移動を説明する諸理論と,
中国朝鮮族の移動・生活
―― 日本在住の朝鮮族の事例から ――
宮 島 美 花
Ⅰ はじめに
Ⅱ 国際移動をめぐる研究の理論的推移
Ⅲ 中国朝鮮族の移動
Ⅳ 日本在住の朝鮮族に対するアンケート調査
Ⅴ 日本在住経験を持つ朝鮮族に対する生活史の聞き取り調査
Ⅵ むすびにかえて
Ⅰ は じ め に
「マイグレーション研究が盛んである」(大津,p. )。これは,米国モント レー大学の赤羽らの研究!に対して 年に書かれた書評の冒頭文である。
IOM
(International Organization for Migration,国際移住機関)の調査によると,その当時で,すでに,越境移動し「外国」に住んでいる人々が「 億人近い」
(大津,p. )というから,世界の人口を約 億人とすると,地球上の全人口 の約 %が移動していたことになる。その後,「マイグレーション研究」はま すます盛んである。日本でも,その成果を「中間的にでも総括しよう」(吉原,
p.
)と, 年には諸学問領域の専門家たちによって『人の移動事典』が出 版された。( ) 赤羽恒雄,アンナ・ワシリエヴァ編著, 年,『国境を越える人々−北東アジアに おける人口移動』国際書院。Akaha, Tsuneo., and Vassilieva, Anna., eds., , Crossing National Borders : International Migration Issues in Northeast Asia, United Nations University Press.
第 巻 第 ・ 号 年 月 −
その付録では,日本における最新の外国人統計が収録され,「移民国家では ない日本」においても,日本在住の外国人数が 年の , , 人から,
年 の , , 人 へ と 急 増 し た こ と な ど(そ の 間 の ピ ー ク は 年
, , 人),日本も「マイグレーション」という国際的な社会現象の当事 者に他ならないことが確認できる。日本在住外国人の中で最大人口を占める上 位 地域(国)は,中国・台湾 , 人,韓国・朝鮮 , 人,フィリピ ン , 人,ブラ ジ ル , 人( 年)で あ る が(吉 原,p. ),そ のうち日本に在住する中国国籍者のなかには,本稿で取り上げる中国朝鮮族が 含まれている。そして日本在住の中国朝鮮族のなかには,中国から韓国に移住 して韓国国籍を取得した後に来日したものもいる。
このように「マイグレーション」現象が進行し「マイグレーション研究」が 盛んな状況であるが,それに比して,国際移動を取り扱う諸理論の整理,ない し,理論的な諸研究の推移・動向を整理した先行研究はあまり見られない。お そらくは「〈人の移動〉は他の社会現象にもまして単一の学問分野からだけで は解明しにく」く,「国際移住・国際労働力移動・移民,さらに観光(ツーリ ズム)に伴う移動など」(吉原,p. ),さまざまな学問分野が個々にそれぞれ の方法論で研究を進めてきたことがその一因と思われる。理論研究という切り 口から,さまざまな学問分野を横断し,国際移動に関する先行研究の整理を行 うのは困難であるためであろう。そのようななか,国際関係論・国際政治学の 分野に限定しながら,理論的な先行研究の整理を試みたものに高橋( )の 研究がある。そこで本稿では,先ずは国際移動をめぐる研究がどのような理論 的推移をたどったかについて,主に,その高橋の整理に依拠しながら,高橋が 整理の際に用いなかった文献も提示しつつ,把握しようと試みる。次いではそ れらを踏まえたうえで,日本に暮らす中国朝鮮族の事例をとりあげる。事例研 究で具体的に明らかになることとしては,①移動のありよう,移動後の(=移 動先での)暮らしのありよう,②移動者と移動元・移動先社会との関係,③移 動者が日常生活のなかで抱えている諸問題,④移動元・移動先それぞれの国家 や自治体が移動・移民に関して抱えている諸課題,などが想定される。理論的
な先行研究を踏まえて改めて事例を検討してみると,国際社会を構成する基本 単位とされてきた国家を跨いで生きることの難しさが改めて浮かび上がるだろ う。また,それのみならず,そうした困難を乗り越えて日常を生きる移動者・
移民の工夫が明らかになるはずである。
上記の問題意識のもとに,第Ⅱ章においては,国際移動をめぐる研究がどの ような理論的推移をたどったかを整理する。第Ⅲ章では,中国朝鮮族の移動全 般,つまり 年以降の中国朝鮮族の激しい移動状況について論じる。移動 がもたらす問題は移住先でのそれに限られず,従来の集住地域,および,そこ に残された家族の問題でもあり,移動によって発生している人口流出,家庭分 散などの諸問題もあわせて述べる。第Ⅳ章では,日本在住の朝鮮族に対するア ンケート調査の結果を紹介する。第Ⅴ章では,日本滞在経験を持つ朝鮮族の生 活史を提示する。最後に,国家を跨いで生きることの難しさのなかで発揮され ている移動者・移民の工夫について指摘を行い,論をまとめる。
Ⅱ 国際移動をめぐる研究の理論的推移
高橋( )は,国際関係論・国際政治学の分野における 年代までの 国際移動をめぐる研究が,どのような理論的推移をたどったかについて整理を 行っている。本章では,それに依拠しながら,高橋が整理の際に用いなかった 文献も提示しつつ,①プッシュ・プル理論,②世界システム論(歴史−構造ア プローチ),③ネットワーク論,④トランスナショナル論,について整理を試 みる。ただし,高橋は, 年の . テロなどにより,特に 年代以降,
国際移動をめぐる国際政治学の議論では「移民のセキュリタイゼーション」(移 民問題の安全保障問題化)が重要なテーマとして浮上してきているという新動 向も論じているが,本稿ではそれについては触れない。
.プッシュ・プル理論
「移民研究でもっとも影響力をもっている」(高橋,
p.
