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関連研究分野との連携とその有効性

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Academic year: 2021

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アカデメイア

関連研究分野との連携とその有効性

人文科学研究科長 森 茂 暁

先般、私は京都のミネルヴァ書房という出版 社から、日本歴史上の重要人物の評伝シリーズ である「日本評伝選」の一冊として、『満済−

天下の義者、公方ことに御周章−』という著書

まんさい

を刊行した。満済(1378〜1435)は、室町時代

さんぽういん

の初期に出た京都の醍醐寺三宝院(真言宗)の 高僧で、室町幕府政治の運営に深く関与した「黒 衣の宰相」と称すべき人物であった。しかし、

この人物の知名度は極端に低く、一般にはほと んどと言ってよいほど知られていない。

満済の事績については、紙幅の関係で詳しい 説明を施すことはできないが、ここではあるひ とつの歴史的事実に注目したい。それはクジび

よしのり

き将軍として著名な足利義教にまつわることで

よし もち

ある。「室町殿」足利義持は応永35年(1428)

1月17日夜に危篤状態に陥った。義持は生前に 自分の後継者を決めていなかったので、幕閣た ちは満済にリードされて、4人の義持の弟たち

(いずれも出家者)のなかから1人を選ぶこと

いわ し みず

で合意し、源氏の守護神として著名な石清水八 幡宮(現京都府八幡市)の神前でクジびきをす ることになった。神意による選出である。結果

しょうれんいん

的に、天台宗の青蓮院門跡のポストにあった義

えん

円(のちに義教と改名)が当たるのであるが、

問題は史料に書き記されたその方法である。

この神前でのクジとりについて記す史料には 2種が知られている。1つは、時の権大納言万

けんない き

里小路時房の日記『建内記』である。そこでは 4人の名前を書いた4本のクジを3度ひき、結

果はいずれも義円と出たとある。結果があまり にも不自然であること、そして一連のクジとり に主導的な役割を果たしたのは満済であること から、このクジとりは満済がしくんだイカサマ だと解するむきもあった。しかし、それはちが う。

ある時、4本のクジを3度引いて3度とも同 じ目が出るということについて、私は同僚の数 理社会学を専攻する某教授に何気なく尋ねた。

教授の返事は、そのようなことは作為がない限 りほぼあり得ないという結論であり、それを証 明する数式を書いたメモを頂いた。そこで私は ハッと思った。先の『建内記』の記事自体が誤 りではないかということを。

クジとりのことを記す史料には、いまひとつ

じゅごう

満済自身の自筆日記『満済准后日記』がある。

みついえ

この日記では、幕府の管領畠山満家が石清水八 幡宮の神前で4本のクジのうち1つをひき、そ れを幕府に持ち帰って開くと義円の目が出たと いう、ごく普通のクジびきの光景が記されてい る。史料の性格の上からも、満済の日記の記事 の方が信憑性は高かろう。

ようするに、『建内記』の記事の不自然さは 数理社会学の常識的な知識によって裏付けられ たわけである。まったく別の研究分野からの応 援を導入することが問題の解決に大きな力とな るということを思い知った次第である。ちなみ に、泉下の満済もイカサマの汚名をそそぐこと ができてさぞや安堵していることであろう。

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