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都野尚典都野尚典

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(1)

( )

都 野 尚 典

(2)

一︑対象と問題の限定

二︑国民的流通と国民通貨1国民的流通の完結性と限定性2国民通貨の独自性と限定性︹以上本号︺三︑世界市場と世界貨幣e

1世界市場の構造2世界市場流通と世界貿幣

四︑国民通貨と国際通貨1国民通貨・国際通貨・世界貨幣

国際収支l国民的流通の世界市場流通への結接l国際通貨の機能と限界

(3)

一︑対象と問題の限定

しかもここでは主として再生産の視国際通貨およびその前提をなす国民通貨をその基礎的な諸規定性において︑

角から流通構造論的にあきらかにしようというのが本論の趣旨である︒現代国際通貨信用制度の機能と構造を現代

資本主義の基本的論理構造のもとに体系的に把握することを目標としつつ︑対象自体の︑きわめて包括的具体的性質

のゆえに︑まず要素的基礎的範障をとりだして︑その諸規定を検討しておく必要があるとの考えで国際通貨をとり

あげるものである︒

ここで問題になるのは国際通貨なるものそれ自体がζれまた極めて現実的かっ具体的でそれゆえまた多様な内容

をもっているということである︒こんにち国際通貨としては金・ドル・ポンド等が挙げられるのが通例である︒そ

れらが国際的商品︑サービスおよび資本の諸取引に収支決済の手段として主として機能しているという意味でそう

とされるのである︒しかし金は別としてドル・ポンドなどはもともと国民的通貨にすぎず︑また金をも含めてそれ

国民通貨と国際通貨(ー)

らが世界的貨幣高権のもとに共通々貨に定められているわけでもない︒それらが国際通貨と称せられるのは国際的

諸取引の歴史的展開のなかで現実的実際的に一定の通貨諸機能を演じて来ているというかぎりでにすぎない︒だが

もともと国民的通貨にすぎないにせよ商品および資本の国際的規模での流通展開に現実に機能しているかぎりでは

そこに貨幣流通の内的必然の論理が貫かれていなければならない筈であって︑ζの内的規定性において国際通貨は

経済学的範障として分析対象たりうる根拠をもっといわねばならない︒

(4)

ところでここでの主たる困離はそれが国際的諸関係という社会的︑経済的︑法制的に

‑ z ︻ 同

r M f w m H ω

件 ︒

された場に

あらわれ︑かっ形態的にも金を別とすれば諸国民通貨の形態をもっと云う点に発するものである︒しかもζこで国

際的関係という契機は国際通貨を国際通貨たらしめる不可欠な契機であり捨象することを許きれない︒そこでわれ

われはどうしてものりこえなければならない論理階梯として貨幣信用論上での国際的関係の措定をおこなっておく

必要があるといえる︒ここで国際通貨の諸規定をとくに再生産的な見地から流通構造論的にあきらかにしようとす

るのはこのような意味においてである︒

国際的経済関係は諸国民経済の交錯関係として定在しているのだからおのずとふたつの側面が検討されねばなら

ぬことになる︒ひとつはそれを構成する諸国民経済それ自体の相対的自己完結性と他方外部に向って相互関係をも

たねばならぬその限定された性格についてであり︑他はそれらの相互関係において展開され貫かれる世界市場の内

的論理と構造についてである︒そこで︑もちろんここでは貨幣信用論上の諸規定を求めようとしているのであるか

ら︑それらの諸契機と論理による貨幣の形態諸規定が問題とされねばならぬが︑そのさい主たる論点は右の二側面

の区別と相関におかれねばならない︒

ところで国際通貨とひとくちにいってもそれを構成する通貨形態には国際的信用制度の展開に応じて様々のもの

この面をあきらかにする乙とは現代国際通貨論のかなめをなすといえる︒たとえば国際通貨としてのドル

ポンドなどをとってみると︑それらはさきに触れたように国民的通貨にほかならないが︑その受取国にとってはさ

しあたりドル︑ポンド債権の累積というかたちをとる︒つまり国際的信用関係を体佑したものとしてドル︑ポンド

は国際通貨として機能するのである︒それがまたドル︑ポンドの国際通貨としての機能的限界を提示することにも

(5)

