世界に於ける資源の箏奪 苫 米 地 英 俊
醐
職雲霧れて蝕に無芯年︑北邊の一隅を除く総ての世界は時の維過に漏れてその現實の姿を吾人の目前に展開
し來つた︒見渡す限り不況の塞風に吹を捲られながらも悉く不和を讃美する春の装をしてみる︒國際亭和を表
象する殿堂は幾つも装美に建てられ︑近い將來にも誘導に建設の計劃が熟して居り︑讐びそここ︑に建築申ば
で壊れ落ちた淋しき慶櫨にも彷彿する淺骸を認むるにもせよ︑人類は新しい世界に理想の一階段を踏み登った
やうにも見える︒
華府會議の大建物であったヒューズ氏が島物にした公明正大が近頃ヤードリ氏の﹁アメリカン・ブラック︒
チェンバ﹂の投げた一石に木端微塵に打壌されたのを見て世聞は驚異の眼を睡って恰も天使の地上墜落を目撃
した感をなしてみる︒併し彼の欝欝に漆る石油の嗅を知るものには寧ろ総総過ぎる厩肥然の行爲で今更從らに
センセイションを捲き起す世闇の鈍感さに驚かされる位のものであらう︒
ヴェルサイユの平和論議以後に頻繁に開催せられた國際會議の舞黙劇は悉く高い理想を外題とした出物ある
が作者の狙ひ虞は常に商品の樹立と資源の錦心とに過ぎぬもので︑資本帝大主義的侵略の坦路開馨を嵩置霜野
の美名に薫れて折衝し︑戦はすして敵を制する遠謀に外ならなかったかに見える︒凹した論議を贈る毎に我國
は或は小利を得てみるかも知れないが大局に於ては手を縛られ足を束ねられて世界の潮流に漂ふ捨小舟にされ
世界に於ける資源の撃奪 二八九
二九〇
る感がなきにしもあらすである︒而も篭絡はこの潮流に掠し出置得る限り善堕する外に選ぶべき道がない︒辛
苦の申に志を立て光明を失はぬ心掛が肝腎である︑徒に理想の歌に躍り塞論に現世を忘れぬ蝿悟が必要ではあ
るまいか︒然るに我國の佛ふ犠牲の大なるにつれ︑大粟をもて我々の美徳︑國際協調の精棘が列彊から賞歎せ
られ︑我國民中に懲これに和して理想の虹を謳歌し総髭を起して翼想を見失ふさへあるらしい︒
世界大戦に近親死別し︑都市田畑が荒慶し︑剰さへ職後の不況生活難に四苦八苦を経験する交戦國民が極端
に職争を嫌悪するに不思議はない︒言語に絶した凄惨の後に不和を好愛する熱情の熾烈なることは蓋し自然と
いふべきであらう︒この眞情から吐露せられる亭和の聲に嘘や儒を宿す飴地のあらう筈がないことは知れ切っ
てみるが︑現世に響き渡る第和の叫びが悉く紳の聲であると誰が断言し得やう︒而か達識情は常に囁き儒学は
叫ぶ︒囁は微風に漂ひ︑覇道を孕む備善は全世界を振はす︒
こ製こ吾入の見重し得ないのは鋲和の叫びと共に載後闘争精血が頓に旺面し來つたことである︒階級闘争と
いひ︑入種問題といひ︑國家水準輪軸といびその名は異るも悉くこの精紳の現れに外ならぬ︒而かも資本帝國
主義は戦後彌々弧烈にして辛辣さを加へてるる︒さればこそ軍備比傘乃至制限問題は果して平和の詠めなりや
の反問が出る課である︒斯くて國際政情は極端に不安となり︑相互の信頼を歌き︑職事の恢復は容易ならす不
況は彌々深刻化して來てるる︒
最近に於ける猫逸財界の危機︑英國財政の混観等何れも軍純なる経輪問題硯するを許さない︒不信不安の政
情に由る正貨流失は英蘭銀行の金利引上げに点て停止する筈がない︒政情不安と闘争精紳との存宣する限り世
界維濟の立て直しは蓋し難中の至難であらう︒
晦贈
産業に立脚して槻察するとき前世紀と今世紀との間に重しき相違を見醸す︒動力の推移がこれである︒二十
世紀に及んで石炭の勢力が衰へ石油水力電氣がこれに代った︒蒸汽と瓦斯とが十九世紀交明を飾り︑その進歩
を促したとするならば︑今世紀は石油と講論とに依てその交明の態形を憂へ進歩の謡言をめまぐるしきまでに
高めたといひ得る︒︐
この態形の憂化︑善業細道の縣墾は現時不況の一重大原因をなすといふて大過あるまい︒人絹の出現が紡績
工場の淫沈鱒換を籐儀なからしめ︑自動車の普及は汽車・レール製造業に失業者を生じ︑鐵道経菅を困難に隔
らしめ︑鐡道の電化︑汽船軍艦の石油化は炭蕨業に撮棒を喰らはさせてみる︒近時正貨が航室国富に委せら
れてみるなども一例で大小数限りなき産業執這の蒋換の爲めに必然的に資本に無駄を生じ失業の雪意を産むに
至り︑而かもその落付場所は容易に到蓬し得ない歌態にある︒併しこの原因に由る不況は時日の経過に依て當
