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大学教育への視点

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大学教育への視点

久 田 邦 明 はじめに

現代の大学について検討しようとする場合には様々なレベルのアプローチが考えられ る。例えば、世界や国の大学制度論、個別大学の改革論、講義などの教育論などである。

このように範囲は広いが、そのなかでここでは講義などの教育論について検討することに したい。その理由はわたしの大学とのかかわりが非常勤講師という立場の講義を通したも のだからである。ただそれだけではなく、もう一つ、わたしが社会教育という教育学の一 分野の研究者だという理由もこれに付け加えることができるかもしれない。

叙述の順序としては、まず最初に自分の講義の経験について述べ、続いて大学と学生の 変化について確認し、最後に大学教育の今後の方向について考察する。

1.経験からみた大学の講義

2年前に本学で講義を担当するようになったとき、戸惑った。そのことを最初に告白し ておく。それは学生との関係において想定しない出来事が続いたからである。例えば次の ようなエピソードがあった。前期の講義も残すところ数回となったので、わたしは課題の レポートについてプリントを配布して紹介した。講義が終わった後で一人の学生が前へ来 て「レポートを出さなきゃ駄目?」と尋ねた。わたしは「当たり前じゃない」と冷静な口 調で答えたが、これまで学生からこのような質問を受けたことがなかったので驚いた。そ の学生に何か策略や悪意があったわけではなく、講義時間の合間に世間話のような会話を 交わしたことがあったので、このような質問をしてみる気になったのだろう。そのときわ たしが戸惑ったのは、その学生に講義に向かう構えがないように思えたからである。この ような問題と重なる以下のようなエピソードを挙げることもできる。悪びれた様子もなく 遅刻して入室する。空席があるにもかからず後方の壁に寄せた椅子に座る。柱の陰に身を 隠すようにしてうずくまり最初から最後まで顔を伏せている。私語を交わす2、3人のグ ループがときに何組も生まれる。これらを一つひとつのエピソードとしてみれば今日の大 学の講義ではありふれたことかもしれないが、全体としてみると、学生に講義に向かう構 えが備わっていないといえるだろう。

このような事態への対応には幾つもの方法が考えられるだろう。例えば、いちいち厳し

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く叱責して、わたしが想定する講義の秩序を維持するという方法である。ただ、これはわ たしにも緊張感を強いる方法である。1年間にわたってこれを続けるのに耐えられないか もしれない。また、わたしはまだ相手のことを良く知らないのでリスクが大きい。これを やってみて、もし功を奏さなかった場合には講義が成り立たなくなるおそれがある。これ とは別に、もう一つ、クールに管理するという方法がある。例えば座席を指定して問題が 生じた場合にはペナルティを課すことにして イエローカード レッドカード を出 す。そしてそれを単位認定や成績評価に反映させることにする。ただ、これは最終手段と して取っておこうと思った。なお、学生が興味をもつように講義の内容と方法を工夫する 必要については改めていうまでもない。本学における講義等の経験交流集会の記録(『山 梨学院生涯学習センター研究報告 第6輯』1999年、『同前 第7輯』2001年)においても議論さ れており、参考になった。

さて、学生との関係を油断していたことを反省したわたしが、後期になって実行したの は次のようなことである。毎回30分ほど前に入室して移動式の椅子を並べ揃え、余分な椅 子は後方の壁に積み上げる。また、窓のカーテンを閉じて直射日光を避けると共に、外光 を遮断して受講生が教室の前方に集中できるようにする。これによって少なくとも表面的 には事態はかなり好転したように思えた。その効果には、自分の観念的な捉え方(学生の 心がけが悪いといった)を反省した。翌年の講義では、これに加えて、前回の講義のポイン トを箇条書きにしたプリントを配布し、文中の空欄に書き入れる語句を受講生に質問する というようなこともやってみた。

