論 説
はじめに
裁判員制度の実施に伴い、社会のさまざまな階層に法学教育を一般的に行う必要性が指摘されており (1)、全国的な専 門学会 (2)も作られている。
では、大学の法学部ではどのように法学教育を行うべきであろうか。これまで主に民法を法学部生に教えてきて、
大学における法学教育のあり方について、苦慮し危機意識をもつことが多かった。特に、法科大学院の設置によって、
法学部の位置付けが長らく問われているが、法学部における実際の教育のあり方にまで踏み込んで議論するものは少
ない (3)。従来の方式でも、法科大学院方式でもないやり方で、学生に学問として法学を学ぶことへの主体的な意欲をも
たせる教育方法はないであろうか。今回は、特に大学法学部において、学問を深める方法として何をすべきか、これ
まで模索しながら取り組んできた双方向型授業の概要と導入的な実践例を報告して、ご批判を仰ぎたい。
〈注〉
(1)この当時、ジュリスト一三五三号(二〇〇八年)と一四〇四号(二〇一〇年)で法学教育に関する特集が組まれている。
法 学 部教育における双方向型授業のあり方につい て
上村一則
法学部教育における双方向型授業のあり方について(上村)
(2)法と教育学会は、二〇〇九年に設立され、司法制度改革の理念を社会に浸透させるために、初等教育などでも法教育を行う
ことを目的としており、学会誌『法と教育』が定期的に発刊されている。
(3
)最近
で は
、 池田真朗
「連載 新世代法
学 部教育の実践
―今
、日本の法
学 教育に求められ
るもの」有斐閣
『書斎の窓』
二〇一六年一月号(No.643)以下は、法曹にならない多数派の法学部生に対する専門的法学教育のあり方を論じており、同様
の危機意識に基づく試みである。
一.問題意識
従来、法学部の専門科目教育では、法規範を一通り教えるのに時間が取られる場合が多かった。特に民法の場合、
生活に身近な問題であるとはいえ、専門用語が多用され、分量が多く知識も細かい。これに対して、ほとんどの学生
諸君は、社会経験が少なく、裁判で問題となるような契約などの実体験が伴わないので、抽象的な数式を学んでいる
ようなものである。実体験を伴わない抽象的思考が苦手な学生には、まったく理解不可能なものになる。また、意欲
ある学生であっても、手っ取り早く法律の中身を理解して資格試験などで使われる択一試験形式の問題に対応するこ
とはできても、そこから先を学ぶことに結び付きにくい。
教育に意欲をもつ教員である場合、わかりやすくある程度抽象化された具体的な典型事例をいくつも作って、それ
を学生と共に検討して解説するタイプのものが実践されている (4)。これだと、法規範の論理を駆使して典型事例に当て
はめる能力は身につく。型にはまることから学んでいくタイプの教育である。しかし、実際の具体的な事例に当ては
めて妥当と思われる結論に至るとは限らない。
論 説 逆に、法科大学院の教育では、基礎的な知識を急ぎ足で教える一方で、詳しい事案を渡され、主に裁判を行うこと (5)
を念頭に、その目的に従って、事実を整理して要件事実と言う形で分析していく技術の習得が求められる。要件事実
は誰が何を具体的に立証しなければならないかについて原則的な指針を得るために重要である。しかし、逆に法科大
学院で要件事実の手法に長けすぎた場合、それだけで事案を分析してしまい具体的な紛争の根幹にある固有の性質を
あまり考えない欠点も生じうる (6)。そもそも、学部学生は裁判実務の担い手になるとは限らず、この方法にある程度学
問的な示唆は受けることがあるとしても、そのような専門技術の知識まで必要かどうかについては疑問が残る。
抽象的な典型問題による教育と裁判実務的な要件事実による教育の中間にあるのが、判例を使った教育である。法
学部では、大講義室で法規範を習って、ゼミの少人数教育で判例を検討するのが定番であろう。『判例百選』などを
使用して、要約された事実関係を基に、一審から最高裁までどのように裁判所が判断したかについて順を追って検討
して、判例の意義づけや学説を検討することが行われている。従来から行なわれている非常に標準的な教育であると
言えよう。
ただし、特にリーディングケースになっているような古い最高裁判例は事実関係が特殊で難解な場合が多く、事実
