• 検索結果がありません。

科学技術社会における身体

N/A
N/A
Protected

Academic year: 2021

シェア "科学技術社会における身体"

Copied!
11
0
0

読み込み中.... (全文を見る)

全文

(1)

静岡大学教育学部研究報告(人文 0社会科学篇

)第

47号 (1997.3)75‑85

科 学 技 術 社 会 に お け る 身 体

― 編 さ れ る 身 体 一

The Body and the Society in Science and Technology 一  Playing Tricks On our Body  ―

新 保    淳 Atsushi SHIMBO

(平

成 8年

10月7日

受理 )

Abstract

ln recent years, thё  electronic devices through the medium Of cOmputer are making rapid progress. Especially, the human life is greatly influencing by the Virtual Reality created through computer, and we wili need tO remark how Our bodies are affected by

it.

、  The purpose of this study was tO investigate own nature of Virtual]Reality, and to exanline the influence of man, especially cultural and social influences of  our bodies, and then to inquire about the necessary of direct experiences in Our bOdies.

The nature of  Virtual ]Reality is on the asSumption that has the fo110wing. It covers that mOdulate fronl analog pulse tO digital pulse to deal with the natural phenomenon by computer, because of it is possible that we have experience of Virtual Reality which is nOt real wOrld.

On the cultural and sOcial influences Of  Our bodies, they are deceived intO the belief that Virtual]Reality is real wOrld. HOwever, it is an arbitrary wOrld which are produced by others.That is tO experience for myself what others prOduced it have gone through. Aforementioned problenl will influence of our bodies applied to the nature, because of any man has been alive by direct experiences within the nature.

The advance of science and techn010gy in mOdern society need to cOnsider what we must connect influence of our bodies with the electronic devices through the medium of computer, and we need tO inquire a matter of course, for example, what children play outdoor.

1。 序論

媒体 、手段 と して は古 くか ら存在 した「 メデ ィア」 が、今 日、 コ ンピュー ター を介 在 させ る

ことによ って、電 子 メデ ィア と して、 さ らにはそれ ら多様化 した電子 メデ ィアが複合化 した マ

ルチ ーメディアとして もてはやされ、科学技術の最先端を具現化 したものとして扱われるよう

になったのは、ここ最近のことであろう。しか しなが ら、その影響力 と進歩の速 さには目を見

張 るものがある。こうした電子 メディアの特性はいくつかあげられるが、例えば、奥野 (p.91)

(2)

は「 電子 メデ ィア装置群 は、これまでの道具や機械 とは異 なって、時空間を越えて情報の伝達、

整理、記憶、複製 を行 な うことがで きる」 ものであるとし、 しか も「 少 な くとも創造 とい う機 能 を除 けば、 ヒ トの脳 の機能 ときわめて酷似 して いる」 もの として捉 えて いる。

こうした電子 メデ ィアの発達 によるいわば「 情報革命」に対 して、様 々な識者 が意 見 を提 出 している。山崎 (朝 日新聞、

1996.6。

27付 夕刊 )は 、 「 技術 (情 報革命 )の 普及 が身辺 に及ぶ につ れ、それが産業や社会、個人の存在の深みに与 え る影響 が、にわか にだれの日にも見えて きた。

(中 略 )そ れにつれて、情報革命をめ ぐる思想 の対立軸 もしだいに明 白にな って きた」 と し、

変化の意義 を大 きく見 るか小 さ く見 るか、あるいは将来 につ いて楽観的か警戒的か、 とい う二 つの対立軸 か らまとめている。それ らを概 略す るな らば、変化 の意義 を大 とす る立 場 に は、

「 農業 の誕生 や産業革命 に も等 しい飛躍である」 (中 村雄二郎 )〔 註

1〕

と言 った よ うな、梅悼 の分類 による人類 の産業史の三段階、すなわち「農業の時代、工業 の時代、情報産業 の時代 」 に連 な る捉 えがあ り、一方「 印刷術 の発明 に匹敵す るもの」 (ア ラ ン・ リピエ ツ )や 「 エ ネル ギーや素材 の革命 と同程度 の変化」 (竹 内啓 )と いったよ うな、技術 史 的変化 、 あ るい は産業 革命 の一段階 といった程度の変化であ るとして、その変化 の意義 は小 さいとす る立場 があ る。

また、将来 につ いて楽観的であるとす る人々は、 「 情報取得の大量化 、効 率化 を礼賛 」 す る立 場 や「発信者 の多様化、大衆化の面を重視」す る立場 に代表 され るよ うに、 こうした情報革 命 が これまでの情報 の一部独 占を解放 してい くことに対 して賛意 を示す ものがあ る。一方警戒 的 な立場 の意見 として は、情報 の解放 に対 しての反論 と して、 「 ホームペ ー ジな どは『 電子 版 チ ラシ広告』にす ぎない」 (牧 野昇 )と いった ものや、 「発信 の過剰が情報 の意味を相殺す る危険」

(竹 内啓 )が あることを指摘す る立場 などがある。

一方、 これ らの「情報革命」を巡 る論点 の相違 とは様相 の異 な る警戒 的論点 と して、 「 電子 メデ ィアが視覚 と聴覚 の優位 を強め、他 の三つの感覚 を抑圧 して、 『 雰 囲気 の遠近 法』 が失 わ れ る恐 れ」