然解決せらるべき性質のものであるに拘らす容易にその齢結を見ないのは前に述べた國際政情の不安︑相互信
頼の飲乏︑闘雫精紳の活躍の所爲でなければならぬ︒
世界に於ける資源の寮奪 二九一
二九二
闘争に依て畢和安住を求めんとするは木に縁て魚を求むるにも増して困難である︒愛と信と協調とをよそに
してこれらは決して得らるべきものでない︒若し闘争に依て得られたとするならばそれは勝者限りの平和であ
り︑且つ勝者と難どもこの場合安佳は得られない︒階級闘争に於て婚資その所を異にすることはあか得やう︑
併しこれに依て萬人が挙和安佳を得ることは不可能と断ぜざるを得ぬ︒國極熱係に於ても同一のことがいへ
る︒然るに政治的︑就愈的︑経霊的國際不奉等が職後釜々顯著に赴き︑從て國際階級岡争精棘とも毒すべきも
のが熾烈さを加へて來てるる︒ 一就會に於て椹力・資本階級が事毎に階級岡争心を煽ることを敢てするが如く
に國際的僅力ポ資本階級も他國の闘争心を唆ρつ玉ある︒入類︑資本︑物貨の自由移動を阻害し︑資源の獲
得︑市場の猫專に腐心し︑順調なる産業の推移︑経濟財政の恢復を廉々困難ならしめ︑國際貧富の懸隔を彌々
大ならしめてみる︒
任心した他の利害を顧ない猫專政策は限られたる期闇隠る一事を裕薦ならしめ得るかも知れぬが結局その平々
へも悪影響をもたらす許りでなく人類全艦の向上︑編趾の増進を妨げるものである︒段車遽からす米審にその
例を見る︒一九二九年の夏島米國は所謂萬年景氣を維験し他國を超越して米國のみが論り繁榮を專らにし得る
と少ぐ.とも大多数の米人は確信してみた︒戦時より十五ケ年の聞軍需品の供給︑復興材料の書込︑資本の輸出
等に依て想像も及ばぬ轟々を博し︑生産資本はいやが上にも蓄積せられ︑生産額も亦著しく増加したが︑それ
等は忽に露場に吸熱浩化された︒斯く景氣の備なる頃は一般浩精力も製造工業の隆盛に俘って際限なく伸展す
るかの如き槻を呈したが︑現實はこれに反して増加せるものは國内地費に限られ︑海外市場は打響く不況に陣
吟してみた︒只僅かに米國の好況のおかげで各國は原料晶の輸出が出來たので凌ぎをつけ得たのであった︒事
情が斯の如くであったから原料生産國の生産は何れも櫓嘉した︒現に我國に於も生乾の産出高が昭和三年と四
年とで三萬キ捻増加して居り︑昨年は一昨年に比して十萬梱も多かったとのことである︒
物の詰れる限りは何虞までも生産が膨脹する︑そしてそれにつれて金利が上る︒如何に資本の豊富な隠家で
もこれに例外は需められない︒金利は生産を制限するから螢利事業には一定の限度なきを得ない︒製版に於て
この限度が達せられたのが一九二九年の秋であった︒一度金利高に生産が引合はなくなると生産に制限が起
り︑資本に著する需要が先づ減退し︑金が動かなくなるから物論が低落の途を辿り︑次で失業者が綾出して來
る︒こ玉に及んでは人爲的串費淫婦策など全く何の効果をも示すものでない︒米國の萬年景氣はかくの如くし
て急縣直下不況の底に陥落し︑原料品の輸入は頓に激減した︒その爲めに原料生産國は非常な窮地に隆つた︒
それら各國の不況は直接に工業國英國に反影し忽ちにその失業者を倍加した︒元來英國品の五分の三は原料生
産國へ輸出される恋のであるからこの場合に打撃を受けることが他よりも甚しかった課である︒猫逸はその製
晶の四分の三が零落諸諸に輸出せられるものである所から原料晶の下落に依て寧ろ好景氣を示した︒併しこれ
も一炊の夢の聞に過ぎて漸次世界的不況の影響を受け︑更に職債問題︑政情の不安︑信頼の訣乏等から正貨の
海外遁避となり近時の財界危機を惹起した︒
世界に於ける資源の撃奪 二九三
二九西
︑腰上の專實は如實に闘際協調の必要を吾入に指示してみるものであるが︑現状を見ると移民制限︑關税障
壁︑國際政情の不安︑相万信頼の欲乏等の金めに物貨の移動は阻止せられ︑資本の経濟的流動は妨害せられ︑
而かも経聖別原因によらない載量支彿の革めに経三界が撮齪され︑世界的不況は爲めに不自然に長引かされ︑︐
國際闘争心は尖鏡化し︑列車は不和協調の道から遽ざか砂行く︒この現實の前に外交欝禮や︑軍備制限が果し
て幾何の俊︑値を有するものか︒大戦の徐鍋未だ去ゆ難く︑産業軌道の縣換未だその落付を得られぬさへ現代人