関係に深く立ち入って検討することがなかなか難しいので、実感がわきにくい (7)。また、該当する周辺領域の法的な知
識がない場合、まったくついていけない場合も多い。結局、このやり方では、大体最高裁の論理をなぞって少し立ち
入って理解するだけで終わりがちであり、その事例の紛争全体の解決のために何が妥当かを論じるまでには到達でき
ないことが多いし、その事例の解決方法が他に応用できるとは限らない。
では、そもそも法学部卒業生の到達点として私たちは何を期待することができるであろうか。私は、せめて身近な
消費者問題や交通事故などの具体的な法律相談に対して、何が具体的に問題となっており、それに対する法制度はど
法学部教育における双方向型授業のあり方について(上村)
のようになっていて、紛争を解決する落としどころは何かを、大雑把に自分の言葉で助言として答えることができる
ことではないかと考える (8)。そのために、まずポイントを押さえながら相談者の話をよく聞いて、その人の身になって
みること、逆に相手方の身になって何が言えるのかを考えること、一方的な主張や思い込み、硬直した固定観念で、
自分の思考を限界づけるのではなく、相手の身にも配慮して柔軟に多角的に吟味して、物事に即した結論を見出すこ
となどが必要となるであろう。
これを授業の中で行うとすれば、身近な事例を基にして、一つの事実について多様な見方ができることを経験させ、
多角的に事物そのものを分析して、紛争自体に対して、「腑に落ちる」判断を重ねさせることが大切になろう。その
中で裁判の持つ紛争解決の戦略的な意味合いを理解させ、判決に至るまでの知的葛藤を追体験させ、さらに、自らの
問題として、抽象的な規範を駆使しながら、実際の紛争に取り組み、必要であれば条文解釈や立法の提案などを行う
ことができるような教育となるのではないだろうか。
〈注〉
(4)教科書レベルでは、内田貴『民法Ⅰ』以降のシリーズは、このような典型事例を多用した先駆的なものであろう。ただし、
事例は必ずしもわかりやすくない。
(5)最近では、特に、法科大学位向けに、詳しくて凝った具体的事例を作り、多角的な設問を設け解説を行うケースメソッド風
の演習本も増えており、参考になる。ただし、法学部生に使いこなすのはなかなか難しいものが多い。
(6)拙稿「久留米大学法科大学院における民法教育について」『久留米大学法学』四四号(二〇〇二年)三三頁以下では、「法律
実務の目的は、具体的な紛争の解決にあり、最終的には、紛争当事者の納得を得ること」にあり、「訴訟で行われる法的判断は、
実践的な価値判断の術である」ことを指摘した上で、このような問題点の克服策を若干論じている。
(7)平成以降の最高裁判決は割と身近に感じることのできる事例も多い。また、『消費者判例百選』では、下級審で終わった裁判
論 説
例でも、重要なものは掲載されているので、使いやすい。特に初期の段階では、積極的に活用すべきであろう。
(8)これは到達点としてはなかなか難しいとも言われるが、せめてこれくらいできないと実学である法学の醍醐味はわからない
のではないだろうか。大体のところ、法律相談部などで取り組んでいる学生をイメージすればよいと思う。
二.ディベート型模擬裁判の概要
常日頃、学生諸君には、法学は総合的な人間学であり、時代と地域によって、常に検証・吟味を必要とする生きた
ものであること、法学を学ぶことは、何が正しいか、何が「常識(コモンセンス)」と言うべきかを探求する高度に
知的に洗練された営みであること、要するに、法学は学ぶに値するものであることを、実感してもらいたいと強調し
ている。
そのために、まず何よりも、法学部の授業で行うべき重要なことは、日常的に使っている言語と法律用語のギャッ
プを埋めて、法学を学ぶことの壁や疎外感をなくすことである。自分の言葉で議論を積み重ねていくことの先に、価
値観のすり合わせに基づいて法的な議論が成立していることを実感させる必要がある。
具体的には、自分の人生の様々な経験の蓄積の上に成立している感情・感覚などに基づく直感的なものをまずは信
じて、思いつきでもよいので具体的な問題に対する直感的な判断をさせ、なぜそう思うのかについて、自己の判断を
