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SEISHI YAMANO

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チェンバロの構造とその歴史的発展

山 野 誠 之

The Structure of Cabalo and its Historical Development

SEISHI YAMANO

はじめに

 チェンバロを演奏しようと志す人や,チェンバロ演奏様式(史)の研究にたずさわろう とする人にとって,楽器としてのチェンバロ,すなわちその構造や操作に関する様々な知 識を得て,それらに関連する諸問題を認識しておくことは基礎的かつ必須のことがらであ

る。本論は,筆者自身チェンバロ演奏にたずさわることができるようになるまでに,予備 的に研究し,公開の演奏や演奏様式研究に役立てることのできた知識と考察をまとめたも のである。本論の内容は,①チェンバロの構造,②操作に関する諸問題,③初期のチェン バロ用作品,となっている。

1。チェンバロの構造と製作者たちの貢献

1−1 チェンバロの発音機構

 鍵盤を押し下げると,鍵盤(挺子)の先端にあるジャックが高くはね上がる。ジャック の側面にプレクトラム(舌状小片)が突き出ていて,これが弦をかき鳴らすようになって いる。プレクトラムは歴史的には羽幹や皮製のものが用いられてきたが,今日では合成樹 脂のプレクトラムが用いられるようになった。音は鋭い金属性の響きを発し変化に乏しい が,レジスター(音栓,ストップ)の装置によって,共鳴弦や上下オクターヴ音を同時に 響くように連結することが可能で,これによって音質や音量を変えることができるように なっている。チェンバロはオルガン(Orgel)と共に,バロック時代における標準的な通奏 低音楽器であった。

1−2 チェンバロの名称

 上述のような発音機構によって演奏される楽器に,人々は歴史的に次のような色々の名 称を与えた。形状や構造の違い,国による呼び方の違い,時代による違い等によって生ま れた名称が今日に残されているのである。すなわち,clavicembalo, gravicembalo,

〔註〕本論は,昭和56年度文部省特別設備費による研究成果の一部を公表したものである。

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KielflUgel, spinet, clavecin, virginal, harpsichord,等である。これらはすべてCembalo

属の楽器であり,統一的にCembaloと呼ばれる。

1−3 チェンバロの分類とモデル

 チェンバロをモデルによって分類すれぼ,1)スピネットとヴァージナル,2)キール・

ブリューゲル,であるが,この分類の仕方は楽器の大小による分類であって,基本的には 同じものなのである。

1−4 チェンバロの形状

 上記の2つに分類された3種のチェンバロは,張られている弦の鍵盤に対する角度にお いて異なっている。すなわち,その角度がハープシコード(キール・ブリューゲル)にお いては90度,スピネットにおいては45度,ヴァージナルにおいては平行なのである。キー ル・ブリューゲルKielflUgelという名称は最も分かりやすい言葉で,その機構と同時に特 徴的な形を言い表している。この形状のチェンバロが鳥の翼の輪郭に似ているのは,高音 部から低音部へ行くに従って弦が長くなるためである。直角をはさむ2辺の短い方に鍵盤 が取り付けられているために,鍵盤のキーは弦と同じ方向に走り,レスト・プランクと ジャッ,ク・スライドは弦に垂直方向になる。この構造はヴァージナルやスピネットの構造 と違って,とりわけキーが同じ長さであること,最善の擾弦点を容易に選ぶことができる こと,ケースの外観を損うことなしに,弦長を好みに応じて大にすることができること,

などの利点がある。

 ともあれチェンバロ属の基本構造は,形状の変化や構造の発達に影響されず,チェンバ ロに続いて登場したピアノの構造に近寄ることもなかった。後に述べる種々の装置も,1

−1に述べた不変の基本構造の上に徐々に付加され,完成されていったものである。

1−5 チェンバロ製作者たちの貢献

 15世紀から16世紀にかけて製作された古いチェンバロの多くは,ほとんど独占的にイタ リアで作られており,当時,チェンバロ製作の中心地がイタリアにあったことを示してい る。今日に伝わる最古のチェンバロは,ロンドンのVictoria&Albert Museumに保存さ れており,これは1521年忌Hieronimus Bononiensis(ボローニャ人)がローマで製作した ものである。この楽器は,ほ〜ノ:、の音域をもつ一段鍵盤のグランド型(ブリューゲル型),

つまり弦が鍵盤に対して直角に張られているものであった。このことは,最も初期のチェ ンバロの形状が,まぎれもなくハープシコード型であったことを証明するものであり,大 変興味深い。この楽器が作られた16世紀初葉には,クラヴィコードとチェンバロの製作者

