山東竜山文化土器類型の動態
著者 村上 章義
雑誌名 金大考古
巻 38
ページ 3‑4
発行年 2002‑03‑22
URL http://hdl.handle.net/2297/2884
− 3 − いということである。本稿では湖北地域土器編 年を提示して時間軸を確立した上で、集落立地 の分析を通して弥生時代後期の集落動向につい て見ていく。また、集落間交流がどのようなも のであったかを探るため出土土器組成の分析も おこなう。以上の分析をおこなった結果、以下 のような知見が得られた。
湖北地域において集落動向が大きく変化する のはⅣ− 期、Ⅴ− 期、Ⅴ− 期の 時期である。 2 2 4 3
Ⅳ− 期の画期は湖南地域など多くの地域におい 2 て見られる傾向であり、湖北地域においても小 規模ではあるが同様の傾向を示す。
Ⅴ− 期になると、湖北 2 地域では扇央部にも集落 の進出が開始される。こ れは近江盆地内部でも特 異な様相である。要因と しては姉川扇状地に広く 分布する旧河道の存在に よって、他地域と比べ水 資源獲得が比較的容易で
。 あったためと考えられる 湖南地域の野洲川扇状地 においては旧河道が偏在しており、水資源確保 は姉川扇状地と比べて困難であった。そのため、
湖南地域の扇状地開発は扇端部に限定され、食 料を他の遺跡に依存する特殊な遺跡のみが扇央 部に進出する。
Ⅴ− 期の画期には、遺跡立地の割合や平均標 4 高の変化は見られないが遺跡数は急激に増加す る。新たな地形に進出するというよりも、同様 の地形内部で集落が拡散していくという様相が 強い。扇状地帯の本格的な開発もこの時期の集 落数増加に伴って進行するものと考えられる。
姉川扇状地の開発を担った郷里遺跡群がⅤ− 4 期に活動を活発化させる理由としては、東海地 域との交流が活発化する中で、交易ルート上の 重要な土地に位置したということが大きい。郷 里遺跡群扇状地帯に位置しながらも稲作が可能 な土地であり、かつ交易ルートの要衝に位置し たことから多様な情報をいち早く入手できたも のと考えられる。郷里遺跡群は、東海地域との 交流拠点として、天野川地域や、郷里遺跡群の 琵琶湖沿岸部の遺跡は、琵琶湖を介した東西・
南北ルートの拠点として、余呉・高時川地域の 桜内遺跡は北陸方面との交流拠点としてそれぞ れ役割を担っていた。そして、こうした多方面 からの情報がはじめて出会うのが湖北地域であ り、息長氏や、坂田酒人氏のような有力豪族を 生み出す素地となったのである。
受 口 状 口 縁 甕
( 今 川 東 遺 跡 出 土 )
山東竜山文化土器類型の動態
村上章義 山東竜山文化研究における「類型」研究を土 器の型式学的研究として見た場合 「類型」の設 、 定および編年に終始しており 「類型」間の関係 、 に踏み込むまでには到っていない。その原因の 一つは、在地系土器と異系統土器との峻別を行 っていないことにある。
本稿は、この在地系土器と異系統土器との峻 別、すなわち類型を土器型式としての実態によ り近い形へと再編し、その試案を提示すること、
そしてその試案に基づいて類型間の関係や変化 を説明することを目的とするものである。
時間的、地域的に器形の差異の明瞭な鼎、鬹 を分析の対象とする。また、分析の対象とする 遺跡は、後述するような条件に見合った遺跡と した。分析の手順は、調査報告の型式分類およ び編年に基づいて遺跡ごとに型式の出現時期や 消失時期および各時期における出土量を求め、
型式の消長やその出土量の多寡から各遺跡にお ける主体的な型式と客体的な型式の区別を行な った。本稿では、このようにして得られた型式 のセットを類型として設定した。そして、時間 的に器形変化の明瞭な高柄杯から遺跡間の相対 年代および同時性を求め、類型の分布範囲およ び関係や変化を考察した。