(ア

ラン 0リ ピエツ )が あるとす るものや、 「 『 仮想現 実』 が身体 の現 実 的 な居場 所 をゆるがす」 (粉 川哲夫 )も のであ ること、あ るいは「 仮想現実 の与 え る没入感 が第二 の 自己 を生 み、現実 の自己 と仮想 の自己の並立状態が起 こる」 (西 垣通 )と 予 測す る もの、 さ らに は 仮想現実 (バ ーチ ャル・ リア リテ ィー :Virtual Reality:以 下本文中では VRと 略 )の 出現 に よ って「 外 なる現実 と内なる体 といった対比が しに くくな った。体 に拠点をおいて現実 に立 ち 向か う戦略があや しくな った」 (樺 山 :朝 日新聞 1995.2.14付 夕刊 )と 認識 す る立場 な どに見 ら れ るよ うに、 「 情報革命」その ものを発生 させ ることとな った電子 メデ ィアの「 技術革 命 」 に 対 して、今後 の人間 との関 りに警告 を発す る考 えがある。

文部省 は、高度情報通信社会の進展 を踏 まえ、 「 マルチメデ ィアを活 用 した21世 紀 の高等教 育 の在 り方 につ いて」

(マ

ルチメデ ィアを活用 した 21世 紀 の高等教育 の在 り方 に関す る懇談会

:

平成 8年 7月 4日 報告 )検 討す る一方で、同年 7月

19日

に「 21世 紀 を展望 した我 が国 の教 育 の 在 り方 につ いて」 (第 15期 中央教育審議会 )と い う第一次答 申を公表 したが、 その中 の「 子 供 たちの生活 の現状」において、 「 テ レビなどマスメデ ィアとの接触 にか な りの時間 を と り、疑 似体験 や間接体験が多 くなる一方で、生活体験・ 自然体験 が著 しく不足 し、家事 の時間 も極端 に少 ないとい う状況 が うかがえ る」 と述べて いる。

これ は最近 の TVゲ ーム過熱 による、いわゆる戸外での遊 びの減少、 それ に と もな う体力面

での低下 および遊 びの個別化 に対す る警戒感が表現 されていると思われ るが、 二方で「 高度情

報通信社会 の進展」が予測 され る今 日、 21世 紀を担 う子 ども達 に対 して、 いわ ゆ る VR等 の科

(3)

科学技術社会における身体

学技術 の進展 が創出す る「 疑似体験 や間接体験」 といった環境が文化的 0社 会的 にどの よ うな 影響 を及 ぼすか。さ らには、そ こに創 出される仮想的な体験 に対 して「生活体験 0自 然体験」

といった「 直接体験」が何故必要であるのかについては、検討がなされていないよ うに思 われ る。

本研究 において はこうした問題 に対 し、 VRの 現状 をまず明 らかに した うえで、 「 直接体験」

と VR等 にお ける「 仮想体験」の相違点 について、技術革新 の原点 の一 つで あ るアナ ログか ら デ ジタルヘの技術変化 に視点 を求 めることによって明 らかにす る。 そ して さ らに は、 VR世 界 の特殊性 について検討を加えることによって、 VRの 人間 に対す る影響 、特 に身体 へ の文 化 的 あ るいは社会的影響 を考察 しなが ら「 直接体験」の必要性 について明 らかに してい くことにす る。

2.VRに 関連 した用語の整理 と VRの 現状

電子 メデ ィア装置 の出現 は、それに関 る新 しい用語を次 々に生みだ している。そ こで、本論 文 を展開す るうえで必要 とな る用語 について、まずい くつか説明を加 え るとと もに、 VR技 術 は現状 において何がで きるのかにつ いて、概観 して見 ることにす る。

2‐ 1.VR(仮 想現実感 、人工現実感 )

まずバ ーチ ャル (Virtual)と い う用語 について見てみ ることに しよう。公文 によれば、ジャ ロ ン・ レーニエが この VRを 提唱 し、そ こでの「 バ ーチ ャル」を辞書 的 な「 形 あ るいは名 目が 違 って いて も、機能 あ るいは実質 において同 じ」 という意味にとっているものの、実際 に は、

「人間の感覚器官 にとってのみ、あたか も通常 の事物 と同 じように知覚 され るものにす ぎない」

(公 文、p.422)の であ り、 この意味 において「 虚像」以外の何物で もないと述べている。 VRは

実際 に、ア ミューズメ ン トやゲーム、各種 シュ ミュ レータを中心 としたいわゅる「 現実 を模倣 す ること」か ら始 まった ことや、現在 はこれ らだけでな く、エ ンジニア リング、教育 、医療 、 コ ミュニケーションなどへ幅広 く応用 され、その可能性を無限に拡 げていることか らして も、

VRを 、 「 人間が コンピュータ内に構築 された人工的な世界 と、視覚を中心 と した五感 に よ って 対話す ることによ り、仮想的な世界 を疑似体験で きる技術」 (三 菱総合研究所先端 科学 研究所

,

p.219)と いうよ うに、一種の技術用語 として捉えることが妥当であろうと考え られ る。

次 に、 この VR技 術 によ って、現在何が可能 とな っているのかにつ いて見てい くことにす る。

西垣

(1995,pp.57¨

64)は 、目的別 による VRの 便宜的分類 を して い るが、 それ によれ ば、第一 に、現実世界 に手 を加 え ることを目的 とす る「操作型 VR」 があ り、その特徴 は、 VRの なか で 人間が操作す ることによ って、現実世界が操作 され るところにあ る。人間が VR世 界 にお いて 作業を行 うことによ って、実際 にはその現場 において作業が行われる、すなわち遠隔操作によっ て物事 を処理 で きるよ うにす るために、この VRが 導入 されて いる。例 え ば、 マ ジ ックハ ン ド は古 くか ら開発 されていたが、それは操作す る人 自身の日で確認す ることによって、実際 の操 作 が行 なわれ る ものであ ったわけであ るが、 VRの 技術を取 り入れ る ことに よ って、実 際 に人 間が踏 み入 れ ることの不可能 な深海や宇宙 において作業す ることが可能 となる。 こうした臨場 感 とい う VRの 特性 を利用す ることによって、自 らの安全性を確保 し、 しか も狭い小さなスペー ス等、人間の身体が もた らす物理的に制約 された空間において も作業を行 うことを可能にした。