わたしは数多くの専修学校・短期大学・大学で講義を担当してきた。学生の講義ばなれ はかなり以前からいわれていることであり、これまでにも戸惑うこともあった。しかし今 回の経験はそれまでとは性格の異なるものに思われた。最初のうちわたしは学生のせいに したいと思っていたが、そのように決め付けるのには無理がある。若い世代の変化、わた しの加齢、講義の受講生の属性の違いなど数多くの要素を考慮する必要がある。なかでも 受講生の属性の違いを視野に入れないわけにはいかないだろう。これまで担当してきた講 義の多くは資格を取得するための課程である。すなわち社会教育主事の基礎資格の課程や 図書館司書・博物館学芸員の課程、それに教職課程である。これらの講義は本人が希望し て受講するもので、受講料を負担する場合が多い。このような受講生とそれ以外の受講生 では講義への姿勢が異なるのも当然のことだろう。講義の苦労について度々耳にした覚え はあるが、それほど深刻な問題と考えなかったのは、資格課程の講義を主に担当してきた からだろう。実際、本学でもわたしが戸惑うような振る舞いを見せるのは、社会教育主事 課程を履修しない受講生であるように思われた。

半年ほど経った頃から、わたしはひそかに 大学文化に馴染まない学生たち と呼ぶこ とにした。別の日に講義を担当する国立大学の学生と比べると、これが実感できる気がし た。大学文化とは、学校文化との対比で使われる学校文化ということばに倣った造語であ

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る。大学文化の無力化は、あとで述べるように、かなり以前からのことだろうが、わたし がこれまで講義で相手をしたのは、大学文化に馴染めるかどうかは別として馴染むふりを してくれるような学生だった。教員の立場では相手がそれらしいふりをしてくれればとり あえず落ち着いて講義をすることができる。それが許されなくなったせいで戸惑うことに なったと考えたのである。

その頃から徐々に気づくようになったことがある。それは生活文化と呼ぶことのできる 分野の話には関心をもつ学生が少なくないようで、教室の雰囲気が一変する。例えば2年 目の講義で地域の青少年育成活動の分野を取り上げたときのことである。受講生の問題関 心を喚起することを意図して、「子どものころ、世話になった大人」を思い出してその人 の名前と世話になった内容を書いてもらうことにした。社会教育事業においてワーク ショップの方法を依頼されたときに大人を対象にして行なうプログラムの一つである。学 生には初めてのことだったが、レポートには、学校の先生、地域の青少年育成関係者、近 所の世話好きな大人などの姿が数多く登場した。以下で数点を紹介する(文中の固有名詞は 省略して、世話になった内容を引用する)

中学校の担任の先生「中学三年の時、学校を結構休んだり、あまりちゃんとした生活を していない頃、ものごとの考え方や授業でお世話になった。甲府の方に来たのもその先生 のすすめだし、尊敬できる大人の一人だと思う。今、自分がなんでここにいるか考える と、この人だと思う。

スポーツ少年団の監督「小学校の3年から小学校6年までの3年半ぐらい、ほぼ毎日、

野球を教えてくれた。ものすごく怒るので、その当時はただただ恐いイメージしかなかっ た。しかし、毎日熱心に仕事が終わってから野球を自分達に教えに来てくれたおかげで、

良い結果を残せた。その事から、一生懸命する事の大切さを体で覚えれたと思った。この スポーツ少年団の監督はボランティアなので、お金をもらって教えてるわけじゃないの で、ほぼ毎日教えに来てくれた監督には、本当にすごいなっと思う気持ちと感謝の気持ち でいっぱいです。

地域の青少年育成者「小学校の時から中学校くらいまで世話になった畳屋のおじさん。

毎年ある、地区のキャンプや運動会でいつも楽しい話をしてくれた。しもジィ(青少年育 成者の愛称――引用者)は性格が子供っぽいから話をしていて楽しかった。少し悪い事も教 えてくれた。でも、危ない事や、悪い事も度がすぎると本気で怒った。10年前と顔や体型 や髪型が変わってないので、地元で会った時も分かる。しもジィは皆の顔を覚えているの で、今も話をしたり、怒られたりしている。

近所の大工さん「小学生の頃、通学路の途中に大工さん家があった。そこの大工さんは とてもやさしく、家の前を通ると、仕事中でも、いつも声をかけてくれた。暑い夏の時期 には、暑くて大変だろうといって、冷たい水をいつもくれた。いつのまにか、その冷たい

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水を目当てにして、毎日大工さん家に寄るようになっていた。今思えば、仕事もあったの によく小学生なんか相手にしてたなぁと感謝しています。

