論文の内容の要旨
氏名:天 野 聖 悦
博士の専攻分野の名称:博士(法学)
論文題名:表現の自由・知る自由に対する制限
―平成29年12月6日受信料訴訟最高裁判決を契機に―
序章
日本国憲法のもとで、すでに70年近く受信料制度が維持されてきたが、「視聴しないものに、なぜ、受信 料を払わねばならないのか」という声が、日に日に増しているように感じられる。
平成29年末、最高裁判所は、公共放送の視聴の有無にかかわらず、受信する環境にある者が公共放送の 維持に必要な負担をするものとして、現行の受信料制度を合憲とした。この判決は、民放のみを視聴したい 者だけでなく、現在、テレビを所有せず、もっぱらインターネットのみで情報収集している者にも、受信料 に対する疑念を抱かせることになったようである。というのは、まもなく実現される見通しとなっている 公共放送のインターネット常時同時配信にも、現行の受信料制度が適用されるとなれば、テレビとは無関 係であったインターネット利用者まで受信料が課されることになり、この受信料を回避するにはインター ネットの使用自体を放棄しなければならない可能性があるからである。
そこで本稿では、一般の感覚では受け入れがたいこの判決が、どのような論理で下されたのか、裁判所の 人権保障に対する姿勢はどのようなものなのかを辿ることとした。
第1章
本稿では、まず、「民放を視聴すること」が法的にどのようなものなのかを明らかにするため、「知るこ と」についての法的性格を分析した。一般に「知る権利」という語を耳にすることがあるので、そこから判 例を探ったところ、「知る自由」「知る権利」という用語がみられた。ここから「知ること」に関する用語法 に注目しながら法的性格を整理すると裁判所と学説とでは用語法に違いがあることが明らかになった。裁 判所は妨害排除請求権としての「知る自由」、特段の意味をもたない「知る権利」であり、学説は妨害排除 請求権としての「知る自由」、政府情報公開請求権として「知る権利」の語を用いている。このうち妨害排 除請求権たる「知る自由」を中心に、受信料制度は「民放を視聴する自由」を妨げるものではないかという 仮説のもと、最高裁判決を分析するため、自由の制約となる原理を明らかにすることとした。
第2章
日本国憲法は、近代立憲主義の思想に立脚する。最高裁は近代立憲主義を「最も少なく政治をする政府 は、最良の政府である」と述べ、立憲主義のもとでは国民の自由が最大に保障されることを明らかにした。
そのために権力分立制度のもと、裁判所には、違憲審査権が与えられている。そこで、立憲主義のもとで は、基本的人権に対してどのような制約が許されるのかを分析するため、近代立憲主義の祖ともいえるJ・
ロックの思想を辿った。ロックの思想は、アメリカを経由してわが日本国憲法にも流入しているからであ る。それによると、基本的人権を制約することができるのは、ある者の行為が他者を害する場合、国家の存 続に必要な場合に限定される。この権利の制約原理をロックは「公共の福祉」と呼んだ。現代立憲主義のも とでは社会権を実現するために経済的自由を制約することも可能であるが、基本的人権に対する現代立憲 主義の制約はない。立憲主義を明らかにすることで、政府・国会と裁判所が、国民の自由を最大とする行動 をとっているのかどうかをみる指標ができた。
第3章
第2章で確認された立憲主義の憲法における自由の制約原理(他者加害阻止、国家の存続のための制約)
は、わが憲法でも「公共の福祉」と規定されている。しかし同一の語が憲法上に4箇所あることから、それ らの相互の関係が問題となる。そこで、裁判所が公共の福祉の内容として具体的に明らかにしたものが、立 憲主義の原則に該当しているのかを整理したところ、そこに該当しないわいせつ表現の規制や美観風致の ための規制も容認していることが明らかとなった。対して学説は、近年、パターナリズムによる自由への介 入が主張されるに至った。裁判所と学者の双方に、立憲主義の原則からの逸脱がみられた。
