ヤ コ ビ の 意 思 表 示 概 念
士暑
多
了序1ー本稿の企圖
39
ゆ本稿は︑レヒツシャイン法理研究のいわば草分けの一人ともいうべきエルンスト・ヤコビ(国目墓酔q舖8露)の意思
表示概念を理解しようとするものである︒
ヤコビは一九〇一年以來その数多い著作を通して︑主として有債誰券法におけるレヒツシャイン法理の展開を明白な
らしめようと努力しだのであつて︑この法理の理論的な構成の問題よりもむしろその實際的な適用の問題に重鮎をお
いている︒しかし彼の一般的な立場は︑一九一〇年に著した﹁意思表示論﹂(∪ざ日げoo昌o鎌霞白自ぢロ司︒霞霞讐昌昌σq①β)
において根本的に定まつたというべく︑その意味で本書は︑掲げられた題自の特殊性にもかかわらす︑彼の抱懐する
レヒッシャイン理論の確乎たる樗成を充分に窺わしめるに足る優れて理論的な著作である︒彼が何故に年來の課題と
した有償謹券法の領域から外れてこ℃で意思表示法の領域に足を蹟み入れたのかは︑いろいろな角度から興味ある馨
索にぞくするであろうが︑それのために有債謹雰法に關する彼の多くの述作を渉猟する鹸裕をわれわれは持ち合わさ
ないので︑今のところ内在的な観察は差控えておく︒ただ外在的に見て︑こういうことだけはいいえよう︒ヤコビは
ヤ盟ピの激思表示翫念
噺
︑
433
孕
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商學討究第三巻第四號
他のレヒッシャイン論者に劣らすレヒッシャイン法理が﹁全私法を貫く基本原理﹂(Φ監目昌石Ω霧σqo雪昌$窪Φ暮︒︒9$
団二養嘗①︒年衛霞︒犀巴o崔Φ昌負霞O葺β翻暮N)であることを確信するのであるから︑その全私法の最尖端を行く有償詮
募法でのレヒヅシャイン法理の適用に研究の主力を注ぐにしても︑これまで近代私法の骨髄をなすといわれてきた意
思表示法の領域にはいすれは挑まなければならぬのが宿命であつた︒勿論ウェルスパッヒェル︑マイア︑フィッシャア
のごときこの法理の創造者たちもさような問題意識の下に意思表景のレヒツシャインを取上げてはいるが︑しかしヤ
コビと異つて︑或は少く乏もヤコビぼどには︑この課題に眞向から取組んではいない︒端的にいつて︑彼らの出嚢鮎
は物椹法︑就中動産の善意取得の制度に焚見されたのであつて︑そこからの解繹學的努力は主としてゲウェエレの︑
從つて巾世ドィッ法の探求という法史學的裏付けによつて支えられていた︒だから中世法とは正に封蹴的な近代私法
の意思表示法は彼らの最も親み難い領域であつたのかも知れない︒けだしこの領域こそは個人意思自律の原則という
近代私法の基本思想を法典上に直戴に表現したもの︑換言すれば個人意思自律の原則は法典上の用語を籍りれば﹁意
の思表示﹂による私的自治(甲才額言暮98黒①)を指すものにぼかならないからである︒・ザウェエレ的﹁物椹公示﹂の
法理論をもつて近代的な﹁意思表示﹂の問題を割り切ることは法典の現在の︒姿を無覗した安易な解繹論をもたらす虞
れなしとしない︒ヤコビは敢てこの難問に立向つたのである︒かように見てくると︑ヤコビの﹁意思表示論﹂は︑個
人意思自律の思想に立つ近代私法の蕉黙を現行法典ヒの意思表示の問題にしぼつて︑そこにレヒツシャイン法理の新
