財 政 学〜ゼロか らの出発〜
早 見 弘
最終講義の機会を もたずに緑丘を去 った者 として, 『商学討究』に寄稿の機 会を与え られたことに,お礼申 し上げます。 しか し,考えてみます と,消えて ゆ く言葉ではな く,書かれた文字で最終講義に代わる一文をお送 りするとなる と,34年の在職を顧みて,いささか心 もとない自省を感 じます。スティグラー もいっているように, 「新 しい知識を作 りだす能力 は,同業の学界仲間で もっ とも高い評価を うけることだ」 とす ると,私なぞは‑行 も書けないに違いあり ません。しか し,それほど気張 らな くて も,いささかな りとはいえ,お役 にたっ た論文 もないわけで もない し,同時に 『商学討究』の名前 も多少 は売 ったとい う,一人よが りを書 きとどめてお くの も, この機会であろうと思い直 して筆を とりま した。
略歴にも書 きましたが,私の財政学専攻 は母校に財政学担当の講師として採 用されてか ら始まりま した。その前 に,なぜ大学院‑進学す る気 になったか と
自問 してみます と,はっきりいえるのは,小樽で優れた先生に出会 ったか らだ, ということです。ゼ ミ教官 としての天利先生 は,学生の向学心を引き出す こと にかけては,天性 といって もよい感覚をお持ちで した。 とくに,学生の発言を 決 して否定 した り,抹殺す るほど批判 した りしなか ったのは,学生 に自信をあ たえま した。僅か3年の小樽在勤で したが,小樽経尊の先輩10名近 くが(旧制) 大学の本科へ進学 したのも,先生の影響によるところが大 きいとお もいます。
また,私が4年生の受験準備期に,長谷部先生はヒックス,ケイ ンズ, クライ ン, ドッブなど,戦後 日本の経済学研究の対象になった著作を,天利先生 とは 違 った厳密 さで教えて くださいま した。経済学 とは経済現象のナイーヴな世界 観ではな くて,経済分析の手法なのだとい う感覚を もったのもこの頃で した。
〔3〕
それ は経験科学 と しての経済学の歩みを理論,歴史,政策の三分野か ら,整理 した山田雄三先生の著書 とともに,想 い出多 い一年で した。 しか し,長谷部先 生が担 当されていた統計学,またゼ ミを受 け継 いだ早川先生が, 日本で創成期 の計量経済分析を発表 されていなが ら,統計学 と数学をなおざ りに したのは私 の落度 で した。
さて,修士課程をおえて,引き続 き一年 間,一橋大学で財政学の手 ほどきを して戴 いたのは,木村元一先生で した。最初 に示唆 された文献 は,ア ドル フ ・ ワーグナーのFinanzwissensch
a f t
(全 4巻,1883‑1890年)で した。第 3,第4巻の財政史 を除いて も,優 に千ペー ジを越え る大作です。財政本質論,予算 請,経費論,手数料論,租税原則論 とつづ く伝統的財政学 は, 目次をみただけ で も初心者 には重荷 です。 それ に受験以来忘れて いた ドイ ツ語です。先生 も 困 った奴を抱えたな, と思われたに違 いあ りません。遅 々たる歩みで したが, 始 めてみ ると,財政学 には,どうしてか くも長 々 と「財政の本質」に多 くのペー ジを費やすのだろ うか, とい う率直な疑問です。 どち らか とい うと,市場経済 の機能的因果分析を知 るほ うに興味があ りま したので,初 めか ら本質を決 めっ け られ るのは腺 に落 ちませんで した。それ に,あの定義好 きと分類癖。マスグ レイ ヴ も‑ イデルベル グ大学での学生最後 の年 は,経済学 よ り法学 の勉 強が Deplom のために必要だ った, とい っていますか ら,財政 の専門家 にな るに は避 けて通れない問題 なので しょう (それで も彼 はスウェーデ ンの ヴィクセル とリンダ‑ルの財政学を知 った上で,アメ リカにわたっています。 これが,1954 年のサ ミュエル ソンの 「公共支 出の純粋理論」の動機 にな ったそ うです。)