はかなりの数にのぼったと言われている。

 ルネッサンス期やバロック期のチェンバロは,音によって耳を楽しませるだけでなく,

外観によって目を楽しませるためにも,様々な技巧を駆使している。すぐれた装飾を施し

たケース,かざりのついた足,唐草模様の側板,蓋の内側には神話・歴史・自然からとっ

た絵(ルーペンス,ワトーなど)前板には製作者の銘,などである。このような壮麗なス

タイルの楽器には高価な材料が用いられ,象眼細工を始めとする精巧な装飾技術が駆使さ

れたので,何代にも及ぶ貴重な相続財産となったのである。

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 16世紀の中葉から,オランダのリュッカース(Ruckers)一族の活動によって,グラヴィ ア製作の中心地がイタリアから北方に移り,アントワープが彼等の活動の場となった。こ のことは,イギリスのチェンバロ製作に決定的な影響を与えることとなった。17世紀から 18世紀にかけてのイギリスのハープシコードはリュッカースの設計に従っている。この設 計は一般に「ルッカース配列」として知られる8汗8碁4 というレジスター配列を持ってい

る(後述)。イギリス派の功績は,この配列にレジスターを操作するペダルやヴェニス式音 量増減装置を新たに加えたことである。

 現代のピアノフォルテに引き継がれる直前18世紀後半における重要なチェンバロ製作者 はフランスのタスカン(P.Taskin)である。1804年,ウィーンのボッホ(Ch. Boch)の製 作したスピネットが,チェンバロ属の最後の楽器となった。

 その後,チェンバロ製作は約半世紀ほど休止した後,1888年以来モダンタイプのチェン バロ製作として復活している。現代の主要なチェンバロ製作者は次のとおりである。〔イギ

リス〕ドルメッチ(Dolmetsch),ゴベル(Gobel) 〔フランス〕ガヴォー(Gavaud),

プレイエル(Pleye1) 〔ドイツ〕ノイペルト(Neupert),アマー(Ammer),シュペル ハーケ(Sperhake),エベロー(Ebeloe),メルツドルフ(Merzdorf)等である。

1−6 モダン・チェンバロに求められる機能

 今日のチェンバロ奏者が必要としているものは,簡単なヴァージナル音楽の演奏にも適 しており,さらにJ.S.バッハの様式的演奏をも可能とするひとつの楽器,すなわち,歌 うように明快であり,コンサート用に耐えられる豊かさとよく透る音をもった楽器である。

ノイペルト(Neupert)は,「よく作られたモダン・チェンバロは,一面では昔の音を厳格 に保持していなけれぼならない。すなわち,響板のしくみや弦,レジスター,プレクトラ ム機構のような,音を作るための重要な構造をオリジナルの楽器から引き継がなけれぼな

らず,他方今日の技術的精度で今日の方法を採り入れて製作されていなければならない。

昔のモデルから逸脱しても,音の変化は引き起こされず,むしろ操作が容易になり,楽器 の確実性が増すようにすべきである。本質的に伝統に忠実であって技術的にモダンなチェ ンバロだけが,古い音楽の現代における代弁者として,ピアノと並ぶ地位を占め,この地 位を主張することができる」と述べている。確かに,A.ベルナールも述べているように,

現代のチェンバロ製作者は,新しい材料や技術を慎重に用いて,精度・音のよさ・調律に 関する現代的要求を考慮しながら,「今日に通用する古楽演奏」のためのチェンバロを作る

ことができなければならないのである。この条件を満たすモデルとして,ノイペルトは,

ルッカース配列を基礎とした「シュッツ・モデル」を推奨している。

 今日のチェンバロ製作において更に重要な課題は,異論はあるにせよ,いわゆる「万能 チェンバロ」に対する要請にいかに答えるかであろう。曲目や演奏目的に応じて異種のチェ ンバロを作り分ける方法と同時に,一台で種々の異なるスタイルの曲を演奏できる楽器を 備えておくこともまた,現代のコンサートプログラムに現実的に対応する重要な課題なの である。この要請に応えるものとして,1920年代の終わりから製作され始めた大型コンサー

ト・チェンバロがあり,これは通称「バッハ・モデル(Bach FIUge1)」と呼ばれている。

このモデルは,下鍵盤に8iと16■が置かれ,上鍵盤に4と8をが置かれる,4列のジャックスラ

イドを持つ,カプラー付き2段鍵盤の大型チェンバロである。レイモンド・ラッセルの研

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究によれぽ,このモデルは,ハンブルクの著名で優秀なチェンバロ製作者ハス派の流れを くむものである。Bach F1廿gelの製作はその後一時的に中断されるが,これは楽器として の可能性が乏しいためではなく,音楽様式の変化に伴うものであったと言われている。

