ディスカッション(シンポジウム アジアのなかの教 科書裁判)
著者 佐藤 伸雄, 林 哲, 殷 燕軍, 永原 慶二, 山村 睦 夫
雑誌名 東西南北
巻 1998
ページ 82‑89
発行年 1998‑03‑20
URL http://id.nii.ac.jp/1073/00003684/
司会問題提起をされた先生方ありがとうご
ざいました.皆様方からのご質問やご意見を
承りながら問題を考えていきたいと思います
が︑最初に︑問題提起をしていただきました
先生方から︑補足のご発言がありましたらお
願いしたいと思います.
佐藤永原先生が最後に︑日本人がとかく日
本中心の歴史認識を持つ︑それを是正してい
くためには︑日本の歴史の相対化というもの
が必要であろうということを申されましたけ
れども︑これは教科書裁判の運動を通して私
自身も感じていたことであります︒
実は家永先生の教科書自身︑これが絶対的
にいいものだというような言い方はできない
だろうと思います︒そして特に家永先生の裁 佐藤伸雄永原慶二 ◎シンポジウム・アジアのなかの教科書裁判ディスカッション
歴史脅富曾副委員長林哲津田塾大学助教授
肩大学名誉教授山村睦夫経済学部教授/司会
判が起こった後で︑在日朝鮮人の学者の方か
ら︑家永教科書にはこういう欠点があると指
摘されました︒その後︑実はいろいろな形で
日本人の研究者にも大きな刺激がありまして︑
私の書いたものも在日朝鮮人の方々から大変
厳しい批判を受けまして︑いまだに納得でき
ないものもあるし︑なるほど︑あそこは当た
っていたなというものもありました︒しかし︑
そういう切瑳琢磨の場がお互いの歴史観を正
しいものにしていくだろうと思います︒
また︑日中という場合もそうですし︑先ほ
ど段先生から大変厳しいご指摘がございまし
たけれども︑例えば南京事件の犠牲者の数は
一体どうなのかということが一つの問題なん
ですね︒例えば南京事件の記念館がございま
段燕軍
すが︑そこに犠牲者の数を三○万人と書いて
あります︒三○万人という数字が意味するも
のは一体どんなものなのか︒藤岡信勝氏など
は南京のごく狭い意味でのまちの中にはそん
なにいなかったから︑そんなに死ぬはずはな
いと︑こういうような議論をするけれども︑
しかし︑南京市という市の中にどのくらいの
人がいて︑どういうふうなことだったのかと
いうことを︑現在の中国の研究の側ではどれ
だけ確認をされているのか︒また実は南京攻
略戦と言う場合に︑戦闘は上海から始まって
いるわけです︒上海から南京に攻め込んでい
くときに︑随分めちゃくちゃなことを日本軍
がやっているわけで︑それらの犠牲者は一体
どうなっているのかといったようなことを︑ 一橋大学客員研究員
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これはきちんと突き合わせて考えていかなけ
ればならない︒
具体的に日本で日本人の加害認識の問題に
ついて広く言われるようになったのは八○年
代だと言いました︒これは明らかにおそいわ
けです︒四五年に戦争が終わっているわけで
すから︒しかしながらそれは同時に韓国の民
主化や民主運動の成果︑日中国交正常化とい
うことを通して交流ができるようになった中
で行なわれてきたという側面も大事にしてい
かなければならない︒そういう面で考えてい
かなければならないのではないかと思います︒
林きょうのお話の筋合いからしますと︑一
つは社会主義崩壊の問題がありまして︑今︑
佐藤さんが八○年代の重要性ということをお
っしゃられたわけですが︑実はそのようなこ
とはアジアで随分前からあったと考えている
わけです︒民族の問題も︑日本でも随分早い
時期にアジアの民族主義とかナショナリズム
については議論になっていたはずで︑それは