丁寧に言葉にして、ほぐしていく体験をさせることに着目すべきではないかと考える。そのような直観的な判断は、
たとえ好悪と言う形であっても、長年の経験の蓄積によって自分なりに倫理的に判断する際の基礎となっているはず
だからである。同時に、同じように、相手方の体験に裏付けられた直感的な判断とその説明にも耳を傾け、その違い
法学部教育における双方向型授業のあり方について(上村)
の根拠を考えさせる (9)。そして、自分の意見を変える必要まではないが、相手方の意見と共存して調和する方法がない
かを、お互い言葉を尽くして、あくまで事実に即して多角的に考えさせる。さらに、具体的事例と類似の事例をいく
つも比較して、法的判断を変えるべき違いであるかどうかを吟味させる。その中で、ある特定の法的価値判断を支え
ている事実は何かを正確に知って精度を高め、それが少しでもずれると別の判断をせざるを得ないことを実感させる。
以上のようなことを実際に行わせる教育的な仕組みを、ディベート型模擬裁判と名付けて、法学部での講義におい
て長年実践している。法学部生に対する双方向型授業の試みの一つである。裁判になった具体的で身近な事例を使っ
て、できるだけ原告と被告のように役割を明確にした上で、ディベートの良さを取り入れるのが、特徴である。
すなわち、まず、裁判の実際の事例を活用して、模擬裁判のように、肯定か否定かで答えることができる問題設定
を行なって、できるだけ原告と被告に分けて議論をさせる。これは、学生に役割を与え、その立場になりきってもら
い、臨場感と主体性をもたせるためである。
しかし、法科大学院などで行う模擬裁判とは違って、議論の枠組みは概要として教えるが要件事実のような専門的
な知識は必要なく、証拠の立証も厳格さにこだわらず、当事者に対する感情移入から始まって、質問・応答・反論を
繰り返して、徐々に双方の視点から議論を具体的に煮詰めていきながら、どちらの言い分がより腑に落ちるかという
点を重視する。最後は、いずれの立場で議論したのかはリセットして、自分自身で腑に落ちる方に挙手してもらい、
多数決で結論を決める。これらの点では、ディベートに似ている。
最終的には多数決で多かれ少なかれ勝敗を決めることになるが、いわゆる競技型ディベートとは異なり、相手方を
言い負かすことではなく、相手を議論で納得させることができるようになることを重視する。対話を重視して哲学の
始祖とされるソクラテスも、勝敗にこだわると、ミソロゴス(言論嫌い)になり、ひいてはミサントローポス(人間
論 説
嫌い)になることを戒めている(プラトン『パイドーン』八九D)。納得させるとは、相手を、得心のいく状態にして、
自分の言っていることが相手の理解の枠組みの中に入り込んだ状態、すなわち、腑に落ちて、自律的に自ら進んで、
能動的に理解することができるようにすることである。このことは、同時に、自らが納得できるように、自分自身に
問いかけ、手探りで議論を深めることをも意味する。
なお、そもそもディベートは、自分の個人的な主義主張を訴える場ではない。論題によっては、絶対に賛成できな
いと感じることがあっても、あえてその立場に立って論題を見つめ直し、個人としてではなく、役割としての意見を
述べることに徹して、双方の立場からできるだけ客観的に論題を検証していくことが、自分の視点を深めることにも
つながることになる。あえて、自分と反対の側に立つことも推奨して、直感的な判断から出発しても、感情的になり
すぎない手だてを身に付ける必要がある。この良さを法学教育に取り入れることができれば、その効果は大きい。
実際の運営について留意すべき点がある。大学で教育に携わり、長年二〇歳前後の若者たちを定点観測しているが、
よく観察すると学生諸君は非常に繊細でいろいろな気配りをしながら若いなりによく考えており、考え抜いた判断に
はバランス感がある場合が多い。まずはその意見をこちらが聞きたいと耳を傾けることである。大講義室でも、教壇
から降りてこちらから一歩踏み込んでそばで話しかけるだけで、教室の雰囲気はかなり変わる )10
(。
とはいえ、やはりいきなり抽象的な規範やなじみにくい事件を取り扱っても反応が鈍いことが多い。学生は、小学