II.響板と梁構造

 響板は伝統的に南欧産の良質の糸杉が用いられており,それが用いられない場合には,

同系統で年輪の多い松でできていた。響板にはロゼットという,美しく彫刻された木製・

金属製・紙製の,花の形をした響孔が付けられ,装飾の機能と同時に,響板の下から音を 外に出す役割を果たしていた。

 古いチェンバロは箱型で,底面が閉鎖されていたので,底板は今日でいう梁による補強,

いわゆるラストの役割をしなければならなかった。アードルング(J.Adlung 1699〜1762)

によれば,ケースの高さは約80cmで,それより高いものも低いものもある。高い場合は堂々 ととどろく音になり,低い場合はより柔かくなる。

 上板は音を大きくするために,普通はもみの木で作られていた。

 今日では,特にコンサート・チェンバロを再生する場合には,木材の選択をはじめ乾燥,

板の接合法に到るまで,ピアノの製作技術が応用される場合が多い。

 また,大型チェンバロには通常梁構造が用いられている。この梁構造は16 の太く長い弦 をもった配列を加えることによる負荷の増大に十分耐える構造とするために導入されたも のである。

 チェンバロ製作にあたって注意しなければならないことは,弦を張ることによって本体 がゆがめられることのないようにすることである。さもなければ,チェンバロ全体の美観 を損ね,レジスターの機能と音の安定を妨げるからである。

 響板に対する現代の製作者の考え方は,響板によって共鳴箱を作ることでなく,軽くて 均等に作用する木製の膜を作ることである。

 下側が開いているために,箱型の楽器に比べて,音の透りが一層促されるのである。

III.梁構造とフレーム

 昔のチェンバロはヴァージナルに典型的に見られるごとく,楽器本体を箱型に作ること が行われた。箱の側板は弱いものであったが,弦の張力が材質的に今日ほど大きくなかっ たために,どうにか負荷に耐えていた。しかし実際には,安全のために色々な補強策が講 じられた。初期イタリアの製作者たちは側板を小さな木製の支柱で補強していたし,オラ ンダとフランスの製作者たちは底板の上に横桟をわたすことによって箱全体を補強してい た。オランダの製作者の影響を強く受けたイギリスの製作者たちは,この補強板をさらに 一歩進め,静力学的にもっとよい補強法に到達した。ブロードウッドやカークマンは,チェ

ンバロ製作法を,今日大型モデルによく用いられる梁構造へと移行させた。

 梁構造による補強法は2つの要素から成っている。1つは響板を下から支える骨格とし

ての底面,もう1つは一命に接着する外枠(側板)である。梁構造は一般に危まれるほど

響板の振動を妨げるものではなく,かえって箱の三板が取り払われているために,音の透

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りがよくなっているのである。

 コンサート用大型チェンバロに「鉄のフレームを用いるべきか否か」という論争が一時 行われたが,今日では他の適切な技術によって,レスト・プランクやチューニングピン,

4ヒッチピンをできる限り安定させるための様々な工夫がなされている。ノイペルト製 チェンバロの4 ヒッチピンはこの種の機構として特許を得たものである。

 ともあれ,フレームの問題を含めて,J.S.バッハやG.F.ヘンデル, J.ハイドンが愛用し ていたチェンバロは,当時は比較的まれな8 …2列目4 …1列,16ダ…1列の大型チェンバロ であり,今日のコンサート・チェンバロの先駆となったものであることも明記されるべき であろう。

IV.弦の材質と長さ,発弦点について

 弦の材質に関する文献を拾えば,次のような記述に出会う。ヴィルドゥング(S.Virdung)

は,その著Musica getutscht und ausgezogen, Basel 1511の中で,「真鍮は大きな音がす るし,スティールは小さな音がする。だから,音域がオクターブかそれ以上ある時は,低 絃には真鍮弦を,高音にはスティールを用いなけれぼならない」と述べている。一方,アー

ドルング(Adlung)は,「黄色い弦は,錆びることがないので耐久性があり,…白くて硬い スティール線は音がより魅力的で長もちする」と述べている。

 この2つの文献から,チェンバロ製作の初期には真鍮線とスティール線が愛用され,音 域によって使い分けられていたことが分かる。

 巻線が最も早く用いられたのはフランスにおいてであり,1675年にサント・コロンブに よって導入されたといわれている。

 現在チェンバロに使用されている弦は主としてスティールが用いられており,低音のレ ジスターにおいては真鍮線や銅線,または銀メッキを施した銅線をスティール線に巻きつ けたものが用いられている。

