「巻頭言「
教育論議 における「 悲観主義 」 と「 楽観主義」
西 棟 司
周知の とお り,教育改革論議が現在盛 んである。学校教育 と深 くかかわる青少年 をめ ぐ る深刻 な問題や事件が後 を絶たず, さらにわが国の政治 ・経済状況がたいへ ん困難 な現状 にあるだけに,教育改革論議が多方面で しか も熱烈 に展 開されること自体 は,大いに喜ぶ べ きことか もしれない。 しか し筆者は, これ らのわが国の教育改革論議の全般的傾向 とし て,「悲観主義
」
の特徴があるように思 われてならない。 もちろん,青少年の学校生活絡 みのい じめが 自殺 につなが っていた り,学校の教師が生徒の暴発的行為 によって殺傷 され るなどの事態 に対 して,「悲観主義」的論議が展開 され ざるを得 ない ことは,筆者 も理解 で きな くはない。それで も,筆者はわが国の教育論議が これまで も 「悲観主義」の色彩が概 して濃いよう に思われるのは,一種の 「教育 ‑神聖 なもの」とす る価値観や,一定の方策や修正 を施せ ば事態 を好転で きるとするような短兵急 な思考様式が暗黙裡 に受容 されて きたか らではな いか と考 える。換言すれば,教育事象 に関す る 「割 り切 り主義」が,われわれ 日本人の共 通 した思考や行動の様式 に染みついているように思われるのである。
近代学校制度が,社会全体の産業主義の台頭 と並行 して成立 ・発展 して きたこと, さら に今 日の情報化 ・国際化の進展 に象徴 される大規模 な社会変化の過程 に学校教育が うむを 言わせずがっち りと組み込 まれていることの
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点の要因を挙 げるだけで も,わが国の表向 きの 「悲観主義」
的教育論議 はその実質である 「割 り切 り主義」ゆえに有効性が きわめて 乏 しい と言 わ ざる をえないの で あ る。 ま してや,教 育経営事 象 は, 人 (man) ・物 (material)・金 (money)を基本要素 として,それ らを適切 に組み合わせて取 り運ぶ こと (‑経営,management)を意味す る現象であるか ら, もともと単純 な 「割 り切 り主義」の 思考では読み解けない社会現象 とみるべ きであると考 える。したがって筆者 は,今 日の教育改革論議 において,局所的現象に目を奪 われた り,暗黙 裡の 「割 り切 り主義」の見方 に陥ることな く, もっとゆった りとした眼で,冷静 に事態 を とらえようとする 「楽観主義
」
の思考 を推奨 したい。 もともと,教育問題 は簡単 に 「片づ け」 た り,「処理」 し得 る性質の問題ではない し, さらに教育担当者の主観 における熱心 さや誠実 さは被教育者 にとって時に 「押 しつけ」
や 「お節介」 にな り得 る可能性が高いか らである。肩の力 を抜いて, しか し心 を込めて じっ くりと, これか らの教育の方向を探 し 求めてはどうであろうか。に‑し ・じょうじ