単に概念の問題としてよりは︑まさに社会的
課題といいますか︑それを集団的に解決して
いく方向として︑思想なりあるいは歴史認識
なりもあると考えますと︑日本では最近もイ ンテリの一部にあるポストモダンの風潮ともあいまって︑大きな思想はもうだめになったので︑何か身近にある︑自分たちがそれまで気づかなかったものを通して考えるという風潮も若干出てきているのではないか︒しかしそれだけでは足元をすくわれるのではないかと思います︒日本自身が抱えている課題︑日本として解決しなければいけない課題については︑先ほど永原先生のお話にもありましたけれども︑今まで相当密度の濃い歴史研究や社会科学研究の成果をアジアの多くの民族を対象として生み出してきているわけです︒それが研究のための研究とか︑学問のための学問という形には︑まさかなってはいないでしょうねと感じます︒
したがって︑問題は歴史事実を確認する意
味においても︑それは何のためか︒というこ
とが人間の生き方としては当然問題となるわ
けで︑単にオタク的関心といいますか︑そう
いう興味で重箱の隅をつつくような方向であ
っていいんだろうか︒私は長い間日本の教育
を受けながら︑何か日本の教育と同化しきれ
ないといいますか︑根本的にずれていると感
じているのはそれなんです︒多くの友人たち はそれを民族主義的偏向とか︑あるいは民族的主張が強いというふうに考えがちですけれども︑霞かれた条件︑客観的現実︑それが違えば当然動きのベクトルの方向は違うわけです︒ただ最終的な方向といいますか︑世界諸民族の平和的連帯とか相互理解を深める方向においてずれているわけでなくて︑戦争を起こしたという意味での民族排外主義的な傾向がナンセンスであるということさえ深く掘り下げられていけば展望はあると考えたい︒私は︑先ほど対立とか論理的な対話というご指摘がありましたけれども︑もっとぶつかってみる︑最終的な目標の共有性さえ確認していれば︑そういうことが必要なのではないかと思います︒
最近の日本で︑自由主義史観の人たちがは
たしてどのぐらい根の深いものであるのかに
ついては︑評価は非常に難しいですし︑私た
ちの周辺でも必ずしも評価が定まっている感
じではありません︒ただ︑あまりにばかにし
ていてもいけないし︑かといって︑このあま
りにもとんちんかんな問題提起の仕方に本気
になるよりは︑むしろ歴史認識のあり方が︑
私たちが抱えている課題を解決するために︑
− −
どういう方向で克服されなければいけないか
をより深く考えるべきではないかと思います︒
深く考えていく作業自体が対話をより深め
るわけですし︑相互理解を深めることになる
のではないか.たとえば韓国と仲良くなりた
いといっても︑韓国の政権は繰り返し官製の
民族主義で︑新しい韓日関係とか︑新しい未
来とかを言っているわけですが︑そういう官
製の方向に人びとの意識が流されていくより
は︑何の制約もない対話だとか討論だとか︑
人間同士の議論を通じて認識を鍛え上げてい
くことが迂遠なように見えても本質的ではな
いかと︑申し上げたいと思います︒
司会股先生︑お願いいたします︒
殿先ほど佐藤先生からのお話があるので︑
これだけは話をしておきたいんですが︑数の
問題︑範囲の問題ということですけれども︑
私はそういう専門の者ではございませんが︑
私の知っている限りでは︑極東裁判は二○万︑
三○万の数︑そして南京裁判では三四万の数
を挙げています︒今ほとんどそういう国際裁
判で決められた数字を挙げているというのが
現状です.当時既にあった数字です︒また︑