この他にも「友達の大切さなどを教えてもらった」サッカースクールの監督、自分のこ とを今でも気にかけていてくれるスポーツ少年団野球部のコーチ、「人生論を熱く語って くれ」たサッカーの監督、喫煙やバイクの無免許運転を見つけると自転車で追いかけて説 教してくれていた地域のおじさん、幼い頃から面倒を見てもらい反抗期にはかなり怒られ たが「今の自分があるのもこのおじさんが居たからこそだと思う」という大人、水を飲ま せてくれたり犬と遊んだりさせてくれた通学路のクルマ修理工場の大人、5、6人の子ど もを集めてボランティアで勉強を教えてくれた近所のおじさんなど、多彩な大人がそこに は登場した。

毎回の感想文とはちがってここには学生の率直なおもいが記されている気がした。ま た、利害損得を超えて子どもの面倒を見る大人の姿を評価する記述が注目される。その前 後には伝統行事や家業や大学運動部の地域貢献活動などについて報告してもらっていた が、そこで語られたのもこの文章と重なるものだった。そんなわけで徐々に、このような テーマが学生とのやり取りの糸口となるのではないかと考えるようになった。

2.大学と学生の変化

わたしが戸惑った学生をめぐる状況は決して特別なものではない。そのことを改めて確 認しておきたいと思う。そのための参考になるのが、山内乾史『現代大学教育論――学 生・授業・実施組織――』(東信堂、2004年)である。なお、ここで主に参照するのは同書 の「第3章 大学の授業とは何か?」である。

山内は、高等教育研究者のマーチン・トロウによる、高等教育の発展段階を、エリー ト、マス、ユニバーサルに分ける方法を引いて戦後の高等教育の歴史を整理する。エリー ト段階とは高等教育進学率が15%以下の段階である。マス段階とは15%から50%のあいだ の段階であり、ユニバーサル段階とは50%以上の段階である。これを日本に当てはめてみ ると、第一に、日本の高等教育がマス段階に入るのは13年である。第二に、大学・短大 に専修学校専門課程を加えた数字をみると、15年には50%に達する。第三に、専修学校 専門課程を除いた高等教育進学率は15年に45%に達し、25年に47.3%となっている。

前段階からの移行期に大学は大きな葛藤を経験する。山内は、それぞれの移行期を、第一 の葛藤、第二の葛藤、第三の葛藤と名づける。第一の葛藤の時期には、しばらくして学園 紛争の嵐が吹き荒れた。第二の葛藤の時期には一部を除いて多くの教員は無関心だった が、この時期に問題は潜在的なかたちで拡大していたといえる。それが第三の葛藤の時期 に露わになり、この間の議論が示すように広い範囲にわたって関心が集まるようになっ

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た。

第三の葛藤の時期にはとりわけ大きな困難と直面することになる。山内が指摘する以下 の二点が注目される。

一つは、教員構成の問題である。この時期の教員構成をみると、エリート段階に大学教 育を受けた教員、マス段階に大学教育を受けた教員、ユニバーサル段階に大学教育を受け た教員が同居し、これに学生を加えると四世代同居となる。それぞれの大学観が異なるせ いで改革には大きな困難が伴うというのである。

もう一つは、ユニバーサル段階に固有の大学教育の困難についての指摘である。進学率 が50%までに達すると、ボーダーラインに分布する学生をみれば、そこには多くの領域で 平均的な学力を示す者もいるが、特定の領域だけで高水準の学力を示す者もいるというよ うに、多様な学生の存在が想定されるようになる。そして、ここがポイントなのだが、入 学定員が現状維持ないし増加の傾向があるなかにおいては、このような傾向は相対的なも のであって特定の大学だけにあてはまることではなく、ボーダーラインの大学にもトップ レベルの大学にも共通するものになっていくというのである。

第三の葛藤の時期ともなれば、学生に講義に向かう構えが失われているなど文句をいっ ている余裕もなくなるわけだ。日々の講義において「公と私の再編成」(同書、99頁)を、

教員は一瞬一瞬の学生とのやり取りのなかで追求しなければならない。これは別に高尚な ことではなく、講義中の私語、飲食、携帯電話のメール、無断入室や退出などの学生の振 る舞いと、それに対する教員の対応が「公と私の再編成」の過程となるのである。長い大 学の歴史のなかで初めて経験されるようになった事態だろう。

