茨城大学教育学部紀要(教育科学)33号(1984)43−59
デューイの教育理論における教材と教授法との統一
関 勤
(1983年9月30日受理)
The Unity of Subject Matter and Method in John Dewey s Educational Theory
Tsutomu SEKI
(Received September 30,1983)
1 問題……教材と教授法との関係
戦前,日本の教育行政は徹底した中央集権的機構のもとに行なわれていた。義務教育段階を含む 教育組織としての小学校の教育については特にその統制はきびしく,とりわけ児童に教える教材
て教育内容)に関しては,ただ一種類の国定教科書が各教科に亙って文部省著作物として発行さ礼 その教科書のみを使用する授業が強制されていた。また,その教材の解釈と授業での使用について
も,誤解や曲解を避iけるために,あるいは,文部省の意図に反して教師たちの主観的な,独断的な 解釈をゆるし,教科書がいわゆる悪用されることを防止するために,児童用教科書の外に教師用書 という教科書が発行されていた。それによって教材の内容の解釈,教授上の注意事項,例話のとり あげ方など教師の授業のあり方について一定の枠をはめ,教師によって行なわれる各教科の授業が 文部省の意図から逸脱しないように拘束する仕組みになっていたわけである。
以上のような歴史的事実について,海後宗臣は昭和25年につぎのように書いている。「戦後カリ
キュラム問題に多くの人々が力を集中するようになったのは,従来教育課程を如何に構成するかと
いう問題が中央官庁即ち文部省に於てのみとりあげられ,一般教育者がこれに手を触れ得ないよう
になっていた。この厳格な中央からの統轄を受けていた事情が一変したことによるのである。文部
省は教育規程をもって教科目の種類を定め,それの時間配当や学年別の配置を決定していたばかり
ではない。各科目の要旨を規程として公布し,その趣旨によって如何なる内容を構成するかは,更
に詳細な要目を示してこれに準拠させた。そればかりではなく国定教科書制度が五十年間に亘って
初等教育機関での教材を詳細に決定していた。この傾向は中等諸学校にも及び多数の国定による中
等教科書の刊行を見たのである。殊に戦時中は国定教科書以外のものを教科書として用いることが
できなかったばかりではなく,その解釈も国定教師用書をもって一定せられていた。このような厳
重な中央統轄の方針によって教材が決定せられていた為に,教育課程は細部に至るまで文部省がこ
れを完全に掌握していた。教育者はかくの如く出来上ったカリキュラムを受けとって,その方針の
如くに学習指導を行っていたのである。こうした中央統轄下にあっては全国各学校にある教職者の
手の中にはカリキュラム編成について何等の仕事も委ねられてはいなかったのである。」1)
戦前,教育課程をいかに構成するかという問題が中央官庁即ち文部省においてのみとりあげられ,
一般教育者がこれに手を触れ得ないようになっていたということについては,当時の教育観,ある いは,教育課程観(学科課程観)がある程度それを容認していたからであると言うことができるで あろう。それは教育の内容を比較的に固定したものであってよいという考え方であり,学科課程は 社会の変化にもかかわらず変化しなくてもよいという認識である。阿部重孝は昭和7年に「学科課 程は何故に社会の変化に伴って変化しなかったか」という問題に論及して,その理由として,(一)
生活から遊離した教育目的論, (二)学問即教育の思想, (三)形式陶冶説,の三つを挙げている。
これらの三点について,かれの論述の要点のみを引用してみよう。
(一)生活から遊離した教育目的論ということについて,「学科課程の構成に当っては,先ず教 育の目的をきめることが必要であるが,これまでの教育論者は目的の設定から出発しているに拘 らず,その目的観から論理的に学科課程を導き出すことには失敗している。即ち殆んど凡ての場合 に於て,目的から教材へと不合理な飛躍をなし,両者の間隙を満すべき原理を示していない。(中 略)斯の如く,これまでの教育論者がその目的観から論理的に教材を導き出すことの出来なかった 理由は何であるか。それは彼等が教育の目的として所謂理想をあげただけで,吾々の生活活動を考 えなかった為である。換言すれば吾々の生活活動から遊離した理想のみをあげたからである。学科 課程には吾々の生活を支配する理想が関係するばかりでなく,吾々が現実に行動し思考する所も関 係するのである。 (中略)一般に,教育の目的と学科課程との論理的関係の失われたことは,教育 学説に幾多の変遷があったに拘らず,学科課程をして固定せしむる傾向をとらせるに至った。この 間の消息を知ろうと欲する者は,我が国に於て明治以来教育界に幾多の教育説が紹介せられ,そこ に色々の流行をひき起したにも拘らず,学校が採用する学科課程に殆んどいうに足るほどの変化を もたらさなかった事実に注目するがよい。何れの教育説にも教育の目的観はあった筈である。併し ながらそれらの教育説がただ理想をかかげるだけで,その理想に統制せらるべき具体的人生を十分 眼中に置かざる限りは,その教育説の如何に拘らず,学校が伝統的学科目に執着する勢を如何とも することの出来ないのは,歴史の示す事実である」!)と述べている。当時の教育学が観念的思弁的 教育学であって,教育実践となんの結びつきもないものであったから,阿部の主張は当然のことと
して肯定されなければならないであろう。
(二)学問即教育の思想ということについて,「何れの国に於ても学校教育発達の初期に於て,
富裕階級の子弟のみが教育を受けた時代には,教師として選ばれた者は少くもその当時の学術に通
じた者であり,また多くの場合は,彼等自身が学術の研究者であった。その後学校教育の普及につ
れて,所謂需要供給の法則に支配されて,教師の学職も幾分か低下する傾向をとったが,而も如何
なる場合でも,教師としての第一の資格は,その当時の学問に通じているということであった。か
くして選ばれた教師の第一に遭遇する問題は如何にして児童を教育するかの問題であった。この間
題は,その中心問題として,如何にして適当な教材を選択するかの問題であった。而して初期の教
師が教材を探し求める場合に,先ず当時の学術に注目し,これを直に採用したことは,彼等が当時
の学者の著作をそのまま教科書として採用した事実によって明かであるが,この事は後の時代の学
科課程の方向を決定する上に於て,極めて重大な意義をもったものである。もし初期の教師がその
当時の学術をそのまま採用することなしに,吾々の生活活勤の分析を基礎として,児童が生活上の
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問題を処理するに最も有効なる教材を採用したと仮定するならば,吾々は従来とは全く異った学科 課程を発展し得たに相違ない。その場合には,公教育に於て,長い間実業教育を等閑視することも なかったろうし,また公民教育の如きも久しい以前から一般教育上に確乎たる地位を占めたであろ う。 (中略)然るに,学校教育はその始めから学問を偏重し,組織化された知識が常に教材の中心 を形成していたので,何時かは教育即学問の思想を「般人の間に根づよく植えつけてしまった。か くして,学校教育は吾々の社会生活から遊離し,社会の変化の如何に拘らず,その学科課程は固定 する傾向をとった。この点は将来の学科課程の研究者によって再吟味せられねばならぬ点である」,3)
