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「カルヴァン全集」今昔

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Academic year: 2021

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(1)

カルヴァン全集(Opera Omnia)とうた っているものが3つある。残念ながら,い ずれも看板に偽りあり,正確な意味におけ る全集ではない。キリスト教会はいまだか つてカルヴァン全集を有したことがないの である。

最初のいわゆる「全集」は,カルヴァン の死後半世紀を経た1617年にジューネブで 刊行された(Iohannis Calvini Opera Omnia

Theologica)

。フォリオ版7巻から成る。2 番目は,さらに半世紀後,1667年アムステ ルダムから出た(Ioannis Calvini Noviodunensis

Opera Omnia)

。フォリオで9巻。カルヴァ ンの処女作『セネカ「寛容論」註解』は,

この時はじめて全集に組み入れられた。そ れ以外は上記ジュネーブ版と大差はない。

Schipper

版全集とも称され,次ぎに述べ

る全集刊行までの二百数十年の間広く用い られた。アルミニウスもジョナサン・エド ワーズもこの全集からカルヴァンの神学を 汲みとったわけである。因みに,19世紀に

出た

Tholuck

版『綱要』,『創世記註解』,

『詩編註解』,『新約聖書註解』はこの全集 のテクストに基づく。

3番目の登場によって,「全集」の量と 質は飛躍的に向上する。『宗教改革者著作 集』(Corpus Reformatorum)中の「カルヴ ァン全集」(Ioannis Calvini Opera quae

supersunt Omnia)59巻である。CR

の略語 で知られる『宗教改革者著作集』は,他に メランヒトン全集とツヴィングリ全集を含 み,「カルヴァン全集」(通例

CO

と略す)

はその29巻から87巻を構成する。すなわち,

CR 29イコール CO1ということになる。こ

の「カルヴァン全集」は,ストラスブール の碩学達が1863年から1900年にかけて編纂 した,今日入手し得る最大にして最も充実 した全集である。

今日入手し得ると言ったのは実は言葉の 綾に過ぎない。百年前の出版,しかも,個 人が架蔵するというより図書館向きである から,今日売りに出る可能性は絶望的とい っていい。30年以上前に復刻版が作られた 時,1冊42ドル(136マルク)セット価格

1,715ドル(4,900マルク)というおよそ非

常識な値札がぶら下がった。数年前韓国で 複製が出たが純然たる海賊版ゆえ言及を差 し控える。もし百年前のオリジナルの全集 がひょっこり市場に出ることがあれば,

200万円以上の高値を呼ぶこと疑いない。

日本だとその倍は行くかも知れない。

あだしごとはさておき,17世紀に出た2 つの「全集」は,以下の理由で実質的な全 集とは言えない。

先ず,フランス語による著作を含まない。

カルヴァンがフランス語のみで著した著作

「カルヴァン全集」今昔

井 上 政 己

(2)

にしてからが,本人以外の何者かによるラ テン語を収める。ジューネーブ教会で用い た式文までがラテン語訳である。これは,

ラテン語が

lingua franca

であった当時を 反映しているのだが,それはそれで貴重な 資料となる。一読後すかさず「ツヴィング リやエコランパディウスがこのカルヴァン のように論じることができたならば,長く 不幸な論争はなかったろうに」と嘆息した ルターが手にしたのはラテン語訳『聖餐論』

であったし,ケムニッツがカルヴァンの著 作中唯一賞賛した『占星術に対する警告』

もラテン語訳なら,ブリンガーやブーツァ が読んだのも『再洗礼派反駁』のラテン語 訳であった。しかし,厳密な意味において 全集とうたうためには,カルヴァン自身の 鵞ペンになるフランス語を収めていなくて はなるまい。

第二に,説教を含まない。例外は,ヨブ 記と第一サムエル記のラテン語訳である。

第一サムエル記の説教原稿は散逸してしま い,ただラテン語訳のみが残っている。カ ルヴァンの晩年から死後にかけて,二十余 の説教集が出版されている。それらに印刷 された説教の総数は780にのぼる。これら フランス語の説教をラテン語に翻訳すると すれば厖大な労力を要したことであろう。

全集に収めること敬遠したゆえんである。

ヨブ記と第一サムエル記の説教に関して は,1604年にすでにラテン語訳がなされて いる。

第三の不備は,書簡集である。ジュネー ブ版全集,アムステルダム版全集ともにベ ザの書簡集を底本とする。しかし,この不 備は大目に見なくてはならない。フランス

語の著作やフランス語の説教の存在を重々 承知で黙殺するのは,看板にいつわりあり と責められてもしょうがあるまいが,書簡 に関しては事情が異なる。のちになってカ ルヴァンの書簡がさらに多く発見されたか らで,故意の闕漏ではない。