端的にいって,財政 とは国家公共団体の統治行為 にともな う貨幣収支勘定な のですか ら,初めに統治行為の特質 とか国家組織論 を通過 しない と,先へ進め ない ことにな るので しょう。ワーグナーによ ると,国家 は個 々の国民 とは別 な, 共同体欲望を もつ 。 それはち ょうど,親が子供の行末を案 じて,教育 した り, 強制 した りす る温情主義的ない しは啓蒙的意志を もつ有機体である, とい うこ
とで した。国家有機体説 は彼の beliefですか ら,検証で きる命題 で はな く規 範的命題ですが,それにつづ く国家組織 と市場組織の構成要素を挙証 し,記述
財政学〜ゼ ロか らの出発〜 5
す る手法 は,英米の財政研究で は少なか ったよ うに思います。 しか し, 自身 に 満ちた重厚な筆致 は,偉 い先生 だな, と恩いま した。
これ は後か ら気付いた ことですが,第二次大戦後,厚生経済学の視点か ら, 国家の役割を理論的に基礎づ けたの は,ボーモルであ り,いっそ う解析的な分 析 は, 「厚生極大の単純解析」 と 「市場の失敗の解剖学」の2つの論文を書 い たベイクーだ と思います。彼 はこの二つの論文で不朽の名前 を残 した と思いま すが,彼の整理で は政府活動 その ものが,公共財 とい う市場の失敗因子の一つ にな っています。 しか し,政府 な しに市場が最適化す るか とい うと,外部効果 や費用逓減産業を除 くな ら,取 引費用 (情報の伝達,契約の締結,度量衡制度 をふ くむ取 引単位の共通化,最終的債務決済手段 と しての通貨の発行 など)が 大 き過 ぎ,効率の阻害 になるで しょう。 市場が成立す るためにも,政府が必要 ではないのか,逆 にい うと,無政府経済か ら市場の失敗を導 出 し,その矯正の ために政府の強制力を もちいた手段が有用だ, (しか し,その活動 は初めか ら 失敗 した市場性 を もつ) とい う論理 には,経済外的強制 と して しか国家組織を 見ていない,欠点があるよ うにお もいます。
この他 にワーグナーか ら学んだ ことは,財政の所得再分配政策の重要性 とい うことで した。それ は,移転支 出による所得支持 とか社会保険の発祥が19世紀 末 の ドイ ツで あ った とい う こ とよ り も,最 高 税 率 わず か 3%の累 進 税 に
"sehrgrticklich''と賛辞 をお くり,当時の文化国家 プロイセ ンに期待 した 彼の国家論か らで した。そんなことか ら, シェ‑‑ブの 『累進課税論』を読ん だ り, イギ リス所得税制史 の文献 を噛 った り して,危 な く歴史家 にな りそ う だ った とき,マスグ レイヴ 『財政理論 一一一公共経済 の研究』が 出版 されま し た。創立50周年 を祝 った1961年 の 9月 に,北大 に講演 に きたマス グ レイヴを 小樽 まで呼んで きたの も,初版 に沢山あった誤植を問い合わせた ご縁か らで し た。 これか ら暫 くはマスグ レイ ヴの余波がつづ きま した。公共財の最適配分条 件を解 いたサ ミュエル ソン論文,公共選択 に投票のパ ラ ドックスを指摘 したア ローの業績,投資関数 に税制の効果を導入 した
E.C.