山内は今日の大学の教員構成の問題を指摘しているが、わたしは10年代末から70年代 にかけて学生生活をおくった、山内の整理によればマス段階の時期に学生として過ごした 世代に属する。世代的な制約が大きいとすれば、大学教育の現状と可能性について考えよ うとする場合にも、このようなマス段階の世代の教員の一人として考えるほかないのだろ う。そこで、この立場から考えてみたい。

わたしと同世代の中野実という大学史研究者が22年に他界し、その遺稿集づくりに少 しだけだが、かかわりをもった。1年生まれの中野は大学在学中から「反大学」を唱え、

大学史の研究をこころざして大学院へすすみ、東京大学百年史編集室室員をへて東京大学 助手、助教授として百年史の編集と資料調査にあたった人物である。寺崎昌男のもとで大 学史研究のパイオニアといった位置にいたので、年下の世代の研究者を中心に多くの理解 者を得ており、没後、矢継ぎ早に3冊の遺稿集が刊行された。20代の頃から付き合いが あった縁でわたしがかかわりをもったのは、3冊目の『反大学論と大学史研究―中野実の 足跡』(東信堂、2005年)である。この本には、70年代を中心とした中野の大学論と関係者 の回想・追悼文などが収められている。米田俊彦が執筆する「一九七〇年代の中野実」を 参考に以下に二つの文章を引用したい。

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「大学は人間の(共同)幻想を基礎にして成立している。大学の人間的基礎は、まさに 人間の意識の外化にある。社会制度としての大学を考える場合も、この点を欠落させては いけない。わたしが考えるには、反大学の思想は人間の意識の外化をもう一度外化させ る、と思っている。学問・研究の人間的基礎へ立ち返ることを試みるものであったと思 う。さらに、反大学の様式は現実に存在しなくても、意識(幻想)として定立させること で、より具体的な〈人間的〉基礎を獲得する可能性があると考えている。大学が歴史のな かで所有してきたものを剥離し、深いところで拮抗関係を生みだすだろう。(同書、98頁)

「大学を生みだし、支えた意識を、もう一度意識化するところから、深く日本における 大学の成立如何を問うとき、法制上の改革の意義のみに溺することなく、民衆の大学意識 の変遷を、まるめ捨てられた紙片のしわをのばすように丁寧に読み込んでいく必要があ る。(同書、104頁)

中野の大学史への問題関心を一言でいえば、共同幻想としての大学を問うというものだ ろうか。大学史の専門家でもないわたしとしては自分流に理解して、人々の幸せになりた いというおもいが大学というかたちをとっている仕組みを解きほぐすこと、としたい。こ う考えれば、わたしにも共通する問題関心だ。

さて、それでは今日の大学教育においてこれを実践するとはどういうことなのだろう か。中野のことばを借りれば、反大学の様式を幻想として定立させることによって人間的 な基礎を獲得する可能性を、今日の大学教育のどこに求めることができるのかという問題 である。

3.フィクションとしての大学は可能か

ここでもう一度、山内乾史の『大学教育論』の記述へと戻ることにする。山内は「大学 の学校化」という現実を認めつつも、「大学人に限らず、人はフィクションのまったくな い世界には生きていけないのである。この事実を看過するならば、いかなる大学擁護も大 学批判も力をもち得ない」と述べている。この場合のフィクションとは、嘘偽りという意 味ではなく、幻想(共同幻想といいかえても構わないのかもしれない)という意味だろう。山 内は「それでは、新しい時代の大学はいかなるフィクションをもつことになるのであろう か。学校化と脱学校化の動向が止揚された時、そこにはいかなるフィクションをもつ場が うまれることになるのであろうか」と、読者に向けて問題を投げかける。

フィクションとは超越的なものではなく、歴史のなかで繰り返し生み出され、批判さ れ、つくりかえられていくものだろう。今日の大学教育においてフィクションを描き出す ことが可能なのかを問わなければならないのである。大学進学率が50%に達しようとする

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なかで、それでもなお批判に良く耐えるフィクションとは何なのか。先に引用した中野の ことばを借りれば「学問・研究の人間的基礎に立ち返ること」が、ユニバーサル段階の大 学において、どのようしたら実現するのだろうか。