こうした「 操作型VR」 は産業技術 と しての必要性が高 まってお り、人間 とロボ ッ トが一体 と

(4)

な って作業 を行 うとい う意味で開発が進 め られている。第二 に、仮想世界 で身体経験 をつ む こ とを目的 とす る「体験型VR」 があ り、その特徴 は、現実の外部世界 は変化せずに、 VRを 通 じ て人間 の体験が形成 され るとい う点 にある。 この VRと しては、 VRの 世界 の先駆 けとな った ア ミューズメ ン ト 0タ イプの ものが数多 くある。 これ らの多 くは、 「 映像 シュ ミレー タ」 と呼 ば れ るもので、その ファクターと して は、映像、音響動揺装置、動揺 データや建物 の内外 装等 の ハ ー ドや ソフ トが、 「 統一 された コンセプ ト」 (廣 瀬 ,p.73)の もとに体験者 に提供 され る ことに よ って、 VRの 重要 な要素 である「没入感」及 び「 臨場感」 が もた らされ る。 こ う した「 映像 シュ ミレータ」を使 ってア ミューズメ ン ト以外 に応用 されているものに、 ドライ ビング シュ ミ レータや飛行 シュ ミレータがあるが、飛行 シュ ミレータにおいては、新入パ イ ロッ トの操 縦訓 練 あるいは、新型機種 の フライ ト訓練 として利用 されている。第二 に上記二つの中間型 で あ る

「 評価型VR」 があ り、その特徴 は、人間が身体動作を通 じて仮想世界を評価 し、その結 果 を間 接的に後か らオ フライ ン・ フィー ドバ ックす ることで現実世界を操作す るとい う点 にあ る。 こ の VRの 一例 と して は、松下電工が開発 した「 viVAシ ステム (Virtula reality for Vivid A&i space system)」 が上 げ られよ う。 これ は、図面段階でのユーザーのイメー ジと完成 した シス テムキ ッチ ンとのギ ャップを埋 め ることを 目的 とした もので、 「 ユ ーザ ーの キ ッチ ン図面 に対 応 した仮想空間内で システムのユニ ッ トの配置状況、スペースの高 さ感、前後 の広 が り感覚等 が体験 で きる」 ものであ り、 これによ つて、ユーザーが「 仮想空間内の仮想製品 に対 して その 機能性能 を疑似体験」 し、 「 自分 自身 の感性 に基づ いた製 品 の仕様 決定 が可 能 にな る」 (廣

,

p.50)も のである。この ことは、 「 ユーザーとメー カー との接点 で あ った シ ョールー ム とい う 場 を Showと い う機能か ら Decisionと い う機能へ変化 させてい く」 (廣 瀬 ,p.51)も ので あ ると考 え られて いる。また飛行 シュ ミレータにおいて も、パ イ ロッ トの操縦訓練 だけでな く、航空機 の新規開発 の補助手段 と して も利用 されて きている。

これ らの VRは 、いずれ も以下 のよ うな最大公約数的要素を持つ。 まず 、画面 に入 り込 ん だ 気 にな るといつた「 没入感

(イ

マー ジ ョン )」 を感 じ取 ることがで きるとい うことで あ る。 こ れ は「 臨場感」 とも言え、 「 自分 の眼前 に本物 と見間違 うばか りの リアルな情報提示 を行 な う」

(廣 瀬 ,p.16)こ とによって VRを 体験す る人、自らが、そ こで提 示 され る世界 の中 に没 入可 能 になると言 えよ う。また こうして没入 した先 にある世界が「電脳世界」 (サ イバ ー スペ ー ス

:

Cyber Space)と も呼ばれている。次 に、 VRに 向か って い る人 が、積極 的 に仮想世 界 を変 更

し う る こ とが 必 要 と な ろ う。 この相 互 影 響 力 を 「 操 作 性 」 (対 話 性 0相 互 交 信 性

)

(interactivity)と 呼ばれているが、 この相互交信性が無 い「没入感」は、何 ら映画観 賞 と変 わ らない ことにな って しま う。それ故 、 VR体 験者 の反応 が リアルタイムで VRに フィー ドバ ック され ることは、重要 な要素 であ ると考 え られ る。さらには「 自律性」があげ られ る。現 実世 界 で は、多 くの ものが自律的 な運動 を行 って い るわ けで あ るが、 VRに お いて も、 VRの 体験 者 (観 察者 )の 有無 にかかわ らず、 VR世 界内での自動的な時間進行がなされ る必要がある。 この よ うにまさに仮想で はあ って も「 現実」の持つ特質を入れ込 む ことによって、それ はよ り現 実 的 な VRで あると考 え られ る。

こうした VR体 験 を可能 にす るためには、いわゆ るイ ンター フェースが必要 とな り、キーボー

ドやマ ウス といつた従来か ら使用 されて きた ものに加えて、今 日では、ヘ ッ ド ・ マウンテ ッ ド 0

デ ィスプ レイ (Head Mounted Display:HMD)や グロー ブセ ンサ ー (デ ー タ 0グ ロー ブ

)

等 のイ ンターフェースが開発 され、 「没入感」や「 操作性」を高 めている。

(5)

科学技術社会における身体

2‐ 2.コ ンピュータ

人間を VRの 世界 にイ ンターフェースを介 して導 いて くれ るのは、当然 の ことなが ら、 コ ン ピュータである。 しか しなが ら、 VRを 可能 にす るまでには、 コ ンピュー タは、以下 の よ うな 機能的高 ま りを必要 として きた。