と論じられている。この点については,戦前の教育のあり方が全くその通りであったと言うことが できるばかりでなく,戦後においても基本的なところではあまり変ってはいないといわざるを得な
いであろう。
(三)形式陶冶説について,「学科課程が固定し形式化すると,それは被教育者の必要を満すこ とが出来ぬという理由から,しばしば烈しい批評をうけた。この批評に対して,伝統的の学科課程 を弁護したのは形式陶冶説(doctrine of formal discipline)である。形式陶冶的の考,随って練習 転移(transfer of training)の考は古くから存在していたが,これが一般に承認され,教育界に大 きな勢力をなすようになったのは,第十七世紀末以来のことである。当時は,ルネッサンスの影響 によって成立した偏狭尽人文的学科課程が,当時の生活の要求に合致しないという理由で,はげし い批判をうけた時代である。この時に当って,ロック(J.Locke,1632−1704)は真の知育は精 神力の練磨にあるとし,その練磨の効果は全部一つの分野から他の分野へ転移することを主張した。
かかる説は十分な魅力をもつものであった。吾々の社会生活が拡大し,それが新しい形式と価値を とるようになり,又科学の発達によって知識の分野が拡大され,従来の学科目採用の論拠が問題に されるようになると,学科目の選択は緊要の問題となって来た。この場合,従来勢力のあった学科 目の価値が問題となったが,これ等の学科目は,もはや吾々の生活に直接の貢献をしていないにも 拘らず,学科課程中に於て既に一種の特権階級を形成し,容易にその地位を譲ろうとしなかった。
この場合に,この特権学科の弁護の為に用いられたのが,形式陶冶説である。この説に従う限りは,
学科課程の構成者は,学科目の社会的価値に就いても,また被教育者の将来の生活に就いても,細 かな考察を加える必要はなかった。このことは,社会事情の変化にも拘らず,学科課程の構成を単 純化し,随って,教育を単純化するものであって,この説が多くの実際教育者に依って支持された 一つの理由である」5)と言うように説かれている。この説の根拠とするところに対するデューイの 徹底的な批判については,すでに二つの拙稿,「デューイ教育思想におけるr状況』(Situation)
について(その1)」5)および「デューイにおける成長としての教育の概念」6)において不十分ながら も解明している。しかし,この説が多くの批判をうけつつも実際教育に対して大きな影響力をもち
. つづけてきたことは阿部重孝の説く通りであったに違いない。
阿部重孝の論述は具体的な例を捜入しつつより詳細であるが,本稿では要点と思われるものだけ
を摘記した。上記のように,かれは,生活から遊離した教育目的論,学問即教育の思想,形式陶冶
説の三つの理由によって,学科課程が社会の変化にもかかわらず変化しなくてもよいと観念された
と述べているのである。これは教育内容を,学科課程を,固定したものと認識することと同じことを
意味している。このような固定的な教育内容観,学科課程観が,政府の教育内容についての統制を
容易ならしめたであろうことは推察に難くはない。
さて,戦前の教育内容に対する文部省のきびしい統制が行なわれていた時代,また,教育内容す なわち学科課程が比較的に固定したものであってよい,社会の変化にもかかわらず変化しなくても よいと考えられていた時代において,教育研究はどのような方向や性格をもったものとなったので あろうか。小川太郎は,昭和27年に「教師の研究活動」という論述において,戦前の教育研究の姿 を,「このように強く枠づけられた事情の下では,教育研究は,教育の目的と内容の批判をさけ,
最小抵抗線に沿って,教育技術に集中することになった。明治初年の注入主義と開発主義との間の 論争,明治中期以後の五段階教授法の工夫,大正に入っては,綴り方における自由選題主義と課題 主義との間の全国的な論戦,自由画教材,文芸綴り方など,教師の研究と論議の集中したのは,つ ねに教育の技術に関する領域であった。アメリカ仕込みの自由主義教師ですら,実体は形式に関し ての新教育であって,勅語を中核とする教育の内容には手をふれることができなかったのである。
しかも技術の領域においてすら,新しい世界の潮流にひたることのできたのは一部の教師たちであ り,それも日本の資本主義が破局的な恐慌に向って,最後のはなやかな発展をとげつつあった大正 の10年たらずの間のことであった。そして,つづく侵略戦争の間には,わずかに許された技術の領 域においてさえ,研究は研修と変り,やがてまた,それによって一切が解決されると考えられた日 本精神の錬成のるつぼの中にとかされて行ったのであった。このようにして,明治以後太平洋戦争 に敗北するまでの日本の教育とその研究の大勢は,一貫して軍事的封建的な権力とそれを支える支 配階級に奉仕する運命を担っていたと言ってよい」,7)と描写している。
また,村田泰彦は,昭和37年に戦前の「教育内容の国家統制」に関する論説の中で, 「教授方法 の形式化」について,「国家権力による教育の統制は,教科書の国定化によっていよいよ教育内容 に国家基準をもたせるところまですすんだ。またそれにともなって,教授法の形式化・画一化がさ けがたくすすめられる結果を生じた。なぜなら,教育目標と内容との国定化それじたいが,目標,
内容についての批判ぬきの,伝達の能率化をめざすだけの技術主義を一般化させたし,また国定化 された目標や内容が教師たちに,個性ゆたかな,創造的な実践への情熱をかきたてさせるようなも のではなかったからである。それゆえに,教師たちがこのような意味での技術主義に立つかぎりで は,教育技術に巧みであればあるほど,主体性を喪失して職人化していく。このように教育技術だ けが独走する道すじは,国定教科書制度の成立によって半ば不可避的につくりだされたのである」ρ)
と述べている。
戦前の教育研究の姿,あるいは教授方法の研究の姿に関する小川,村田の論述はつぎの点におい て全く一致している。それは,教育の目的と内容の批判をさけ,教育技術に集中したことである。
目標,内容についての批判ぬきの,伝達の能率化をめざすだけの技術主義という姿をとったことで ある。ここから戦前の教育研究の方向や性格についての重大な結論が導き出される。それは,教育 内容の研究ぬきの教育方法(とくに教育技術)の研究であったということである。また,それは教 育内容の研究と教育方法の研究とを分離させるものであり,分離して研究することが可能であると 考えるものである。ここで内容研究と方法研究との関係の問題が改めて問われることになる。内容 研究ぬきの方法研究がはたして可能なのか。それが不可能だとすれば,戦前の教育はこの点でも大
きな誤りを犯していたことになる。
宗像誠也は,昭和25年に著わしたr教育研究法』において,教育内容研究と教育方法研究との関
係にふれて,「勿論教育の技術面の研究は大いに必要だし,そういう点でアメリカの教育科学から