しい光を投入する役割を演することになる︒それは︑もしも成功すれば︑たんに﹁意思表示のレヒツシャイン﹂とい
うがことき一箇の技術的な適用問題を越えて︑レピツシャイン法理そのものの﹁全私法を貫く基本原理﹂的意義を却
て鮮明に爲し出すのに役立つであろう︒
ヤコビの﹁意思表示論﹂はその内容一〇〇余頁のモノグラフィであるが︑定評のある彼の難解な論述はこの一本に
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も多大の重量感を盛つている︒大別して第一章の﹁信慧性ある意思表示﹂(くo昌器︒・嵩oげo類日①墓①目置晋β口σq)と第
ロニ章の﹁信綴性なき意思表示﹂(二昌く霞田詔甥o犀φ﹂<凶目o墓Φ旨莚暑昌σ︒o昌)とから成るが︑本稿では︑彼の全理論の基
本をなす意思表示概念を定立した第一章第一節﹁意思と表示との合致﹂と題する論述に從い︑考察を進める程度に差
當り満足したい︒これを基本として展開されるべき﹁意思表示のレヒツシャイン﹂に關する彼の所論は︑次の機會に
﹂
取扱うこととする︒一
の(註)意思表示の二大別はマ昌イク(嵐遵凶αq犀)の≦筥Φ霧葭巴晋ロロαq望巳≦一箒霧αQ①零ず黙計HOO↓に示唆され流ものてあろが︑しか
しヤコピにありては︑これら二種の意思表示彪告知目的の有無から信慧性の有無というところに問題づけ︑マニィクな批剣して
いろ︒だが一方マ3イクの意思表示論はその後新なろ登展を途げているので︑われわれはマニィクのこの新説なも参照しれ上で︑
ヤコビの意⁝思表示理論の全体が再検討する機會を持ちれいと思う︒マニィクの新読に一)9︒︒同Φoゴ訂類冒す鮪80く吟げ箪需5"HOら︒Oに展
開されており︑意思表示のレヒツシャ柔ソか考察する上に必讃の交字であろことな︑われわれはドイツのヘルマy・弘イヒラァ⁝教
授からの親書により教示な受けれ︒ここで︑貴重なマ一一イ〃の同書な快くわれわれに貸與しγ下さつた巾央大學の桑田學兄に封
してもうこの研究存かような未完の.形でしか襲表しえないでいろことな御詫びしなければならない︒
街︑本稿では鮒れえ謄いヤコビのレヒッシャイγ謹雰理論の詳細については︑小橋一郎﹁ヤコビの有債謹券概念﹂(竹田先生
古稀記念商法の諸闇題︑昭二七)参照︒またヤコビの丈献にハいては︑拙稿﹁レヒツシャイy法理の課題﹂(商學討究二巻三號)
六二︑六三︑五一︑五二頁か︑更にヤコビの本書のあらまーについては︑納富﹁手形法に於ける基本理論﹂三五五頁以下と岡川
﹁表示の公信力﹂(法商研究一巻二號)な参照︒
'
=億思と表示
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意思表示による個入意思の自治を理想とする近代私法學において︑意思表示理論は重黙であると同時に︑また久し
35く盲鮎でもあつた︒殊に前世紀の後牟以來激しく争われた﹁意思主義か表示主義か﹂の問題はこの盲鮎を暴露したも4
ヤコピの意思表示概念.︑断
亀
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のであつ℃︑彩し込文献の好題目となつたところである︒︑・
問題の要黙はこうである︒意思表示(類自﹃βロo同岸蚕旨昌σq)とは讃んで字の通り意思(名出ぱ)と表示(国目置晋ρ督σq.