従来 の コ ンピュータとは非対話的 コンピュー タ (数 値 0論 理 シ ミュ レー シ ョン )で あ り、

「 コ ンピュータは本来、自律的に動作す る自動機械 であ る。だか らこれ までの応用形態 で は、

人間 は、情報 を入力 してか らシ ミュ レー ションを始動 させ、後 はシミュレーションが終 了 して 結果が出力 され るまで待 っていることが多か った。 コンピュー タ宇宙の中でさまざまな事象 が 生起す るのを、デ ィレクターである人間 は傍観 してい」 (西 垣 ,1995,p.51)な ければ な らなか っ たわけであ るが、 これが今 日で は、対話 的 コ ンピュー タ (環 境 シ ミュ レー シ ョン )と な り、

「 コ ンピュー タは人間のまわ りに疑似的な『 場面・ 状況』を設定す るだ けで、基本 的 に は人間 の反応 を待 っている。ここで人間 はコンピュータのつ くる『 場面 0状 況』の中で演技 す るアク ター」であ り、言 い換え ると、 「 環境世界を了解 し <意 味 >を 生 みだす身 体 とコ ンピュー タと が、 ここで初 めて直接 出会 う」 (西 垣

,1995,pp.51‐

52)こ とによって、 VR体 験 を可能 にす る、 と 言 うことになる。 これ らの発展 プ ロセスにつ いて西垣 は「 コンピュータ 0シ ミュレーシ ョンの 形態が、数値

(オ

ペ レー ションズ・ リサーチ )、 論理 (人 工知能 )、 環境

(マ

ルチ メデ ィア )と

変化す るに したが って、モデルはます ます ローカルにな り、人間 はコンピュータ宇宙 にます ま す近づ いて いった。 ヴァーチ ャル・ リア リテ ィでは、まさにコンピュータ宇宙の中に身体 ごと 没入 して しまっている」 (西 垣 ,1995,p.53)と し、 コンピュータの前述 のよ うな発展 が、今 日の

VRを 可能 に した と述べて いる。将来的 にはコンピュータが「 実世界 に忠実 に再現 す る こと も で きる し、相対性理論 の成立 しないよ うな、実際にはあ り得 ない世界 の構築 も可能 であ る」 と 考 え られて いるものの、現状 では、 「 グラフィックコ ンピュー タの処理性 能 の限界 か ら、実世 界 と見迷 うよ うな精密 な仮想世界 は構築で きない」 (三 菱総合研究所先端科学研究所,p.216)と

されている。

3.VR技 術 にお ける問題点

「 VRの 世界 にひたる」 とい う行為 が最終的に生 じるまでに、 そ こに は多 くのプ ロセスが存 在す る。まず、現実界 の情報 が切 り取 られ、 コンピュータ処理 され る。そ して次に、映像 や音 声等 のメデ ィアによ って、我 々の現前 に表現 され、最後 にそれを我 々人間が五感で受容 し脳 に 取 り込 む ことによって、 VRを 体験す るのである。 ここでは、そ う したプ ロセ スを辿 る ことに

よ って、それぞれの点 で どのよ うな情報伝達がなされ るのかについて見てい くことにす る。

3‐

1.ア

ナ ログとデ ジタル

人間を VRの 世界へ いざな う上 で最 も重要 な役割 を担 うのが、コ ンピュー タで あ る。 この コ ンピュータの動作を分解 してい くと、最 も基本 となる動作 は「電流の流れを制御す る」 ことに あ る。す なわ ち、 コンピュータの内部 では、すべてのデータがデジタル信号 として扱 われ る。

この ことは、 VRが どのよ うなプロセスを経て我 々の現前 に立 ち現 れて い るのか とい うことを 考 え る上 で、重要 な要素 を含んでいると考え られ るため、まずはコンピュータ動作におけるキー

ワー ド、 「 デ ジタル」 とい う概念 につ いて概観 してお くことにす る。

通常我 々が、 日常生活 を営むために毎 日接 している数量 の うち、時間、温度、電圧 な どは変

(6)

化 の状態が連続的なアナ ログ量であるが、 これを我 々が読 み取 る場合 は適 当 に「 丸 め込 み」、

デ ジタル量 として判読 している。例 えば、日常生活で時刻を読 み取 る場合、我 々は 秒 "を 無 視 して 分 "ま でを読 み取 れば事足 りるわけである。連続変化 の量 をある一定の間隔 ごとに丸 め込んで表示す ることを、アナ ログ量 のデ ジタル化 とい う。アナログ量 をデ ジタル化す る際 、 そ こには次 のよ うな情報変質 の作業が存在す る。第一 に標本化 である。 これは一定 の時 間間隔 (周 期 )ご とにアナ ログ信号 の振幅の値を区切 る作業である。 この周期 が短 くな るほど信号 の 量 が増 え るので、再生 した ときの映像や音声 の質 が高 くな る。例えば温度 とい うアナ ログ量 を 標本化す る場合 を考 えて見 よ う。区切 る間隔を 0.1℃ 間隔 "で 丸 め込 む よ り も、   0.01℃ 間 隔 "で 丸 め込んだほ うが、再生度が高 まるとい うことにな る。す なわち この標本化 において、

基 の情報 が「 第一 の変質」を起 こす ことになる。第二 になされ るのが量子化 であ る。 これ は標 本化 されたイ ンパ ルスを、今度 は振幅方向で一定間隔 ごとに分割す ることである。 これ も標本 化 と同 じく区切 る間隔を細か くすればす るほど、現象の再現性 が高 まるわけであ るが、実際 は それぞれの間隔 の間 にあるよ うな微妙 な値 は四捨五 入 して表 す しか な く、 この時点 で情報 の

「第二 の変質」が生 じることにな る。第三 に符号化である。 これ は量子 化 され たイ ンパ ル スを 0と 1の 2進 法 で表す ことである。 この時点 において始 めて現実界 の情報 が、 コンピュー タ処 理 で きる情報 となる 〔 註

