鈴 木 邦 武
Augustus Ralliは「シェイクスピア批評史」 (A History of Shakespeare Criticism,1932)の中で,シェイクスピアについて論じている最初のドイツの 批評家としてレッシング (Gotthold Ephraim Lessing・1729−81) の名をあ げ,その「ハンブルク演劇論」と「敢近の文学に関する書簡」によって,次の
ような結論を下している。
Lessi。g i・aware・f th・・eali・y・f Sh・k・・pea・e−hi・kn・wl・dg・・f・h・passi・n・
。nd th。 uniqu。。f hi・v…e−・nd he al・・kn・w・th・t Sh・k・・pea・e need・d・
9,ea・,・a・t t…nv・y hi・phil…phy・Th・d・am・…p・a・・i・ed by V・lt・ire・i・
h。,dly g・eat・n・ugh t・illu・t・at・Sh・k・・peare ・g・niu・by・・n・・a・t・・nd y・t 五essi。g。、e・it n・t un・kilfully t・b・i・g h・m・t・u・th・wid・Sh・k・・pea・i・n
(1)
sweep・
しかしL.M. Priceはレッシングをドイツに於いて最初にシェンクスピアの才 能を認めた批評家とすることは間違った解釈であるとして,シェイクスピアに 関する批評を試みているものについてD・G・モルホーフ (Daniel Geo「g
M。,h。f,1689−−91)のくU・terri・ht・・n der d・ut・ch・n Sp・a・h・und P…i・・
deren U,、p・ung, F・・tg・ng und L・h・・a・ze>(1682)やB・フ・イント(B・・th・1d
Feindj678−1721)の<Gedanken von der Opera>(1708)にまでさかのぼ り,ドイツに於けるシェイクスピア評価の経緯について触れ,レッシングのシ エイクスピア観がJ.E.シュレーゲル(Johann Elias schlegel・1719−49)の
■〈V。,gl,i、hung Sh・k・・peare・und And・ea・G・yph・〉(1741)やくG・d・nken
zur Aufnahme des danischen Theaters》(1747)に負うふしがあることを指摘し
てい課レッシングがシェイクスピア1こついて論じているところは彼の著作の
中にそう多く見当るわけではなく,また特にシェイクスピア論といったような
ものを著わしているわけでもないが,シェイクスピアがドイツ精神の形成の上
で大きな力となるまでに,シェクスピアの受容の 礎を築きあげる上でレッシン
グの存在が大いに意義のあるものであったということは否定し難い事実と見る
ことは出来よう。
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レッシングの批評家としての活躍の第一歩を記すとも言うべき「最近の文学 に関する書簡」(Briefヒ・die neueste Literatur betreffbnd,1756−65)は,道 徳的使命を強調するあまり演劇にも勧善懲悪以外のものを求めずまたフランス の合理主義…一辺倒でこり固っていたゴットシェト(Johann christoph Gott一 sched・1700−66)の態度を徹底的に論破することに向けられている。つまり,
ゴットシェトはフランス古典主義に厳格に追従し,就中そこで守られている三
.一 vの法則を金科玉条とし,フランスで現実的であるということによってそれ がそのままドイツに於ける制作を規定すぺきものとして導入したのであった が,ドイツの演劇を本当に理解することもなしに,またフランスで行われてい る方法をそれがドイツ人の思考に適しているかどうかも確かめずに受け入れた ことをレッシングは非難する。彼はこの書簡の中でドイツの演劇がイギリスの 演劇と歴史的にも嗜好の上でも類似しており,フランスの演劇との間には差異 が見られることを指摘している。レッシングのこのようなゴットシェトに対す る態度は,彼の活躍のすぺてについても言えることであるが,われわれの行為 が自主的思考的な主体に根を降ろしていなければならないという見解に基づく
ものである。これは神やキリスト教についてなされた問の出発点ともなってお 駕この思考的主体がレッシングの場合受身の立場に立ったとはなかった。神 に対する間題も人間の本質から切り離すことの出来ないものとして,自ら疑問 を持ちかける人間の内面から生れてくるものであった。そのような立場から芸 術の自律性という問題も取り組まれているのであって,例えば「ラオーコオン」
(Laokoon・1766)の中で画家と詩人とを比較することについて触れている中 で「両者が完全にその自由を持ち得たかどうか,何ら外的な禦肘を受けること な&に,その芸術の持つ最高の効果を目差して活動することが出来たかどう か」を問題にしなければならぬことを強調している。ただレッシングの場合,
