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アメリカにおける技術教育の発展と機械技師

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(1)

アメリカにおける技術教育の発展と機械技師

その他のタイトル Technical Education for Mechanical Engineers in America: Its Formative Years

著者 廣瀬 幹好

雑誌名 關西大學商學論集

巻 43

号 4

ページ 781‑817

発行年 1998‑10‑25

URL http://hdl.handle.net/10112/00019133

(2)

関西大学商学論集 第

4 3

巻第

4

号

( 1 9 9 8

年

1 0

月)

( 7 8 1 )   2 1 1  

アメリカにおける技術教育の発展と 機械技師

はじめに

1 .

マン・レポート

2 .

工学エリートと技術教育

3 .

技術的訓練の貨幣価値

おわりに

廣 瀬 幹 好

は じ め に

1 8 8 0

年のアメリカ機械技師協会

(TheAmerican S o c i e t y  o f  Mechanical 

E n g i n e e r s )

設立が象徴するように、アメリカにおいて機械技師が重要な役 割を演じるようになったのは1

9

世紀の末頃であった。

1 8 6 2

年にモリル法が 成立し、1)アメリカの技術教育は発展の契機をえたが、創設期

ASME

で指 1)モリル法は、連邦議会が国有地の下附によって州と大学に対する財政補助措置を 行うことを定めた法律である。詳細は省くが、この法の趣旨は、各州が下附された 土地の売却によって得た収入を碁金として、「他の科学的・古典的な科目を除くこと なく、軍の戦術を含みながら、生活のために種種の仕事や職業に就いている産業的 な諸階層の、自由な、また実際的な教育、を推進するために、州議会がそれぞれ規 定するような仕方で、農業や機械技術

( m e c h a n i carts‑‑

廣瀬)に関係のある学問 分野を教えること、を主目的とするカレジ

1

校以上、に基本財産を与え、それを補 助・維持する」[大浦猛

( 1 9 6 5 ,S e p t e m b e r )

「 モ リ ル 法 と ア メ リ カ の 州 立 大 学 ―

1 9

(3)

2 1 2  ( 7 8 2 )  

第

4 3

巻 第

4

号

導的役割を演じた機械技師の多くは、工学学校で技術教育を受けた人々で はなかった。というのも、工学学校が機械工学専攻の卒業生を順調に輩出し 始めたのは、モリル法成立のほぽ

2 0

年後の

1 8 8 0

年頃のことだったからであ る。2)だがこれ以後、技術教育は実用的な技法の教育を発展させたのである。3)

そして、この過程は同時に技術教育における産業運動の過程であった。

世紀における連邦の州立大学育成政策の研究一」「教育学研究』

3 2 ( 2 ・ 3 )

、

2 0 頁 ]

ということであった。なお、モリル法成立後

3 0

年間機械技法

( m e c h a n i ca r t s )

の解 釈をめぐってかなり議論があったようだが、法案提案者のモリル

( J u s t i nS .   Mor‑

r i l l

、パーモント州選出上院議員)および議会の解釈によれば、それは、芸術

( f i n e a r t s )

と区別される実用的な技法

( u s e f u la r t s )

および産業上の技法

( i n d u s t r i a la r t s )  

を意味し、工学

( e n g i n e e r i n g )

をも含むのであった

[McGivem,James G .  ( 1 9 6 0 )   F i r s t  Hundred Y e a r s   o f  E n g i n e e r i n g  E d u c a t i o n  i n   t h e   U n i t e d  S t a t e s   ( 1 8 0 7 ‑ 1 9 0 7 ) ( E d .  D .  D i s s e r t a t i o n ,  Washington S t a t e  U n i v e r s i t y ) ,  p p .  1 3 3 ‑ 1 3 5 ]

。本稿に おいて技術教育と工学教育という用語が頻出するが、便宜上、筆者は、工学教育は 技術教育の内に含まれる大学レベルの技術教育であると理解して、これら用語を使 用している。但し、このような用語法が、本稿の対象時期の技師たち共通のもので あったか否か、十分に確認してはいない。

2 )   T h u r s t o n ,  R o b e r t  H. ( 1 8 9 3 )  " T e c h n i c a l  E d u c a t i o n  i n  t h e  U n i t e d  S t a t e s :  I t s   S o c i a l ,  I n d u s t r i a l ,  and Economic R e l a t i o n s  t o  Our P r o g r e s s , "   T r a n s a c t i o n s  o f   t h e  American S o c i e t y  o f  M e c h a n i c a l  E n g i n e e r s ,  1 4 ,  p p .  9 6 3 ‑ 9 6 4

.サーストンは、こ の論文の中で

1 8 6 8

年から

1 8 9 2

年までの

3 3

のプロフェッショナルな機械工学学校卒業 生の数を提示している。それによれば、

1 8 6 8

年と

1 8 6 9

年の

2

年間で

1 5

人、

1 8 7 0

年代 には

3 7 1

人、

1 8 8 0

年代には

1 , 2 7 3

人、

1 8 9 0

年代の僅か

3

年間に

1 , 1 1 9

人となっており、

1 8 8 0

年代以降卒業生の数は急増している。マクギヴァン

( J a m e sG r e g o r y  M c G i v e r ‑ n )

によれば

1 8 9 8

年以前の工学諸分野毎の入学者統計を得ることができないので、サ ーストンの数字が機械工学専攻卒業生の総数をどの程度正確に表示しているか十分 に確証できないが、

1 8 8 0

年代とりわけ

1 8 8 0

年代後半以後機械工学専攻の卒業生が急 増したことは間違いないと思われる。尚、サーストンによれば

1 8 9 2

年の機械工学卒 業生は

4 4 5

人であり、マクギヴァンが示す

1 8 9 9

年の機械工学入学生は

4 , 3 7 6

人である。

両者の数字の乖離が著しいが、マクギヴァンは、この主たる理由を入学生に対する 卒業生の割合が当時極めて少なかったことに帰している。以上の点については、次 の文献を参照のこと。

McGivem,James G .  ( 1 9 6 0 ) ,  p p .  1 9 0 ‑ 1 9 6 ,  2 2 3 ‑ 2 2 4 .   3 )

ザレット

(MatthewE l i a s  Z a r e t )

は、技術教育の発展において、フィラデルフ

ィアとシカゴでそれぞれ

1 8 7 6

年と

1 8 9 3

年に行われた二つの博覧会の果たした役割の 重要性について論じている。技術教育の歴史において、

1 8 7 6

年と

1 8 9 3

年は重要な年

(4)

アメリカにおける技術教育の発展と機械技師(廣瀬)

( 7 8 3 )   2 1 3  

たとえば、

1 9 0 7

年にペンシルベニア州立カレジ教授のジャクソン

( J o h n

Price Jackson)