校からアクティブラーニングに慣れており、役割を明確にして具体的な経験を徐々に積み重ねれば、高度な判断を行
うことができる。逆に言うと、具体的な経験がないと、なかなか抽象的な規範をイメージできないことには注意を払
う必要がある。具体的な裁判例を使って感情移入をしながら、紛争を追体験するやり方が最も適しているように思う
が、そのような教材作成には細心の注意を払う必要がある。実際にあった具体的な事案であれば、さまざまな角度か
法学部教育における双方向型授業のあり方について(上村)
ら検討することには、興味を示す場合が多く、自ら意見を述べることができる。その中で、一定の考え方を最初から
押し付けるよりも、意見を言わせて、要所ごとに規範的なものを帰納的に言葉で形にする方がよい。また、事実関係
は、できるだけ身近に感じるものの方がよい。最初は、最高裁にこだわらず、下級審の事例でも身近なものがあれば
使うのがよい。
このような方式について、抽象的な説明では限界があるので、実際に何度も繰り返してきた実践例のうち、導入例
を具体的に描き出して、紹介したい。
以下に紹介する実践例は、一応大教室で大多数の学生を相手にするときに、法学部生の専門科目の最初に民事裁判
のイメージをつかんでもらうことを想定して行なっている。最初の導入的な授業であるので、原告対被告という対立
型では明確に分けてはいない。通常は自分の意に反する側でも弁護する形で行うが、まずは手を上げてもらい、自分
の直感に基づいてどちらにつくのかを明らかにした上で、議論を進行させている。最初は自分の意見の方が自らの問
題として考察しやすいからである。大切なのは主体性をもたせて、全体として共に考える雰囲気を作り出すことであ
り、模擬裁判と言っても非常に緩やかな枠のようなものである。ただし、原告と被告を最初からはっきりと分けると
きにも、ノウハウはかなり応用可能なものである。この方式は、ゼミ形式の少人数のクラスでもほとんど同じように
行うことができる。また、法学部の学生だけではなく、看護学科の学生や高校などの出前授業でも、ほとんど同じや
り方で行って、感想・アンケートなどを見ると学生の満足度は高い。
何度も繰り返している事例であるので、そのうちの具体的な一回ではなく、いろんな回で出た意見を交えた形で、
まとめている。学生が意見をすぐに述べてくれるかについては、さまざまである。意識の高い方は、面白がって実際
に最初からどんどん意見を言うことができる。一言だけ言ったことをこちらで広げて、これで良いかの了承を取る場
論 説
合もあるし、こちらからヒントを言いながら誘導することもある。不思議なことに、このような取り組みに楽しさを
感じて発言しようという方は、高校生から社会人まで、年齢の差には関係なく一定の割合で確実にいる。大切なこと
は、司会をするこちらが、共同の言語空間の中で、あなたの発言を待っていると、オープンマインドで公明正大に受
け入れる姿勢を心からもって、それを示すことであろう。
今回使用
す る裁判例は
、鈴鹿市隣人訴訟事件
と し て 有 名な津地方裁判所昭和五八年二月二五日判決
(判例時報 一〇八三号一二五頁)である。これについては、さまざまな専門書 )11
(・論文が出されて研究されているだけでなく、法
科大学院向けに非常に多角的に検討するものもある )12
(し、民事訴訟法学習の優れた導入例としても活用されている )13
(。今
回は、この教材を使って、ディベート型模擬裁判の導入例として、法学部生がディベートをしながら、法と道徳、民
事訴訟の概要を直感的にイメージできるように使用している。
〈注〉
(9)いうまでもなく、法的判断に結びつけるには、この部分が重要であり、不可欠である。無批判な直感的判断は、若いとき以
来の先入観のコレクションに過ぎないこともありうるからである。大切なのは、直観的な判断を研ぎ澄ますことである。
(
10No.644)前掲注(3)池田『書斎の窓』二〇一六年三月号()二五頁も、この点を非常に的確に指摘している。
(
11)主な研究書として、星野英一編『隣人訴訟と法の役割』(有斐閣ジュリスト選書、一九八四年)、小島武司他『隣人訴訟の研
究―論議の整理と理論化の試み』(日本評論社、一九八九年)等がある。
(
12)河上正二『民法学入門』(日本評論社、二〇〇四年)