第4章
表現の自由・知る自由の規制立法が公共の福祉に適うものであるときの、裁判所の審査基準について分 析する。憲法21条には表現の自由として、集会、結社、言論、出版と様々なものが規定されていることか ら、それぞれの態様によって、それを規制する立法の審査基準が変わりうる。昭和40年代後半から裁判所 は、学説の主張を受け入れ、アメリカの判例に倣い、「二重の基準」論や「厳格な審査」「中間的審査」「緩 やかな審査」といった審査基準を採用している。一般的なルールでは、民主政治に不可欠な表現の自由・知 る自由を規制する立法に対しては厳格な審査が適用されることとされるが、関連する判例を分析しなおし たところ、裁判所と学説に違いがみられた。裁判所は憲法上の制度、つまり公務員制度および選挙制度を実 施することを目的として、表現の自由・知る自由を規制する立法に対して緩やかな基準で審査している。民 主政治に不可欠な表現の自由を強く保障するための二重の基準論が、民主政治の基礎をなす選挙運動にお ける表現の自由に反映されず、選挙運動においては戸別訪問など一定の行為の表現が禁止されるのである。
たしかに、戸別訪問は私生活の平穏を害するから、訪問を迷惑と感じる者もいるが、訪問を拒まない者もい るのであって、一律に表現の機会と知る機会を奪う戸別訪問の禁止は、基本的人権に対する最小の規制で はない。
また、裁判所は知る自由に対する配慮も十分ではない。情報を得ることは何ら危険を伴わないが、刑事収 容施設の秩序を乱すとして特定の新聞記事の情報に触れさせることを制限した事例において、一見、厳格 な基準を示しながらも、そのような制限を許してしまった。
この二つの、制度による自由の制限と知る自由に対する配慮が十分でないことが、受信料制度合憲判決 につながっている可能性はある。
第5章
平成29年12月6日受信料訴訟最高裁判決を分析する。知る自由とは「既に表現されている情報を、公 権力によって妨げられることなく受領する自由」である。その自由の行使は、立憲主義の原則から引き出さ れる他者に危険を及ぼす行為の禁止に抵触しないから、原則として、制約を受けることのない自由である。
しかしながら、民放のみを視聴する自由を行使しようとしても、放送法の定める受信料制度のもと契約締 結が強制され受信料の負担が生じる。この負担は、公共放送の存続維持のための負担であって、知る自由の 行使による危険を防止するための負担(制約)ではないから、立憲主義の原則からは許されないはずの負担 である。この負担を回避するには受信設備を設置しないという方法しかなく、これは逆に、知る自由の行使 を妨げることになる。
そのような理由から、受信設備を設置しながら受信契約を締結しなかった者、受信契約を締結しながら 受信料を未払いだった者が、NHKから訴えられたのが本稿で分析する一連の受信料訴訟である。受信契約締 結承諾訴訟は最高裁まで争われ、その結果次第では社会に大きな影響があることが予想されたから、法務 大臣も受信料制度についての意見書を提出した。
NHK、受信契約未締結者(被告)、法務大臣、裁判所が、それぞれどのような判断をしたのかを分析したと
ころ、法務大臣や下級裁判所の中には「知る自由の制約の可能性」を述べたものがあったが、最高裁は、「知 る自由」一般については触れず、「受信設備を用いて放送を視聴する自由」という限定的な概念を持ち出し、
これは放送「制度の枠」内の自由であるとした。これは、つまり民放のみを視聴することは憲法上の自由と して保障されていないという結論であった。
終章
この度の研究は、想像以上に多岐にわたっており、知る自由の制限だけに絞っても、総論的な研究となっ てしまった。今後の課題は、電波以外の放送手段(本稿で取り上げたインターネットのほか、有線放送等)
と知る自由の関係についての研究を深めるとともに、現在、受信料制度を採用していないアメリカにおけ る公共放送の役割・位置づけについても調査したい。