),あるいは「最も 多く引用されている」(戴,p. )のが,新古典派経済学が労働力移動の要因を二国間の所得格差をととらえ,そこから展開したプッシュ・プル理論であり,
送り出し要因(プッシュ)と受け入れ要因(プル)から人の移動を説明する。
プッシュ要因には,送り出し側の人口増加・低い経済水準・低所得などがあ り,プル要因には,受け入れ側の労働力需要・高い経済水準・高所得などがあ り,移動は,自国に残った場合と別の国に移った場合の純所得の差(difference
in the net present value of earning)を比較しての個人の意思によるもの,ない
し,個人の合理的な行動とみなされる。また,経済的格差を移動の要因と考えるこの理論では,両国間の所得格差が 小さければ,移動規模も小さくなると主張する。そして,最も不利益をこう むっている人々が,貧困国から豊かな国へと移動する,と考える。地域間にさ まざまな経済格差があれば,移民の流れが生まれ,こうした流れは,発展途上 国と先進国の賃金や生活条件が均等化するのを助け,地域間の経済格差の是正 に有効である,とする。
しかし,今日の移動の現状をそうしたプッシュ・プル理論では十分に説明で きない側面がある。第 に,発展途上国から先進国への人口移動を見ると,最 貧国よりもむしろ中所得国からの移出率がはるかに高いのはなぜか。同様に,
移民の多くが,経済的・社会的変動を経験している地域からの,いわゆる中流 の社会的地位の人々であるのはなぜか。第 に,一部の国からの国際移動人口 が特定の国へ集中しているのはなぜか。移動には移動のための資金やバック アップが必要であり,移動は必ずしも貧しい地域から起こるとは言えないので ある(戴,pp. − ;岩田,p. ;高橋,p. )。
.世界システム論(歴史−構造アプローチ)
移動をミクロ・レベルから分析し,移動を生存や豊かさを求める個人的な問 題であるとし,送り出し国と受け入れ国の二国間の経済格差に注目するプッ シュ・プル理論に対して,移動をマクロ・レベルから分析し,その背景には世 界全体の構造があるとするのが,世界システム論による説明である。送り出し 側・受け入れ側を別々に,もしくはその二者関係に限定して理解するのではな
く,両者を含む世界全体の構造と変動との関連で考えるべきと主張する。ウォ ーラーステインの世界システム論は,もともとマルクス主義の影響を受けたも のであり,世界システム論の立場からの国際移動や移民の研究では,全体の構 造のために,経済格差だけでなく,搾取が存在している,と指摘がなされる。
それを例えば,新古典派経済学のプッシュ・プル理論の立場と対比してみ る。新古典派経済学では,移民ないし外国人労働力の受け入れ国に,次のよう な利益が生じるとされる。第 に,国内での労働力の生産費,つまり労働力人 口に達するまでの教育費,医療費,さらには住宅費などの支出を削減すること ができる。第 に,受け入れた労働力に対するコスト削減,つまり外国人に対 して,必ずしも教育,医療などを提供しなくてもよいので,企業にとってはコ スト削減が可能になる。第 に,外国人労働力は景気変動における緩衝役をは たす。景気後退が見込まれれば,外国人労働力は最初に整理対象となり,景気 拡大になれば低コストでの労働力調達が可能である。第 に,外国人労働者の 採用に関しては国内では調達できない専門技術者の雇用も可能である。例えば 旧ソ連の技術者が大量にアメリカに移住し,アメリカの
IT
技術者の不足を補 い,アメリカのIT
産業の発展に寄与した。労働力の送り出し側にとっては,自国の過剰失業を輸出することで,失業手当を削減することができるなどの利 点がある。世界システム論の立場からの移民研究では,以上のことを,送り出 し側・受け入れ側双方にとってメリットがあると肯定的に見るのではなく,先 進国における移民の低賃金労働や,先進国が移民のための社会保障費を回避し ていることは,先進国による搾取である,と批判的に見る(高橋,
p.
:岩田p.
)。.ネットワーク論
以上のような世界システム論に対して,カースルズとミラーは,それは移動 する個人を「エージェンシー」−エージェンシーというタームは国際政治学に おけるアクターと同じ意味である−としてとらえていない,と批判する(高 橋,p. :カースルズ,ミラー,p. )。移動を,移動者の主体的な動き(プッ
シュ・プル理論)とみるか,構造のなかで強いられたもの(世界システム論)
とみるかは,依拠する理論枠組みの違いによるものであろうが,なるほど,世 界システム論では,構造のなかにあって移民の主体的な移動がなぜ存在しえる のか,を十分に説明できない。
このような批判から生まれたのがネットワーク論である。それは,世界シス テム論のマクロ構造と,個人的な移動を促すミクロ構造のあいだにあって両者 をつなぐ役割を果たすメゾ・レベル構造に注目し,移動を説明しようとする。
例えば,ファイスト(Faist)は,①送金を行う契約労働者のようなトランスナ ショナルな親族集団,②華商や印僑の通商ネットワーク,③ユダヤ人,クルド 人のようなディアスポラ,といった事例に注目する。ファイストは,生存のた め,あるいは豊かさを求める移住者側の要因(つまりミクロ・レベルの要因)
と,送り出し・受け入れ国家間や国際システムにおける政治・経済・文化的構 造(マクロ・レベルの要因)だけでなく,両者のあいだに存在する,両者をつ なぐものとしての移民集団の社会的紐帯と,そこからもたらされる社会資本 も検討対象にして,移動と移民集団を分析している(Faist,
, pp.
−,
p. , p.