幾多の病に蝕まれた肉のからだを脱ぎ捨 てる日が近づいたある日,カルヴァンはベ ザを枕辺に呼んだ。「あそこに」と痩せさ らばえた腕を挙げ震える指で指し示し「手 紙の束がある。種々勘考の上,些少なりと も教会を益することあらば,これを出版し 後世に伝えよ」と託した。カルヴァン亡き 後ジュネーブ教会およびアカデミーの重責 を双肩に担うこととなった後継者ベザは,

遺志完遂のために

Charles de Jonvillers

の 献身的尽力を必要とした。最晩年のカルヴ ァンに仕えた秘書で,多忙を極める中にあ っても手紙は自筆でなければ失礼に当たる と頑なに言い張るカルヴァンを説き伏せて 口述筆記に踏み切らせた人物である。(私 信をワープロで打つ当節の世相をカルヴァ ンはなんと言うであろうか)彼が,ベザの 全幅の委託を受けて,カルヴァンが残した 手紙の束を整理した。のみならず,手紙の 受取人を訪ねてはカルヴァンの手紙をねだ った。それが叶わぬとあらば,筆写してジ ュネーブに持ち帰った。こうして,20年の 歳月をかけて収集・整理した書簡をベザが 監修したのが,Ioannis Calvini Epistolae et

Responsa (1575)

である。この書簡集は総 数399通の手紙を収める。内訳は,カルヴ ァンが書いた手紙299通(内27通はフラン ス語で書かれたもののラテン語訳),カル ヴァン宛の手紙88通,その他12通。しかし キリストと世界 第7号(1997年)

(3)

た。交通手段が著しく不整備で,それすら 度重なる戦火で遮られる当時に,これだけ 蒐集しただけでもヘラクレス的と言うに充 分値する。(因みにアムステルダム版全集 は417通を収録する。)

19世紀に入ると,Bonnet

Herminjard

その他によるカルヴァン関係書簡の発掘が 相次いだ。ボネの書簡集は英訳4巻の底本 をなすもので,683通のカルヴァン書簡を 輯める。エルマンジャール9巻は,フラン ス語圏宗教改革に関わる書簡をことごとく 収録せんとする茫洋たるプロジェクトで,

半世紀に及ぶ偉業は惜しくも編者の急逝に よって中断された。だからこの書簡集は

1544年で唐突に終わっている。従ってカル

ヴァンに関する限り,自身の書簡198通,

カルヴァン宛181通を数えるのみだが,丹 念な時代考証と堅固な校合と詳細かつ正確 な註のゆえに貴重である。また,ボネ,エ ルマンジャールとも,フランス語の書簡を フランス語のまま編纂している点が注目さ れる。いずれにせよ,こうした探訪と研究 の成果が次ぎの「全集」を豊かに潤すこと となる。

CO

の書簡集は59巻のうち11巻を占める 厖大なものである。総数4,271通,カルヴ ァンの筆になるもの1,197通,カルヴァン 宛1,571通,文中カルヴァンへの言及を含 むもの1,503通。今でもたまに新発見があ るにはあるが,これで現存するカルヴァン 関係書簡をほぼ網羅しているとみていい。

(余談ながら,カルヴァン自身がしたため た手紙の半数に相当する600余通は,英語 はおろかどの言語にも翻訳されていない。

Douglas Kelly

がその600余通の英訳を出版 すると言っていたのが20年も昔である。立 ち消えに至ったと判断せざるをえない。)

ジュネーブ版,アムステルダム版と異な り,COは,フランス語の著作を積極的に 収める。フランス語で書き下ろされたもの は言うに及ばず,カルヴァン自らフランス 語に翻訳したことが確証されるものはラテ ン語とともにこれをも収める。かくして

『綱要』,『聖書註解』のフランス語版がは じめて全集に組み入れられた。ただし,よ しフランス語の書き下ろしであれ,フラン ス語を解さぬカルヴァンの同時代人が読ん だラテン語訳テクストを併禄しなかった編 集方針はいただけない。