なっている︒たとえば最近における一連のドル︑ポンド不安はこの関係において出て来ていた︒それはともかく︑

ここで国際的信用の諸契機が国際通貨の重要な哀づけをなしていることが銘記されねばならない︒それゆえに基本

的には国際的信用関係の実体とその構造が明確化されねばならぬ︒この点について︑外国為替取引の原理と本質お

よびその機構が主たる対象とされねばならないが︑それはあらためて別稿で論ずることにしたい︒当面︑

な国際的信用ないし信用構造の基底をなす︑世界市場流通に展開される諸国民経済の国際的連関諸規定の確定が問

題となることをことわっておかねばならぬ︒

さて本論に入るまえに最近の国際通貨制度改革諸論のなかから対照的なふたつの見解をえらんで乙乙での問題点

を明確化しておきたい︒

一九五九年回

2 2 Z ω

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2日o

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誌上にいち早く現行国際通貨制度の欠陥と

危険性を指摘したR・トリフィンの見解は以下の如く要約しうるものであった︒

一つないし少数の国民的通貨を貨幣準備として継

( 註 1

)

続時に使用することについてなされる個々の国々の決定に大巾にゆだねている乙と﹂(傍点筆者) 現行制度l金為替本位制ーの根本的欠陥は﹁国際通貨制度を︑

にあるとし︑具

国民通貨と国際通貨(ー〉

( a )  

準備としての特定国民通貨に為替相場上の不安がおこればこの制度は結局金本位制に逆戻り

しかも国際通貨としての金の存在は現在および将来の世界貿易量に対比して大巾に不足する状態に

(b

)

準備通貨としての特定通貨国

(1

基軸通貨国)は自国の純準備ポジション(金・外貨準備高l

外短期債務高Yの悪化によって世界の通貨準備を初給するという立場にあり︑そのかぎりで潜在的また顕在的に絶

えず準備用特定通貨の為替不安への移行の危険がつきまとっていること︑を指摘する︒かくて問題の解決にあたっ

(6)

ては特定国の通貨を世界の準備通貨の地位から解放することが必要で︑

でいる外国為替を真の意味で﹁国際化﹂する﹂のでなければならぬ︒ そのためには﹁世界の国際的準備を構成し

そこで現在の

IMF

を世界中央銀行に改組し

各国の対外準備をその預金とし︑乙の預金振替および貸出しによる預金の創出によって決済を行う制度を構想する

このトリフィン構想の主眼がかつてケインズによって﹁非文明の遺物﹂として廃位をせまられた金の世界貨幣地

位からの棚上げにある乙とが注目されねばならぬ︒たしかにトリフィン案においてはただちに金の廃位を目指して

いるのではなく︑一方で改組されたIMF預託の金への交換性の保証とそのためのIMFへの金の集中︑他方各国

準備資産としての各国金保有の許容(いわば国際的金持高集中制)によって依然金為替本位制に留まらしめられて

qd  

いて︑そこにトリフィンの不徹底と自己矛盾のあることは小島教授も指摘されているところである︒しかし金への

交換性を拒否される最低義務預託額の漸次的引上げによって究極において金の廃位が意図されていること︑さらに

もともとトリフィン案が現行制度のもつ特定準備通貨の金への交換請求の危険の除去を現実目的とするものである

かぎり︑各国預託額よりなる世界通貨(パンコl

)

Aれていること︑以上から金の管理と漸次的廃位がトリフィンの主として意図するところであることは否定できぬ︒

金の世界貨幣地位の廃位とそれに代る一元的世界中央銀行 の金免換請求が起らないとの予測とそのための方策が講ぜら

かくてトリフィン案の骨子は︑その現実性は別として︑

通貨の設定ということにある︑といえる︒

その欠陥をドルのみが金に結びつけられている故

FD  

の金における国際準備金機能の喪失にあるとするJ・リュエフの見解はトリフィンと全く対象的であ&が 一方現行制度をトリフィン同様金為替本位制と規定しつつも︑

0年代

(7)

のアメリカの国際収支赤字累計一八一億ドルのうち一三O億ドルがアメリカの対外短期債務として累積されたが︑

乙の芙大な対アメリカ金支払請求権が実際に行使されなかったことが現行制度の危機の本質︑だとするのである︒し

かもそれは制度維持の条件であったから︑その条件が危機の条件に転化するかぎり制度内での解決は不可能という

そこでリュエフは問題の解決をトリフィンとは逆に金本位への復帰に求める︒種々の現実的留保はあ

るが︑その構想の骨子は金準備の各国への分散とその準備金機能の回復によって多元的国際通貨を創出するという

点にあるとみられる︒もっとも多元的といっても通常いわれる﹁多数通貨準備制論︑﹂とは異なり︑要は支払手段と

しての金の復位にあるのだが︑それが国際間の信用取引を否定するものでないかぎり︑いわば各国を単位とする国

際商業貨幣の流通を前提としているとみなければなるまい︒もともと一元的金基礎に根拠を求めることがかえって

多元的国際通貨を想定するという関係にあるといえるのであって︑

トリフィンとリュエフの両構想をシエマ的に対比すると︑付一元的世界通貨と多元的国際通貨︑白金の集中廃位

と分散優位︑同国際通貨の任意的管理と自動的管理という三点に整理できよう︒そこでの中心が同にあることはあ

国民通貨と国際通貨(ー)