は、生成期から

2 0

世紀初頭までの技術教育と産業界との関 係の変遷を、およその時期区分であると断りながら、次のように簡潔に整 理した。すなわち、カリキュラム内容が大きく進歩したモリル法成立

1 0

年 後の

1 8 7 2

年頃から

1 8 8 7

年、大学と産業界双方が両者の間のギャップを埋め ようと努力した

1 8 8 7

年から

1 8 9 7

年、産業界が自ら工学教育を開始し、大学 が産業界の要求に合うように教育内容を修正した

1 8 9 7

年から

1 9 0 7

年がそれ である。4)

であった。詳しくは次の文献を参照のこと。

Z a r e t , Matthew  E l i a s   ( 1 9 6 7 )   An  H i s t o r i c a l  S t u d y  o f  t h e  D e v e l o p m e n t  o f  t h e  American S o c i e t y  f o r  E n g i , n e e r i n g   E d u c a t i o n  ( P h . D .  D i s s e r t a t i o n ,  New York U n i v e r s i t y ,  New Y o r k ) ,  p p .  1 5 ‑ 7 0

.メ イビス

( F r e d e r i cT .  M a v i s )

は、ホリー (A.

L .   H o l l e y )

が、アメリカ鉱山技師 協会

(TheAmerican I n s t i t u t e  o f  Mining E n g i n e e r s )

の

1 8 7 6

年

2

月会合において 読んだ「工学と科学の不十分な結合

(TheI n a d e q u a t e  Union o f  E n g i n e e r i n g  and  S c i e n c e )

」という論文の中で、工学学校が抽象的な原理を過度に強要しすぎている

ことを批判して、実践第一で理論をその後に教育すぺきだと主張していることを紹 介し、次のように述べている。「論争は短時間であったが烈しく、この問題は、

1 8 7 6

年

6

月にフィラデルフィアで開かれる独立

1 0 0

周年記念博覧会の

ASCE(The  American S o c i e t y  o f  C i v i l  E n g i n e e r s )

と

AIME

の合同会議で引き続き議論すべ

く、委員会に委ねられた。/教育者あるいは実践家として著名な

2 5

人の技師が、フィ ラデルフィアで行われた

2

日間の議論に参加した。真の技師の準備教育は広くある べきだということで合意をみた。すなわち、主要な基本原理の必要性とかなりの範 囲のいわゆる教養教育の必要性が強調された。実践的な訓練もまた、技師のプロフ ェッショナルとしての人生の初期に必要であった」

[ M a v i s , F r e d e r i c   T .   ( 1 9 5 2 ,   D e c e m b e r )  " H i s t o r y  o f  E n g i n e e r i n g  E d u c a t i o n , "   The J o u r n a l  o f  E n g i , n e e r i n g   E d u c a t i o n ,  4 3 ( 4 ) ,  p .  2 1 9 .

]。なお、メイビスはホリーの上記論文の題目を誤記してお

り、正しい題名は次のものである。

H o l l e y ,A l e x a n d e r   L .  ( 1 8 7 6 )  "The I n a d e q u a t e   Union o f  E n g i n e e r i n g  S c i e n c e  and A r t , "  T r a n s a c t i o n s  o f  t h e  American I n s t i t u t e   o f  Mining E n g i , n e e r s ,  4 ,   p p .  1 9 1 ‑ 2 0 7 .  

4 )  J a c k s o n ,  J o h n  P r i c e  ( 1 9 0 7 )  " C o l l e g e  and A p p r e n t i c e  T r a i n i n g :  The R e l a t i o n  o f  

t h e  S t u d e n t  E n g i n e e r i n g  C o u r s e s  i n   t h e  I n d u s t r i e s  t o   t h e  C o l l e g e  T e c h n i c a l  

C o u r s e s , "  T r a n s a c t i o n s  o f  t h e  American S o c i e t y  o f  M e c h a n i c a l  E n g i , n e e r s ,  2 9 ,  p p .  

4 7 3 ‑ 4 7 7 .  

(5)

214 ( 7 8 4 )  

第

43

巻 第

4

号

また、

1 9 5 2

年

9

月

4日シカゴで行われたアメリカ工学教育協会 (The American Society f o r  Engineering Education)

主催の工学1

0 0

年祭にお いて、「工学教育の成果」と題する講演を行ったニューヨーク大学のサピル

(Thorndike S a v i l l e )

は、次のように述べている。5)

1 8 7 0

年以前には、工学カリキュラムの主たる目的は土木技師を養成する ことであり、それは急激な地理的拡張や都市人日の増加という時代がもた らした問題に対処するためであった。だが、南北戦争以後の急速な工業化 の進展によって多様で多くの技師需要がおこり、多くの工学カレッジが新 設され、また既存の機関で工学部門が設置されたのである。

1 8 7 0

年から

1 8 9 0

年の間に、工学の公式プログラムを提供する機関 の数は、

1 7

から

1 1 0

へと増加していた。

1 8 6 0

年代のモリル法は、

Land G r a n t  C o l l e g e s

の設立に強力な刺激を与え、これらの大学で は、「機械技法

( m e c h a n i c sa r t s )

」の教育カリキュラムが急速に発 展した。6)

サビルによれば、機械工学は

1 8 8 0

年代に、電気工学は

1 8 9 0

年代に、重要 な独立した科目となり始め、

1 8 7 0

年から

1 9 0 0

年の期間にカリキュラムの内 容が大きく変化した。目立った革新の一つは、実験室を利用した教育方法 が大きく発展したこと、他の一つは、「工学の経済的、マネジメント的、お よぴ生産的側面の強調、とりわけインダストリアル・エンジニアリングが

5)  S a v i l l e ,  T h o r n d i k e   ( 1 9 5 2 ,   D e c e m b e r )  " A c h i e v e m e n t s  i n   E n g i n e e r i n g  E d u c a ‑ t i o n , "  T h e  J o u r n a l  o f  E n g i n e e r i n g  E d u c a t i o n ,   4 3 ( 4 ) ,   p p .   2 2 2 ‑ 2 3 5 .  1 8 5 2

年は、

ASCE

が設立された年である。尚、アメリカ工学教育協会は、工学教育推進協会

( T h e S o c i e t y  f o r  t h e  P r o m o t i o n  o f  E n g i n e e r i n g  E d u c a t i o n )

として1

8 9 3

年に設立され た。

6)  I b i d . ,  p .   2 2 3

.些細なことだが、機械技法は、

m e c h a n i c sa r t s

ではなく

m e c h a n i c

a r t s

と表現されるのが普通である。

(6)

アメリカにおける技術教育の発展と機械技師(廣瀬)

( 7 8 5 )   2 1 5  

独立のカリキュラムとして発展してきたことである」。

7 ) 1 9 0 0

年以降につい ては、協同プラン

( c o o p e r a t i v ep l a n )が開始されたことと多くの大都市で

夜間の学位授与プログラムが発展したことを除けば、学部教育の理念と実 践に根本的な変化は見当たらないが、基礎科学、専門に関する教科、およ び工学と技法との間の適切かつ現実的なバランスということが、絶えざる 論争の種であった。8)