の不幸であるに︑羅道の過去の乱悪だ醒めやらす二十極帯薩業の鍵を握らんとして資源争奪に火花を散し︑世
を舞げて階級闘雫よ砂民族闘孚の道を急いでみる︒
理想は理想にして現實にあらす︑徒に理想の影を追ふものは現實に破る︒
闘
?・愛・りードに依れ︐ば一言の石炭はよく千一百入の仕事をなすといふ︒0・E・べ⁝カに依れば四十エーカ
⁝の土地を六吋の深さに耕すには五萬噸の土を堀返さねばならぬ︒今假に人力を以てすれば十八ケ月を要し︑
馬匹を使用すれば百六十五時開を要し︑耕作自動車を利用すれば僅々四十時間を以て足るといふ︒こ製に見る
小型移動性を備へる機械がこの世紀に於ける特異的のものであり︑これによって産業革命は国議十八世紀のそ
れに比して幾倍かの高遽力で吾入の日前に展開されて行く︒
鋼鐵一噸を製するには四噸の石炭を浩費する︒併し鋼鐵は能く磨損に堪ふるに反し︑消費された燃料は永久
に齢らない︒重要さに於て燃料が鐡鋼に優る所以は實にご﹂にある︒鐵石炭が前世紀産業の核心をなしたが︑
今世紀に及んで鐵は依無としてその重要さを保持してみるに81換へ︑石炭の地位は大に動揺し︑途に石油にその
首位を護ることになった︒その原因を録ぬるに第一に石油は高熱量を有し且つ貯藏に便である︒英國海軍用標
準燃料油と石炭とを比較するに英熱量単位で前者は蟻壁り一萬九千五百軍位なるに越し後者は一萬四千五百軍
位である︵註︶︒而かも石油は塞闇を臨むることが少く︑且つ石炭の如く機關に接近して貯藏するを要しない︒
第二に能率が総合的に高い︒石油機關は技術を要しないで平均せる高難度を早し得︑清潔を保ち衛生的使用が
可能なる上に︑ボイラ︑床板︑シャベル︑火床其他の黒鼠ハに封ずる経費を節約し得る︒第三に人件費を省き得
る︒一一︑三二〇噸の客船では二十入を減員し得︑火夫十一入で七︑六〇〇噸の貨物船を運蒋し︑料理人一名を
減員することが出來る︵註︶︒第四に燃料積取が容易である上.に時間と横揺とを節約し得る︒異聞の節約は結果
に於て船腹の壌加に等しい︒
註Qピ紘属ρ農○舞OO資℃o鋤酢○湊鎗ム寓節詩05矯︑閉果○嵩oh夢Φビ匿騨げ60簿︸O◎ヨ鐸H湊8鋭おぶ.
石油の値段ば石炭に比して精高いけれども如上の利釜はその損失を補ふて街飴りがある︒この外に更に陸海
軍の策戦︑武器の溝用上石油は経国を離れても無くてはならぬものになつでるる︒以上蓮ぶる所から丈けでも
石油濁特の地歩を占むべき理由が十分であるが︾自動車及び航塞機の驚異的獲達は石油をして釜々重要ならし
世界に於ける資源の璽奪 二九五
二九六
むることになった︒
石油が商業的に生廃され姶めたのは最近のことに全し︑先づ大型一八六〇年頃と見て差支あるまい︒頭初の
四五十年闇は燈油及び機械油の二種に限られたが現在では燃料油が五割一分︑ガソリンが二割七分なるに封し
燈油は僅に一割五分︑機械油が六分といふ歩合に攣り.用途の攣纒を物語ると同時に前二者に封ずる需要率が
急遽に高まりたることを示してみるが︑この歩合は將來更に進展を見せることであらう︒
世界にある自動車の総歎は無慮三千五百萬蔓で米墨が四強に一豪︑加奈陀が八人に一豪︑濠州が十人に一
墓︑英國が三十入に一葦︑佛國が三十一人に一嘉であるが掌骨は六百九十七入に一難といふ情ない割合となっ
てみる︵識︶︒これに依ると腰縄は既に飽満の釈態に達したと見られるがその他の諸国に於ては未だ増加の絵地
が十分残されてみると考へられる◎
註︒ω鑓8鶏g欝︑嫌く鍵層翻8置お鴇尋
航察機に就てはその数を詳にしないが現在数でも相概数に上り︑將來も急激に増加するものと想像し得る︒近
時商業飛行が異常の獲達を途げ世界の定期航塞路が十一年前に三千哩に過ぎなかったものが︑今研では十二萬
五千哩に及んでみるのみならす︑その安全卒が他の交通機關を凌駕する勢を示し︑蓮輸費が低減した結果︑室
輸貨物が著しく塘愛し︑正貨塞輸さへ普通となり︑昨年度より本年にかけ英佛間の正貨の移動は悉く塞輸に依
ったなどは着目を債する︵融︶︒
融Qご骸団鷺鐵︸<霧同綴ooぎお鴇り
更に驚異すべきは戦闘機の飛躍振りに見られる︒千二百馬力で一分闇に千五百択の昇算筆を有し︑三萬五千
炭の高室を時速三百哩で航室する爆撃機があり︑着麗射程距離外驚悠然姿を現し︑液嫡室氣を携帯して稀薄な