分析 の結 果 から 「 両 、 城類型」では鑿形足鼎と 聯 襠実 足鬹が 「姚官荘 、 類型」では板形足鼎と聯 襠 袋足鬹 が 「尹家城類 、 型」では嘴形足鼎と分襠 袋足鬹がそれぞれの類型 における特徴的な型式で あり、特に三足のつくり が各類型の特色となっていることが判明した。
前期の状況を見ると、諸城呈子遺跡、胶県三
、 、 「 」
里河遺跡 日照堯王城遺跡において 両城類型 が見られ、濰県獅子行遺跡において 「獅子行類 、 型」が見られる。泗水尹家城遺跡の地域では資 料が少なく鑿形足罐形鼎が見られるのみである が、高柄杯からも「両城類型」が主体であると 考えられる。
中期の状況を見ると、諸城呈子遺跡、
胶県三里河遺跡、日照堯王城遺跡に変化は見られない が、濰県獅子行遺跡において、新たに「姚官荘 類型」が出現する。泗水尹家城遺跡および兗州
、 「 」 。
西呉寺遺跡において 尹家城類型 が見られる 後期の状況を見ると、諸城呈子遺跡、胶県三里 河遺跡、日照堯王城遺跡、泗水尹家城遺跡、兗州
嘴 形 足 鼎
(西呉寺遺跡出土)
− 4 −
、 「 」 。
西呉寺遺跡において 尹家城類型 が見られる 一方濰県獅子行遺跡では、ともに、有附加堆紋板 形足罐形鼎と平底実足鬹のセットが見られる。鼎 足に附加堆紋を施すのは「尹家城類型」に特徴的 なものであり 、 「 尹家城類型 の影響のもとで 姚 」 「 官荘類型」が変質したと考えられる。
卒 業 論 文 概 要
古代北陸における円面硯の形態的特性神殿和志 古代北陸の陶硯については、主に吉岡康暢氏 の論稿がある。吉岡氏は、楢崎彰一氏による全 国的な型式分類に従いながら、北陸 国の陶硯に 7 ついての型式分類・地域性を論じている。ただ し、北陸地域型の設定という課題が残されてお り、そのための素材が必要となっている。そこ で本論では、地域型の設定に近づくことを目的 とし、まずは陶硯の中でも出土量の最も多い円 面硯に絞って、北陸内における形態変化や地方 色をしっかりと捉えたいと考えた。
分析にあたっては、南の若狭国から佐渡国ま でを、郡単位に分けて製作時期の古い資料から 順に概観した。時期に関しては、製作時期の傾 向を考慮し、Ⅰ Ⅱ期、Ⅲ Ⅳ期、Ⅴ期以降の 段 . . 3 階に分けて考えている。そして各報告書等を参 考にそれぞれの資料の特徴を整理しながら、国 単位、郡単位に見られる類似点や相違点を探っ た。その時に着目した個所として、型式・脚台 部・硯面部・突帯・全体的な大きさ、形態、精 巧度が挙げられる。同時に、遺跡種別について も留意し、円面硯の形態的特性と関係があるか を考えた。
その結果得られた 結論としては、形態 的に着目した各部に おいて、越前〜越中 にかけては一定の流 れ で変化 していたこ と が分か った ( ) 。 1 型式については、基本的には時期を 段階に分け 3 た順に、無堤有溝式―有堤式―無堤無溝式という 流れになっている ( )脚台部に関しては、初期 。 2 の透しは数が多く、大きさも大きく穿たれている が、時代を追って少なくなっていき、Ⅴ期以降に なるとなくなったり、あっても小さくなる ( ) 。 3 硯面部の作りについては、陸部は平らな作りから
Ⅲ Ⅳ期に入り弧状に隆起させるようになり、Ⅴ . 期以降は縁部よりも高い位置にくるようになって いく。海部は初期段階で決まった形態はなかった が、徐々に浅くなっていき、Ⅴ期以降には海部と
有 堤 式 円 面 硯
( 古 沢 窯 出 土 )