)。.トランスナショナル論
ネットワーク論の研究によって,国家間を跨いで存在するトランスナショナ ルなコミュニティの存在が改めて明らかとなった。それは,国家間に跨る空間 であるため,伝統的な社会科学では私的な空間とみなして分析対象にしてこな かったが,ネットワーク論の研究成果を受けて,トランスナショナル・コミュ ニティの性格や役割に注目しようとする新たな研究視座,つまりトランスナ ショナル論が生まれた。
クラインシュミット(Kleinschmidt)は,「トランスナショナルな社会空間
(transnational social space)」を,個人が日常の行為を通じて構築する「空間的 実体」と説明し,これが最もわかりやすい形であらわれたもの(most obvious
representation)が地域(region)であるとし,移民を「トランスナショナルな
社会空間(transnational social space)」の自律的な作り手(autonomous maker)と とらえる。
因みに,アジアで比較的研究が進んでいるサブリージョン(subregion,下位 地域)研究の事例のひとつに,GMS(Greater Mekong Subregion,大メコン圏)
研究があるが,この事例は,トランスナショナル・コミュニティの研究事例の ひとつとしても発展していくものと思われる。GMS(大メコン圏)とは,タ イ,カンボジア,ラオス,ベトナム,ミャンマーの ヶ国と中国雲南省,広西 チワン族自治区に跨るメコン川流域の総称である。この地域に,各国や国際機 関が積極的に介入して,巨額の投資によってインフラ整備を行い,ひとつの
「空間的実体」に作り上げようとしている。経済開発と発展の促進,国際貿易 の円滑化や国際的な環境保護等を行うのがその目的である。そのために現地の 研究機関で熱心に研究されている項目のひとつが,歴史的・伝統的にメコン川 流域の各国を自由に往来して暮らしてきた少数民族の,暮らしに密着した越境 往来の動きである,という!。
しかし構造的に見た場合,このトランスナショナル・コミュニティは,送り 出し国(地域)のコミュニティ,もしくは受け入れ国(地域)のコミュニティ が越境拡大したものであり,この意味において「脱領域的」であるとは言えず,
国際社会において独自の「ポリティ」として成立しえているわけでもないとす る批判もある(高橋,p. )。
Ⅲ 中国朝鮮族の移動
前章では国際移動をめぐる研究の理論的推移について整理を行った。本章以 降では,それらを踏まえたうえで,第Ⅰ章で述べた問題意識に基づき,中国朝 鮮族の事例を取り上げる。本章では,まず中国朝鮮族の移動全般,つまり
( ) GMSについては,宮島美花・福田忠弘・小松寛編『平成 〜 年度科学研究費補助 金(基盤研究 )研究成果報告書 課題番号 グローバル時代のマルチ・レベ ル・ガバナンス−EUと東アジアのサブリージョン比較(研究代表:多賀秀敏)』(
年 月),とりわけそのうちの佐渡友哲「GMSにおけるサブリージョナリズム」に詳し い。
年以降の中国朝鮮族の激しい移動状況について述べる。
中国朝鮮族(以下,朝鮮族と略す)とは,中国の少数民族のひとつとして中 国国籍を持ち,主に中国の東北地方に集住してきた約 万人のコリアンであ り,そのうち約 万人は,彼らの民族自治区域である吉林省東端の延辺朝鮮 族自治州(州都は延吉市)に集住している。彼らは, 年代以降,中国の 東北地方から,北京や上海など国内大都市や海外へ活発に移動するようになっ ている。海外への移動は,主として中韓国交樹立( 年)に伴う韓国への 出稼ぎ,次いで日本の留学生受入拡大政策( 年)に端を発する日本への 留学・就学,ソ連崩壊を契機としたロシアへの生活雑貨の行商が多い(金・浅 野, ,pp. − )。なかでも在韓朝鮮族は約 万人に達し,韓国の総人口 の %を超えた!。全朝鮮族の 分の が韓国に移動し暮らしていることにな る。
日本には,推定 万人から 万人の朝鮮族が移動し暮らしているとされて
いる"。ただし,日本の法務省が管理する外国人登録者には民族別の記載がない
ため,中国国籍者のうち,朝鮮族の実数を把握することはできず,これらの数 字は推定の域を出ない。出入国や在留外国人関連の統計のなかで朝鮮族だけを 取り出せる形式で記録し公表している国は韓国だけであり,韓国以外の国への 移動,中国国内の移動,そして朝鮮族の人口移動の全体像を統計的に把握する ことは極めて困難である。しかし,全朝鮮族の約 分の が韓国に移動し暮ら していること,延辺州の朝鮮族人口比率 が,自 治 州 が 成 立 し た 年 の
. %から,今日では . %( 年)へと減少してきていること(『延辺 統計年鑑』 , )など,朝鮮族の移動が「過流動」ないし「過剰」(佐々 木, ,
p. , p.
)で,中国全体で移動が活発化しているなかにあって も,朝鮮族の人口移動率は中国の 民族の中でも「群を抜いて高」く(岡本,( )「朝 鮮 族 %時 代」聯 合 ニ ュ ー ス(http://www.yonhapnews.co.kr), 年 月 日 付
(ハングル)。
( ) 朴浩烈(「中国朝鮮族の言語相」『多摩大学研究紀要「経営・情報研究」』No. , 年)の整理によると,日本在住の朝鮮族は「 万人前後」(『朝日新聞』 年 月 日)から「約 万人」(『朝鮮新報』 年 月 日)と伝えられている。
,p. ),中国全体平均を上回っていることは疑いを入れない。
その一方で,中国東北地方の朝鮮族社会では急速な人口流出と家族の分散が 進んでいる。金・浅野( ,p. )は,国有企業改革のなかでリストラが押 し進められたため,現地(延辺)の生活実感では実質的失業率は 割を下るこ とはなく,世帯単位では 〜 割の朝鮮族世帯に移動者がいると推定する。今 日,延辺州の朝鮮族学生のうち「欠損家庭」(両親とも,または両親のうちの ひとりが子どもと同居していない家庭)の割合は,朝鮮族学生総数の .%
を占めるという!。 年の延吉空港の利用旅客数は延べ 万人,そのうち 国際航空便の利用旅客数は延べ 万人で東北 省における首位となった。延 吉空港の利用者数は伸び続けており, 年の出入国人数は 万 , 人
(前年比 .%増)であった。ソウル−延吉を 時間半で繫ぐ直行の定期航空 路線は 日平均 便 ( 往復) が就航しているが,座席の販売率は %(
年)で,需要に供給が追い付いていない状況である"。利用者の中には,韓国在 住の親と中国の祖父母の間を行ったり来たりしながら養育されている乳幼児・
未就学児,中国の祖父母に育てられ学校の長期休みを親のいる韓国で過ごす子 ども,親と韓国で暮らしているが長期休みを中国の祖父母のもとで過ごす子ど も,韓国人男性と朝鮮族女性のもとに生まれた子どもなど,子どもの乗客が含 まれている(宮島, ,pp. − )。
歴史的に見ても,延辺と朝鮮半島北部の咸鏡道に暮らす人々は,その間を流 れる豆満江(図們江)を渡って相互に日常的に往来してきた。人口流出や家族 分散などの状況は,中朝国境地帯に存在してきた彼らの跨境的な生活圏が,
年代以降,その範囲を拡大していっているととらえることもできる。朝鮮族の 家族は,その拡大に伴って,中朝国境地帯を越える広い空間に散らばって,相 互往来を行うようになっている(Miyajima, p. )。
以上の全般状況を踏まえて,より具体的に朝鮮族の移動状況を明らかにする
( 5 ) 「연변 조선족 절반학생이 결손가정 생활」『黒龍江新聞』2008 年 12 月 30 日。
( 6 ) 「연길공항 국제선 고객량,동북 첫자리」『吉 林 新 聞』2013 年 10 月 21 日。「2014 년
연길공항 출입경 항공편 3276차 기록」『吉林新聞』2015 年1月 25 日。ために,続く第Ⅳ章で日本在住の朝鮮族を対象にしたアンケート調査を,第Ⅴ 章では日本在住経験のある朝鮮族を対象にした生活史の聞き取り調査をそれぞ れ紹介する。朝鮮族の日本への移動者の多さはひとつには日本語学習者が多い ことによる。本田によると, 年当時,中国の日本語学習者の 人に 人 は朝鮮族であり,当時の朝鮮族総人口の %に達する人口当たりの日本語学習 率は他に類を見ない高さである。世界で日本語学習者が最も多いのは韓国の約 万人であるが,それでも人口当たりにすると約 .%に過ぎない(本田,p.