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学ぶべきものはきわめて大きい。けれども教育技術面,例えば教授法は,教育内容なり教育目的な りから切り離せるものであるかどうか一ある程度まではそれが可能だとしても全く分離できるか どうか一一は少なくともはなはだ疑問であり,したがって全体としての教育の考え方と無関係では ないと考えられる。一つの技術の採用ないしは不採用も,全体としての教育の考え方に連関するも のとして考察された上で決定する用意が必要であろう」ρと述べている。かれは全く分離できるか どうかは疑問だとしており,両者は無関係ではないと考えている。
高久清吉は,昭和45年の著作,r教育実践の原理』において,教授の内容研究を「何を」の問い であり,方法研究を「いかに」の問いであるとしたうえで,方法研究のあり方に触れ,「方法研究
● ●
の原則は,「いかに」の問いを「何を」の問いと結びつけるこどにある。前に取りあげた「何か」
● ● ● ● ● ●
の問いが問題や対象の本質に向けられるとすれば,「何を」の問いは内容に向けられたものである。
したがって,教授研究にあたって「いかに」と「何を」の二つの問いが結びつくというのは,教授 の方法研究と内容研究とが結びつくということである」,1°)と述べ,とくに教科や道徳の教育領域に おいて,少なくとも方法研究と内容研究との間の結びつきだけはいつでもはっきりと意識されてい る必要があるということを強調している。
さらに,かれは,現在に至るまでの教授理論の研究の流れと,現場における教授研究の現状とを 考え合わせながら,「内容と方法との関係がどのように考えられていたか,この点から教育主張の 歴史をふり返ると,大きくみて二つの立場が分けられる。一つは「内容主義」とよばれる。この立 場によれば,方法は内容からだけ,一方的に決定される。内容の性格や法則や構造が方法を決定す る決め手になると考えられているからである。もう一つは「形式主義」(または「方法主義」)とよ ばれる。この立場によれば,内容とはなんのかかわりもなく,あるいはどのような内容にもすべて 同じようにあてはまる方法が存在できる,いや,存在しなければならないと考えられる。このよう な方法は主として,内容を学んでいく子どもの心のはたらきの法則をよりどころとして決定される。
このような二つの立場を両極端にして,内容と方法の間は,時と所により,どちらかの側に重みが おかれてきた。二十世紀前半の児童中心主義を標榜する新教育運動では,子どもの活動を重視する ことから,概して方法の側に重みをおく傾向が強かった。これに対し,この十数年来の世界的な一
● o ● o ●
般的傾向としては,「いかに」(方法)から「何を」(内容)への重点移動の必要が語られるように なってきている」,11)と記述し,内容と方法との関係において「内容主義」と「方法主義」という二 つの極端な立場が教授法の歴史のなかで主張せられてきたこと・および,時と所により・どちらか の側に重みがおかれてきたことを明らかにしている。かれの論述は,さらに,この十数年来の世界 的な搬的傾向としての「いかに」から「何を」への重点移動の必要とされる三つの理由をあげるこ
とへと発展するのであるが,これ以上の引用は差し控えよう。
内容と方法との関係に関する高久の考察は,なかなか重要な意義を示唆しているだろう。かれは,
方法研究の原則は,「いかに」の問いを「何を」の問いと結びつけるところにある,とはっきり述 べている。また,教授研究にあたって「いかに」と「何を」の二つの問いが結びつく,と言ったり,
教授の方法研究と内容研究とが結びつく,と言いあらわしている。両者のこの関係についての高久 の指摘は正しいに相違ない。この指摘に対して,もし,物足りなさがあるとすれば,それは内容と 方法との間には本来的にどのような関係があるのかが教育哲学的に解明せられていないこと,およ
び,両者の結合関係はいかにあるべきかが明瞭でないということ,この二点である。この点が明確
にされないと,歴史的事実として認識する場合は別として,内容研究ぬきの方法研究の側の重みだ けが強調されても,また逆に,方法研究ぬきの内容研究の側の重みだけが強調されても,やむを得 ないものとして認あざるを得ないというような研究態度をとりかねないからである。
本稿においては,教育内容と教育方法との根本的関係はいかにあるのか,教授研究にあたって
「いかに」の問いと「何を」の問いは,根本的にどう関係するのかを明らかにすることを課題とし ている。さいわいにデューイの教育理論においては,この点について多くの示唆を与えるものがあ ると確信されるので,かれの説くところを把握してみることにする。
II 教材と教授法とを分離せしめるもの……二元論哲学
私は,かつて,デューイの教育思想の中に脈うつ源流として,「デューイは,労働と閑暇,認識 と行為人間と自然,という好ましくない分裂が事実として存在すること,この事実としての分裂 の背後には,肉体と精神,理論と実践,物理的機構と理想的目的とが相互に対立するものであるこ とを系統的に叙述しているもろもろの哲学があること,さらに,個人の精神と世界とを相互に厳密 に区別する点こそ,これら二元論哲学の極致であることを,明らかにしている。これらの分裂が教 育の世界に反映して,学習者(子供)と教材との分裂,系統的知識(理論)の学習と子供の活動
(実践)との分裂,世界(環境)の片われとしての教材と精神の片われとしての方法との分裂,知 的学科と実際的学科との分裂,自然的学科と社会的学科との分裂,あるいは学校と社会との分裂が 出現している。このような嘆かわしい教育の世界における分裂を統一し,止場しようとする意識的 努力」i2)こそ,それであると述べたことがある。この叙述において明白にしたことが,デューイ教 育思想の中に脈うつ源流であり,かれの教育思想の主調である,との確信は今に至るまで変わって はいない。また,デューイのそのような努力を明確化するために,筆者は,「デューイ教育思想に おける連続の概念一その哲学的基盤の考察一」,13)を公にしたことがあるが,その趣旨はデュー イの教育思想の源流あるいは主調を自己みずから主体的に把握すること,また,把握したものを社 会的に還元することにあった。
上述したように,デューイは,教育の世界における分裂の典型的なものとして,世界(環境)の 片われとしての教材と精神の片われとしての方法との分裂をあげている。そして,この教育の世界 における分裂を生起せしめたものこそ二元論哲学であり,この二元論哲学の極致こそ個人の精神と 世界とを相互に厳密に区別する点であると指摘している。したがって,教材と方法との分裂の事情 を明らかにするためには,二元論哲学がいかにして個人の精神と世界とを相互に厳密に区別するよ
うになったのかの事情を明らかにすることが必要であろう。このことを明らかにすることは,延い ては,本稿における課題,教育内容と教育方法との根本的関係はいかにあるのか,教授研究にあた って「いかに」の問いと「何を」の問いは,根本的にどう関係するのか,を明らかにする所以であ
ろう。
デューイが,個人の精神と世界とを相互に厳密に区別するものとして二元論哲学を,かれの教育
学上の主著であるr民主主義と教育』において,はっきりと提示するのは,第五章「準備説,開発
説,および形式陶冶説」の第三節「諸能力の訓練としての教育」においてである。この章において
関:デューイの教育理論における教材と教授法の統一 49