自律性とか自由とかという概念は,勿論ヘルダー(Johann Gottfried Herder,
1744−1803)以後のシュトルム・ウント・ドラングの詩人たちのそれとは異な って・道徳的な究極目的との関連なしには考えられない。
このような道徳的な究極目的との関連のもとに於ける自律性の追究の態度は
レッシングの演劇の中に一貫してみられるところである。市民悲劇「ミス・サ
ラ・サンプソン」(M五ss Sara Sampson,1755)の中では,家を飛び出し恋人の
もとに走ったSaraを通して,盗れるような激しい主観的な感情を捨てきれ
ないまま,客観的な社会の秩序(Saraにとっては,これは神によって定めら
れ,それを破ること自体が罪であったので)に従わねばならぬ苦しみが具象化 されており,また相手のMellefontも,自由であるということの内的必然性に 目覚めながら,それを客観的な道徳的秩序のもとに生かすことが出来ず結局は 自分を破滅に導いてしまうことになる。それに反して,「ミンナ・フォン。バ ルンヘルム」(Minna von Barnhelm,1767)のTellheimはもっとまじめで社
・ 会的な人間として取りあげられており,道徳的理念が更に突っこんだ形で問題 とされている。彼は最早宗教に支えられた社会的な秩序に従うことはなく,自 由に帰属する主観的な道徳に基づいて,自己の行動を規定する・ここでは主観 的道徳と客観的秩序との葛藤が悲劇的な結末を導びくことなしに,道徳的なも のが形成的な力として新たに社会的空間の中に入り,この社会を個々人の内面 性と品位とによって豊かにしてゆく原動力と化している。リビウス(Titus Livius, BC.59−AD.17)の「ヴァージニア物語」に題材を求めたと言われ,
イタリーの小公園の公爵に美しい娘が誘惑されようとするのを・その父親が娘 の純潔をまもり名誉を貫くために,いとし子を殺害して救わざるを得なくなる 悲劇を扱った「エミリア・ガロッテイ」(Emilia Galotti・1772)では,主人公 Emiliaについてみれば,最早神の庇護も両親の助けも得られない状態に置か れ,逃れ難い危険に落ち入ってはじめて彼女は1度限りの自由への自覚を得る
(「だれがわたしを捉えているのか一だれがわたしを強迫しているのか一わた しは見てやりたいものですわ。1人の人間を自由にできる者がいるなら,お目 ノかかりたいものですわ14)」).公爵の誘惑から逃れることによって彼女は完全 に人間としての道徳的自由の意識に〔覚めるのであるが,それを彼女は,最早 避け得なくなった死を通してさえも,敢然と求めてゆくのである。ライマルス
(Hermann Samuel Reimarus,1694−1768)の遺作「理性的敬神者のための弁 護」 (Apologie oder Schutzschrift fUr die vernUnftigen Verehrer Gottes)を
「ある無名氏の断章」 (Fragmente eines Ungenannten)として刊行したことに 端を発する宗教論争の継続の意味もこめられた「賢人ナータン」(Nathan der
Weise,1778)では,主人公Nathanはすぺての外的制約から自己を抑制する
ことによって己を開放するという道を取っている。しかしそれも心の自由に従
ってのことであって,あきらめではなく自律性に基づく神の意志への同意によ
ってである。従ってそこでは最早外的世界との対立に於いて内面性が取りあげ
られているのではなく,すぺての外的な要素を内的道徳的なものに置き換えて
しまう。Nathanの教育的合理主義や冷静な善意は・この,たζえそれが外側
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からみた場合どのようなものであれ,内的自由から愛し理解することを学んだ 道徳的内面性というものに根差している。つまり,Nathanにあっては,人間 性ということが貫かれており,それが単に歴史によって定められた人間のあら ゆる区別に優先するものでなければならない。人間がどのような境遇に生れた かということはその人間にとって決定的なことではなく,彼がどのような生き
方を取るかということが問題であり,彼の信仰が問題ではなくて,彼の人間と ・ しての人格が問題とされている。例えば聖堂騎士に語る次のような言葉もその
ような立場から述べられている。
一Verachtet Mein Volk so sehr Ihr wollt. Wir haben beyde
Uns unser Volk nicht auserlesen. Sind Wir unser Volk 2 Was heiβt denn Volk P sind christ und Jude eher christ und Jude,
Als MenschPAh!wenn ich einen mehr in Euch Gefunden hξltte, dem es gntlgt, ein Mensch
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Zu heiβen!
