◎論説特集◎中国五十年の歩み
経 済 社 会 発 展 五 十 年 の 量 的 分 析
朱慶芳・・⁝
一九九九年一〇月一日は中華人民共和国の五〇歳の誕生
日である︒半世紀にわたる建設によって︑中国の経済と社
会には大きな変化が生じた︒この半世紀は中国の歴史に新
たな紀元を切り拓き︑目ざましい成果を挙げたが︑同時に
また誤りと苦難も経なければならなかった︒本論文は確実
な統計データを用いて︑中国がこの五〇年に歩んだ曲折に
満ちた道と成果について量的分析をするとともに︑国際比
較を行うものである︒
苦難の門出旧中国の経済概観
一九世紀六〇年代に清朝が﹁洋務運動﹂を行ってから一
九四九年までに︑中国全土で蓄積された固定資産はわずか 一二四億元で︑民族資本工業は萎縮していた︒官僚資本工
業を計算に入れても︑国民経済に占める現代工業の割合は
一〇%前後に過ぎず︑工業製品の生産高は惨めなほど少な
かった︒一八八八年に初の紡績工場が設立されたが︑一九
四九年の綿糸生産高は三二・七万tしかなく︑生産高が最も
多かった年の七四%に落ちていた︒綿布の生産高は一八・九
億mで︑最高年生産高の四七%に過ぎなかった︒一八八二
年に最初の発電所が設立されたが︑一九四九年の発電量は
わずか四三億㎜で︑最高年の七二%であった︒一九〇七年
に最初の製鉄所が設立されたが︑一九四九年の銑鉄の生産
高はわずか二五万t︑鋼は一五・八万tで︑最高年生産高の
一四%︑一七%しかなかった︒石炭は三二〇〇万tで︑最
高年生産高の五二%︒原油は一二万tで︑最高年生産高の
25‑一 一経 済 社 会 発 展 五 十 年 の 量 的 分 析
三八%であった︒総じていえば︑工業総生産高は大体第二
次世界大戦前と比べて半分ほど減った︒うち軽工業は約三
〇%︑重工業は約七〇%減少した︒
農業は長期にわたる封建的な土地制度の束縛のため︑農
村人口の中で一〇%足らずの地主・富農が七〇〜八〇%の
土地を占有し︑農村人口の九〇%を占める貧農・雇農およ
び中農の所有する土地は二〇〜三〇%に過ぎなかった︒地
代や高利貸による搾取に加え︑長期にわたる戦争のために︑
農業生産も深刻な破壊を受け︑一九四九年の食糧生産高は
わずか一億=二二〇万t︑綿花も四四・五万tしかなく︑第
二次世界大戦前の一九三六年と比べてそれぞれ二五%︑四
八%下降した︒大家畜も一六%減り︑豚と羊は一/四︑一/
三︑水産品は七〇%減った︒
新中国の建国前︑工農業生産の低下により︑各業界は不
景気に陥り︑経済は破綻していた︒ひどいインフレで︑物
価が暴騰し︑失業者が約=二〇〇万人もいた︒上海だけで
も︑一九四七年には二〇〇万人近く失業者がいた︒人々は
安心して生活することができず︑生活レベルは極端に低下
していた︒推計によれば︑戦前において史上最高だった一
九三六年の国民所得は二五七億元(法幣11一九三五年以後
に国民党政府の発行した紙幣)︑当時の一元法幣110・二九
五ドルで換算し︑さらに人口四・五億人として計算すると︑
一人当たり国民所得は一六・八ドルであった︒ところが一九 四九年になると︑国民所得は三五八億人民元︑一人当たり
六六元で︑一ドル日○・二七二人民元として計算すると︑一
八・○ドルだったが︑生産・建設・蓄積に必要な資金を差し
引くと︑消費に用いられるのはわずか一ニドルであった︒
一九四九年におけるアメリカ︑イギリス︑ドイツ︑フラン
スの一人当たり国民所得はそれぞれ五〇五︑四六四︑三九
四︑二八五ドルであったから︑中国はこれらの国の三〜六
%に過ぎなかったのである︒建国初期の中国の国民所得が
欧米先進国とは非常にかけ離れていたことを示している︒
二新中国五〇年の建設の成果
一九四九年一〇月一日に新中国が成立すると︑まず中国
における帝国主義の政治的・経済的特権を廃棄し︑官僚資
本を没収した︒また土地改革を行い︑封建的土地制度を廃
止した︒中国人民は中国共産党の指導のもと︑自力更生︑
刻苦奮闘し︑いくたの曲折を経て︑ついに中国の国情に合っ
た発展モデルを模索しあてたのである︒
H経済建設総規模の拡大︑国民経済力の増強
建国後︑拡大再生産の能力と条件を増強するために︑ま
ず大規模な基本建設投資を行った︒一九五〇〜一九九八年
の四九年間に︑全社会固定資産投資総額は一七兆五八四四
億元(人民元︑以下同様)に達した︒そのうち基本建設投
資が七兆二七〇三億元︑更新改造等の固定資産投資一〇兆
三一四一億元であった︒大規模な建設により︑国民経済力
は大いに増強され︑五〇年間で基本建設固定資産は四兆九
八〇〇億元増えた︒完成して運転開始された大中型プロジェ
クトは六千余にのぼり︑竣工した各種建物の建築面積は六