 弦はまずヒッチピンにかけられ,響板の上のブリッジを通ってナットに至り,最後に チューニングピンに巻きつけられる。

 弦は,強くてよく透る音を生むためには,多くの倍音を豊かに含む音を発することので きる正しい発弦点を選ぶことが大切である。

 ヒプキンズはその著History of the Pianoforteにおいて,実験資料に基づいて,弦の太 さと長さ,発弦点が音に与える影響を明らかにしている。

 16 弦特有の壮麗でまろやかな音色を失わないようにするためには,16 弦は,短くするに も長くするにも限度があることに注意しなければならない。もし1σが長さの限度を上まわ るならぼ,「引っぱり雑音」や「撲き雑音」がひどくなる。長さに関しては,本体の長さが 25m以内に収まるように,弦の長さを加減すべきである。

 4 と8 の高音部の細い弦には断弦の限界があるので当然高さにも限度が出てくる。これに 加えて,ジャック・スライドは一定の幅の中に収まっていなければならず,響板の上のブ

リッジは音響的に適切な位置にこなければならず,しかも互いにあまりくっつきすぎては

いけない。またジャックの撲弦点は,得ようとする音色のために適切な位置にこなければ

ならない。

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V.鍵盤

 チェンバロの鍵盤は,今日のピアノと同様に挺子で作られ,バランスレールに支えられ て動き,打鍵の力をジャックに伝える役目を受け持っている。この機構は昔も今も変わら

ない。

 チェンバロにおいては,鍵盤の色がピアノとは反対に,ナチュラルキーが黒(黒檀),

シャープキーが白(象牙)に見える。これはフランス起源の習慣であって,演奏の時に両 手を見やすくするためであった。

V−1 下方限界音とショート・オクターヴ

 中世においては,チェンバロの下方限界音はFであり,この状態がおよそ1500年頃まで 続いた。16世紀に入って初めてCまで延長されることになるが,この際にショート・オク

タマヴという簡便な方法が用いられたのである。すなわち,今日の鍵盤のようにCに至る まで半音階的に5つの音を加えるのではなく,実際には鍵盤を1つ下へ廷ばしただけで,

この鍵盤にC音を割り当てたのであった。

 ショート・オクターヴの特徴は,c−F間のD, Eをシャープキー(Fis, Gisの位置)

に割り当てる所にある。古い音楽習慣(純正調律)によれば,FisやGisは根音として使用 されることは,実際の音楽ではあり得なかったからである。ショート・オクターヴを今日 の鍵盤上の位置と比較すれば次のようになる。

 今日の鍵盤上の位置…EFFisGGisABHc        llIllIlロ  ショートオクターヴ…CFDGEABHc

 ショート・オクターヴは,さらに下方G、へと広げられ,鍵盤上のH1, c, Cis, D,

Dis, Eが実際にはG、, c, A, D, H, Eとなった。鍵盤上でEの位置にあった。は,

再び本来のCの位置へ戻ることになったが,ショート・オクターヴの拡大は,実際の演奏 において煩雑さを増す結果となり,平均律の登場(異名同音の必要性)と同時に次第に用 いられなくなっていった。

V−2 鍵盤の幅と音域

 昔のチェンバロの1オクターヴの幅は,現代のピアノの16,6cmに比べてやや狭く,およ そ16cmであった。18世紀における大型チェンバロは鍵盤の幅が81cmであり,Frf3の5オ クターヴ(4 ,16 では実音域は7オクターヴに達する)の鍵盤を持つものが1つの標準と なった。しかし,一般的に広く用いられていた中小のチェンバロは18世紀になっても4オ クターヴのことが多かった。

今日のチェンバロ演奏においては,一般的には4%オクターヴの鍵盤幅C−f3で十分で ある。しかし,今日のコンサート用楽器としては,7オクターヴの音域に対応する5オク ターヴの鍵盤幅を持っている必要がある。

 チェンバロには一段鍵盤と二段鍵盤があるが,二段鍵盤の場合には連結鍵盤になってい

る事が多いであろう。そして,大きさと使用目的に応じて一定の音域即ち通常は5オクター

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ヴ,一鍵盤につき61鍵,スピネット及びヴァージナルの場合には4オクターヴ,49鍵をも つo

VI.プレクトラム機構とジャック,ジャックスライド

 プレクトラム機構とは,鍵盤を押すことによってはね上がるジャックの運動によって,

ジャックに付けられたプレクトラムに擾弦させる装置を言う。(14世紀の中葉には,プサル テリウムに鍵盤をとりつけたチェンバロの祖先が生まれていた。)打鍵によってはね上がっ たジャックは,ジャック・レールによってその上限が決められている。