以上の記述からも明らかなように、アメリカにおける技術教育は

1 8 8 0

年 代頃から世紀転換期にかけて急速に発展した。この過程は、技術教育が産 業界の要請に適応する過程でもあり、いわば技術教育の産業化の過程であ った。そして、この時期を代表する工学分野は機械工学であり、時代の寵 児は機械技師であった。機械技師教育の発展は、技術教育における産業化 の象徴なのであった。

とはいえ、この過程において、機械技師およぴ機械技師教育の概念につ いての統一的な理念、また技術教育の実用性についての一致した認識が、

当初から存在していたわけではなかった。それは、産業界の技術教育に対 する要請が多様であったことに起因していた。たとえば、先のジャクソン のような工学教育者は、機械技師を熟練労働者とは質的に違った役割の担 い手ととらえ、機械技師の役割のうちに「産業の指導者

( o f f i c e r sf o r  the  i n d u s t r i e s )

」9)としての役割を含めたが、

ASME

の指導的なエリート機械技 師たちの中には、熟練労働者教育と機械技師教育との同質性を強調し、両 者を明確に区別することをしなかった人々もいたのである。

7)  I b i d . ,  p .   2 2 4 .  

8)  I b i d . ,   p p .   2 2 4 ‑ 2 2 6 .周知の「工学教育の協同プラン」は、 1 9 0 6

年にシンシナティ 大学の

HermanS c h n e i d e r

工学部長が開始したことで有名であり、簡単に言えば、

「教室での学習と実際の産業経験を体系的プログラムに統合し、そのもとで学生が、

工業、商業、あるいは政府で交互に雇用される」というものである。サピルは、こ のプランは1

9 1 0

年から

1 9 3 0

年にかけてかなり人気があったが、

1 9 5 2

年現在、かなり の困難を抱えていると指摘している

[ / b i d . ,p .   2 2 5 ]

。

9)  J a c k s o n ,  J o h n  P r i c e   ( 1 9 0 7 ) ,   p .   5 3 0 .  

(7)

2 1 6  ( 7 8 6 )  

第

4 3

巻 第

4

号

このような技術教育の理念およぴその実用性をめぐる認識の相異は、世 紀転換期過ぎ頃まで続くが、その後徐々に機械技師の役割についての認識 は変化し、熟練労働者教育と機械技師教育とは明確に区別されるようにな る。産業界にとってはどちらの教育も必要であった。初期に重視されたの は前者であったが、徐々に後者の機械技師教育の重要性が認識されてきた のである。産業界にとっても単なる熟練労働の担い手でなく、プロフェッ ショナルとしての技師が必要とされたのである。また、機械技師にとって も、産業界の需要に応え、プロフェッショナルとしての社会的地位を確保 するためには、機械技師教育が熟練労働者教育とは異ならねばならなかっ た。

本稿において筆者は、

19

世紀末から

2 0

世紀初頭のアメリカの技術教育、

とりわけ機械技師教育の発展過程を概観し、以上のような機械技師の位置 づけをめぐる議論を検討することによって、新しい時代の技術教育およぴ 機械技師に対する産業界の要請を間接的に、機械技師たちのプロフェッシ

ョナルとしての意識の発展を直接的に、読み取ることを試みている。

1 .

マン・レポート

1)

工学学校の発展とカリキュラム

1907

年

7

月オハイオ州クリーブランドで開かれた工学教育推進協会の年 次会合で、主だった工学協会の代表を構成員とする工学教育研究のための 合同委員会を設置することが決められた。この委員会は

1 1

年後の

1918

年に

『工学教育の研究』と題する最終報告書を提出した。10)この調査研究を取り まとめたのは、シカゴ大学教授のチャールズ・マン

(CharlesRiborg Mann) 

1 0 )   Mann, C h a r l e s  R i b o r g  ( 1 9 1 8 )  A S t u d y  o f  E n g i n e e r i n g  E d u c a t i o n :  P r e p a r e d  f o r  

t h e  J o i n t   C o m m i t t e e  on E n g i n e e

ガ

ngE d u c a t i o n   o f  t h e  N a t i o n a l  E n g i n e e r i n g  

S o c i e t i e s  (New Y o r k :  C a r n e g i e  F o u n d a t i o n  f o r  t h e  Advancement o f  T e a c h i n g ,  

B u l l e t i n  N  o . 1 1 ) .  

(8)

アメリカにおける技術教育の発展と機械技師(廣瀬)

( 7 8 7 )  2 1 7  

であった。この報告書は、ザレット

(MatthewE l i a s  Z a r e t )

によれば、

「工学教育についての最初の主要で完全な研究」であり、「カリキュラムの 具体的変化をなんらもたらさなかったけれども、他方で、工学学校が産業 の要請に対処し、ヨーロッパで達成されている高い技術レベルにこの国の 技師を成長させるために為さねばならない、最も可能性のある発展形態を、

示していた」。11)

マンは以下のように工学学校の発展をサーベイしている。アメリカの技 師需要に対処するために科学的な訓練を提供したパイオニアは、

1 8 0 2

年設 立の

U n i t e dS t a t e s  M i l i t a r y  Academy a t   West P o i n t

と

1 8 2 4

年設立の

R e n s s e l a e r  P o l y t e c h n i c  I n s t i t u t e

である。

1 2 > 1 7 7 0

年から

1 8 3 0

年の期間のエ 学教育の顕著な特徴は、生産を増加させるための科学的知識に対する需要 が徐々にではあるが着実に増加してくる一方で、その需要を満たすための 方法と手段を考案することにほとんど注意が向けられなかったことであ

る。

ところが、

1 8 2 0

年から

1 8 7 0

年にかけてアメリカの産業状態は一変した。

科学が発展し、機械がますます複雑になるにつれ、それまでは土木技師一 辺倒だった技師需要が変化し、それに加えて、工業生産を一層発展させる ための機械技師の専門的な訓練の必要性が差し迫った課題となった。

とはいえ、発展は緩慢だった。南北戦争以前、

1 8 4 7

年にハーバード大学 の

Lawrence S c i e n t i f i c   S c h o o l

とエール大学の

S h e f f i e l d S c i e n t i f i c   S c h o o l

が工学教育機関として新設され、また同年にミシガン大学で土木工 学教育を提供することが決められただけであった。

しかしながら、農業と機械技法の教育に対する連邦財政補助を目的とし たモリル法が南北戦争中の

1 8 6 2

年に議会を通過するや、事態は一変したの である。カレジ・レベルの学校の数は、

1 8 6 0

年の

6

校から、

1 8 7 0

年

1 7

校、

1 1 )   Z a r e t ,  M a t t h e w  E l i a s   ( 1 9 6 7 ) ,   p .   1 1 7 .  