ここで再び講義の話になるが、青少年育成関連の行政施策を取り上げたときのことであ る。その日に余談のようにして紹介したのは、地域の少年野球チームの監督が中学校へ進 学したあとも子どもたちの面倒を見ているという、青少年育成関係者の非公式の集まりで 数日前に本人から聞いた話である。わたしにとっても印象に残る話だったので、たいした 考えもなく紹介した。小学校の PTA 会長も経験したその人は、子どもと親の深刻な諍い の現場へ親に呼ばれて駆けつけて体を張って仲裁をしたり、まちで不良仲間と一緒にたむ ろする知り合いの子どもと出くわすと「家へ帰ろう」と声をかけたりしているという。こ の日の受講生の感想文によれば、意外なことに、とりわけ興味深い話だったらしい。なか には「自分もそういう人になりたいと思った。「そういう人が増えてくれるといいし、そ ういう大人になりたい。」と直截に記したものもあった。先に紹介した「子どものころ、

世話になった大人」の文章と併せて読むと、それぞれの受講生に何か思い当たる経験が あったものと想像される。

山内に倣ってフィクションとしての大学の可能性を考えると、このような感想文の生ま れる生活文化のところに、それを描き出すための手がかりが見出されるのではないか。こ れを歴史的にみれば、大学の教養とは別の通俗道徳とか修養論とか呼ばれてきたものに近 いのだろうが、そのことはひとまず措くとして、生活文化による学校文化の捉え直しとい う問題関心は珍しいものではないということも確認しておかなければならない。戦前の生 活綴り方運動や郷土教育運動に代表されるように学校教育において繰り返し提起されてき た課題である。また、このような問題関心は学校教育の分野にかぎられない。文字文化と 口承文化、文字の文化と声の文化といったことばで広い範囲にわたって関心がもたれてい るテーマである。そこで忘れてならないのは、生活共同体の解体がすすみ、生活文化が衰 弱するなかで、このような問題関心は説得力をもちにくいということである。わたしたち の生活は、あらゆる分野にわたって地球規模の政治や経済の動向に組み込まれてしまって いる。いわゆるグローバル化の時代を迎えているのである。しかしそうはいっても、生活 文化による学校文化の捉え直しの道筋が全く失われてしまっているわけではないと思う。

先に紹介したレポートや感想文がそのことを示しているだろう。またそれらとは別に学生 とのやり取りのなかで聞いた生活文化の経験もある。長野県のあるまちの出身の学生は、

まつりで担ぐ子ども神輿を地域の子どもたちがリーダーの中学生のもとで自分たちで作る という話を聞かせてくれた。竹やぶへ入って材料の竹を伐る作業から始めて、大人の助け で組み立て、それをまつりで担ぐというのである。「子どもの参画」のプログラムといえ るだろう。また、山梨県内に無数に組織されているサークルの無尽を話題にしたときに は、父親の死によってその無尽を受け継いだという話を聞かせてくれた学生もいる。かつ

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ての相互扶助のための無尽とはちがって社交の集まりになっていると聞くが、県外で失わ れていることをみると、8世紀末までさかのぼる講の系譜に連なる小集団として注目して もよいだろう。受講生に教えてもらった本についてのエピソード話もぜひ紹介しておきた い。ある日の講義で教室の後方に着席する学生の机上に、日高昭夫『市町村と地域自治会

――「第三層の政府」のガバナンス――』(山梨ふるさと文庫、2003年)という本を見つけ た。聞くと講義のテキストだという。書名に関心をもったわたしはすぐに学内の販売所で 購入した。実に刺激的な内容で驚いた。著者とは面識もない。素人の勝手な読み方なのか もしれないが、アカデミズムの研究と日常生活の経験を突き合わせて、今日切実な課題の 解決の方法を提案しようとするものである。自治会、町内会、部落会、区などと呼ばれる 地域自治会を主題として、山梨県内の調査にもとづいてその現状を明らかにすると共に改 革の提案をまとめている。「 地域自治会 ほど、私の中にアンビヴァレント(両面価値)

