

!   b s tf i n an z i er u n g  ここでは︑自己金融の手段についてゼリニンが具体的に論じているところを検討することにしよう︒

利益の蓄積によって自己資本を増加することは企業形態のいかんを問わないわけであるから︑かれは企業形態別 に出資金融を論じた箇所ですでに自己金融に論及している︒しかし︑そこでは︑個人企業や合名会社においては純 利益が資本金勘定に貸記されるのに対して︑協同組合︑有限責任会社および株式会社においては消費されざる利益

( 1 )  

が積立金勘定という附加的資本勘定に貸記されることを指摘するにとどまっている︒そして︑自己金融を詳論して いる箇所では資本的会社における稼立金の形成に多くのスペースをあてているので︑

に積立金の形成の問題を検討しよう︒

まず順序としてかれの公示積立金

(o ff en e Ri .i ck la ge n)   正常な営業経過において年々継続的に企業に与えられるところの資本は株式会社においては種々の附加的資本勘

についての所論をみるに︑ われわれもかれに従ってつぎ

かれはおよそつぎのように述 ニ八

(8)

定によって拘束されうる︒それには法定横立金

( g e s

e t z l

i c h e

般的な目的のために設定された任意積立金

( f r e

i w i l

l i g e

R i . i

c k l a

g e n )

 

( 2 )

3) 必要の場合には帳簿上の欠損填補に充当される︒

する所論に眼をうつしてみると︑

R t

i c

k l

a g

e )

がまず第一にあげられる︒この積立金は

﹁欠損の填補のため﹂にのみ充当することが許される︒従ってこの積立金は実際上自己資本と同じ性格をもってい る︒この積立金は欠損が発生しない限り自己資本と同様に長く企業の自由な運用に供せられうる︒同様のことは一

の場合にもあてはまる︒任意積立金もまた

以上が公示積立金に関する所論であるが︑別に一般の場合と変わったところはないので︑直ちに秘密積立金に関

かれは秘密積立金の発生事情についてつぎのように述べている︒すなわち︑

示積立金にもとづく自己金融におけると同一の過程が︑経済的な見地からすると︑結局秘密積立金

( s t i

l l e

Re

se

r,

  による従って利益を明示しないことにもとづく自己金融においても存在する︒この場合にも純利益の一部分 は企業内に滞留する︒ただ︑それは明示されないで︑資産価値の過小評価︑過大な減価償却または負債の過大評価

( 4 )  

によって隠される﹂と︒

このような論述は別にいうほどのことはない︒それよりもむしろ︑このあと︑

かれが留保されて明示されない利

益は︑原則として︑自己資本出資者に帰属するのであるが︑株主の公式の同意なしに企業に自己資本として役立つ 資本であるとし︑法律上自己資本出資者に支払われるべきはずである利益額が企業の支配下におかれてしまってい

( 4 )  

るから︑自己金融のことをよくいうことができないという見解を示している点が注目される︒要するに︑自己金融 資本の経済的源泉が自己資本出資者の放棄した利益部分であると考えられていることが明らかである︒そして︑こ

の見解は考え方としては何らの特色もないが︑前項でわれわれがは握したかれの自己金融概念と符合するものであ ven) 

自己金融の一考察

﹁ 公

(9)

120 

< 

かれにとっては第二の点がとくに重要性をもっている︒いまこれをかれの説明に 自己金融の1考察

る点は注意を要する︒そして︑その結果として︑

発行のさいの額面超過金とが全く同列に扱われていて︑明確な区別が見出されないという不備が露呈されるにいた

かれの考え方でいくと︑両者はともに法律上の理由から基礎資本と合算されないものであり︑

( 5 )  

しかして︑財務の観点から無利子の資本であるというのであるが︑株主によって直接払い込まれた資本である額面

さて︑さらに進んで︑ かれにおいては︑秘密積立金︵公示積立金も同様︶と株式の打歩

かれが公示積立金と秘密積立金との相違について論じているところをみることにしよう0

第一の相違点は︑公示積立金の場合には利益の留保が株主の同意によって行なわれるのに対して︑秘密積立金の

場合には利益の留保が株主の同意なくして行なわれるということである︒

第二の相違点は︑公示積立金と秘密積立金とでは財務の観点からするとその時間的活動半径

( N e i

t l i c

h e

( 4 )  

w e

i t

e )

