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リベット型実験の再検討:経験される自由の観点から

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Academic year: 2021

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リベット型実験の再検討:経験される自由の観点から

太田紘史(Koji OTA) 新潟大学人文学部

自由意志にまつわる哲学的問題に新たな光を投げかけた科学的知見の代表が、いわ ゆるリベット実験のそれである(Libet et al. 1983; Libet 1985; Libet 2004)。それに よれば、我々が行為(例えば手首の運動)への意識的な意志を経験するよりも数百ミ リ秒前から、その行為に相関する無意識的な脳活動が生じている。この種の知見はそ の後様々な仕方で補強されており、例えば右手首と左手首のどちらを動かすかという 選択に関しても、その選択に先行して相関する無意識的な脳活動が検出されている

(Haggard & Eimer 1999; Fried et al. 2011)。またそうした脳活動は実際の行為より 最大で10秒程度も先行するという知見もある(Soon et al. 2008)。こうしたタイプの 実験研究を「リベット型実験」と総称することにしよう。それから得られる一連の知 見は一見するところ、我々が意識的な意志により行為を開始しているということの否 定を通じて、自由意志否定論を含意するように思われる。

他方で哲学者においては、リベット型実験に基づく自由意志否定論に同調する者が ほとんどいないばかりか、それに明確に反対する哲学的議論が精力的に生産されてき たといってよいだろう。そうした議論は、大別すれば概ね次の四通り存在する。第一 に、意識的意志として近接的でなく遠位的なものまで考慮に入れれば、リベット型実 験における行為はどれも意識的意志によって開始されていると判明する(e.g. Gomes 1999; Zhu 2003; Gallagher 2006 etc)。第二に、仮に近接的なものにかぎっても、無 意識的な脳活動から行為までの出来事因果系列の一部に意識的意志が含まれているか ぎり、意識的意志が行為の開始者から排除されるわけではない(e.g. Mele 2011; 鈴木 秀憲 2012; Schlosser 2012 etc)。第三に、仮に意識的意志が行為の開始者から排除さ れたところで、そのこと自体がなぜ行為や意志の不自由さを含意するのかは不明であ る(e.g. Rosenthal 2002; Levy 2005; 鈴木貴之 2009 etc)。第四に、仮にリベット型 実験における行為や意志が不自由だったとしても、その不自由さは、日常的な行為や 意志へと一般化することはできないか、あるいは哲学的な自由意志論にとって興味深 い類のものではない(e.g. Roskies 2011; Schlosser 2014 etc)。

しかし、このような様々な哲学的議論が本当に成功しているかどうかは、そもそも リベット型実験がなぜ..

自由意志否定論を含意しうるのかという、標的となる推論の再 構成の仕方しだいである。実際そうした再構成は重要な哲学的作業であり、それなし にはリベット型実験の哲学的含意について正確に検討することはできない。私が今回 試みるのは、この再構成を根本からやり直すとともに、それを上記の哲学的議論全て を回避するような仕方で提案することである。

私が今回そのために焦点を当てるのが、経験される自由.......

である。我々が行為すると きに感じる自由さの経験については、歴史上ではデカルトやヒュームが言及しており、

彼らは自由意志の本性について検討するうえでもそれに重要な役割を担わせている。

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他方で現代の自由意志論の文脈では、経験される自由はあまり注目されてこなかった が、例えばCampbell (1957)、Lehreh (1960)、Searle (1984)、Double (1991)、O’Connor (1995)はそれについて検討ないし言及している。さらに今世紀に入ってからは、意識 の哲学における現象的特性の多様さを追求する研究の進展を背景として、行為におい て経験される自由の現れについて積極的な検討が行われるようになり、それと自由意 志論との接点も探られつつある(e.g. Horgan et al. 2003; Horgan 2011; Bayne 2008;

Deery et al. 2013; Deery 2015; Shepherd 2016 etc)。今回私は、こうした研究の進展 を踏まえながら、リベット型実験に基づく自由意志否定論を新たな仕方で再構成する ことを試みる。

その再構成の概要は次の通りである。我々は行為やそれへの意志を自由なものとし て経験しており、その意味で行為には自由さの現象的特性が伴いうる。この現象的特 性は、リベット型実験における行為にも伴うものである。さらにそうした現象的特性 がその経験の表象内容を構成する(あるいは、いわゆる表象主義的見解が正しければ、

むしろ現象的特性が表象内容によって構成されている)という意味で、その経験は自 由さの現象的内容を有する。しかし、リベット型実験が明らかにするような無意識的 な脳活動から行為までの出来事因果系列は、そこでの経験を当該の現象的内容に照ら して偽とするようなものである。それゆえリベット型実験における行為において経験 されている自由に対応するものは実在しない。さらに、この自由意志否定論は、経験 される自由に焦点を合わせているおかげで、リベット型実験における行為から日常的 な行為へと一般化することができる。

私はリベット型実験について以上のような仕方で、その哲学的含意において肯定的 となるような、かつ自由意志の実在性にとっては否定的となるような再検討を施すつ もりである。

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