は,如上の諸教育学説をいずれも批判するのであるが,批判の根拠となるものは,かれ自身の教育 学説すなわち成長としての教育の概念である。さて,デューイは,形式陶冶説の代表者としてロッ ク(John Locke 1632−1704)を位置づけ,「この理論は,その古典的形態をロックによって示さ れた。一方では,受動的に受容された感覚を通じて,外界が材料すなわち知識の内容を呈示する。
他方では,精神が,注意,観察,保持,比較,抽象,合成,等々,いくつかの既存の能力を備え持 っている。知識は,自然そのものの中で事物が結合されたり,分離されたりしているのと同じよう に,精神がそれらの事物を区別したり,組み合わせたりすれば,その結果として生ずるのである」14)
と述べて,形式陶冶説の基盤となっているロックの理論の特色を明らかにしている。そのうえで,
デューイは,ロックの学説と二元論哲学との関係について,「ロックの所説は,かれの時代の二元 論によく調和していた。それは,精神と物質,.個人と世界の両者を公平に取り扱っているように思 われた。両者の一方(物質,世界)は,知識の材料,すなわち精神が働きかけるべき対象を提供し た。他方(精神,個人)は,一定の精神能力を提供するのだが,それらの能力の数は少なく,しか も,それらはそれぞれに特殊な練習によって訓練されうるものであった。この考案は,知識の素材 を正当に重視しているように見える。しかも,それは,教育の目的は単なる情報の受容や蓄積では なくて,各個人の注意,記憶,観察抽象,一般化の能力の形成である,ということをも強調した のである。それは,知識の材料はどんなものでもすべて外から受容されるということを強く主張し た点では,実在論的であったが,他方,最終的な強調点を知的能力の形成に置いたという点では,
観念論的であった。また,個人は,自分だけでは,いかなる真の観念も所有したり,産出したりす ることはできない,と主張した点では,それは,客観的であり,非個人的であったが,教育の目的 を,個人が最初にもっていた一定の能力の完成に置いたという点では,個人主義的であった。以上 のような価値の配分は,ロックに続く幾世代かの見解のあり方を正確に示した。それは,ロックと のはっきりした関係はないが,教育理論や心理学の通説になったのである」,15)と説明している。い ずれの場合にも,個人の精神と世界,精神と物質とが厳密に区別されていることが知られる。
つぎに,デューイが二元論哲学に言及するのは,第十章「興味と訓練」,第二節「興味という観 念の教育上の重要性」においてである。「しかし,興味というものの実相は,さらに,教育哲学に
対して,一般的な価値ある問題を呈示する。正しく理解するならば,それらの問題は,過去の哲学 , 思想において非常に流行し,教授や訓練の行為に重大な妨害的影響を及ぼしてきた,精神とその対
象(教材)についてのある種の考え方に対して,われわれの警戒心を呼び起こすのである。あまり にもしばしば,精神は,認識すべき事物の世界の上に置かれる。つまり,精神は,独立して存在す る精神状態と精神作用をもち,孤立して存在するものとみなされるのである。したがって,知識は,
純粋に精神的な存在を認識されるべき事物に外側から当てはめたものとみなされたり,さもなけれ ば,この外側の対象が精神に与えた印象の結果とみなされたり,あるいはまた,両者の組み合わせ とみなされる。だから,対象は,それ自体として完全なものとみなされる。つまり,それは,それ に対する精神の自発的適用によってか,または,それが精神に与える印象を通してか,そのいずれ かによって,ただ学習されたり,認識されたりするものなのである。」16)とデューイは言うのだが,
この叙述の中で「精神とその対象(教材)についてのある種の考え方」とは言うまでもなく二元論 哲学である。そして,この叙述の中では,二元論哲学の特色,すなわち,精神と事物の世界,精神
とその対象が明確に区別され,それぞれ独立し孤立して存在していると認められている状態が,リ
アルに描き出されているのである。
なお,デューイは,二元論哲学の特色およびその教育的反映を論じるときには,多くの場合,そ の批判を忘れないのであるが,ここでも,「興味というものの実相は,以上の考えが架空の神話で あることを示す。精神は,将来起こりうる結果の予想に基づいて,しかも,起こるべき結果がどう いうものになるかを統制する目的をもって,現在の刺激に反応する能力として経験の中に現われる。
事物,すなわち,認識される対象は,事象の成り行きを助長していようと妨害していようと,予想 された事象の成り行きに関係のあるものとして認識されるあらゆるものから成り立っているのであ る」17)と述べ,その後で以上の説明を分かりよくするための実例をあげている。デューイの批判は,
精神と事物の世界,精神と対象とは,相互に明確に区別され,相互に独立し孤立している存在では なく,人間の経験の中において,相互交渉,相互作用をなすものであり,その結果として意味(知 識)を生みだすものであると主張するところにある。
二元論哲学についてのデューイの説明の骨子は以上のようなものであり,それはこの後も繰りか えし繰りかえし機会あるごとに批判の対象として反復叙述されるのであるが,ここで,デューイの 捉え方の客観性をたしかめるために哲学者の二元論についての考え方を聞くことにする。桂寿一は 昭和40年に,二元論について,「ところで我々に直接示される現象には,ごく常識的に言って,物 質現象と心的現象の二つがあることも否定できない。もっともここで心的現象というのは,我々の 心的能力が関係している現象という程度の広い意味で,物質現象から全く離れた何ものかを指すわ けではない。そこでこの二種の現象に対応して,いわゆる実在にも物質的なものと心的なもの(例 えば精神とか霊魂とか)と,二種を認めるという見解が,さしあたっては考えられよう。これを(物 心)二元論(英:dualism)と呼び,デカルト(1596−1650)によって代表されるのであるが,こ
こには立ち入らぬことにしたい。なぜならば,この種の二元論それ自体に,例えば身心問題等,形 而上学説として種々の問題があるのみならず,二種の実在を認めておくことは形而上学説として,
何と言っても不徹底の非難を免れないからである。違った現象と見えるものも,実は根底において 同じ性質の実在から起こることも充分にありうるし,そうした点を明らかにすることこそ,むしろ 形而上学の課題であるとさえ言いうるからである。従って右の二元のうちの一つ,即ち物質・精神 のいずれか一方がより根源的なものである,と考えるのがむしろふつうであり,かようにして我々 は「唯物論」(英:materialism)および「唯心論」(英:spiritualism)という対立に出会うのであ る(省略)。そこで右に述べたようた事情から,唯物論にとってはいわゆる心的現象を,また唯心 論にとってはいわゆる物質現象を,それぞれの立場からいかに説明するかということが,さしあた
っての課題であるということになるであろう」18)と述べている。桂の説明は,唯物論と唯心論の意 義を明らかにすることを意図しており,二元論は副次的に取り扱われているのであるが,それでも 二元論の解釈について,デューイと根本的に矛盾するところは認められない。
また,二元論については,つぎのような説明,「相互に対立した二個の原理から実在の個々の部
分もしくは全体を説明する立場。また一般的には対立して,しかも統一されることのない二つの契