このようにレッシングの戯曲に登場する人物は,すべての歴史的条件による 価値づけより内面性により高い価値づけを認める原則によって生み出され,人 間であることの自覚に満されている。
戯曲に於いて貫かれているこのような理念はまた彼がフランス演劇に盲従す るゴットシェトに対する場合の支えともなっている。「最近の文学に関する書 ,
ネ」の第17の書簡の中で彼はまず「ゴットシェト氏が演劇に携わってくれなか ったら良かったのに。氏が改善したと考えておられることは,無くてもよいよ うなつまらぬことか,でなければ,すっかり駄目にされてしまったことがらで
(6)
ある」というような調子でゴットシェトを完全に退けてしまい,もしこれまで のドイツの演劇を充分に検討するなら,ドイツ人にはフランス人の嗜好よりも イギリス人の嗜好の方が合っているということが解るはずであるとレッシング は見ている(こういう場合彼はディドロ(Denis Diderot,1713−84)のことは 例外とみているようである)。「もしシェイクスピアの大作を,幾分控え目な変 更を加えて,われわれドイツ人のために翻訳すれば,間違いなくコルネイユ
、 (P五eτre¢orηeille・1606−84) やラシーヌ (Jean只acin{㍉1689−99)につv・て
(7)
知られているよりももっとよい成果が件られることであろう。」こうして彼は ドイツ人に相応しい新しい模範としてシェクスピアの名をあげる。
「古代人の模範に従って判定してみても,シェイクスピアはコルネイユと比 ぺると,後者は古代人のことを非常によく知っており前者は殆ど全く知らなか ったにもかかわらず,はるかに偉大な悲劇詩人である。コルネイユは機械的な 構成の点で古代人に近付いているが,シェイクスピアは本質に於いて近付く。
このイギリス人はどんな特異な彼独特の方法を選んでも殆ど常に悲劇の目的を 達成しているが,フランス人の方は古代人の引いた軌道の上を進むにもかかわ らず,殆どいつもその目的を達成することはない。ソボクレスの『オイデプス 王』以降,『オセロ』,『リア王』,『ハムレット』など程われわれの情熱を
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湧き立たせるような作品は無かったに違いない。」ここに彼のシェイクスピア とアリストテレスに対する新しい態度が決定づけられることになる。この引用 文の中でフランス人が古代人の引いた軌道の上を進むと言っているのは,アリ ストテレスの「詩学」の中で触れられている「筋は始めと終りと中間があり一 貫したものでなければならぬ」(第6章)「できるだけ太陽のひとめぐりもし くはそれに近い時間におさまるよう努力すること」(第5章)といったことを 基にして17世紀前半にフランスで作りあげられた三一致の法則のことについて 述べているのであるが,レッシングは,ニコライ(Christoph Fricdrich Nicolai,
1733−1811)との意見交換を機縁としてアリストテレスを一層精確に読んでいた ので,フランス人が詩人の神アリストートによって定められた神厳な法則と言 っているものはアリストテレスを正しく理解したものではないことを指摘し,
このフランスでは因襲となっているものがゴットシェト等によって強制的なも のの如くドイツに伝えられたため,ここにフランス古典主義精神の支配に対す
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る必然的な斗争を始めるのである。レッシング自身が述ぺているように,彼の 演劇観はアリストテレスの「詩学」に負う面が外く,それは「悲劇は,ただあ れやこれやのの激情を,といっても差別なくすぺての激情というわけではない
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が,浄化するために,われわれの恐怖と同情を呼び起さなければならない。」
(11)
「戯曲的形式は恐怖と同情を生超せしめる唯一の形式である」というような言
葉からも窺うことが出来る。このようにレッシングにあっては戯曲的形式も恐
怖と同情を呼び起こすための手段と考えられており,そのような理由から彼の