が著しく相違するということである︒

ところで︑かれは今日しろうとでも秘密積立金の存在を知っているので株主の暗黙の同意があるわけであるし︑

( 4 )  

また︑株主総会で取締役に秘密積立金についての説明を求めることは株主の勝手であるとして︑第一の点を重視し

﹁秘密積立金は資産部分を貨幣転換のさいにおそらく獲得することができるであろう金額をもってではな

一層低い金額をもって評価することによって発生する︒それから実際に貨幣転換が行なわれるときに︑隠され

た利益がわれわれの眼前に公開されるeこのように暴露されたこの秘密積立金はいまや利益として分配されるか︑

あるいはーもしその金額が附加的資本として留保されねばならないならばーーある公示積立金に変形されるかす 超過金と秘密積立金とを同列に扱うことは妥当でないと思う︒

R e i c

h ‑

(10)

121 

(3 ) 

(2 ) 

るであろう︒だが︑このようなことは︑たいていの場合に︑利益を目に見ることをできなくしている諸原因により

( 6 )  

ほとんど起りえないであろう﹂と︒この論述から察するところ︑公示積立金は欠損が発生しない限り基本的資本と

同様に長く企業の自由な運用に供されうるのに対して︑秘密積立金はそれを創造させた資産の貨幣転換によって容

易に取崩されるために︑それが企業的に滞留する期間が公示積立金のそれほど長くないと考えられている︒

かれは大部分の目的物の切迫した貨幣転換のゆえに一度だけの秘密留保

( s t i

l l e s

R e

s e

r v

i e

r e

n )

で必ず

( 6 )  

しも十分でないとして︑別の目的物を再三求めて秘密留保を持続的に行なうべきであるという考え方をとり︑

適切な方法は秘密積立金を土地で留保することであると主張している︒そして︑秘密積立金を土地で留保すること

が適切である理由は︑土地が消耗しないものであり︑売却を通じてのみ行なわれるその貨幣転換が通常無期延期さ

れており︑さらにそのうえ︑企業の終末と時を同じくするという点に求められている︒

それでは︑積立金の形成による自己金融にはいかなる利点があるであろうか︒このことに関するかれの所論を整

理して要約するとつぎのごとくである︒

( 1 )  

金の存在は︑企業の繁栄を何よりもまず配慮しなければならない経営者に多くの点において行動の自由を許し︑そ

( 7 )  

れがなんといっても会社の利益になりうる︒ 積立金は財務の観点から無利子の︑すなわち配当請求権のない自己資本と称することができるので︑積立

企業が資本の一部を長期他人資本の形態で調達している場合には︑分配されない純利益を長期他人資本の

( 8 )  

償還に運用することによって収益性を高めることができる︒

企業が数年間にわたって多額の積立金を蓄積してきている場合には︑

自己金融の一考察 不十分なあるいは全く欠如した収益

(11)

12‑2 

当価値

(A

bn

ut

zu

ng

sg

eg

en

we

rt

e)

自己金融の一考察

かれは自己金融の利点を認めるのみで︑その欠点を認めないのかというと︑けっしてそうではない︒

すでにみたように︑かれは法律上自己資本出資者に支払われるべきはずである利益額が企業の支配下におかれてし

まっているから自己金融のことをよくいうことができないと述べているし︑また︑秘密積立金の形成が配当縮小と

(10) いう自己資本出資者の犠牲によるものであることをも指摘しているのであり︑これらの諸点から推察して︑かれに

おいては︑自己資本出資者すなわち株主の利益を犠牲にするということが自己金融の欠点として考えられていると

一般に自己金融の有力な手段であると考えられている減価償却についての所論をみることにしよう︒か

れは自己金融に関連して減価償却をつぎのように述べている︒すなち︑

よる正常な減価償却

(A

bs

ch

re

ib

un

ge

n)

が実務上出資金融の意味における財務手段

( F

i n

a n

z i

e r

u n

g s

m i

t t e l

)