2〕

。こうして現実界 におけるアナ ログ情報が処理 され、それが VRと

して我 々の現前 に現 れ る時 は、デ ジタル信号 が再 びアナログ信号 に変換 され、アナ ログ信号 で 駆動す るス ピーカーの発音機関や ブラウン管 の電子銃 などのメデ ィアによ って、再生 され るの である。

ここまでにおいて我 々は、現実界 の現象が VRと して我 々の現前 に現 れ るまで に は、 アナ ロ グ→ デ ジタル→ アナ ログとい うプ ロセスを経て いることが理解で きた。そ して このプ ロセ スに おいて アナ ログ情報 は、標本化 による「 第一 の変質」、量子 化 に よ る「 第二 の変質 」 とい った よ うに、現実界 におけるアナログ現象を コンピュータ処理す るためのデ ジタル信号 に置 き換 わ るまで に、そ こには三度 に渡 る「 情報 の変質」がなされて いることがわか る。 この ことは コ ン ピュー タとい う第二者 の介在が、我 々の直接体験 を異質 な もの に して い る と言 え るで あ ろ う

〔 註

3〕

2.他

者 による VR世 界の創出

VR世 界、す なわちサイバ ースペースに導かれた我 々は、あたか も自 らが 自 らの意 思 で その 世界 を動 き回 る感覚 を得 るわけであるが、 しか しなが らそ こに も第二者 による意図 された情報

によって、我 々の直接体験 を異質 な ものに していることを知 る必要 があ る。

「 体験型VR」 の一種 に「 仮想旅行」 とい うものがある。 この一例 と して、大 日本 印刷 とイ ンテル ジャパ ンが国立小児病院の協力を得て開発 した「 動物園に行 こう」 とい うソフ トがあげ られ る。 これ は、立体視映像及 び音声 を使用 して VR体 験 をす る もので、利用者 はジョイステ ッ クを使 うことによって、自分 自身 が見 たい動物 の前 にいった り、離 れた り、見回 した りす る こ とが可能 となる VRで あ る。 こうした「仮想旅行」 VRの 臨場感を出す ための立体視映像 は、製 作者があ らか じめ、利用者 が見て回 りたいであろ う範囲を映像化 しているわけであ るが、 ここ に ヴァーチ ャル と リアルとの「 ズ レ」が生 じて くる。とい うの も、利用者 が見 たい と思 うもの すべてを製作者 が準備す ることが不可能だか らであ る。西垣 が「 モデルの恣意 化」 (1995,p.67)

と呼ぶ よ うに、製作者 サイ ドでは現実の「 世界 をある視座か らあ る粗 さで記述 す る こと」 (西

(7)

科学技術社会における身体

垣 ,1995,p.66)だ けが可能 なのである。動物園のオ リの中の動物 を見 ることは可能 であ るが、

動物園の ごみ箱 の中やベ ンチの下 を覗 き込んだ りす るよ うな、子 どもたち特有の意外性のあ る 視点

(そ

れ らも動物園 とい う世界の一部 を構成 しているに もかかわ らず )は 、欠如せ ぎ るを得 ないのであ る。 この「 動物園に行 こう」 とい うソフ トについては、制作前に子ども達にアンケー トを して 11種 類 の動物 に絞 ってあ ったわけであるが、 .「 動物園」 とい う仮想世 界 にお いて 自由 に動 き回 るとい う子 ども達 の願 いは、 この「 モデルの恣意化」によって不 自由な ものにな らざ るを得 なか った ことになる。

この ことは、 vRを 体験す る人 自身が 自らの仮想世界 において動 き回 るので はな く、「 vRで

は、まさに コ ンピュータ宇宙の中に身体 ごと没入 して しまっている」 (西 垣 ,1995,p.53)と い っ た指摘 の とお り、第二者 (製 作者 )が 想像 しコンピュータによ って処理 された世界を、 あたか も「跡付 け」す るよ うに動 き回 ることを示唆す ると言えよ う。それはまさ しく近代科学 がつ く りあげた「 客観的な均質空間」 (西 垣 ,1994,p.165)そ の ものであろ う 〔註

4〕

。 そ して そ う した 他者 の動 きを「 跡付 け」す る「 均質空間」においては、自己特有 の身体認識 は不可能 で あ り、

さ らには新 たな る身体 の創造 もまた不可能 となるであろう。

4。 人間 にお ける直接体験の持つ意味

ここまでにお いて、 VRを 体験す るとい うことがいかなるものであ るのか、 とい うことにつ いて、二つの視点か ら考察 して きた。そ こで こうした VRの 世界 にお け る体験 と、我 々が現 実 の世界 にお いて体験す るということの相違点、すなわち「疑似体験」 と「 直接体験」 の相違点 につ いて検討 を試 み る。

牛 1.無 限のパ ワーを持 ったアナ ログ界 に生 きる人間

「 没入感」があることが VRの 必要条件 の一 つであ り、人間 はその没入 した仮想世界 の物体 を認識す るために、現実世界 における認識 と同様 なプロセス、すなわち視覚、聴覚、触覚 など の感覚器官 によ って得 られた情報を脳細胞 ネ ッ トヮークを介 して脳内に伝えている。廣瀬 は、

仮想世界 において は、脳 は「 その虚像を認識 している」(p.104)と 捉えて い るが、 ま さに この 虚像 こそが「 脳細胞 ネ ッ トヮークが作 り出 した実在感」 (廣 瀬 ,p.104)な のであ り、ヴ ァーチ ャ ルであ りなが ら リア リテ ィを感 じさせ るという、 VRの 根本を示 して い る と言 え よ う。 しか し なが ら、 この ことが身体感覚 にとってはどのよ うな影響を もた らすのであろ うか。