ブラウン,そ して累進 税の構造 とそのメジャーを展開 したマスグレイヴニシンの論文など, ドイツ財政学はどこへや ら, この著作をガイ ドとして,現代応用経済分析の吸収に多忙 で した。
幸か不幸か,1960年度の後期か ら経済学概論を担当することにな り,サ ミュエ ルソン 『経済学』をテキス トに していま したか ら,その第4版 は私にとって も 忘れ難い入門書 となりました。その ころか ら私の経済学に厳 しい試練 となった
のは,概論の講義のみではな く,諸先生 との 「土曜研究会」で した。休暇中を 除いた毎週の土曜 日午後,古瀬,麻田,地主,竹内,吉武,藤井の諸先生,礼 幌か らは農業総研 にいた速水佑次郎 さん も加わって,各 自, 自由な論題で回を 重ねていきま した。遠慮のない質問,批判を浴びせ られるのは毎度の ことで, 私の大学院はこの研究会だ ったといえるで しょう。36‑37歳までは,殆 ど著書, 論文の紹介ばか りやってました。 この辺 りか ら,世界の学界で問題になってい
る課題の見通 しもつ き,生 き残 る論文か否かの判断 も少 しずつ持て るよ うに なった ̀̀っ もり''です。そ して, 自分 はこれ らを越え られるか,そんな思いに 馬区り立て られていたのを思い出 します
。
「給与所得税の累進度」,「相続税の再 分配効果」などが,その ころの仕事にな りましたが,前者 は松代和郎氏の目に 止 まり,同氏の訳業 『フェルナ‑,近代経済分析』の脚注に, 日本の所得階層 別 ・世帯別にみた所得税の限界税率,平均税率の数値 として掲載 されました。また,能勢哲也先生が, "弾性値低下の早見のファイ ンディング'と書かれて いたのは,面 はゆい限 りです。後者 は,高橋泰蔵先生の退官記念号に寄稿 した もので, シャウプ税制以後の相続税制度の改変が,どのような遺産の再分配効 果をもったか, これをジニ係数で測 ったものです。乏 しくかつ継続 しない標識 でまとめ られている税務データ しか使えなか ったのですが,その頃,手がけた 方がいなかった とみえて,租税法学の神野直彦氏の論文に引用されま した。
二度 目のアメ リカ出張か らもどって,思わぬところか ら財政学テキス ト執筆 の依頼が入 りま した。同文舘出版か ら400字詰 めで450枚以内 とい う注文で し たが,なん とかそれまでの講義原稿を,小 さな本にして もらいました。なぜ同 文舘の経済学 シリーズの一冊になったか というと,恐 らく編者の一人,柏崎利 之輔先生が フルブライ ト留学者選抜の英語面接委員の一人であ り,出発前の
財政学〜ゼ ロか らの出発〜 7
パ‑ティで もお会い したか らであろうと推測 しています。 もう10余年前の こと にな りま した。 この本で思い出されるのは,木村先生が 「僕の論文を引用 して くれたのは,君だけだ」 といわれたことです。本流の木村門下生 はほかにもお りますが,学者な ら同業の役 に立っ仕事をするのが本望, というこの世界の基 準か らみると, この一言で長年の御恩にお返 しができたと恩いま した。また, この小著が三宅一郎編著 『合理的選択の政治学』で利用されているのを見たと き,望外の思いが しました。法律家 といい政治学者 といい,専門以外の諸先生 が利用できた, とい うのは現代財政学に しては, レベルが低 く分か りやすかっ たのか もしれません。 これを以て銘すべきことなので しょう。
学生 として 5年,教官 として34年,緑が丘の山合いに建っ小さな大学は,私 の生涯を過 ごしたところといって もよい所にな りま した。小学生のころ,遠足 で山上 グラン ドへ向かって地獄坂を登 っているとき,深閑 とした森のなかに建 つ薄緑色の校舎が,修道院か,療養所のようにみえたのを思い出 します。今, 建物 こそ変わ りま したが,丘の起伏,樹 々の縁,見 はるかす石狩湾の海の色 は, 私の青春,壮年そ して初老の年まで変わることな く,私を見ていたように思え ます。助か ったときの清例な小樽高商キャンパスの印象は,修道院のよ うに勉 学にいそ しみ,療養所のように良 き師と療友 ・同僚に恵まれた年 々となって, 実現 しま した。振 り返 ると,財政学の道だけを求めたわけではあ りません。ゼ ミナールでは,財政文献よりもミクロ,マクロの経済理論のテキス トを読んだ 年度が,はるかにおおい回数で した。関心の赴 くまま,あれ これ と相手をさせ られた学生諸君 こそ,いい迷惑だったか もしれません。ただ一つ,言い訳を許 されるな ら,現在を知 って こそ,未来に生 きる人々の役にたっであろうし,過 ぎ去 った歴史の意味 も判別できるであろ一ぅ,人生 は温故知新に時を過 ごせ るほ ど長 くはないか ら‑‑このような選択に,私は安心を得ようとして, 日々を過 ごした,小樽の西の山合いで した。現在で も,北国にあるこの小 さな大学に学 び,またそ こで研究 し,教える人々が,世界を見据えた研鎖をっづけられるよ
う,切 に祈 ってお ります。
(1992・6・‑28)