奈良教育大学学術リポジトリNEAR
歴史教育覚え書
著者 奥西 一夫
雑誌名 高円史学
巻 5
ページ 50‑53
発行年 1989‑10‑01
その他のタイトル A Note on Historical Education
URL http://hdl.handle.net/10105/8677
歴 史 教 育 覚 え 書
子どもの日記から
四月二十三日︵金︶ 5年 沢 田 高 志
サンフランシスコじょうやく反対
帰りのバスにのって︑県庁のへんにくると︑なにか声が
してきました︒すこし行くと︑車のよこに︑﹁サンフラン
シスコじょうやく反対︑おきなわかえせ︒﹂とかいた車が
走っていた︒ちょうど社会科でもはなしていたこととよく
にたこともかいていた︒
かじ田君のいった︑﹁おがさわらしょとう﹂ のこともか
いて
いた
︒
バスからおりると︑心の中で︵もっとやれ︑もっとやれ︶
奥 西
と思った︒けれど︵そんなことやったって︑せいふがわかっ
てくれへんなら︑なんばやったってあかんけどな︶と田心っ
た︒しばらくすると︑学生ぽっかりかたまって︑デモみた
いなのをやっていた︒女の人もまじって︑うたをうたって
いた
うちに着いて︑べんきょうしていると︑県庁まえで見た︑ ︒
﹁おきなわかえせ﹂とかいた車がとおっていった︒︵こんな
とこまでくるねな︶と田雪ていた︒
しばらくすると︑家のベルをならす者がいた︒︵なにか
な︶と思って︑とびらをあけてみると︑
﹁おきなわ・小笠原を祖国日本にとりもどすために﹂
とかいたビラをくぼっている学生さんたちだった︒
−50一
﹁おうちの人に見せておいてください︒﹂といってかえっ
ていった︒みると︑東京でもやっているそうだ︒
︵拙著﹃社会認識の基礎をどう教えるか﹄P66︑明治図書
一九
六五
年︶
日記を書いたのは附属小学校児童で︑文中の学生は当時
の奈良学芸大学生である︒
﹁四月二十八日﹂はサンフランシスコ条約発効の日で︑沖
縄が本土から分断された日である︒それで沖縄の祖国への
全面復帰をねがう運動が日々に高まってきつつあった︒
ベトナム戦争が︑一九六〇年から激烈になって︑沖縄の
基地から米軍の爆撃機が毎冒発進していったときである︒
小学校五年生には﹁日本の国土﹂は教えねばならないが︑
帝国主義国家と民族解放運動の対立矛盾については教える
ことはできない︒その前年︑東京オリンピックが開催され
て︑政府は﹁愛国心を高揚﹂させることに熟心で︑ここぞ
とばかり︑﹁日の丸﹂﹁君が代﹂が強調演出されたのであっ
た︒ 私が授業の中でも︑毎日のニュース関係の話でも大切にしたのは︑ほんとうの民族的愛情であった︒日本民族がしあわせでありたいと熱烈にねがう心は︑自由を奪うものへのはげしい怒りをもつことでもある︒
ある日一通の投書が稲荷山学長のところに配達された︒
そして附属校長石戸谷先生から呼ばれて研究室へ行くとそ
の手紙を見せられた︒﹁奥西先生は︑沖縄とベトナムのこ
とばかり教えている︒学力低下すると思うので︑担任を替
えてもらいたい︒父母一同﹂とある︒数日後︑学級PTA
を開いて︑この投書のことを披露し︑真相を知りたいこと
を告げたが︑﹁父母一同﹂ではなかったことがわかった︒
しかし︑たとえ数人であったにせよ︑こんな不満を抱かせ
たことは反省せねばならなかった︒
科学的な社会認識を育てるために︑周到な計画を立てる
ことと︑しかも︑子どもの発達段階にふさわしい授業を工
夫しなければならないことを痛感した︒
後 日 談
﹁ベトナム戦争で︑アメリカは︑ベトナムに勝つだろうか﹂
という問題で六年生に討論させた︒
○ ベトナム戦争がはげしくなってきている︒二夜明けた
ら︑日本も戦争になっていたという状態になるかもしれな
い︒
﹁ぼくらも戦争にひっぼり出される時がくるかもしれま
せん
ね︒
﹂
﹁いや︑日本国憲法には外国と戦争しないと書いてある
から︑大丈夫やぞ︒﹂
﹁いやいや︑わからんぞ︒自衛隊は戦争のけいこばかり
やっとるんだから︑戦争に行かされるかもしれない︒﹂
﹁いややな︒女のものもかなんわあ︒﹂
﹁自衛隊にはいらへんだらいいやないか︒L
r﹁国民を兵隊にするという計画も考えてるらしいやない
か ︒ ﹂
○ そうなったら︑アメリカ兵の英語の号令でおまえたち
銃をうたねばならんのだぞ︒アメリカが北ベトナムにまで
大爆
撃を
始め
たが
八ど
う思
う︒
ご.
﹁ア
メリ
カが
勝つ
と思
う︒
﹂・
と答えたのは数名であった︒
﹁な
ぜか
︒﹂
﹁それや︑アデリカは世界一強い国だもの︒ベトナムは
かん
たん
に負
ける
︒﹂
その他の者は答えることができなかった︒
﹁先
生は
どっ
ちで
すか
︒﹂
というので︑私は即塵にいった︒
﹁ベトナムは勝つ︒アメリカはきっと負けるぞ︒﹂
この答えは︑子どもたちに大きな衝撃を与えた︒自分の
クラスでない六年生に週二時間だけ社会をあずかって︑七
〇時間の歴史学習をした子どもであるが︑﹁先生に習った
ことは一生忘れないでしょケ︒﹂′といって卒業していった︒
そのころ米軍による無差別爆撃も︑住民虐殺︑枯葉作戦︑
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ニクソンの原爆使用計画も未だ表面化していなかったので
あるが︑侵略者は必ず敗退するということを私は教えた︒
一九七五年四月三十日︑ベトナム解放軍はサイゴンに無
血入城︒米軍はあらゆる航空機・艦艇をかり集めて撤退し
た︒ベトナムは︑アメリカ本土に一発の爆弾も投下せず︑
十五年間の戦争に勝ったのである︒
五月三日に一人の大学生から手紙が来た︒
﹁十年前に先生に歴史を習いました︒先生は︑ベトナム
は勝つといわれました︒そのとおりになりましたね︒﹂
四十人のクラスであったが︑その中のたったl人であり
ますが︑こんなに書いてよこした学生の胸の中に︑科学的
認識の一端が生きつづけていたことを知って︑私は厳粛な
気持ちになった︒
︵元
附属
小学
校副
校長
︶