(
13)中野貞一郎『民事裁判入門第三版補訂版』(有斐閣、二〇一二年)
法学部教育における双方向型授業のあり方について(上村)
三.ディベート型模擬裁判の導入的実践例
(1)議論の仕方と事案の説明
教員 :皆さん、こんにちは。今日は、専門科目として最初の民法の授業です。最初に、みんなで事実をもとにして
議論しながら、民事裁判とはどういうものかのイメージをつかんでもらい、最後に道徳と法の関係を考えたいと思い
ます。まず、事案をレジュメ )14
(にポイントを押さえてまとめましたので、これに即して説明していきたいと思います。
後で、手を上げてもらい、議論をしていきたいと思いますので、気になる事実などがありましたら、レジュメにマー
カーなどで印をつけておいてください。
今回の素材となる裁判例は、津地方裁判所昭和五八年二月二五日判決(判例時報一〇八三号一二五頁)で、鈴鹿市
隣人訴訟事件として有名なものです。この事例についてはたくさんの研究文献が存在し、背後の事情も詳しくわかっ
ていますが、基本的に裁判例に書かれている事実を基礎にして、必要な点を若干補いながら説明します。
まず、登場人物ですが、原告は、夫であるX 1と妻であるX 2です )15
(。このX夫妻には、X 3という三歳四か月の長男がい ました。身長一メートル五センチで、比較的行動が活発な子でした。他方で、被告は、夫であるY 1と妻であるY 2で、
Y 3という三男がいました。事件は、このX 3がY夫妻宅の庭先でY 3と遊んでいるうちに、空き地から近くにある通称祓
川池というため池に落ちて溺死したというものです。
次に、事実の経過です。昭和四九年七月頃、この原告・被告の各家族は、鈴鹿市の新興住宅地池の下団地に転居し
てきました。ここは鈴鹿市内から自動車で約一五分の位置にあります。昭和五〇年、親同士が、町内会の隣組役員と
して交際し、X 3・Y 3も遊び友達になります。昭和五二年四月、X 3・Y 3が近くの道伯幼稚園に入園し、お互いによく遊
論 説
ぶようになりました。
事件が起きたのは、昭和五二年五月八日の日曜日で、五月にしては気温が高く、汗ばむ位の陽気だったそうです。
午後二時過ぎ、X 3・Y 3は幼児用自転車に乗って、道路を通ってため池に面して柵がある甲空き地と柵がない乙空き地 付近で遊んでいました。位置関係については、レジュメの略図 )16
(をご覧ください。二時半頃、二人は、被告宅に来て、
Y 2からアイスボーンという氷菓子を貰い、玄関や門前付近で遊びました。三時頃、Y宅の庭先で遊んでいた二人の所 に、X 3の母親であるX 2が、近くのスーパーに夕食の買い物に行くために寄って、X 3に付いてくるように言いましたが、
X 3は行きたくないと拒みました。そのときYらは家の中の大掃除をしていました。そして、原告被告で言い分は若干 異なりますが、両者間のやりとりについて裁判所は次のように認定しています。Y 1は「いいではないですか」という
ような口添えをし(原告は「妻もいるし自分も見ているからおいていったらいい」と言ったと主張しています)、そ
こでⅩ 2は、X 3をそのまま遊ばせておくことにして、「使いに行くからよろしく頼む」という趣旨のことを言いました。
Y 2も「子供達が二人で遊んでいるから大丈夫でしょう」(原告は「短時間のことであり自分も見ているから」と言っ
たと主張しています)と言って、これを受けました(判決理由は「これをうけた」としています)。
そうしたやりとりの後、X 2はX 3を置いて買い物に行きました。X 3・Y 3は、一〇分から一五分間、庭先から道路や柵
のない乙空き地で遊んでいました。Y夫妻は、大掃除の仕事合間に目で確認して、屋内に七~八分入って掃除をして
いたところ、Y 3が戻ってきて、X 3が泳ぐと言ってため池に入って出てこないと報告しました。そこで大騒ぎになって、 捜索の結果、ため池の底から、X 3が溺死しているのが発見されました。三重県はため池の多いところですが、このた
め池は、昭和五一年の秋に水利組合長の要請で農業用水確保のために土砂を深く掘削されていました。柵がないとこ
ろから降りていくと、深さ五〇センチメートル位の所が五メートル程続いた後、突然三メートル位の深さになってい