例えば、我 々の身体感覚が現実世界 の認識 と仮想世界の認識 において「 ズ レ」が生 じるうち は、 VRが 作 り出す仮想世界 を「虚像」 として受容 しているので あ り、現状 の レベルにお いて は、身体 が「 蝙 し」に近接す ることはあって も、徹頭徹尾「蝙 される」までには至 らないとい うことにな る。 しか しなが ら、人間の脳 や生理 といった内部機能 が明 らか に され、 それが vR

技術 に取 り入れ られ る時、そ こには「 虚像」 と「 実像」 に差異 がな くな り、 ま さ しく身体 が

「 蝙 された」ままの状態 におかれ ることにな る 〔 註

5〕

。 この ことはまた、人 間固有 の身体性

(し

か もそれ は今 日まで リアルな現実空間で しか得 られなか った身体性 を意 味す るわ けであ る が )が はぎ取 られ ることを意味す ると考 え られる。

VRの 現状 において も述べたよ うに、 VRは 現在様 々なが機種が開発 され、その「 実在感」 を よ リ リアルな ものに変えていこうとす るプロセスにある。 しか しなが らその神髄 は、いか に入 間の感覚 にアプ ローチ しうるか とい う点 に関 っている。例えば「 人間 は、動揺を三半規管 で感

81

(8)

得 してお り、ある大 きさの加速度が加 われば、加速度がな くな って も加速度 があるよ うに錯覚 し、また、小 さな加速度 で動 か して もその動 きを感 じない特性 」 (廣 瀬 ,p.76)を 利 用 して「 ウ オ ッシュアウ ト」〔 註

6〕

とい う動揺方式が開発 されたよ うに、人間 の生理機能 あ るい は認知 機能 とい った、内部機能 に対応す ることによつて、 VR開 発 サイ ドで は、 よ リ リアルな「 実在 感」を備 えた VRへ とその完成度を高 めてい こうとしている。ま さに「 人工 的 な ものか現実 の ものか脳 自身で判断で きないテクノロジーが究極 の VRと 言 え るで あ ろ う」 (廣 瀬 ,p。 106)と う究極 の日標がそ こにはあると考 え られ る。 ところが、現実 には、未だ人間 の内部機 能 に未解 明 な点 が多 いとい う問題点を抱えていると言 えよ う。

例 えば、立花 が「脳を究 め る」で述べているよ うに、そ もそ も脳内部 にお いて行 なわ れ る伝 達手段、す なわち「電気パ ルスが情報 を運ぶ」 とい う表現 自体 が、脳 を「 デ ジタル信号 が飛 び か うコ ンピュータの ごときもの」 とい うイメー ジをいだ きやす いが、実際 は「 電気 パ ルス は、

神経末端 にあるシナプスに情報物質を放 出せよと伝 える伝令 にす ぎな い」 ので あ り、 「 神経細 胞 は『 刺激 を受 けて情報処理 して化学物質を放 出す る装置』 と考 えた方 が、よ り真実 に近 い」

(立 花 ,p.89)と い うことか らして も、結局 は「 化学 シグナルによ つて、細胞 内 の一連 の化学反 応 が起 こってい く」 (立 花 ,p。 91)よ うに、人間 は外界か らの刺激 を体 内 (脳 及 び全 身反応 )で

はすべて、アナログ回路 と して伝達 していると言 え るので はないだろ うか。それ故 ここにこそ、

現実空間 における リアル体験、す なわち「 直接体験」において蓄積 された身体性 の持 つ意 味 を 考 え るうえでの原点があるよ うに思われ る。

粉川 は、現状 における「 身体」 と「 テクノロジ ー」の関係 において以下 のように述べている。

テクノロジーにおいて「 テクネー」 と「 ロゴス」が強引に合体 させ られ ると い う事 態 が西 欧 において起 こった こと、 そ して それ は、 「 テ クネー」 に固有 の個 々人 の身体 や 日常 的世 界 を

「 ロゴス」のあ る特定の方法、つま り近代的な数学的論理 によ って言語化 し、組織 的 なや り方 で論理化す るとい う理念 を始動 させた とい うことである。だか らテクノ ロジーには、最初か ら、

個 々人 の身体 や 日常的世界を数理的・ 観念的な もので代替す ること、個 々人 の身体 や 日常 的世 界 をそれ らの もともとの場

(ト

ポス )か ら引 き離 して しま うとい うことがつ きまとうわ けで あ

る。 (粉 川

,p.57)

そ して さ らにその「 テクノロジー」の産物である VRと 「 身体」につ いて

ヴァーチ ャル・ リア リテ ィは、 トポスの最後 の名残 りであるわれわれの身体を強引に人工 的 な世界 に引 き込 むのではな く、そのかたわ らに身体 と見 まが うヴァ ーチ ヤルな世界を出現 させ ることによ つて、それまで真 に、第一次的 に リアルだ と思われた場所 (身 体 )の リア リテ ィを 精彩 のない ものに して しま うとい うや り方で トポスの権限を集奪す る のである。 (粉 川

,p.57)

と述べ ることによつて、 VR技 術の出現 による「 身体」の位置関係 の相対 的変化 を表現 して い る。現実界 の現象 が VRと して我 々の現前 に現れ るまでには、アナ ログ (連 続性 )→ デ ジタル

(断 続性 )ニ アナログ (断 続性 を経 由 した連続性 )と い うプ ロセスを経ていることにつ いて は、

先 に も述べたが、 コンピュータとい う媒体 を経由す ること の意味 は、「 身体 の リア リテ ィを精

彩 のない ものに して しま う」 ことを意味す るのであ り、 こ の ことは、身体 を観念的世 界 へ と押

(9)