しばしば解されているということをも指摘しなければならない︒しかしながら︑ここにおいてほけっしてわれわれ

のいう意味での財務が問題になっているのではないことは確かである︒なぜなら︑減価償却によってけっして新し

い資本がなんらかの形態をして企業に与えられるのではなく︑早晩再調達されなければならない消耗価値が︑設備

価値の消耗分の算入されている生産物の販売によって貨幣に転換しておるにすぎないからである︒この消耗価値相

は理論的には︑資産価値の完全な消耗の後にそれが同一物の再調達のために

充当されうるまで︑現金または預金で蓄積されるべきはずである︒ところで︑実際に︑消耗価値相当価値がその正

(10) 当な利用に至るまで現金または預金で蓄積されるということは行なわれない﹂と︒

( 9 )  

性から結果する利益減少が数年間は表面に現われない︒

﹁この関連においてさらに建物︑機械等に

(12)

以上の所論から察するところ︑

が流動資本化することであると考えられており︑その意味では減価償却の理解の仕方は正当であると一応いえるか

もしれない︒しかし︑ここにおいてはかれのいう意味での財務が問題になっているのではないとして︑減価償却の

本質を自己金融手段として正しく解釈していないかのような説明が行なわれているところに問題がある︒そして︑

かれが自己金融を企業者による附加的自己資本調達であるとする見地をとっていることとつながりを

有している︒自己金融を狭く利益の蓄積もしくは積立金の形成と考え︑

を企業自体による内部的資本調達として解さないで︑企業者による附加的自己資本調達と解するために︑自己金融

手段としての減価償却の意義を閑却することになる︒

かれの見解では︑減価償却は新しい資本が企業に流入するのではなく︑固定資本

しかも︑利益の蓄積もしくは積立金の形成

かれは減価償却によって自由化された資本を減価償却資本

(A bs ch re ib un gs ka pi ta l)

まずかれは減価償却資本のための有利な運用方法として拡張投資をあげ︑これを大要つぎのように述べている︒

後の或る時期にはじめて必要とされる消耗価値相当価値を企業の他の目的に運用するという慣習に対しては︑業

がどっちみち新しい資本の調達によって行なわれていたであろうときにはなん

の異論もない︒企業が減価償却資本を運用するおかげで設備更新の時期が到来するまで新しい資本を調達しなくて

すむような場合には︑この処理は是認される︒従って消耗価値相当価値を使っての計画的な業務拡張にはなんの異

論もないが︑もし業務拡張が計画的に行なわれず︑資金が自由になるという理由のみで行なわれるならば︑それは

( 1 1 )  

もちろん是認することができない︒

自己金融の一考察 務拡張

(G es ch af ts er we it er un g)

その運用について論じている︒

(13)

124 

( 2 )  

( 1 )

減価償却資本の運用に関する論述を結んでいる︒すなわち︑﹁減価償却を通じてある一定期間自由化された資本が︑

自己金融の一考察

かれは新しい資本を調達してでもぜひ拡張を実施しなければならないような場合において減価償却資

本を業務拡張に運用することが是認されるという見解を明らかにしているわけである︒

ところで︑拡張投資以外の減価償却資本の運用方法について論じているところをみるに︑かれは減価償却資本の

( 1 2 )  

一層収益のある運用方法として有価証券に投資する方法をあげている︒このような運用方法が収益性を高めること

になると考えられていることは明白であろう︒また︑その他の運用方法については︑かれは設備のための資本が社

債によって調達されている場合に減価償却によって自由化される資金をこの社債の償還にも運用できることを指摘

( 1 3 )  

しており︑ここでも︑収益性の考慮が払われていることがうかがわれる︒さらに︑かれは減価償却資本を短期信用

(13) の返済︑総じて経営資本の需要にすら運用できることにもふれている︒そしてかれは最後につぎのように述べて︑

その企業内に発生する種々の資本需要の充足に運用されうるのは︑原則として︑補充調達の時期にこの場合のため

( 1 3 )  

に準備された資本が意のままになるという根拠のある見込があるときである﹂と︒つまり︑ここでは︑将来相当な

留保利益が生じそれをもって旧設備の更新を行なうことのできる見込のあるときに︑減価償却資本を資本需要の充

足に運用しうることを説いているのであり︑減価償却資本を慎重に運用すぺきであるとする考え方の現われとみて

S e l l i e n ,   F in an zi er un g  u nd   Fi na nz pl an E1 g, s s  

.   37

‑ 4 4 .