範囲の問題ですけれども︑私個人の理解とし ては郊外も含むという話です︒ただ︑いろいろな説があって︑今おっしゃったような上海から南京まで四○○キロ近くあって至るところで虐殺された︒その数はどうなるのか︒今のところ私はまだ十分わかりません.参会者︵和光大学生︶僕は自由主義史観を考える会という会をつくって︑自由主義史観に対して︑いろいろ藤岡信勝氏が書いている本とか︑﹃近現代史の授業改革﹄とかを批判的に読んでいるので︑どういうことを言っているかはある程度わかっているつもりですけれども︑最近︑授業とかに出ていても︑自由主義史観の思想にかぶれている人とかいますし︑うちの学校の教授でも︑新しい歴史教科書をつくる会に賛同している人がいらっしゃるんですね︒日本の社会としても︑本当は自由主義史観の台頭というのは結構危ないんじゃないかと思うんです.でもまわりの学生とか見るとあまりそういうことは知らずにいます︒広く一般に自由主義史観の台頭をどうお考えですか︒永原自由主義史観というのが現象的には世に迎えられているようで︑本屋さんに行くと
平積みになっているとか︑あるいは教育の現 場にいらっしゃる先生方の中にも︑あの研究会に集まって生き生きと討論をやっているという話がありますが︑なぜそういうものが︑これは括弧つきかもしれませんけれども︑今日﹁世に迎えられる﹂のか︒それにはいろいろな面から考える必要があると思うのです︒
家永教科書に象徴されるようなと言っても
いいかもしれませんし︑歴史家は無力であっ
たかもしれないけれども︑戦争が終わったと
きから戦争責任問題について非常に厳しく論
じてきたし︑闘ってもきたわけです︒でもそ
ういう歴史家の問題の出し方︑あるいは研究
や主張の仕方が︑一般の国民にしっくり行か
ない面がある︒本当に日本だけが悪かったの
かという形での非難は︑そもそも問題のたて
方自体がおかしいわけですけれども︑国民は
そういうふうに受けとめやすい形になってい
たのですから︑それに対して説得力のある答
えを歴史研究が出してなかった︑あるいは歴
史教科書が出していないという問題がやはり
あると思うのです︒ですから︑自虐史観的批
判が出てくる根拠というものを広く考えてみ
ることが︑一つの問題点だろうと思います︒
同時に︑あの人たちの言っていることは︑
−
学問的にはあいまいで本当に雑な内容だろう
と思うんです︒時間がないから言いませんけ
れども︑今大事だと思っているのは︑藤岡グ
ループがあんなに活動ができる今日の言論社
会の構造みたいなものを︑もう少しメカニッ
クな意味で追求してみることの必要です︒自
民党に﹁明るい日本国会議員連盟﹂とか︑新
進党に﹁正しい歴史を伝える国会議員連盟﹂
とかいうのがあって︑これが露骨に大臣たち
の妄言の源泉地になっています︒藤岡氏みた
いな人が出てくると大歓迎︑どんどん金の援
助をしようと言っているのです︒
藤岡氏の発言が学問的には何ら新しいもの
を持っていないし︑わりと簡単に歴史歪曲的
だと言えることがたくさんあります︒例えば
藤岡氏は二年ぐらい前までは︑自分は太平洋
戦争肯定史観ではないと言っていたのに︑今
年の正月ぐらいには︑はっきり太平洋戦争肯
定史観に変わっているんですね︒とても無責
任なわけです︒世間に向かって言う言葉とし
て︑学者がやれることではないような豹変を
どんどんする︒それはそういうものをけしか
ける勢力があって︑藤岡氏を太平洋戦争肯定
史観の方向に引っ張っていく︑そう言わせる ようなメカニズムといいますか︑勢力といいますか︑そういうものがあるはずです︒
それは恐らく出版資本の問題とか︑政治家
の資金の問題などを含めて︑今日の日本社会
にそういう言論が出てくる構造というものは
追いかけてみないとわからないと思います︒
ただ単純に現在の歴史学の考え方があまりに
自虐的で暗黒史観で︑亡国の歴史観だから︑
ああいう反論が勢いを得てきたという︑そん
な簡単には受け取れない︒一体どういう基盤
において︑どういうパイプを通してあんな形
で勢いを得たかを解きあかしていくことが必
要だろうと思うんです︒藤岡氏批判というも
のは︑彼の言っていることの内容自体の学問