との二要素を包含するもので︑この瓢については何らの疑いも存しない︒それと同時に︑意思は表示なしには効力を
血生じえないことも︑孚いがない︒これに反して︑表示はそれに相慮せる意思がなくても効力を生すべきか否かは︑意
思表示の効力焚生の根撮に照して︑大いに論議がある︒
意思主義象範①蕊臼oσq暴)の論者拡いう︒法が意思表示に効果を認めるのは私的自治を達成するためであるか
ら︑その効果な表示者の眞意に從つて與えられるべきである︒故に︑意思と表示とが相合わない場合には︑その意思
表示は當然に無効とならざるをえない︑と︒
ζれに封して表示主義(目目E管部昌σq・・窪⑦oユo)の論者はいう︒取引安全(く︒島①ぼ湊ざぽ①}三εを保護するために
は︑表示者の眞意のいかんを問わす︑法は表示されたところをもつて表示者の意思と看徹し︑これに効果を附與すべ
きである︒だから意思と表示とが相異る場合には︑その意思表示は表示通りの効力を生じ汝ければならない︑と︒
ひつきようこの封立は︑意思表示の効力の基礎および目的をどのように把握するかという根本問題にかかわる︒こ
こに注目しなければならぬごとは︑意思主義の學読は大艦一九世紀ρ學界を支配していたが︑二〇世紀初頭以來は表
示主義の興読が漸くこれに代つて通読となろうとしている事實である︒﹁意思主義から表示主義へ﹂のかかる動向の
底には︑個人本位的な意思自律の思想から敢會本位的な取引安全の思想への力強い潮流が私法理念の攣革を叫んで高
鳴している︒そしてそこからは資本主義維瀕高度化の法的反響も充分に聞きとることができるのである︒立法がこの
攣醇の高潮の外に超然としていることができなくなつたのは當然である︒現行法典に見るような意思欠訣の抗鼎の制
限︑眞意の破壊力の抑制は︑正に意思表示の古い革袋に取引安全の新しい酒を盛ろうとした意思表示法の嚢達史を物
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語るのである︒
かくして意思主義の敗北はもはや衆目の見るところのようである︑しかし他方において表示主義の勝利はいまだ必
すしも確定的なものではない︒けだし今樹諸國の立法は眞意の破壌力を完全に否定し去つたのではないのみならす︑
意思欠訣の抗鼎を可成り廣汎に承認し績けているからである︒ここに表示主義の論者はいすれも多かれ少かれ法典上
の規定に要協しつつ︑表示主義を根擦としてこれに意思圭義を加味した折衷主義に赴いているのが現状である︒だが
凡そ折衷主義にあり勝ちな理論構成の不透明さは彼らにも拭い難く残されているようで︑これが通読たる衷示主義を
敢て再検討しなければならぬゆえんである︒
(註)意思主義・表示主義・折衷主義の學翫の詳細についてに︑岡松参太郎﹁法律行爲論﹂一二二頁以下参照︒意思表示法の襲逡
史の詳細については︑栗生武夫﹁法の愛動﹂三七五頁以下参照︒これらの概要レついては︑船橋諄一﹁意思表示の錯誤﹂(九州
帝大法丈學部+周年記念法學論文集五九三頁以下)序読参照︒
電
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ヤコビの意思表示理論は先すここに展開の足がかりを求める︒すなわち表示主義では︑表現された意思は正に表示
のゆえに考慮の射象となるのであり︑また表現されない意思は始めから論外なのであるが︑ヤコビによれば︑なる匠
ど表示はこれに相懸せる意思がなくても効力を生する場合があるが︑しかしだからといつて表現されない意思すなわ
ち内心の意思が問題にならぬとはいい之ない︒例えば錯誤による意思表示は︑取消がなされなければ︑︑また取浩がな
されたにしても︑取消がなされるまでは︑疑もなく有効であるが︑しかし一たん取消がなされれば︑その意思表示は
もはや何らの効力をもとどめないように遡及的に無効となる︒これは︑その意思表示にはそれほどに根本的な意思欠
鋏の霰疵があつたからである︒だから﹁意思表示が有効であるたみには根本的には意思が必要なのである︒﹂かよう
に述べて︑ヤコビは表示主義を根擦なきものとして簡翠に片付け去るのである︒
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