の感情を催す存在はないように思う。「本書の結論は、私自身にとって頭で納得できるだ けでなく、気持ちでも受け入れ可能でなければならなかった。(同書、232頁)と、あとが きに記していることからも、この本の力のこもった記述の背景が想像される。日高がこの 本を執筆することにしたのは、山梨の地域社会で暮らし始めときの「カルチャーショッ ク」である。一戸建てを構えて地域自治会とつきあうことになるとすぐさま「結局、東京 で十年間やってきた仕事の多くは、『都市行政』のフィルターで理解していたのだという ことを自覚させられることになった」(234−5頁)という。この本から読み取ることのでき る迫力は、研究と経験の矛盾を自覚したときに、その一方を退けて他方に身を委ねるので なく、身を引き裂かれるおもいを抱え込みながら、それでもなお研究を続けたことによる ものだろう。これと併せてわたしが注目したのは、この研究のベースになったのがゼミ ナールの学生たちと行なった調査だという点である。学生たちはこの調査に多くのことを 学んだにちがいないと思う。日高にそのような教育的意図があったのかどうかは分からな いが、この調査の過程で学生たちは大学文化と生活文化を往還することになったのではな いか。ここに、フィクションとしての大学の可能性をみるおもいがするのである。

今日の大学は、かつての大学のように近代化の担い手を育てるという役割を掲げるので はフィクションを描き出すことができなくなっている。明治以降の大学は長いあいだ近代 化の担い手を育てるという役割を掲げ、学生に対して経済的な優位を保障すると共に知的 な意味での優越者を育てるところとして期待されてきた。しかし、もはやそのようなフィ クションは通用しない。今日の大学を総体としてみれば、経済的に優位になるためや知的 な優越者になるためのところというよりは、10代以降の高等学校の位置と似た、落ちこ ぼれないための保障になっている。そのようなユニバーサル段階の大学が、かつてのフィ クションに代わるフィクションをもつことができるのかどうかが課題なのである。

わたしは、フィクションの新しいかたちを、生活文化に着目して地域社会の担い手を育 てるという役割に求めたいと考える。明治以降、大学は時代のニーズに応えて近代化の担

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い手を育てるための研究・教育機関として期待されてきた。しかし、近代化が達成された 時代には、それとはちがう役割を担うようにならなければならない。それが地域社会の担 い手を育てることではないかと考えるのである。

4.これからの大学に期待されるもの

日本近代史家の金原左門 は、『日 本 近 代 の サ ブ・リ ー ダ ー ――歴 史 を つ く る 闘 い

――』(日本経済評論社、2005年)という、日本の近代化をサブ・リーダー(下位指導者) 焦点を当てて明らかにするという趣旨の著書をまとめている。金原が関心を向けるのは日 本の近代化を地域社会で担った人々である。以下のような記述が、その問題関心を示して いるといえるだろう。

「日本の近代では、社会過程の比重が高くこの過程が政治過程に接続しないままに、サ ブ・リーダーを中心に独自性をもち続けてきた。そこに、遅れて近代にはいったこの国の

『近代化』の後発性があらわれている。

だからある意味で、サブ・リーダーが一定の役割をはたしている社会過程の動きが、国 の政治を支えているという皮肉な現象を生みだしている。したがって、天皇制のかたちを とる日本の支配のメカニズムは、政治過程というよりは、統治過程として立ち現れ、対外 的には『脱アジア』―戦争の道をたどることになる。明治維新後の近代の社会過程と政治 過程の断絶の構図は、いまなお消え失せていない。(同書、11頁)

わたしはこれまで地域の教育文化運動や社会教育家について文章をまとめたり、全国各 地の青少年育成者に地域活動の話を聞いたりしてきた。サブ・リーダーが担ってきた歴史 的な役割、あるいはまた社会過程と政治過程の断絶の構図についての指摘には納得するこ とができる気がする。

地域活動の話を聞く相手は主に地域の青少年育成活動に携わる人々だが、そのなかに は、行政依存、上意下達、横並びの活動を疑わない人々がいる一方で、現実的な条件を視 野に収めながらも創意工夫によって地域の子どもや若者を支援する活動を続ける人々が全 国各地のどのまちにもいる。わたしはこの人々のことを 良心的な人々 などと曖昧な呼 び方をすることにしているのだが、草の根保守のなかの開明的な人々と形容することもで きるだろう。中央の政治家のことばやマスメディアの情報の背後に隠れるようにして、こ のような人々が全国各地に点在することは疑えない。その存在が政治過程へと浮上するこ とは少ない。それどころか、「かつてのように、地域の『近代化』を目指し、改革型のサ ブ・リーダーが改革の実をあげるたびに共鳴者をえて、その共鳴者がさらなる共鳴者を生 み社会過程を引っ張るという図式がなりたたなくなっている」(同書、12頁)と金原が指摘