 鍵盤を離すとジャックもまた下がるが,その際にプレクトラムはタングが傾くことに よって弦をはじくことなく通過する。

 プレクトラム機構の特徴は,打鍵の強さを色々に変えてみても,音の強さには何の影響 もないということである。

 C.P.E.バッハは,「よいチェンバロには,よい音とそれにふさわしい鍵盤の他に,均等 なプレクトラム機構をもっていなけれぼならない」と述べている。現代のチェンバロ製作 者たちの苦心のひとつもここにあり,ジャックとジャックスライドの吸湿性を除くために 様々な工夫がなされている。

 モダン・チェンバロのジャック・スライドは,最近,金属で作られることが多く,穴の 精度をより高くすることができ,湿気でふくれあがることによってジャックの動きが悪く

なる危険も取り除かれる。またジャックも金属や非吸湿性の材料たとえぼ合成樹脂の成型 品で作ることができる。

 一列のジャックを組み込んでいるジャックスライドは,演奏におけるレジスター操作と 深く関係している。すなわち,ジャック・スライドを横に動かすことによって,ジャック の一列全部をずらし,打鍵してもプレクトラムが弦に届かないようにしたり,元にもどし たりすることができる。

 プレクトラムの材料としては,古くは鳥の羽茎や皮が愛用され,大型のチェンバロでは 両方を異なる列のジャックにとりつけて,音色の対比を得るために用いていた。現在では

プラスチックのプレクトラムも用いられるようになってきた。

 プレクトラムの形は様々で,円筒形,円錐形,角悪形などがある。プラスチックは材料 の均質性と可塑性にすぐれており,外気の影響を受けにくいなど利点が多い。

VII.レジスター機構音のレジスターとストップ装置

レジスター機構は2つの異なる機構によって構成されている。

VII−1 音のレジスター

 1つの鍵盤に対応する複数の弦とジャックを備え,これを鍵盤の両側のストップ,ある

いはペダルで操作する機構を言う。弦の音高(8 ,4 ,16 など)やプレクトラムの材料の違

い,撲弦点の違いなどによって多少の音色の変化が得られる。H.ノイペルトはレジスター

の色合いについて次のように巧みに表現している。「レジスターの色合い,すなわち8の柔

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らかさ,4!の何となくぴりっとした切れ味のよい甘さ,16 の暗い響き,ナザール・レジスター のおどけたような鋭さ,これらすべては独自の謙譲さをもち,堂々とした性質をもち,そ れぞれに愛され重んじられたがっているのである」

 ザックス(C.Sachs)の説をもとにレジスター発展の歴史をたどれば,およそ次のように

なる。

 1514年,2個のレ・ジスターを持つ機構が導入された。1列の弦に対して2列のジャック を置き,つまみによって3つの可能性を得た。 ①ヵ②∫③ヵ+∫(音高はすべて8 )  1538年,8 +4■が導入され,3つの可能性に音高の変化が加わった。①ρ(4■) ②∫(8

7) ③ρ(4 )+∫(8

 1576年,3個のレジスターを持つ機構が導入された。弦は3声部となり,これに対応し てジャックも3配列となった。この段階で2つの鍵盤が導入され,3列のジャックは2っ の鍵盤に配分された。音色の組み合わせば7つの可能性に拡大されて,①8i(ヵ) ②8鐸 4 (カ+カプラー) ③81+8㌶ρ+∫) ④8計4 (∫+カプラー) ⑤8§(つ ⑥81+4 + 8甕(ρ+カプラー+∫) ⑦4 (カプラー)

 1582年,4個のレジスターを持つ機i構1が導入された。弦は4声部となり,ジャックも4 列となった。4列のジャックは2段の鍵盤に,2列対2列もしくは1列対3列にふりわけ て配置された。上下2段の鍵盤とそれに対応するジャックは連結装置(カプラー)によっ て結合され,多彩な組み合わせが可能となった。レジスターはこの段階に至って完成され たと言え,カプラーによって全奏の効果を得ることが可能となった。81+8至+4 +16  レジスターの切り換えは,鍵盤の上部の前面板についている①手動のレジスター・ストッ

プ②鍵盤台の下にあるニー・レバー ③リラの場合には床まで届いているペダルがあり,

好みに応じて様々の組み合わせが可能になっている。

 伝達部品としては,連結棒,レバー,手動ねじ,斜めのスライド等があり,機械的なレ ジスターを動かしている。

VII−2 ストップ装置

 ストップ装置とは,つまみ操作によって弦にフェルトなどを接触させて,減音効果と音 色の変化を得るための装置である。最も多用される典型的なストップはピアノストップと リュートストップである。ピアノストップは爪のかかりを少なくすることによって音を弱