ところで乙うした両者のちがいは結局世界市場の構造をどのようにみるかという点に根︑ざしている︒一方での統

一性と同質性でのその理解が金の廃位の前提であり︑他方分断性と非同質性における理解が金の復位を要請すると

いう乙とになっている︒乙の両見解の対立はアメリカとフランスの国際金融上の抗争を背景として出て来たものと

もいえるが︑本論の問題にかえしていえば︑それはまさに世界市場の構造的特質を反映しての国際通貨の論理的ニ

側面│統一性と分断性ーによるものといえるのではあるまいか︒この点の追求が本文での課題である︒

(8)

( 註 1

)

同 ・ 叶 円

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同トリブイシ前掲書邦訳序言二

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同 日 刊

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二︑国民的流通と国民通貨

まず国際的諸関係および国際通貨の前提としての国民的流通とそ乙にあらわれる貨幣について検討しておかなけ

私的領有と社会的生産

(1

分業)を前提とする社会においては一般に生産物は商品としてあらわれ︑諸商品の交

換と流通は貨幣を必然的に形成する︒そして貨幣形成の歴史は金商品をそこに位置づけたのであるが︑貨幣はこの

場合商品生産社会という独自の社会様式における社会的生産諸関係を表現し︑この社会のいわば﹁かなめ﹂として

ところで歴史的にいえば商品生産関係の一般化とともに︑

んでゆくとともに︑貨幣は諸国民的貨幣の諸形態をもってひとまず現象することになった︒ つまり商品生産関係が社会の全生産に食いこ

これがわれわれのいう

国民的通貨である︒

(9)

国民通貨は右にのベた貨幣に対してふたつの点で特殊的かっ限定的である︒第一にその支配圏ないし流通圏が国

民的流通という特殊領域に限定されていること︒第二に特殊の諸形態であらわれること)がそれである︒

ー︑国民的流通の完結性と限定性

国民的流通とはどのような内容をもつのであろうか︒

もともと商品交換に国境はない︒むしろそれは国境のそとないし共同体の限界点にまずあらわれた︒

いて︑諸商品の交換過程は︑最初には︑自然発生的な共同体の母胎内に現われるのではなく︑この共同体のつきる

( 註 1

)

ところにおいて︑その境界において︑それが他の諸共同体と接触する二︑三の場所において︑

やがてそ乙かエピクロスが神々の座として想定した﹁諸世界間の間隙﹂にまずその場を占め︑

ワ 臼

それに解体的作用をおよぼすという経過をたどっ加︒このような過程の進行は社会ら逆に共同体の内部に内攻し︑

の基本構成に共同体的関係がなおつづいていたかぎりでは︑一万で外部的流通の範囲の拡大を伴ないながら︑歴史

上繰り返してあらわれることとなった︒ヨーロッパ経済史でいえば︑古代ギリシャの商業(紀元前五世紀前後よ

り)︑十一世紀以降の十字軍遠征にともなう地中海貿易の復活と内陸通商路の形成(十三世紀にはハンザ同盟が成

国民通貨と国際通貨(ー)

立)から十五世紀末の新航路発見と外国貿易の飛躍的発展へと続くのである口これらが共同体または農村の内部に

貨幣・商品関係をもちこんで行ったことは周知の歴史的事実である︒

ところでこのように商品交換lといってもまず最初は単なる諸使用価値の交換にすぎないのだがlが共同体の外

側に発生したが故に﹁異なる共同体のあいだの生産物交換において商品となる特殊な諸使用価値︑たとえば奴隷︑

qu  

共同体そのものの内部における最初の貨幣となるよつまり貨幣は素材的には︑家畜︑金属などが︑多くのばあい︑

(10)