1 2 )

アメリカにおける工学教育の幼年期の状況を概観するには、マクギヴァン前掲書 が有益である

[ M c G i v e r n ,J a m e s  G .   ( 1 9 6 0 ) ,   p p .   2 2 ‑ 7 6 ]

。

(9)

2 1 8  ( 7 8 8 )  

第

4 3

巻 第

4

号

1 8 7 1

年41校、

1 8 7 2

年70校、

1880

年85校、そして1917年1

2 6

校へと急増した。

卒業生の数の推移については、次のようになっており、

1890

年代以降急増 していることが分かる。

アメリカにおける工学学位取得者数の推移 期 間 学位取得者数(人) 増加率(倍)

a  1 8 7 0

年 以 前

8 6 6  

b  1 8 7 1

年〜

1 8 8 0

年

2 , 2 5 9   b / a   : 2 . 6  

C  1 8 8 1

年〜

1 8 9 0

年

3 , 8 3 7   c / b   :  1 .   7  d  1 8 9 1

年〜

1 9 0 0

年

1 0 , 4 3 0   d / c   : 2 . 7   e 1 9 0 1

年〜

1 9 1 0

年

2 1 , 0 0 0   e / d   : 2 . 0   f 1 9 1 1

年〜

1 9 1 5

年

1 7 , 0 0 0   f / e   : 0 . 8   g  1 9 1 5

年 ま で

5 5 , 3 9 2   g / a   :  6 4 . 0  

(出典:

Mann,C h a r l e s  R i b o r g  ( 1 9 1 8 )  A S t u d y  o f  E n g i n e e r i n g  E d u c a t i o n :  P r e p a r e d   f o r  t h e  J o i n t   C o m m i t t e e  on E n g i n e e r i n g  E d u c a t i o n  o f   t h e  N a t i o n a l  E n g i n e e r i n g   S o c i e t i e s   (New Y o r k :   C a r n e g i e  F o u n d a t i o n  f o r   t h e   Advancement o f   T e a c h i n g ,   B u l l e t i n  N o . 1 1 ) ,  p .  7

を一部修正)

工学学校の教育目的について、マンは次のように述べている。

工学学校は、始めから、彼らの役割について明確な概念を持って いた。彼らの究極的目的が工業生産を増大させることであり、こ の目的に寄与するために応用科学の体系的教育を提供することで ある、と彼らは自ら理解していた。加えて、この教育がそれに相 応しい精神でなされたならば、工学が学問的職業となり、科学的 研究が必要不可欠なものだと認められるようになる、という信念 があった。13)

マンは、典型的な「産業大学

( I n d u s t r i a lU n i v e r s i t y )

」14)の例としてイ

1 3 )   Mann, C h a r l e s  R i b o r g  ( 1 9 1 8 ) ,  p .   1 1 .  

1 4 )

「最も初期の工学学校のいくらかは、産業大学と呼ばれた」

[ I b i d . ,p .   5 ]

。

(10)

アメリカにおける技術教育の発展と機械技師(廣瀬)

( 7 8 9 )   219 

リノイ大学を挙げ、教授であるターナー

( J . B. T u r n e r )

による二つの講 演を紹介し、イリノイ大学の創設者たちの目的が生産を増加させるための 産業訓練およぴ工学の専門職業としての認識確保にあったことを確認して いる。15)マンは、

R e n s s e l a e r

、イリノイ、

MIT( M a s s a c h u s e t t s  I n s t i t u t e  o f   T e c h n o l o g y )

の初期の目的及びカリキュラムを検討して、「これらの機関は すべて、応用科学を学習する前に、数学、製図、画法幾何学、物理学、化 学を置くことで一致している。換言すれば、これら機関はすべて、必要な 理論科学をまず最初に教え、その後にいかにそれを応用するかということ

機 械 工 学 カ リ キ ュ ラ ム に お け る 時 間 配 分

( M I T )

セメスター・アワ一 時間配分(%)

1 8 6 7

年

1 9 1 4

年

1 8 6 7

年

1 9 1 4

年

外 国 語 3 1   I  7  I  2 0   I  4 

‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ , ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑

英語

1 4   I  8  I  9  I  5 

‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ・ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑

歴史 3 

I 

4 

I 

2 

I 

2 

‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ・ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑

一般諸科目

o  I  1 2   I  o  I  7 

‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ・ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑

小計

4 8   I  3 1   I  3 1   I  1 8  

数 学

1 6   I  1 7   I  1 0   I  1 0  

‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ , ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑

化 学

8  I  1 7   I  5  I  1 0  

‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ , ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ , ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ , ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ . ‑ ‑ ‑ , ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑

物理学

1 2   I  1 4   I  8  I  8 

‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑

地質学

2  I  o  I  1  I  o 

‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑

力学

4  I  1 3   I  3  I  8 

‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ , ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑

` 三 幾 何 学 1 :  1    : : I    : :   : : I   [

機械及ぴ電動機 j  4  j  ° 

l 

3 

l 

° 

‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ‑ ‑ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ・ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ・   1 6

の機械工学専門

諸 ‑ ‑ 科 ‑ ‑ 目 ‑ ‑ ・  

小 計 合 計

︒

6 3   1 5 3  

6 3  

1 7 2  

︒

4 2   1 0 0  

36 

8 0   4 6   1 0 0  

(出典:

M a n n ,C h a r l e s  R i b o r g   ( 1 9 1 8 ) ,   p p .   22‑23

を一部修正)

1 5 )   I b i d . ,   p .   1 0 .  

(11)

2 2 0  ( 7 9 0 )  

第

4 3

巻 第

4

号

を示すことによって、生産の増加という要請に応えようとしたのである。

……これがわれわれの工学カレジのカリキュラムの基礎をなす支配的な考 え方であったし、現在もそうである」、と述べている。16)

次に、

MIT

のカリキュラムの変化を例に取り、

1 8 6 7

年から

1 9 1 4

年までの カリキュラム変化の概要についてみてみよう。

上の表から一見して明らかなのは、まず、人文諸科学

( h u m a n i t i e s )

グ ループの比率が大きく低下していることである。マンによれば、

1 8 6 7

年に は政治経済学や合衆国憲法などが「英語」に分類されていたとのことであ り、英語の比重低下と一般諸科目の増加は緊密な関係にあると考えられる。

したがって、彼の示す資料からは厳密な考察ができないとはいえ、少なく ともいわゆる人文諸科学の比重は低下していないと言えるだろう。即ち、

1 8 6 7

年における総セメスター・アワー

1 5 3

に占める、英語と一般諸科目の合 計1

4

セメスター・アワーの比率は、ほぽ

9

%である。同様に、

1 9 1 4

年の比 率は1

2

%であり、増加となっているからである。つまり、このグループの 比重低下は、ひとえに「外国語」の急減のためであろう。

自然科学グループでは化学と力学の割合が急増し、このグループの比率 を

9

ポイント高めている。この変化について、マンは、応用力学や材料強 度などの実験室実習

( l a b o r a t o r ywork)

が組み入れられていることを指摘

している。

第 3

グループの比率は微増にすぎないがと言いつつ、マンは、技術的諸 科目の専門化が著しいことを次のように説明する。

1 8 6 7

年のプログラムで挙げられた技術的諸科目は、製図

( 4 7

時間)、

機械工学

( I0 )

、機械およぴ原動機

(4)

、ステレオトミー

(2)

にすぎなかった。今日では、機械技師は次の諸科目をとらねばな

1 6 )   I b i d . ,   p .   1 4 .