る塞中に長時聞滞留し機會を狙って時遽六百哩で降下攻撃に移り︑二萬沢の高塞より室中水雷を爽射し二十一
哩先方にある敵を攻撃し得る室申潜行艇と稻するものが獲明せられてみるといふ︵註︶︒
畿Q舜匿守︒錺︒︾8鑓$鴇ξ即8国憂鶏§鍵箆螢簿爵︷鼠婁
現時の戦争に於ける封建の威力は大戦當時と同母の談ではなくなってみる︒航室科學の急進の前に何國と錐
ども一田の筍安を許されぬ歌態になってみる︒
世界に於て目下建造申の汽船の七割五分は石油を燃料とするもので︑石炭をたく客船が上置洋上から影を没
して既に激年を繧てるる︒加之︑世界各地に用ひられる獲動機船︑獲動機關車等の数も驚くべき増加率を示し
てみる︒この趨勢は石油の需要と油田の債値とを増さすには置かない︒畢時にも職時にも重要産業の資源のな
いものには勝利の榮冠は來ない︒総ての資源申現在に於て石油に及ぶものはない︒於是︑現世紀に於ける資源
孚奪戦は石油を申心とする︒
四
世界に於ける資源の撃奪二九七
ご九八
世界駿争絡了と同時に英米石油職の幕が切って落された︒土耳古︑波斯︑コーカサス等の油田争奪に血みど
ろになった姿が吾入の面前に先づ展開された︒英慰女禽議員E・G・プリツ峯マン氏によると職前英國は世界油
田の約二分しか所有しなかったが︑現時は世界給油高の約五割を支配するに至ったとの事である︵註︶︒
註Q 嗣九一九年五月七H4イムス紙︵倫敦︶
この記事を一見してデモクラシーを確立する爲めの戦争が英学の石油政策に如何に多くの興亡をなしたかを
世入は知砂得て唖然たるものがある︒
世紀初めに伯林バクダッド鐡道問題が世問を騒がせたのも︑土斯古を猫逸が巧に同盟側に引込れたのも︑只
さへ不足勝の軍除をガリポリやメソポテ⁝ミアに英國が割いてあたら尊い青年の血で砂漠を濡したのも︑その
目指す所は皆一つで︑油田政策の實現に外ならなかったのである︒
世界の産油額は二黒一千六十五萬六千七百六十メートル噸で︑六割七分強は米國で産出してみる︒これで見
ると意馬の産油歩合が稽々減退してみるが︑これは石油政策の結果で墨國の資源澗渇に依る衰頽に因るものと
は性質が全く異る︒米沢に次ぐ産油國はヴエネジーラであるが︑その産出額は段違の一割弱で︑第三位が露國
の七分弱である︒ヴエネジーラは戦前は産油國として知られてみなかったのが一九二一年以後に急激の増加率
を示し︑一九二七年には早くも墨國の墨を摩し︑遽に現在の地位を認むるに至った︒露國﹇は一九二三年に漸く
石油確業が緒につき職前の約牟額を写出し︑その後逐年増加を示し︑二六年には殆ど職前に復し︑翌二七年に
は駿前よむ一割以上超過し︑現に世界第三位に達し緊要な財源をなしてみる︵註・︒
畿○濃績の鍛掌ばOQ藁震影袋・器畷⑦鍵翻8げにまるQ
潰費の方面から槻察しても米國は第一位で世界縛産量の約七割を溝費してみる︵歩一︶︒米國は國内の油田は
成るべく保存して墨國その他から原油を多量に喩遅し既製油として不足を補ひ又楡出してみる︒次が英國であ
るが輪入原鴻の大部分は甑製油として再輸出されてみる︒その原油の四割三分ぱ波斯から︑一割三分は蝿取東
印度から輸入するのが大口である︒既製油の亀入は極めて少量であるが︑その申ガソリンの四割七分は馳駆か
ら一割六分は波斯から︑七分は露國から輸入し︑燃料油の四割九分は墨國から︑二割四分は米糠から︑一割六
分ぱ露國から給供されてみる︵註一一︶︒ 任心した有様で自製の油田を持たぬため市場を動かす力がなく︑世界市場
は常に米虫に支配され︑その政策によって値段が左右される︒英國が油田政策に渡頭するのはこの不満がある
からである︒
︑註一〇ご回富ど︑︷︑ぎ9︸ぎ曾m嘗響
註二◎¢●oっ︒この隣●Ω影嵩触8軸8吋銭¢囲箒♂冠讐㌶凶gbづ巳一.含メ
世界の石油産地は現在では米栂を儀一とするが︑その埋藏量に於てば露國は葉面を凌ぐといはれて居り︵註一︶
世界に於けろ費源の璽蓉 二九九
三〇〇
波斯土耳古地方も臭くとも米國に穫敵する油量を埋藏すると稻せられてるる︵註二︶︒ そこで職後石油争奪劇は
この地方を背景としたジエノア愈議から論き起すことにする︒
註一〇〇緯㌶鳳○器︸◎籠榊鄭一8籠鐙﹀○竃鋤δ饗9︾鰭σq・沁ンお騎駆