戯曲では人物の性格や事件の展開ということより,真実と自然が求められ,彼
のシェイクスピアへの関心もまたそこに桿差していると見ることが出来る。
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レッシングの著作の中で一番最初にシェイクスピアの名をあげているのは
「演劇の歴史と受容に関する論考」(Beitrage zur Historie und Aufnahme des Theaters,1750)の序文の中で「Shakespear, Dryden, Wicherley, Vanbrugh,
Cibbe為Congreveはわが国では名前だけしか知られていないけれども(㍉2)好評を 得ているフランスの詩人と同じくわれわれの尊敬に値する詩人である」と述ぺ ている所であるが,ここではドライデン(John Dreyden,1631−1700)以下の 人々とただ名前を並ぺているに過ぎず,シェイクスピアについての理解はまだ 見受けられない。彼がシェイクスピアを理解する糸口をつかんだのはイギリス の古典主義者ドライデンを通してであると見ることが出来る。彼は「演劇叢 書」(Theatralische Bibliothek,1755−56)の4号にドライデンの「劇詩評論」
(Essay on Dramatic Poetry)を翻訳したのであるが,そこではシッイクスピ アがあらゆる詩人中,最も偉大で,最も無拘束な精神を持っており,自然のあ らゆる形象が彼には常に現前しており,彼が何を描写しようとも,それはただ 単に見られるのみならず,感じられさえする。彼は学識を得ることなしに博識 であった。彼は自然に悟入するため眼鏡を必要としなかった。自分自身を見入
ってそこに自然を見出したというように紹介されており,シッイクスピアは精 神的イギリス人にとっては自然的必然性であったことをレッシングは知った。
それが彼の求めていた理想と全く一致するのを認め,詳しく研究することによ って,シッイクスピアもまた自然の模倣によって心を浄化する同情を起し得る 力を持っていることを理解し,「自然を包括的に模倣することによってあらゆ
(14)
る効果をほしいままに発揮することが出来る詩人」シェイクスピアを発見した のであり,それによって彼はアリストテレスを模範とする彼の理論に美事に適 応する事実を得たのである。レッシングはシェイクスピアに関してもやはり究 極目的というものを前提としていて,例えば亡霊についてヴォルテー・ル(Voレ taire:Francois Marie Arouet,1694−1778)の「セミラミス」(Semiramis,1748)
と「ハムレット」(Hamlet,1600−1)を比較して,ヴォルテールの亡霊は詩 的機械としてやま場をつくるためにただそこにあるに過ぎず,それ自体はわれ われには何らの関心も呼び起さないが,シェイクスピアのそれはわれわれが関 与する運命のもとにあって実際に行動する人間であり,それは恐怖を呼び起こ
し,従ってまた同情をも呼ぶのであって,ヴォルテールが死んだ人間の出現を
ひとつの奇跡と見ているのに対して,シェクスピアは全く自然な出来事と見倣
していることを指摘している(「ハンブルク演劇論」(Hambu》sche Drama‡町一
gie,1767)第11.12章)。その外に「ハンブルク演劇論」の中でシェイクスピ アについて論じられている部分をみると,ヴォルテールの「ザイール」(Zaire,
1732)は恋愛を描いているなどとは言い難く,せいぜい情事を描いているに過 ぎず,恋愛をライトモチーフとしている唯一の悲劇をあげれば「ロミオとジュ リエット」(Romeo and Juliet,1594−6)であるという見解が第15章にみられ るが,同じ章の中でやはりヴォルテールの「ザイール」とシェイクスピアの
「オセロー」(Othello,1604)を取りあげて,嫉妬について触れ,嫉妬に燃え るOrosmanは嫉妬に苦しむOthelloに比べると全く空うな人物となってしま って,われわれはOrosmanを通して嫉妬に悩む人間が語り,嫉妬にかり立て られて殺害を犯すのを目撃するが,嫉嫉それ自体からは,われわれが知ってい るものより以上のものを学ぶことが出来ず,それに反してOthelbは悲劇的な 狂気の最も完全な教科書であるという指摘がみられるが,ここにもアリストテ レスの理論に立脚し,目的意識をもって悲劇を見ようとするレッシング的な立 場がはっきり表われている。そしてシェイクスピアに接すことの出来ないドイ