める。

 リュートストップはナットの近くをフェルトでおさえることによって8 弦にリュートの ような音色を与える。同様に16 弦にはテオルベのような音色を与える。

 ストップ装置には,これらの他にパフストップ,リラストップ,ハープストップなどが

ある。

以上のようなレジスター装置の拡充によってはじめて可能となった演奏技巧は次の通り である。1)音色や強度を変えること 2)声部を浮き彫りにすること 3)鍵盤の連結に よって全奏すること 4)バロック特有のテラス式ダイナミズムを機構的に実現したこと,

などである。

 チェンバロの高音部レジスターによって得られる理想的な音色とは,マッテゾンが「さ

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さやく音」と呼んだ,快く,明るく澄んだ音である。一方バス・レジスターは,ピアノの フェルト・ハンマーがぼやけてこもった音を出すところでも明瞭な響き,すなわち,とど ろくような,壮麗な,堂々たる,壮重な音を求める。

Vm.調律方式と標準音燭

 中世においては,オルガンの普及にともなって,ピタゴラス音律が適用され,純正5度 を基準とする調律法が永く行われていた。鍵盤付きプサルテリウムや初期のチェンバロも ピタゴラス音律によっていたに違いない。

 しかし,1740年代(アルス・ノヴァ)を経過するに従って3度音程重視の方向が見え始 めると共に,ピタゴラス音律の荒々しい3度音程を改良しようとする動きが活発になって きた。ガフォーリ(RGaffori 1451〜1522)はPractica musicae(1496)で「オルガン 奏者たちは5度を少し狭めることを主張している」と述べている。

 16世紀に入ると3度音程を重視した種々の中全音律の理論が発表された。アーロンの Toscanello de la musica 1523,シュリックのSpiegel der Orgelmacher und Organisten 1511などがそれである。

 これらに共通する調律方式は,狭めの5度と純正に近い3度を保つことであった。シュ リックの中全音律は特に寿命が長く,18世紀の初頭に平均律が登場するまで広く用いられ た。我々は中全音律によるオルガン演奏を,ニュルンベルクのGermanische National−

museumにおいて聴くことができる。

 平均律の理論は,実際の調律においては,必ずしも今日の12等分平均律の方式で調律さ れたのではなく,全音階翼長3度の快い響きと転調の可能性をほどよく調和した種々の中 間的な調律法が行われ,A.ヴェルクマイスターやJ.G.ナイトハルト,キルンベルガー等 によって実用的な方法が提唱された。彼等の提唱した調律法は今日でも,歴史的演奏様式 においてしばしば用いられる。

 ヨーロッパにおける音盤規準の変遷を簡単に述べることは大変困難である。16・17・18 世紀を通じて,大まかに世俗調律(Kammerton)と教会調律(Kappelton)との区別があ

り,それぞれが地域や時代によって変化していたのである。

 1500年頃にはその差が5度にまで達していたという記述も見られる。16〜17世紀初葉に は,教会調律が世俗調律(家庭の鍵盤楽器)より最大4度(5半音)高かったという説(フェ ローズThe English Madrigal Composers 1921)もある。

 しかし,プレトリウスはSyntagma musicam II(1619)の中でChorton(KapPelton)

の方が全音だけ低いと述べており,地域によって一定していないことが分かる。北ドイツ,

リューベックのシュテルヴァーゲンオルゲル(Stellwagen Orgel)は,これと反対に,今 日の標準音高より長2度高く設計されており,改修時にピッチは変更されず,今日でも Bachのオルガンソナタ等が,曲によってはまことに歓喜にあふれる明るさで,ほとばしる

ように演奏され続けている。

 18世紀に入ると,国ごとに違っていた音高の差は次第に小さくなっていったが,エリス

の研究によれば,当時の音高は一般に,今日の標準一高よりも%音(半音)低く演奏され

るよう作曲されたと考えられる。

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 チェンバロの構造と調律に関する以上の考察から,チェンバロ演奏におけるピッチの選 択に関する次のような結論を導くことができる。すなわち,1)モダンタイプのチェンバロ

を用いる場合はaノ=440Hzの音高を選ぶことは一般に何ら問題はない。2)ヒストリカルタ イプのチェンバロやクラヴィコードを用いる場合には,曲目に応じてa =440Hzよりやや 低く調律すると,ずっと快く魅力的な音を出すことができる。

 (参考)

 1)ツァルリーノ(G.Zarlino)は「音楽論(Le istitutioni harmoniche)」1558におい て,「立派な音楽家はアルピコルド(arpicordo)を調律することができなけれぼならないと 述べた。arpicordoはスピネット種の鍵盤楽器で,奥行きが先細りになった5〜6角形の楽 器のちょうどハープを横にした形で約4オクターヴの音域をもっていた。プレトリウス