マンが調査対象とした大学は

2 0

校であるが、そのすべてにおいて、

自然科学の基礎科目と社会・人文科学の教育が多様な技術的専門諸科目の教育に先 行すべきだという理念を共有していたという

[ I b i d . , p p .   2 5 ‑ 2 6 ]

。

(12)

アメリカにおける技術教育の発展と機械技師(廣瀬)

( 7 9 1 )   2 2 1  

らない。製図

( 1 7

時間)、熱工学

(7)

、機構

(6)

、ポイラ設計(3)、 工学実験室(

3)

、電気工学(

7)

、機械設計

(8)

、機械装置の動 力学

(2)

、水力学(

5)

、工場建設

(3)

、動力装置設計

(4)

、 基礎(I)、冷凍 (I)、熱およぴ換気 (I)、ショップ実習 (10)17) 

さらに、

1870

年から

1907

年の時期における代表的な

10

大学の工学諸科目の 時間配分の変化を見てみたい。

1 8 )

資料の制約から厳密な分析は行えないが、

以下の

3

表の比較から、上に見たような人文諸科学の比率の低下が確認で きる。また、主専攻とそれ以外を含む工学諸科目の比率が急増しているこ とも明らかである。この点、詳細が明らかではないが、各工学部門内での 専門化が大きく進展した結果であるのは間違いない。

1 9 )

さらに際立つ変化として確認できるのは、ショップ実習の存在である。

1870

年には存在しなかったが、

1885

年には全体の

5

%を占め、

1907

年にお いても

3.9

%となっている。特にこの科目は、機械工学においては

1885

年と

1907

年にそれぞれ

12%

、

8

%となっており、他の専攻と比べ機械工学にお いてかなり重視されていることがわかる。

機械工学に限定し、

3

表を既出の

MIT

の時間配分表と比較しながら、お おまかに趨勢的変化を概観してみよう。その際、選択科目、体育、軍事教

1 7 )   I b i d . ,   p .   2 3 .

同じく三つのグループの時間配分について、同時期のイリノイ大学 の場合、人文諸科学が

2 4

%から

1 4

%へ、自然科学が

4 0

%から

3 3

%へ、技術的諸科目 が3

6

%から

5 3

%へと変化している。人文諸科学の比率低下は両大学に共通している が、他の二つのグループの比率の変化は異なっている。マンの説明では、この点は 不明である

[ I b i d . ,p .   2 4 ]

。

1 8 )   Alabama P o l y t e c h n i c  I n s t i t u t e ,   C a s e  S c h o o l  o f  A p p l i e d  S c i e n c e ,   C o r n e l l ,   I l l i n o i s ,  Iowa S t a t e  C o l l e g e ,  L e h i g h ,  MIT, M i c h i g a n ,  P u r d u e ,  W i s c o n s i n

の各大 学である

[ M c g i v e r n ,James  G .  ( 1 9 6 0 ) ,   p .   1 5 8 ]

。

1 9 )   I b i d . ,  p .   2 2 8

.マクギヴァンは、

1 8 7 0

年と

1 8 8 5

年の科目配分表を比較した上で、カ リキュラム構造が、

1 8 8 5

年にはもはや人文科学と自然科学教育を重視するリペラ ル・アーツ・カレジの古典的カリキュラム構造ではなくなっていると述べている

[ / b i d . ,  p .   1 9 9 ] 。

(13)

222 ( 7 9 2 )  

第

43

巻 第

4

号

工学学校 (10 校)における諸科目配分表、 1870 年(%)

E n g i n e e r i n g   E n g .  

S c i .  &  Math  Human. 

S c i .   Foreign  P h y .  E d .  

Draw. 

Shop 

I M : e c h .  &  H i s t .  

Lang.  M i l .  S c i .   M a j .   Other  P h y .   Math.  Lit. 

E n g .   Hydr.  S c i .  

C i v i l   1 4   4  1 4   6  1 8   1 6   1 2   1 6   2  Mining  1 4   1 1   1 1   4  2 0   1 6   1 0   1 2   2  Mechanical  8  8  1 2   6  1 8   1 6   1 4   1 6   2  E l e c t r i c a l  

Chemical  1 2  

A l l   7  1 1   5  1 9   1 6   1 2   1 5   2  1 9   1 1   5  3 5   2 9  

(出典:

McGivern,James G .  ( 1 9 6 0 ) ,  p .   1 5 9

を一部修正)

工学学校 (1D 校)における諸科目配分表、 1885 年(%)

E n g i n e e r i n g   E n g .  

S c i .   &  M a t h .   Human. 

S c i .   P h y .  E d .  

Draw. 

Shop 

~ech. &  H i s t .   E l e c .   M i l .  S c i .   M a j .   Other  P h y .  Math.  Lit. 

E n g .   Hydr.  S c i .   C i v i l   2 7   3  1 0  

゜ 1 0   1 2   1 5   1 7   3  3 

Mining  2 1   1 5   1 3  

゜ 3  1 5   1 3   1 7   ゜ 3 

Mechanical  1 8   3  1 2   1 2   7  ,  1 6   2 0   1  2  E l e c t r i c a l   2 0   1 3   7  7  8  1 1   1 4   1 7   1  2  Chemical 

2 2  

A l l   8  1 0   5  7  1 2   1 5   1 8   1  2  3 0   1 0   5  7  2 7   2 1  

(出典:

S o c i e t yf o r  t h e  Promotion o f  E n g i n e e r i n g  Education ( 1 9 2 3 ‑ 1 9 2 9 )  I n v e s t i g a t i o n  o f   E n g i n e e r i n g  E d u c a t i o n :  Study o f  E v o l u t i o n a r y  Trends i n  E n g i n e e r i n g  C u r r i c u l a ,  p p .  5 2 7 ‑ 5 3 2 .  McGivern, James G .  ( 1 9 6 0 ) ,  p .   1 9 8

より一部修正の上、再引用)

工学学校 (1D 校)における諸科目配分表、 19D7 年(%)

E n g i n e e r i n g   E n g .  