O

いわば対外的交換商品のなかから交換過程の事実的進行のなかから発生し︑

いわば国際的に!といっ

てもその範囲は歴史的に漸次拡大されてきたにすぎないがl斉一化する傾向をもったとみられる︒そして︑次第に

遠隔地問佑する商品流通において︑貨幣商品が﹁比重的交換価値﹂

A

の大なるものに落ちつくことになったのも容易

ところでこのように商品交換1流通が共同体の外部に発生し︑そのいみで貨幣が汎国際的・世界的なものとなる

傾向を有したにしても︑そこにあらわれる諸商品は共同体の内部で生産され︑ざるをえず︑共同体の内部の生産諸関

商品はたかだか﹁生産の余剰﹂したがって 係が非商品生産関係であり︑主たる生産が交換を目的として行われるものではなかった限りでは︑

h u

﹁多かれ少なかれそれ自身余計なもの﹂以外ではありえなかった︒そこ そこに出現した

で商品としてあらわれかつ拡張される生産物の範囲は︑地域的特産物であって他の共同体の成員にとって偶然的に

拡張される満足や享楽という範囲を大巾に出るものではなかった︑といわねばならぬ︒かくて﹁交換は︑ほんのわ

生産にとって一時的なもの︑付随的なものをなし︑発生も消滅もずかな場所でだけ生じ:::︑小範囲にかぎられ︑

︑ ︑

MW

偶然であるo﹂(傍点筆者)という乙とになる︒古代商業の中断はこのことから説明されうる︒そこでの商品は非商

品生産関係たる共同体的関係H社会体制のもとにおかれているかぎり︑それらの交換は社会的再生産の軌道上にお

かれる乙とによっての連続性を欠き偶発的であり︑社会にとって外的であり副次的にすぎなかった︒もちろん交換

不断の更新の条件となる諸手段が整い連続的生産の状態におかれるようになればlそうなったときそ

れははじめて単なる生産物ではなく商品として交換価値を措定されるものとなる│そこに体制上全く異質の関係が

成立することになろうが︑にも拘わらずそれだけではなお社会にとって副次的︑従属的にすぎぬ︒これが外部的商

(11)

品世界の共同体内部への浸透の意義と限界にほかならない︒そのような場合︑商品の価格H交換価値を措定する労

働の展開はなお不充分であり︑そこでは生活様式技術水準の異なるーとはいえ発展のテンポのゆるやかな乙の段階

では実質的にはかえってその差はないともいえるがl外部世界の諸労働との直接的対比がおこなわれうるにすぎぬ

eかぎり︑論理的にいっても等価交換は非現実的な想定にすぎないことになる︒譲渡利潤に寄生する前期的商業及び

商業資本発生の根拠もここにあった︒

ともあれこのように商品交換1流通は歴史的にすでにまず国際的な関係として成立展開せしめられて来たのであ

り︑そのいみでは貨幣はいわば国際貨幣として形成されたということができる︒

だが以上のべて来たことから明らかなように︑商品生産関係の社会体制佑としての︑真の意味の商品社会はこう

した外部的関係が共同体的関係の崩壊とともに独立した生産者相互の関係つまり内部的関係に転化するに至ったと

きに初めて成立するのである︒こうした歴史的移行の過程で共同体を構成する血縁H

地縁H領域の関係が引

きつがれ︑ざるをえなかったところに商品生産社会が民族国家としての一応の総括を受けとる歴史的地盤があったと

国民通貨と国際通貨(ー)

いえよう︒しかしながらこうした地盤のうえでブルジョア社会が国民経済とこれを基盤とする国民的流通という独

かつそれが持続されるための内的論理の在在が検証されねばならない︒自の流通領域を形成し︑なぜなら共同体の

崩壊とは血縁的地録的封鎖性の打破という点にその意義をもつからである︒商品流通にはさきにものべたように国

境はない︒流通する個々の商品にとってそれがどこで実現されようと問題はない︒だが全体の見地に立てば個々の

交換される商品の背後には一定の社会的な質料変換の過程とその過程において示される一定の社会的生産諸関係が

マルクスは﹁経済学批判﹂の商品の章の総括の部分において次のように云っている︒前提されている︒

(12)