(M.Praetorius 1571?〜1621)は「音楽大全第2巻(Syntagma musicum II)の中で,

チェンバロのハープストップの意味に用いている。またヴァールター(J.Walter 1496〜1570)はスピネットと同義に用いている。

 2)メルセンヌ(M.Mersenne 1588〜1648)は「一般和声学Harmonie universelle

(1636)」で正しく製作され調律され,慎重に取扱われているスピネットの調律持続期間は 8日から15日であると述べている。

 3)アードルングも調律について次のように述べている。「調律は,たとえ音楽がすぐに 始められるような場合でも,必要な時,その場所に運ぶ前ではなく,演奏の直前になされ なければならない……」。

 4)現在製作されているウィットマイヤー社製Reiseklavichordは, a■=435に調律す るように指示されている。

IX。チェンバロの操作

 演奏や練習を始める前に,奏者が自分で行わなけれぼならない操作は,1)調律 2)

ジャックスライドとジャックの調整である。

 1)については別の機会に述べるとして,ここでは2)に関して要約しておきたい。

 ①一列のジャックを全体として調整する。この操作は「位置ぎめ装置」すなわち微動可 能な調整ねじによって行うことができる。

 ②プレクトラムと弦との垂直方向の距離すなわち撲弦モーメントの調整はジャックの 一番下についている高さ調整ねじ(横穴のあいている頭部つきねじ)で行う。

 ③音の強さをレジスターと音域に応じて調整する。これは,演奏される音を直接的に決 定する最も重要な調整操作であり,プレクトラムの弦に対するかかり具合を加減すること によって行う。今日ではこの調整は,ジャックを引き抜かずに,ジャックの上部に付けら れたねじを手でまわすことによって,楽に行うことができる。

 ④ジャックに取り付けられているダンパーは,今日大抵の場合には調整が可能である。

以前は狭い布のテープでできていたが,今日では幅の広いダンパー・フェルトからできて いる。古い楽器の特長である,よく響く残響を一部失ってしまうが,消音効果はすぐれて

いる。

 その他に,鍵盤の高さの調整,プレクトラムの取り換えと整形,部屋の温度,湿度の調

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整など,奏者自身で行うべきことがらは多い。

 エーラース(A.Ehlers)は『チェンバロ』Cembalo 1933の中で,「チェンバロ奏者は自 分の楽器に対して,芸術的な関係だけでなく即物的な関係を持たねばならぬ。つまり,あ

るていど機械いじりが好きでなけれぼならない」と述べている。アードルングも,オルガ ン製作に関してではあるが,「グラヴィアの愛好家は…その保守の方法を知り,簡単な修理 ならば自分でできるくらいの技術を身につけている必要がある」と述べている。この項の テーマから少しはずれるが,アードルングのこの記述は,鍵盤楽器の操作や保守にかかわっ て,「グラヴィア」という概念を,オルガンを含む最も広い意味に用いた実例として興味深

い。

X.チェンバロのための初期の作品

 14世紀から17世紀初葉に至るヨーロッパ鍵盤音楽は,オルガン様式とグラヴィア様式が 未分化のまま推移したと考えられる。従って,我々はチェンバロ独自の演奏様式(史)研 究を行う前提として,オルガンを含むグラヴィア作品の流れを通観する必要に迫られる。

以下,できる限りグラヴィアに密着しながら述べることとする。

X−1 14世紀のグラヴィア作品

 14世紀後半イタリアの「ファエンツァ写本」には,オルガンまたはグラヴィア用の100余 曲が収められており,それらはイタリアやフランスの歌曲(ランディー二,マショー等の)

から編曲されたものが多い。

X−2 15世紀のグラヴィア作品

 15世紀後半ドイツの「イレボール写本」は,本来のオルガン曲としての最初の作品であ る。ニュルンベルクのK.パウマンは,この様式を継承し,『オルガン奏法の基礎』fun−

damentum organisandi(作曲の教本でもある)を書いた。

X−3 16世紀のグラヴィア作品

①16世紀イタリアにおいてオルガン音楽やグラヴィア音楽が最初に栄えたのは,ちょう どヴェネツィア楽派の時代であった。G.カバッツォー二, A.ヴィラールト, A.ガブリエ リ等が,声楽曲を多数オルガン曲やグラヴィア曲に編曲した。②16世紀スペインの最もす ぐれたグラヴィア曲はカベソン(A.de Cabez6n 1510?〜1566)の『4声部のティエント』