註二〇擁◎お剛讐○づ︑蓉邑同な鍵夢①娼無繋︶回g彰ご魯溝屯輩μ営嗣辿翁εq8Qσ.もQ節麺5埼簿︒・窯お酔§噸εお︒
この禽議が開かれる迄の各國︑殊に英國とそれらの地方との關係に就て先づ大略を承知しておく必要があら
う︒大難に際して英國は猫逸の印度侵入防止の臼的と饗して波斯油田の保護を鹸ね︑コーカサス油田獲得を目
指して一九一購年にメソポテーミァ根緒軍を起し︑埃及から小亜細亜へ北進し︑パレスタインの油田を手に纏
め一七年にはバグダッドを占領し︑越えて一八年の秋にはその宿志を重げ鷲ーカサスに國旗を立て︑直ちに技
師を派遣し︑繊道の修理︑パーク・バートウーム油管線其他の改善を急いだ︒
南露のこの地方は世界屈指の油瞬地で黒海に面するバ⁝レウ⁝ムから裏海に臨むパークに至る聞は一面に石
油を湧出する︒世界に油田鮮からすと難ども︑斯く集約的に油田の集合せる所は他にない︒こ製が附議で英猫
が近業で職つた課である︒その閥の憂蓬を約言すれば繋ーカサスは帝政猿轡の手から一度び猫土の手に落ち︑馳
駆克復に及んで英國派遣軍の手に移ゆ︑畢和愈議に際してはこの地方にジ3ージア自由國建設の提案を英國が
出したが成立に至ら・ず︑ジ翼ージアに英國より油田を潔附することになり︑二一年に至って途に勢曝露國に齢
へつたのである︒二二年七月十鷺タイムス紙上でアーサ・ムーアはつ英國はパーク油田を獲得保持するために
行ったのであるが戦を醸する畳悟がなかったしと皮肉な攻撃をしてみる︒彼のいふ戦争は勿論赤露を相手の意
であるが︑英國が若し武力維持を試たとしたら︑果して封露問題丈けで濟んだであらうか︒
ジエノア石油雫奪劇には各國一流の互星が登場したが中で異彩を放つたのはサ〜・ヘンリ・デイターデイン
グであった︒彼は風脚から英田に蜂化し傘入で︑ブイツシや將軍が嘗て彼は﹁謄力に於ては奈翁に比すべく︑
智慮に於てはク鷲ンウエルに比すべししと激賞した程の英傑であり︑捻イヤル・ダッチ會証の就長である︒デ
氏は3ーカサスの利模掌握を調策し︑先づ適地關係の大小石油又は油管線厳罰を併合して會議の地に赴き黒幕
で懸をあやつ玉た◎
世界最大の石油會砒は獄イヤル・ダッチ・シェル系とスタンダード系とである︒買就は疑イヤル・ダッチ石
油禽薩とシェル・トランスポート・アンド・トレーディング會就とが合併して持株會敵とな参多年の子會就を
して世界離調に割楽して螢業をさせてみるもので︑バイクの利縫は一九一二年に鷲スチヤイルド家の持株の八
割を馳駆四萬=†二百二拾七務で譲受したのに始まる︒次で和繭及び佛蘭露盤から株券を買集め戦前から相當
の縄張を持ってるたが職権はこの基礎の上に一墨全級掌握を企生し政府の財況後援を受けてみた︒
後者のス杜はJ・D・獄ツクフエラーが一八六七年に二入の組合員と共同で創立し︑七〇年に資本百萬弗に増
資しオハ簿⁝洲スタンダード石油會杜とした庵ので︑爾後十年足らすで米國産油の九割乃至九割五分を支配す
るに至り︑ルーズヴエルト大統領の有名なトラスト征伐に遭ひ︑表面解罷して蜜はニウ・ジヤーシーのス紅が
世界に於ける資源の箏奪 三〇一
三〇二
持株三二となり功妙に結束して墨西嵜を初め世界各地に探掘構を得︑鵬樺をロ阯と争ってみるが︑ロ氏が如何
に偉大で︑ス就が如何に成功してみるかはロ氏一代に公共の爲めに投じた金額丈けでも五億弗を超えるといふ
轟轟一つで明かに察知せられる◎こ︐のス祉はコーカサス油田に着目して︑一九二〇の夏ノーベル兄弟商會から
その油田・模利・財産一切を護受した︒ノーベルは国籍關係の複難した企業家で︑その露國市民として有した
財産は一九一八年に勢農政府が渡面し國有に移したもので︑ズ就は其間の事情を知のつ玉買牧したもので法律
上所有礎の基礎が頗る怪しい恋のでるが︑今日に至るまで爾ス祉の帳簿に資産として残ってみる︒
曲
、ダ馬
ジエノア密議は一九二二年四月十欝から開かれ帝政露國の公債︑露領内に有する外國入の私有財産に絶て協
議するのが目的であったが︑各國の大小石油王國の代表が惑星として参集し︑政治家の主力も油田利礎に傾倒
された︒ 勢農代表滲加の隅的は養家の承認を得ること及び油田利櫻にからむで財政窮乏の打開策を講ずるにあった︒
艶艶債や私有財薩問題などは初めかち回申におかなかった︒して︑この聞題に就ては英國は領脚主義を採り佛