, p.
)。朝鮮族に日本語学習者が多い理由は,歴史的には「満州国」期ま で遡る。その歴史的事由との今日的関連性についても本田( )の研究に詳 しいが,生活史の聞き取り調査を用いた拙稿(Miyajima, p. )でも,朝鮮族 学校における外国語科目としての日本語と,文革および文革後の外国語教育再 開との関係について触れた。Ⅳ 日本在住の朝鮮族に対するアンケート調査
本章では,時期と地域を異にする 種類のアンケート調査の結果を紹介す る。ひとつは 年に関東地方で実施したものであり,もうひとつはその約
年後に関西地方で実施したものである。
.関東地方におけるアンケート調査( 年)
ここでは, 年に関東地方で実施した日本在住の朝鮮族へのアンケート 調査(共同調査)の結果を,次節で紹介する関西地方でのアンケート調査( ) と対照させることを念頭に,抜粋して紹介する。この調査は,権香淑・宮島美 花・谷川雄一郎・李東哲「在日本中国朝鮮族実態調査に関する報告」( )と して刊行されているので,全容についてはそれを参照されたい。この共同調査 を実施することとなったのは,激しい移動を経験している「中国朝鮮族の現 状」,「日本に出国を決意し実現するに至った中国朝鮮族個々人の事情や,日本 に住む中国朝鮮族と中国に住む朝鮮族との間の関係のありよう」,「国境を越え る民族ネットワークの実態」を把握するひとつの手がかりにしたい,との動機
によるものであった(権ほか,p. )。
調査の概要は,以下のとおりである。調査の実施(アンケート質問紙の配布・
回 収)時 期 は 年 月〜 月 で,雪 だ る ま 式 標 本 法(Snowball sampling
method,機縁法ともいう)を採用した。配布と回収は,①関東地方にある中国
朝鮮族の諸団体(天池倶楽部など)の協力のもと,各団体の会合において参加 者・出席者に手渡しで直接回収する方法,②各団体の会合への参加者・出席者 に,家族・友人・知人である朝鮮族に配布してもらい,郵送回収する方法,③ 天池倶楽部のメーリング・リストを活用し,Eメールでアンケートを配布し回 収する方法という つの方法で行った。調査人数は 名,うち有効回答数名分,男女比は男性 名( .%),女性 名( .%)であった。
本調査,および,次節で示す関西地方におけるアンケート調査の結果を見る にあたっては,特に次の 点に留意する必要がある。まず,調査の対象となる 母集団に関する留保である。調査の母集団は日本に在住する朝鮮族の総体であ ることが望ましいが,上述のように,日本の法務省が管理する外国人登録者に は民族別の記載がないため,日本に暮らす朝鮮族の実数を把握することはでき ず,母集団の規模自体が不明である。標本(sample)調査では,集団を構成す る全個体から一部分を標本として選び出し(標本抽出,sampling),この標本 に対して調査を行うが,真に知りたいのは母集団の状況に他ならず,母集団の 縮図となるような標本を選び出し,その標本に対して行った調査で得られた統 計量(標本統計量)から統計学理論を用いて母集団統計量を推測する。これが 量的調査の理想である。しかし,日本在住の朝鮮族については,そもそも母集 団の規模さえも把握できないという根本的欠陥を余儀なくされているのであ る。
次いでは調査方法にまつわる留保である。本調査は,人間関係のネットワー クを利用して調査対象者を増やしていく雪だるま式標本法を採用した。この方 法は,無作為抽出で標本を選定する方法に比べて,サンプル(標本)の代表性 に乏しく,得られた結果の一般化は困難である。したがって,本調査の結果 は,今回の調査に協力してくれた朝鮮族についてはこのような結果が得られた
留学 就学 就労 家族滞在 超過滞在 永住者など 日本国籍など 38.3%
16.7%
26.7%
8.3%
4.2%
3.3%
2.5%
と言うにすぎない。
したがって,以上の留保を前提にしながらも,今回の調査に協力してくれた 朝鮮族も日本在住の朝鮮族という集団を構成する人々であることは確かなこと なので,日本在住の朝鮮族について議論する「ひとつの手がかり」にしたいと いうのが趣旨である。
回答を得た 名は,年齢別では, 代が 名( .%), 代が 名
( .%)を占めており,あわせて在留資格(図表 ),中国での最終学歴(図 表 ),中国での職業(図表 ),現在の職業(図表 )から見て,以下のよう な人が多かった;① 代・ 代,特に 代が多く,②中国で大学・大学院 を卒業し,③中国では「専門職」・「管理職」についていたが,③ 年現在 は,学生(「大学院生」「大学生・専門学校生」,日本語学校に通う「就学生」)
として日本に滞在している。
来日の経緯(図表 ,図表番号は原出典による)は,「知人・友人・親戚」の 紹介が .%で最も多く,その背景として考えられるのは, 年の保証人 制度改定である。日本への留学の大きな障害だった入国・在留のための身元保 証人制度が, 年 月に廃止され, 年 月以降の留学生および就学生 に適用されるようになった。外務省が日本留学に関する情報を提供するウェブ
図表 在留資格
大学本科 大学院以上 高等・大学専科 高級中学 中等専門学校など 52.5%
12.5%
15.0%
12.5%
7.5%
専門職 管理職 学生 賃労働 無職・その他 自営業 35.8%
14.2%
20.8%
17.5%
9.2%
2.5%
大学院生など 就学生
大学生・専門学校生 企業社員・自営業 その他・無回答 パート・アルバイト 教員
出稼ぎ労働者 28.3%
18.3%
9.2%
20.8%
10.8%
5.8%
5.0%
1.7%
図表 中国での最終学歴
図表 中国での職業
図表 現在の状況
知人・友人・親戚 その他
業者の斡旋 会社の招聘 無回答 48.3%
21.7%
17.5%
7.5%
5.0%