二億︑mに達した︒これは建国初期における全国の都市建屋
建築面積の一四・四倍にあたる︒五〇年来の基本建設によっ
て新たに増えた生産能力の主なものとしては︑発電ユニッ
ト容量二億一五七九万田︑石油採掘二億九二一六万t︑石
炭採掘七億六一三七万t等がある︒また道路三二万㎞︑鉄
道三・六万㎞が新設された︒以上の増加能力は一九九八年時
点で第一次五か年計画期(一九五三〜一九五七年)の数倍
ないし数十倍にあたる︒国有企業各部門の固定資産原額は︑
一九五二年には二四一億元であったものが一九九八年には
六兆元あまりに増え︑一九五二年の二五〇倍となった︒建
国初期の各タイプの工業企業の固定資産原額は一二〇億元
あまりに過ぎなかったが︑一九九八年末には全工業企業資
産総額(固定資産︑流動資産︑長期投資︑無形資産等を含
む)はすでに一二兆元に達し︑建国初期の八〇〇倍以上と
なった︒工業企業の数は一九五七年の一七万から一九九七
年には七九二万に増えた︒うち二・四万は大中型企業である︒
総合的国力が著しく増強された︒一九九八年の国内総生 産は七兆九五五三億元に達した︒一九四九年にはわずか四
〇八億元しかなかったから︑可比価格で計算すると︑一九
四九年の五〇五二%である︒平均して毎年八・三%ずつ増え
たことになる︒そのうち一九七八年以前の二九年間の年平
均成長率は七・四%であったが︑改革開放後の一九七九〜一
九九八年の二〇年間では九・七%となり︑改革前と比べて
二・三ポイント伸び
ている︒中国は︑国
内総生産を一九八〇
年の四倍にするとい
う戦略目標を五年早
く一九九五年に実現
した︒世界銀行の推
計によれば︑一九九
七年の中国国内総生
産はすでに世界第七
位になっている︒一
人当たり国内総生産
は一九四九年の七五
元から一九九八年に
は六四〇四元に増え
た︒可比価格で計算
すると︑二一九二%
2']一一 経 済 社 会 発 展 五 十 年 の 量 的 分 析
で︑毎年平均六・五%の伸びである︒うち改革開放後の二〇
年間の年平均成長率は八・三%で︑改革開放前の五・三%よ
り三・○ポイント高くなっている︒
中国は世界の一〇%に満たない耕地で二二%の人口の食
の問題を解決している︒主たる農産物の生産高は安定的に
増えている︒一九九八年の食糧生産高は四億九〇〇〇万t
あまりに達し︑一九四九年の一億=一二八万tからすると︑
三・三倍増えた︒年平均三・○%の伸びである︒うち一九七
九〜一九九八年は毎年一千万t近くの伸びを示している︒
綿花︑食用油原料︑肉類等の主要農産物もいずれもかなり
大幅に増えている︒
主要工業製品の生産高はさらに急速に増加した︒一九九
八年の鉄鋼生産高は一億一五五九万tで︑一九四九年の一
六万tからすると七二一倍増︑年平均では一四・四%増であ
る︒発電量は一兆一六七〇億鵬で︑一九四九年の四三億㎜
と比べると二七〇倍増となった︒年平均一二二%増であ
る︒このほか原炭︑原油︑セメント等の基礎産品やテレビ︑
電気冷蔵庫等の家庭用消費財も大幅な伸びを示している︒
五〇年間の建設により︑基礎産品の﹁ボトルネック﹂の
制約が大いに緩和されたばかりでなく︑消費財の長期にわ
たる品不足が基本的に解決され︑市場における商品供給は
充足し︑かつての売り手市場から買い手市場へと変わって
きた︒ 口社会構造に重大な変化が発生
中国における五〇年間の経済・社会発展の変遷は︑経済・
社会構造の重大な変化をもたらした︒これは一種の総体的・
全面的な社会の転型を指し︑構造転換︑メカニズム転換︑
利益調整と観念形態︑人々の行動様式・生活様式・価値観
にいずれも顕著な変化が生じたということである︒特に二
〇年間の改革・開放により︑中国はすでに社会の新たな転
型期に入っている︒転型の主体は社会構造であり︑以下の
面に転型の具体的状況が現れている︒
ω自給・半自給の産品経済から市場経済への転型︒建
国初期から改革・開放が始まる前までは︑中国の商品経済
の発育度はたいへん低いものであった︒特に農村において
は基本的に自給自足の自然経済の状態にあった︒生産と分
配は生産隊と人民公社の集団経済を採算単位とすることを'C‑‑Kとした産品配分制度であり︑生産隊の産品は農業税
を納付した後︑集団留保分を控除して︑残りの部分は公社
員に分配された︒こうした分配制度が一九五二〜一九七八
年にわたり大体二六年間維持された︒一九七八年に農村で
生産請負制が実施されるようになって︑ようやく農民は余
剰産品を市場で売買することが許されるようになり︑自給
自足の閉鎖状態が打破されたのであった︒農民の生活消費
財の中で商品が占める割合は一九七八年の四一%から一九