的批判と同時に︑そういうものを生み出した
り支えているメカニズムについて考えてみる
ことがさしずめ必要なことでしょう
佐藤藤岡氏がどういうところからああいう
形の発言をしだしたのかということですが︑
実は彼は湾岸戦争で一国平和主義ではだめだ
ったと︑そこで変わったんだと言っているけ
れども︑これは実はうそです︒湾岸戦争より
も前に︑ソ連の崩壊で転向した人間なんです︒
ある人間がどのようなイデオロギーをお持ち で︑どのような党派に属し︑またその立場を変えるということは︑市民社会においては自由であります︒しかしながら︑学者がかって自分がやっていたことが恥ずかしくなって︑省みて他を言うという形の非難が始まったわけです︒ですから︑マルクス主義者でもない人に︑これはコミンテルン史観だなんて言いだしたりする︒
同時にもう一つ︑彼が教育学者であるとい
うことの問題があります︒実は歴史教育とか
地理教育とかいうような教育のことで言うと︑
﹁何をどう教えるか﹂というのが問題になり
ますね︒ところが歴史学者であれば︑﹁何を﹂
のほうに重点を闇いた形でものを考えますし︑
教育学者であれば︑﹁どう﹂のほうに重点を
置いた形で考えることになります︒これは大
変厳しい問題でありまして︑どちらもこだわ
りすぎると始末が悪いんです︒とんでもない
難しいことを子どもに教えようとしたり︑教
えやすいからというので︑歴史のつまみ食い
をしてみたりということにもなりがちなんで
すが︑彼は教育学者であって︑授業の批判と
いうようなところから始まってきている︒そ
ういうような要素があるということも考えて
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おく必要があると思います︒
それから︑例えば自由主義史観研究会をつ
くって︑教科書から従軍慰安婦問題を削除し
ろと言いましたね︒あれを言いだしたのは去
年︵一九九六年︶の九月からなんです︒実は
従軍慰安婦の問題が書かれた教科書が検定を
通ったという発表はその年の六月の末であり
まして︑六月二八日の﹃産経新聞﹄に彼は大
変な自虐教科書が出てきたと言って︑検定に
通った教科書の悪口を書いているんですが︑
そこには一言も従軍慰安婦の問題が出てこな
い︒その後だれかが彼に告げ口して煽り立て
たんですね︒その秋から急にわっとその問題
を言いだすようになって︑さらに地方議会で
いろいろな決議をさせたりする動きが出てき
た︒そして︑中曾根元首相が文部大臣に会わ
せるとか︑自民党に行って講演するとかとい
うようなことが始まっていて︑この段階から
急激にまた悪くなっている︒とにかく彼の中
でも短い間に幾つか変化があるんです︒
それから︑これはあまり言いたくないこと
なんだけれども︑やはり東大教授というよう
な肩書が大変ことを大きくしてしまっている
という︑そういう社会的風潮の問題がありま す︒私は︑歴史学の世界だったら︑東大教授だろうが︑京大教授だろうが︑変なことを言っても大きな影響を及ぼすとは思わないんですけれども︑ある学問の分野においては相当それが大きな影響を与えるという側面があるような気もしております︒司会ありがとうございました︒林先生か股先生︑関連してお話がございますか︒林今指摘されたことに私も全く同感なんですが︑今の若い方が自由主義史観に多少なりとも関心を持つような形で指摘するのは︑アジア人が日本をよく批判することがあるからだと思います︒反日的な言動があると︑私たちも大学の中でそういうことを言われるケースがあって︑これはとても困る問題だし︑注意しなければいけない問題ではありますが︑日本では議論するというのはあまり得意ではないようですが︑客観的事実はどういうことなのかという問題は︑お互いに徹底的にこだわっていいと思うんです︒
従軍慰安婦の問題にしても︑これは概念そ