サイト「日本留学総合情報ガイド(Study in JAPAN)」では,「 年 月に 入国・在留のための身元保証人制度が廃止され,日本留学のための入国にあ たって,身元保証人は必要ではなくなりました」と説明したあと,しかし,「ア パートを借りる時や,大学・専修学校の受験,入学の手続きをする時」など「日 本における生活においてはまだ必要な場面も多いのです(これらは,日本人学 生にも要求されます)」,「日本留学を希望するなら,来日後の身元保証人につ いて来日前に入学先によく確認しておいた方がよいでしょう。例えば日本語学 校に入学する場合,在学中については学校が保証人を引き受ける場合がありま す」等と補足説明している!。
保証人制度の改定以降,中国朝鮮族は日本人の保証人がいなくても,様々な ネットワークを利用して来日することが可能となった。このアンケート調査と 同時に筆者が行ったインタビューにおいて, 代の女性留学生(当時)は,
次のように語っている。「以前,日本留学は難しくて無理でした。日本人の保 証人を探さなくてはいけなかったし。親戚が日本にいたけれど,日本人の知り 合いはいなかったので。それが, 年に,日本人保証人制度がなくなったと 日本にいる親戚が教えてくれたんです。それなら可能性が高いと思い,当時は
( ) URL : http://www.studyjapan.go.jp(アクセス日: . . ) 図表 来日の経緯
中国語媒体 漢族 日本語媒体 日本人 朝鮮語媒体 朝鮮族
8 6
28 17
3
43
0 10 20 30 40 50
回答数
図表 アルバイト・仕事情報の入手方法
収入もよくて貯金もあったので,決意しました。親戚に日本語学校の書類を 送ってもらいました。日本にいる親戚が保証人になってくれたので, 回目の 申請で日本語学校に合格できたんだろうと思います。この点,親戚にはすごく 感謝してるんです。来日後の住まいも親戚に保証人になってもらって,決めま した」(権ほか,p. )。
アルバイトおよび仕事の情報入手ルート(図表 ,複数回答可)をみると,
「日本人」と「日本語媒体」,「漢族」と「中国語媒体」の関係においては,比 較的にメディアから情報を入手する場合が多いのに対し,「朝鮮族」と「朝鮮 語媒体」の関係では,「朝鮮族」という人からの情報入手が圧倒的多数であっ た。なお,図表 に組み込まなかったが,それ以外の回答結果としては「店頭 の張り紙」 / 件( .%),「学校」 / 件( .%),「公共機関」 /
件( .%)などもあった。
家庭でのコミュニケーション言語(図表 )をみると,最も回答が多かっ たのが「 ヶ国語の組み合わせ」 %で,以下,「朝鮮語」 .%,「朝鮮語・
日本語」 %,「朝鮮語・中国語」 .%,「中国語・日本語」 .%,「中国語」
%,「日本語」 .%であった。これらの結果をそれぞれの言語でわけて図表 のように合算してみると,「朝鮮語」が 件,「中国語」および「日本語」
三ヶ国語組合せ 朝鮮語 朝鮮・日本語 朝鮮・中国語 中国・日本語 中国語 日本語 無回答 30%
26%
15%
13%
6%
5%
3%
2%
中国語
日本語
朝鮮語
65
65
101
0 20 40 60
回答の中の言語数
80 100 120
が 件であった。つまり,多くは,朝鮮語をベースにした ヶ国語,あるい は朝鮮語のみ,あるいは朝鮮語をベースにした ヶ国語といったように,朝鮮 語を基層に据えながら家庭内におけるコミュニケーションを図っている。
.関西地方におけるアンケート調査( 年)
次いでは, 年に,関西地方で実施した日本在住の朝鮮族へのアンケート 調査の結果を抜粋して紹介する。この調査は,上記の関東地方での調査の約 年後に,筆者が個人研究として行ったものである。調査項目は新たに「日本滞 在期間」を加えた以外は関東地方での調査と基本的に同じである。
図表 家庭でのコミュニケーション言語
図表 家庭での言語割合
調査の概要は以下のとおりである。調査の実施(アンケート質問紙の配布・
回収)時期は 年 月〜 年 月で,雪だるま式標本法(機縁法)を 採用した。配布・回収方法と,それぞれの調査人数は,以下のとおりである。
配布・回収方法については① 年 月に京都の龍谷大学で開かれた第 回 在日本中国朝鮮族国際シンポジウムで,参加者・出席者の朝鮮族に手渡しで直 接回収する方法( 名),② 年 月に大阪で開かれた在日本中国朝鮮族 関西友好会の忘年会において,参加者・出席者に手渡しで直接回収する方法
( 名),③関西地方にある(キリスト教)教会に通う朝鮮族に,同教会に通 う朝鮮族に配布してもらい,郵送回収する方法( 名)という つの方法で 行った。調査人数は 名,男女比は男性 名,女性 名であった。
この調査結果についても既に関東地方のそれについての留保はそのまま有効 である。また,本調査から,関東地方在住の朝鮮族に対する,関西地方在住の 朝鮮族の特徴といったものを見出すことは困難だが,時期の差異は大きいもの と思われる。
調査した 名は,年齢別では, 代が 名( .%), 代が 名( .%)
を占めている。 年前の関東での調査は, 代よりも 代が多かったが,関 西での調査協力者は 代よりも 代の朝鮮族が多い。日本滞在期間は, 〜 年が 名( .%), 〜 年が 名( .%)であり,日本滞在期間と 年齢のクロス表(図表 − )を見ると,年齢が 代で日本滞在が 〜 年 の者が最も多い( 名)。現在状況(図表 − )を見ると,「日本企業社員」
名( .%)が最も多い。 年前の関東での調査では「学生」が多かった。
来日動機(図表 − ,複数選択可)を見ると,「勉強・研究」が最も多い(
名, . %)。これは「学生」が多かった関東での調査も同様であった。これ らから見て,関西でのアンケート調査( )に協力してくれた朝鮮族には,
以下のような人が多かった;① 代・ 代で,特に 代が多く,②「日本 企業社員」として働いており,③日本滞在期間が, 〜 年の人,特に 〜 年の人が多かった。来日動機の「勉強・研究」が最多であったことを考え ると,日本での学生生活を終えて,日本の企業に就職し,日本在住期間が長く
年 齢
代 代 代 代 合計
日 本 滞在 期 間
年以内
〜 年
〜 年
〜 年
〜 年
〜 年 年以上 合 計
度 数 パーセント
日本企業社員 .