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するとおり、地域社会のレベルで一定の広がりをもつことさえも難しくなっているように みえる。この点において金原の指摘は注目される。

その一方で、金原が「あとがき」で大学と学生の現状について実に手厳しい記述をして いることにも注目したい。この本の冒頭に中央大学法学部の最終講義を収録するという構 成からみても大学と学生の現状に言及するのは不自然なことではない。金原は学生につい て次のように述べている。『学ぶ』意欲は、中央大学法学部ではわたしのみるところ一九 八〇年代半ばごろから徐々に下降線をたどりはじめていた。(同書、333頁)という。その 後の変化は実に激しいものだったといい、かつては映画に明け暮れたりマージャンにうつ つをぬかす学生であっても、大学にはアカデミック・フリーダムが保障される聖域がある ことを嗅ぎ分けていたという。「ところが一九八〇年代から四半世紀近く経ったこの間の キャンパスを顧みると、時を刻むごとに アカデミック・フリーダム の匂いも徐々に消 え失せ、やがてこの言葉も死語と化していった。(同書、334−5頁)というのである。ま た、社会の一般的な状況について「『教養』はどこへ消えていったのかという怒り」(同 書、343頁)とも記している。11年生まれの金原は、先の山内の整理よればエリート段階 に高等教育を受けた世代である。また、金原が学生の学ぶ意欲が下降線をたどるように なったという80年代半ばは第二の葛藤の時期である。このように時代に忠実な金原が大学 と学生を論難するのも分からないではない。しかし、わたしがどうしても同意することが できないのは、金原が大学を理念的に捉えるばかりで、サブ・リーダーとのかかわりにお いてその現実の姿を直視することを避けているようにみえることである。

日本近代史においてサブ・リーダーは、大学や学生、そして「教養」の恩恵を受けてき たのかもしれないが、その一方で、ひどい迷惑もこうむってもきたのではないだろうか。

この点に着目するわたしは、サブ・リーダーと大学とのあいだの隔たりに着目することに よって、近代化の次の時代の大学のフィクションを描き出すことはできないかと考えるの である。地域社会の担い手を育てる大学というフィクションとは、このような方向を展望 しようとするものである。

ところで、大学に入学することのできた学生は相対的に恵まれたところに位置する若者 たちであるということを忘れてはならないだろう。高校の進路指導の教師が生徒に対して 適当な就職先が見当たらないことを理由に進学を勧めるのも珍しくないといわれる。この ような現状を前提とすれば学生たちもまたお膳立てされた進路を選ばざるを得なかった者 たちといえるが、しかし、その背後には、お膳立てされた進路に乗るという選択の余裕さ えもなかった若者たちが確実に存在する。学費を負担する経済的な余裕の有無だけが問題 なのではない。彼らは、先に紹介した「子どものころ、世話になった大人」と出会うとい う幸運とも無縁のままで育った者たちなのではないのか。学生たちの記憶のなかの「世話 になった大人」とは、そのような不運な若者たちのところへと向かうための案内役でもあ るのかもしれない。利害損得を超えた地域活動(公共のはたらき)の意味を学生たちの記憶

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に刻んだ人たちだからである。

おわりに

講義では、若者の就労支援に関する政策提言や、若者の就労支援施設についても取り上 げた。いずれも受講生の関心は高い。就労支援施設のヤングジョブスポットやまなしが オープンしたと学生に聞き、訪問して講義で紹介したこともある。また、わたしは、他大 学の講義ではテキストに小杉礼子編著『フリーターとニート』(勁草書房、2005年)や『排 除される若者たち フリーターと不平等の再生産』(社団法人部落解放・人権研究所、2005 年)を取り上げて受講生と共に読んだ。この2年間講義を続けながら終始、気なっていた のは受講生の大学卒業後の生業についてである。大学卒の学歴は職業的特権と結びつかな くなっているし、学歴に代わって学校歴ということばも拡がっている。

このような問題を考えると、大学に地域社会の担い手を育てる役割を期待するといって も空念仏に終わるおそれが大きい。若者の状況をみれば、正規社員になるのも必ずしも容 易なことではないようだし、正規社員になったとしてもその労働環境は極めて厳しく、地 域社会の活動に参加する余裕があるのかどうか疑わしいのである。これも大学教育の基本 的な課題だろうが、別の機会にゆずることにして、ここでは指摘するだけに止める。

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参照

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