のもので考えると非常に複雑ですし︑そう簡
単ではない問題ですし︑一部の政治家が言う
ように公娼制の問題とか何とかという形で︑ 問題の本質をそらす発言があるようですけれども︑従軍慰安婦にされた人の証言︑それから例えば日本軍の関係者でつくっている資料︑これを読んでごらんになれば︑それはもう真実に迫る深さが違う問題があるだろうと思います︒したがって︑どんな方であっても︑それがなかったとか︑あったとか︑それはうそだというのを︑徹底的に議論してみればいいわけであります︒
今の若い学生の方が言ったことはとても大
事で︑実は七○年代に韓国民主化闘争にとて
も深い理解を示した方々が︑今︑アジア女性
のための国民基金でやっていることは︑今ま
での認識を引っ繰り返して︑とにかく慰安婦
の方に︑あなた方は大変なんだからまずお金
を受け取ったらどうかという話をしているん
です︒これをアジア女性は本質的にかんかん
に怒っているわけです︒私はここに日本の知
識人の傲慢さのようなものを感じざるを得ま
せん︑まさに脱亜入欧以来︑全く精神的に変
わっていない.どこかでアジアがおくれてい
るという判断に立っているのではないかとい
うことです︒
私は自由主義史観の人たちは論外だと思い
一 一 8 6
ますが︑アジアの友だったという日本の代表
的なインテリたちの無残な姿に関しては︑明
治以来の日本の知識人の問題として︑あるい
は日本の社会のあり方の問題として考えてい
くべき問題だと思っています︒例えば韓国の
慰安婦であった方々だってお金の必要な方も
います︒しかし彼女たちが言っていることは︑
根本的には︑自分たちが何でこういう目に遇
ったのかわからないということに対する異議
申し立てなんです︒
殿今の自由主義史観のやり方は︑中国語で
言えば︑木だけ見て森は全然見ない︒基本的
に本質は何か︒例えばある兵隊が何かで人を
助けたということになると︑もうその戦争は
侵略ではないという︒東南アジアの民族解放
だという表現もそうですが︑その本質は何な
んでしょうか.小さい一つのことを取り出し
て︑だから日本は正しいというならば︑その
戦争の本質が何かは全然見なくなってしまう︒
司会どうもありがとうございました︒あと
お一人かお二人ぐらい︑いかがですか︒
参会者私は大正の末に生まれまして︑教育
勅語以来の明治の日本の教育体制にどっぷり
つかりまして︑小学校に入学したときが満州 事変ですから︑本当にまつさらな心に皇国史観を刷り込まれました︒私の父は中学校の教員でしたから︑天照大神が好きで︑国史ということに絶大な信頼を置いていまして︑そういう家庭で全然疑問もなく︑ずっと青春時代をお国のために天皇のためにということで育ちました︒どうしてそんな気持ちになったか︑今思うと本当に不思議なんですね︒それはやはり生まれたときから刷り込まれたパターンがずっと残っていたからだと思うんです︒
ですから教育の力ということのおそろしさ
を本当に身をもって感じているわけです︒私
も小学生や中学生を教えたりしていまして︑
子どもたちが教育によって変えられていく︑
真っ白な頭に刷り込まれていく恐ろしさとい
うことを︑つくづく今感じているわけです︒
七︑八年前ですけれども︑中国へ行きました
ときに︑何でもない普通のおばあさん︑日本
人は中国で随分悪いことをしたから︑私たち
日本人を見るとしゃくにさわるとか︑いやだ
とか思うんじゃないですかと聞いたんです︒
通訳の方に言ってもらったんですけれども︑
そうしたら︑いやそんなことはないんだと︒
戦争は上のほうの人たちがやったことで︑あ なたたちには何の責任もないんですよと言われたのでびっくりしたんです︒日本人がもしアメリカ人に原爆を落としてごめんなさいねと言われたときに︑あれは上の人がやったので︑あなたには何の関係もないとすらっと言えるかどうか.