なお︑この点については︑前掲拙稿﹁企業財務の方法﹂参

D er s e lb e ,   a .   a .   0 . ,   S S.  

68

9 .なお︑ついでに附言しておくが︑かれは積立金に関連して︑配当金として支出予定の利 益額は総会の決議に至るまではつねに企業内部に滞留して財務手段︵他人資本の意味において︶として重要な役割を果

(14)

( 1 2 )  

( 8 )  

. ︵9

) 

( 1 0 )  

(11) 

( 7 )  

( 6 )  

( 3 )   ( 4 )   ( 5 )  

しうるがゆえに︑高収益をあげていて相応して高率の利益配当を行なっている会社においては︑いかなる時期にこの利 益額の分配についての決議を行なうべきかということは十分に考慮されなければならないと述べている

( D e r s e l b e , a .   a .   0 . ,   S S.  

6 9

70 .)

︒ただし︑かれがそのような支出予定の利益の滞留を自己金融手段として解しているのでないとい

うことは︑﹁他人資本の意味において﹂と断っていることから明らかである︒

欠損坦補については︑たとえば︑拙稿﹁剰余金による欠損浜補﹂︵山下勝治編﹃会計学総論﹄所収︶参照のこと︒

D er s e lb e ,   a .   a .   0 . ,   S .  

70 . 

D er s e lb e ,  a .   a .   0 . ,   S .  

68

72 .

D er s e lb e ,   a .   a .   0 . ,   S .  

7 1 .

もっとも︑かれは︑また﹁自己金融によって︑調達された附加的資本は自己資本と全く回

様に1

先に述べた比較的重要でない条件付で

1いつも拘束されていて︑それゆえに経営価値の市場接近と無関係で

( D e r s e l b e , a .   a .   0 . ,   S .  

75 .)

とも述べているので︑この記述からみて︑かれの見解では︑ここに提唱する方法

によって秘密積立金にも公示積立金と同程度の自己資本的性格をもたすことができると考えられていると解すべきであ

D er s e lb e ,  a .   a .   0 . ,   S S.  

72

3.

したがって資本費用

( Ka p i ta l k os t e n)

の点から企業にとって有利であるということになる。なお、資本費用については、たとえば、植野郁太「資金コストの三つの理念」(「企業会計」第十三巻•第五号

所収︶を参照のこと︒

D er s e lb e ,   a .   a .   0 . ,   S .  

7 7・  

D er s e lb e ,  a .   a .   0 . ,   S .  

90 . 

D er s e lb e ,  a .   a .   0 . ,   S .  

73 . 

D er s e lb e ,  a .   a .   0 . ,   S S.  

73

4

.

なお︑このことに関してベックマンも︑減価償却を通じて回収された価値を蓄積する

ことによって原料︑商品等の在庫品を増加させたり︑或るいは︑減価償却によって回収された価値を設備資産の拡張に

規則的に運用しうることを説明している

(B ec km an n, Di e  b e t r i e b s w i r t s c h a f t l i c h e   Fi na nz ie ru ng

̀s s.

 1 2 0

21

.)

S e l l i e n ,   a .   a .   0 . ,   S .  

74 . 

自己金融の一考察

(15)

126 

( 1

3 )  

自己金融の一考察

を通じて自己金融の強化をは

D er s e lb e ,  a .   a .   0 . ,  

S.  7 5.

かれは借入金融を論ずるさいにも﹁設備に投液された資本は償却価値部分を通じて回収さ れ︑しかも他人資本の償還に運用されうる﹂と述べている

( D e r s e l b e , a .   a .   0 . ,  

S.  77

.)︒なお︑ほぼ同一趣旨の論述

はベックマンにもみられ︑かれは社債資本を用いて建設された設備の減価償却回収額を当該社債の償還に運用しうるこ

とを説明している

(B ec km an n, a .   a .   0 . ,   S.  1 49

.)