その他 .
教員 .
大学院生 .
大学生 .
自営業・共同経営者 .
研究者 .
技術・熟練労働者 .
就学生(日本語学校在籍) .
合 計 .
応 答 数 N パーセント
勉強・研究 .
外国憧れ .
出稼ぎ .
ビジネス .
その他 .
合 計 .
図表 − 日本滞在期間と年齢のクロス表
図表 − 現在状況
図表 − 来日動機
なっている人が,この調査に応じてくれた朝鮮族には多かったことになりそう である。
来日の経緯(図表 − )は,「知人・友人・親戚」の紹介が最も多い(
名, .%)。これは 年前の関東での調査も同様であった。アルバイトおよ び仕事の情報入手ルート(図表 − ,複数回答可)については,関東での調 査結果とは異なっている。 年前の関東調査では,「日本人」と「日本語媒体」,
「漢族」と「中国語媒体」の関係において,比較的にメディアから情報を入手 する場合が多かったのに対し,「朝鮮族」と「朝鮮語媒体」の関係では,「朝鮮 族」という人からの情報入手が圧倒的多数であった。それに対してこの調査で は,「日本語メディア」が最多( 件)で「日本人紹介」( 件)も少なくな い。「朝鮮族紹介」( 件)は「日本人紹介」( 件)よりも少ない。「公共機関」
の利用も / 件見られ, 年前の関東での調査では / 件であった。関 西での調査に協力してくれた人たちには,日本での滞在期間が長く,「日本語 メディア」や日本の「公共機関」を利用するなど,日本に暮らす朝鮮族同士の 紐帯のみならず,ホスト社会である日本社会との関係性を深めている人々が多 かったと考えられる。
家庭でのコミュニケーション言語(図表 − )をみると,最も回答が多かっ たのが「朝鮮語」で,以下,「 ヶ国語すべての組み合わせ」「中国語・朝鮮語」
「朝鮮語・日本語」「日本語」「中国語・日本語」と続く。それぞれの言語でわ
度数 パーセント
有効
知人・友人・親戚の紹介 .
業者の斡旋 .
会社の招聘 .
その他 .
小 計 .
欠 損 値 .
合 計 .
図表 − 来日経緯
けて合算したときに, 年前の調査では,朝鮮語への集中(図表 )を見せ ていたが,この関西での調査でも,言語別でもっとも多いのは(図表 − ),
朝鮮語であった。
応 答 数 N パーセント
日本語メディア .
日本人紹介 .
朝鮮族紹介 .
漢族紹介 .
朝鮮語メディア .
公共機関紹介 .
店頭張り紙 .
学校紹介 .
ボランティア団体紹介 .
その他 .
合 計 .
度数 パーセント
有効
朝鮮語 .
ヶ国語すべて .
中国語・朝鮮語 .
朝鮮語・日本語 .
日本語 .
中国語・日本語 .
小 計 .
欠 損 値 .
合 計 .
図表 − アルバイト仕事情報入手方法
図表 − 家庭言語
35 30 25 20 15 10 5 0
朝鮮語 中国語 日本語
Ⅴ 日本在住経験を持つ朝鮮族に対する生活史の 聞き取り調査
より具体的に朝鮮族の移動状況を明らかにするために,前章で紹介した日本 在住の朝鮮族を対象にしたアンケート調査に続いて,本章では,日本在住経験 のある朝鮮族を対象にした生活史の聞き取り調査を紹介する。筆者は,
年から日本在住中,ないしは日本在住経験を持つ朝鮮族への生活史の聞き取り 調査を進めており,いくつかの事例を拙稿(宮島, ;Miyajima, )に 収録しているが,本章では,新たに調査を行った事例として, 年から 年までの 年以上を日本で暮らし,日本の「永住権」を取得して,現在 は中国で暮らしている
P
さんの事例をとりあげる。インタビューは 年 月と 月の計 回,現在,
P
さんが居住する中国 東部!の都市で実施した。記録方法は初回は録音をとり, 回目はメモをとっ た。インタビューは日本語を主とし,時には朝鮮語や中国語も交えて進行し( ) 中国東部とは上海市,江蘇省,浙江省を指す。中国の地域区分については,次の資料 の 区分(東北・華北沿岸・華東沿岸・華南沿岸・華中・西北・西南)を参考にした。
ユベール・エスカット,猪俣哲史編著『東アジアの貿易構造と国際価値連鎖−モノの貿 易から「価値」の貿易へ』 年,アジア経済研究所, 頁。
図表 − 家庭での言語割合
た。本人の語りをそのまま記述する場合は「 」に入れる。
.来日まで
P
さんは, 年生まれの朝鮮族女性である。延辺で生まれ育ち,小学校 から高校まで朝鮮族学校に通った。当時は学校で外国語科目として学べるのは 日本語だけだった。高校生の時,大学では「日本語」か「経済」を専攻したい と考えていた。その理由は,「語学がけっこう好きだった」ことと,「文系だっ たので,日本語(専攻)だったら,外資系とか,就職しやすいというイメージ が」あったためである。高校を卒業する頃は,「 年以降から,中国に,韓国企業,日本企業が,た くさん入りつつあるときだった」。「 年になってから」は,中国国内に外 国語ができる「人材」が豊富にあり,外資系企業に就職するには激しい「競争」
を経なければならないが,当時は「朝鮮族は韓国語ができるだけで」,「高校を 卒業しただけでも」,外資系企業のひとつである韓国企業に就職できた。その ような社会情勢のなかで,大学の専攻のなかでも特に「外国語か,経済・金融 関係」が人気の高い専攻であったため,「外国語の専攻が他の科目より」も,
入試で合格ラインとなる「点数が高」く,合格は容易ではなかった。Pさんが 大学入試を受験したときは,入試の成績結果が出る前に志望校を決めるシステ ムで,Pさんは,上位の志望先として「日本語」か「経済」を記入したが,そ れらに「全部滑っ」て(=不合格になって)しまった。自分の見込みの点数で,