一 五

は発達した分業が前提されている︒あるいはむしろ発達した分業は︑特殊的な諸商品として相互に対立するところ

の・そしてそれらには同様に多様な労働様式がふくまれているところの・もろもろの使用価値の多様性のうちにみ

ずからを表わしている︒すべての特殊的な・生産的な・仕事様式の総体としての分業は︑質料的方面から・使用価

値を生産する労働として・観察された社会的労働の総姿容であるよと︒ここには商品世界が︑相互補完的に多様な

使用価値を生みだす多様な労働様式からなる社会的分業として椛成されている︑社会的労働の総姿容であることが

示されている︒このような見地は別のところで交換価値が︑諸商品の物としての諸使用価値につらぬかれる社会的

規定性︑すなわち﹁諸使用価値の社会的な自然規定性﹂としてあらわれると云っているぱあいにも示されている︒

﹁自然規定性﹂とは一見矛盾するようにみえるが全体の見地つまり社会的再生産の見地に立てば統一

されていなければならない︒だがこうしたことは全体の見地から﹁観察された﹂ときそうなのであって︑個々の商

品の見地つまり現実に進行する商品世界のなりゆきにおいては︑結果として存するにすぎない︒かくて先の引用文

に続いて﹁だがかかるものとしての分業は︑商品の見地からすれば︑かつ交換過程の内部では︑

ちのみ︑商品そのものの特殊佑のうちにのみ︑実在するo ただその結果のう

このような商品世界の総体と個別︑前提と結果の論理的交錯のなかに現実の商品流通の受けとる国民経済的てゐ

の総括が示されるのでなくてはならないD

諸交換過程の全体的絡みあいとしてあらわれる商品流通︑総体として結果として社会的物質代謝の過程を示すこ

とになる商品流通︑この流通

WI G

wにあらわれるおのおの諸商品Wは個別的直接的にはその有する特殊個別的

の諸使用価値は一定の経済関係たる交換価値のたんなる質料的にないてといういみをもつにすぎぬ︒流通にあらわ

(13)

れる個々の商品はさしあたり交換価値として登場してくるのであって︑

するかはこの場合どうでもよい乙とである口もちろんなんらかの使用価値をもっていることが必要であるが︑それ それがいかなる種類の特殊な使用価値を有

が何かということはここでは問題にならない︒それは単に交換価値の質料的基礎をなすにすぎぬ︒

さてここに登場する商品のこの交換価値を措定するものは労働にほかならないが︑この交換価値を措定する労働

は次のような性質をもつものでなければならぬ︒すなわち︑簡単な・質をもたぬ・平均的人聞の労働という性質で

ある︒諸個人による物をつくり出す具体的有用労働ではなく︑個人差︑諸労働様式を捨象した︑﹁あたえられた社

会のすべての平均的個人がなしうる平均的労働l人間の筋肉・神経・脳髄・などのある一定の生産的支出叫として

の抽象的労働である︒この抽象にあたっては労働の複雑性︑強度の単純・平均労働への還元のおこなわれることが

前提されている︒ところでここで注目すべきこと︑

る社会的生産過程のうちで日々おこなわれているものであって︑ それはこのような拍象と還元は交換過程を通じて結びあってい

だからそこにあらわれる平均労働の性格は園︑歴

史段階を異にするにしたがっておのずと異なっているということである︒つまり当面の問題からいえば︑乙の平均

労働はいわば国民的なからをかぶっているということが注目されねばならない︒即白的に交換価値をもって流通に

凶上も通貨と国際通貨(ー〉

入る諸商品はさしあたり国民的平均労働によって措定されている︒

こうしたことは交換価値を措定する平均労働が︑社会的に規'足された労働であることによって説明される︒この

社会的規定は労働のω平等性︑伸一般性というかたちで示されるものである︒種々な諸個別労働の平等性は︑諸労

倒が無差別な・等質な・簡単労働に還元され︑かかる労働に措定された諸商品の平等性ということを通じて示され

そのためには商品生産社会を椛成する独立の諸個人が商品交換を通じて無数の糸で相互に依存し

(14)