ツの読書のためにと彼はこの章の中でヴィーラント(Chrlstoph Martin Wie一 1and,】733−1813)のシェイクスピア訳(1762−66)のあることを紹介してい る。同様に第79章では「リチャード三世」(Richard皿,1592)を取りあげてい る。Richardの行うことのすぺては恐怖であるので,われわれはRichardがそ の目的を達成させないことを望むが,しかしまた口的が達せられれば様々な手 段が無為になされたのではないということによってわれわれを不満に落し入れ ることもない。意図はもとより達成されるぺきものであるからわれわれの関心 をそそるが,それが達せられればその意図の全く恐るぺきことを目撃してしま うのであろうから,それが達せられないままであることをわれわれは望む。そ してわれわれはこのような希望を劇が終局に至るよりも前に感じ,そのよう な期待がわれわれに恐怖感を呼び起すので「リチャード三世」もまた戯曲的 詩歌に変りはないことを指摘している。なお,彼の友人ヴァイセ(Christian Felix Weiβe,1726−1804)の,実はColley C五bberくRichard皿, alter d from Shakespeare>によって書きあげた,フランスの形式によって三一一致の法則に 従った戯曲「リチャード三世」について,「自分はシェイクスピアからは劉窃 G5)
していない」というヴァイセの言葉を引用しながら,ヴァイセはシェイクスピ
アを彼の戯曲を作る前に読んでおくべきであったと述ぺている(第73章)のは
いささか滑稽であるが,彼がここでこの二つの戯曲についての検討をしていな
68
(i6)
「ことについての欠陥は度々指摘されている、外に「ハンブルク演劇論」の中 でシェクスピアについて触れている所は,シェクスピアの場合舞台装飾がなさ れなかった以前の方がよりよく理解されたのであって,演劇の理解に役立つの は装飾ではなくて観客の想像力で,フランスの詩人が感動させないのは劇場の せいではないということを述ぺた第80章がある程度である。「ラオーコオン」
の中でも1箇所でシェイクスピアの文を引用しているが,そこでは「リア王」
(King Lear,1605−6)の第1幕第2場冒頭のEdmundの独自を引用して・
悪魔の語るのを聞くが同時に光の天使の姿の中に彼の姿を認めると述べEmu一 ndはアリストテレスの理論に言われている一貫して矛盾と変化のない性格(第 15章)に反しているのに,Richardの方は,<I am determined to prov6 a Vmain>と言い終ると悪魔が本当の悪魔の姿をして語るのを聞き,その姿を見 る思いがするとして,まさにアリストテレスの理論に合致する良い例として取 りあげている。
詩歌がどのようにして成立するかということではなくて,何をなすべきかと いうことが根本問題と考えるレッシングの場合,彼の創作する戯曲がすぺてそ うであったのは勿論のことであるが,シェイクスピアに対してもその態度には 変りがなかった。レッシングにあっては天才は永遠の法則と合法的な形式の代 弁者であり,決して突発的な例外ではなく,合理的な世界像の充実せる所有者 なのであった。知識と能力とそれを表現し得る力とが天才の条件とされた。勿 論天才は主観的な創造的理性の中から生じるのであるが,それが作り出した芸 術の世界は客観的合理的な調和の性格を保持するとレッシングは見る(「批評 家は必ずしも天才ではないが天才はいずれも生れながらの批評家である。天才 はすべての規則の試評を自分の内に持ち,彼の感情を言葉に表現してくれるも
(17)
のだけを捉え,保持し,守る。」 「正しく論証しようとするものはまた創案
(18)
し,創案しようとするものは論証出来なければならない。」)シェイクスピアは レッシングにとっては,最も広範囲にわたる内面的知識と幸運な経験とそれら を表わす最も大きな力を兼備しているという理由によって最大の天才なのであ
(19♪
る。このようにレッシングは啓蒙主義の中で培われ合理的思想に立脚し,理性