機で事物を説明する立場。多くの神話ではたとえば光と闇,天と地などの対立が語られ,ゾロアス
ター教,マニ教,キリスト教などでは善の神と悪の神,善なる光の神と物質的な悪の世界,神と被
造物などの対立が前提されている。これらの神話的,宗教的二元論に対して,精神と物質とを宇宙
の二根本原理とする哲学的二元論はすでに古代ギリシアにみられるが,本格的な哲学的二元論の成
関:デューイの教育理論における教材と教授法の統一 51
立は近世を待たなくてはならなかった。すなわちデカルトは神に依存する有限的実体としての精神 と物体の二元論をうちたてた。またスピノーザは精神の属性たる思惟,物体の属性たる延長を唯一 実体(神=自然)の属性とみなすことによって二元論を克服した。このように二つの原理が立てら れても,より優勢なほうの精神的または物質的原理によって統一がはかられるときには,観念論的 または唯物論的一元論が結果する。物自体と現象,自由と必然を区別したカントも典型的な二元論 者とみなされるが,その認識論における悟性と感性との峻別,その対立性の強調はヘーゲルの観念 一元論に重要な契機として作用したとも考えられる」,19)も行なわれている。これらの説明は簡潔平 明であって,二元論についての理解を助けることは言うまでもないが,それはまた,同時にデュー
イの二元論についての解釈に対しても,われわれに確信をもたしめてくれるように思われる。
教材と教授法とを分離せしめるものとしてデューイが指摘し批判してきた二元論哲学について,
これまで考察してきたのであるが,この二元論哲学の極致である個人の精神と世界,精神と物質の 明確な区分,両者の相互の独立性と孤立性の主張が教育の世界に反映したとき,世界(環境)の片 われとしての教材と精神の片われとしての方法との分裂が生ずるわけである。この点についてのデ ユー Cの明確な論述が行なわれるのは,r民主主義と教育』の第一三章「教授法の本質」,第一節
「教材と教授法との統一」においてである。そこにおいて,かれはつぎのように述べている。「だが,
この問題(方法の問題……関挿入)を取り上げる前に,われわれの説に含まれている一つの論点,
すなわち教材と教授法の相互関係に特に注意を向けることは適当なことと思われる。精神と,物と 人の世界とは,二つの別々の独立した領域であるという考え一哲学上,二元論として知られてい
る説一は,教授法と教材とは別々の事柄であるという結論を伴う。そこで,教材は,すでに体系 的に分類されている自然と人間の世界の諸事実と諸原理となる。そしてまた,教授法は,それに先 立って存在する教材がどうしたら精神にもっともよく呈示され,印象づけられるかという方法につ いての考慮,すなわち,どうしたら,精神が教材を獲得し保持するのを容易にするように,精神を 外部からその教材に向けることができるかという方法についての考慮をその範囲として含むことに なる。少なくとも,理論的には,学習の方法についての完全な理論が,その方法が適用されること になる教科についての知識が全くなくても,単独に存在するものとしての精神についての学問から 演繹されうるはずである。ところが教材の種々の部門に実際に最もよく通じている多くの人々は,
これらの方法を全く知らないのである。だから,この事態が,教育学に対する次のような攻撃に機 会を与えることになる。すなわち,精神の学習する方法についての科学だなどといっている教育学
は無益である一それは,教師が自分の教えている教科について深く正確に知らなければならない という必要を隠蔽する遮蔽物にすぎない一と。」20)教材と教授法との分離の説明として,デューイ のこの論述は完壁である。分離の根源も,分離の実相も,分離の影響もすべて包含されて説かれて いる。教材と教授法との関係についてのこのような考え方に対して,デューイはただちに批判にた ち向かうのであるが,それは後述することにする。
なお,デューイは,同書の第二五章「認識の理論」,第一節「連続性と二元論」において,内容と
方法の分離が学問観の二つのものと結びつけられている事情をつぎのように述べている。「また別
の対立が,「学問」という語の二っの意味に暗示されている。一方においては,学問とは,書物や
学者によって伝授されるときに,知られるものの総計である。それは外的なものであって,人が物
質的な財貨を倉庫に貯えるように,認識されたものの蓄積なのである。真理は既成品としてどこか
に存在するのである。それゆえ,学習とは,貯蔵されているものを引き出して身につける過程なの
● ● ●
である。他方では,学問とは,人が学習するときその人が行なうものを意味する。それは活動的な,
本人自身が行なう事柄である。この点における二元論は,外的なもの,すなわち,よくいわれるよ うに,客観的なものとしての知識と,純粋に内的な,主観的な,精神的なものとしての認識との対 立である。一方には,既成の,真理の体系があり,他方には,認識能力を備えた既成の心がある一 一その能力,心がそれを働かせようと決意しさえすれば働き出すものなのに,しばしば不思議なご
とにそれをするのをいやがるのだが。しばしば触れたことだが,内容と方法の分離は,教育におけ るこの二元論である。社会的には,この区別は,権威に依存している生活の部分と,人間が進歩す る自由をもっている生活の部分とに関わりをもつのである。」21)ここでデューイが述べている二っの 学問観の対立ということは,結局,外的な,客観的なものとしての知識と,内的な,精神的なもの としての認識との対立である。外的な,客観的なものとしての知識は,世界を,事物の世界を現わ し,内的な,精神的なものとしての認識は,精神を現わすものであるから,学問観の二つの対立 は,根源的には,二元論哲学の極致としての個々の精神と世界とが相互に厳密に区別され両方が孤 立するものとして取り扱われていることに由来するものであることが知られる。デューイの場合に は,「一般に,教育上の分裂は二元論哲学の中に自己の映像を見出すと言ってよかろう。心と世界 とは,相互の接触点をいくつかもっている二つの独立した存在領域とみなされる」22)という基本的 認識が基底にあって,この観点から,内容と方法の分離教材と教授法との分離もみられるのであ
る。
デューイは,個人の精神と世界,精神と物質,精神と対象,いわゆる心と世界とを相互に厳密に 区別し,二つの独立した存在領域を認める二元論哲学,過去の認識論の成立について,同書の第二 二章「個人と世界」,第一節「全く個人的なものとしての精神」において論述している。まず,そ のような立場の発生した背景と特色について,「一六世紀以後の経済的および政治的個人主義の勃 興や,新教の発展とともに,時勢は熟し,個人が自分で知識を獲得する権利と義務が強調されるよ うになった。このことは,結局,知識は全く本人自らの個人的な経験を通して獲得されるのだ,
という見解に達した。その結果として,精神,すなわち知識の根源であり所有者であるものは,全 く個人的なものと考えられた。このようにして,教育の面では,モンテーニュやべ一コンやロック のような,教育改革者たちが,この時以来,伝聞によって獲得されたすべての学識を激しく攻撃し,