乙の点についてイギリス史における︑商品生産の

展開と国民的規模での市場統合にともなうの

OB

目︒ロ君︒包という観念の形成と発展を想起すべきである口 た関係におかれるという社会関係が成立していなければならぬ︒

労働の一般性について︒交換価値においては個々人の労働の個別性は消え失せ︑従ってその労働の直接にあらわさ

かつある一定の商品の生産に通常平均に必要とされる︑れる使用価値の形態にかかわりなく︑一般的な大いきの労

働としてあらわれる︒それは個々の労働の社会的性格としてそうなのであり︑その社会的性格とは﹁あたかも︑種

々な諸個人が彼らの労働時聞をよせあつめ︑彼らが共同に処分しうる乙の労働時間の種々な分量を︑種々な使用価

値で表わしたようなもの﹂として個々の労働があらわれる乙とに示されるものである︒かくて﹁だから事実上︑個

々人の労働時間は︑社会がある一定の使用価値を産出するために︑

とする労働時間であるよ すなわちある一定の欲望をみたすために︑必要

一般性を規定する諸条件はこのように社会的労働としての規定であり︑再生産の総体の見地にお

いて示されるものといえる︒

交換価値を措定する労働の以上のような性質と諸条件は︑

自立的な国民的体系﹂といわれるものにおいてさしあたりみたされている︒いな︑ 国民経済すなわち﹁商品交換の上に立つ社会的分業の

そのような規模と構造をもって

国民経済は形成され維持されて行くといえる︒さらにいえばすでにみたようにそとでは総体において使用価値とし

ての使用価値がうかぴ上って来︑その配分関係はひとつの経済社会の産業構造を形成しているのである︒かくてそ

のかぎり︑人口︑資源︑労働の諸様式など使用価値の見地において必然的にあらわれねばならぬ諸要素が全て登場

ζなければならぬ︒もっともこうした﹁自然規定性﹂はそのままのかたちであらわれるのでなく︑

(15)

的に他面では社会的に規定されてあらわれてくるのであって︑さきの﹁社会的な自然規定性﹂という限定が想起さ

るべきである口さらにつけ加えるならば︑資源1自然の所有関係が重要な規定性として乙乙に登場しなければなら

1 0 +J vf v 

このようないみにおいて︑共同体の解体のあとをうけて︑一定の領域に拡がる一言語・風俗・習慣を共通する民族

加えて土地所有の関係を歴史的地盤として︑その上で総体の見地からして一応の完結的再生産の総体的連関をもっ

て国民経済はその一面を規定されているといえる︒さらにかかる国民経済を基盤とし︑発達した社会的分業の内的

連鎖に沿って諸交換過程の全体的絡み合いとして国民的流通が成立しているわけであって︑そこに一応の完結性を

みとめねばならぬことはおのずと明らかであろう︒と同時にそこに形成される貨幣がその内容と形態を国民的に規

定されてあらわれることももはや明らかであろう︒

だがしかし問題のこのような総括規定はなおあくまで一面的である︒こうしたいわば完結的・同質的経済領域は

歴史的にみれば共同体の解体とともに漸次形成されてきた局地的市場圏が結合されて出来あがって来たものであり

しかもそれは今日その内容は全く異なるとはいえ︑諸地域経済の存立というかたちでみとめうるのであり︑他方そ

国民通貨と国際通貨(ー)

れが国民的規模に止まらなければならぬという規定性は︑

少くとも商品流通の様式そのもののなかには存在しな

い︒それどころかこうした諸規定は商品流通にとっては事実としての社会的交換過程の結果としてでてくるのであ

﹁観察された﹂うえでの前提にすぎぬ︒むしろ商品流通は歴史的幼年時代にそうであったとともに︑その発展

において国境をのり乙え世界的規模に展開される必然性を有するのである︒もっともこの﹁発展﹂の起動力を検討

すれば国民経済日国民的流通にこれをふたたび求め︑ざるをえずそこに世界市場流通の展開にあたっての国民経済と

(16)

いう構成単位の持続の理由があるのであるが︑ともあれ問題は商品世界において労働が社会的性格をうけとる独自

の形態に関連してでてくる︒

諸商品を個別の見地からみるとき︑その交換価値を指定する労働の社会的性格は観念的に前挺されているにすぎ

ず現実の交換過程において実証されるにすぎぬ︒出発点において︑労働は個別犯された個人の労働であり︑従って

特殊な使用価値生産労働として規定されているにすぎぬ︒だが個別商品としての見地からすれば特殊の使用価値を

生みだす労働はさしあたり問題とならぬ︒使用価値はここでは単に交換価値の質料的にない手にすぎず︑抽象的一

般性という形態において示されるところの社会的性格のみが問題となるのみである︒

程を通しての結果において示されるにすぎないD だが労働のこの性格は交換過

これがいわゆる交換過程における商品の価値と使用価値との矛盾

にほかならないが︑ともあれ︑個別的であり自立的であり︑乙の抽象的な一般性としての形態においてのみその社

会性を示す商品の流通経路は国内流通に止まらねばならぬ理由はひとつもない︒現実の交換過程において日々おこ

なわれる拍象として︑その抽象的一般性が国民的な限定性をひとまず受けとることになるにしても︑そうである︒

それは結果として示されるにすぎないのだから︑

このようにして︑個々の商品の立場からすると︑国民的

再生産の特殊の一分子としての地位は結果的に与えられるにすぎず︑諸商品は形態的にはそこから全く自立'してい

て︑対外交換の関係に入るかそれとも内的交換に満足するかは個々の商品にとってはどうでもよいことである︒こ

のような商品の形態規定性においては商品にとって国境はなく︑むしろその交換価値を措定する労働の社会的性格

は︑商品流通の世界的拡がりにおいて最も充分な・一般的性格のものとなり︑逆に国民的性格はそれに対して特殊

‑限定的なものとなら︑ざるをえない︒ここに国民経済︑国民的流通︑国民的貨幣の世界市場︑世界貨幣に対する特

(17)