どの大学のどの専攻であれば合格するかの予想は難しく,「その当時,先生 だって,そういう指導力がな」いため,希望の進路に進めなかった受験生が
「結構多かった」。
P
さんは,延辺を出て,ある師範大学の「zhong wen xi(中文系)」(「中文」は中国語,「系」は学部・学科)に進学した。そこは第 番目の「志望校」で あった。「中文系」は,もし卒業後に教師になるならば,「一番人気がある専門」
で「結構出世コース」だから,「とりあえず」書いたにすぎなかったのに,そ こに進学することになり,結局そこを卒業した。
大学を卒業すると,「親が」「もう帰ってこいって言ったから,しかたなく」,
故郷に戻り教師として働いた。 年ほど働くと,「まだちょっと若かった」こ ともあり,「ずっと同じ教科書を繰り返し」教える毎日のなかで,「 代とか,
代の」先輩教師たちを見て,「ああ,私も 代, 代をこういう風に過ご すんだな」と思うと,それは「だめだ」と思う気持ちも起こってきた。
故郷で教師として働いているときに,高校の同級生で,大学卒業後に故郷に 戻って就職した朝鮮族男性と交際を始めた。「みんな上海とか,北京とかに出 てくる時代」にあって,その恋人は故郷に「戻ったこと自体」が不満で,日本 に行った友だちから「日本に来ないか」と誘われたのをきっかけに,「日本に 行きたい」と「言いだし」た。Pさんは当初は日本に「行く気」は「ぜんぜん なかった」が,教師としての自身の将来像に不安もあって,日本に行く意思を 固めていき, 年に恋人と共に来日した。
.日本留学,結婚,出産
日本語学校( 年)を経て大学(日本語専攻)に入学した後, 年に日 本で結婚し,翌年,妊娠した。他の学友たちのように若くないので,一日も早 く卒業したいと「焦ってい」たため,「休学もせずに」出産をしようと考えた。
年春,学年末に延辺で出産すると,延辺の母に子どもを委ねて ヶ月後 には日本に戻った。電話で赤ん坊の「うーん,うー」という声を聞かせてもら い,「夏休みになったらすぐ(延辺に)帰」った。「今考えたら,ひどい親」だ と思うが,「勉強したかったし」,「そのときは」「もう,割り切るしかな」かっ た。学期が終わり長期休みに入るたびに「半年に 回」のペースで延辺に帰っ ていたので,「飛行機代がすごくかかっ」た。
中国で理系の学部を卒業していた夫は,早く就業したい希望が強く,専門学 校を卒業後に日本で就職した。学生時代は学費も生活費もアルバイトでまか なった。「普段は居酒屋」で午後 時から深夜 時ぐらいまで働き,週末や長 期休みのときは午前 時から午後 時まで別の飲食店で働いたあと,夜は居酒 屋で働いた。 日に 時間働く日もあった。
週末に働く飲食店は,「チェーン店の多い」「グループ企業」であり,アルバ イトのなかでも長く働いている
P
さんは,「本部」から来る「課長とすごく仲 良くなっ」た。ある日の休憩の折に,その課長に,「Pさん,すごく,うちの ために働いてくれているけど,個人としてお話したら,P
さんは,今,青春の 時間を払って,その分,お金をもらっていると思うよ。本当の夢は何?」と質 問され,「本当に,その一言で」,もうこれ以上「バイトだらけの生活」を送る のはやめようと決断した。その課長は,アルバイトをするにしても,「オフィ ス系に代わったほうがいいよ」「会社に入って,そこのアルバイト」をするこ とで,将来に向けての「経歴を積んだほうがいいよ」,と言い,Pさんは,そ の ヶ月後には,「きっぱり」とアルバイトを つとも辞めた。「稼ぎ」は減っても「とりあえずサラリーマンとたくさん出会おうと思って」,
自分は「中国語を教えられるから」と中国語を教える仕事に「切り替」えた。
いくつかの語学スクールで「最初は中国語」のみを教え,韓国語は依頼を受け ても「やらなかった」。 つの言語を教えると,生徒たちにとっては「信頼感 がない」のではないか,と危惧したためである。しかし,「韓国語の先生が足 らないから」「是非是非」「お願いします」と熱心に頼まれた。韓国語の教師不 足で困窮している当座に限って助けてあげようと思い,韓国語の授業も引き受 けたところ,辞めるどころか「どんどん」増えていき,次第に手持ちの授業の 半分は韓国語授業になっていった。けじめをつけるため,ひとつの語学スクー ルではひとつの言語のみを担当する形式にした。
.子育て
学部を卒業し小さな会社に就職すると,中国語や韓国語を教える仕事はそれ を機にやめた。 歳半になった子どもを,延辺から日本に呼び寄せ, 歳まで
「日本の幼稚園」に通わせながら,夫婦で養育した。子どもは日本語ができな かったが,このときは,それはあまり問題にならなかった。
会社では経理部に所属したが,お使いなど「決算とかに関係ないような」仕 事が多かったため,専門的に会計を勉強したいと思うようになった。「その当
時, 歳だったので」,「やりたいことしよう」「どうせやるならば,意味があ ることをしよう」「こんどこそ,なにかを身につけよう」と思い,退社して会 計学の大学院進学を目指すことにした。
大学院進学にあたって,子どもを再び延辺に送り,母に 年間の養育を頼ん だ。 歳になっていた子どもは,すんなりとは両親から離れることができな かった。
P
さんは,子どもに対して,「本人が納得」するように話してきかせ た。「親がこういう予定だから, 年間頑張りなさい。そのかわりに,この時 間になったら,きちんと約束守って,(日本に)連れてくるから」と説明し延 辺に送った。子どもは,最初の「一日,二日ぐらいは」泣いたが,Pさんは「自 分で納得して行ったんでしょ。責任持ちなさい」と子ども自身の自立を促し,その一方で「離れていても,ずっと電話で」コミュニケーションをとるように 心掛けた。