たとえ信念がたまたま真であるとしても,それらが本人自身の経験の中で発生し,またそれによっ て試されたのでなければ,それらは知識とはならない,と主張するようになったのである。生活の すべての領域における権威に対する反抗や,大敵を向うに回して,行動や探究の自由のために戦っ た苦闘の激烈さは,本人自身の観察や考えを大いに強調して,実際にはかえって,精神を孤立させ,
認識されるべき世界から精神を引き離すに至ったのである当23)と述べながら,近代における西洋哲 学の黎明期において世界と自己についての根源的な問いが発せられ,それについて論理的に説明し ようと努められたときに,皮肉にも精神を孤立させ,認識されるべき世界から精神を引き離すに至 ったことを明らかにしている。
つぎに,かれは,かように精神を孤立させ,認識されるべき世界から精神を引き離す立場に立つ
認識論の形成,発展,特色について述べるのであるが,その叙述の一部については,筆者の以前の
論稿「デューイ教育思想における「状況」(Situation)について(その1)」24)において取り扱った
関:デューイの教育理論における教材と教授法の統一 53
ことがある。しかし,その際の取り上げ方は断片的な引用にすぎなかったので,あらためて,述べ ることにする。かれは言っている。「精神のこの孤立化は,認識論一知識に関する理論一とし て知られている哲学の一部門の著しい発達となつて現われる。精神を自我と同一視すること,そし て・独立自足のものとして自我を定立することは,認識する精神と世界との間に深い割れ目をつく り出し,そのために,いったいいかにして認識は可能なのかということが問題になったのである。
互いに全く分離している主観一認識するもの一と客観一認識されるもの一とを前提にすれ ば,それらは,どのようにして互いに関連して確実な知識が生ずるようになるのか,を説明する理 論を構成することが必要になる。この問題は,世界が精神に作用し,精神が世界に作用する可能性 についての同系の問題とともに,哲学的思索をほとんど独占する中心的課題になったのである。わ れわれは,世界をそれが真にあるがままに認識することはできないのであって,ただ精神に与えら れる印象として認識することができるにすぎないとか,個人の精神を越える世界は存在しないζ加 知識とは,精神そのものの諸状態のある種の連合にすぎないとかいう説は,そのような専心的思索 の所産だったのである。」25)デューイによって二元論哲学,あるいは過去の認識論として捉えられた
ものの本質は,この叙述のなかに生き生きと描写されているということができる。
つづいて,デューイは,この認識論の存在の意味を,「われわれはそれらの説の真偽には直接触 れないが,そのような絶望的な解決法が広く容認されていたという事実は,精神がいかに実在の世 界の上位におかれていたかを示す証拠である。自然や社会との関係とは全くかかわりなく,意識状 態および意識過程という内的世界が存在し,その内的世界は,他のいかなるものよりも正しく直接 認識されるという想定の下に,心の同義語として「意識」という用語がますます多く使用されるよ
うになったこともまた,この同じことの証拠なのである。要するに,実践上の個人主義,すなわち,
行動においてより大きな思想を求めた戦いは,哲学上の主観主義として表現されたのであった。」26)
と書きあらわしている。
デューイは,教育内容と教育方法との分離,教材と教授法との分離を認める考え方の淵源には,
個人の精神と世界とを峻別し,両者は相互に独立した領域であることを認める二元諭哲学,または,
過去の認識論が存在し,それが教育の世界に反映して,世界(環境)の片われとしての教材と,精 神の片われとしての方法とを分裂せしめるのであると認識したのである。
皿 教材と教授法との統一……二元論哲学の批判・克服
二元論哲学,それは個人の精神と世界とを峻別し,延いては教育の世界に反映して教材と教授法 とを分離せしめるものなのだが,その二元論哲学に対するデューイの批判は,まず,形式陶冶説に 対する批判の姿をかりて行なわれる。その要旨は以前に拙稿において論じられたことがあるが,「教 材と教授法との統一」という主題に重要な関連をもっので,重複することを避けないで再現するこ
とにする。かれは形式陶冶説に対して種々の側面から批判を加えるのであるが,第4番目に,「問 題の根底まで掘り下げて言えば,この理論の根本的な誤りはその二元論である。すなわち,活動や 能力をそれらの対象から切り離していることである。漠然と一般的に見たり,聞いたり,記憶した
● ● ●
閧キる能力というようなものはないのであって,ただ,何物かを見たり,聞いたり,記憶したりす
る能力があるにすぎない。精神的能力にせよ肉体的能力にせよ,その能力を行使する過程にかかわ りのある対象を離れて,一般的に,ある能力の訓練について論ずることは無意味なのである。」21)と 述べている。これは,能力の訓練(学習)において子どもの活動や能力がそれとかかわりのある(特 定の)対象から切り離されて論じられることの無意味さを訴えたものである。活動や能力と対象と を切り離しておいては,学習(能力の訓練)は成立しないのである。かれは,人の観察する能力と,
観察される対象との不可分の関係を,「人は,観察する能力を始動させるボタンを押すことによっ て(言い換えれば,観察しようと「意志すること」によって)綿密に十分に観察するのではない。そ うではなくて,眼や手を一所懸命に広い範囲にわたって用いることによってはじめて成し遂げるこ とのできる仕事を何かしなければならないときにはいつでも,ひとりでに観察するようになるので ある。観察は,感覚器官と対象との相互作用の結果,すなわち帰結である。したがって,観察は,
取り上げられる対象によって異なることになるであろう」,28)というように説くのであるが,もっと もな主張としてうけとることができるのである。
また,デューイは,個人の精神と世界とが峻別され,二つの別々の独立した領域が存在するとす る二元論哲学の立場を批判して,「だが,人間の態度は,つねに,それ自体を部分として含んでい る状況の中で進行している事象に対する反応なのであり,それらの態度が良い結果として現われる か,それとも悪い結果として現われるかは,それらと他の諸変化との相互作用いかんによるのであ る。生命活動は,環境の変化との関連においてのみ,栄えたり衰えたりする。それは,これらの変 化と文字通り堅く結びつけられている。つまり,われわれの欲望,情緒,愛情は,われわれの行動 が周囲の事物や人間の動きに結びつけられる,そのいろいろな結びつき方にすぎない。それらは,
全く人間の側の,すなわち主観的な領域を,客観的で非人間的な領域から切り離して,表わすので はなく,かえってそのような孤立した別の世界が存在しないことを示すのである。それらは,事物 の変化が自我の活動と隔絶したものではないということや,自我の運命や幸福が,人々や事物の動 きと堅く結びつけられているということを,納得させる証拠を示すのである。興味や関心は,自我 と世界とが,発展しつつある状況の中で,互いに絡み合っているということを意味するのである」29)
と述べ,生命活動と環境,自我の活動と人々や事物の世界とが切り離されているのではなく,堅く 結びつけられており,相互作用の関係にあることを主張している。