殊性︑限定性が示されることになる︒世界市場的連関のなかでさきに国民経済日国民的流通に関して述べた諸規定

はより豊富化され一般化されることになる︒

以上で国民的流通の諸規定とその特質としての完結性と限定性についての大要があきらかになったと思われるが

なお検討を要する二︑三のことをつけ加えておく︒

︑ . ︐ ︐

4i資本制生産との関連について︒乙こではさしあたり︑視角を商品1貨幣関係という形態規定性との関連での

国民的流通においたかぎり資本制生産諸関係を捨象した︒そしてまたそのかぎりでそれは許されるであろう口だが

歴史的にいえば︑国民経済の成立は突のところ資本制生産関係の成立に照応するものであって︑さきの諸規定もほ

ぼそれを前提した段階において現実に貰ぬかれているものといえる︒というのは︑資本制生産の成立によって第

に商品生産関係が初めて全生産をとらえるということになったということ︑第二に資本主義的商品流通において外

国貿易世界市場流通の展開が不可避となる関係にあるということがあるからである︒

(2) 

法制的・国家権力関係の問題︒この問題は次の諸点との関連で重要である︒第一に商品生産の一般化は同時

に私的所有関係の明確化を意味し︑そのかぎりで法的権力関係の成立を必然佑すること︒それはとくに土地所有と

国民通貨と国際通貨(ー)

の関係で国家形成に作用する︒第二にこの権力関係の経済的基盤としての租税・財政体系は一個の自立的経済圏の

成立を要請すること︒第三に︑ブルジョア社会の成立と発展にあたって︑ことに原苔過程に一個の変革的強制力が

作用しなければならなかったこと︑ついでそれは階級関係維持の権力機構となりさらに独占段階に至るや体制維持

のための積極的経済介与の機構としての意義をもつにいたること︑第四に商品流通の論理よりする対外的関係の生

成発展とそこでの国民的利益保護のための︑ないし積極的利益追求のための対外的国家権力の確立の要請︑乙れら

(18)

はすべて先の国民経済

H国民的流通の一般的経済的成立諸条件をそれを前提とした上で補強し明確化する︒

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法制的国家権力的機構の相対的独自性によって︑

一定のずれの生じうることを忘れてはならない︒

(3) 

経済的社会構成体の発展のずれについて︒

これは国民経済内部の諸ウクラ

l

ドの問題︑世界市場におけるそ

れ︑およびそこでの国民経済の型の問題等広範かつ具体的問題を内包している︒後論において若干関説することに

これ自体としては小論の考察の及ばぬところである︒

( 註 1

)

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52

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︒ ロ ︒ 自

P邦訳﹁経済学批判﹂青木文庫版六0

ω乙こでただちに封建制解体の原動力が商業︑貨幣関係の発展とりわけその外部的展間にあったと解さるべきではない︒

なおこの点については封建制の資本主義への移行をめぐって経済史家の問で︑また貨幣の資本への転佑の問題をめぐって

経済理論上広範な論議が展開されて来た︒こ乙では論及の余裕がない︒

間マルグス︑前掲書訳︑六一ページ︒

凶﹁ある商品が一定分量の労働時聞をふくんでいるぱあいに︑その商品の使用価値の容積が他の諸使用価値にくらべて小さければ小さいほど︑その比重的交換価値は大である︒﹂(マルグス︑前掲者訳︑四三ページ)

間関・冨

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高木幸二郎監﹁経済学批判要綱﹂I

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的単なる物々交換はそれが偶然的︑断続的であるかぎり︑商品交換とはいえない︒それが目的化し︑恒常化するにいたつ