いま︱つの問題がある︒それは税と自己金融との関係についてである︒かれは﹁税を考慮しての財務﹂

という章において税の財務に及ぼす影響を考察するさい︑税の節約

(E in sp ar un g) かることができることを例をあげて説明し︑具体性のある議論を展開している︒

かれは税節約によって自己金融を一層強化する例として個人企業を人的会社へ組織変更する場合をあげて

いる︒すなわち︑

かれは個人企業の所有者の高所得のさい︑高い累進税率のゆえに個人消費のための引出しの後に は僅かな利益しか企業内に残らないような場合には︑所得を一人の人に集中することを避けて︑所得を数人の親族 に割当てることによって自己金融を強化することができるという見解を示している︒

かれは税節約が自己金融に役立つ例として有限責任会社における業務執行社員の給料を示している︒す かれによると︑有限責任会社において社員が業務執行者として勤務するときには︑業務執行者の給料が税 務上控除され︑それによって会社の利益が給料支払額だけ相応して減らされることになるがゆえに︑税節約が自己

( 2 )  

金融に役立つというのである︒

かれは税節約の例として個人企業ないし人的会社を資本会社に組織変更する場合をとりあげている︒

J ‑

(16)

あるが︑ここで改めて若干の私見を附加しておこう︒ り︑かれの考え方でいくと︑個人企業ないし人的会社が非常に多くの利益をあげていて累進所得税率の最高率が適用されるほどの所得金額に達しているときには︑累進所得税率よりも通例低い確定した法人税率にもとづく納税が

( 2 )  

合目的であるので︑組織変更を行なうことが有利であるというのである︒

かれは税節約の例として資本会社を人的会社に組織変更する場合をあげている︒すなわち︑

にわたって少ない利益だけを予期しなければならない資本会社では︑所得税率の累減は確定した法人税の平均率と

( 2 )  

比較して有利な結果をもたらすので資本会社を人的会社へ組織変更することが有利であるとするのである︒

さて︑税は企業にとって一応不可抗力的なものであるが︑純利益が税︑利益配当︑

のであるから︑税への分配を減少させることによって︑利益配当を一定であるとすれば︑利益留保を増加させるこ

とになるのはいうまでもない︒かようにかれが不可抗力的なものと考えられやすい税の節約によって自己金融の強

化をはかることができることを力説しているのは︑

同意するかどうかは株主の好意に依存しているとして︑経営者は株主の意向を無視してまで自己金融政策をとりえ

S e l l n , i e   Fin an zi er n u g  u nd   Fi na nz pl an un g, S .   S  1 0 1

' 2.

D er s e lb e ,  a .   a .   ,   0 . S .  

10 3.  

以上で︑われわれは︑

自己金融の一考察 ゼリニンの自己金融論を考察してきた︒すでに︑それぞれの場所で論評を加えてきたので

(1 ) (2 ) 

ないという見解に立っているからであると推察される︒

かれは長期

および利益留保に分配される

かれが株主に帰属する利益が企業内に留保されることに株主が

(17)

128 

上にもかなりの妥当性をもっていることは認めうるであろう︒ ら ︑

自己金融の一考察

かれの自己金融論は︑企業者的観点にもとづいて自己金融を企業者による自己資本調達と解する立場の代表とし

て独自の内容を有しており︑企業体的観点にもとづいて企業自らの力による内部的資本形成にその意義を認める立

場と著しい対照を示している︒しかしながら︑かれは自己金融という用語が必ずしも妥当でないことを示唆しなが

一般の用法に従って自己金融という用語を使用するという不徹底な態度を示している︒しかも︑かれにあって

は︑自己金融は狭義に解され︑減価償却が自己金融手段として解されないところに疑問の余地がある︒︑そして︑減

価償却によって新資本が企業に与えられるのでないとして︑減価償却を自己金融から除外しながら︑減価償却資本

の運用を語るにあたってほ減価償却資本が積立金と同様の働きをすることを暗に認めていることも問題になるであ

ろう︒かれの自己金融論におけるこのような不徹底と不備の原因は︑企業が主体的性格をもちえないという前提を

かれが立てたことに求められるのではないかと思う︒ところで︑かれの所論においては︑自己金融の流動性に及ぼ

す影響についての分析に欠けていることは否めない︒この点はかれが借入金融を論ずるさいに収益性のみならず流

動性にもかなり考慮を払っているだけにやや片手落の感がする︒なお︑税節約を通じての自己金融の助成について

のかれの見解は︑税法や税率の再=1一の改変や国による租税事情の相違には留意しなければならないとしても︑実務

参照

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