の面からシェイクスピアを眺めその立場を最後まで失うことはなく,シェイク
スピアを最も秀れたアリストテレスに基づく詩人と見倣し,アリストテレスと
シェイクスピアを同一の原理によって結びつけ,それがドイツ人の嗜好に最も
適したものとしてドイツの演劇を,フランス人には相応しくともドイツ人には 相応しくない演劇の法則から解放することに役立ち,またドイツ人にシェイク スピアへの関心を呼び起した。しかし,シェイクスピアの戯曲は問題や教訓を 表現しているものではなくて目的を持たぬ生活力の充盗なのであるから,理性 の面からだけの近付き方は所詮シェイクスピアの完全な把握には至らないので あって,詩的な内容に対する感覚に欠けたという欠陥を残すことになった。そ してそれは間もなく,様々な創造物に生命を与えている力を追感し,創造者が それらに吹きこんだ一生を共に生きようとするヘルダー (Johann Gottfried Herder,1744−1803)による,シェイクスピアを内部からの統一的直観によっ て捉えようとするゆき方によって補われなければならなくなる。ヘルダーは個 性的な生そのものが創作の根源であるという見方に立ち,シェイクスピアは彼 の世界を自然必然的に創造していると見る。従ってヘルダーに於いては個性的 条件から必然的に生成し創作されるものが最高の芸術作品となる。そしてそれ によれば,ギリシャ悲劇はギリシャ人の個性的な表われであり,1回限りの結 果なのであり,またシェイクスピアも同様にギリシャ悲劇とは母体を異にす る,イギリスに自然必然的に生み出されたイギリス独特のものであり,両者は 全く異質のものであるが,自然であるということによって秀れていると見倣さ れる。そしてレッシングによってアリストテレスの理論に結びつけられたシェ イクスピアの戯曲もまたヘルダーによってそこから解き放されることになる。
註
1. Augustus RaUi:AHistory of Shakespeare Criticism.2vols. Oxfbrd Univ.
Press,1832, vol 1, P.109
2. Lawrence Marsden Price:Die Aufnahme englischer Ljteratur in Deutsch一 land 1500−1960. Bern,1961, ins Deutsche von Maxwell E. Knight.(T量te1 der Originalausgabe Engllsh Literature in Germany)S.223 ff.
3.G. E. Lessings samtliche Schriften, hrsg. von K. Lachmann(以下Schriften)
Bd,9, S.65 4. Schriften Bd,2, S,448 5. Schr董ften Bd.3,S.63 6. Schriften Bd.8, S.41 7. ibid. S.43
8. ibidg
70
9. Schriften Bd.10, S.214 10. ibid. S.113
11. ibid .S.123
12. Schriften Bd.4, S.52
13・ schriften Bd・3, s・249 ff. von Johann Dryden und dessen dramatischen Werken .
14. F.Gundolf:Shakespeare und der deutsche Geist.8, Aufi. Berlin,1927。
S.130
15.Meyers Klasslker−Aμsgaben. Lesslngs Werke. hrsg. von G. Wltkowski Bd.
5,S.243
16.LM. Price:Die Aufnahme englischerLiterattlr in Deutschland. S.263,
17. Schriften Bd.10, S.190 18. ib量d. S.19]
19. F.Gundolf: Shakespeare u裏1d der deutsche Geist. S.138 f,
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