殿先生にお聞きしたいんですけれども︑中
国のごく普通の庶民の方がそういうふうに言
えるというような教育を受けているというこ
とでしょうか︒日本の国民性として片づけて
いい問題かどうか︒
段確かに教育はしていました︒なかでも七
二年の国交正常化はとても大変すばらしいこ
とでした︒本当は日の丸を見るだけでも大変
だったんです︒戦後二十何年たっても︑徹底
的な教育をしないと日の丸の旗を見るだけで
も大変なことなんです︒本当にそういう教育
を周恩来が当時いろいろやったということ︑
もちろん周恩来ばかりではなくて共産党政権
がやったことは事実です︒
ただ︑一方で本当は控えているんです︒本
当はいろいろな論評があるんです︒﹃人民日
報﹄はその中で一般的なもので︑厳しい方で
はない︒その﹃人民日報﹄は︑このような自
8 ー
由主義史観を持っているのは日本人の大半で
はないと言いながら︑しかし警戒しなければ
ならないと︑そういうような言い方をしてい
ます︒全体的に中日の友好関係を維持したい
ということは本音で︑歴史問題は先ほども申
し上げたように︑今でもずっと控えているん
です︒例えば補償問題とか︑いろいろな歴史
問題を先に出したのは中国側ではなくて︑む
しろ日本の方でいろいろな問題を起こして︑
それで反発しなければならないというのが今
までの状況でした︒
参会者私は青年心理学という授業を持って
おりまして︑その中で教材の一つとして︑総
務庁が日本を含めて二カ国の青年にアンケ
ートをやった比較研究があるんです︒それを
みると︑日本の青年はいろいろな質問に対し
て一般的に自信がないんですね︒例えば自分
の国について誇れるものの数が少ないし︑そ
れから︑自分の国の人間のイメージというと︑
日本人が勤勉というのは全世界に認められて
いるんですけれども︑平和愛好には丸をつけ
ないし︑見栄っ張りであるというところには
たくさん丸をつける︒そうでなくても日本人
は控えめで自信がない︑子どもたちは元気が ないということが気になるものですから︑別に自虐史観の味方をするわけではありませんが︑本当のことを知らせるのが生きる力になるような歴史でなければならないと思います︒事実を隠すのは自信をつけさせることにはならないと思います︒今の教科書裁判のことで︑七三一部隊とか南京の事件ということで︑自分たちの父親とか祖父に当たる人たちがそういうことをしたと知らせるだけでは︑私は歴史を知ったことが力にならないと思うんです︒その辺をどういうふうにしたらいいか︒我々もそうですけれども︑大体日本の知識人というのは知るほどに力がなくなります︒そういうことで︑歴史教育の立場から︑知ることが力になるような歴史教育のあり方について簡単にお話を伺いたいと思います︒佐藤確かに歴史の授業をしていながら︑こんなことがあった︑こんなことがあったと言って︑短い時間の中で戦争の実態というものを語っていくと︑これはまさに暗くなってくるんですね︒例えば生徒から反発を受けて︑もう聞きたくないというような言葉が出てくることだってなきにしもあらずなんです︒そ
れを藤岡氏などはうまく利用しているという ことが言えます︒例えばよく藤岡氏や自民党がよく言う︑あれはアジアの解放の戦争だったという議論︑要するに日本が戦争したおかげで東南アジアの国々は独立したではないかと︑いう議論があります︒
それははたして本当なのかどうなのかとい
うことを考えるときに︑一連の戦争の中で︑
中国における戦争と︑東南アジアにおける戦
争とでは︑やや性格が違ってくる︒中国の場
合だったら︑これは一方的な侵略であり一方
的な抵抗だったということが言えるんだけれ
ども︑東南アジアの場合は植民地の争奪戦と
いう意味を持ってきている︒だけれども︑植
民地を持っていた側の連合国はどうであった
のかというと︑そのときアメリカとイギリス
の代表が︑我々は領土の拡大を求めているの
ではないのだ︑ファシズムに対する戦争をす