國は原則主義に籠り︑互に相盗らす︑爲めに油田問題にまで累を及ぼし結局破綻に導いたのであった︒
デ氏は英政府と畷二歩調をとり︑封露局面打開に最も可能性があり︑且つ猫占方針に添ふ極めて巧妙な策職
計劃を立て︑有名な悪書を公表した︒それに依ると紬労農政府は原所有者に還附し能はざる私有財産を他に譲與
せすといふ原則を立て︑原所有者とは勢農政府の國有法令護布前に所有椹を持ってるたものと定義した︒これ
によると一九一八年以後の模利を認めぬことになり︑.ス祉の三吉及び巴塁の株式市場でその後に取得した佛國
声言筋の利樺を否認排除することになる︒この提案は勢農政府の主張に抵歯しないからその承認を得ることが
難くない上に︑英國の猫占を保誰するもので︑英國には最良の案である斎け︑他の諸説にとっては最悪の案で
ある︒パーク油田問題はこ玉に全く停頓を來した︒
勢農政府の建前はどこ迄臨奮公債︑私有附場問題に繰れす︑過去の關係を断ち新しい立場で一切亭等主義で
交渉すべきであるとするに︑佛白は私有財産聞題にごだはウ︑その返還叉は賠償を主張して動かない︒ス就の
家鴨主張はデ氏の案を起たないでも根擦が薄弱であるが大憲の利害が一致する所から米國は會議に参加してみ
ないにも拘らす蔭に影向に佛白を支持して來たが今は猫豫すべきときでないと見た米國は堂々乗出して來た︒
隷農駐伊大使チャイルド氏は傍槻者と面して羅馬からジエノァに出かけ︑五月十一日に途に米國最後の切札を
齢した︒ ﹁新聞紙上の議論には誇張があると思ふが石油問題に就ては米國はその灌利且つ義務として激洲其他
に於て保護を要する財聞及び祥忌を有する米國市民を保護すべく︑國内叉は國際難題たるを問はす︑門戸開放
主嚢によ砂線てに数等の灌利を認めざる計劃の適用を承認し得ない﹂といふ聲明書を呈した︒
米國は吉際聯盟委任統治によるメソポテー︑・︑ア油田に割込の際もこの切札で成功し︑英國から二割五分の利
世界に於ける費源の鞭奪 三〇三
三〇四
灌を割譲された︒あらゆる國際問題に就て事の理非は別として戦後米國を無臆して何等の決定をもなし得ない
ことがこれに依て如露に誰明されてみる︒米大使の幽明書は卒業を閉會に導いた︒米國は英國の紅梅獲得防止
をその成功と心得︑他日螢農政府財政窮乏がその極に達したときに更に有利な解決を得らる玉ものと誤信して
みた︒ ジエノア會議後引臨いて露領油田適職に付前哨戦が各藩闇に絶え闇なく︑約一ケ月後の六月十五日にヘーグ
に再び會議が開かれた︒
講論政府の建前は依然牢固として到底抜き難いものであったが︑今度は利構譲渡の用意ある油田を列藩明示
し︑入札によりモスコーに於て政府が決定する旨を公表した︒燗眼を有するデ氏は好機逸すべからすとなし猫
威風劃を犠牲にしてもこの基礎の上に利構を設定しやうとしたが︑悔を後日に淺すと知らざる︑遠き慮を斎く
各面は墨って反省を表明し︑ジエノアの失敗を繰返へさんとした︒そこで︑ヂ氏は極力佛白の読得に務めたけ
れども白國は更に氣乗せす︑佛國はス就を恐れて逡巡する有爵であったが結局談が進行して勢農代表リトヴイ
ノブ氏が七月十九日にモスコウに請訓する迄に漕ぎつけた︒すると丸鋼が復も飛出して同訓のある前臼に閉會
を宣せしめた◎
ヘーグ會議を閉會に至らしめた米國はその筋書に從って露油封鎭同盟をつくり︑頻に﹁盗油不買﹂の宣傳に
力め勢農政府を財政難に陥れんとした︒併し晶質の優良︑市場の近接︑激洲油田の不足等の原因から露油の秘
密取引が盛に行はれ︑その間獄肚ス臨急の曙闘が繰返へされたのみで露国封鎖は遽に龍頭蛇尾に絡つた︒
砂越︑ス杜は一飛躍を試み露油全部買受の相談を勢農政府に持込むだ︒そして獄社必死の妨害にも拘らす交
渉成立の光明が見えて來た︒
一九二四年に米國の産油が減退を示した︒この以前から米國は墨國石田の枯渇を目前にして︑自國油田に危
催を懐き始め︑総懸論が績出し︑現大統領フーバ氏の如き竜當時商務卿として外羅利構獲得の熱心家であった
から政府もス就を極力後援し樹露石油問題に乗り出した︒ス砒は題額の信用引受と米國の勢農政府承認とを好
餌として交渉の進展︑難局の打開を試た︒それが功を奏して勢農政府は産油五割をス肚費渡しに同意し︑販路