S c i .  &  M a t h .   Human. 

S c i .   P h y .  E d .  

Draw. 

Shop  H i s t   E l e c .  

M a j .   Other  Mech. 

& 

P h y .   Math.  Lit.  M i l .  S c i .   E n g .   Hydr.  S c i .  

C i v i l   3 2 . 9   4 . 4   6 . 2   1 .  7  9 . 8   1 4 . 4   1 2 . 3   1 4 . 4   1 

7 

2 . 2   Mining  2 3 . 0   1 4 . 4   2 . 4   0 . 9   8 . 0   2 2 . 1   1 1 . 8   1 4 .  7 

0 

9  1 . 8   Mechanical  2 4 . 0   7 . 8   6 . 8   8 . 0   9 . 9   1 1 . 4   1 2 . 9   1 4 . 3   1 . 8   3 . 1   E l e c t r i c a l   2 4 . 0   1 2 . 2   6 . 5   5 . 4   8 . 4   1 1 . 0   1 3 . 4   1 5 . 1   1 . 2   3 . 0   Chemical  2 3 . 4   1 2 . 5   5 . 6   3 . 4   4 . 5   1 8 . 1   1 1 . 1   1 6 . 1   2 . 4   2 . 9   A l l   2 5 . 4   1 0 . 2   5 . 5   3 . 9   8 . 1   1 5 . 4   1 2 . 3   1 4 . 9   1 . 6   2 . 6  

3 5 . 6   5 . 5   3 . 9   8 . 1   2 7 .  7  1 9 . 1  

(出典:

S o c i e t yf o r   t h e  Promotion o f  E n g i n e e r i n g  Education ( 1 9 2 3 ‑ 1 9 2 9 ) ,   p p .  5 2 7 ‑ 5 3 2 .  

McGivern, James G .  ( 1 9 6 0 ) ,  p .   2 2 7

より一部修正の上、再引用)

(14)

アメリカにおける技術教育の発展と機械技師(廣瀬)

練は比率が小さいこともあり、考慮に入れない。

( 7 9 3 )   2 2 3  

人文科学関係(いわゆる社会科学も含む)の比率が、

3 0

%から

20%

、

1 4 . 3

%へと低下している。これらの表からは外国語の比率の推移が不明だが、

MIT

の場合と同様に外国語の減少が主たる理由だと考えられる。

20)

力学を 含む自然科学は、

4 0

%から

32%

、

3 4 . 2

%へと徴減だが、力学や水力学の比 率が増加していることが分かる。

MIT

の場合自然科学の比率が増加してい るが、その主因は、化学と力学の増加である。ともあれ、力学の比率増大 の傾向は確認できるだろう。

工学諸科目につては、

1 6

%から

21%

、

3 1 . 8

%へと増加しており、しかも 主専攻の諸科目の増加、即ち専門化が目立っている。この点は

MIT

の場合 にもはっきり確認できる。さらに、

1 8 7 0

年には存在しなかった工学諸科目 のショップ実習が

1 8 8 5

年には

1 2

%もの比率を占め、

1 9 0 7

年においても

8.0%

という高い比率となっている。

MIT

の場合にも、ショップ実習は

1 8 6 7

年の カリキュラムには存在しなかったが、

1 9 1 4

年にはほぽ

6

%の比率を占めて いる。

以上の検討から、少なくとも以下のことが確認できるであろう。即ち、

カリキュラム変化の第

1

の特徴は顕著な専門化の傾向であり、第

2

はショ ップ実習の登場である。

2)

教育方法の差異:ショッブ実習の位置づけ

目をみはるような科学と産業の進歩が急速な工学分野の専門化と教育の 多様化をもたらした結果、カリキュラムの詳細や教育方法は各大学でかな り多様となった。21)最初の

2

年間は後半の

2

年間に比べれば共通の特徴を 持っていたとしながらも、マンは、次のように述べている。

2 0 )   I b i d . ,  p .   1 6 0 .  

2 1 )   Mann, C h a r l e s  R i b o r g  ( 1 9 1 8 ) ,  p p .  2 4 ‑ 2 5 .  

(15)

2 2 4  ( 7 9 4 )  

第

4 3

巻 第

4

号

ほとんどすぺての学校で、 1年生は、数学、化学、英語、製図、

ショップ実習を学ぴ、

2

年生では、数学、物理、英語、製図、シ ョップ実習を学ぶのが普通である。数学や物理のような基礎科目 の内のいくつかの教育方法は、どこで学ぼうとも非常によく似て いる。一方、化学、英語、製図、ショップ実習の場合は、非常に 多様であり、いくつかの異なる型がある。22)

とりわけ、教育の型に最も統一性が見られないのは、製図とショップ実 習であった。ショップ実習について、特徴づけが容易ではないとしながら、

マンは次のようなタイプを例示している。即ち、①この科目が設けられて いない少数の学校、②工場のショップを訪問し説明を聞くだけで、道具を 使って実際の仕事をしないという学校、③道具を使って典型的な作業での ある程度の手工的熟達を強調するけれども、実際に物を作ることをしない 学校、④商品生産が最も大切だと考えている学校、⑤科学的管理と事業運 営の実際的経験を得る手段だとみなしている学校、⑥企業との協同教育プ ランのもとで、学校ではこの科目の教育をしないが、授業時間の半分を給 与を得ながら実際に企業の工場で働くことを学生に課すことによって、道 具の使い方、生産や管理の実際的経験を積ませようと考えている学校であ

る。23)

以上の分類について、少し検討しておきたい。①はショップの教育手段 としての意義を認めておらず数も少ないので除外すると、ショップの位置 づけに関しては基本的に四つのタイプがあることがわかる。マンの分類に よる②のタイプと⑥のタイプは、共に学校にはショップが設置されていな いという共通性を持ち、連携した企業でショップの経験を身につけるので ある。だが、②のタイプがいわば工場見学に過ぎないのに対して、⑥のタ

2 2 )   I b i d . ,   p .   3 8 .  

2 3 )   I b i d . ,   p .   4 2 .  