科学技術社会における身体

しや る契機 とな るもの と考え られ る。

4‐ 2.「 環境変化への適応力」形成の場 と しての直接体験

現時点 で言 え ることは、直接体験が もた らす ものは、人間が創造 しうる範疇を越えた現実 に 接 す ることによ って、 しか もそれ は連続的に変化す る世界 に対 して、適応す る力を育んでいる と言 え るので はないか、ということである。コンピュータ出現以前、我 々はアナログ世界 に生 きて きたのであ り、その連続的刺激 の蓄積 によって、自然 とあるいは他者 とのコミュニケーショ ンを維持 して きた。 ここにこそ直接体験 の機能が集約 されるとす るな らば、アナログ量 のデ ジ タル化 による連続性 の変換 は、 この直接体験が機能不全 に陥 ることを原理的に意味す るもの と 考 え られ る。また、仮想世界が「 モデルの恣意化」によって創造 されていることを先 に述 べた わ けであ るが、自然界 が人間の想定 を越 えた力をたびたび我々に対 して見せつけることは、科 学技術 が進歩 した今 日において も経験す る事象である。こうした自然環境 に我々が適応 して き た とい うのが 自然 と人間 との これまでの関係であ り、それに対処できたか らこそ、我々は今日、

存在 しえて いると言 って も過言で はないであろ う。公文が「既成の理論では説明で きないよ う な大 きな環境変化が生 じたときに、どうそれを説明 してよいかわか らな くなって機能を停止 し て しま う」(p.413)と 精神の持つ潜在的怠惰性 について述べているが、身体 にお いて もこれ と 類似 の ことが言 え ると考 え られ る。だか らこそ我 々は、日々の自然界 におけるアナ ログ的変化

に常 に自 らの身体を晒 し、危機をの りこえることの出来 る能力を蓄積 してい く必要があると考 え られ る。

さ らには自然界だけでな く、人間社会 に対 して も、西垣が「 環境世界を <意 味 >づ け、 <規

範 >に もとづ いて秩序を与え、人 々の行為を統制 してい く権力が、その有効圏を広 げ射程 を伸 ば して い くためには、社会的 コ ミュニケーションにおける抽象化 0形 式化が不可欠 であ る。 こ れ は、本来 は身体間の関係 には じまるコ ミュニケーションか ら、身体性をはぎとるプロセスに ひ と しい」

(1995,pp.71‐

72)と 言 うよ うに、 VRに おける「 抽象化 0形 式化」 とい うプ ロセ スか らもた らされ るサイバ ースペース内での他者 との直接的 コ ミュニケーションの欠如 は、ダイナ ミックな現実空間におけるそれとは明 らかに異質 な もの となるであろう。この異質性 は、具体 的 には情報交換 の対話者 の特定 を、電子 メールア ドレスや HOme Pageア ドレス とい った デ ジ タル符号 によ って置 き換え ることに も現れて来てお り、 「 個」が「 抽象化 0形 式 化」 されて き て いることを端的に示す ものであろう。西垣 の指摘す る「権力論」に関す る議論を、 ここで は 取 り上 げる余裕 はないが、明 らかに「 抽象化・ 形式化 された個」は、身体性 という相互作用 の 基盤 を持 ちえないために、非現実空間における社会

(サ

イバ ースペース )に 対 し、 コ ン ピュー タのスイ ッチの On/offに よって 自由気 ままに出入 りできるという特権 を有 す る一方 で、現実 社会 における適応の放棄 を意味す るであろ う。

現実空間 には仮想世界 とい う人為の世界では思 い描 くことので きないパ ヮーが実在す るので あ り、だか らこそ我 々は常 にそれに対 して適応で きる力を形成 させてい く必要があると考 え ら れ、その形成 の場 が直接体験 にあると言えよ う。

5.結 語

本研究 において は、 vRの 現状 を まず明 らか に した うえで、 「 直接 体験 」 と VR等 にお け る

「 仮想体験」の相違点 につ いて、技術革新 の原点 の一 つであるアナ ログか らデ ジタルヘ の技術

83

(10)

変化に視点を求めることによつて明 らかにしてきた。そこには、自然界のアナログ現象 を コン ピュータを媒介 とす ることによって、デジタル量へ と変換するプロセスを含むこと前提 として いること。それによつて、我々が VR体 験 という「仮想体験」が可能 となることにつ いて述 べ て きた。

さらには、 VR世 界の特殊性について検討を加えることによって、 VRの 人間に対す る影響 、 特に身体への文化的あるいは社会的影響を考察 しなが ら「直接体験」の必要性 について明 らか に した。 VR体 験 は、その制作者による恣意的な世界を体験者がいわば追体験す るものであ り、

そのことは体験者の身体 もまた「蝙 される」対象 となることを意味 していると言えよう。また、

このことは直接体験によって形成 されてきた、自然界に適応 じうる身体へ も、影響を及 ぼす も のと考え られる。

科学技術の進歩は、それによつて創出された技術が、我々人間にどのような影響を もた らす かについて検討が必要 となる一方で、 「子 どもが外で遊ぶ」とい った、いわば これまで当た り 前であった事象が、果たしてどんな意味を持 っていたのかについて も検討せざるを得 ない状況

が生まれてきている。

註及び引用・ 参考文献

〔 註

1〕

これについては、中村雄二郎 (1995):21世 紀問題群一人類 はどこへ行 くのか ―、 21 世紀問題群 ブックス

1、

岩波書店の

pp.97‐

106を 参照。

〔 註

2〕

こうしたアナログとデジタルには、それぞれの長所及び短所がある。アナログは、信 号を間引かない分、もとの信号 に忠実であるが、信号の伝達距離が長か ったり、信号 の コピー を繰 り返す と、ノイズが増え、その質が著 しく低下 していくという短所を もつ し、一方 デ ジタ ルは、映像・ 音声信号の高域や低域では、信号が劣化するといわれると言われているものの、