るのだという憲章を出し︑それが連合国側を
結集させるという形になっている︒ですから︑
アメリカ自身も帝国主義国であり︑植民地か
ら略奪していた国ではあるけれども︑そこの
ところで自分たちのことに一定の歯止めをか
けたことがあるわけでありまして︑そこを押
さえてないと︑おまえたちもやったじゃない
− 肥
かというような形の議論になってしまう︒
同時に︑戦争というのは勝っても負けても
必ずものすごい犠牲を受けるわけです︒にも
かかわらず国民を動員していくというのには︒
どんな理由があるのか︒一つには︑何と言っ
たって強い軍隊があって︑その軍隊のもとで
戦争をするという形の政治体制︑また︑戦争
をすることによってもうかる体制を日清戦争
以来︑日本は作ってきてしまったわけです︒
さらに︑どんなに犠牲を払っても戦争をする
ことが正しいんだと思うような形の教育のあ
り方︑こういったものを近代史の擬業では取
り上げなければならないと思います︒
戦争を扱う場合に︑国民はどういう形でそ
の戦争に巻き込まれていったのか︑そしてど
ういう損害を受け︑あるいは抵抗したのか︑
こういったようなことを少し細かく見ていく
必要があるのではないかという気がいたしま
す︒実はこのことは︑藩陽でシンポジウムを
開いたとき中国の先生方に言われました︒戦
争に関して︑我々は日本人を大きく四つに分
けて考えている︒一つは戦争に反対した人︑
抵抗した人︒二つ目に戦争に巻き込まれて中
国あるいは植民地へやってきたけれど︑中国 の人たちに同情を持ち︑お互いのためにやっていこうと努力した人︒それは結果においては侵略者の一人であったかもしれないけれども︒それから何も知らずにとにかく攻め込んできた者︒最後には攻め込ませた者.そのように分けて考えているんだと言われたときに大変教えられました︒
日本人の中にもいろいろな形の人間がいた
わけでありまして︑多くの場合はやみくもに
とにかくお上の言うことを信じてやってしま
った︒けれども︑その中で自分たち自身が一
体どんな犠牲を払わざるを得なかったのか︑
というようなところにまで目を向けていく人︑
あるいは抵抗の気持ちを持っていた人もいた︒
また行動をとった人もいたのです︒どういっ
た人たちがいるのか︑こんなことを考えてい
くことが必要ではないとか思っております︒
被害者と加害者の問題というのは︑普通︑
足を踏んだ人間は痛くもかゆくもないんだけ
れども︑踏まれた人間は痛いんですね︒踏ま
れた人間︑被害を受けた人間は︑なかなか忘
れられるものじゃないんです︒これは日本と
韓国・朝鮮︑あるいは日本と中国の問題だけ
ではなくて︑日本の国内だってあります︒例 えば戊辰戦争のときにひどい目に遇った会津の人は︑いまだに長州の萩を許していませんね︒これは笑い話ではなくて実際に被害を受けた立場に立つということ︑少なくとも教師であるならば︑教師が言った一言がどれだけ子どもたちを傷つけることがあるか︑隣人の場合でも同様です︒そういうことに気がつかないような人間が教育学者として勝手なことを言っていることに対して私は大変怒っているのであります︒
最後に︑自由主義史観という言い方は︑い
かに多くの自由主義者をばかにした言葉であ
るか︒あれは自由主義ではないです︒ファシ
ズムですよ︒そういうこともきちんと踏まえ
ておきたいと思っております︒
司会どうもありがとうございました︒今回
は︑教科書訴訟で問題になった論点を︑深め
ることがいかに重要なのか︑そしてそれを深
めることを通じてアジアとの新しい関係をつ
くることの可能性も幾つか示唆されたように
思います︒私どももこれを契機として︑さら
に問題を考えていく機会をつくってゆきたい
と思っております︒本日は本当にどうもあり
がとうございました︒
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