とにかく,個人の精神と世界とを切り離す考え方に批判を加えてやまなかったデューイは,直接 に教授上の問題にふれ,「要するに,精神の訓練についての考えに長い間はびこっていた誤りの根 源は,次の点にある。すなわち,事態は未来の結果に向かって動いて行っており,その過程に人間 が参加し,それを方向づけるために観察力や想像力や記憶力が動員される,ということを無視した ことである。言い換えれば,精神は,それ自体で完全であり,目の前の材料にいつでも直接に向か わせることができるものである,と考える点に,その誤りの根源があるのである」,o)と述べている。
同じように教授上の問題として精神と教材とを切り離す立場に関して,「目的を達成するために
物を取り扱う活動から精神を切り離すことに対応して,他方では,学習されるべき教材の孤立化が
起こる。伝統的な教育計画においては,教材は,学習されるべき一定量の内容を意味する。学問の
さまざまの部門は,それだけ多くの独立した部門を意味し,それぞれ,それ自体の内部で完全な配
列原理をもっている。歴史はそのような一群の事実であり,代数はまた別の一群であり,地理はさ
らに別の一群である等々,こうして学科課程全体にわたって同様なのである。それらは独立して既
関:デューイの教育理論における教材と教授法の統一 55
に存在してきたのだから,精神に対するそれらの関係は,それらが精神に習得させるべく与えられる ものに尽きるのである。この考えは,次のような因襲的慣行に対応している。すなわち,そこにおい ては,その日の,その月の,そして引き続く数年間の,授業計画が,すべて互いに区別された,し かもそれぞれ独立に完全なものと考えられている一少なくとも教育のためには一一いろいろな「学 科」から成り立っているのである」,!)と述べ,精神(方法)と教材とを切り離す二元論哲学の立場に 立っ伝統的な学科課程の構成を明らかにしている。それに対してもかれは批判を加え,「もっと細
かく言い直せば,それは,生徒に学習すべき学課をただ呈示するだけでは,それだけ学習または研 究という行為は不自然なものになり,効果のないものになる,ということを意味する。自分が関与
している活動を結実させて行く過程で,自分が扱っている数的真理が占める地位を,生徒がよく理 解するならば,それだけ学業は有効なのである。対象や主題が,目的をもつ活動を促進することに 対してもつ,このような関係こそ,教育における真正の興味説のすべてなのである」32)と言ってい
る。
教材と教授法とを分離せしめている教育観,それの根底にある精神と世界とを峻別する二元論哲 学に対するデューイの執拗な徹底的な批判や攻撃は,枚挙にいとまがないというべきであるが,つ ぎのものをあげてひとまず終ることにしよう。かれは興味と訓練という教育説の理論上の意義は二 つあるとして,「一方では,それは,われわれが次のような考えに陥るのを防ぐ。すなわち,精神 や精神状態はそれだけで完全なものなのであって・そのため・それらがたまたま何かの既成の対象 や主題に向けられることになると,知識が生ずるのだ,という考えに陥るのを防ぐのである。それ は,精神とは,いろいろなものが入り込んでくる行動の過程に理知的に,つまり目的をもって従事 することと全く同じことだ,ということを示す。だから,精神を発達させ,鍛えることは,そのよ うな活動を引き起こす環境を用意することなのである。他方では,それは,われわれが次のような 考えに陥るのを防ぐ。すなわち,対象(教材)は,それ自体の側では,孤立し独立したものだ,と いう考えに陥るのを防ぐのである。それは,学習の教材とは,行動の過程の連続的・意図的遂行過 程に手段や障害として入り込む一切の対象や観念や原理と全く同じことだ,ということを示す。発 展しつつある行動の過程は,その目的と状況が認識されているならば,しばしば分割されて,一方 33)
ヘ独立した精神となり,他方はまた独自の事物の世界となるものを,結合する統一体なのである」
と論じているが,これは二元論哲学およびそれにもとつく教材と教授法の分離に対する整然とした 批判であろう。
以上のように二元論哲学およびそれに基づく教育観(教材と教授法の分離)を批判してきたデュ 一イは,教材と教授法との統一止揚のための原理として新しい経験の哲学を提唱するのであるが,
真正面から教材と教授法との統一を扱った第一三章,第一節において語られていることを聞くこと にする。かれは,「しかし,思考は,ある結末に向かって方向つげられた対象の運動であり,精神 は,その過程の計画的・意図的側面であるから,以上に述べたように方法と対象を分裂させる考え はどれも根本的に誤っている」34)と断じている。平易に言えば,対象と堅い結びつきをもたない思 考も精神の働きもないから,方法と対象は切り離せないということであろう。方法とは対象を最も 効果的に利用できるようにする対象の整理のことなのであり,方法は決してその対象の外側にある
ものではないといわれている。
対象を取り扱っている人間の立場からは,方法はどんなものなのか,ということに関して,デュ
一イは,その場合でもそれは外的なものではない,それは,材料の有効な処理にほかならない一 この場合,有効性とは,時間とエネルギーの浪費を最小限に抑えて材料を利用する(ある目的のた めにそれを用いる)ような処理のことである。われわれは,行動の仕方を区別して,それだけを論
… . o …
クることができるけれども,その仕方は,現実には「材料の処理の仕方」としてのみ,存在するの である。方法は,対象に対立するものではなくて,望まれた結果に向けて対象を効果的に方向づけ ることなのである。いずれにしても,方法とは,ある目的のために,ある材料を使用する効果的な やり方にすぎない。したがって,方法と対象とは不可分のもの,切り離すことが不可能の関係にあ るものと認められる。教育の場合における教材と教授法との関係も全く同様である。切り離すこと は虚偽であり,誤謬であると考えられているのである。
デューイが強調する教材と教授法との不可分の関係,統一の関係をより根本的に把握するために 経験の概念に立ちもどってみよう。私は,拙稿「デューイ教育思想における「状況」(Situation)
について(その1)」において,「皿 経験一人間と環境は分けられない一状況」,「IV 学習 一子供の能力や活動と教材は分けられない一状況」を論じた際,教材と教授法との統一につい ても充分に論究したつもりでいる。経験について再論すると,「経験とは人間と環境との間に成立 する関係,或いは,人間と環境との間に存在する能動的関係,また主体と環境との相互作用と規定 されるのである。ところで,この規定の仕方が強調するところは,単純で,当然なことなのだが,
経験は人間(主体)のみでも成立しえないし,環境のみでも成立しえないということである。人間
(主体)と環境とが特別に結合する時に成立するものである。経験においては,人間(主体)と環 境は分けられない,それは一つの統一をなしている」35)ものとして捉えられていた。
なお,経験の概念を一層明晰ならしめるために,経験における相互作用について,「相互作用と いう言葉は,経験における両方の要素一客観的条件と内部的条件一に平等の権利を割り当てる。
あらゆる正常な経験は,これら二つの条件の相互作用である。それらが一緒になり,或いは,それ らの相互作用によって,われわれの 状況 (asituation)と呼ぶところのものを形成する」36)と いうことが述べられ,経験における不可分の二つの要素,すなわち.人間(主体)と環境,客観的 条件と内部的条件の基本的関係が明らかにされたのであった。