(16)

アメリカにおける技術教育の発展と機械技師(廣瀬)

( 7 9 5 )   2 2 5  

イプが実際の工場実習であるという点で異なっている。③のタイプは道具 の使い方や作業のやり方の基本を理解することに主眼を置いている。これ に対して④のタイプは、教育機関である以上教育することに主眼があると

しながらも、とりわけ実際のショップでの作業を習得し、作業者としての 技術的熟達を強調している点で、③のタイプと対照的である。⑤のタイプ は④に含めてよいと思われる。したがって、ショップ実習は、②のタイプ、

③のタイプ、④および⑤のタイプ、⑥のタイプに分類することができる。

ショップ実習の位岡づけに差異が見られるにしろ、ショップ実習が理論 の実践的応用の方法として位醤づけられているのは間違いない。④あるい は⑤のタイプの代表である周知のウスター

(WorcesterPolytechnic I n s t i ‑ t u t e )

方式について、マンは、このプランが学校のショップでの教育と実際 の生産状況を調整し、学生には道具を使った手工的熟練、機械製作の原理 の理解、製造ならびに商業的方法についての直の知識を与えることを目的 としていると述べている。24)即ち、ウスターでは、実際に物を作るというこ ととそれを市場で販売するという経験を通じて、学生にビジネスと工学の 実際のやり方を学習させることを目的にしている、と。

同様に、ショップを販売可能な商品を生産する場として位岡づけている のがイリノイ大学とペンシルベニア州立カレジである。だが、イリノイ大 学において、実際に商業的な生産を行うということよりもむしろショップ を実験室として位置づける方向に教育の重点が移行しており、「生産活動に 関連して生じる問題を解決するというよりも、むしろ産業界で機能してい る生産の諸原理を確証する」ための「実験室としてのショップ

( s h o p

2 4 )   I b i d . ,   p .   7 6 .

更に、マンによれば、ウスターでは現在(当然ながら、マンの調査 当時を意味する)「科学的管理

( s c i e n t i f i cm a n a g e m e n t )

」の教育に大きな注意が与 えられている

[ I b i d .

]。この言葉がテイラーシステムを意味するのか、もう少し広い のかについての詳細は不明だが、彼の調査当時には「科学的管理」についての文献 の入手は容易であったと考えられる。ついでながら、マンは、報告書の末尾に掲げ た2

1

冊の参考文献中、科学的管理に関する文献を

3

冊挙げており、その内にはテイ ラーの

T h e P

ガ

n c i p l e so f  S c i e n t i f i c  Management

が含まれている。

(17)

2 2 6  ( 7 9 6 )  

第 43巻 第 4 号

l a b o r a t o r y )

」

2 5 )

ということが強調され、ショップの位置づけが変化してい るのである。

ウスターとイリノイでは、重点の置き方が幾分違うとはいえ具体的に商 品を作るという点では共通しているが、他の例としてマンが挙げるのは、

MIT

に代表される「何ら実用的な製品を作らない」「教育の場としてのショ ップ

( i n s t r u c t i o ns h o p )

」26)であり、これが大多数の工学学校でのショッ プの典型的なタイプであった。しかしながら、このような学校でのショッ プ教育という方法に対するマンの評価は厳しい。即ち、工作機械について の熟練が技師にとって重要な時代にはこのようなやり方でよかったが、今 は状況が変化しているとして、次のように指摘する。

現在の変化した状況のもとにおいて、工学カレジのショップ・コ ースは完全に廃止されるぺきか否かという問題が、今真剣に議論 されているのである。27)

マンは、大学がショップ実習を提供することに反対で、実践的教育は企 業に任せるシンシナティ大学を先駆者とする産学「協同プラン

( c o o p e r a ‑ t i v e  p l a n )

」、いわゆる「シンシナティ・プラン」こそが、産業界が求める 技師教育の最良の方法であると主張するのである。マンの分類によれば、

⑥のタイプこそがもっとも望ましいと主張するのである。

マンの考え方についての評価はひとまず控えるが、彼の調査報告から読 み取れることは、当時におけるショップ実習についての主流的理念が

MIT

型だったということである。だが、ウスターに代表される④および⑤のタ イプの考え方を併記しているところからすれば、このようなタイプの理念 もまた影響力を持っていたとも考えられる。彼の報告からはショップ実習

2 5 )   I b i d . ,   p .  7 7 .  

2 6 )   I b i d . ,   p p .  7 7 ‑ 7 8 .  

2 7 )   I b i d . ,   p .   7 8 .  

(18)

アメリカにおける技術教育の発展と機械技師(廣瀬)

( 7 9 7 )   2 2 7  

についての考え方の推移についてはわからない。また、何故

MIT

型の理念 が主流となったのかもわからないのである。そこで、次節ではウスター型 の教育をめぐる機械技師たちの議論を検討することによって、この点を明

らかにしたい。

2 .

工学エリートと技術教育

1)

ウスターにおける教育

既に指摘したように、マンの調査当時においても各学校に支配的な一般 的教育方法は、まず理論的諸科学、その後その応用というものであった。

だが、こうした理念は共通でも目的達成の具体的方法はかなり違っていた ようである。28)カルバート

(MonteA. C a l v e r t )

によれば、技術教育はプ ロフェッショナルな技師のみを訓練しようという共通の目的を持ったもの ではなく、大学レベルの技術教育機関は二つのタイプに分けられる。

一つのタイプは、科学的に有能でプロフェッショナルな技師を訓 練するための機関であった。……これらの学校では、高等数学と 研究が特に強調されるのが普通であり、時々物理学のような一般 科学が強調された。また、実践的知識を得るための実習ショップ を普通持っていたが、これについては機械工学の教育者と実務家 との対立の一つの源泉であった。これらの学校は、高等学校にそ こで最も容易に習得できる知識を要求することによって、卒業を 奨励する入学水準を発展させた。……/第

2

のタイプの教育機関 は、職業ないし産業訓練学校であり、これらの目的は、産業にお いて監督者の地位に就きうる高度な熟練機械工

( h i g h l y s k i l l e d   mechanics)

を訓練することであった。機械工学学校とは対照的に、

2 8 )   I b i d . ,   p .   1 4 .  

(19)

228 (798)  第

4 3

巻 第

4

号

これらの機関は基礎理論よりもむしろショップでの実践的な訓練 を強調した。このタイプの一例はマサチューセッツ州ウスターの

W o r c e s t e r  F r e e  I n s t i t u t e

であり、ここで特に強調されたのは、学生 がショップで販売のための製品を実際に生産することであった。

……プロフェッショナルの教育に関心があるのではなく、むしろ これらの職業学校は、学生が職長

( f o r e m a n )

、監督者

( s u p e r i n t e n ‑ d e n t )

、さらに機械工

( m a c h i n i s t )

としての職務をすぐに得ること ができるような訓練に専心した。これら機関では、高等学校を卒 業していない人たちを除外しない入学水準を設定していた。

29)

趨勢からすれば、技術教育の歴史において、その初期には後者が、そし て徐々に前者が優勢になって行ったのであるが、両タイプの機関のどちら が機械技師教育機関として適切かどうかという問題については、技師たち の意見の分かれる所であった。カルバートが適切に表現しているように、

「科学が有用であるか否かが問題なのではなく、有用で正しい科学が経験 を積んだショップ出の人たちの領域にあるのか、大学で訓練を受けた若い 機械技師の領城にあるのかということが、問題なのであった。科学が疑問 視されたのではない。墓礎原理についての実用的な知識を得るための適切 な方法が論争されていたにすぎないのである」。30)先に見たショップ実習の 位置づけの多様性は、このことを明示している。

この問題を検討するために、機械技師教育においてショップ実習を極め て重視するウスターでの教育方法について、当時の技師たちがどのように 考えていたのかということに焦点を当て、次に見ておきたい。

1 8 8 5

年の

ASME

会報

( t r a n s a c t i o n s )

に、ウスター

(Worcester County 

29) 

C a l v e r t ,  Monte A .  

