教師おこし委員会より 〜平成14年度の活動をふり返って〜
「子どもとの営みを教師の側から見つめてみる」という視点をもった活動を行う教師おこし委員会 は発足から、今年で5年が過ぎた。私たちは、子どもとの日々の生活を自己との対話により見っめ直 そうとしている。そんな自分自身の内面を探り、自らの可能性や存在価値を模索することを「教師お
こし」と呼び、大切にしてきた。
自己との対話は、いっでも、どこでも行えるものだ。委員会の場では、レポートと語り合いの活動 を通して、それまでの自分を振り返ったり、子どもとの間に起きた出来事を見っめ直したりすること で、自己との対話を行ってきた。
特に本年度は「自分らしさを探る」を重点として、子どもへの関わりに表れている自分の見方や感 じ方、考え方とはどのようなものかと見っめる中で、私たちの内面で何が起きているのかをはっきり させようとしてきた。そうすることで、自分の見方や感じ方、考え方を広げようとしたのだ。
活動の中では、子どもの表れを鏡に自らをふり返ることで、教師として子どもとどう関わってきた のかを見つめることができた。子どもの表れを素直に受け止められるようになった自分を見つけたり、
子どもの表れについての見方が変わってきた自分に気づいたりしたこともあった。
本年度の取り組みを通して、「自分らしさ」とは何だろうと、日々の生活の中で、時に立ち止まっ\1 て考える時に、自分を見つめていることを実感できた。それは、子どもたちに向かい合うことに真筆 であり、虚勢を張っ美り飾ったりしない、ありのままの自分でいられることを魅力的だと思う私たち の求める姿なのかもしれない。 ′
1.本年度の教師おこし委員会の取り組みから見えてきたこと
(1)レポートについて
私たちは、子どもたちとの日々の生活や、自分の生活のできごとを通して、その時の思いや内面に 起きたことをレポートに記してきた。レポートに何を書こうかと日々の生活に思いを巡らす時、子ど もや自分がどんな表れをしていたか、そこに何を感じたのかと考える。ひとりひとりの子どもへの思 いを、自分がどう受け止めていたのかを思い起こすのである。レポートを書くということは、自分の 見っめているものや感じているもの、考えていることをふり返ることなのだ。
レポートに取り上げる出来事は、思わぬ子どもの表れに心躍ったこと、子どもとのふれあいを楽し めたこと、あるいは、子どものちょっとした言葉や表れにふと引っかかる自分を感じてしまったこと などである。なぜ、その出来事を書こうと考えたのか思いを巡らすと、自分が何を見つめているのか、
なぜ気になるのかが見えてくる。書くことを通して、自己と対話するきっかけを作っているのだ。
私たちは、レポートを書いているうちに、自分の思いが変化していることに気づいてきた。今の自 分とレポートの中のできごとの時点とを比べてみて、その時は見えなかった自分の見方の偏りや、感 じ方の変化、考えのずれを感じることもできた。また、文章を推敲する中で、読み手を意識して自分 を飾ろうとしていることに気づいたり、逆に自虐的になっていることに気づいたりもした。もちろん、
書くことで、子どもの魅力や関わることのできた自分を再発見してうれしくなってしまうこともあっ た。
㌣ポートを書くことを通して、過去の自分をふり返る中で、自分を見っめてみようとする0見っめ た自分の子どもへの関わりを、ぎこちなく感じることや、自然だと感じることで何が自分らしいのか と探すことができた。
(2)語り合いの価値
今年度の語り合いでは、「自分らしさを探る」ということで、ともに自分探しをする仲間が何に惹 かれ、何を見っめているのか、その人らしさがどう表れているかに焦点を当てようとしたことが、大 きな特徴だった。語り合いは、レポートに書いたことで始まるが、それにとどまらず広がることもあっ
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た。お互いのその時の思いを読むことで理解しているので、レポートを書いた時はもちろん、その後 に感じたことも含めて大切にしていきたい私たちの姿があった。
語り合いでは、時に淡々と、時に熱く自身を語っていく。このときの仲間のレポートや言葉が、厳 しいと感じられることがある。語り合いの厳しさと握、子どもへの関わりを問われることや、内に秘 めた思いを吐露することばかりではない。ともに語り合う仲間のレポートや言葉に、月らの内で響く
ものがある時が厳しいのである。子どもの表れに引っかかりを感じる仲間の言葉に、自分なら素通り してしまうかもしれないと感じることや、正しいと思っていた自分の行いに一点の疑念を兄いだすこ とが、厳しいことなのだ。私たちは、そうした自らの内で響くものに揺さぶられ、教師であり人であ る自身を見っめるのである。教師おこしの厳しさは、仲間の言葉を感じることのできるその人の内に ある。こうした語り合いによって、私たちは日々の生活の中においても感性をとぎすまし、仲間の言 葉に心を開き自らに厳しくありたいと思ってきた。
∫語り合いの積み重ねの中で、しだいに語る楽しさに引き寄せられ、言葉があふれてくる。その思わ ず出てくる言葉にその人らしさが鯵み出てくることを感じることができた。子どもを懐深くとらえた ノいという思いがあるのと同じように、教師集団の中にも互いを懐深く受け止めようとするあたたかさ がある。時には、仲間に対して遠慮したり、構えてしまったりしていた自分を、思わず吐露している 姿にも出会ってきた。仲間のひとりひとりが、自分らしさとは何だろうと、真筆に自身を見つめてい ることを互いに認め合っているからこそ、そうなるのである。この仲間とならありのままの自分でい られるという安心感や居心地のよささえ味わうこともできるようになってきた。
私たちは、語り合いを通して、仲間の存在が、互いにかけがえのないものになってきていることを 実感している。それは、仲間との見方や感じ方、考え方の違いだけを論ずるのではなく、違いから、
その教師を感じ自らの心のありようをも見っめられるからだ。それぞれの違いに触れることで、自分 を見つめ直すきっかけを作っているのだ。教師おこしがいっでも、どこでもできるその教師にゆだね られた活動であるがゆえに、委員会できっかけが得られられたことには価値がある。自分らしさを探 ろうとする仲間との語り合いの中だからこそ、自らを探り見っめることができたのだ。
私たちは、互いに切磋琢磨できる存在でありたい。厳しくもあたたかい教師集団であることのよさ を今一度見っめていきたい。教師おこし委員会においては、厳しくもあたたかい教師集団として、もっ
ともっと子どもについて、教師自身について語り合っていきたいと思\ぅのだ。
2.これからの教師おこし
レポート、語り合いの活動を中心、とした教師おこし委員会は、自らの見方や感じ方、考え方を互い に語り合いながら、自分を見っめ直していく場だ。教師おこし委員会で、語り合ったことが心の隅で どこか引っかかり、子どもとの日々の生活のちょっとしたことに喜びを感じられたり、変わってきた 自分を感じられたりする。なんとすてきなことだろうか。
教師おこしは、その教師にゆだねられ、日常的に行われる個性的で個人的な活動である。自己との 対話を積み重ね、自分の心の内で起きているその時々に感じたことの変遷を連ねていけば、自分の成 長を感じていくことができるに違いない。きっと、私たちの見方や感じ方、考え方を広げることがで き、日々の生活の小さな出来事さえかけがえのないものになっていく。自分の心の内が教師と子ども との営みや、自分の姿勢に表れていることが見えてくる。私たちは、自らを知ることによって、子ど もたちに真撃に向かい合い、自分自身の内面をさらに探り、自らの可能性や存在価値を模索していき たい。こうした姿勢が、子どもの表れに懐を深くしてくことになり、子どもとの日々の生活にきっと かえっていくのだ。
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