協定の具艦案まで呈示した︒かくて︑一九二六年三月二十七日附紐育タイムスはス鮭の協定成立を報じ︑翌二
十八日の紙面は篤農政府承認聞題で埋められ︑同時に政府その他好愛有力筋に向って曝書に依る運動が開始せ
られた︒ 併しこの協定成功は頭勝から頗る疑問覗されてるた︒その理由は︑油田國有解除︑私有財産還附は勢農政府
の立國精神に反し自殺的行器と見られる︒然るにス就はパーク油田還附の主張を棄てナ︑ス置の顧問から國務
卿に就任し︑轡任後再びス就顧問に戻った程の闇柄であるヒューズ氏は短時國務卿として勢農政府承認の條件
世界に於ける資源の畢奪 三〇五
三〇六
として外入私有財産還附を固執してみたからである︒
悠した行き機の最申に突如亭地に最奥を起したのは彼の有名なシンクレーア氏であった︒中々識見があり︑
頗る目先がきく入であるが投機的で一寸油断のならぬ企業家と目されてみたが︑從來露國油田に何等の行懸り
がなく︑全く白紙的立場にあるのが試味で︑而もス砒の好餌をその儘を提供したのであるから成功可能性は寧
ろス杜以上であった︒このシ氏が樺太油田に着目し︑漸次シベリヤに猿腎を延ばし︑東洋侵出を企劃したなど
は實に遽き慮を藏したものである︒當時の大統領ハーディング氏とは罷墾の聞柄であの︑海軍卿デンビーその
他の閣僚とも亦深い仲であった︒それらの關係を相読交渉に利用したとの曝もある位で︑前提たる國家承認も
必ずしも不可能ではなく︑二億五千萬弗融通條件も纏まり庶事滞なくすら/\進行した︒最初の全露を包括す
る利樺問題は甚しく縮画せられたにもせよ先づ大成功で一九二三年十一月に愈愈政府は油田を︑シ就は一億一
千五百萬金ルーブルを出資し共同維螢の契約が出面︑更に他の産業に腐し面影で互額の融通をする附帯條件で
米上院議員メレスン・ヂー氏が假契約を露都で調印した︒
ス就とシ就とは從來燃費敵で内地市場は申すに及ぼす到る庭で衝突してみるが︑波斯油田でシ砒はス就の裏
をかき︑文パークの利構をス就から横奪すんとするのであるからス激は捨身でか玉り︑必死の策を廻らした結
果が彼の有名なティーポット︒ドーム疑獄事件であると噂されてみる︒その眞儒は別としてこれに依てデンビ
ー一派の没落となり︑次でハーディングの急死に遇ひ︑事件の中心入物たるシ氏の信用も亦全く失墜し︑一時
世聞の注目を惹いた事件もあえなき絡末となり︑オハ油田はお蔭檬で日本の手に齢する聖駕となった︒
八
波斯は一九〇七年八月三十一日露都に於て調印せられた英露協約により爾國間に勢力範圖が決定され︑申央
に東西に走る緩衝地帯を設けその北部の油田は露國︑南部のは英國が支配することになった︒この協定に基き
英國は一九〇九年に英波石油會枇を起し一三年七月十七日には議會の協賛を得て英國政府が大株主となり現在
では南部諸洲の五十萬方哩に亘る石油採掘構を確保し旺に経遷してみる︒
露國は一九一六年北部ペルシヤ油田の利椹を獲得し︑凝スタリアなるものに採掘せしむること製したが︑翌
︷七年の革命で帝政慶止となり︑勢農政府は内織その他に追はれ他事を顧る暇がないのに乗じ︑英國は北波斯
に兵を進め︑途に一九二〇年五月二十日に壌スタリアの利櫻を護署した︒波斯油田箏奪劇の由來は大略以上の
通りである︒
北波油田はコーカサス油田の延長の如き地位にあり頗る有望な世界的寳庫である︒只一つ問題なのは市場に
結する通路で︑波斯灘へ途油することは地勢が許さないから︑いやでも3ーカサス経由で輸出しなければなら
ぬ︒英國が訟三筆サスに垂書する所以は蕾にその地の油田の便器のみではない︒然るに英学が一度北波油田を
掌中に膨めることになると波斯は全く英國の配下に立つことになる︒これは波斯の忍ぶべからざることに驕
燈界に於ける資源の輪奪 三〇七
三〇八
す︒態勢農政府はこれに由て3ーカサスを脅かされる氣持になる︒更に叉米塩はこれに嘗て石油の覇椹を鮮か
らす浸蝕される︒懇した維緯があるから問題は混齪の渦巻を捲き起すに至った︒
英國に封ずる挑戦の火蓋は先づ勢農政府から切られた︒一九二一年二月十六日に勢農政府は波斯と條約を提
結し︑帝政時代に波斯から搾取した利器還附を約し︑その同意なくして還附を受けた利構を他に附耀しないこ