(1967) 

T h e  M e c h a n i c a l  E n g i n e e r  i n  A m e r i c a  

1830‑1910: 

P r o f e s s i o n a l  C u l t u r e s  i n   C o n f l i c t  ( B a l t i m o r e :  The J o h n s  H o p k i n s  P r e s s ) ,  p p .  5 6  

‑ 5 7 .  

3 0 )   I b i d . ,   p p .   6 0 ‑ 6 1 .  

(20)

アメリカにおける技術教育の発展と機械技師(廣瀬)

( 7 9 9 )   2 2 9   Free I n s t i t u t e   o f   I n d u s t r i a l   Science)

において「機械技師の訓練に関し て」 31)どのような教育が実施されているかという内容のプレゼンテーショ ンとそれについての議論が掲載された。報告内容は

9

ページほどの短いも のであったが、それに対する討論が

4 1

ページに及んでおり、報告内容が会 員の興味を惹いたことがうかがわれる。

報告者アルデン

(GeorgeI .   Alden)

によれば、この機関が実践的および 産業的側面を強調するという特徴を持っているので、ウスターでは学生に 対して科学についてはほとんど提供せず、専らショップ実習を与えること によってこの学校の目的が達成されうると考えている、との印象をいくぶ ん与えてきたが、機関の創設者たちは科学的コースの必要性を認識してお り、彼らの意図は、これと実践とを結合させることにあった。32)カリキュラ ムについては次表のようになっていた。

一見して明らかなように、毎週

6 0

時間前後の学習時間は学生にとって大 変ハードなスケジュールである。しかも「実習

( p r a c t i c e )

」、即ちショップ 実習が極めて重視されていることがわかる。

3 1 )   A l d e n ,  George  I .   ( 1 8 8 5 )  " T e c h n i c a l  T r a i n i n g  a t  t h e  W o r c e s t e r  F r e e  I n s t i t u t e , "  

T r a n s a c t i o n s  o f  t h e  Ame

ガ

c a nS o c i e t y  o f  M e c h a n i c a l  E n g i n e e r s ,  6 ,   p .   5 1 0

.ウスタ ーでの技術教育については、次の文献が詳しい。

C h r i s t i a n s e n ,P e r  S t u r l a  A r t h u r   ( 1 9 7 5 )   T h e o r y  and P r a c t i c e   i n   t h e   F o r m a t i v e   Y e a r s   o f  American M e c h a n i c a l   E n g i n e e

ガ

ngE d u c a t i o n :  A C u l t u r a l  and R i s t o

ガ

c a lA n a l y s i s  ( E d .  D .  D i s s e r t a t i o n ,   B o s t o n  U n i v e r s i t y  S c h o o l  o f  E d u c a t i o n ) ,  p p .  9 2 ‑ 1 3 4 .

木下順

( 1 9 9 2 ,November) 

「ウースターエ科大学におけるメンデンホール改革 『メカニック』教育と工学 教育の相克、

1865‑1903

年一―‑」『国学院経済学』

40(4)

、

1 ‑ 4 5

頁。木下論文は労資 関係視点から技術教育を分析したものである。なお、工場管理近代化と管理者養成 という観点から初期の技術教育を分析したものとしては次の二つの文献を参照のこ と。廣瀬幹好

( 1 9 8 1 ,March)

「工場管理近代化の一側面_米国

1 9

世紀後半の機械 技師教育_」「大阪市大論集』

3 6

、

4 5 ‑ 6 6

頁。廣瀬幹好

( 1 9 8 1 ,S e p t e m b e r )

「工場 管 理 近 代 化 と 技 術 者 _ 米 国

1 9

世紀末〜

2 0

世紀初頭の企業内管理者蓑成_」『経営 研究』

32(3) 、8 5 ‑ 9 9

頁。

3 2 )   A l d e n ,  George  I .   ( 1 8 8 5 ) ,  p .   5 1 1 .  

(21)

2 3 0  ( 8 0 0 )  

第

4 3

巻 第

4

号

ウスターにおけるカリキュラム時間表

学習および教育時間(時/週)

科 目

徒弟

1

年

1

年

2

年

2

年

3

年

3

年

(時間) 合計

半期 前期 後期 前期 後期 前期 後期

M i n e r a l o g y ,  

M e t a l l u r g y  a n d   3  3  3  1 8 0   G e o l o g y  

T h e s i s  Work  1 0   2 0 0   P h y s i c s   6  6  3  4  6  5 0 0   C h e m i s t r y   6  8  3  3  6  5 2 0   A p p l i e d  M a t h e m a t i c s   1 5   2 1   7 2 0   Drawing  1 0   6  6  8  8  6  8 8 0   P u r e  M a t h e m a t i c s   2 1   2 1   2 1   1 8   1 6 2 0  

Language  1 8   1 2   1 2   1 2   1 2   1 5   1 5   1 9 2 0   P r a c t i c e   4 0   1 0   1 0   1 0   1 0   1 0   1 0   * 2 3 7 6  

週合計 6 8   6 1   6 3   5 7   5 8   6 1   5 9  

*夏休み中の3 3 6 時間を含む。

(出典:

A l d e n ,G .   I .   ( 1 8 8 5 ) ,   p .   5 1 9 . )  

機械技師を訓練する上で、ウスターの機械工学科における教育は、

マ シ ン ・ シ ョ ッ プ 実 践 に つ い て の 知 識 が 機 械 工 学 で の 成 功 の 最 良 の 基 喪 で あ る 、 と い う 仮 定 か ら 出 発 し て い る 。 … … そ こ で 達 成 す ペ き 目 的 は 、 マ シ ン ・ シ ョ ッ プ 作 業 で の 実 際 の 熟 練 ( p r a c t i c a ls k i l l   i n   machine‑shop w o r k ) を獲得することである。

33)

しかもこのマシン・ショップは商業ショップであった。

34)

アルデンは次の ように述べている。

3 3 )   I b i d . ,  p .   5 1 4 .  

3 4 ) このマシン・ショップはウスターの創設者のひとりである I c h a b o dWashburn の

名をとり、ウオッシュパーン・マシン・ショップと呼ばれた [ / b i d ] 。ウオッシュバ

ーン・マシン・ショップの発足の経緯、ならびにそこでの教育内容については、次の

文献が有益である。木下順 ( 1 9 9 2 , N o v e m b e r ) ,   1 2 ‑ 1 5 頁 、 2 0 ‑ 2 4 頁 。

参照

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