情報のコピーを続けて も、理論的に信号の劣化にはつなが らないし、計算 による処理が容易 な ため、信号の記憶や補正、圧縮 といった高度な操作が可能であるという長所がある一方 で、信 号化の際、周波数が限定されるため、再生後の質に影響す るという短所を持つ。

〔 註

3〕

また音楽の世界においては、このアナログ→デ ジタル変換技術が、 レコー ド → CDと して先行 しているわけであるが、細川 (pp.62‑71)は 、ウォルター・ オ ングが「 口承 (音

)

→聴覚的コミュニケーション」という第一次口承性に対 して「電話、ラジオ、テレビ、 レコー ド→聴覚的 コミュニケーション」を第二次口承性 と定義 しているのを受 けて、 「 生」 の音 を聞 くことを「第一次聴覚性」とし、電気・ 電子的な回路を経た音を聞 くことを「第二次聴覚性」

と言えると述べた上で、さらに CDは 、 「音響の機械的なあるいは電気化 された振動 も磁場 もな く、数値が音響の『 本質』である」(p.109)と いうように、いわば「第二次聴覚性」 の段階 に 突入 しようとしていることを指摘 している。ここに見 られるよ うに、 CDを 「 聞 く」 とい うこ とへの変質 は、本来の「生」の音か らは、二重 に隔 たった音 を我 々は聞 いているのであ り、

「音楽が『 振動 しなが ら鳴 り響 くフォーム』であることが しだいに精密に抽出されて いく過程」

(p.110)が 生演奏か ら CD化

(ア

ナログ→デジタル )に 至 るプロセスであったと言えよう。

〔 註

4〕

西垣 は、市川浩の身体 と非均質空間における議論か ら「 ヒトは生物的 0日 常的な非均 質空間を近代科学的な脱中心化 と宗教的な超中心化 という二つのや り方で普遍化 していった」

(1994,pp.167‑168)こ とを導出 し、誰 もが参加できる「 客観的な均質空間」 とい うイメー ジを

つ くりあげたことを紹介 している。

(11)

科学技術社会における身体

〔 註

5〕

こうした状況への危機 につ いて、公文 は、人間にとって、現実の生活世界 に匹敵 す る 以上 の現実感 や刺激を うけつつ、それ らと直接 な相互作用を しうる対象 に満 ちた世界を「 具身 界」 と した うえで、 「 これか らの子共 たちが、具身界 での生活 に没入 しす ぎて、実生 活 へ の適 応不全 をお こして しま う危険 は、決 して少 な くないだ ろう」(p.420)と 述 べ、具身界 と実生活

とのモー ドの切 り替 えが不能 にな ってい くことに対 して、警告 を発 している。

〔 註

6〕

ウオ ッシュアウ トとは、最初 に大 きな加速度を与え、加速度 があると錯覚 させておき、

小 さな加速度 で シュ ミレータを元 の位置 に戻す とい う動か し方をい う。 ゥオ ッシュアウ トを用 いれば、有限なス トロークの シミュ レータで も、何回 とな く大 きな加速度をゲス トに与 え続 け ることがで きる。 (廣 瀬

,p.76)

1)別 冊宝島 (1996):イ ンターネ ッ トの激震、宝島社

2)マ イケル 0ハ イム (1995):仮 想現実のメタフィジックス、岩波書店

3)廣 瀬通孝 (1992):バ ーチ ャル 0リ ア リテ ィ応用戦略 一人工現実感の産業応用最前線 一、

オーム社

4)細 川周平 (1990):レ コー ドの美学、勁草書房

5)川 合   歩、水 口清― (1995):バ ーチ ャル社会 と意識進化、日新報道

6)粉 川哲夫 (1996):コ ンピュータはすべてを差異化す る、世界、第 623号 、岩波書店

7)公 文俊平 (1994):情 報文明論、 NTT出 版

8)三 菱総合研究所先端科学研究所著 (石 井威望監修 )(1995):サ イバ ースペ ース入 門 、 日 本実業 出版社

9)西 垣   (1994):マ ルチメデ ィア、岩波新書

10)一 ―一一 (1995):聖 なるヴァーチ ャル・ リア リテ ィー情報 システム社会論 一、21世 紀 問 題群 ブ ックス… 23‐ 、岩波書店

11)奥 野卓 司 (1990):パ ソコン少年 の コスモ ロジーー情報 の文化人類学 一、筑摩書房

12)ハ ワー ド ・ ライ ンゴール ド (1992):バ ーチ ャル 0リ ア リテ ィー幻想 と現 実 の境界 が消 え る日一、 ソフ トバ ンク

13)立   隆 (1996):脳 を究め る一脳研究最前線 一、朝 日新聞社 14)山 崎正和 (1996):朝 日新聞、1996.6.27付 、夕刊

85

参照

関連したドキュメント

睡眠を十分とらないと身体にこたえる 社会的な人とのつき合いは大切にしている

また,文献 [7] ではGDPの70%を占めるサービス業に おけるIT化を重点的に支援することについて提言して

問についてだが︑この間いに直接に答える前に確認しなけれ

第四章では、APNP による OATP2B1 発現抑制における、高分子の関与を示す事を目 的とした。APNP による OATP2B1 発現抑制は OATP2B1 遺伝子の 3’UTR

式目おいて「清十即ついぜん」は伝統的な流れの中にあり、その ㈲

国際仲裁に類似する制度を取り入れている点に特徴があるといえる(例えば、 SICC

目的3 県民一人ひとりが、健全な食生活を実践する力を身につける

モノづくり,特に機械を設計して製作するためには時