ストラスブールで編まれた全集にふさわ しくフランス語を重視する傾向は当然カル ヴァンの説教にも及ぶ。先程16世紀に印刷 された説教が780あったと述べた。COはこ のうちの750に加えて,アムステルダム版 全集から第一サムエル記の説教(ラテン語 訳のみ現存)107を収録する。しかし逆に 言えば,これだけしか収録しなかったとこ ろに,史上最大にして最も充実しているこ の「全集」が,なおかつ真の意味での全集 たりえないゆえんが存するのである。

1536年9月1日以来カルヴァンは年平均

100以上の説教をした。メモなし原稿なし

である。やがて速記者を動員してこれを書 き取ることが行われるようになった。カル ヴァンの死後2,300を越える説教の速記原 稿がジュネーブ市の蔵に保管されていたら しい。らしいというのはその後散逸の憂き 目にあったからである。1805年にジュネー

(4)

ブ図書館が反古同然に屑屋に売り払うとい う事件もあった。あれやこれやで,16世紀 に印刷されたものを含めて1,460の説教が 私たちの手元に残っている。680は手書き 原稿のままである。つまりこの「全集」は 約半数の説教を割愛したことになる。

編者たちは説教原稿の存在を知ってい た。のみならず,これらを編纂することが 当初の方針であったことが第1巻目の序文 にうかがえる。しかるに彼らは途中でその 方針を変更した。カルヴァンの説教が伝え られずとも後世にとって大きな損失ではあ るまいと判断するに至った,と言い出すの である。カルヴァンの説教がどのようなも のであったかを知るにはここに収めた数で 充分であろう,カルヴァンの聖書解釈を知 るには註解書があれば説教は不要であろ う,と。しかしこのもっともらしい言い草 はその実巧妙な言い逃れに過ぎない。

この編者たちの

paleography(古文書学)

はかなりあやしい代物らしく,16世紀に印 刷されたテクストを写すのでさえかなりの 誤写があると指摘されている。ましてや,

当時の手書き原稿の解読・筆写は,このス トラスブール三羽烏のとうていおよびうる 仕事ではなかったであろうこと推測に難く ない。

はからずもここにおいて

CO

の限界と特 徴を言い当てることができる。質を捨てて 量を追うことが彼らの編集方針の本音なの であった。収録数は圧巻なれどテクストの 信頼性は乏しい。そもそも編者たちは諸本 を対校し異本を校合して信頼できる校異本 を編纂するつもりとて毛頭ない。ラテン語 の著作に関してはアムステルダム版全集の

テクストを踏襲したに過ぎない。フランス 語の著作も16世紀に印刷されたテクストに 依っている。説教に至っては上に見た如し である。つまり,COの編者たちの至上使 命は,もはや稀覯書に属するこれまでに印 刷された著作を一同に集結し全集という統 一規格の下に再版することであったとしか 思えない。

テクストの異同やカルヴァン自身の改 訂・増補の跡を辿る

apparatus criticus

を 完備した校訂本なくしては,真のカルヴァ ン研究は成り立ち得ない。翻訳もまたよく なされ得ない。『綱要』と若干の小品に関 しては,Calvini Opera Selecta

(1926-52)

が そ の 欠 け を 補 っ て く れ た 。 さ ら に は ,

World Presbyterian Alliance

がカルヴァン 説教集編纂委員会を設け,広く世界の学者 の協力を要請して

Supplementa Calviniana

を刊行中である。ただし早30年,作業は 遅々として進まない。

進行中の新版「カルヴァン全集」をご紹 介して稿を閉じる。

International Congress on Calvin Research

が母体となり,世界各 国の学者が手分け・分担して編纂にあたっ ている。編集方針は,先ず,原則として初 版を底本としそれ以降の版との異同を明ら かにする。例外は『綱要』と聖書註解で,

この場合,最終版を底本としてそれ以前 の版との異同を記す。こうした

textual- critical apparatus

の他に,文体,言語,歴 史的背景,人物,事件に関する註を施す。

直接的引用は可能な限りその出典を突き止 める。間接的引用の出典は重要と判断され る場合に限り挙げる。カルヴァンの他の著 作との並行箇所・類似箇所を指摘する。さ キリストと世界 第7号(1997年)

(5)

備えるという徹底ぶりである。1992年に

『ガラテヤ,ピリピ,エペソ,コロサイ書 註解』が,2年後に『第二コリント書註解』

が,さらに2年後に『ヘブル書註解』が出

予定である。完結の暁には,初の完全にし て信頼しうる「カルヴァン全集」となるわ けだが,いやはや半世紀やそこらで完結す るや否や全くもっておぼつかない。

参照

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