とを波斯に約させた︒勿論これは英國が前に譲受した利椹を無効ならしめる底意から出たものである︒これに
甥して英國が獄って引さがる課がない◎外務省は直ちに彊硬に抗議し︑新聞もこの問題に沸騰した︒波斯はそ
れに顧慮せす一九二一年一月早々ス耐と油田利鎌護渡の交渉を開始した︒その交渉の背後には勢農及び米國政
府があったことは勿論であるが︑波心事會は一定條件を附してス杜との交渉・契約を政府に一任し︑公然︑而
倦大謄に交渉を進めた︒於是︑英國政府は英國の既得油田に封し利幅契約提物の構利がス肚に存しない旨をス
就に通告し漸乎たる態度を示した︒
この暴言の起つた前年からメソポテーミア問題で英米は鋳を飼り︑英國はヘイテイや讐スタ・リカに於ける
米國の石油政策迄引合に産して米加を反饗し︑米國に於ては上院議員マツケラー氏の如きは護憲へ石油不費を
唱へ︑それに去て英國の海軍︑商船︑航塞機に封ずる動力を奪ぴ︑以て隠蟹を屈伏せしむべしと公言し︵二一︶︑
不戦前約で後に有名になったケ獄ツグ氏の如きも海外油田開獲の急務︑政府保護の必要を政調し︑英國に封し
復讐立法をなすべしとさへ主張した程︵註二︶盛事が熱中した所へ新たに波斯油田問題が加つたのであるから太
西洋上の鷺流が極度に悪化し︑暴風雨を孕むだ電流が洋の東西に走り形勢頗る急を告げ英米職不可遜論が世を
さわがすに至った︒
註一︒凱霧く・浮類の黛黛寄島痒︶し鐸︒◎㍉鷺国. 註二︒累霧く◎豆鹿霧︒・し弩辱︒︒㍉ゆ沁團●
この問題はキアツドマン氏再渡の渡米により結局英國はメソポテー︑・︑ア及びパレスタインに於て護歩し︑米
國も亦北波油田に英國の割込を承諾することに依て爾國の撮する限りは談合がついた︒然るに勢農政府の後楯
とその指詰とで波斯議會は英國の割込を燈よく拒絶したので交渉は停頓を來たし︑ス就は焦慮を重ねてみると
ころへ例のシ阯が顔を出し︑共和黛の後楯と黄白の力とで波斯議會を動かし︑その政府をあやつり漁夫の利を
占めんと試みた︒米國ではフーヴァー氏が商務卿としてシ就の爲めに力瘤を入れ︑勢農政府もシ阯に好意を持
つた結果一九二三年十二月二十田に假喫約が調印され︑ス杜の方は取浩された︒事件がこ蕊迄進展した所で例
のテイ!ポット・ドーム疑獄事件が議き出されシ肚の努力は水泡に麟した︒
波斯油田問題は表面それ以上農開を見せない︒その後波斯は小義就を創立して採掘に從冠することになった
が︑赤化と共に離農転補の勢力が浸潤して來てるる傾向が見える︒これがこの油田の絡局的絡繰であらうか︑
將た叉如何なる場面の農開を見せるか︑これは神のみぞ知る問題である︒
九
世界に於ける資源の撃奪三〇九
三一〇
石油の湧出する虚に必ず争奪の紛擾が沸きかへる︒墨國油田は幾度か政攣を惹起し︑革命をさへ繰返さしめ
た︒ジヤンビ⁝油田︑ビルマ油田︑印度油田︑南米諸國の油田と数へ躍れば限りないが︑問題を持たぬものは
悉無に等しい︒凡そ数ある産業の中で例外なしに各県政府が關心を持ち︑法制上又は行政上封鎖政策を採るも
のが石油をおいて他にあらうか︒これは結局二十世紀に各國の興慶を決する鍵は何ぞやといふことに罪する︒
資源の争奪は近世史を飾る興味ある問題であるが︑石油は新なる資源で今街その露結を見てみない︒而かも
今後藩隅さるべき未開油田は極東・シベリアに残されてみる︒ ﹁日本︑汝は東亜大陸に手を果るべからす﹂の
禁制は鵡コルス・ルーズヴエルも氏を侯たすとも明確に吾人に察知せられてるる︒近時支那の我國に封ずる輕
侮︑先進國の抑歴︑赤化の魔手︑民族の闘争等を精細に観察し︑退いて黙考するとき︑邦家の前途竈に容易な
らざるを畳える○ ⁝
協調︑安定︑亭和︑軍縮︑等々︑その唱へるところ︑その黒くところ一として可ならざるはない︒現世界の表
面を流れ行く潮流︑これに逆らへば難破すべく︑これに順へば溺移する︒根底に潜む資源争奪一切の根源を除
かす︑徒らに理想肚會を憧曝して現實を顧ざるものは亡ぶ︒適者生存は今術眞理たるを失はぬ︒潮流に乗るべ
﹁し︑罹を棄つべからす︒下聞は樂園を夢想するを得ん︑これを地上に移すを得す︒七色の虹の橋︑仰いで賞す
べく︑踏で渡るべからす︒火は熱く水は冷たい︒ 一切卒等無差別は宇宙の綾く限り永劫來る時がなからう︒理
想は理想として永久に淺るところにその奪さがある︒ ︵一九三一・九︒六︶