である。カベソンは変奏曲の技巧においても,イギリスのヴァージナル楽派の作曲家たち より先んじていたと言える。③16世紀後半〜17世紀初葉イギリス(エリザベス朝時代)に おいては,ヴァージナルのためのグラヴィア音楽が発達し,オルガンは第二の地位に押し やられた。ヴァージナルの響きは「教育によい効果をもたらす」として,その演奏が奨励 されたと言われている。このようなヴァージナル愛好の高まりはいくつかの曲集を生んだ。

刊本として最も早い曲集は1611年にロンドンにおいて銅版で印刷された。この曲言のタ イトルは,『ヴァージナルのために印刷された最初の音楽であるパーセニアあるいはメイ

ドゥンヘッド…』PARTHENIA or MEIDENHEAD〜と印ざれ,巨匠ウィリアム・バー

(12)

ド,ジョン・ブル,オルランド・ギボンズの21曲が,6線のグラヴィア楽譜に書かれてい る。この凹凹の題名Partheniaは「処女性」を意味するギリシャ語に由来する。

 刊本ではないが,これより少し早くまとめられた曲集として有名なものに『ネヴェル夫 人の曲集』My Ladye Nevelle s Booke 1591がある。この原稿にはW.バードの作品42曲 が収められている。『フィッツウィリアム・ヴァージナル・ブック』Fitzwilliam Virginal Bookは1570年から1625年にかけてまとめられた。

 これらの曲集に収められた曲は,声楽曲の編曲が多いが,前奏曲や幻想曲,舞曲,ある いは歌曲や舞曲にもとつく変奏曲も少なくない。

X−4 17世紀以後のグラヴィア作品

 通奏低音期に入り,バロック様式が確立するに伴い,グラヴィア作品の様式はオルガン 様式から分離し,地域的特色を強めると共に,全体として独自の様式を確立していくこと となる。オランダのスウェーリンク(J.P. Sweelinck 1562〜1621),フランスのクラヴサ ン楽派の創始者シャンボニエール(J.C. Chambonni6res 1602?〜1672),南ドイツのフ ローベルガー(J.J. Froberger 1616〜1667)等の作品と共に,チェンバロ作品はその高み へと登り始める。これ以後の作品に関しては,チェンバロ演奏様式(史)の研究に譲らねば ならない。

むすび

 楽器としてのチェンバロに関する諸問題に一通り考察を加え,基本的な知識を得た後に,

いよいよチェンバロの演奏もしくは演奏様式(史)の研究へと一歩を進めることができるの であるが,そこには早くも「レジスター選択の問題」や,「通奏低音の研究」,「装飾音の研 究」等の興味深い課題が待ち受けている。

 これらの課題に関する論述は後日に譲るとして,最後にチェンバロ演奏(研究)の意義 に触れて本論を閉じたい。

 そもそも,テクノロジーの成果に満たされた今日,古めかしいチェンバロに触れること の本質的意義は奈辺にあるのか?この間に対する回答の第一は,「弦に与えたタッチの反作 用を,その手ですぐに感じ取ること」にあり,第二は「経済効率優先の利益社会にあって,

そこに精神的共同体の秩序を回復すること」にある。第一の意義は,まさに,音楽教育に おける「ピアノを中心とした音楽教育」の盲点を突くものであり,弦の振動を指で感じる ことのできないピアノ演奏と声楽や管・弦・打楽器演奏との断絶を埋める音楽体験への指 針を示すものである。また第二の意義は,音楽にいそしむ姿勢から人生と芸術を真に一つ のものとし,歴史に育まれたよき人間関係を回復することを私たちに呼びかけているので

ある。

〔引用・参考文献〕

K.H.ウェルナー:音楽史(上・下),星野 下訳,全音楽譜出版社,1986

C.P.E.バッハ:正しいピアノ奏法(上・下),菓川清一訳,全音楽譜出版社,1985

(13)

H.ノイペルト:チェンバロを弾くために,井本日向二訳,シンフォニア,1977 野村満男:チェンバロの保守と調律,東京コレギウム,1974

F.Couperin:L Art de toucher le Clavecin 1717

J.J. Froberger:Ausgewahlte Klavierwerke, Schott

Twenty−four Pieces from the Fitzwilliam Virginal Book, Stainer&Bell

 音楽大事典,平凡社,1981〜1983

Brockhaus−Riemann−Musiklexikon,2Bde, E A. Brockhaus Wiesbaden, Schott s S6hne Mainz 1978 Ebenhard Thiel:Sachwδrterbuch der Musik, Kr6ner, Stuttgart,1977

       (平成2年2月28日受理)

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