さらに,「学習一子供の能力や活動と教材は分けられない『状況」の論述は,デューイの教 育理論における教材と教授法との統一についての論理の展開の白眉と思われるのだが,そこでは,
「見るという働きは,視覚器官である眼の働きと見られるある物との間に生ずるものであり,眼だ けあっても,ある物だけがあっても成立出来ない働きである。聞くという働きは,聴覚器官である 耳の働きと聞かれるある音との間に生ずるものであり,耳だけあっても,ある音だけがあっても成 立出来ない働きである。記憶する働きも同様であろう。記憶する機能をもつ脳の働きと記憶される あるものとの間に生ずるものであり,脳だけがあっても,あるものだけがあっても成立できない働 きである。これは極めて単純な感覚器官の働きの場合の例であるが,具体的な材料から切り離され ての人間の能力の働き,或いはその訓練はあり得ないことを証明している」,7)とまず切り出される。
つぎに,何故に教材と方法とが分離的に考えられるようになったのか,より根源的には,精神の
世界と環境の世界とを分離的に考える二元論が生じたのかについて,その起源に関するデューイの
所説,「われわれが今まさに経験している代りに,一つの経験を反省している場合には,われわれ
は,不可避的にわれわれ自身の態度と,その態度がそれに向けられている対象(事物)とを翻llする。
関:デューイの教育理論における教材と教授法の統一 57
例えば,人が食べている時,彼は食物を食べているのである。彼は食べるという自分の行為を食う ことと食物とに区別しない。しかし,若し彼が食べるという行為を科学的に研究しようとすれば,
このように区別することを第一に実行するであろう。彼は一方では,栄養物の性質を,他方では摂 取したり,消化したりする有機体の行動を吟味するであろう」18)が明らかにされる。このように経 験を反省することが,われわれが経験するもの(経験されたもの)と,その経験をすること(経験 の仕方)との区別の起源となるわけである。この区別に名前をつける時に,われわれの言葉として
「材料」と「方法」という名称になるわけである。材料の系列には,見られ,聞かれ,愛され,憎 まれ,想像された「もの」があり,また,方法の系列には,見る,聞く,愛す,憎む,想像すると いう行為があるというわけである。
経験を反省している時に生ずる材料と方法とのこの区別は,あくまでも思考上の区別であって,
実際上の区別でないことを強調して,デューイは,「この区別(経験されたものと経験の仕方との 区別,材料と方法との区別)は,ある目的に対しては非常に自然で,しかも重要でもあるので,そ のために,われわれは,往々この区別を思考上の区別ではなくて,実際上の区別であるが如くに見 がちである。かくして,われわれは自我と環境,或いは自我と世界との区分をする。この区分が方 法と材料との二元論の根源である。すなわち,われわれは知ること,感ずること,意志すること等 々のことは,それ自体孤立している自我或いは精神に属するものであり,しかもそれは,その時,
独立の材料(自我或いは精神から独立している材料)に働かしめられるものであると考えるのであ る。また,われわれは,自我或いは精神にだけ所属するそれらのもの(知ること,感ずること,意 志すること)は,外界の事物のもつ活動力の様式(外界の事物の活動方法)とは関係なく,それ自 身の活動の法則を有するものと考えるのである」,9)と説明している。デューイにこのように教えら れて,はじめてわれわれは,思考上の区別と実際上の区別との相違を知るのである。
また,デューイは,「人が食べるものなしに食べることが出来ると考えたり,また,顎と咽喉の 筋肉の構造と運動,胃の消化活動などは,その活動がそれにかかわる材料との関係から,今日のよ
うになったのでないと考えることは不合理極まることである。その活動が取扱う材料と無関係に進 化発展したと考えることは不合理極まることである。有機体のもつ諸器官が,食料の存在する外界 そのもの(物質界)の連続的な一部であることは,見たり,聞いたり,愛したり,想像したりする 諸能力が外界の材料と本質的に連続していることと同様である。これらの諸能力は,事物へ向けら れる独立の行為であると言うよりは,むしろ,環境が人間の経験や機能へ入ってくる方法であると 言う方が正当である」40)と述べて,思考上の区別を実際上の区別と取り違わないように警告してい る。デューイは,新しい経験の哲学,あるいは,連続の概念の立場から,教材と教授法との統一を 主張するのである。
注
1)海後宗臣 「教育課程総論」r教育課程 講座学校教育第四巻』(目黒書店,昭和25年)pp.3−4.
2)阿部重孝 「学科課程論」r岩波講座 教育科学第十一冊』(岩波書店,昭和7年)pp.24−27.
3)同 書PP.29−34.
4)阿部重孝 「学科課程論」r岩波講座 教育科学第十一冊』(岩波書店,昭和7年)pp.34−35.
5)拙 稿 「デューイ教育思想における「状況」(Situation)について(その1)」r茨城大学教育学 部紀要(教育科学)』第27号,1978.
6)拙 稿 「デューイにおける成長としての教育の概念」r茨城大学教育学部紀要(教育科学)』第30号,
1981.
7)小川太郎 「教師の研究活動」r岩波講座 教育 第8巻』(岩波書店,昭和27年),pp.119−120.
8)村田泰彦 「明治教育体制の動揺と再編」r現代教育学,5,日本近代教育史』(岩波書店,昭和37年)
PP.159−160.
9)宗像誠也 『教育研究法』(新評論社,昭和29年)pp.191−192.
10)高久清吉 『教育実践の原理』(協同出版,昭和45年)p,34.
11)同 書P.35.
12)拙 稿 「デューイ教育思想における「状況」(Situation)について(その1)」r茨城大学教育学 部紀要(教育科学)』第27号,1978,p.191.
13)拙 稿「デューイ教育思想における連続の概念」『茨城大学教育学部紀要』第19号,1969,pp.315−337.
14)J.Dewey, Dθmocrαcッαηd配ωcα孟 oπ(The Macmillan company,1916)p.71.
15)Ibid., P.72.
16)Ibid., P.153.
17)Ibid., pp.153−154.
18)桂 寿一 r哲学概説』(東京大学出版会,昭和40年)pp,128−129.
19)下中邦彦編集発行『哲学事典』(平凡社,昭和46年)p.1045.
20)J.Dewey,加mocrαcッαπd醐μcα彦 oη(The Macmillan company,1916)pp。193−194.
21)Ibid., P.390.
22)Ibid., P.324.
23) Ibid., pp.341−342.
24)拙 稿「デューイ教育思想における「状況」(Situation)について(その1)」r茨城大学教育学 部紀要(教育科学)』第27号,1978,p。191.
25)J。Dewey, Dθmocrαcッαπd 1弼砿cαホεoπ(The Macmillan company,1916)p.342.
26)Ibid., pp.342−343.
27)Ibid., P.76.
28)Ibid。, P.77.
29) Ibid., pp.147−148.