P
さんは,日本を発つ子どもに,「日本語を忘れると(親のいる日本に)戻 れないからね,意識して覚えていなさい」「 年間で忘れたらいけない」と「す ごくプレッシャーをかけ」た。 年後, 歳のときに,日本で小学校に入学さ せるために日本に呼び戻すと,子どもは「すごい片言で」空港を「出た瞬間か ら日本語をしゃべ」った。子どもにとって,それらがいかに精神的な負担であっ たかを思うと,Pさんは,子どもには「本当にいろいろひどいことした」と思 う。歳で日本に呼び戻した子どもには,「日本語がわからなくて,イライラし たり」する様子が見られた。
P
さんは,親が「むりやり,いろんなひどいこと をしてる」のだから,「その分」「子どもをサポートしていかないと」いけない と考えた。「最初は言葉ができなくても,お母さんがずっとサポートしていく から大丈夫だよ」「時間がたてばできるようになるから,大丈夫」と「ずっと 励ま」し続けた。子どもが学校から帰宅すると,自身で日本語を教えたりもし た。学校での友だち付き合いの面でも,「そのうちに受け入れてくれるから」,クラスメートの輪の中に「割り込んでいったらいい」,と励ましアドバイスし た。子どもは,「どんどんそういう風になって」いき,学校やクラスになじん
でいった。最初は子どもを励ます一方で「甘やかす部分」もあったが,子ども が日本での生活に慣れていくペースに合わせて「どんどんそこを調整していく」
ようにした。「もともと」教師の「出身だから,そこはうまく」やったのでは ないか,と
P
さん自身は「そう勝手に思っている」。 歳から 歳まで,小学 校 年生から 年生までを日本で過ごしたことで,子どもの日本語は「もう,ぜんぜん」問題ないレベルに達した。
.語学スクールの経営
大学院修士課程を卒業した後,かつて同じ語学スクールで教えていた先輩教 師で,そのスクールの経営者でもあった人が,語学スクールを「売りたい」と 連絡してきた。「普通のお店とは違」い,売り手のほうも,「生徒さんたちがずっ と勉強していく」ことのできる「環境」を保証しなくてはならない。Pさんは,
もともと語学スクールで教えていた経歴があり,また,会社で仕事をしていた 経歴もあるので「最適」な買い手として見込まれた。「ぶらぶらするよりは」と 思い,語学スクールの経営を引き受けることにした。
語学スクールの経営は 年だけで,「損はしていない」ものの,「大きくは儲 かっていない」。中国語や韓国語の先生が「足らない時」は,自分が教壇に立っ て教え,事務員ができない事務仕事も
P
さん自身がこなした。「語学スクール のなかの仕事の,どの分野でも,私がぜんぶ埋められる」ので,「自分の労働 でまかなった」部分が大きく,そのため,「普通の商品がこれぐらいのコスト だったら」,何倍の儲けがでる,といった「そういう比率では」儲けを計算で きない。「そういう意味では,損はしていない」が,Pさん自身が「頑張った 分」まで利益として「かえってきたか,と言ったら」そうはいえない。.中国へ
専門学校を卒業して就職した夫は,その「会社の株まで買って」いたが,会 社に「 年ぐらいいても,技術者はなかなか」「出世でき」ず,転職を検討す るようになった。夫は,ある会社が将来の中国支社の「幹部候補」となる社員
を募集しているのを見つけた。Pさんは,夫から「こういう会社だけど,どう しようかな」と相談を受けたとき,「私が子どもの面倒みるから」「とことん やってみれば?」と応援する意思を伝え,夫は現在の会社に転職した。夫はそ の 年後には中国に「長期出張」に行っては , ヶ月ごとに日本に帰ってく る状態になり,更に 年後には駐在員として派遣されることになった。駐在員 となれば,今後「おそらく , 年は」,日本には「半年に 回しか帰れない」。
そのころ,Pさんは,「子育てしながら,語学スクールやるのが」「大変」
で,「本当に,子どもがかわいそう」な状況にあった。学校から帰宅した子ど もは宿題をしながら
P
さんを待ち,Pさんは夕方 〜 時ぐらいにいったん帰 宅して,子どもに「ご飯を食べさせ」てから,また仕事に戻った。仕事を終え て帰宅するのは夜 〜 時ごろで,それまで子どもは家で一人きりだった。そんな暮らしを,子どもが 年生のときから 年ほど続けると,Pさんは「こ れはちょっとダメだな」と思うようになってきた。
中国と日本を往復するようになった夫は,日本では「会社のために生きてい るような感じ」であるのに対し,中国での暮らしは「時間にゆとりができる」
ので,そういう面では中国での暮らしは「いい」と言う。Pさん一家は,日本 企業の駐在員として派遣されているために今は日本を離れているにすぎない,
という説明を添えて,日本の「永住権」を申請し取得し, 年,Pさんは 子どもを連れて,夫の暮らす中国東部に引っ越した。日本の「永住権」!は,継 続して日本に長期不在であると失効してしまうのは知っているが,何年かに一 度,日本に行く用事はあるだろうから問題ないと考えている。
中国に移動した理由のひとつに,中国東部の戸籍が取得できることがある。
「大都市の戸籍」は「すごくもらいにくい」が,海外に留学した人材が帰国し た場合にはそれを付与する優遇政策があると聞き,その「政策がなくなる前 に,いったん帰って」こようと考えた。
( ) 正式には,永住許可を得て「永住者」の在留資格を持つことを指す。日本を出国した 場合,再入国許可の有効期限内に日本へ再入国する必要がある。再入国許可の有効期限 は 年 月 日以降, 年から 年に伸長された。