て︑なんらかの相互交換の規制が発生するに至って初めて商品交換が成立する︒しかし商品生産が社会の全生産に及んで

いないかぎりでは︑そこでの規制はなお不徹底であり︑いわば﹁片手間の仕事Lの域を出ないであろう︒イギリスにおい

て重商主義段階にあらわれる貿易を目的とする﹁国民的産業﹂の強力な展開も実のところその背後に広範な国内市場をひ

かえてのものであったことは示唆的である︒乙の点について︑大塚久雄﹁国民経済﹂昭四O

乙の点に関連して︑国際的商品交換に貫徹する国際価値が︑それぞれの国の諸商品の個別価値が直接対比されるのでな

く︑国民的規模での修正を受けとった上で対比されることになる点が注目されねばならぬ︒後述︒なおまた︑右の不徹底

(19)

国民通貨と国際通貨(ー)

さは交換価値の現象形態としての貨幣形態の成立をこばむものではない︒それどころか﹁経験に徴すれば︑:::貨幣形態

が形成されるためには︑商品流通の比較的微弱な発展で充分﹂なのである︒(同・冨

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口 問 ︒ 同

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ω三一八ページ)しかし︑そのことと商品生産関係が体制的なものとなる

ということ︑従って社会的諸関係が商品の論理H価値法則によって支配されることになることとはおのずから異なる︒逆

にいって商品の交換価値を措定する労働の社会的性格もまた︑商品H貨幣関係の歴史的成立の背後にあって不十分な場合

がありうることになる︒むしろそうした不十分さ不徹底さは程度の差こそあれ︑現実の常態というべきであって︑社会的

関係が商品目貨幣形態を通して迂図的であり︑まわりみちをしてあらわれるところに事態の本質がある︑といえようQさに貨幣H価格形態という無色透明の︑平等な︑明々白々な形式の背後に様々な偏差と不平等がかくされるという乙とに

なる︒国際的不等交換はそのひとつにすぎない︒

附このことはいわば商品

H貨幣の論理が社会の生産諸関係を支配する乙とになるというのにひとんい︒貨幣は一定の生産諸関係の体化したものにほかならぬからこのようにいうのは論理矛盾のようにきこえるかも知れ伺いが︑歴史移行の勤悶

の見地からみるとき自己の内的矛盾の展開として生ずる共同体関係の崩壊が(乙の点については大塚久雄﹁共同体の基礎

理論﹂第二章参照)︑形式的にいえばかくて自立佑する生産者相互を旧い社会規制に代って︑商品H交換価値の論理でも

って結びつけることを意味しているというにすぎない︒ただし貨幣は論理的には社会の商品生産関係によって措定される

ものだが︑歴史的かっ形式的にそれを体化したものとしてあらわれるがゆえに︑あたかもその力をもって共同体の解体を

導くかに現象するものということができる︒このようないみでマルグスの﹁商品世界は自己自身を通じて︑自己をのりこ

(

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5

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I一四六ページ)ということばが想

ω﹁批判﹂六二ページ@

側同右︑三七ページ︒ω

間同右︑三二ページ︒

間前担︑大塚﹁国民経済﹂一二九l

A︑スミスは﹁国富論﹂において生産H分業論を主軸に経済学体系を展開したが︑一方その生産階級観を超越して消費者の立場に立って社会全体の利益追求を説くという方法をと

(20)

一 六

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(

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)

仙間﹁批判﹂三五ページ︒聞大塚︑前掲書︑ニ0ページ︒聞この点についてはイギリスに対して︑かつての先進国オランダの後退が想起さるべきである︒(大塚久雄﹁オランダ型

貿

西

)

間﹁一般的社会的労働は︑すでに宗成した前捉ではなくて︑生成する結果であるo

(

)

聞この点について︑前掲︑大塚﹁国民経済﹂一四九!一五二ページは若干の示唆を与えてくれる︒

2︑国民的通貨の独自性と退定性

(

)

﹁諸商品の交換は︑社会的な質料変換︑すなわち私的諸個人の特質的な諸空産物の交換が︑同時にまた︑

諸個人がこの質料変換においてとりむすぷ一定の社会的生産諸関係の創造であるところの︑過程である︒諸商品相

互の過程的諸関係は︑一般的等価物の種々な諸規定として結晶する︒かくして︑交換過程は同時に貨幣の形成過程

( 註 1

)

である︒種々な諸過程のひとつの流れとしてみずからを表わすこの過程の全体は︑流通であるこ

このような諸過程の全体としての流通が世界市場的一般的流通に対して国民的規模での完結的なかっ限定的な流

通として一応総括規定を受けとることを前項でみた︒貨幣はかかる諸過程のなかでその形態諸規定を受けとるのだ

から︑乙乙にさしあたりまず一般的貨幣に対する限定的貨幣の発生の基底的根拠が与えられる︒前者が世界貨幣で

参照

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